天に問う

先日、天神祭の中で新宿せいが保育園の藤森平司園長から「学問」についてお話を拝聴するご縁がありました。その中で、学問の「問う」とは何かそれは天に問うことであるということをお聴きしました。

今では学問は知識を詰め込むことのように思われがちですが、古来からの学問の本質は「天命を問う」ことであったように思います。

江戸時代の藩校の最高峰であった昌平坂学問所に佐藤一斎があります。この方の遺した「言志四録」はその後、多くの日本人を育ててきました。明治維新の際には、維新の志士たちの座右の書として長く愛読されてきました。その中の一つに天命について記されたものがあります。

「人は須らく、自ら省察すべし。天、何の故に我が身を生み出し、我をして果たして何の用に供せしむる。我れ既に天物なれば、必ず天役あり。天役供せずんば、天の咎必ず至らん。省察して此に到れば則ち我が身の苟生すべからざるを知る」

意訳ですが、「人間は真摯に省みる必要があります。それは天がなぜ自分を創造し、私を何に用いようとなさっているのか。私はすでに天が創造したものであるから必ず天から命じられた大切なお役目がある。そのお役目を慎んで果たそうとしないのならば必ず何かの天罰があるはずである、それを真摯に省みるのなら自分勝手に安逸に生きていくことはできないと知ることになるだろう」と。

そもそも自分は自分のものではない、自分はすでに天のものであるという考え方が根本にあるのなら、自分の生は天命であるという覚悟が決まるように思います。天が何を使役させようとしておられるか、天が何をしてほしいと願っているか、「主語」を自分ではなく「天」にすることこそ本来の命を活かせるということでしょう。

この「天に問う」とは、自分の天命を知るために問うように思います。天命を知るためには、人事を盡してのちよく慎み省みて天が何を与えてくださっているのかに気づかなければなりません。

自分に与えられている道はいったいどんなものなのか、誰かの道ではなく自分に与えられた道があるのだからその道を歩まなければ天罰があるはずです。その天罰は、そうではないよ、そっちではないよと教えてくださる偉大なる罰のことです。それを素直に謙虚に聴いて歩んでいくのなら、後になって「ああ、これが私の天命だったのか」と知るに至るのです。

迷わずに生きている人は、とても強いように思います。あれもできるこれもできると選択肢が多い人よりも、これしかできないと選択肢がない人の方が迷いがありません。迷いがないから自分の天与の道に専念できるように思います。

人はできないことをやろうとするのは自分が主語になりすぎるからです。できないことは悪いことではなく、自分にしかできないことをやることが本来の学問の意味であり天意を知ることにつながると思います。

私は善い師に巡り会い人生の早い時期に、自分にしかできないことは何かと考える機会を多くいただきました。その師の根底の精神には常に「天に問う」があったように思います。

論語では、「四十にして惑わず、五十にして天命を知る」とありますからこの十年はしっかりと天と対話しながら歩んでいきたいと思います。引き続き、子どもたちの未来のためにも今を大切に生き切っていきたいと思います。

 

 

 

天との対話

老師の遺した有名な言葉に、「天之道、不争而善勝、不言而善応、不招而自来、然而善謀。天網恢恢疏而不失。」があります。これは「天の道は、争わずして善く勝ち、言わずして善く応じ、招かずして自ら来り、然として善く謀る。天網恢恢疏にして失わず」という意味です。

天に問い、天が見ているとし、ありのままであるがままに生きる人は正直の徳を磨いていきます。この正直の徳とは、自分の心を天に映す鏡として鑑照する生き方を実践していくということです。

私が尊敬する吉田松陰は、その辞世の句で「吾 今 國の爲に死す 死して 君親に 背かず。 悠悠たり 天地の事 鑑照 明神に 在り。」といいました。

これは意訳すると「私は今、故郷の国のために命を捧げ死んでいきます。私は死ぬに際しても親祖や恩君へ対する道に背くことはありません。悠久に続く天地のことだからこのことは天が観てくださっている、八百万の神々、どうかご鑑照ください」と。

