大切なものを守る人々

昨日は秩父神社に訪問し権宮司さまから祭礼についてのお話をお伺いすることができました。秩父という地域は、とても神社と氏子たちとの絆も強く、様々な祭りや地域活動が今でも大切に実践されています。長い時間をかけて経てきたその地域の真心の伝承は今でも色濃く残っている風土美を持っている地域とも言えます。

自分がその土地に有難く住まわせていただいているという感謝の気持ちをいつまでも忘れず、神様に対して畏敬敬虔の念でその初心を守ろうとする宮司と氏子たちによって大切な文化が守られていることに感銘と感動を受けました。これは本来は当たり前だった日本の真心ですが秩父神社のその深さと質に偉大な歴史と伝統を感じたからです。

今の時代は、かつての日本人としての徳目実践を怠る人たちが増え先祖たちがなぜこれを続けてきたのか、何のためにやるのかということを考えず、ただ形だけを見てはなんとなく意味も分からず続けているような事物が増えてきているように思います。何かが行われるのはその理由が存在し、その理由を忘れずに実践を続ける人たちによって理念や初心といった物事の本質や「いのち」はいつまでも活き活きと甦り続けて生き続けます。

しかしそれを忘れてしまい、本質からズレたことをはじめてしまうと途端に本物ではなくなり現実味が消失していきます。私たちは常に理念や初心というものを扱っている自覚、つまりはいのちをそのまま扱っているという自覚がなければそのいのちは消えてしまうのです。

よく考えてみると、そこに神様がいらっしゃると慎み過ごすことや、そこに神様の導きが入っていると感謝すること、そこに神様がご鎮座してくださっていると畏れ敬うことは自分自身の姿勢が決めるものです。自分自身がそういうものであると心の中で決めて、そのために自分の都合や自分が優先されないようにと自戒をし実践を怠らないからこそ神様が観えていきます。自分自身の方がズレていることにも気づかず、自分の都合で物事を動かすほど不敬虔なことはありません。

神様が次第に観えていくということは、自分が神様にどれだけ真摯に仕えるかということであってその仕え方によって神様は顕現しそのいのちが次第に観えてくるということでしょう。そして自分自身の心の姿勢が真摯に実践を伴い想念が磨かれ澄まされなければ何も観えることもないのです。

例えば、家の道具一つにしても道具というのは人生の道を助けてくれるものだからこそ道具とし昔の先祖たちは大切にそのいのちを壊さないようにと丁寧に扱ってくれていました。こちらが道具をただのモノのように扱い使い捨てばかりしていたら単なるモノになってしまいます。物を大切に扱い、物の御蔭様で助かっていると感謝の心があればその物は語り始めその物との関係性が築かれお互いの物語(いのちのつながり)が発生してきます。

これと同じく、自分自身の実践する姿勢が全体の世界観を決めていくのが「生き方」でもあります。神社や宮司の生き方や、そこに仕える氏子たちの生き方は実践に現れてきます。秩父神社にかかわる方々の実践をお聴きしていると、日本の原点を感じ、また日本人らしさを感じ、さらにはその生き方をしている方々に誇りを感じます。

自分たちが誇らしいと思えることこそ本来の自信であり、そこが地域の最大の魅力になります。自分たちの魅力が減退するのは、理念を蔑ろにし実践を怠るからです。そうしているうちに地域の魅力が消失していくのです。大切なものを守ろうする人々の真心に触れて、改めて自分自身が取り組んでいることの意味を学び直しました。

今回のご縁で自分たちが実践するということの意味、理念を大切に本物を譲り遺していくことの意味を深く感じ取りました。私の信じる神社のかたちもはっきりと再確認でき、有り難い思いでいっぱいです。今、実践をさせていただていること、それを深め積み重ねながら沢山の方々のつながりとご縁、そのすべてに感謝しながら子供第一義の理念を丹精を込めて今日も実践していきたいと思います。

色々とご教授いただき感謝しています、引き続き御恩返しの実践をしご報告していきたいと思います。

物事の見方~人生の道~

物事というものはその見方というものが存在します。同じ出来事があったとしても人によってその受け止め方は様々です。私たちは生き方と働き方の一致を実践していますが、実際はそこが分かれてしまっている人が増えていろいろと生活が大変になっている人が多いように思います。

