真菰のしめ縄

英彦山守静坊のしだれ桜に、真菰(まこも)でできたしめ縄をご奉納していただくご縁がありました。3年前より、本来の山の神様の鎮座する依り代としてのサクラ(サ=山、クラ=坐)としての存在を大切にみんなで見守り合っていきたいという願いを籠めてお願いしていたものです。

今年のサクラ祭りのタイミングでしめ縄をご神木に配置できたことにとても有難く仕合せです。本来、サクラという木は私たちの先祖たちにとっても特別な存在でした。お花が美しいだけではなく、お山の神様が宿りそれが田んぼに降りてきていただき稲や食べものを恵み、またお山に還りご先祖様の魂たちと一緒にいつまでも見守ってくださっていると信じていました。

守静坊では、この桜の季節にご先祖様たちを偲び一期一会に場で再会して供養するという神事を行っていたといいます。それを甦生させようとこの数年、取り組んできましたがご縁のある方々が次第に集まり、また協力してくださっている御蔭で素晴らしい場になってきています。

今回、真菰のしめ縄も唯一無二で見た目も薫りも雰囲気も凛としていてご神木のしだれ桜に全く見劣りすることなく品が宿ります。

そもそも真菰という植物は、麻と同じく古来から日本人が大切にしてきた神聖な植物だといわれます。最初に登場するのは、古事記の天照大神の岩戸隠れのお話にある真菰のしめ縄です。最初にこの真菰を植えたのは素戔嗚尊だともいわれます。伊勢では麻を今でも大切に守り、出雲では真菰を大切にしているともいわれています。出雲大社では今でも真菰のしめ縄を使っています。

そしてしめ縄というのは、神話で岩戸から出てきた天照大神が再び岩戸に引きこもってしまわないようにしめ縄を張って入り口を塞いだのがはじまりです。そこから神域にはしめ縄を張るようになって今があります。蛇が和合しているようなしめ縄を観ると、助け合いや協力、そして仕合せを実感するものです。

私は宗教や教義でこういうことに関心があるのではなく、日本人のご先祖様やかつての暮らしで大切にしてきた理由を紐解き、子孫や未来へと伝承したいと願っているから取り組んでいるというものもあります。これは日本人の初心を大切にしてご先祖様からの遺徳や恩恵に感謝を忘れないで生きていきたいと願うからです。

サクラの木もまた、お山に祈ることもまた私たちのご先祖様がいのちのお水を与えてくださっている場を守り、そして一年の暮らしの廻りやいのちの循環を見守ってくれる杜や植物たちに感謝しようとした生き方を忘れないでいようとする象徴でもあります。

真心や徳は、同じように同じ心で実践するからこそ伝承します。時代が変わっても、私たちは何度でも生まれ変わります。ご先祖様は今の自分の心身に共に存在していて、眼を閉じるとその存在を実感するものです。

子どもたちのためにも、丁寧に徳を積み、美しい伝統を繋ぎ、真心を伝承していきたいと思います。

歴史の花

いよいよ今年も英彦山の宿坊「守静坊」の境内にある樹齢220年以上のしだれ桜が開花をはじめました。一本桜の漂わず幽玄で幻想的な雰囲気と相まって唯一無二の舞台が研ぎ澄まされていきます。

現在、日本全国にはソメイヨシノといったクローンの桜があちこちに開花していますがこの守静坊のしだれ桜は貴重な野生種の一つで正式名称は「一重白彼岸枝垂桜」(ひとえしろひがんしだれざくら)といいます。しだれ桜というのはもともとエドヒガンという桜の突然変異によって枝垂れるようになったといわれます。

桜は今から約1200年前くらいから日本人の真心に寄り添うお花として大切に愛でられてきた存在です。梅や桃は中国から渡来したものですが桜は日本の古来からある在来種でまさに「日本人の故郷の花」です。

この守静坊のしだれ桜は、江戸時代にその当時のご当主であった真光院普覚 (1765〜1849)が京都の祇園のしだれ桜を株分けして持ち帰り植樹したものだと伝承されています。

祇園のしだれ桜は幕末までは祇園社の執行であった山科家の宿坊、「宝寿院」の庭に植えられていたものです。明治になり神仏分離令により宝寿院が失われると祇園枝垂れ桜を医師で化学者の明石博高が金五両で買い取り今では円山公園を象徴する桜となっています。