天が観ているという心境は、自分にとっての都合や損得、その他の利害などを優先しているのではなく文字通り天に問い天が見ているとし天の基準に沿って歩んでいくという道の生き方です。

天が見ているという生き方はとても明るくのびのびした精神を持っています。そこには自己を中心に裏表があるのではなくそのままの自分を天に見てもらっているという偉大な安心感を持っています。

自分の心に正直であるか、自分の心は真心のままであるか、それは自分ではわからないものです。だからこそそこを天に問い、天がどうなさるのかの判断にゆだねて任せて生きていくのです。

私自身もいつも真心で生きたいと思っていますが、果たしてこれが真心であったのかどうかわからないことばかりです。しかし天が見てくださっていると信じて、天の判断に任せてそれをすべて受け入れて受け止めると覚悟を決めて歩んでいけばそのすべては天の采配であったと直観し、これでいいとすべてを丸ごと受け容れることができるように思います。

この天の采配とは、偉大な天の真心に触れるということです。

吉田松陰は生き死にが判断基準で良し悪しを考えたのではなく、まさに天の采配のすべてを信じて道を貫いたのでしょう。

最後に、常岡一郎氏にこんな言葉があります。

「宝物は大切にされる。危険なところに置かないように心を配る。人の世の宝と仰がれる人がある。そんな人は自ら求めてなくても大切にされる。心の使い方の美しい人はよい運命に守られている。危ないところから遠ざけられている」

吉田松陰は俗世にまみれてなお魂を磨いて俗世の穢れを取り払い、澄んだ心を磨き切った宝だったように思います。今でも大切にされるのは、その心の使い方が美しかったからです。生き死にが問題ではなく、天命のままにやり遂げたというところに運命から守られたという余韻を感じます。

このように死してなお今でも燦然と輝き続ける吉田松陰の魂のように、天は必ずその人の天命に沿う生き方を未来永劫変わらずに応援してくださいます。私の歩んでいる道はかんながらの道、悠久の八百万の神々と共に往く道ですから常にその古の神々がいつも見ているとし天との対話を続けて歩んでいきたいと思います。

暮らしの信仰

昨日、長崎県平戸市にあるお客様の寺院にてお風呂の神様として祀られている「跋陀婆羅菩薩」(ばったばらぼさつ)のお話をお聴きする機会がありました。ちょうど聴福庵のお風呂場の甦生に取り組んでおり印象に残りました。

古来より日本の家には多くの神様がいて祀られていました。福を授ける大歳神、家全体を守る天照大神、台所の火を守る三宝荒神、家中の火を司る火之迦具土神、家の穀物を守る宇迦之御魂神、台所には他にも布袋、恵比寿、大黒神、井戸や水場を守る弥都波能売神、トイレには烏枢沙摩明王と弁財天、家宝を守る屋敷神の納戸神、窓や風を司る志那都比古神、門を守る神様の天石門別神。家屋、屋根を守る大屋毘古神。家の戸の神、大戸日別神。他にも似た神様に座敷や蔵の神様に座敷童子、そして先ほどの風呂場の跋陀婆羅菩薩です。

いざ書き出してみると、これだけ多くの神様が守ってくださっている家。ここにはもはや宗教の違いを超えて常に身近に神様がおられ私たちの暮らしを守ってくださっているという生活をしてきたことがわかります。

先日、ある方が祖母が早朝より古民家の中にあるありとあらゆる神棚の御水替えでだいぶ時間がかかっているとお聞きしましたがそれだけ昔から家の中の守り神を日本人の先祖は大切にしてきたように思います。

今の西洋式の家屋では神棚もない家が増えてきました。家を守っている神様が一つも目に見えるところにもなく、信仰する場もない環境ができてしまえばかつてのような日本の民家の暮らしもまた消失していくのは時間の問題なのでしょう。

