自然治癒の教え~医和道~

先日、あうん健康庵の小松庵主と奥様にご来社いただき社内にて理念研修を行いました。健康法ではなく養生法ということから御話がはじまり、種(いのち)の持つ潜在能力、そして自然治癒の本質とは何かについて分かりやすく噛み砕いて教えていただきました。

そのお話はどれも実践から紐解かれたものであり、どの御話も自らが実践する中で掴み得られた智慧があり、医の持つ真意について再度深く考え直す有難い機会になりました。

最初の話の養生法とは「どのように生きるか」ということだとし、人間は人生の価値観が変わるなら自ずから生き方も変わると仰います。よく病は気からといいますが、病は気と深くつながっているということから如何に「心の持ち方を変えるか」ということが肝要であるかということを教えていただきました。

そのためには、如何に「素直に磨きをかけるか」ということが大事であると言います。その素直に磨きをかけるのは、まずは自分の遣う言葉から観直すことが大切だと仰いました。私たち人間は本来、言霊文明の生き物であるとし、その人が使う言葉は言霊であり、その音は波動であるとも言います。どんな言葉を使っているか、そこから観直すことで生き方を見つめ変えていくことから実践することが大切であることを教えていただきました。

さらに続けて呼吸のことも教えていただき、呼吸はまず吐出すこと、そして長く吐出すことが大切だとし、吐かないことは儚いに通じているので呼吸法を身に付けることもまた気や健康に深くつながっていることを教えていただきました。

一つ一つの御話をじっくりと内省しふり返るほどにその含蓄のある教えに、自分の中の「治癒」ということの本来の意味や医を学ぶ姿勢を背中を通してお伝え頂いた気がして感謝の心に満ち溢れてきます。医の奥深さを感じさせていただける機会を得られることは、今の子ども第一義の志事を進めていく上でも本当に有難い機会になりました。

最後に、もっとも小松庵主の生き方から感じたのは謙虚さです。「病はわるいものではない、病から何が気づけるかがもっとも大切なのです」という言葉には、全てのものから学び、どんなことがあっても善いものとして教えていただいているのだからと素直に受け止められるその融通無碍な自然体な姿に、自然治癒とは何かということを深く感じ入りました。

自然から学び直しをする中で、自分のカラダもまたその自然の一部ですからカラダから学ぶことは自然から学ぶことです。有難い御縁をいただき、一家がお世話になる御医者様との出会いは子どもたちに養生法を伝えていける機会になります。

御蔭様に感謝し、子ども達に御恩送りができるようにしっかりと実践を積み重ねていきたいと思います。

本当にありがとうございました。島根での再会を心から愉しみにしております。

和の家

先日、和の部屋について相談があり色々と深める機会になりました。和の部屋といえば、通常では畳があり押入れや襖があるものを和室だと思っていることがあります。

しかし畳も昔はなかったもので、押し入れや襖もわりと歴史的には古いものではありません。実際の日本はじまりの住まいは何か、それは古事記に書かれています。

「伊弉諾命、伊弉冉命の二柱の神はおの馭盧島に天降りして其處に先ず天の御柱を御作り、倶に御住ひになった。八尋とは一尋、二尋と數える八尋にあらずして八は彌と同じく數多きをたたえ唱うる言の葉なれば即ち幾十尋の御殿の意なり。彌栄なる館なるにして我が國初めての御殿なりせば家屋建築の始めなり。我が國の神々達は穴に宿る神に非ず、木の枝に巣造るに非ず、程高き営みの神なり。」

イザナギとイザナミが、はじめて高天原に降りてきて造営した住まいが私たちの祖親のはじめての住居「八尋殿」です。一尋とは、人が手を拡げたときの寸法を言います。これを八尋とするとちょうど畳二畳分くらいのサイズになります。この八は、末広がりの八を意味しますからここの住居から無限に広がりはじめたということです。

私たちの祖親の家屋建築の原点はここです。私たちの親は穴に住んだのでもなく、木の上に巣をつくったのでもない、天に向かって真っすぐに伸びた柱を地に立て、床を建て住んだということです。

