正解探しの愚~コーティング~

人は刷り込まれ正解を教え込まれてコーティングされてしまうと、正解以上のことを考えなくなってしまうものです。世の中には、理というものがありますから知識を学び、その理を知れば、世の中を分かった気になれるものです。

以前、ある人が大学生の時に「自分はもう世の中の理を大体分かってしまった」という話を聞いたことがありますがこれも理論的な理屈を知って教科書を通して正解はもう大方分かったという意味なのでしょう。しかし実際は、理屈が分かって正解を知ったからとそれでうまくいくことはありません。自分の中の正解探しばかりしていても実際の世の中は正解を超えているものばかりですからすぐに通用しない事実に出会うからです。その人もその後は実際の理屈と違う現実とのギャップに大変もがき苦しんだそうです。

これは誰かが敷いたレールのように、筋道というものがいくらあっていると思っていてもそんな正論では人は動きません。人は思いによって動くものですから、正解がどれだけ合っているかよりもその思いがどうであるかを優先するのです。そこには心があるからです、そして心は目には見える正解や理屈以上の真実を捉える力があるように思います。

現実には、「思いやり」や「真心」というものがあります。

例えば、病気の治療や看護であっても正解通りやったから治ったわけではありません。そこに医者や看護婦や周りの思いやりがあってその人の自然治癒が働いて見守りによって回復します。他にも田畑の作物であっても、正しく育てたから育ったかというと、太陽の光や水、その他の風や土の微生物にいたるまで、真心を籠めて見守ったからそれが何かのハタラキを引き出し無事に作物が育ったのかもしれません。

つまりはあらゆる事象は、自分の頭で考えた正解の中にあるのではなく、それ以外の何か偉大な力によって実現している可能性があると思うことがあって正解以上のことを知るのです。先に知識がなかった時代がなぜ続いたかを考えればすぐに自明することです。赤ちゃんが知識がなくても自然に周囲を暖かくするのは、知識が先ではないことを証明しています。

正解ばかりを教え込まれて刷り込まれた人たちは、正解上の答えを探そうとはしなくなります。無関心になり、正解を超えた体験を積み重ねることが次第になくなっていくようにも思います。

本来は、正解通りにいくはずもなく、無理やり頭で正解のように仕立てて真実をねつ造しているだけで実際は正解などはないのです。正解探しの愚をおかしてしまえば、正解以上の真実は遠くなるばかりです。そうならないように一瞬一瞬のすべてを誰かのためにと真心で遣りきっていたり、誠実に思いやりを盡したり、全身全霊で思いを籠めて行動したりしたあとに、はじめて正解を超えるご縁の導き(真理)にも出会うように思います。

人は答えを知っているからすごいのではなく、答えを知らないからすごいという学問があるのです。詰め込まれコーティングされるのではなく、引き出され磨かれていく原石という考え方があることで人は自分自身の中に信や希望を持て努力の価値を再認識できるように思います。

刷り込みを取り払うのは、日々の内省で自分と向き合うことのように思います。一つ向き合えば相手のためになり、一つ受け容れれば相手が一つ変わります。正解をしってその正解を押し付けるよりも、自分の中の思いを高めてその思いを受け止めて思いを遣りきることだと思います。

刷り込みを取り払うには子ども達の姿から学び直すことです。一生は、出会いの連続ですから磨く機会を大切に思いやりを優先していきたいと思います。

魂磨き~人類の夢~

昨年に貝磨きの体験をしてから、貝をとても身近に感じるようになりました。貝というのは、古代人の夢であったように今では感じています。古代の人たちが貝を首飾りにし、土器の模様にしたのは、きっと貝が人間社會そのものを顕していたのではないかと私には思えます。

人生はまるで貝磨きのようなもので、人間は一つの社會を集団になって形成し、その社会の中で自らの本性をお互いに磨き合いつつ豊かで平和幸福に暮らしていきます。まるで一人一人がそれぞれにいのちの塊、その魂の原石であり、その魂を出会いによって互いに輝かせては大切な思い出という物語を宇宙の記憶の中に保存していくかのようです。