昔は水も火も風も、土も穀物もすべて自然からの恩恵でありその恩恵があって家での暮らしが成り立っていました。その感謝を忘れないで大切に守ってくださっていることに祈る日々が暮らしの根っこにあったように思います。

当たり前になってしまっている現代の便利な生活の中で、失ったものが何かは神様がいなくなったことでわかります。私たちは暮らしを通して信仰心を養い、生き方を磨いてきたからこそ日本人らしい感性が伝承されてきたようにも思います。

改めて、古来からの暮らしの信仰を見直して引き続き子どもたちのために家を甦生していきたいと思います。

風土と暮らし

昨日から京都の鞍馬寺に来ています。少しずつお山が秋の気配に色づきはじめて空の秋風の透き通った青さと流れる雲の白さ、そして緑が合わさって水がキラキラ輝いてみえます。

自然というものは、その風土の中で一体となって一緒に存在しているため小さな変化は全体の変化を促していきます。いのちが輝くというのは、その偉大な存在の中にあってすべての生命が一緒に生きている中でこそ燦然と輝きます。

もしもこれが人工的にバラバラになったのなら、それぞれが輝くことはありません。生き物がイキイキといのちを働かせてハタラクには、風土の存在が欠かせないのです。その風土の存在があって私たちは存在することができますから、常にいのちは風土と一体になっているということを忘れてはいけません。

循環という言葉があります。

これはいのちがめぐり、様々なものが有機的につながり存在していることを顕していますがその本質は共に生きるという共生のことを意味します。一緒に生きているからこそ、お互いの存在を思いやり尊重して生きていくこと。それが循環の意味です。現代では、部分だけを見てはバラバラにし、部分だけを排除しようなどとしますが万物はすべて共生していますから一つだけを除いたらすぐに全体の何かがバラバラになっていくものです。

存在の原点を忘れてバラバラになるということは、一緒に生きるのをやめるということでもあります。豊かで瑞々しい風土の中で、共に仲間と生きていけばみんなニコニコと仕合せに楽しく生きることができます。その反対に、自分さえよければいいと風土から離れ自分勝手に孤立して生きていけば誰とも分かち合えません。

だからこそ「自分」というものを決して勘違いしてはなりません。自分しか知らない傲慢な自分ではなく、謙虚にみんなと一緒に生き活かされる「自分というものの存在」を静かに見つめ直す必要があるのです。

一つの風土をそれぞれが生きる主人公としてみんなで分かち合うというのは、いただいている恩恵に感謝しみんなで一緒に生きていく自然の姿、みんなのいのちが輝く姿です。

子どもたちもこのいのちの原点に魂が触れることによって、自分がどの風土に生まれ一緒に生きていくのかを確認します。その根のつながり、いのちの原点が感じにくくなっている現代の環境において、その後大人になった人たちが本当の自分を見失っていることが増えているように私は感じます。

風土と暮らしがなくなることは、自分らしさがなくなることです。

人類の未来の子どもたちのためにもこの美しい風土が育てた本物の環境を三つ子の魂百までに触れてもらい、そのうぶな心に真相を伝承していきたいと思います。

和合

昨日は無事に聴福庵での天神祭の実施と勉強会を実践することができました。菅原道真公をお祀りし、場を整え、寺小屋にし学問とは何かについて話を深めていくことができました。

改めてご縁というものの不思議さ、そして初心の大切さを感じる機会になりました。

裏方では、みんなで力を合わせてお祭りの準備を行いました。最初はお祭りのおもてなしとはどのようなものをすればいいのかと悩みましたが、結局はご縁がつながって生まれた物語を辿っていただけでした。