今の時代は、高層ビルや広大な豪邸が価値があるかのように売り買いされていますが本来の住居はとてもシンプルなものです。

例えば生き物によっては、泥を固めて巣にしたり、草を丸めて家にしたり、石を積んで塒にしたりと、それぞれに住まいのカタチは異なります。私たちの先祖が、何をもって住まいしたかを知ることはとても大切なことだと思います。住まいの出発点を和合生活にしたこともまた私たちの先祖たちの真心だと思います。

そして和とは何かと考えるに、如何に本来の先祖たちが伝承してきた暮らしに親しみとけ合うかということではないかと思います。それは例えば、共に暮らすものたちと如何に親しみを持っているか、そして心安らぎ仕合わせを感じるか、そこには余裕と真の豊かさがあるように思います。

豪華絢爛で贅を究めた芸術作品のようなところを住まいというのではなく、人々の暮らしや生活が息づく場所、そこがまさに家庭であり、たとえ独り身であったとしても共に暮らしているいのちの暖かさに触れ、深く味わいながら日々を豊かに過ごしていることが本来の住居であり家であるように思います。

そういう住居を持つ人は、和の心を持つ人とも言えます。秋になれば秋をしつらえ、冬には冬をしつらえる。まさに、小さな四季の変化をも愉しみ、部屋の中の花一輪にいたるまで愛でる澄んだ心があります。心の手入れというものは、日々の暮らしを愉しむ真心にあるように思います。

和室というものの本来の姿の本質は、「暮らし」の中にこそあるということが私が考える和の家です。和をもって尊しとなすとといったのは、聖徳太子ですがその聖徳太子は家屋を大切に手入れするように寺院を建築したといいます。法隆寺をふくめて、奈良のあちこちにはその暮らしが遺っているようにも感じました。

子ども達に本当に譲っていきたい伝承したいものを、自分たちが忘れないように生きていきたいと感じます。改めて日々の暮らしから、生き方を見つめ直していきたいと思います。

祖霊の真心

私たちの先祖は自然崇拝といって、自然の中に神様を見出していた民族です。古神道においても、巨石、巨木をはじめ自然の中にある畏怖を感じ、畏み奉り祈りを捧げてきました。そこには精霊というような、無生物の中にあるいのちを感じており、例えば日、月、星、水、火、土、風、光、闇、金、石といった物の中にそれぞれのいのちが宿りその和合によってこの世が成り立つことを自覚していたのではないかと私は思います。

収斂結実という言葉があります。

収斂とは散布的に位置していた複数の物を一箇所に集めるという意味です。結実は、その結果として実ったものという意味です。自然界には多様性といってすべてに分かれていく作用と、同時に収斂性といってすべてのものが一体になっていくものという作用があるということです。言い換えれば、宇宙が多様に膨張しつつも星々やブラックホールが重力と引力で結集していく作用があることに似ています。

私たちのカラダも、一つ一つの臓器はバラバラですが一体としてカラダは成り立ちます。部分だけを切り取っても身体は機能せず、実際には収斂して結実しているのが今の姿だとも言えます。

そしてこれは御縁の世界も同じものです。

数々の御縁が織りなして今があり、その御縁が結実するから今の自分のいのちがみのります。自然崇拝というものは、同じように巨石が神という意味ではなくそこの精霊から全体を観通すチカラがあったことを言うのではないかと私には感じます。

かの弘法大師空海が、山々を歩き、山々の中に神仏を彫り込みそこに祈るようにと里の人たちに伝道して歩きました。自然の中にあって、自然が顕した精霊を人々に伝えるという原始の信仰の姿を感じます。私自身も、土に触れ、風に吹かれ、火を仰ぎ、水に洗い、木と暮らすことで自分自身が自然と一体になり収斂結実していることを実感します。

太古の昔、私たちが言葉も持たないほどの時代はきっと五感を使い事物に接し、論理ではなく直感をもってすべてのものに触れていたように思います。西洋でも東洋でも世界では、どこにいっても太古の信仰のカタチはすべて同質のものです。それは自然物の中に見出しています。それを否定することで、人間はより自分の都合のよい方へと信仰のカタチを変えてしまったのでしょう。