今の祇園にあるしだれ桜は昭和22年に枯死したため2代目になりますが守静坊のしだれ桜はその兄弟桜としてあの当時から枯れずに今も英彦山で生き続けているのです。時代がどうなったとしても共に遺志をつなげていこうとする偉大な歴史の浪漫を感じてしまいます。

先月、ご縁あってその「宝寿院」のご子孫とお会いするご縁がありました。このしだれ桜を通じて220年の時を越えて生き続けている歴史の中にあることの仕合せを感じました。

英彦山で「決して忘れないぞ」と美事な歴史の花をいつまでも咲かせてくれることに心から感謝します。

 

変化の徳

英彦山の守静坊では、梅の花が満開です。今年は不思議なことに、梅と桜と椿と三椏がまったく同じタイミングで満開になっています。本来、梅はもう少し早めに咲いていますが今年はだいぶ開花を遅らせてきました。その分、桜の方も少し遅れているといいます。

しかしよくよく経過を観察すると昨年のことから色々と変化していることを感じます。昨年は、梅の花が咲くころに寒波がきて虫媒花である梅の花に虫が飛来せずほとんどが受粉できなくて梅の実ができませんでした。

毎年大量の梅ができ、梅干しづくりができるのですがほとんど収穫できずに終わりました。梅からすると、なぜこうなったのかを自然から直感し今年は少し遅らせることで虫が飛来する時機に合わせたようにも思います。そして虫たちもまた同様に、早く冬眠から覚めるのではなくじっくりと時を待って目覚めています。

そういう私の方も、昨年のサクラ祭りで学んだことを改善し今年は供養を中心に場づくりと関わる内容を増やし調える方法や仕組みも変化させています。

不思議なことですが、同じ場においてみんなで「変化」しているのです。それは私だけではなく、虫や鳥、木々や家、場全体においてそれを行っています。これはみんなで変化を優先して好循環しようと精進しているからです。

自然というものは、常に循環を已みません。

そしてその循環を好転させるものは、変化です。変化することこそが好循環を促進していきます。変化とは、學ぶことでありそれまでのこだわりや執着を捨てて全体快適に合わせて時を待つことです。

時は思い通りには進みません。しかし変化は思った以上の好機に巡り会います。有難いことに、自然は何度でもチャンスをすべてのいのちに与えているのです。

子どもたちには、この先の時代が大きく揺らいでも安心して暮らしていけるようにその時々で自然との調和や好循環することの変化の徳を場で伝承していきたいと思います。

掃き掃除と調和

昨日は、宿坊周りと参道の掃き掃除をしましたがあまりにも落ち葉の多さに一日かかっても終わりませんでした。不思議ですが、宿坊の周辺の掃き掃除をしているはずがまるで山全体の掃き掃除をしているような感覚になります。

掃いても掃いても落ち葉はあり、掃けば掃くほどに他の落ち葉が気になります。落ち葉は、そのままにしていると川の流れに影響が出たりあるいは道が乱れたり虫が大量に増えたりもします。滑って転ぶのもよくないので、人が歩くところのものは取り除いていきます。強風に吹かれると、排水溝に落ちてしまうと石垣が壊れたりもします。

むかしは、まだ周辺に宿坊があったのでみんなで家族で掃除して綺麗にしていたのでしょうがほぼ一人でこれをやるとなると大変な時間がかかります。

人手が多いと、協力しあってやっているうちに綺麗になります。一人でするとなると、終わりが見えないほどの量になります。自然が豊かであるというのは、それだけ調和があるということです。

本来は人もまた自然の調和の一員でした。その調和を乱さないように、宿坊周辺をそれぞれで調えていたのです。

現代は人の手入れが入らないと、宿坊周辺も壊れてきています。建物は最初に壊れますが、それ以外の石積みをはじめ排水路、階段、道も壊れます。これは壊れたと見えますが、実際には自然が調和しようとしたのです。

先ほどの落ち葉も本来は自然の調和から発生するものです。しかしそこに人が住むのだから私たちも調和の一員としてしっかりと循環の中に入って貢献しあう関係を結んでいくしかありません。それが調和の素晴らしさであり醍醐味だからです。