例えば、地域の氏神様が天満神社だったから最初の勉強会と実践が菅原道真公の天神祭になったこと。そして菅原道真公といえば梅を愛したことで有名だったので、梅に纏わる道具や梅料理を用意することになったこと。その梅も太宰府天満宮に信心深い方からの紹介で素晴らしい梅をいただいたこと。その梅を、梅干しや梅酒にしたこと。さらに80年前の梅干しと出会い、その梅干しのみで炊き込みご飯を備長炭を用い竈で炊いたこと。その炊き込みご飯のお皿は神社でお社にかかっている竹を刈りその竹を割って削り創り、室礼もまた境内の参道にかかる紅葉などを用いて飾ることになったこと。ウェルカムドリンクもある染の老舗の方からお譲りいただいた年代ものの梅ジュースを出せたこと。お味噌汁は、地域の方々と一緒に創って発酵した味噌を使い、かつお節も物語ばかりでしたが、その本節を削り出汁を取ったこと。さらには恩師が別の講演会でタイミングよく福岡にお越しになっていたことなど、他にもご縁を辿ればキリがありませんが様々な組み合わせと物語によって出来上がったのです。

これらの偶然が重なりあって、奇跡のような天神祭を執り行うことができました。これらの御蔭様を思うとき、私たちは本当にありがたい貴重な体験をさせいただいたことに気づきます。

当日のお祭りの裏方は何をするのだろうかとわかりませんでしたが実施してみると、みんなで協力して助け合い、まるで昔の日本の寺小屋のように学び合い、ご飯を共に作り合い、食べ合い、片付け合い、手伝い合い、まさに「和合」した姿が随所に垣間見ることができました。

和合という言葉も、ようやく私の心にストンと落ち着いてこの体験が和合であったのかと日本文化の持つ、一緒に働くことの仕合せを懐かしく感じました。

恩師からは「自分の人生のゲストではなく、スタッフで生きていく」ということの大切さをも教えていただきました。これは単に主人公であることを言うだけではなく、みんなで能動的に和合する生き方、つまりは共生と貢献、利他に生きつつみんなで一緒に働きを活かし合って協力して生きていこうとする人類存続の智慧の言葉です。

この天神祭の体験から私は子どもたちに遺し譲りたいもの、人類の理想の形を発見することができました。この奇跡のようなご縁を活かし、世界に大切なことを伝えられるように実践と精進を重ねていきたいと思います。

壁と共に生き続けるもの

昨日は、聴福庵のおくどさんのある厨房の壁の漆喰塗りを会社のクルーたちと一緒に行いました。左官職人の方のご指導のもと、みんなで鏝を持ち塗っていきましたが慣れない作業の中でも笑顔で楽しく味わい深い時間を過ごすことができました。

漆喰風のものが出回っている中で、材料を調合する過程からすべて見せていただき安心してこれが漆喰本来の姿であることを教えていただきさらに壁に愛着が湧きました。

かねてからみんなで一緒に塗った壁を眺めたいと念じていましたが、今朝がた早起きして陰翳の中で豊かに映りだされた模様や、個性があって味わいがある壁にうっとりとしました。

自然物の美しさというのは、マニュアルような技術でできるものではなく生きものそのもののいのちを扱いますから一つとして同じものはありません。画一化されて工業化してマニュアル化された近代においては、いつでもどこでも同じものができることを最良であるという価値観になっていますが、昔ながらの懐かしいプロセスの中には、お互いの信頼や尊重、そして一つ一つに刻まれたその瞬間の思い出や意味が籠められていきます。

こんなに豊かで楽しい時間を過ごしていたのかと、左官職人さんの感じている豊かさや仲間と一緒に生きていく歓びを改めて感じます。

また土をみんなで塗っていると、ある人から子どもが遊んでいるみたいと言われましたが本当に子ども心が湧いてきて夢中でみんなで塗ったのであっという間でした。終わった後の充実感も一入で、子どもはこうやって自然物を触り水と土といった融和したものを人生に取り込んでいたのかと大切なことを学び直した気がします。

みんなで一緒に楽しく塗った思い出は、壁と共に生き続けていきます。きっと京都や古民家で観てきた漆喰の壁も、その時代時代の左官たちがみんなで和気藹々と誇りと志を持って塗り込んだ壁だったのでしょう。だからこそ壁を眺めていると心が感応しいつまでも魂に響いていました。