よく公私混同の話がありますが、本来は公私ではなく人生で考えれば公私などと別に分ける必要はありません。しかし実際は、これはプライベートだからとかこれは公だからとか一つの人生を自分の都合のよいように分けてはかえってバランスが取れずに大変になっています。

人生というものの尺度を物事を測ってみれば、どれも自分の人生なのだから正直にやっていくことがもっとも道に相応しくなっていくように私は思います。物事の判断基準というものは、一般的には自分というものを中心に左右に分けていきます。自分にとって損か得かと考えるということです。自己実現などという言葉も、自分というものを中心に考えれば自分の思い通りになったことが自己実現ということになります。しかしそれは単なる自己満足であって自己実現ではありません。

ではどうすれば自己実現になるのか、それは全体の中で自分が役割を果たせたり、全体とのつながりの中で自分自身がその循環の一部になっていくというように自然の一部として自分が周りから活かされる存在になっていったとき自己が実現されたということになるのでしょう。常に思い通りに人生を人生と呼ぶのではなく、思う通りではないけれど思っていた以上のものがあったというのが人生の醍醐味だと思います。

そして実際にその判断基準を転換していくためにも「物事の見方」を換えていくしかないように私は思います。小林正観さんに「見方道の家元」という言葉があります。本来は家元というのは一人なのでしょうが、正観さんは見方道はたくさんの人たちが家元になれると言います。その一つに「ありがたい」と感謝で観るという見方の話がでてきます。

そこでは私たちが住んでいる国は、三つに分かれていると言っています。一つ目の国は「悲帝国」(ひていこく)「悲しい」は「非ずの心」と書きます。非ずの心とは「そうではない、そうではない」と思う心です。コップに水が八分目まで入っていても「八分しかないじゃないか」と否定的に考える人たちの国です。

「悲帝国」の住民は目が見えているだけでも十分に幸せなのに「もっとどこかに幸せがあるはずだ」と満たされない心で生きているそうです。

これはないものねだりであるものを探そうとしない、自分探しはしているけれど自分にあるものを見つけられないこれらはとても否定的であるということです。

そして二つ目の国は「好帝国」(こうていこく)この国の人たちはどんなことがあっても「嬉しい、楽しい、幸せ」と肯定的にとらえる明るい人たちの集団だそうです。

これはあるものを見つけて感謝する、なんでも前向きに受け止めて前進するといったポジティブで肯定的な人たちということです。

そして最後の三つ目の国は「ありが帝国」(ありがていこく)。コップに三分目までしか水が残っていなくても「誰かが三分だけ残してくれたありがたい」と感謝の心でとらえる人たちの集団だそうです。

この「ありが帝国」の住人は自分以外のものにも手を合わせ笑顔で「ありがとう」を言い続けている人たちですから謙虚に穏やかに生きて楽に、楽しく生きている人たちになるそうです。

これは私が言うと「どんなことがあっても好いことへと転じている生き方」の人たちです。禍転じて福にしている生き方、どんな人生であっても自分の人生なのだからと感謝で生きている達人たちのことです。今ここにあることが感謝、今生きていることが感謝、今、活かされていることが感謝と、感謝感謝が人生そのものになっています。

私はこの見方ということが充実した人生において何よりも大切だと思っています。なぜなら人生は一度きりであるし、二度とない天与の人生です。その人生をたいせつに味わうには生き方を変えていくしかありません。生き方を変えていけば自ずから働き方も変わっていきます、そうなれば公私混同しても公私一体になっていくだけですからそのうち生き方と働き方は一致して丸ごとの人生なっていくのです。

つまりは方程式のように書けば、人生=生き方+働き方×見方ということになるのでしょう。

どの国に生きていくかはその人が決めていますから、自分がありたい方へと素直に舵を切っていくのは、「分けない」という実践を続けていくことで実現していきます。いろいろと周りは言いますが私は信じる人生の道を歩み、「ありが帝国」を子どもたちのためにも広げていきたいと思います。

 

