恩の循環

「恩」という字があります。恩は自分が誰かや何かから受けた恵みのことです。よくこのご恩は忘れませんという言葉や、いのちの恩人というような使い方をします。この恩は、御蔭様の気持ちを忘れない心のことでありいつも自分がいただいている偉大な恩恵を忘れずに過ごしていることを実感し続ける謙虚な心でもあります。

ドイツの詩人ゲーテに「忘恩は一種の弱点である。有能な人で忘恩だったというのを、私はまだ見たことがない。」があります。自分の力でと勘違いすることほど弱点であり、恩を忘れない謙虚な人は皆それぞれに強みを活かすことができるのは周りの御蔭に気づいているからかもしれません。

そしてこの「恩」という字を、致知出版社の藤尾社長はこのように解釈しています。

『「恩」という字は「口」と「大」と「心」から成っている。「口」は環境、「大」は人が手足を伸ばしている姿。何のおかげでこのようにして手足を伸ばしておられるか、と思う心が【恩を知る】ということである』

自分が伸び伸びと日々に暮らしていけるのは、その蔭に本当に多くの方々の見守りがあるからです。両親をはじめ、先祖の方々、今まで自分を育ててくださり自分を助けてくださった本当に多くの方々がいることで今の自分が存在します。あの出会いもあの気づきも、あの言葉もあの親切も、もしくはあの厳しさもあの悲しさも、すべては今の自分をつくってくださった御蔭様の一つです。

恩を知るというのは御蔭様を知る心であり、御蔭様をいただいてばかりだからこそ何か自分も同じように恩返しができないかと感謝の気持ちに満たされるとき「恩」の意味を自覚できるように思います。しかし恩はその人にお返しすることはできず、その人もまた他の人の御縁によって恩をいただきそれを他の人に送っているわけですから同じように恩送りをして人と人の間で恩を循環していくしかありません。

そしてこの恩の循環のことを繁栄というように私は思います。

社會を発展させ繁栄させていくというのは、人類が倖せになっていくということです。そして人類の幸福を願うなら、この恩の循環を通して社會を繁栄させていくしかありません。その社會の繁栄は、自分の日々の生き方次第で行われますから日々の恩送りの実践こそがより善い社會を育てていきます。

その実践とは、受けた恩よりも少しでも多くを他の人の送ることです。ペイフォーワードという映画もありましたが、これは社會を育てていく最善の方法のように感じた記憶があります。

受けた恩や恵みを自分のものだけにせず、誰かに一つ多めに付け足して送っていくことが豊かさを約束し皆を仕合わせにしていく自然の摂理です。恩の循環を忘れないように御蔭様の心を実践していきたいと思います。

 

透明な信条

佐藤初女さんの透明な生き方は、多くの人たちに日本古来の暮らしを考え直す機会になりました。本来の暮らしは何か、何をもって暮らしというのか、そのおむすびを握る丁寧な所作、万物をもったいないと活かそうとするいのちの扱い方を観て暮らしの本質を直感した人はとても多かったように思います。

今の時代はスピードや効率を優先し、大事にしてきた日本の心が次第に失われているようにも思います。何でも粗雑粗末にし、荒っぽく薄っぺらい行動をしていのちを傷つける人が増えたように思います。何でもいのちをただのモノのように雑に扱い周りを傷つけても平気な人が増えたように思います。そしてそのただのモノと同じように扱われていることにマヒし、周りにも同じように身勝手に利己的にふるまい乱暴であることにも気づかない人が増えたように思います。不親切や思いやりのないことがあたりまえになってしまうことで心は貧しくなり、そしてその人生もまた独りよがりのさみしいものになっていくようにも思います。

本来、日本人は心が豊かな民族でありそれは日々の丁寧な暮らし、もったいない心と共にあったように思います。初女さんの後ろ姿には、連綿と受け継ぎ大切に重んじられた大和心を感じます。その初女さんはこの粗雑粗末にかかわる話にメンドクサイという言葉が如何に美しくないかということをこう語ります。

『私、“面倒くさい”っていうのがいちばんいやなんです。ある線までは誰でもやること。そこを一歩越えるか越えないかで、人の心に響いたり響かなかったりすると思うので、このへんでいいだろうというところを一歩、もう一歩越えて。ですからお手伝いいただいて、「面倒くさいからこのくらいでいいんじゃない」っていわれると、とても寂しく感じるのです。』

