美しい合理性

美しい合理性という言葉を、以前ある方に教えていただいたことがあります。合理というものは、理に適っているという意味や、目的に合っていて無駄のないという意味、つまりはシンプルであるともいいます。

シンプルなものは、そこに美しさがある。私たちはそれを美意識と感じることができるということでしょう。これは別のものでは、自然が同じものでしょう。自然はすべて道理に適っています。道理に合わないことはありません。自然は一切の無駄もなく、そこにゴミ一つ出ることはありません。逆に合理的ではないというのは、無駄もあって目的もズレ、道理に外れてゴミも出るということです。つまり何か循環しないものが発生しているということでしょう。

美しいものというのは、地球全体の姿でありそうではないものは地球から外れたことをいうのかもしれません。何が地球や宇宙の理に適っているのかを分かるというのは、地球と共生しその循環の一部としてのお役目を全てに全うしていることが合理ということになります。

また共生というのは、単に一緒に生きているだけではなくお互いの徳を存分に発揮してイキイキするということでもあります。人間であれば、互譲互助している姿に美しさを感じるものです。

この美しさというものの表現には、透明で澄み切ったものを感じる感性を感じます。簡素さや清浄さ、純粋さや真心に人が美しさを感じる理由はそれが合理性というものと結ばれているからでしょう。

まだまだ美については、深めていきたいことがたくさんあります。何が美で何が醜いのか、美醜の別を自然から学び直して美しい合理性を磨いていきたいと思います。

 

 

米百俵からの学び

佐久間象山の門下で二虎と呼ばれた人物に吉田松陰(寅次郎)と小林虎三郎がいます。どちらも志と教育を実践することにおいて魂を磨き上げた人物です。吉田松陰はよくこのブログでも書いていますが、小林虎次郎においてはほとんど書いたことがありません。少し深めてみようと思います。

もともとこの小林虎次郎という人物が世の中で有名になったのは山本有三の戯曲、「米百俵」です。この戯曲は、小林虎三郎に関する現地の聞き込みなどの詳細な研究と合わせて一冊の本にまとめ1943年に新潮社から出版されて人気を呼んだものです。

具体的には、戊辰戦争の敗戦によって城下町は焼け野原になり、さらにはそれまでの石高が従来の三分の一になり武士たちをはじめ長岡の人々が食べるものもないほど困窮しました。その時、支藩の三根山藩がその惨状をみて米百俵をお見舞いとして贈ってくれました。藩士たちは大変喜び久しぶりに御飯が食べられると喜んでいたら、それをその当時の大参事(家老)の小林虎三郎が学校を建立すべきとして藩士と共に学校を建立した話です。

これは以前、私がオランダに訪問したときライデン大学の創立の時に同じ話を聴きました。これも80年も続いたオランダ独立戦争ではじめて民衆の力で独立を果たしたとき、その報酬として民衆に何が必要かと問うと最初に学校が必要だといってできたそうです。それがこのオランダ、ライデンの誇りとして今でも立派な人や優秀な人たちがオランダから排出され続けています。

長岡も同様に、なぜ敗戦したのかと反省するとき「人物」によると定め、立派な人を育てる学問が必要で、それを果たすためには学校がいるという判断をしたとあります。もともと歴史を深めると、長岡藩は最初から戦おうとしていたわけではなく中立でむしろ戦わないようにと働きかけていました。しかし、明治維新で江戸に無血開城が決まり血気盛んな薩長土肥やその背後の勢力が義を無視して攻め込んだようにも思います。色々と幕府との関係においての復讐もあったのかもしれません。

どちらにしても時代の先をよく見据えて、何がもっとも根底から藩を立て直すことができるかを考え抜いたとき学校を創るという判断になったように思います。明日食べる御飯もない飢餓のなかで、遠く先を見据えて行動できるというのはまさに武士道の鑑のような実践で感銘を受けます。今の時代も、目先のことばかりで自分たちのことばかりで長い目で遠い先を見据えたことが蔑ろになっています。

徳というものも本来は、長期的に実践するものでありそれを徳目とも呼びます。如何に経世済民をするか、如何に徳を循環させるかは遠い未来のためにと取り組むしかありません。