一人ひとりが自らで魂を磨いてきたからこそ、私たちは発展と繁栄を繰り返してきたように思います。その中で私たちは何度も何度も繰り返し繰り返し、まるで海の押しては引く波と同じように魂を磨き続けてきました。

貝の中に観る神性とは、「めぐりとひかり、いのち」の3つではないかと感じます。

磨き方は人ぞれぞれですが、みんなで一緒に磨こうとしたことは時を超越して今でも変わらず受け継がれています。

機会をいただけること、ご縁をいただけることが何よりも有難く、人生で一緒に出会えることに感謝の心に包まれました。

最期に、「人類の夢」という詩を紹介します。

「人は誰しもが何かしらの魂の原石です。
  だからこそ磨けばだれでもその人らしく光っていく。
 一人で磨くのではなくみんなで磨いていけば
必ずの世の中は澄んできて美しい世界になる。
 だからこそ一緒に磨こう、魂を磨いていくことは、
    子どもから私たちが学び直していくこと。
 子どもを人類の先生にして、私たちが学んでいくことこそ魂磨き。
     一緒に磨く仕合せ
を感じていこう。」(藍杜静海)

何が人類の初心であるか、それを出会い御縁をいただけた方々の道しるべになれるよう精進していきたいと思います。

 

遊び心~童心に帰る~

遊び心というものがあります。英語ではユーモアやユニークという言い方をしていますが、この遊び心というのは物事の全てにおいて重要なことであろうと思います。遊んでいるのか学んでいるのか、遊んでいるのか真剣なのかというように、まるで事物一体になっている人の集中力の中には遊びが必ず入ってきます。

その遊び心は何かということを少し深めてみようと思います。

遊び心は辞書でひくと、「遊びたいと思う気持ち。また、遊び半分の気持ち。」「 ゆとりやしゃれけのある心。」「音楽をたしなむ心」などと書かれています。

ゆとりを持っている人というのは、どこか真剣な中にも遊び心がありそのものを心から面白がって取り組んでいます。子どもの頃は、何をやっていても面白く、どれをしていても愉しく、大人になってみると何が面白かったのだろうかと思いますが今でもその感覚は覚えています。

好奇心と呼んでもいいのかもしれませんが、何に対しても興味が湧き、どんなものでもやってみたいと思うのです。ワクワクドキドキのままに、集中して愉しみ時を忘れて気が付くと日々がいつも充実しているのです。

人はそのワクワクドキドキを真面目過ぎることで見失っていくものです。面白くもないことを真面目にやるより、真面目なことも面白くする方がなんでも楽しくなってきます。結局は、自分の中にあるワクワクドキドキの蝋燭の火を灯し続けているかどうかがその遊び心を満足させるコツのように思うのです。

遊び心がなくなれば仕事も人生もつまらないものになってしまいます。

畢竟、私にとっての遊び心とは子ども心、つまり童心です。

言い換えればこれは理想を求めて已まない心のことです。

人は理想を失うとき、子ども心を失います。

どれだけ真剣であるか本気であるか、覚悟が決まっているかは、その人の遊び心を観ればわかります。よくニコニコ顔で命懸けという言葉を使ったりもしますが、大変でも愉しい、苦しいけれど仕合せ、ピンチだけれどチャンス、禍転じて福になる、そういう心境というのはワクワクドキドキし続けている証拠なのです。

子ども心は、大人から押し付けられた刷り込みによって真面目であることを強要されて失っていくものです。優等生に仕立て上げられる中で、本来の遊びは次第に消失していきます。

人生は一度きり、どれだけ面白いことに出会うかが人生の豊かさであり仕合せのように思います。日々に出会う奇跡にどれだけ心がワクワクするか、そしてリスクを取りどれだけドキドキするか、まるでそれは遊びそのものです。

子ども心が亡くなった人に遊ぶことはできません。

私たちの会社の理念である子ども第一主義は、その理想を諦めさせないことで子ども心を見守りたいと祈る実践でもあります。子どもの周囲の大人が、童心をなくしてしまうことを私は一番危惧するからです。