もう少しだけのところに、利己的が利他的に転じる境目があるように思います。いのちの移し替えと同じく、透明な心に移るかどうかの極みで一歩が越えられない。この一歩こそ、実践の一歩であり、自分の決心した生き方を貫くかどうかの信念や志であろうと思います。

これは特別な大きなことをしなくても日々に大切にしたいと決めた生き方を優先し、自我に打ち克ちもしも理念を実践するかどうかのことです。人は思いはしても言葉にしても実際にその優先した理念を「実行」することが出来ないものです。敢えて実行すること、言行一致することこそが実践であり、その実践を行う心に「面倒だから」という思いは一切入ることはありません。

結局、独りよがりというのは、利己的であるということです。みんなが自分のことしか考えず、自分のことばかりを優先してしまえばそこに思いやりはありません。思いやりのある社會は、周りの人のことを配慮し、そのために「独りでも誰も見ていなくても自分の生き方や暮らしを周りのために粗雑粗末をしまい」という生き方を優先することです。丁寧な所作や丹精を籠めた行動は、その真心の為す業であろうと思います。また初女さんはこのようにも言います。

『何かにつけて、自分と言うものが先になっている。実践ということまでいかないで
考えるということに留まっている。言葉はたいへんに貴重なものだけれども言葉を越えた行動が伝えてくれることが非常に大きいのです。だから、私は、なるべく言葉を越えた行動をしたいと思っている、と。』

言葉を越えた行動をするというのは、「実践を優先する」ということであろうと思います。本当に思っているのなら、本当にそうしたいのなら、「実践」することだと仰っているように私は思います。私の定義している実践も初女さんと同じく、言うのならまず実践しましょうということです。そしてこの実践は全て身近な小さな行動で実現できるものしかありません。

最期にこの初女さんのこの信条を遺訓として受け止め綴りを締めくくりたいと思います。

 

『言葉を超えた行動が心魂に響く』

 

ご冥福をお祈りするとともに、透明ないのちを受け継ぎ私たちは私たちの道で子ども達のためにその大和心・大和魂を実践していきたいと思います。

 

 

透明の磨き方

透明さというものは、穢れを祓い清め洗い清める中で磨かれていきます。その透明さを磨くのに私はよく「遣り切る」という言葉を使います。この「遣り切る」ことは一期一会を大切に出し切ることであり、常に心徳を高め魂やいのちを輝かせるための磨き方のように思います。

人は本気になり真剣になればなるほどに明るくなります。この明るさは単なるマジメのもつ深刻な感じから出てくるものではなく、真剣で本気だからこそ出てくるものです。出し切るというのは何を出し切るのか、遣り切るとうのは何を遣り切るのか、それは「本気を出し切り、真剣を遣り切る」ということに他なりません。

佐藤初女さんは、透明さを磨き切った方でした。その磨き方が本人が語る言葉の中に遺っています。

『私はどんな時も自分の都合を優先せず、その人が求める形で出会いたいと思っています。何かに取り組む時、ある限界までは、誰でもできることだと思います。けれども、そこを一歩越えるか越えないかが、大きな違いになると思うのです。そして1つ乗り越えると、また限界が出てきます。そのように限界を1つずつ乗り越えることによって、人は成長しますし、その過程は生涯続くものだと思います。確かに、このような生き方は大きな犠牲を伴いますし、私は時々自分でも厳しいなあと感じる時があります。『忙しい』という言葉を、私はなるべく使わないようにしています』

最期まで一期一会に遣り切るというのは、最期まで「我」を優先しなかったということです。真心を盡して盡し切ったかということが、御縁に向き合う至誠であるように思います。自分よりも誰かのためにと見返りを求めずに真心を与え続ける人生というのは、常に犠牲を伴います。しかしそれでも真心や思いやりを盡していくことが透明さを磨くということになっているのです。あと一歩で諦めてしまう人や、あともう少しの努力でやめてしまうのは真心までいかないからです。人事を盡して天命を待つという言葉もありますが、人事を盡していないのに天命は待つことはできません。この真心までいくかどうかに、感謝で生きる道もまたあるように思います。