万国共通し、悠久の歴史にも錆びつかず、自然に反することがない教えこそ真実の学問を伝道しています。遺跡の中に残存する、祖霊たちの思いや真心を受け取れる自分を磨いていきたいと思います。無字の経文を受け取り、子どもたちに祖霊の真心を受け渡していきたいと思います。

彼方の海道 参

昨日は久高島にきて、御嶽を中心にいのりの場所を巡りました。夜には満天の星空を見上げて夜半まで仲間たちと語り合うことが出来ました。かつての先祖の心に思いが宿る場所で思いに心を寄せて思いを馳せると、きっと悠久の暗闇の中で星々が煌く天を見上げて、波の音響聴き、風を受け止めて炎の揺らぎの中で天と対話していたのではないかと感じます。

今の時代のように一晩中、街中の街灯が光っていては夜が持つ暗闇というものの価値や星空というものの魅力もまた感じることができなくなっているようにも思います。私たちは朝から夜になるまでは太陽の明るさで気づきませんが、空の向こうにはたくさんの星々が瞬いています。夜になり太陽の光が消えると、そこには地球と同じように星たちがそれぞれに息づき広大な宇宙の中で循環している様子が実感できます。

暗闇の中には、眼には見えないとても大きな御力も働いているように思います。暗闇はとても暖かく、眼でみるのを已めてしまう時、本当の慈愛のようなものを感じるものです。それはまるで、自分が宇宙の中で自由な星の一つになったかのような感覚を憶えます。畏怖を超えたとき、そこにはつながりの中にある仕合わせと歓びがあります。

御蔭様で昨夜は一晩中外で星空を眺めていたら、たくさんの流れ星を見つけることができました。流れ星は日々に約400トン、1年で約15万トンほどの塵が地球に降り注いでいるともいいます。これを100年、1000年、そして1億年、10億年と積み重ねていくと私たちの星は流れ星の砂によって覆いかぶさっているようにも感じます。先日、あるクルーからこの砂はどこから来たのかと聴かれましたが、それは流れ星から来ているという直感もまたありました。

あの流れ星は一体どこからきてどこにゆくのか、そして私たちは一体どこから来てどこに向かおうとしているのか・・・光から闇へと琉れた球(玉)は、闇から光に回帰していきます。闇の中の光は、光の中の闇へと流れは移り変わります。そしてあけの明星が顕れもっとも光りだすころ、それまでの星屑たちは次第に姿を消していきます。

星のいのちもそれぞれに宇宙の中で意志があって旅をし星々を廻り、意思があって根を降ろします。古から魂は宇宙を旅し、そして宇宙を旅した中で隕石や流れ星となり、新しい宿り先を辿っていくのでしょう。

いのちは生物非生物、生物無生物を超えて出会い語り合うのかもしれません。どんな出会いがあるか、それはひょっとしたら1億年に一度の出会いかも知れません。もしくは10億年の一度かもしれません、そしてその瞬間はほんの数時間かもしれませんし、数十年かもしれません。

それでも必ず星たちは”出会う”のです。

星空に出会うことは、自分自身に出会うことです。海の道を辿ってきた先祖たちは、星空を見上げては天と一体になって自分自身との対話をしていたのでしょう。地球と背中を合わせて地球に背中を任せてこれたのは、天を見上げて地球の未来を信じていたからかもしれません。

あの彼方の海道にある先祖が目指した真の暮らしの実践は、時を色あせず今でも星空を見上げれば思い出すことが出来ます。祖親が祈った生き方を子どもたちのためにも譲っていけるよう今回の久高島での不思議な体験を忘れず力強く実践していきたいと思います。

 

彼方の海道 弐

昨日は島伝いに私たちの祖親たちは、海の彼方の根の国から来て種を持ってきて開闢してきたということを民俗学の視点から言いました。また人類学・考古学の観点からは種子島をはじめ琉球列島は3万2000年前に山下洞人、1万8000年前には港川人が住んでいたことも分かっています。種子島の遺跡からは、広田人といって縄文人よりも前に貝文人という人たちいて土器に貝を使って装飾をしていた人たちがいたことも分かっています。縄文時代は土器に縄で装飾をしていたことで縄文ですが、貝文というものは貝で装飾をするから貝文です。