童心というものは、純粋に素直に、謙虚に正直に、そして何よりも自然を愛し野生を尊ぶ心の中に棲んでいます。ワイルドに飛び跳ねるように世界を廻り、ナチュラルに仲良く元気に、ピュアに明るく健やかにセンスオブワンダーの原点、その童心に帰る日々にしていきたいと思います。

 

生活人の智慧~郷中教育~

鹿児島には風土の教育文化として「郷中教育」というものがありました。この郷中教育とは藩内に「郷中」と言う数十戸で構成された自治組織を設けこの組織内における異年齢の子ども同士の間で学び合う仕組みです。

具体的には、六歳か、十歳までを小稚児と呼び、十一歳から十五歳の長稚児が生活万般のモデルを示す。さらにこの長稚児を指導するのは、十五歳以上の二才(にせ)と呼ばれる青年が担います。二才のリーダー格を二才頭(にせがしら)と言い、西郷隆盛はこの二才頭を務めていました。

所謂、「子どもの自治」を行うことで子どもたちをたくましくさせる仕組みがあったのです。今では大人が教え込まなければ子どもは育たないなどと刷り込まれ、知識や規範を厳しく躾けるようなことがいいように思われますが、かつて歴史で立派な人たちを沢山輩出した郷中教育では子ども同士の学び合いを何よりも重視しました。

そこには規則はありましたが、基本的には先輩がモデルを示し後輩を思いやり、己に克つための生き方を導いたリーダーが存在しただけです。非常に理に叶った方法で、異年齢による養育を行っていました。

その仕組みは、私たちの行う一円対話とよく似ています。磯田道史さんのニュースの紹介記事から抜粋していますがここにはこう書かれています。

「薩摩の子供は、まず早朝にひとりで先生(主に近所のインテリ武士)の家に行って儒学や書道などの教えを受けるのですが、誰を先生に選び、何を学ぶかは、子供が自分で勝手に決めていいんです。そして次は子供だけで集まって、車座(くるまざ)になり「今日は何を学んだか」を各自が口頭で発表します。決まった校舎や教室はなくて、毎日、子供が順番で、地域の家に「今日はこの家を教室に貸してください」と交渉します。社会性も身につきますよね。何より大事なのは、皆の先生がバラバラなことです。思想が統一されないし、話す本人は復習になるし、口伝え・耳聞きによって、知識を皆で効率よく共有できる。ちゃんと理解してるか、親よりも厳しく仲間同士でチェックし合います。」

子ども同士で気づき合うのがもっとも偉大な先生という発想です。異年齢で教え合うことで仲間の発達や気づきから、自分自身を鏡のように内省し、自らの改善点を自らで発見しそれを克服していく。

人間が育つということは、己を修めるということです。その己の修め方は先生が机上で教えるのではなく、仲間の挑戦から学ぶという方法です。決まりは、負けるな、嘘をつくな、弱い者いじめはするなと明瞭です。その他、自らに打ち克つためのことが書かれるくらいです。

教育といっても今のように知識偏重型だけのものではなく、人本育成について真剣に考えて編み出した仕組みがこの郷中教育であったということです。

西洋のメソッドばかりを見ては、学者が言う事をさもそれが最先端だと思い込みますが日本の風土に遺っている歴史の篩をかけられても真実の記録が残っているものこそ、最先端のような気がしてなりません。

温故知新とは、かつての本質を今の時代に甦生させるものです。

私が今、提案して実践をしている一円対話はその郷中教育の仕組みを随所に取り入れています。人は教えなくても育つ、できるようになるには異年齢による見守りが必要であるというのは古今東西の発達の真理なのでしょう。

さらに磯部さん郷中教育の仕組みをついてこう語っています。

「判断力、決断力、実行力を伴った、まさに「知恵」ですね。定まった知識をテキストで身につけるのでなく、(1)あらゆる事態を仮想し、(2)それに対処するアイデアを考え出し、(3)その中から正しいものを選択し、(4)実行する“度胸”を持つという。」