人間が協力し合うのは、調和の大切な徳目であり自然循環の仕組みの一つです。

宿坊での活動が、英彦山での調和を育めるように丁寧に掃き掃除を続けていきたいと思います。

孤高の境地

老舗には、今でも代替わりというものと隠居というものがあります。これはその代のご当主が隠退して次の代に暖簾を守ることを託し譲る行為でもあります。むかしは、早い段階で隠居して次の代を見守りました。この隠居というのは、家制度を持つ日本の伝統的な仕組みの一つでもあります。

生前のうちから家を支える大黒柱を次の代に交代するのです。家を支える中心から離れたところから家を見守る役割に代わるのです。この仕組みは、私はとてもいい伝統文化であると感じます。

現代では、あまりこの代替わりや隠居というものが伝統的なものとしてではなく単に会社であれば財産や代表者、責任者が交代するという具合なもので理解されています。

しかしかつては家という単位で、家族として生計を立て一族単位で生業をする頃はこの代替わりはとても大切な行事だったように思います。幼い頃から次の代のために指導され、その機会に触れることで一家を守る事、暖簾を守る事、基本や基盤、初心が心身に沁みこんでいきます。

自分の代になることの意味や価値、使命も育ちます。最初から柱の一つとしてどう振舞うか、大黒柱として何が大切かを學ぶのです。

そして隠居する側は、より目指した孤高の境地に挑戦していくことができます。本来の自分、自己の実現、自分らしい人生の集大成に入ります。

この孤高の境地とは、「孤高」は世俗から離れて超然としていることをいいます。しかしこの世俗から離れてというのは、世間を捨てるということではありません。世間を超えるというのが私の感覚です。

これは仙人の境地でもあり、本当のこと、真実を見極め見定めるあるがままの自然体になるということです。そういう境地でなければ、代々を見守ることはできません。永続するような伝統は、常にその孤高の境地をもった人物たちによって見守られ維持されてきました。

隠居や隠退というのは、単に世間を捨て世俗を捨てたのではなく実際にはその逆で世間を見極め世俗を究めたということでもあります。

孤高の境地とは、何ものにもとらわれないであるがままの自然、かんながらの道に入るということでしょう。

これからの一年、隠れることの本質を探究していきたいと思います。

日日是試煉日

何かがはじまるとき、試練(試煉)が訪れます。つまり試練とは、正対することであり、実践するということであり、挑戦するということです。

試練(試煉)のことを辞書でひくと、「信仰・決心のかたさや実力などを厳しくためすこと、能力や信仰、気持ちの強さなどを厳しく試すこと。また、その時の苦難。」とも書かれます。

この試練(試煉)の字にある「練」には「繰り返し行う」「精練する」「磨く」という意味があります。「煉」には、金属や心身をきたえることやねり固めることを表します。練習、練磨、鍛錬、修練、そして煉瓦や洗煉などもあります。

練は、煉の書き換え字で使われますが共通するものはどちらも「磨く、鍛える、溶かす、ねり固める」などの意味になります。

「試」の方は、言ったことをはじめるという意味です。試験なども試みる、確かめるというイメージです。有名なものに「試金石」というものがあります。これは貴金属の純度を調べるのに用いる黒色緻密ちみつな玄武岩やケイ質の岩石のことをいいます。この石にこすりつけて条痕色を既知のものと比較して金・銀の純度を試験したことから言われます。

つまり「純度」を試し確かめるのです。

何かをはじめるには、根源としての「純度」がいります。その人の覚悟や決心が試されます。純度がどれくらい澄んでいるのか、純度がどれくらい濃密であるか、純度が玉のように美しいかどうか、真善美が試されそれはもはや信仰とも呼べるほどにです。

試練が来たというのは、純度を磨き上げる時が来たとも言い換えられます。

この世に私たちが誕生し、生き続けるというのは試練の真っただ中にいるということです。だからこそ、誰にでも「生き方」というものが何よりも優先され大切になるのでしょう。

どのような試練を迎えて、どのような生き方を実践するか。

純度が全てです。

私たちは有難いことに、親祖より今に至るまで先祖代々からずっと純度を磨き煉りあげてきました。終わりはなく、永遠に続く道の途上です。

日日是試煉日と、心の持ち方を味わって歩んでいきたいと思います。

千里同風

昨日、ある方から「千里同風」と書かれたろうけつ染めの軸をいただく機会がありました。この千里同風は、はじめて観ましたがよく禅語で使われているものです。その時は、君子千里同風ともいうそうです。これはそのまま読むと「千里離れた遠い地域にも同じ風が吹いている」という意味です。ただ禅では、同じ心でいることや結ばれていることなどを示すといわれています。