先ほどの米百俵の戯曲にはこうあります。

「この米を、一日か二日で食いつぶしてあとに何が残るのだ。国がおこるのも、ほろびるのも、まちが栄えるのも、衰えるのも、ことごとく人にある。」「この百俵の米をもとにして、学校をたてたいのだ。この百俵は、今でこそただの百俵だが、後年には一万俵になるか、百万俵になるか、はかりしれないものがある。いや、米だわらなどでは、見つもれない尊いものになるのだ。その日ぐらしでは、長岡は立ちあがれないぞ。あたらしい日本はうまれないぞ。」

また戯曲の中では子どもたちのために何ができるのかをよく考えてほしいと、また常在戦場という藩の理念に対してどうあるべきかを考えてほしいと藩士に訴えます。この常在戦場とは、常に戦場の心で生きよという生き方のことです。戦場でお腹が空いたからと取り乱すのか、常に自らを律していのちを懸けよということでしょう。長岡藩士たちは理念を実践し、長岡を敗戦から救うだけでなく負けておらぬと真摯に立ち上がって復興をし続けたように思います。敗戦からの復興は希望であり、未来であり、そしてここから学ぶことで甦るのだという覚悟を感じます。

そして国漢学校という名で創立されその初代校長に小林虎三郎が就任します。その最初の挨拶と講義は大学にある「修身治国平天下」の話だったそうです。そしてそこから近代日本を創る見事な人たちがたくさん創出されました。

どの場所にも歴史があり人があります。

私たちの中に連綿と流れている徳の川を辿り、子孫たちへとその徳を伝承することが真の歴史を紡ぐことです。伝承者として、先人の生き方から常に学び直していきたいと思います。

武士の精神

昨日は、福岡県朝倉市秋月で鎧揃えに法螺貝をもって参加してきました。これは島原の乱より秋月藩が武運長久と尚武の精神を培うために行ってきたものです。一度途切れたものを60年ぶりに復活させ、少しずつですが人数も鎧も増え行列も凛としてきています。法螺貝の数も少しずつ増えて、見学に来られる関係者も増えてきました。こうやって伝統が甦生し新しくなっていく現場に参加できることに深い感謝の念が湧きます。

秋月という場所の力、またその環境で生きてきた人たちの実直さ、そこに連綿を続いてきた秋月の武士道精神を深く感じます。

そもそも私たちは武士というものをもう知らない時代です。かつては常に武士は道徳規範を学び、常に自らを律して義を重んじ、日頃から生活を調えて質実剛健に暮らしていました。

そういう人たちが戦うということになると、卑怯なことをしない、醜い殺戮はしないと、先祖の誇りを胸にお互いに礼をもって生死を懸けていきました。それが鉄砲をはじめ、大量の殺戮兵器が開発され武士でもない農民や一般人がその道具を使い出してからそういう武士道的なものが失われてきたように思います。ただ勝てばいいという具合です。

昨日、米沢藩と秋月藩の大筒を使った砲術の交流があっていましたがその取り組む姿勢や一つ一つの作法に武器を扱う側の人間の人格のようなものを感じます。人間性を失わないでいることに武を磨くのです。

武士道とは何か、改めて学び直す一日になりました。

引き続き、古来から大切にしている先人たちの生き方を子どもたちに伝承していきたいと思います。

場の甦生

昨日は、英彦山で武家茶道を体験しみんなでお茶を味わうお時間がありました。そもそもこのお茶というものは、太古のむかしからお薬として飲用されてきたものです。歴史を調べると、中国の雲南省で飲まれたという記述があったり『神農食経』には「茶若久服,令人有力,悦志。」とあり、 『華陀食論』にも「苦茶久食,益思意。」とあります。

薬用として、日常の暮らしの中で苦みのあるお茶の葉を飲む風習があったということです。この英彦山もまたお茶をつくり、お茶を飲んでいた歴史があります。宿坊の周辺にもお茶の木がたくさんあります。

現在は、鹿がほとんど食べてしまい鹿対策が大変ですが今後は増やしていこうと思っています。茶道を体験すると、その道具の豊かに感動するものです。茶碗をはじめ、棗、茶杓、柄杓、釜、袱紗、茶筅など一つのお茶をたてるのに様々な作法があります。その中でも、武家の茶道は武家らしくその人格や風格が顕れます。

みんなでその武家のお茶を体験して味わいましたが、同時に菓子きりを守靜坊の茅葺屋根を守っていた数百年前の煤竹を使って手作りしました。暮らしの道具を自らの手でつくるというのはとても有意義な体験です。

現代は、何でも機械につくらせていきます。機械がつくったものは確かに正確で綺麗にできます。見た目は機械でつくった方が良いものに見えるものです。しかし、人間が手作業でつくったものには味があります。この味わいというのは、その人の個性や人柄、人格がにじみ出てくるのです。