生きる力とは何か、子どもたちが立派に自分の使命を果たし仕合せに役割を全うするための社會人、生活人にしていくための仕組みを考えた先人には頭が下がります。そしてこの郷中教育の基本は文字で教えず、全て実地実行、実践によってのみ行ったということです。

今年はこの郷中教育も少しずつ深めていきたいと思います。

 

人生の情

鹿児島に来ると、いつも西郷隆盛を深めています。他にも鹿児島には郷中教育をはじめ、数々の智慧が風土に遺っています。厳しく雄大な大自然の中で育まれたその思想がかつて日本全体を動かす維新回天の原動力になったことも頷けます。

その風土の模範のような人物の一人が西郷隆盛です。

「不怨天、不尤人、下学して上達す。」があります。天命を知る者は天を恨みず、己を知る者は人を恨まず自らの修養に徹せよというように、自らの不遇を全て受け容れて天命に生きた実践、まさに「敬天愛人」を座右とした西郷隆盛の人格的魅力に強く惹かれます。

何より正義感が強く正直であったからこそ数々の誤解を受けては酷い境遇に晒されていきます。しかしその中で仲間を大切にし、自らの信念を貫き、多くの人たちから必要とされその都度自分を天に委ねては人情に真心を盡していきます。

勝海舟からも、西郷は人に好かれ過ぎた、早死にするのは分かっていたというように評されていたり、英国の外交官だったアーネスト・サトウも西郷がほほ笑むとなんともいえぬ魅力的な表情になったと言われます。

もう時代が過ぎて残り香もわずかですが、その書物や周囲の人たちの発言からも人徳の薫風が伝わってくるものです。人から愛され、天からも尊敬される生き方というのは、無我無私であり思いやりに生きたということなのかもしれません。

西郷隆盛の人柄を思うとき、もっとも好きなものに西南戦争の終焉に際したときの中津藩の隊長、増田宋太郎の手記の話があります。

この増田宋太郎は、敗走する薩摩軍が最後の場所と決めていた鹿児島の城山に向かうに際し、中津隊員の皆に君らは中津へ帰れと指示して自分自身は一緒に城山で西郷に殉じると言いました。なぜひとりだけ残り西郷に殉ずるのか不審がる隊員たちに増田宋太郎は涙しながら話したといいます。

「われ、ここに来たり、初めて親しく西郷先生に接することを得たり。一日先生に接すれば一日の愛生ず。三日先生に接すれば三日の愛生ず。親愛日に加わり、去るべくもあらず。今は、善も悪も死生を共にせんのみ」

意訳ですが、「私はここにきて西郷隆盛先生に接する機会を得ることができた。一日、西郷先生に接すると一日の真心をが生じた。そして三日間、西郷先生に接すると三日間の真心が生じた。もはや西郷さんと一緒にいる真心が一体になり、別れることもできなくなった。今はもう善も悪もなく、その死生を共にしようと思っている」と。この増田宋太郎の享年は28歳です。

西郷隆盛の南洲墓地が、鹿児島市上竜尾町にあります。

情を愛した仲間たちと一緒にその真ん中に坐する西郷隆盛に触れていると、「仲間を大切にする」ことの本質を改めて学んだ気がしました。私は鹿児島に御縁をいただいてから、人生の情について考え直すようになってきました。

偉大なひとさまにいただているご縁に感謝しつつ、御蔭様の日々を精進していきたいと思います。

 

口伝と体得~初心伝承~

一昨日から紹介している鵤工舎の小川三夫さんの「棟梁」(文春文庫)には共感するものばかりです。王陽明はかつて「道統を継ぎ、絶学を紡ぐ」と言いましたが、師の教えを忠実に守り伝統を継承する志に子々孫々への思いやりや真心を感じます。

そういう理念を持つ組織だからこそ、その教え方も本質的であり実践的、体得体認することを重んじています。口伝の重みでも実感したことですが、口伝できるというのはその志を受け継ぐ心があってのことです。血肉に伝わっていくような関係の中にこそ、大切な原点や初心、その志や伝統は伝承できるのではないかと今でははっきりと思います。