これらの貝を用いた人たちは、貝を拾い貝を食べ、貝に装飾をしてそれを交易し、あらゆるところを移動して様々な文化を伝えたということが分かっています。その証拠に、日本中のあちこちの遺跡で種子島で加工された貝の装飾が見つかっているからです。

沖縄では、かつてグスク(城)と呼ばれる聖域を人々の集合体がありました。今でも今帰仁城や首里城など今でもいつか残っています。その後も按司と呼ばれる人々をとりまとめた人たちを中心にかつての交易文化を駆使して、あらゆる近隣の国々と交流して様々な文化を融和融合させてきた和の心を持っています。

和の心は、今でもそのまま受け継がれ私たち日本人の考え方の中にも色濃く継承されています。私たちのルーツを辿っていくと、私たちはどうやってできたのか、そして私たちはどのように歩んできたのか、さらに私たちのずっと昔の先祖は何を大切にしてきたのかを知るというのは「自分自身」になり、「自分自身」を知るためにとても大切なことであると私は思います。

古事記や日本書紀、日向神話などもありますが、その中に共通して息づいているものを紐解けば、随神の道を遡ることができます。その道の彼方には、私たちの民族性というものの根幹があり、その根とつながることは今を生きる私たちの本質を自覚することでもあります。

今日から久高島にいきますが、ここは琉球の創世神話アマミキヨ(アマミコ)の場所であると言います。ここはとても不思議な島で、かつて中国から使わされた冊封使の副使 夏子陽が書き残した「使琉球録」という古典が「異種の人」という呼び名でこの島の人のことが紹介されています。

「久高島 世に異種の人を生ず。往古の時より知念間切久高島に異種の民有り、賦性(生まれつきの性質・天性)誠樸(誠実でありのまま飾り気がない)、聡敏(感覚は鋭く、物事の理解が早く賢い)人に過ぎ、善く産業を為す。家道る富みて、今其の族七八有り。皆膝よりに至るまで甚だ痩せて踵なし。短く指長く、其の状 手掌の如くして地に按つ」(使琉球録の巻十四)

意訳すると、久高島には不思議な人たちがいる。生まれつき素直で誠実、感受性や直感が鋭く吞みこみも早くどんな智慧も吸収する。家や暮らしは豊かで今でも7~8人はそういう人たちがいる。特徴は、膝より下が痩せてかかとがなく足の甲は短く指が長い、その様子はまるで手のひらのようであると。

特徴が不思議なのも驚きますが、性格や個性が今の日本人の特徴と似ているのではないかと感じるのです。どんな人たちだったのかはわかりませんが、外国の人たちが私たちのことを素直で純粋、純朴で美しい民だと評されるような祖先がいたのではないかと直感します。

今一度、こういう時代だからこそ自分たちの本来の姿はどういうものかを観直してみたいものです。最後に、小泉八雲が世界に紹介した日本人の品格について紹介して魂の声を確認していきたいと思います。

「彼等は手と顔を洗い、口をすすぐ。これは神式のお祈りをする前に人々が決まってする清めの手続きである。それから彼等は日の昇る方向に顔をむけて柏手を四たび打ち、続いて祈る。・・・人々はみな、お日様、光の女君であられる天照大神にご挨拶申し上げているのである。『こんにちさま。日の神様、今日も御機嫌麗しくあられませ。世の中を美しくなさいますお光り千万有難う存じまする』。たとえ口には出さずとも数えきれない人々の心がそんな祈りの言葉をささげているのを私は疑わない」

根(ニライ)と通じるのは、その真心です。真心の日々を味わいつつ、子どもたちに譲れる未来を見守りつつ直向きに伝道していきたいと思います。

ブレない生き方~自己の理念経営~

人は理念や初心からブレることで、様々な問題が起きてきます。これは組織であれば組織がブレますし、個人であれば個人がブレます。自分が定めた生き方や優先順位が変わってしまうということは、何が大切なのかを忘れてしまっているということですから周囲から観れば何をやっているのだろうと思われるものです。