また初女さんは、こう言います。

「『私、苦しいんです』と訴える人に対して、頭であれこれ考えて解決の方向にもっていっても、それは本当の解決になっていないです。『そう、苦しいね。でも、もっと苦しまなくちゃ』って伝える時もあります。『初女さんは苦しいと思われることはないのですか?』という質問を受けることがあります。もちろん、私も活動を続ける中で、どうすることもできない心の葛藤が生まれることがしばしばあります。そんな時、私は苦しみを否定せずに、自分の心をまっすぐ見つめます。そしてどんな時も、苦しみを感じきることを大切にしています。苦しんで苦しんで苦しみ抜いて、もうどうにもならない、というところで『神様へおまかせ』に入るんです」

私の言葉では「選ばない」ということです。逃げないと選ばないは同じ意味であり、全てを御縁の尊さで感じ切る、いただいている御縁に感謝しているかという祈りの実践でもあります。そして人事を盡し切ったならもうできることはないのだから後は天にお任せしようと祈り待つ境地しかないのです。それが「遣り切る」ことだと私は思います。

人間は誰しも出会いによって人生は変化していきます。

そして出会いをよくよく感じて内省するとき、その御縁や出会いは向こうから発見してもらって呼んでくださっていると感じるのです。つまりは「選ばない」ことの背景には、それは向こう側から自分を選んでくださった、自分にこれをやるようにと教えてくださった、自分にもっとも相応しいものをいただいたと自覚しているからこそ「選ばない」のです。

天命というのは探して得るものではなく、受け容れて得るものです。四十になって実感するのは、四十にして惑わずではなく、四十にして天命を選ぶのを已めたということです。天命を選ばないから惑わずになるわけで、人はその天命を選ばずに受け容れることでその後の人生の意味をしっかりと学問していくことができるように思います。

初女さんの生き方が、とても透明に徹しているのはこの人生への正対の覚悟、また一期一会に生きる決心の強さのように私は思います。

かつて東京で初女さんの講演を拝聴する中でもっとも強く印象に遺った言葉に『私はメンドクサイという言葉が大嫌いです、どんなことも決して面倒くさいと言ってはいけません』と静かに厳しく仰っていたことが今でも忘れられません。

真心や思いやり、本気や真剣さはこのメンドクサイの反対側にある言葉です。一つ一つを丁寧に丹精を籠めて生きていくことがその透明さがより磨き研ぎ澄まされることになっていくように思います。

追悼を籠めて書き綴っていますが、初女さんの偉大な後ろ姿に改めて学び直すことばかりです。子ども達のためにも、こういう方が遺してくださった真心を子どもたちに伝承していきたいと思います。

透明な実践

引き続き佐藤初女さんのことを書いていますが、「透明さ」というのは心が澄んだ真心の生き方のことをいうのだと私は思います。心が澄んだ真心の人は、作為もなく計算もなく、ただ思いやりに従って行動していきます。その思いやりによって行動することを私は「祈り」と呼びます。このような「祈り」こそが祈りの実践であり、澄んだ真心で丹精を籠めて丁寧に行動したことは相手の心を癒すように思うのです。

最初に佐藤初女さんを知ったのは、地球交響曲ガイアシンフォニーに出演していたことです。映像の中で、おむすびを握る姿の中に無心で相手を思いやり行動する祈りの姿を感じました。

その初女さんの話の中で、自殺しようとしていた青年の話があります。ある青年の両親が話を聴いてほしいと青年を森のイスキアに送ってきたといいます。ずっと傾聴していましたが泣いてばかりでご飯も食べず、もう遅いのでとそのまま休んでもらったそうです。一晩たって帰る際に、朝からおむすびを握ってそれを持たせたそうです。青年がその帰り電車の中で、タオルに包まれたおむすびをみてこんな自分のためにここまでしてくれる人がいる、信じてくれる人がいるのかと感動しそれからパッと人生が変わってしまったという話です。

真心を籠めて行動したことが祈りになり心に届く時、心が透明になりそれまでのいのちがいのりによって移り変わる、、私にはそう思います。私も透明な心や透明ないのちを実践していく中で、如何に相手がどうこうではなく自分が「真心を盡したか」どうかを重要にします。

人は相手に合わせて自分を盡すことが大事なのではなく、常に自分の心を省み真心を盡していくことが何よりも祈りそのものになるからです。

相手の心に寄り添うということは、相手の苦しみに寄り添うことです。相手の苦しみをじっと受け止めて、自分の苦しみとして受け容れることはまさに苦を楽にし福に転じる妙法であろうと私は思います。