私たちはこの自分の手をつかって物を創り出してきました。そういう意味では、私たちはみんな藝術家です。そして自分で産み出してきたものは、唯一無二の味わいを放ちます。この藝の字の語源は、「埶」は「木」+「土」+「丮」の 会意文字 で、植物を土に植えるさまを象るところから来ています。そのものの才能をはじめどのように植えたものが育っていくかということも意味しているように思います。

自分というものを探し、自分というものを究め、自分というものを磨いていく。まさに徳を積むことで徳が出てくるという生き方のことです。

今年の最後を締めくくる仙人苦楽部として有難いご縁と機会になりました。これからも藝を磨き、活き活きした場を甦生していきたいと思います。

 

 

開眼 ありのままに観る

昨日は、ある木像の開眼供養に同席するご縁がありました。元々、仏陀は偶像崇拝をしていなかったといいますが最初の木像は仏陀を思慕した弟子によるものがはじまりともいいます。今では世界各地、また日本全土で仏像があります。これは仏師という職人もたくさん誕生し、古い樹木には精霊や命が宿ると信じられてきましたからそれをお守りにするという風習も増えていったこともあるのでしょう。日本では、どちらかというと勾玉や鏡のように自分をうつすものを美しく清浄な魂の依り代のひとつ、それを「御守り」として像を大切にしていくということが多いようにも思います。

もともと仏というものの定義は「目覚めた者」で、「真理 に目覚めた者」「悟りを開いた者」ともいいます。また同時に、人はみんな元来仏であると言葉もあります。何かどこかの神格化された神様ではなく、自分の中に仏がありそれが目覚めれば仏そのものになっていくということでしょう。

これは赤ちゃんが産まれてすぐに神様のような姿で誕生するように、人は最初は初心な姿ですがそれが世の中の環境や育ち方によって変化して自分の本文や徳を刷り込みによって忘れてしまうのでしょう。そうならないように、いつも仏をお守りにしていこうとするのは自然に発生する人間の心の一つであろうと思います。

また開眼というのは、5つの眼が開くことをいうといいます。その5つは肉眼・天眼・慧眼・法眼・仏眼です。簡単に言えば、肉眼はそのまま肉体を通してみる目のこと。天眼とは、心の眼を開くこと。そして慧眼は、本質や未来を見通す眼。法眼は、正しいことを観る眼。そして仏眼はあらゆるものをありのままに観える眼ということになります。

そもそもこの世を観るのに、ありのままに観るというのはとても難しいことです。そこには偏見をはじめ、常識、欲望、余計な知識などによって複雑に混乱しています。シンプルに物事が観えるというのは、真実が観えるということです。

眼を開くというのは、悟りそのものでありこれを仏の姿としてそう観えるようにありたいと願う中に仏像のもっている本来の徳を感じます。

私もいつか一切の淀みなく、清らかにあるがままに物事が観えるような自分になりたいと思います。このご縁に由って直観した智慧を学び直していきたいと思います。

言葉の意味

日本語というものをはじめすべての言葉には、その意味の中に時代の価値観を織り込んでいるものです。時代が変われば同じ言葉でも意味がまったく異なります。つまりそれは人間がその道具をどのように使うかで意味が変わるからです。

例えば、自然という言葉でも今の人がいう都会や人工的なものがあることが前提で語っていますが、数千年以上前の生活をしていた人たちが使うかつての自然とは意味が違います。特に近代に入り、言葉は軽くなり様々な言葉を一部の人たちによって操作捏造され定義を変えられてきました。今ではメディアが一斉に言葉を簡単に情報によって変えてしまいます。価値観も認識の変容も言葉から行われます。

そして無意識に知らず知らずに教え込まれ使っているうちに、私たちは本来のその言葉の意味や語源などを立ち止まり深く考えることがなくなりました。まさにこれを言葉を通した意識の洗脳と呼ぶ人もいるかもしれません。私たち生き物は最初からあった環境に刷り込まれますから、言葉も当然、その意味で使っている周囲の大人たちが3人以上で教え込めばもはや誤認しているかも気づかなくなるものです。

私は元々どうだったかを知りたがるオタクですから、言葉はよく調べます。実際に語源やルーツはどうだったのか、どのような変遷で今の言葉になっているのか、そして世の中ではどのように使われているのか、あるいはその使われ方から誰がそれをそうさせているのかなどを研究します。これは元々を知りたい欲求から来ているので、何かの勢力や洗脳することにまったく反対は興味はないのですが知れば知るほど非道なことが行われていることを感じます。