今、ここで子どもたちのためにとクルーたちと一緒に志で取り組んだ壁もまたいつまでもこれからの世代の心に響くものになってほしいと願います。生き方の甦生は、日本人の大和魂の甦生です。

明日、いよいよ節目となる第一回目の天神祭の勉強会の実施です。

一つ一つをみんなと一緒に空間に宿し遺しながら、初志貫徹の第一歩を踏み出していこうと思います。

日本人の心と言葉

日本語には、深い意味があるものがたくさんあります。そのいくつは、外国語にも訳せないもので「モッタイナイ(MOTTAINAI)」とそのままの音で世界では認知されています。他にも「オモテナシ」や「ムスビ」、そして私たちが取り組んでいる「ミマモル」もまた古来からある外国語にそのまま訳すことができない素晴らしい日本語の一つです。

先ほどの「MOTTAINAI」は、日本では当たり前に「もったいない」と使われますがこれをアフリカで初のノーベル賞受賞者のワンガリー・マータイさんが日本に来た時に出会って感動しそのままの言葉で世界共通語としたのです。

具体的には『3R+R=MOTTAINAI』と表現され、意味は〇Reduce(ゴミ削減): Produce less waste.〇Reuse(再利用) : Use things over and over for a long time.〇Recycle(再資源化): Spread things around so they can be used repeatedly.の頭文字の3R。それと+して〇Respect(尊敬): Respect people who value the MOTTAINAI concept.が入っていると説明されます。

具体的には、農家さんがつくってくださったものに感謝し、お米一粒でも無駄にしないようにという心や、今まで助けてお世話になった古いパートナーだからこそその御恩を忘れずに粗末にしないようにしようといった日本人の元来持っている大切な感性のことを「尊敬」という言い方で整理したように思います。

日本語にはどれも、御蔭様や感謝の念が入ってその言葉が素晴らしい響きを持ちます。

現在ではこの素晴らしい日本語が消失してきています。日本人が日本語が分からないというのは、日本人が日本人の心が分からなくなっているということです。日本人の心を失った人たちが増えれば、それまでにあった日本人が使っていた古来からの素晴らしい言葉もまた同時に失われます。

日本人の心が美しい日本語を産出し、その美しい日本語が使える日本人が美しい心を持ったまま暮らしていたのでしょう。私の祖父母の時代は、その美しい言葉をたくさん会話の中で用いていた記憶があります。

それが失われてきている今だからこそ、敢えて古来からの日本の言葉にこだわる必要を私は感じます。「MIMAMORU」もまた、「信じきる」といった日本人の心が入っている言葉です。この言葉が世界共通になるとき、世界は今よりももっと子どもたちが創り出す未来に安心できるように思います。

引き続き子どもたちのために古民家甦生もそうですが言葉の甦生、日本の大和心、大和言葉の甦生にも取り組んでみたいと思います。

 

義の繋がり

天神祭の準備に向けて菅原道真公のことを深めていますが、残っている文献や資料からできる限り情報を集めてその功績や事績、そして和歌などからその人格や人柄を想像しています。

しかし歴史というものは、勝者の歴史といわれるようにその当時の権力者や政府が自分たちに都合の悪いところを消していきますから消されてしまうとほとんどが遺っていません。だから今の時代になって、改めて歴史を客観視して直視するとこれだけの偉大だと信仰されている人がなんの功績も出てこないのだろうかとしっくりこない人物もたくさんいます。

まさに菅原道真公はその代表でもあり、天神信仰をはじめ全国の天満宮に祀られ、学問の神様としてこれだけみんな崇敬しているのに和歌や遣唐使を廃止したことくらいしか遺っておらず、右大臣にまでなって政治を司り、その後の「延喜の治」と呼ばれるほどの治世の礎をつくり、国風文化の発祥の根源になったにもかかわらずその実の功績のところが歴史の表舞台に出てきません。