なぜなら人は一人では苦しみになりますが、一緒になら幸福に転じるからです。人生の妙味はこの中庸の中にあり、人生の醍醐味は調和の中にあるように感じます。

引き続きかんながらの道、透明な実践を精進していきたいと思います。

透明

自然のことを学び直す中で、あらゆるもの透明さを知り純粋であること、真に澄むことの大切さをいつも感じます。身近な光や陰、火や水、風や土、木や石などあらゆるものが融け合い混ざり合い一つになる瞬間はいつも透明ないのちを感じます。

この透明ないのちとは、「解け合う」ことで姿を顕します。そしてその瞬間が観えているかということが真心のままであり、その瞬間を捉える感性が直観のことであろうと思います。私のかんながらの道はいつも此処に存在します。

自然が磨いてくださるいのちの尊さの中に、その透明感はいつも存在します。透明なものを感じる感性は自然の心のままに心に寄り添い、自然体で心をおもてなす日本古来の精神の鑑です。天照大御神より八咫鏡を授かってから私たちは透明な鏡に心を照らして自己鑑賞し常に心の穢れを祓い清め、心を磨き続けることを大切にしてきました。透明さというのはこの鑑の心であり、鑑の心は常に自他一体に切磋琢磨、相手と自分を解け合うことで磨き合うものだと私は思います。

佐藤初女さんは、この「透明」であることを大切にされた生き方を貫かれた方です。私も透明であること、いのちを磨くことは人生の一大事だと考えており、その生き方や生き様には本当に沢山の影響をいただきました。

改めて初女さんの文章を拝読していると、日々の暮らしの中で透明さを磨いていた様子が遺っており私自身も改めて学び直していきたいと思います。その初女さんにこんな言葉が遺っています。

「調理の間はいつも意識を集中させていないと、食材のいのちと心を通わせることができないですね。例えば野菜を茹でている時、火のそばを離れずじっと見ていると、野菜が大地に生きていた時より鮮やかな緑に輝く瞬間があります。その時、茎を見ると透き通っています。その状態をとどめるために、すぐに火を止めて水で冷します。透明になった時に火を止めるとおいしくて、体の隅々まで血が通うお料理ができるんです。素材の味が残っているだけでなく、味が染み込みやすい時でもあるんですね。野菜がなぜ透き通るかといえば、野菜のいのちが私たちのいのちと1つになるために、生まれ変わる瞬間だからです。ですから私はそれを「いのちの移し替えの瞬間」と呼んでるの。蚕(かいこ)がさなぎに変わる時も、最後の段階で一瞬、透明になるといいます。焼き物も同じで、今まで土だったものが焼き物として生まれ変わる瞬間に、窯の中で透き通り、全く見えなくなるそうです。いのちが生まれ変わったり、いのちといのちが1つになる瞬間に、すべてが透き通るのかもしれませんね。透き通るということは、人生においても大切だと思いますね。心を透き通らせて脱皮し、また透き通らせて脱皮するというふうに成長し続けることが、生きている間の課題ではないでしょうか」

これは調理のことを語っているのではないことはすぐに自明します。これは透明になることを語っているのです。

生きている間の課題として、如何に心を透き通らせて脱皮するかと言います。私の言葉では心を如何に研ぎ澄ましていくかということと同じです。心を研ぎ澄ましていくことは、人生において何よりも大切なことです。なぜならそれは人生とは魂を磨くことだからです。この世に私たちが来たのは、魂を磨き心を研ぎ澄ますために体験をしているとも言えます。

生きている修行というのは、結果が云々ではなくこの間にどのように生きたかというそのものが問われるように思います。自然界の生き物たちやいのちのように生きていくことが仕合わせであり、彼らと同じように日々に暮らしの中で自然の砥石で心魂が磨かれていくことがいのちを輝かせていくことだと私は思います。

人間の中においては御互いに思いやり真心を盡していくことで心魂は磨かれ高まりより透明になっていきます。透明な感性をいつも持ち続けることは、自然と解け合い直感のままにいて自然体になることです。

憧れた人に近づけるよう、私も持ち場で日々に精進していきたいと思います。子ども達に譲っていく透明ないのちを受け継いでいきたいと思います。

深さとは何か~直感~

物事には深さがあり、深さを持つ人はその深さを人に伝えていけることができるように思います。同じ話をしても、自ら刻苦勉励し体験を通して苦心しつつも掴んだ人の話は同じ言葉を並べても伝わり方が異なるものです。知識と体験との違いは、知識によっていくら文字を並べてもそれは単なる文字遊びにしかならず体験によって得た智慧や知識により文字が並ぶとそれは実行するためのヒントになります。