国家の未来

シンガポールに来て国家の繁栄を洞察していると学ぶことがたくさんあります。初代首相リークアンユーがこの国の工業の発展についてインタビューされたとき「わが国は、このように小さくて資源が何もないんです。ですから外国からきていただいたり、 工業国家になる以外に生きていく道がなかったんです。 資源が何もないことが、ここまできた秘密なんです。」と言いました。

ないものねだりではなく、あるものを探す、そしてそこに知恵を働かせたということです。これは組織マネージメントにおいても同じことで、ないからできないのではなくないなかでも知恵を出すことをあるものを創出するという起業家精神があります。

自分の持ち味に特化するということは、このないものばかりを直そうやないものばかりを修正しようとする発想ではなく如何にある部分を捨てて全体の中で自分が活かせるものに特化するかということに似ています。つまりは、自分の欲望や都合を優先せずに全体の中で自分を如何に活用してもらえるか、そうやって生きてきたということです。

そして国家の形成は簡単に行ったのではなく、時間をかけてじっくりと行ってきました。そのことについてこういいます。「要は急がば回れだ。過去につちかってきた習慣や既得権を捨てたがる人はいない。ただ、一国として存続するには、ある種の特色、共通の国民性をもつ必要がある。圧力をかけると問題にぶつかる。だが、優しく、少しずつ働きかければ、同化はせずとも、やがて融合するのがものの道理だ。」

重心を低くし、理念に向かって実践していかなければ今のシンガポールはありません。多民族多言語多文化が融合するこの国家の発展と繁栄は、時間をかけてじっくりと包み込んできた政策が今にいたるように思います。

世界の中でのHUBを目指し、この国にどうやって来ていただくか、この国をどうやって活用していただくかと、考えて尽くしてきたからこそこの国にくる外国人は快適に過ごしこの国の利点を活かしほかの国々とのビジネスを成功させているように思います。

そしてこうも言います。「わが国は国粋主義になろうとする傾向に抵抗する必要がある。考え方も行動も国際的にならなければいけないのだ。外国に行かせたり、外国人と交流させたりして、世界レベルに追いつくように、わが国の人材を育てる必要がある。」

人材こそが最大の資源であるとし、国防費の次に教育費をあてるほど人材育成に力を注ぎます。国家が何を優先しているのかを観ればその国の理念が観えてきます。この先は中国が台頭し、アジアは中国を中心にビジネスを展開することになっていきます。その時、必要なのはそのネットワークを駆使して如何にこのアジアでの自分の役割を担い活かすかということになってきます。

少し先の未来を予見しても、急速な少子高齢化の人語減の日本の未来においてこれからどのように私たちは多民族間と調和しいけばいいかシンガポールから学ぶことが多くあります。

引き続き、子どもたちのためにも未来のために今できることを学び直して遺して譲っていきたいと思います。

国家の理念

シンガポールに来て学校をはじめ様々な生活を観察していると直観するものがあります。それは理念があるということです。理念がある中で働く人たちや、理念が明確になっている中で動く人たちには活気があり、さらにどのように自分たちが行動し考えればいいのかがわかります。この淡路島ほどの小さな島が、この50年でここまで発展を遂げたのは初代首相リー・クアンユーの理念がはっきりと現れたということです。

シンガポールは歴史を振り返れば太平洋戦争のあとから食住もままならないほど貧困を体験し、その後、先進国の仲間入りを果たすまで様々なことを学び取り入れてきました。今では一人当たりのGDPも日本を抜きました。その改革の手法から周りからは独裁者だとののしられながらも、「志を持てば人気取りなど必要ない」と喝破し自ら理想の国家を実現するために今まで迫害を受けた国家からも学び、様々なことを融和していきました。

昨日から混ざり合うことを書いていますが、この混ざるには矛盾を受け容れた両義性のようなもの必要になります。その両義性は両義性をみても理解できるものではなく、矛盾を受け容れるには理念が必要なのです。

私も理念の仕事をしていてすぐにわかるのですが、多様な価値観を受け容れ、多様な文化多人種を融和していくには人々が納得するような確固とした理念が必要です。理念があるからこそこの国家がどのようにこれから発展していくかもわかりますし、リーダーが理念を実践するから国民もまたそれについていくのです。