経済という言葉などはその最たるものです。そして経済成長などという言葉もだいぶおかしなことになっています。何を経済と定義するかでその意味が変わります。現在の経済はお金のことをいいます。そして経済成長となると、お金がどれだけ増えたかということです。つまり経済=お金ということです。

そうなってくると、経済がつく熟語はすべてお金の熟語ということになります。しかし実際の経済という言葉は、経世済民という語源があり、西洋のeconomyも家を運営する仕組みという語源です。お金のことなどは一切述べているものはありません。

つまり本来の経済とは、全体最適でありすべてのいのちの幸福を実現する言葉であり、単なるお金を増やすことだけを語るものではないということです。

経済界となると、お金界ということになります。確かに、経済界の集まりに出るとお金の話ばかりです。本来は、徳の循環を話をしあうのが本当の経済界だと私は思いますがそういう人があまり出てきません。お金をどう稼ぐのか、お金のことばかりでほとんどの時間を費やします。それで経済活動というのです。

経済活動とは、本来は徳が循環する活動だと私は思います。これはすべてのいのちが輝くような活動であり、全ての徳を活かすような活動です。先人たちは、縄文時代よりももっとずっと前からお金が発明されるよりも先に経済活動をしてきました。それは暮らしを洞察し研究してみるとよくわかります。

私が伝承している暮らしの中は、そのほとんどがかつての懐かしい経済活動です。お金はそんなに多くはありませんが、ちゃんと徳が循環するように流れています。まるで英彦山の宿坊の傍にあるせせらぎが流れ続けるように、私の経済活動もそれを参考にしながら続けています。

このせせらぎのような経済活動も私は立派な経済活動だと自画自賛しています。いつかはこれが大河になり海に辿り着く理想を志して取り組んでいくだけのことです。

耳にする言葉、話し合う言葉、そして使う言葉に気を付けながら本当の意味に回帰させることも自立の大切な要素です。子どもたちや子孫のためにも丁寧な暮らしを紡いでいきたいと思います。

いのちを結ぶ

偶像崇拝というものがあります。ウィキペディアには「偶像を崇拝する行為である。 概説. 偶像という語には「人形」「生贄」「人間 に似せた物」などいくつかの意味があるが、ここでは 木材 や 土 、 金属 など具体的な物質で形どられた像のうち 崇拝的対象 をかたどったものをさす」とあります。

この偶像崇拝を禁止している宗教や宗派はたくさんあります。実際には日本にも仏像などがたくさんありますが、実際には仏陀そのものは偶像崇拝をすべきではないと言っていたそうです。実際に、目に観えないものの方が多いこの世界において目に見えるものにして、それを崇拝するというのは意味がないともいうのでしょう。

しかし実際に何か神様が観える人と観えない人では、そもそも何を言っているのかよく分からないということになるのかもしれません。自然でも感性が鋭敏で自然のあらゆる元氣のようなものを直感的に感応している人もいれば、都会生活が慣れてあまり感覚ではなく知識ばかりで理屈でなければよくわからない人もいます。

人にも色々とあって、その見え方も感じ方も異なるのです。私自身は偶像崇拝というものの見方をしていることはなく、どちらかというといのちが宿っている依り代という感覚で観ています。

古いものをたくさんお手入れするために手で接していると、その物が単なる物体としての物ではなくそこには別の魂のようなものが宿っているのを指先から感じることが多々あります。特に、長い時間人々に愛されてきた道具たちや、職人さんたちが手掛けてきた様々な思いが詰まったもの、それは仏像などの像に限らず建具や椅子などのような暮らしの道具の中にも宿っているのを感じます。また身近では、石ころや巨石、また場所や遺跡などでも感じることができます。そこには目には観えませんが歳月というものが入っているのです。思い出と呼んでもいいかもしれません。記憶のようになりそこに宿るのです。それを思い出すかのように記憶媒体となってそのものに宿るのです。

私たちの肉体をはじめ山川草木なども、何かが宿っているのを感じるのは誰でもわかります。虫が死んで亡骸になっている様子に、そうなる前には何かが宿っていたのを感じるものです。これは魂の依り代ともいえます。宿っているものを感じて、それを祈るのは私は偶像崇拝ではなくいのちの結びだと感じます。