そもそも人は生きていれば、目先で起きる出来事によって忙しくなっていきます。忙しさというのは、心で決めた初心を失ってしまっている状態とも言えます。目先のことで追われていて視野が狭まりそれを処理するために日々を過ごしてしまうとそのうちその目先を処理するためだけに毎日を過ごしてしまうものです。そうやって過ごしてしまえば、重要なことを優先するよりも緊急のことばかりを処理することが優先されていくものです。

人生の優先順位がもしも緊急のことばかりでついていくならば、日々というのは浪費しその疲れも溜まっていきます。本来の重要なことが優先されてその実践を怠らずに順位が下がらないのならその日々は理想や理念、初心を忘れずに取り組めていますから疲れも程よく心地よい疲れを感じるものです。

人が理念からブレるというのは、初心(本来の人生目的)を忘れて生き方の優先順位を間違うことを言います。それぞれに人には価値観というものがあります。その人の価値観が優先順位を決めているといっても過言ではありません。しかしこの価値観というものは曲者で、今まで生きて来た人生観がその人の価値観を形成してしまいます。かつてどのように自分が生きてきたかが「生き方」ですから、その生きてきたままに自分が生きてしまいます。

しかしその生き方の癖が、もしも理念や理想と間違ってしまっていると気付いたならその生き方の癖を修正し、本物の習慣によって生き方を改めて上書きしていく必要があります。つまりは生き方の転換が必要になっていくのです。例えば、自利で生きてきた人が利他に生きると決めたとします。しかし実際は自利や我利ばかりに囚われてしまい利他で動くことが出来ないものです。それを何度も利他に向くように時間を設け、実践し、自分の心が変わらないように、自分の判断のモノサシがブレないようにと何度も何度も内省し修正していくことで生き方の癖が改善されていくのです。

人はもうこんな生き方はしたくないという反省が素直にできたなら、忘己利他(もう懲りた)と改心するキッカケにも出会えるかもしれません。しかしたとえそれで変わったにしても生き方の修正は一生涯の一大事ですから、実践を怠らず自らの精進を続けていかなければまたブレてしまうものです。ブレてもすぐに素直に直すことができればいいのですが、ブレていることに気づかないから余計に問題があるようにも思います。

昔のリーダーたちは、自分に耳障りのよくないことを忠言してくださる人を必ず身近に置いたと言います。そのことで自分の生き方のブレをチェックし、自らを素直に生長し精進していくための鏡にしたそうです。それはそれだけリーダーがブレると、周囲に大変な影響を与えてしまうことを自覚していたからなのでしょう。自分のことくらいや自分がなどと考えてしまうと、周りのことよりも自分のことで一杯いっぱいになってしまうものです。そうやって好き勝手にしてしまい自分の好きなことばかりやってしまうと確実に理念はブレてしまいます。

本来、本当に好きなのは、本当に大切にしたいと思った初心のことであったはずです。だからこそその本当の好きにどれだけ忠実であるかが自分を大切にしたことであり、その正直さが自分を信じて着いてきてくださった人たちを大切にしたことになるように私は思います。人はみんな自我や自利を超えた理念、つまりは大義に自分を使っていきたい、使ってもらいたいと願うものです。それがもしも個人的な欲望や我利我利に偏る価値観に従うのなら誰だって素直にやりたいとは思わないものです。

だからこそリーダーは、自分自身がブレていないかを常にチェックしていく必要があるように思います。理念というものは自分の心ですから、誤魔化しがききません。どれだけ自分の心に誠実であるか、正直であるかが「ブレない生き方」を実現していく鍵であるということなのでしょう。

生き方を換えるというのは、人生の一大事ですがその生き方が換わることによってはじめてその人の人生が大きく換わります。いつまでも換わらないのは生き方の方が問題だと気付くことが第一歩なのでしょう。生き方を換えていくための努力は、独立自尊、孤高の正対ですが常に理念を優先しているかを内省することで近づいていけるはずです。

仲間と一緒に歩んでいくのだから、周りを観ては自分を省みて実践を厳格に積み重ねていきたいと思います。周りの御力に少しでもなれるよう私自身も、克己復礼、精進をしていきたいと思います。