今年は伝統文化や老舗から日本の職人文化を学び直そうと思っていましたが、その最初に鵤工舎のことを学べて有難く思います。

文章の中で修業について書かれているところが沢山あります。修養も修行も、その心構えのことでしょうが具体的な実践事例で「研ぐ」ということの意味が書かれているので紹介します。

「刃物というのは、なかなか研げないものや。砥石にぴったりし刃を当ててゆっくり擦ればいいだけだが、それができんのや。人間の身体というのは思いの通りには動かないんだな。・・・中略・・・言葉は常に後や。自分の身体が考えの通りには動かないことにまず気がつかなならん。だから修業するのや。言葉や考えが役に立たないことにも気がつかなならん。無心で研げるようになって初めて刃物が研げるようになる。じゃあ無心ってどういうもんかと考えるかもしらんが、刃物が研げたときや。答えは刃物や。」

西岡棟梁から学んだ刃物研ぎの本質が記されています。無心とは研げた時だといい、答えは刃物だといいます。これは仕事でも同じように思います、無心でできるときは自他一体になっているということでその答えは仕事そのものだということです。そしてこう続きます。

「苦労して、悩みながら研いでいるうちにある日、「おっ」と思うことがある。そうやって階段を上がっていくんだな。精神修業のようだが、そうじゃない。大工は体を作ることだ。頭や考えも体から生まれてくるんや。俺はそう思う。だから刃物を研がせる。」

体をつくることと言います。以前、メンターから「からだ」という字は肉体だけではなくそこには心や精神も入っていると聞いたことがあります。「からだ」で覚えるというのは実践で染み込み自分のものにするということでしょう。

「よく研げるようになれば、道具を使ってみたくなる。木を削ってみたくなる。穴を穿ってみたくなる。それが大工として最初や。切れない刃物で木を削らせたところで、辛いだけでうれしいことも気持ちがいいこともない。そんな心で仕事をしていてもいいものはできない。だから刃物を研げないやつには道具を持たせない方がいいんだ。手道具は体そのものだ。体の一部として、考え通り、感じたとおりに使えなくては意味がない。その最初が研ぎや。」

”手道具こそ体そのもの”とあります。仕事では何が手道具であるかということです、それが商品であり自分そのものでもあります。

最後にこうあります。

「嘘を教えれば嘘を覚える。研ぎは全くそうや。ほんとうを覚えるには時間がかかる。時間がかかるが一旦身に着いたら、体が今度は嘘を嫌う。嘘を嫌う体を作ることや。それは刃物研ぎが一番よくわかる。・・・中略・・・上手になれば過去の自分の未熟さがわかる。それも上手になって初めてわかること。つまり、判断は常にその時の自分を超えないということや。刃物は自分の力量を表す鏡や。一心不乱に研ぐことによって、大工としての感覚と研ぎ澄まされた精神も養われるんやな」

”判断は常にその時の自分を超えない”とあります。今の自分の刷り込みを取り除くには、”からだ”で身につけろということです。言い換えれば一心不乱であるし、私の言葉だと全身全霊です。それだけの実践をどれだけ積んでいるかで本物や本質が磨かれるように思います。ここでの刃物とは人格に似ているように思います。何を研ぐのか、手道具とは何か、もう一度そのものの在り方から見直してみないといけません。

そして「技と人」の伝承とは、つまりは「口伝と体得」ではないかと改めて実感します。今の時代の人と技の教え方、学び方に対して刷り込みを見つめているととても大きな危機感を覚えます。子ども達には自学自悟、自分らしく自らを磨き上げていってほしいと思います。まだまだ職人文化や初心伝承を高めていきたいと思います。

歴史の産道~今此処の一歩~

山野の中には人が歩いている道や獣道があります。長い時間、何度も同じところを歩いていくことでそこに道ができます。已まずに歩かれ続けるとその道は踏み固められ、誰も歩かないとそのうちその道が消えていきます。

道といえば代表的な古い道に熊野古道があります。だいぶ前に熊野古道を歩いたことがありますがその道を歩きながら歴史や文化、そして風土や理念などを感じたことを思い出します。