昨日、かねてから尊敬していた森のイスキアの佐藤初女さんがお亡くなりになりました。講演で一度だけお話をお聴きしたことがありますが、その時の御話もまた深さがありました。子どもがお菓子ばかりを食べて困っているという質問には、「ご飯を美味しく作ればいいのです。」とただシンプルに回答するのですがその言葉の間には真心を籠めて子どもを育てることや、食に命を懸けて取り組むことの大事さなど言葉の背景に膨大な暗黙智慧が語られている深さがありました。

この方もまた日本古来の大道をこの世に受け継ぎ、次代へ繋ぎ紡いだ有り難い道徳人でした。魂や大義は失われず、人々の心の中に生き続けて実践によって伝承されていくと思います。瑞々しい透明な心を通じて出会った有り難いご縁をいつまでも心に刻み忘れません、ご冥福を心からお祈りしています。

話を戻せばこの深さというのは、その人の体験によって深まっていきます。深さを持てる人とというのは常に理想を求めて一生懸命に苦労を厭わずに努力精進していくことで深まっていくように思います。深さの中には、つまり理想までの距離のようなものがあるのかもしれません。自分の目的や志の高さに対して今の現実があり、その間が深さになっていくように私は思います。

深さを持てる人になるためには、まず理想を定めて自ら覚悟決心する必要がある様に思います。そして自問自答し、本質は何かを求め続ける胆力や道を歩み続けて内省し続ける継続力も必要です。

求めている理想が大きければ大きいほど、世のため人のための祈りが広ければ広いほどその深さはますます奥深く深淵な深さになります。またその深さは五感や全感覚を通して感じるもので、到達している深さは観えないほどですから互いの直感でしか感得しえません。西洋ではそれをシンクロニシティともいいますが、本当の深さを求めている人はいつもご縁によって導かれるように思います。ご縁の世界に生きる人々は深さを持ちます、そしてその深さは直感と導きと道中の閃きによって開拓されていくのでしょう。

日々に何を最も優先するのかを忘れずに、自分の持ち場を掘り下げて道を歩む人たちに恥じない背中をみせられるように文字遊びを戒め深く精進していきたいと思います。

 

自然の美

日々、炭と憩り、御茶を立てて一服する日々を過ごしていると心の安らぎを覚えます。不思議なことですが、この炭を使いお湯を沸かし一杯の御茶を呑むことがこんなにも心が落ち着くのは何か自然の慈愛と通じ合っている気がします。

茶器というものが戦国時代は、大変重宝され一国一城の価値があったとも言えます。心が安らぐときに、その周囲に日頃から愛着をもって大切に遣っている道具たちに見守られ一杯の御茶をいただく、道具たちもそれぞれに持ち味を活かして一杯の御茶のために盡力する、その一つに向かって籠めた真心が御湯と御茶を通じて心に沁みわたります。

おもてなしというものは、道具たちをはじめ大切にそのものの持ち味を活かして協力し合い一つの物事のためにチカラを分かち合って相手に自分たちの真心で御迎えすることではないかとこの御茶を点てている中で実感します。

日頃、会社でもお客様がお越しになる際に、みんなでチカラを合わせて色々と準備します。その真心からの行動や実践は、目には観えなくても必ず相手に伝わり、おもてなしに心が穏やかになり豊かな仕合わせを味わえるものです。これはみんなが心を一つにすることが大切であり、御茶の道具たちと協力して心を一つにおもてなしするものまた同じ仕組みであろうと私は思います。生物非生物に関わらず、みんなで一緒に誰かをおもてなすというのは、そこに自然の美があるように思います。

炭の実践の中で、もっとも私が感じ入ったのはこの炭と御茶の関係に出会ったことでした。茶道で有名な千利休に利休七則というものがあります。これは弟子から「茶の湯の真髄は何ですか?」と問われ、問答がそのままその茶道の心得として遺ったものです。