知愚一如

森信三先生の人生の中で、生き方を大きく転換した中の言葉で「知愚一如」という言葉があります。それに気づいてから、自分の中の学術研究の意味もまったく変わったしまったほどだったと後述しています。

そもそも「知愚一如」とは何か、それを少し深めてみたいと思います。

まず最初に森信三先生はこう言います。(「知愚一如」 即ち、知者も愚者もひと度、絶対者の前に立てば全く同価値であって根本的にはその間に絶対に優劣がつけられぬということが、真に分かることによって初めてわたくしの哲学体系たる「恩の形而上学」は生まれたわけです。(「不尽片言」より))

これは根本にはすべて優劣などはないという意識のことです。そもそも知識というものは知っていることが優れ、より知らないものは劣っているという考え方を持っていては本当の意味で「分かる」ということはありません。これは「分かった気にならない」という言い方を私はしますが、分かるという考えがある以上はその知ることが愚かだということに気づけないということです。

さらに「森信三一日一語」(致知出版)の中でこうも言います。「知っていて実行しないとしたらその知はいまだ真知でないとの深省を要する無の哲学の第一歩は実はこの一事から出発すべきであろうに。」と。

つまり真知とは何か、やろうともしない学ぼうともしないのでは意味がないのではないか。知ることが如何に愚かなことであるかということに気づき、そしてそこから学び方を転換しているのです。これはカグヤで言う「やって内省しなければやらないのと同じ、内省してやらないのでは学ばないのと同じ」というように私は理解しています。

そしてここから「恩の形而上学」という境地に入ります。そこでは「「恩」とは、この自己の一切が、自己を超えたものの力によって与えられ恵まれているのみか、さらに自己の今日に到るまでの一切の歩みもまた、同様に自己を超えたものの力によるとする意味である。」(森信三)

これは次第に真知を実践していく中で、感謝、御蔭様、そして報恩という境地に意識が高まってきたと感じます。私自身、日々に書いている感謝日記が次第に深まっていくたびに御蔭様を経て報恩や報徳の真価に辿りついてきています。世の中の学問や哲学などというものを考える前に、本来のあるべき姿に立ち返り実践をするのなら自ずから明らかになるのが真理というものなのでしょう。

最後に、知愚一如についてもっとも明確に顕されているものを紹介して終わります。それは兼好法師の徒然草の中にある一節です。

『但し、強ひて智を求め、賢を願ふ人のために言はば、智恵出でては偽りあり。才能は煩悩の増長せるなり。伝へて聞き、学びて知るは、まことの智にあらず。いかなるをか智といふべき。可・不可は一条なり。いかなるをか善といふ。まことの人は、智もなく、徳もなく、功もなく、名もなし。誰か知り、誰か伝へん。これ、徳を隠し、愚を守るにはあらず。本より、賢愚・得失の境にをらざればなり。』

真実の人は賢愚得失は存在しないということ、つまりは一切は「無」であるということです。

世の中に、様々な知識の刷り込みがあるからこそ自らの実践を高めて日々に精進し、余計な知識は手放しつつ子ども達と道を味わうためにも自らの感化につとめていきたいと思います。

報恩謝徳

人間は、我が優先されてくると今までの御恩よりも今の自分にとって都合がいいかどうかを考えたりするものです。本来、今の自分があるのは自分の一人のチカラで成り立っているものなどは何もなく、全ては今までの御蔭様の御力添えによって今の自分が成り立っているともいえます。

これは少し考えてみればわかることですが、カラダを与えてくださったご先祖様方。そのご先祖様方を支えてくださった縁者の方々。また育ててくださった父母をはじめ、先生や友人、兄弟などあげていけばキリがありません。

自分の一人のチカラではないものを、わざわざ自分一人が苦労して手に入れたなどと錯覚しては全ての御恩まで私物化していくのです。目の前にあるものや、自分の身の周りにあるものはすべて過去の御縁と御恩の集積です。その偉大な見守りや御蔭様が観えている自分であるならば自我妄執に打ち克っていますが、もしもその御蔭が自分のおかげなどとなっていたり、もしも相手に見返りを求めているのならすでに自我妄執に囚われているともいえます。