道というものはただそこに道があるのではなくその道をどのような人たちが何の目的でどのような心で歩いたのかという「太古から流れる一筋の思い」を鑑みることができるのです。

今まで続いてきた道というのは、過去にその道を歩んで今の自分にまでつないでくださった方々があるということです。その消えそうになっている道を、自分が後でまた歩むことでその踏み固めた一歩はまた次の人たちへの礎になっていくのです。

誰も見ていないからや誰も通らないからではなく、自分が通る道だからこそ責任をもって歩まねばならないと思うのです。みんなが通ったから安心ではなく、自分が通らなければならぬ志があるのです。

ひとたび歩めば、そこはもう鬱蒼とした密林の中で道なき道をかき分けていくものかもしれません。しかしだからこそ自分が進まねばならぬ、だからこそ自分がもう一度かき分けて入っていかなければならぬという道を開くという使命感です。

私が好きな三つの言葉があります。一つは二宮尊徳、「古道に積る木の葉を掘分けて天照す神の足跡を見む」。そしてもう一つは種田山頭火の「分け入っても分け入っても青い山」、最後は源重之の「つくば山 葉山蕃山 しげけれど 思い入るには あわらざりけり」です。

そのどれも自分の境遇に左右されず、自らの道を切り開く真心を感じます。

幼いころ、生前の祖父が山登りをするのに連れられて道なき道を登り山の中を歩き回ったことがあります。今思い返せば、きっと山芋を探していたのかもしれませんが子ども心に迷子になるのではないか、二度と戻れないのではないか、何か獣と遭遇するのではないかと不安を感じつつ背中を見つめては歩んだ記憶が残っています。どこに出てくるのかも、どこに向かうのかもわからず、山の中に何時間もただ分け入って往くのです。しかし思い返せばその体験が山に入る霊妙さと道を歩む崇高さを覚えたのかもしれません。

道は時であり、時は人であり、人は旅です。

そしてその道は歩む中に由って顕れます。

きっと私たちは歴史の産道を歩んでいる最中なのかもしれません。その歴史の産道の意義を決して忘れず、自分の足で今此処の一歩を大切に歩んでいきたいと思います。

 

長い目~地球観~

先日、養鶏場で鳥インフルエンザが蔓延し約10万羽の鶏が処分されました。他の鶏に感染するからと全部の鶏を処分するのですが果たしてこれが人間ならどうだろうかと思ってしまいます。

もともと鳥インフルエンザは昔からある病気で今にはじまったものではありません。鶏自体に免疫があれば感染せず、かかってもそんなに広がらなかった病気です。自然界に棲んで自然界の生活をしていれば、自ずから病気もまた天敵と同じように自浄作用の中で働いているものの一つです。

しかし、人間の都合で鶏を飼育され抗生物質を大量に投与されている合成人工餌を食べている養鶏場の鶏では病気に対する抗体がなくほとんどが死んでしまいます。その卵を食べたり、その肉を食べる私たちもまたその弱体化したものを取り入れて弱くなっていきます。

自然農に取り組み、自然の畑の中に入り感じるものは厳しい環境の中でいのちを育んでいく自然の姿です。寒さに負けず、暑さに負けず、虫にも負けず、病気にも負けずに逞しく育っていきます。苦労という苦労をまともにしながらも、その生はゆるぎなく元気そのものです。

時折、運命に負けそうな出来事が起こっても再び這い上がってきます。天候の変化や人間の余計な手出しがあったにせよ、強く逞しく自ずから主体的にいのちを発揮します。

農薬も同じく、一部の虫が問題だからとほとんどの生き物たちを処分してしまいます。そして除草剤も同じく、ほとんどの草を処分します。それで一時的に処分したとしてもすぐにまた同じ出来事が起こります。根本的に解決しない方法を繰り返しとったとしても、その時は乗り切ってもあとにもっと大変なことになります。

長い目で物事を観ることを已めてしまうということは、それだけで悠久の歴史の中の智慧を失ってしまうことになります。生き残るという意味が、どれだけ長いスパンで考えているかはその人の生き方に由るものです。