私たちは日々に、あらゆるものといのちを結びます。このブログを書いている今は、ヨモギをお茶にして飲んでいますがヨモギの持っているいのちと結んでいます。祈ることまではしていませんが、美味しく身体も温まり癒されます。これはお水の中にヨモギのいのちが宿りそれを取り入れることで私もヨモギと結ばれているのです。

私は、仏像などもよく拝みますがこれもいのちの依り代としてその場所に宿っているものと結ばれていくからです。結ばれることで私たちはその一部になった感覚を持つことができます。宇宙をはじめ、地球を含め、私たちはありとあらゆるものと結ばれる存在です。

丁寧にその場所やその依り代と接し、お手入れすることはとても仕合せなことです。ご縁を大切にいのちを結んでいきたいと思います。

保育と教育のお仕事

私は保育や教育のお仕事に取り組んできましたが、具体的に保育園や幼稚園を運営したわけではありません。また保育士や教諭の免許があるわけでもありません。しかし子どもは4人ほど育て、社員をはじめ多くの人たちの成長に関わることができました。

実際にお仕事はでは保育や教育のアドバイスやコンサルティンをする機会がたくさん得られ、子どもの発達を見守るソフトウェアの開発をしたり、育つ場を創造するためのツールや仕組みなどもたくさん手掛けてきました。これはどこに原点があるのかを見つめてみると、もちろんメンターがいて恩師があり保育道や見守るメソッドとの出会いが大きいのですが、同時に自然農といった実践によるものが大きいことが分かってきました。

そもそも野菜をはじめあらゆる植物や木々は種から成長します。人間も同様に最初は赤ちゃんからはじまります。

本来、教育という言葉はエデュケーションですが、これはエデュカーレという言葉が語源で引き出すということです。何を引き出すか、それは種から元々持っている力を引き出していくということです。種に教え込んだり押し付けたり、余計なものを刷り込んだりすることが教育ではないことがわかります。また保育というは、育つを保つと書きます。これは自発的に育つのを見守るという意味です。無理やり育てたり、同じ成長をするように型にはめ込んだりするものではありません。

しかし実際の教育や保育現場にいくと、引き出すことや育つことを無視したやり方を今でも続けているところが多数があります。これは農業でも同じことが言えます。

例えば、自然農だと余計なことはせず種を蒔いたらその種が育つように環境を調えていきます。種が育つのを見守りながら最適な距離で適切な環境を用意していきます。種の育つのをよく観察して場を調えていくのです。これが慣行農法だと、農薬をはじめ肥料を蒔き、無理やり人間の都合に合わせて栽培していきます。そして同じ野菜になるように種までも遺伝子組み換えなどまでして改良していきます。

前者の自然農は種の発達や成長を保障しその喜びや仕合せを優先するという考え方で行われ、後者の慣行農法は野菜の喜びや仕合せなどはある程度無視しても自分たちの都合のよい考え方で行おうとします。

教育や保育であれば、子どもの仕合せを最優先にするのか。あるいはそれは多少無視しても大人の都合に合わせていくのかという話になります。もちろん、野生児で縄文時代のような時代ではありませんから現代に合わせて環境は変わり教育や保育も変わっていきます。しかしその中心や根源を、種が自ら育つことを見守り、その種の生命を引き出すということにしているのか。あるいはそうではないかというのは大きな違いになっているように思います。それは見守っていく環境にも影響が出ます。

私たちは自然の姿をまず知って、自然がどうあるのかを学び、そのあとに自分たちはどこまで何をするのかを決めることが大切なように私は思います。つまり、そのものの種が自然に育つ喜びや仕合せをどう保障し、そのうえで如何にこの時代に適応していくかのバランスを調和していくのです。

保育や教育のお仕事は、そういう意味で自然や人々が和合していく幸福な社會の創造に関われ、自らのいのちを傾けるのに相応しい重要なものです。有難いご縁や学びに感謝しながら学び直していきたいと思います。

宇宙と糸と万華鏡

先日、糸を編みこむことを生涯の研究にされている方とお話する機会がありました。この宇宙は糸で結ばれ、それが縦横無尽に編み込まれているというのです。この言葉には、改めてハッと気づかせていただくことがありました。

現代の天文学では銀河団は銀河がたくさん集まったもので、それぞれの銀河団どうしは「糸」で結ばれて網のような構造になっていると考えられています。私たちがいる銀河系もまた別の銀河と糸で結ばれ合っているのです。これが編み込まれているということです。