私が視察する中でいつも大事にするのは、目に見えない部分をいかに観るかということです。それは人々の発言の中にどれだけ理念が浸透しているかを観ているのです。どんな組織であれ、普通といわれる常識を壊し、新しい常識をつくっていくのは理念を実現しようと実践していく人たちの揺るがない信念と忍耐です。

そういうものがある国家には、その理念を尊重して一緒に理念と共に生きる仲間が生まれます。国家運営においても、組織運営においても、その根本は常に普遍的な理念によるものだと私は思います。

シンガポールはこのまま、どんな時代の中にあっても国民を守ろうという意思を持ち理念が実践されていくように感じました。様々な問題はそれを実現するための一つの課題でしかなく、問題はすべて変革ための善いことになりますからこの先もまた新しいシンガポールを築いていくように私は思います。

日本を祈ると、日本はどのような理念でこの先の未来を築くのでしょうか。

先史先祖から連綿と紬ぎ繋いできたものを私たちはきちんと受け取りそれを日本の人々と一緒に実現していく必要を感じています。そのためには日本人の一人一人が魂の目覚めのような気付きを自覚する必要を感じます。天皇がいて、理念を守ってくださっていますから私たちは気づくかどうかを問われています。

最後に、シンガポール初代首相リー・クアンユーの言葉です。

「後悔はない。私の人生のほぼ全てをこの国をつくりあげることに使った。それ以外に私がする必要のあることなどなかった。私が最後に得たものは何か。成功したシンガポールだ。私が捨てなければならなかったものは何か。私の人生だ。」

理念に生きる人があって今の現実がある、どう生きるか、その生き方が未来ですから未来のために生き方を見つめて生き方を見直して生き方を変えていきたいと思います。

混ざり合うこと

昨日からシンガポールに来ています。前回の教育視察を経て、今回はより具体的に学校内部の生活や寮、そのほか留学生たちの状況、さまざまなことを深められると思います。

シンガポールは、中国系、マレー系、インド系、その他、町に出てみればすぐにわかりますがここは非常に多くの多国籍の人たちが暮らしています。日本のような島国はあまりそう外国人が多いというイメージはありませんが、このシンガポールはいつも様々な人々が混ざり合っている感じがします。

私がこの国に最初に興味を持ったのは、10年ほど前にブルーオーシャン戦略の講演で来日したチャン・キム教授がこのシンガポールは国家としてこの戦略を取り入れているという話でした。大きさ的には東京23区ほどの広さしかなく、資源も乏しいこの国は自分たちの持ち味に特化することでアジアの優等生と呼ばれるほどの経済大国になり、今の立ち位置を手に入れました。

確かにいろいろな人たちがここを出入りし、様々な国へと移動していきます。HUBとしての要素は非常に強く、以前訪問したオランダにも通じるところがあります。自分を通過してそれを混ぜていくという文化は、寛容さが必要です。一つの価値観だけで縛りその価値観のみを強烈に押し付けるという文化ではこの混ざり合うことができなくなります。

私はこれからの時代は、より多国籍他民族が混然と一体になっていくように思います。ボーダーレス、国境のない世界になればなるほどにあらゆる価値観を受け容れて人類共通の大きなビジョンに導く人々が世界をつなぎなおしていきます。

そのためには、一円融合といって「とらわれない・こだわらない・こしつしない」といった融通無碍の境地を持った人たちが、それぞれの持ち味を発揮していく環境を用意して人々の善きところを引き出してそれを合わせることができるように導かなければなりません。

これからの教育においては、まさにそのような混然一体の中で一円融合しつつ理念を優先できるような人材が必要だと私は思います。混ざれない人というのは自分や自我を優先して周りを変化させようとする我儘な人です。自然界は混ざっていないものなど一つもなく、すべての存在は混ざることで成り立っているのです。

自分ばかりを優先しては混ざろうとしないでは、とても一円融合し融通無碍になっているわけではありません。自分よりも理念が優先できる人はどんなものでも混ざっていけます。

言い換えるのなら「これはこれでいい」とその時々の今を、すべて最幸だと受け容れる感性を持つということです。今が幸せな人は、どんなものとも混ざっていけますが今が不幸だと思っている人は何にも混ざれません。