利休は弟子にこう言いました。

「茶は服の良き様に点て、炭は湯の沸く様に置き、冬は暖かに夏は涼しく、花は野の花の様に生け、刻限は早めに、降らずとも雨の用意、相客に心せよ」と。

弟子がそれくらいのことは私でも知っていますと答えると、もしもあなたがそれができるなら私はあなたの弟子になりましょうと応えたと言います。無念無想、かんながらも同じですがどの道もまた心のあるがままにあることが伝承されているかのようです。

千利休は、禅の心を一休禅師の弟子村田珠光の足跡を歩んだと言われます。その村田珠光には、その茶の道の「初心」が記されたやり取りの手紙が遺っていると言います。

「 此道、第一わろき事ハ、心のかまんかしやう也、こふ者をはそねミ、初心の者をハ見くたす事、一段無勿躰事共也、こふしやにハちかつきて一言をもなけき、又初心の物をはいかにもそたつへき事也、此道の一大事ハ、和漢之さかいをまきらかす事、肝要肝要、ようしんあるへき事也、又、当時ひゑかるゝと申して、初心の人躰か、ひせん物しからき物なとをもちて、人もゆるさぬたけくらむ事、言語道断也、かるゝと云事ハよき道具をもち、其あちわひをよくしりて、心の下地によりてたけくらミて、後まて、ひへやせてこそ面白くあるへき也、又さハあれ共、一向かなハぬ人躰ハ、道具にハからかふへからす候也、いか様のてとり風情にても、なけく所肝要にて候、たゝかまんかしやうかわるき事にて候、又ハ、かまんなくてもならぬ道也、銘道ニいわく、心の師とハなれ、心を師とせされ、と古人もいわれし也」

何を初心と言っているか、古今の聖人の道を歩む人たちは同じ真心と実践を歩むように思います。そして心の師となり、心を師とせよといいます。自分の真心のままに歩むことこそ自然であり、その自然美をカタチに示したのがこの火と水の持つ芸術、そして生き方と暮らし方だったのかもしれません。自然の美しさを感じるのは、心が自然と一体になるからです。その心の美しさが響き合うことが、自然の美だということです。

子どものためにと必死に生きていく中で、志を支えてくれるこの炭と御茶、そして道具たち、自然のすべてに感謝しています。

 

 

人道の本質

二宮尊徳の遺訓には、私たち人間がどのようにすることでもっとも天道地理に沿うのかということが記されています。今のような物質が溢れ、飢饉飢餓などが遠ざかった世の中にはあまり二宮尊徳の偉業が弘がりませんが、本来は「心田の荒蕪を耕す」といった本質で観れば今の時代ほど二宮尊徳の教えが必要な時代に入っていると思うのです。

その尊徳翁遺訓に「水車のたとえ」というものがあります。

『「水車の回るは半ばは天道にして半ばは人道なり」。翁曰はく、それ人道は言ふれば、水車の如し、その形半分は水流に順ひ、半分は水流に逆うて輪廻す。丸に水中に入れば回らずして流れるべし、また水を離るれば回ることあるべからず。それ仏家にいはゆる知識のごとく、世を離れたるごとし、また凡俗の教義も聞かず義務も知らず、私欲一遍に着するは、水車を丸に水中に沈めたるが如し。ともに社会の用をなさず。故に人道は中庸を尊ぶ。水車の中庸はよろしきほどに水車に入りて半分は水に順ひ半分は流水にさかのぼりて運転滞ほらざるにあり、人の道もそのごとく、天理に順ひて種を蒔き、天理に逆うて草を取り、欲に従ひて家業に励み欲を制して義務を思ふべきなり。』

これは意訳ですが、(天道と人道は水車のようである。その水車の半分は水に従い、半分は水に逆らう。水の中に入れば水車は回らず、水の外に出ても回らない。これは世の中と交わらない仏教徒のようなものでこれでは水中の水車と同じく役に立てない。だからこそ人道はバランスが大事である。人の道は自然に沿って自ら種を蒔き、そして自然に逆らってその周りの草を刈る、これは慾に従って幸福成功のために精進しつつ、同時に慾に逆らって世の中への理想や利他を盡して社會貢献していくのである。)と。

自然農を実践する中で、自然に沿う事と自然に逆らう事は常に向き合うことになります。天地自然の恩恵を受けて私たちは存在していますが、人間はその中で自然を破壊し自分たちの思い通りの世の中にしているとも言えます。

一方では自然を愛しつつ、一方では自然をコントロールしようとする。これが人間とも言えます。ここでの二宮尊徳の言う、天道と人道とは別に天道か人道かと言っているわけではないと私は思います。