今週末に世界一の万華鏡をつくる仙人が英彦山の守静坊に来坊され、仙人苦楽部と午後から万華鏡「幻妙鏡」の個展を開催します。その幻妙鏡の中の世界はまるで宇宙の銀河そのものです。

ある一つの万華鏡は、竹で編みこまれたものがあります。これは宇宙の銀河を包む超空洞(ボイド)を糸で紡いでいることが表現されています。天文学者が到達していない境地を、心の世界で追い求めそれを手仕事によってカタチに顕現されています。

まさに日本の先人たちが実践してきたモノづくりの神妙な世界観が仙人の手から産み出されているのです。

私たちのこの手は、まだ科学では解明できないことを様々に実現することができます。

糸といえばマハトマガンジーの糸車のことがあります。糸車で糸を紡ぐことを通してガンジーは、手仕事の大切さ、生産し自立することの大切さ、足るを知ることの大切さ、そして非暴力を実践しました。

宇宙というものは、この手の中に存在し、どのような手仕事を通してそれを學ぶことができるのか。今回の仙人苦楽部では、守静坊に300年ほど屋根を支えていた煤竹を使い、お茶の道具をみんなでつくりその手仕事を通して宇宙を学びます。

またその後に、万華鏡「幻妙鏡」を通してその世界を覗きます。英彦山という霊山は、まさに宇宙を眺めるのにとても素晴らしい場所です。そして徳が循環する経済を実践するのにとても親和性があります。

マハトマガンジーはインド独立に向けた最初の一歩目で唱えたことは「スワデシ」という言葉だったといいます。この「スワデシ」とは、ヒンディー語で「場所に基づく経済」という意味だそうです。まさにこれが徳積循環経済と同じ理念であり私が場の道場を創設した理由でもあります。

一件、万華鏡と徳積は何の関係があるのかと思われるかもしれません。しかし、それを糸で結んでみると、如何にこの手から創造される場所に真理があるかを実感できると思います。

この一期一会の秋の朝霧のお山の霊亀に包まれながら共に仙境の學びを楽しみたいと思います。

表裏一体の中の気づき

現代の世の中では問題はよくないことの代名詞のように語られます。問題があればそれを早く取り除こうとし、あるいは問題をなかったことのように扱います。問題を抱えている状態を最悪の状態とし、問題を発生させる人を毛嫌いします。問題を掘り起こそうとすると、それはそのままにしておくようにと先送りします。

これは現代人の刷り込みの一つになっているように思います。そもそも問題がなければ解決はしません、解決するために問題はあります。解決と問題は一つのものです。教育では、問題がなくなることを解決といいますが実際には問題から解決までに本当に大切なプロセスや気づきがあるということはあまり教えません。問題があればすぐに解決、解決できない問題は後回し、こういうことを続けてきたから問題や解決の本質が分からなくなってきたように思います。

問題や解決というものの間には、大切なプロセスや気づきがあると先ほど書きましたがこれを先人たちは智慧とも呼んでいました。智慧がある人は、工夫ができます。この工夫は数々の問題を解決するなかで得られたものですがこれは人生を歩んでいくなかで偉大な助けを与えてくれるものです。

私も振り返ってみると、問題だらけの人生でしたが解決を急がずに問題を観察することで色々な智慧が増えていきました。本当の解決、根源的な解決を目指すほどにこれが全体を結ばれていて簡単ではないことがすぐに気付きます。そういう時は、時間をかけてじっくりと醸成する期間を待ちます。そうしているうちに、その時が必ず訪れます。つまりタイミングがあるのです。その一期一会の時機を逃さずに、その根源的な問題に手を入れ、根源的な解決に取り組むのです。

この根源的というのは、そもそものところです。本来、何のためにそれをやるのか、そしてどうあるのかという生き方や道のところにあります。方法論や工夫は後から無数に無限に出てきますがまずは原点に気づくまで篩にかけていくのです。

人は気づけばその瞬間に問題も解決も中和され調います。気づけるかどうかは、魂の力や胆力、忍耐などが必要になります。人生は今に集中していくことの連続ですが、今に集中できるのはそれだけ問題を直視し解決を観察する根源の力が試されているように思います。

人生は困難や苦難も増えますが、そこに暢気さや楽観さというものがあれば全体として調和し感謝も感じやすくなります。楽と苦は表裏一体、問題と解決も表裏一体。

何でも表裏一体であることを忘れずに、明るく元氣に道を歩んでいきたいと思います。