このように自分の都合を優先するようになると、その御恩も御蔭も自分の解釈でさも真実のように自分に都合よく捻じ曲げてしまいます。だからこそ、自分が見守られていることに気づいているか、自分が多くの御蔭様のハタラキで存在できていることが観えているか、と自戒しては内省し振り返っていることで本来の御恩や感謝に気づけるように思います。人間には所有欲や支配欲をはじめ様々な欲があります、しかし欲そのものが悪いというわけではなく理念や初心を優先できないことに問題があります。欲があるのは自分を守るためだったり、生きていくためだったりもします、だからこそ理念を設定し理念を優先することで御恩を忘れず感謝も忘れず徳に報いるための実践になっていくように思うのです。

「報恩謝徳」という言葉があります。

これは恩に報い徳に謝すという意味で恩に感謝し報いていこうという真心のことです。自分が今までいただいたその有難い徳の御力添えに対して、いただいてきた全ての恩に対して自分のできる限りのことを返していこうとする心。

この報恩は受けた恩に報いることで報徳ともいうそうです。そして謝徳は受けた恩に対して感謝の気持ちを表すことで謝恩ともいうそうです。どうしても感謝の気持ちから何かをお返ししたいという心の発露が自然に出てくる心境に入っているということです。

本物の謙虚さというものは、報恩謝徳にこそあるように思います。

日々の試練は、理念を優先し如何に自分の都合と折り合いをつけるかの一進一退の真剣勝負でもあります。しかし、日々の実践を通じて感謝という意識の境地に達していくならば自ずから報恩する生き方に転じてくるように思います。私が尊敬する二宮尊徳が実践した「報徳思想」は、この御恩を刻み徳に報いる生き方だったのでしょう。少しずつですが、その深い真心に触れては有難い尊い歩みに御縁を感じます。

今の私にはまだまだとてもその境地にはいけそうにありませんが、日々の実践が何のためにあるのか、理念の御蔭様で振り返りができることにお時間とお役目をいただけた仕合せも感じます。

この「報恩謝徳」を常に自戒にして、これからも精進を続けていきたいと思います。

 

永遠のいのち~ヤマトコトバ~

日本には全国各地にその信念で生き切った純粋な方々の余韻が史跡や行跡、言葉に遺っています。同じように生き方を習い、純粋な真心で生きようとしている方々はその場に遺る余韻に自らを重ね合わせて内省をしているものです。

ヤマトタケルの頃より、様々な大義を持って歩んだ志魂はのちのちの子々孫々へ受け継がれてその真心で生きた人たちによってこの風土は守られてきました。その真心はどのようにして知ることができるか、そこにはそれぞれに遺した詩があります。その詩を感じてみれば、その人の純粋な思いが息づいています。その純粋な思いに触れることで、私たちは何百年も前のいのちとも触れ合うことができるのです。

先日、ヤマトタケルのことを思っているとある方の詩に出会うことができました。

三井甲之という方の詩で、「ますらをの かなしきいのち つみかさね つみかさねまもる やまとしまねを」というものです。感謝の真心でヤマトのクニをいのり、勇気と大義によって己のいのちを賭してきた、その先祖たちの見守りの御蔭様で今の私たちがあるのを実感できる詩です。

詩を読む真心は純粋透明なものであり、その人の経歴がどうかではなく心のままに純粋自然の感覚が言霊になることで本来のヤマトコトバの美しさに出会うように思います。

ヤマトコトバには日本古来の先祖たちの真心が生きています。そこには感謝や御蔭様、あらゆる御縁を大切につむいできた生き方があり先人たちの願った暮らしがあります。今のように言葉が技術になり氾濫する時代において、真心そのままを言霊にした親祖に詩を通してその真心に通じ合えることは今の私たちのルーツを見つめ直すためにもとても重要なことだと感じます。