ある程度の数を制限し、広い空間の中で、自然の雑草や穀物、昆虫を譲られた分を自然に食べるようにすれば全体とのバランスの中で病気にもかからなくなっていきます。これは鶏だけの話ではなく、すべての動物に言えることです。

もっとも悍ましいことは、人間が今動植物に行っていることが人間にも行われていくということです。戦争も同じく、自然に天敵があるように、人間にも天敵があります。それが決して外界にあるものではなく人間の精神や心の中にあることに気づいている人は多いはずです。

何千年も前から悠久の歴史には人間は自分に打ち克つことを戒めてきた言葉ばかりが刻まれます。今の時代、スピードを上げるばかりで内省する時間もないようですが根本に立ち返り、本質に立ち止まる勇気と、流れを断ち切る信念が必要なのかもしれません。

なぜ自然養鶏なのか、なぜ自然農なのか、なぜ自然の生き方なのか、自分の中にある自然の力を外側から抑え込んでもそこには限界があることを自然はいつも教えてくれます。

私たちは46億年の地球の一部ですから、地球観を持ち、長い目で静かに物事を判断していく力を身に着けていきたいと思います。

循環型社會の本質~一緒に生きる~

昨年は、社業を通してなんでも一人でやるのではなくみんなで協力しシャッフルすることから大切なことを学び直しました。

何でも一人でできる社会は、なんでも自分の都合で物事を進めることができる便利な社会です。人は自分の都合でできることを良しとして、自分の好き勝手にできることを自由だと勘違いしてしまうと不便さというものは排除するものとなってしまいます。

しかしこの不便さというのは、そこに誰かへの思いやりがあったり自分が誰かのために義務を甘受するようなやさしさがあるのです。

循環型社會とは何か、それを昨年は思い知りました。

それは誰かの都合で動かない社會です。それは家族がみんなで協力して助け合う社會です。言い換えれば、全てを必要とし全てを活かしている社會です。そしてそれは不便の中、面倒の中にこそあるのです。

昨年、皆で取り組む実践の中で便利に一人で簡単に進めるよりも、たとえ不便でも面倒でも一緒にやる方が周りのためになっていることを実感しました。誰か一人だけが頑張るのではなく、みんなで力を合わせることでパワーもエネルギーもすべて循環します。

今の時代はパワーやエネルギーを一つのためだけに使い切りますが、しかし江戸時代などはみんなでそれを振り分けて役割分担をして活かし切りました。この使い切るという発想が自分の都合で起こり、この活かし切るという発想が自他一体で行われているのはすぐに自明します。

そもそも循環というものは、周りを思いやっているかということです。自分だけが良ければいいでもなく、自分がやっていればいいではなく、「一緒にやる」といった中庸の場所で物事に取り組むことができているかということです。

一緒にというのは、運命共同体です。私の言葉では自他一体になっているということです。相手が自分であり、自分は相手なのです。自分さえよければいいという考え方が社會を便利さに走らせ、周りを思いやろうとする社會こそが不便であっても一緒にやろうと思える社會を創造するのです。要はどこまで相手や周りのことを思いやって一緒にと思っているかです。自分の成長だけを思う人と、周りの成長まで思いやる人では同じ動きをしていてもエネルギーは循環するかしないかの差が産まれるのです。

子どもにどちらの社會を遺してあげたいか、それはみんな心では分かっているはずです。だからといってその便利さの恩恵を受けている今の文明や時代を否定する気はなく、むしろ有難いのだからもう一段場を高めてその中でも「一緒にどこまで為れるか」が今に生きる私たちの大切な課題なのではないかと私は思うのです。

循環型社會とは、ただ環境をそうすればいいというわけではなく、其処に住まい、此処に生きる全てのいのちと運命共同体になるということです。つまりは「一緒に生きよう」とすることです。

視野を広くして悠久の歴史に今を照らせば、今までもずっとみんなで一緒に地球の中で生きぬいてきました。苦しいときもつらいときも、楽しいときも悲しいときもいつも周りをみては同じいのちを慈しみ愛して生きてきました。