また中国には、千里同風と似た言葉で万里同風というものがあります。これはどちらも世の中が平穏に治まっているという意味ですが、万里の方がより広く厚く平穏に治まるという意味です。

そもそもこの同風の「風」とは、風俗・教化を意味します。つまりよく天下が統一されて平和に治ままればはるか遠くまで風俗・文化が同じになっていくということです。つまり「場」において、同じように治まるということです。

場所が離れていても、よくよく場を磨き治めていけばその地域の風土・文化はさらによりよく醸成されていくということです。

この同風というのは、場は異なれど同じように徳の教えが伝道されていますよ、あるいは伝統文化が伝承されていますよという意味でしょう。

同じ志を生きていれば、どこにいても同じように感じ、同じように苦労し、同じように自己を磨いている。変わるものがあっても、同質ものは変わることはありませんという意味にもなるのでしょう。

そこからどんなことがあっても、風は変わることはないとも読めます。風はいつも同じ風、つまり風を感じるままでいるということです。

文字は、その人の心の在り方やもち方でどのようにでも解釈できます。禅語が美しいのは、文字を自然にあるがままに感得するからかもしれません。日本には美しい風景や風土、そして風俗があります。

私なりの千里同風の妙味を深めていきたいと思います。

 

錫杖の暮らし

山伏たちが持っている道具の一つに錫杖(しゃくじょう)というものがあります。これは起源はインドからといわれます。托鉢の際に、食べ物などを入れる器を下げて持ち運ぶものだったといわれます。

日本では山岳信仰などで山中にて修行する人たちが、獣や毒虫よけ、または音による供養として道を歩む伴侶として大切に用いられてきたといいます。

錫杖を梵語ではカッカラ (खक्खर 、 khakkhara)といいます。これは漢字でいうと有声杖、鳴杖、智杖、徳杖、金錫ともいいます。銅や鉄、錫などで造られた頭部の輪形に遊環(ゆかん)が4個または6個または12個通してあり、音が出る仕組みになっています。この錫杖のこの遊環の金具がシャクシャク(錫々)という音がなることから錫杖の名がつけられたともいわれますし、実際に錫で鍛造するから錫杖となったともいいます。

錫杖のお経に「九條錫杖経」というものがあります。これを調べると「ひとたび錫杖の音を聞けば、怠け者は精進し、戒を破るものは戒を守り、不信心な者は信心深くなり、貪る者は施しをするようになり、怒れる者は慈悲の心を持つようになり、愚痴を言う者は智慧を授かり、傲慢な物は恭しくなり、心が定まらない者は集中するようになり、たちまちに菩提の心を起こすようになる」と記されます。煩悩を取り払い、智慧を得ることができるという功徳があるということです。

錫杖の上部の遊環には意味があります。通常は1本の錫杖に付ける遊環の数は4個・6個・12個と決められます。その理由は4個は四諦を顕し、6個は六波羅蜜を顕し、12個は十二因縁を顕します。

4個は「声聞の錫杖」、6個は「菩薩の錫杖」、12個は「緑覚の錫杖」とも呼ばれています。

声聞の錫杖の四諦とは、苦諦、集諦、滅諦、道諦のことです。そして菩薩の錫杖の六波羅蜜とは、六波羅蜜、布施、持戒、忍辱、精進、禪定、智慧のことです。縁覚の錫杖の十二因縁とは、無明・行・識・名色・六処・触・受・愛・取・有う・生・老死のことです。

錫杖はその煩悩によって修行し、自己を磨こうとする一つの磨杖です。

私は錫杖の御蔭さまで人生がとても豊かになりました。引き続き、錫杖を持ち丁寧に暮らしの中の遊行を歩んでいきたいと思います。

杖の伝承

遊行を通して山中を歩いていると、錫杖の音が響いてきます。杖を頼りにするというのは、不思議な境地でまるで人生の歩き方を導いてくださっているかのように感じるものです。

杖というのは、いにしえのむかしから人類には多大な影響を与えてきました。儀式的な権威や宗教儀礼のものとしてであったり、実用的に体が弱った時に支えるものであったり、登山や歩行の補助にもなりました。