その三井甲之さんの『墓碑銘-石にしるすことば』というものの中に、「ヤマトコトバ」の本質が記されているように感じここに紹介します。

コノ石ハ
天地(アメツチ)ノアヒダニアリテ
天地ニツラナリテ
ココニアリ。
コノ石ニ
コトバヲシルス。
人ハ死スレドモ
コトバハ生キテ
イノチヲツナグ。
コノツナガリハ
地上ノサカヒヲコエテ
ヘダテナキ宇宙ニヒロゴル
コトバコソ
カギリナキ生命ノシルシナレ。
イマソノコトバヲシルス。
ワガイノチノシルシナリ
ココニシルスヤマトコトバハ。

日本古来のヤマトコトバには永遠のいのちが宿っています。その永遠のいのちはその言霊を語ることにより志が受け継がれていきます。子ども達には一つでも大切なヤマトコトバを語り記していきたいと思います。その魂が生きた証、その志が遺る理由を語り継いでいきたいと思います。

人格を磨く

人間は人格を磨いていく中で、本来の自分の天分を活かしていくことができるといいます。素直になって謙虚になれば物事を受け容れありのままに自分の御縁を生きていくことができるからです。

実際に、どんな仕事でも自分以外の誰かと取り組む仕事は自他を合わせ鏡にして御互いを磨き合っていくものです。鏡の曇りがなく、美しい素直な鏡と合わさるなら自分の美しい素直な部分が投影してきます。もしも濁った鏡と合わせるならより自分が分からなくなります。御互いが合わせ鏡だからこそ、何を心に映していくかというのはその人の素直さに由るのです。そしてその心は生き方によって磨かれますから、人格を高めて自己修養によって鏡をいつも日々に洗い清めていくしかないように思います。

また仕事は同時に互いを磨き合うものです。どの砥石を用いて自分を磨いていくか、何をそぎ落として研ぎ澄まされたものにしていくかは自分の選択が決めるともいえます。砥石選びというものは、謙虚さが必要で素直な心でなければ誤った研ぎ方によりかえって自分を活かせなくなるかもしれません。そしてこの素直な心というのは、全ての基本になっているように思います。

松下幸之助さんに「素直な心の十か条」というものがあります。

1.私心にとらわれない
2.耳を傾ける
3.寛容
4.実相が見える
5.道理を知る
6.すべてに学ぶ心
7.融通無碍
8.平常心
9.価値を知る
10.広い愛の心

素直の実践の中で掴んだ感覚を、そのまま十か条にしているように思います。こういう状態の時は素直な心が働いていますということでしょう。そのどれもができそうでできないことであり、人格を磨くために大切な鏡であり砥石であることに気づきます。

例えば、私たちも「傾聴」というものをもっとも大切に実践しています。しかしそこに私心に囚われて「きっと何か理由があるのだろう」と考えず心の余裕をなくしていればすぐに傾聴できずに思い込み決めつけることになってしまいます。自らが聴き福にするか、自らが学んでいるか、自らが受け止めているか、自分に矢印が向いているかとしたとき、はじめて傾聴が始まってきます。

松下幸之助さんは傾聴のことを「素直な心というものは、だれに対しても何事に対しても耳を傾ける心である」といいます。それを黒田長政の「腹立てずの意見会」の実践を紹介し、会合を長政が最期まで続けたのは「一つには自分にも至らない点、気づいていないこと、知らないことがある、それは改めなければならないから教えてもらおう、というような謙虚な心をもっていたからではないかと」と言っています。聴くということは自分自身の私心と向き合うことでもあります。自分が聴きたくないことを言われてもそれを素直に受け入れてみる。そのあとは何を行う必要があるかが自明してくるのが人間です。

あるがままに物事が観えるなら、あるがままに対処すればいいのですがあるがままに物事を観たくないからあるがままに対処できないのです。本来、素直さというものは私心を交えずに全体を観るチカラとも言えます。それは自然が自然の循環を邪魔しないことと似ています。素直な心を磨き、人生の最期には自分の天分を全うできたと思えることは本当に倖せなことだと思います。

畢竟、人間はどんな仕事であってもどんな出会いであっても御互いに人格を高めていくことでしか御互いを活かす道はないのかもしれません。しかしそういう切磋琢磨できる同志がいることは人格を磨きたいといった素直の心があるから出会えるのでしょう。御縁の中に「素直」であることを第一義に、常に子どもから学び直していきたいと思います。