視野を狭くするから自分さえよければと思うのでしょうが、連綿と続いて継承されてきたいのちの姿かたちが今の「自分たち」なのだから過去が悠久の長さがあったように、未来をも悠久の長さで考えないといけません。

今年はさらにすべてを分けずにもう一歩深く踏み込んでみたいと思っています。これは循環が単に共生という言葉ではなく、「一緒」の方が循環の本質に近いのではないかと感じているからです。いのちと生活ということがどのような実践と環境なのか、それをこの時代、今此処ではどうなのかを突き詰めてみたいからです。

一緒に行うことの真価を、全ての機会を活かし切りクルーたちと一緒に深め、志のままに挑戦し試してみたいと思います。

観察眼~心の実力~

外は急に寒くなり、雪も降って冬景色です。

動物たちは小さく丸くなって寒さをしのいでいますが、人間は数々の暖房器具、防寒衣服に包まれてぬくぬくとしています。

今は水も水道をひねればすぐに出てきますし、火もガスコンロを回せばすぐにつきます。また空調によって室内の温度も自由に調整でき、食べ物はコンビニに行けば何でも買えます。調べたいものがあればインターネットで検索できるし、買い物もボタン一つで購入しそれがすぐに自宅に届きます。暇があればテレビをつければ娯楽番組が流れますし、音楽だって聴きたいものはすぐにダウンロードできる時代です。人間関係も同じく、お金さえあればと面倒なことを避けて関わっている人も増えています。

少し羅列してみてもそこに何の不便さもなく、「便利」に囲まれて生きていると言っても過言ではありません。これらの便利さと引き換えに失ったものの本質は、じっくりと考えて物事を判断する観察眼ではないかとも思えます。

年越しに火を焚き、薪をくべ満天の星空を眺めながらゆっくりと思想に耽る時間がありました。昔の人たちは変化をじっくりと考える時間があり、物事の判断をとても長いスパンで検討して決断をしてきました。今は、情報化社会の中で何でも簡単便利に迅速に快適になることが何よりも優先されています。欲望を中和するような時間も持てず、目先の快楽のために精神が怠惰に流されてしまうのかもしれません。

観察眼とは、心を感じる力です。

心で感じたり、心で動いたり、心で取り組むという心の力、言い換えれば真心の実践を行うには観察眼がいるのです。相手と心を通じ合わせたり、全体のために心を配ったり、心を籠めて丁寧に接するというのは、そこに心が入っているのに気づきます。

心無いことをしたり、心を入れなかったり、心がけもなくなれば、頭でわかった気になり過去の知識からこんなものだろうと忙殺してしまいます。心は目には見えませんから気づこうとしなければあっという間に観えなくなるものです。心で観るという習慣を持つには、自分が心をいつも遣っていく生き方をしなければなりません。それはよく面倒くさいといって人が自分からやりたがらないことを敢えて自ら進んでやることでその観察眼が磨かれるのです。

森のイスキアの佐藤初女さんにこういう言葉があります。

「私、“面倒くさい”っていうのがいちばんいやなんです。ある線までは誰でもやること。そこを一歩越えるか越えないかで、人の心に響いたり響かなかったりすると思うので、このへんでいいだろうというところを一歩、もう一歩越えて。ですからお手伝いいただいて、「面倒くさいからこのくらいでいいんじゃない」っていわれると、とても寂しく感じるのです。「(おむすびの祈り 集英社)」

心を失い、心を遣わないでいるとすぐに人は不安になり不信になり自我感情に呑まれてしまうものです。平常心や心の平安は常に心を感じるから視野も広くなり絶対安心の世界に住むことができます。

観察眼とは手間暇の実践です、手間暇という心を遣うそのひと手間こその中に心が籠っているからこそ「実践」を蔑ろにしてはならないと改めて思います。「凡事徹底」という言葉も、心を遣い観察眼を磨く智慧の一つということです。

人間生活の中でいくら面倒と感じても御蔭様の心を持ってもうひと手間ができるようになれば心の実力が備わってきていると考えていいと思います。今年も、雑さを戒め、自然の精妙さと丹精をモデルにして心がけ、かんながらの道を求めていきたいと思います。