私が思うには、過去にこれだけの人々から1100年以上尊敬され今でも篤く信仰されている人物がちょっとしたことだけでそこまでになるとは思えません。菅原道真公も、その当時の人々のことを心から思いやり仁慈をもって接した立派な方でさらに大義を貫く生き方が美しくまるで神様のようだったからこそそのままに神格を持ったのではないかと思います。

実際にわかっているのは「昌泰の変」にて901年1月、左大臣藤原時平の讒言により醍醐天皇が右大臣菅原道真を大宰員外帥として大宰府へ左遷し、道真の子供や右近衛中将源善らを左遷または流罪にした事件があったということ。その後、権力を醍醐天皇と藤原時平が握ったこと、そしてそれから10年も経たずにまた宇多上皇と藤原忠平に権力が戻ったこと、そして菅原道真公の名誉を回復した流れになったことは書かれた通りであることが分かります。

ただしこれもまた勝者の歴史ですから、真実はどうだったのかとなるとそのまま鵜呑みにすることはできません。しかし菅原道真公が、どのような学問をし、何を愛し、どのような生き方をしたのかは、その遺した言葉や、その当時に関わりのあった弟子たちや同志たち、子孫たちによって語り継がれていきます。

これは幕末の吉田松陰のように、弟子たちが師がどのような人物であったか、弟子たちがその後、政治の中で如何に自分たちがその恩恵を受けたか、そして師の遺した文章にどれだけ励まされたか、そのようなものが信仰としていつまでも遺ります。

その当時、菅原道真公の学問の弟子たちが官僚の多くを絞め、道真公亡き後も志を持って政治に中ったように思います。だからこそその後に延喜の治と呼ばれるほどに平安文化が発展していったように思うのです。

菅原道真公をいつまでも信仰するのは、今の日本があるのはその当時に道をつけてくださった恩師のことをいつまでも忘れまいとする子孫たちの「義の繋がり」なのでしょう。

ただの学者ではなく、本物の学問を志した人物としての菅原道真公は実践を重んじた方です。だからこそ、その至誠が天に通じ、天神様となったのでしょう。まさに至誠の神様と呼ばれる由縁です。

私にとっても特別な存在になったこの天神様は、国家鎮守の風土と共に氏神様としていつまでも子どもたちを見守ってくださるように祈りを奉げていきたいと思います。

 

古民家甦生~時中した暮らし~

古民家甦生を続けていくと古い道具を用いますから技術や感覚は次第に磨き直されていきます。こちら側の都合では道具は使えず、道具の特性や弱さ、また持ち味や使い方を扱いながら学び直していきます。

慣れていないとすぐに壊してしまい、さらに道具もまた活かされないので生活や暮らしそのものを便利なものから不便なものへと価値観ごと転換していく必要もあります。特に今のように水道やガス、電気、家電製品や空調器具がある世の中で敢えて不便に戻すというのはとても勇気がいるものです。

先日もトイレは昔のものに戻すのか、風呂は、洗濯は、冷蔵庫はと矢継ぎ早に質問されました。全部排除してしまえば、それは山奥の隠者のような生活になるのではないかというのです。

確かに目的が、先祖返りのように過去に戻ることならばそうなるかもしれません。しかし時代は過去に戻ることは不可能であり、常に今を刷新し続けていくのが生きるということです。温故知新も復古創新も、決して江戸時代や縄文時代などに回帰しようとするのではなく、何を変え、何を変えないかをその時代の人たちが取捨選択してそれまでの初心や大切な伝統が守られるように継承していこうとするのは子孫である私たちの使命でもあります。

私の古民家甦生も、電気も水道もガスも空調設備もあります。それを全部排除しようとか排除しないとかいう考え方ではなく、長い先を観て大事なものは守り続けようということなのです。

そのためには、その近代に発明された便利なものも活かそう、そして昔から連綿とつながっている文化や智慧も活かそうという、古新を融和融合し、今の時代ならどう暮らすかということを提案しているものなのです。