まずは天道を素直に優先し、その上で人道を謙虚に行うことだと私は言っているように思うのです。この優先順位が違うならば、人間は慾に負け、慾を制することがなく、今の世界のように樹木や生き物たちは絶滅の一途を辿ります。

この水車のたとえというのは、結局は「人の道」とはどういうものかということをたとえています。人間は天道に従うことで循環し、そして中庸を実践することで人道に適うというのです。

この世の本当の意味での幸不幸はこの「人の道如何」に由ります。

二宮尊徳が言う、「報徳」の真心を今の時代に置き換えて「仕法」を仕組みに昇華してこれからも子どもたちのいる現場に種を蒔き続け、刷り込みの草を刈り続けたいと思います。

先祖の生き方~人道格具一体の境地~

先日から包丁研ぎを深めていますが、歴史を辿れば日本刀にそのルーツがあることに気づきます。世界でもっとも切れる日本刀が戦後に失われてから、だいぶ時が経ちました。

それまで当たり前であった研ぎの世界も失われ、そして鍛冶の世界も同時に失われていきました。西洋から、安価で丈夫な大量生産の刃物が輸入され日本の製鉄技術もかつての玉鋼のような材料も失われどうしても外国の刃物の方が丈夫で長持ち、そしてよく切れるというようになってしまったそうです。そしてそのうちお金儲けが第一になり、善いものを造ることの優先順位が下がりますますそれまでの日本の文化であった鍛冶や研ぎは失われていったと言います。

どの時代も買う人たちの心理がものづくりの人たちに影響を与え、ものづくりの人たちの心理が買う人たちの心理になっていくのは同じです。買う人たちが安価ですぐに買換えできるような便利なものを求めれば、ものづくりの人たちもその要請に応えてしまい安物で便利なものをつくります。またものづくりの人たちが金儲けに走れば、買う人たちもまたお金だけのモノサシでものを購入するようになります。世の中は、その時代の使い手、作り手の生き方が道具に顕れてくるのです。

以前、「刃物の見方」(岩崎航平著 慶友社)の中で、「日本刀は平安朝時代のものが最高で後の時代はそれに近づけようとしているだけである」という話を読んだことがあります。もしも昭和の名刀だと威張っても江戸時代だと三流くらいで平安朝時代なら十流か十一流位で刀鍛冶の数にも入らないといいます。そこにはこう書かれます。

「刀に関する科学だけは何も進歩していません。進歩しているのは電子計算機だの、ナイロンだの、ミサイルだの、原子爆弾であって、日本刀に関する科学は、進歩どころか時代が下がるに従って退歩して、今日が一番衰えているんです。だから今の人はもう少し頑張れば、もっと古いところまでは到達できるでしょう」

これは西岡常一さんの宮大工の世界でも同じ話を聴いたことがあります。法隆寺を建てた時代の大工は大変見事であったと、その上で使っている道具や釘もまた最高のものであったと、それに近づくために組み直して学び直していくのだと言います。

先人たちの智慧が如何に優れていたか、そして後人の私たちが進歩と勘違いしている現実をどう見るか。道具や智慧については先人に敵うものは何一つなく、技術が進んで少し似せることができてもそのものになることはありません。

日本刀においては、刀の原料の玉鋼の作り方が今と全く異なるといいます。平安朝時代の刀の原料の玉鋼がどうしても同じように作れないそうです。その時代、どこでその最高の砂鉄を採掘したのか、そしてどのように玉鋼を製造したかが全く分からないと言います。同じように最先端の科学をもって同じように復元しても決して同じにならない、ここに退歩があるということです。

私たちは知識をつけてはあらゆるものを見知ったかのように錯覚します。しかしその分、昔の人たちは非常に鋭敏な感覚と直感をもって物事の本質を観得ておりました。

そしてかつての時代は、売る人も買う人も、そこに深い洞察力や哲学があり、今の時代の価値観のように安価で便利なものを必要としませんでした。そこには崇高な精神や理念があったことは道具が語っています。

時代を超えて新たに暮らしの道具に触れる中で、古民具や骨董、その他の文化芸術の中に、私たちの先人たちみんなの生き方や理念が随所にちりばめられています。なぜ敵わないか、そこには生き方が敵わないのです。