実際には、どれも「頼りになるもの」「信頼の象徴」として使われてきました。この杖は、単なる木や棒ではありません。つまり頼りにするとき杖となります。

杖の歴史は古く、一説には人類が最初につくった道具が杖だといわれています。神様の依り代として考えられており、日本でも杖は古墳から出土しています。日本の文献で杖が初めて登場するのは「古事記」の上巻で「御杖(みつえ)」と出てきます。神聖なものとして「御(み)」がつきます。

世界各地でも杖は神様や王様、部族を纏めるものが持つものとされていました。杖もご神木でつくられたり、最も神聖なものとして崇められました。

権威の象徴としてのはじまりは古代ギリシャ神話の「アスクレピオスの杖」だともいわれます。そしてモーセなどの預言者も杖を持ちます。他にも魔術や魔力を秘めたものだとして医者をはじめ巫女や魔女なども杖を持ちます。

この杖は、人類にとって単なる身体補助の道具ではないことはすぐにわかります。

現在、杖を使って人生そのものを學ぶための遊行を開始していますが山中にて杖を持つほどにその意味深さを再実感しています。

子どもたちのためにも、いにしえから続く真の意味を伝承し、人類が何によって導かれてきたかを見守っていきたいと思います。

 

同行コンサルティング

コンサルティングという言葉があります。この言葉を調べると語源は、ラテン語の「consultare」だといいます。この意味は「共に話し合うことや協力して意見を出し合う」という意味だとあります。そして「consult」という言葉を分解すると、「con(共に)」と「sulere(取る)」とあり、共に座り考える、また相談するという意味です。

つまりは、一緒に考えて共に歩むということがその言葉の本質です。

世間でいうコンサルティングの仕事は今では多岐に及びます。日常的なビジネスなどでは様々な定義も分類もあります。例えば、一般的には専門的な知識があり客観的に分析したりアドバイスをしてクライアントを導くような仕事。または、具体的に組織の人間関係を含む経営課題を解決に導くために仕事などもあります。

私の場合は、「見守る」という実践を仕事にしてきましたから見守り合う関係を通して一緒に取り組み伴走するうちに次第にコンサルティングの方といわれるようになりました。

そもそも誰かの人生に大きな覚醒や気づきや影響を与えるということは、共に成長していくということで発生します。共にお互い様と御蔭様の心の関係を結んだら、一緒に成長しあっていく。成長する人同士だからこそ自他が一体になりお互いの成長する姿に刺激されることで共に高め合っていくことができるものです。これは自然界も同様に見守り合う中で育ちあいます。

教える側も教わる側も本来は本質として表裏一体の存在であり、これは同志であっても師弟であってもお互いに深い尊敬と成長しあう関係があって成り立っているものだからです。

そして見守る時に最も求められるのは、心を寄り添うという伴走型であるということです。この伴走というのは、共に走っているという関係です。単なる並走ではありません。むしろ見守りに近い別の私なりの言い方では、「同行」ともいいます。この同行も、一緒に行動する、同じ道を歩むという意味です。また四国八十八か所巡礼に同行二人(どうこうににん)という言葉があります。この「同行」と「二人」を合わせた「同行二人」という言葉は、巡礼者が弘法大師空海の生き方、智慧、そして教えや精神を学び一緒に道を歩んでいくことを意味するといいます。

私は本来のコンサルティングという生き方はこの同行二人にこそあるように思います。そして伴走するというのは、同じ心で同じ理念で共に一緒一体になって取り組むということです。

そうすると、一般的なコンサルティングのように専門家による部分最適のみをビジネスのためにやるのではなく常に「全体最適で一緒に人生を生き切るという実践」が必要です。つまりは、実践を通して貢献する。自分の体験や経験や研鑽がそのまま、一緒に同行する相手の成長の糧そのものになるということです。お互い「道」に導かれるように歩んでいくということです。そこには偉大な「場」が誕生します。

こういう関係は、一生涯のうちに滅多に巡り会えることではありません。同行同時のように、同じ人生をシンクロさせるような一期一会の関係を築くことです。一般的にはあまりにもリスクも高く、効率もわるいので世間的なビジネスにはあまり向かないかもしれません。しかし、そもそも人は利他や貢献、そして共生をしたいと心から願うものです。自然にコンサルティングになるのなら、ほとんどはこのような同行二人の境地に入ると私は思います。そして本来の幸福を考えるのならば、私はやはりこの「同行コンサルティング」にこそ深い共感を覚えます。

子どもたちのためだからこそ、子孫に恥ずかしくないような仕事を遺していきたいと思います。