子どもたちには選択肢が必要です。そしてそれが多様性でもあります。その多様な選択肢は、みんな新しいものに右へ倣えではなく、こういう選択肢もあるという生き方も見せてあげる必要があります。それは極端に右か左か、上か下か、富か貧かではなく、かつての古き善きものを取り入れながら今に活かすという時中した暮らし、生き方を感じてもらいたいということなのです。本来、どちらかに偏らないというのは中心を捉えた中庸でもあり、これはどちらかに偏るよりもずっと難しい挑戦なのです。

私が実践する古民家甦生は、まさに今の時代に古の智慧をどう活かすかという事例を伝道伝承しようとするものです。

引き続き、何を変え何を変えないかを自分の生き方を通して試行錯誤していきたいと思います。

心のふるさと

先日、もう8年間一緒に理念の実践に取り組んでいる園で理念研修を行いました。ここは「心のふるさと」を子どもたちに持ってもらえることを目的にしておりそのために見守る保育を取り入れて実践しています。

私もこの心の故郷という言葉には、強く心が惹かれるものがあり懐かしく思います。この心の故郷とは何か、それを少し深めてみようと思います。

心の故郷を思う時、私は純粋な心を思います。純粋な心とは、子ども心のことです。子ども心は、あるがままの心、つまり心そのもののことです。これが歳を経ていくごとに次第に純粋さが日常の些事によって曇っていきます。曇ってしまえば、自分の純粋性も分からなくなり魂が何を望んでいたかもわからなくなります。

三つ子の魂百までという諺があります。私の解釈では、魂や心が望んでいることは誰にも変えようがない。つまりは普遍的に魂や心はこの世で何をしたいかを持っているという意味です。天命を与えられて生まれてきた存在は、そのまま死ぬまで天命がなくなることがないということです。

しかし実際は、その天命をやらせてもらえず教育によってやってはいけないことばかりを仕付けられてはそのものであることが否定されたりもします。純粋な心はそれによって曇り、自分自身が何をしたかったのかが観えなくなっていくのです。

その純粋な心、三つ子の魂の本来の心であり、その心のふるさとは魂の父母が住んでいるところ。それを心に持っている人はいつまでも自分の天命に回帰し、自分の使命に生きていく悦びを忘れないで魂と全うしていくことができます。生まれてきた意味を知るということは何物にも代えがたい安心感なのです。

そして子ども心が何かをしたいと思う時、如何に寛大に丸ごと受け止めてくれる存在があるか。そしてその子どものことを丸ごと見守ってくれる存在であるか。子どもを信じることで、その子どもは信じる道を歩むのです。

子どもが安心して生きていけるというのはこの心の中に懐かしい故郷、その心の父母の無償の愛を持っているということです。その無償の愛とは、言い換えれば自然慈愛の魂とも言えます。この自然慈愛の父母の魂が、子どもの魂に宿るれば人は死をも怖がらなくなります。

純粋さを貫くことができること、それを「至誠」といいます。純心を死ぬまで持ち続けられた人をみると私たち人間は魂が激しく揺さぶられます。それは魂が望む姿を魂が感化されるからです。理想の生き方、真実の生きざまを魂は心の奥深くで求め続けて已まないのです。

その至誠の魂が子どもの魂を見守ることで、魂の純粋さは永遠に保たれていきます。その魂の純粋さを守ることで、その人は一生涯自分の安心基地を自分の心の中に持つことができるようになります。人がこの世で信じられるものを持っているということは、一生を生きていく中でとても大切なことです。本当の仕合せは魂の邂逅を得ることだと私は思います。

それを子ども時代に与えていきたいと願うのは、真心がそうさせるからです。真心の生き方を貫く人はみんなこの心のふるさとが助けて見守ってくれることを自覚しているのです。私がそうであったように、子どもたちが心のふるさとを持って自分の随神の道を歩んでいけるように自分自身の純粋な魂や真心を盡して子どもたちの環境に貢献していきたいと思います。

遺言として心の故郷を見守ることは、何よりも優先される死生間の仕合せであると明記してこのブログを締めくくりたいと思います。