人生は天にお任せし、天命を信じ来たものを選ばず人事を尽くしているからこそ何があっても好いことだと転じられるように思います。私にとっての混ぜていいくのは転じ続けていくことと同じです。

この国から日本を顧みて、改めてこれからの教育の方向性を確認していきたいと思います。

 

和やかさとは何か

人は和やかさというものを感じるようにできているものです。例えば、一つ一つ手作業で作られたものには和やかさがあります。また料理一つでも、丁寧に丹精を込めて作ったものにも円やかさや和やかさを感じます。

大量生産で機械で製造したもには、その和やかさというものがありません。不思議なことですが、この和やかさは私たちは無機物にかかわらず有機物にいたるまですべてこれを直観できるようになっています。

この和やかとは何か、それを少し深めてみようと思います。

この和やかさとは私の定義では、仲が善いということです。つまりは仲睦まじい姿を見ると私たちはそこに調和を感じます。争わず競わず、お互いに和している姿にわたしたちは和やかさを感じています。

手作業で手入れするものがなぜ和やかに感じるのか、それは素材と対話し、素材をどのように活かせばいいか、お互いに対話をしながら丁寧にお互いに作り上げていくからです。これはモノづくりでも料理でも同じで、そのものの素材を大事にすればするほどにお互いに活かしあおうとします。それを人々は和やかであると感じるのです。これは人間関係も同じで、一人ひとりを尊重しお互いの持ち味を活かしあう仲間同士はとても和やかな雰囲気が出ています。

しかしこの逆に、素材を無視し一方的に作り手の都合で作られたものは不調和な感じがして和やかさは感じません。和の反対語は、戦や差という言葉もあります。お互いに仲が悪くなり持ち味を活かさず一斉画一に単なる物のように扱われるとそこには不和が発生します。

不和なものに囲まれていきていると、次第にその不和の雰囲気が感性を鈍らせていきます。自然というものはみんな調和しています。なぜならお互いに持ち味を活かしては争わないからです。お互いの特性を活かしながら、お互いが助け合っていきています。食べ食べられるものも、本来は助け合っているのであり争っているのではありません。

私たちはこの「和」の心を何よりも大切に生きていくように親祖、天照大神のときよりずっと重んじてきました。そこには素材を大事にするように、仲睦まじくお互いの特性を活かすようにと理念が働いていました。

今は経済重視で大量生産大量消費の中で、その大事にしてきた理念から遠ざかっているように感じます、もういちど、私たちが永い時間親しんできたこの「和」の理念を取り戻す必要があるように感じます。

そのためにも日ごろから持ち味を活かす、個性を伸ばす、異なりを味わうといった実践が必要だと感じます。和やかに生きていけるよう、世の中の刷り込みを取り払っていきたいと思います。

普遍的新しさ

先日、聴福庵の110年の傾きを直しましたが様々なドラマがありました。新しい道具はほとんど役に立たず、昔の引退した道具たちを探して古民家を立て直していきました。また年季の入った道具たちを使うのは、年季の入った年輩の職人さんたちです。紳士的な人たちが、家のあちこちを手触りで感覚で掴みつつ力を合わせて直してくださいました。

今の道具は、ほとんどが作ることと壊すことのためだけに用意されています。そこには修理や修繕をするような昔の知恵でつくられたものがほとんどが引退して古い道具もそれを使う知恵も一緒に失われてきています。

有り難いことに今回は、その昔の道具が大切に保存されていた職人さんからお借りできその道具の使い方を知った職人さんの御蔭で立て直せたのです。

ここから私は古いと新しいということの本質を学び直しました。単に時間的経過で古い新しいで使うときの新しいというものと、普遍的な価値で古い新しいというのはまったく意味が異なります。前者の新しいは古いものを否定する新しさであり、後者の新しいは普遍的なものをいつまでも維持する新しさであるということです。

時間的な経過で古いものを新しくしたからといってその新しいはいつの時代も普遍的な価値を持つものではありません。そんな新しいものに飛びついていたら古いものは否定され何も残らなくなります。ごみのように捨てられていく古いものというものは、それは単なる劣化であり価値はありません。そんな古い新しいには時代を生き残る本質は維持できませんから、新しさを追えば追うほどに普遍的価値は消えていきます。