私はその時代の人々の生き方が「かんながらの道」を歩み、その理念が自然への畏敬を忘れずその精神が心魂がブレずに盤石であったからこそ、それらの至高の道具を産み出し扱うことができたのではないかと思います。

人格を道具が超えることもなく、道具を人格が超えることもないのです。自他一体のように、人道格具は一体であるということです。

もう一度、先祖たちが遺してきた偉業を省みつつ、この時代をどのようにしていけばいいいのかを考え直したいと思います。後輩に後人に笑われないないような生き方を譲っていきたいと願います。

子ども達のためにも真摯に学び直していきたいと思います。

責任と責任感

人が自立をしていくのに責任感というものがあります。責任というものは、よく誰かから押し付けられるものだとして悪いイメージを持つ人もいます。しかし実際は責任は他責される罪や罰のようなものではなく、自分から周りを思いやり自分のできることを自分の持ち場で果たす自責の念が責任感とも言えます。世間でいう責任と責任感は異なるのです。

今は、責任は誰かに取らされるものだという認識からすぐに自己防衛に入り他人ごとのように距離を置いたり、または自分に責任が降りかからないように「自己責任だから」などという言葉を用いて思いやりに欠けて責任を押し付け合って人間関係が殺伐としている状況をよく見かけます。

そしてこの責任という責めと罰を用い、人間を管理する方法は当たり前のように長く用いられてきました。その最たるものに戦争があり、人権尊重しなくても無理に従わせるという手法で組織管理に定着していきました。実際は責任を与えて管理するかどうかが問題ではなく、人を信頼するか信頼しないかということが責任の本質にあるのです。

本来、立場に責任を持たせて管理するという方法はそこに人を信頼するというものがなければ本来の助け合い協力し一緒に目的を達成する自立した組織にはなりません。なぜなら人を信じなくて済むからと管理を導入し、立場やマニュアルを用い責任を押し付けてもそれは主体的に自主的にやっているのではなく外圧という外の力を用いて他律の中で責任を果たしていることは責任であって責任感にはならないからです。

本来は、自主自立、目的を共有し納得し御互いが助け合い思いやる中で、自分が果たす役割を自らで認識し真摯に全てのことを自分事として自律している中で責任を果たすことが責任感を持っているということになります。

そしてこの責任感というものは、教えられるものではなく思いやり助け合う中で育っていくものです。自分が日頃多くの方々の御蔭様で成り立っていること、いつも周りに助けていただいているということ、そういう感謝の心が育ってくることで同時に責任感は育っていきます。つまり責任感が強い人は、人一倍感謝の心も強い人とも言えます。

先日、ある学校である子どもが宿題を忘れたらその同じ班も連帯責任にして罰を与えているということを訊きました。なぜそれをするのかと尋ねると、罪の意識を持たせ責任を教えているということでした。ここでの責任の意味は、罪に罰を与えることであり、自分が悪いことをしたらそれ相応の罰がくるということで責めを負わせ罪悪感を教えています。

本来、責めは負わせるものではなく自ら負うものです。それは罪悪感ではなく、感謝の心から発生するものです。それを責めて負わせるようなことを教えるから責任は持ちたくない、責任は持たされるものだと勘違いするように思うのです。そしてマジメな人であればあるほどその罪悪感が重くなって責任に追い込まれていきます。

昔の教育は、担任が一人で責任を持たされそれを果たすことが責任だという認識がありました。それは信頼というベースがあってはじめて成り立っていたから責任感も持てました。しかし今、不信をベースに責任を持たされるのならそれで責任感が持てるはずがないのです。

だからこそ今の時代は、まず責任感を持てるように思いやりを中心にした組織にすることが必要不可欠でありそれがリーダーの何よりも重要な責務になってきています。社會に信があれば、思いやり助け合いの心で人々は責任感を持ちますが社會が不信に満ちるなら人々は責任を押し付け合います。

小さな組織もまた小さな社會ですから、その小さな社會の在り方を変えていくことで世の中の大きな社會もまた変化していくように思います。

子ども達がいる現場をどのような豊かな社會にしていくかは、一人ひとりの責任感に由ります。そしてその責任感は、思いやりと感謝の心によって目的と初心を定め、理念の実践によって醸成されていきます。

責任感を持つ人が増えることは、思いやりを持つ人を増やしていくことです。子ども達のためにも、新しい組織の在り方を示し仕組みを広げていきたいと思います。