しかし普遍的価値をいつまでも維持するために、古いものを新しくするというのは温故知新の本質でありその時の新しいというのは普遍的価値を守ったということです。普遍的価値を守るためにどのような道具を維持していけばいいか、どのような生き方を保持すればいいか、それは普遍的価値にあわせて時代の変化と共に自分自身を変化させていく新しさというものがあります。

古いか新しいかという言葉だけでは、単に時間的なものだけを考えて自分を換えようとしない人が多くいます。実際には、普遍的価値を保つためには常に自分自身が普遍的な価値を維持するために時代の潮流や環境をよく学び直し、いつまでもなくしてはならないものを守るために様々な変化に合わせて改善していくことが新しくするということなのです。

日々というものは、油断をするとあっという間に風化していくものです。それが風化しないようによく手入れをし、よく磨き、そのものが大事に守られるように外側からやってくる普遍的価値を崩し壊すような人間の欲をよく制御し、自我欲に打ち克ち、本来のあるべき姿を守り通していくことが真に「新しい」ということなのです。

古い道具を用い、古い職人さんたちが、古民家を直す姿に私は普遍的新しさを垣間見ることができました。伊勢神宮の式年遷宮然り、法隆寺大工の改修然り、その人物と技術、道具の中には永遠に新しさを放ち続ける普遍的新しさがあるのです。

今回の学びから、何を守り、何を新しくすればいいかを学び直しました。

社業につとめ、子どもたちにその本質を譲り渡していきたいと思います。

悠久の刻

先日、聴福庵に苔庭づくりを行いました。世界でも苔を庭に用いる文化があるのは日本だけだといわれます。発見されているだけでも世界で約2万種、日本ではその1/10に相当する約1800種が知られています。コケ植物は蘚(せん)類、苔(たい)類、ツノゴケ類の3つに大別できそれぞれを別の門に分類する場合もあります。日本の高温多湿の風土において苔の多様性は顕著であり、ありとあらゆる苔たちが生息し山から川、ありとあらゆるところで植生しています。

もともと苔の語源は「木毛」であり、元来は樹の幹などに生えている小さな植物の総称だったとする説が有力です。古来から日本庭園や盆栽で利用され、日本の国歌「君が代」でも歌われます。この苔という漢字が日本に伝わった当時は苔を主に藻を指す言葉として用いられ、コケについては「蘿」という漢字が当てられている歌もありました。他にも苔は菌類の一種でキノコと同じように扱われている地域もあります。

植物の状態でもしも苔を分別するとすれば水中にいる藻と、地上にいるシダ植物のちょうど中間に位置しているともいえます。根っこも茎ももたないこの苔たちは空気中の水分を取り入れてゆっくり繁殖していきます。半日陰を好み、乾燥を嫌います。神社の奥深い杜の中や、森林の深い渓流の水辺には苔が繁殖しています。

この苔の持つ深い緑に私は強く惹かれます。土を覆い、水分を保ち、周りの木々や生き物たちの潤いになる苔の生き方は決して大きくなくても目立たなくてもじっくりとゆっくりと悠久の年月を語ります。

寺院の苔庭や、神社の大木と共に存在している苔を眺めると私はいつもそこにしっとりとした穏やかな悠久の刻を感じます。庭を観ては悠久の刻を感じられる世界というものに憧れ、聴福庵の庭を苔で飾ることにしました。

水の流れ、水の音、水の輝き、水の波長、水の気配、いのちの水に包まれる苔。

こういうものを緩やかに穏やかに感じられる感性こそが和の心を呼び覚ますように私は思います。日本人が古来から悠久の刻と共に愛でてきたしっとりと瑞々しい赤ちゃんのような純粋な真心のような苔、日本の文化、日本の心を子どもたちにもそのままに譲り遺していきたいと思います。

「日本国家」

君が代は

千代に八千代に

さざれ石の 巌となりて

苔のむすまで

心のアンテナ

人は誰しも心のアンテナのようなものを持っていますが、そのアンテナが鋭敏になっている人と鈍っている人がいるように思います。心に浮かんだことを信じてその心を大切にする人はアンテナが次第に鋭敏になります。

しかしこの反対に心に浮かんだことを自分でかき消したり妥協しているうちにアンテナが鈍ってくるように思います。

自分の心の声を聴く人は、自分の心がどうしたいのかどのようにおもっているのかという本心を聴けます。しかし感情に呑まれている人は心の声を聴くよりもその時の自分の一時的な感情で欲を優先してしまい心の声が歪んでしまいます。

心の声というものは、自分の感情と心を澄ませていくことで聴こえてきます。雑念を捨て、本当は何かを見つめ、本質であろうと魂の重心を低くして矛盾を内包する強さを持つとき心は感応してきます。

また心は常につながりやご縁を感じています。そのつながりやご縁をたどっていくかのように、心から聴こえたメッセージを受け取れるようになるにはご縁を活かし、ご縁に生き、一期一会に日々の出来事の意味を感じ続け精進し続けているとそのアンテナのチューニングがぴったりと合ってきます。

このチューニングとは何か、それはラジオのチューニングを合わせるように突如としてある音階や内容が流れてくるのです。

不思議なことですが自然界では、このような太古から流れている周波数がありそれを受け取れる人と受け取れない人がいるだけです。心を澄ませていけばいくほどに、その周波数に自分からチューニングを合わせていけるように思います。

今の世の中は、自分に合わさせようとばかりに躍起になり感情に呑まれて他人にばかり矢印を向けては協力しあわない人が増えたように思います。我儘に自分勝手に思い通りにいくことばかりをやっていたらチューニングを合わせていくことができなくなります。

自分からチューニングを合わせていくというのは、自分の方をさらりと変えていくということです。素直な心で謙虚な気持ちで感謝の生き方を実践する人は、自ずからある一定の周波数の中で生きていくことができるように私は思います。

相手を尊重したり、お陰様のチカラで周りからいつも助けてもらっているという自反慎独している人は周波数を合わせて心の声が聴こえているのでしょう。

日々は怒涛の如く時間に管理されながら動かされていきますが、心は時間とまったく別の次元に存在していますからその心の声を聴くことで本質や初心、理念に立ち返っていきたいと思います。

義は勇なり

時代は変わっていく中で、誰かがやらなければならないことがあります。その最初の誰かになるのは大変なことですが、その誰かはただ待っていても顕れませんから自分がやるしかありません。

人は主体的に生きるといっても、その根底には道徳がなければならないように思います。道徳がある人は、積極的な人生を送ります。なぜなら先ほどの誰もやらないのなら自分がやると決意して行動することができるからです。

これは強い意志と、行動力が必要です。それに義憤や大義、守ろうとする優しさや苦労よりも理想のためにと自分を尽くしていくことでもあります。

組織においても同じことが言えます。誰かがやるのをいつまでも待っている人、誰かがやるまで何もしない人、誰かがやっていても自分はいつまでもやらない人、つまり炭でいえばいつまでも不燃しない燻ったままの状態ということです。なぜここに火が入らないか、なぜ燃焼しないかはそうやって自分の大切な人生を誰か任せにして生きてきた生き方が染みついてしまっているからです。

学校に入り、エスカレーター式に言われた通りにやってきて評価されてくると自分は自分という考え方が刷り込まれたりします。自分ばかりを守ることに意識を使っていては、さきほどの理想のために自分を使おうという勇気が湧いてきません。

この時代、問題がたくさんあったとしても誰かがその最初の一歩を踏み出し扉を開けて風雨に晒される覚悟がなければ大事なものを守ることができません。その時代時代のそういう大義に生きた人たちの生き方のお陰様で私たちはその大義に触れて道徳に回帰します。

いくら大事だとわかっていても、守る力がなければそれは存続できません。みんな誰もが自分にはできないと思っているものですが、自分の意識の中で見過ごせないと思うものがあるのならば論語の「義を見てせざるは勇なきなり」と自己発奮、啓発して天から与えられた使命があると信じて挑戦することだと私は思います。

そういう日々の連続こそが子どもたちに遺し譲りたい生き方になり、その真心は必ず同じ大義を持つ仲間や同志へ伝承されていきます。

引き続き、社業をまい進し自他一体、道徳一致に取り組んでいきたいと思います。