仏陀という人

スリランカの訪問を控え、仏陀のことを調べていると今まであまり考えてこなかったことに気づき舞う。日本で生まれたら一般的には身近にお寺や仏壇があり葬式や法事があるため仏陀の教えに接してきたものです。しかし当たり前すぎて疑問に思わないで刷り込まれたものも多く、ちゃんと自分で現地で確かめたものはほとんどありません。改めて、そもそも仏陀とは何かということを少し深めてみようと思います。

この仏陀(悟った人)の本名はガウタマ・シッダールタ、パーリ語ではゴータマ・シッダッタは紀元前5〜6世紀頃の人物で現在のインドとネパールの国境付近にあった小国ルンビニーに生まれた人でした。父は釈迦族の国王であるシュッドーダナ、母は隣国コーリヤの執政アヌシャーキャの娘、マーヤーです。

王子として誕生した仏陀ですが色々と後で神格化されているのか、伝説ではお母さんの脇の下から産まれてすぐに天上天下唯我独尊と天を指さして語ったといいます。これはそう誰かが思ったということで赤ちゃんがまず脇から産まれませんし、言葉もしゃべりません。ただお母さんは出産後した翌週に高熱で亡くなります。仏教に関係する名僧などは、みんな幼い頃に親を亡くしている人が多いです。もしかすると、この辺の心の共感や深い悲しみが仏道に導くのかもしれません。

その後は、とても裕福で優雅で何不自由ない生活を楽しみ19歳でいとこのヤショーダラーと結婚し、息子ラーフラが誕生します。順風満帆だった仏陀ですが、ある時、四門出遊という体験をします。これは簡単に言えば、生老病死の苦しみがあることに気づいてしまったということです。そしてその苦しみを取り除く方法があるのかと、王位を捨てて出家してしまいます。

そうして瞑想をはじめても悟れず、数々の苦行を増やして最期はギリギリの状態まで自分を追い込んでいきました。苦しみを乗り越えようとすればするほどに苦しみが膨大になっていく、その苦しみの連鎖のなかでついに苦しみを諦める機会が訪れます。それは今にも死にそうな仏陀をみて、村娘のスジャータが与えてくれた乳粥を食べさせてもらうときに気づきます。それから菩提樹の木の下で瞑想をし、35歳の時についに中道、悟りを開きます。ある意味で、極端な修行によって中間を修養したのかもしれません。そして諸行無常の真理を解きます。つまり、あらゆる物事は常に変化し続けているものでり、変わらないものなどないということを悟ったといいます。

これは自分の人生を振り返っても誰でもが共感するところです。つまり永遠に同じ状態でいられるということは宇宙においてはありえないことで、人は変化するから苦しみが増え、変化するから苦しみを諦めることができる。もっと突き詰めると、変わり続けることがもっともちょうどいいことだということ。そして仏陀は亡くなる最期の言葉の一つに「諸行は滅びゆく、怠らず努めよ」といいます。変化するから精進せよと。常に今を生き切ることの大切さを語ります。そして、それがもっともちょうどいいことだとも。

何を仏陀が悩んだのか、何を苦しみと思ったのか、その人生から洞察することができます。私たちはずっと変わらないでほしいと願うような願望を持っています。このままがいつまでも続きますようにとも祈るような思いをするときがあります。それは人それぞれに異なるでしょう。それを執着ともいいます。あまりにも辛いことは早く過ぎてほしいと思うし、人によっては手に入れた財産、栄光や幸福はいつまでもこのまま時を止めたいなどとも思うものです。しかしそれもいつかは消え失せます。まず自分の肉体が先に消えうせます。健康だって一生そのままであることもありません。だからこそ、どうするかと向き合ったのでしょう。

人間というものの存在をここまで真剣に向き合った人がかつていたかというと、やっぱり最初は仏陀だったのではないかと思います。その人間としての道、生きる道を探して歩いた道はその後も同じように人間を生きる後人たちが続いていき今に至ります。

原初の仏陀は、大変失礼な言い方かもしれませんがとても人間臭い存在です。だからこそ、その言葉は多くの人たちの心の中で生き続けているようにも思います。

その後の仏教がどのように現代にいたるのか、その辺もまた深めてみたいと思います。

愛の意味

あと5日後にはスリランカ民主社会主義共和国に訪問します。このスリランカという国名はシンハラ語で「スリ=光り輝く」と「ランカ=島」で「光り輝く島」と呼びます。漢字では「錫蘭」と表記しています。かつて「セイロン」と呼ばれていました。これはサンスクリット語で「ライオンの島」という意味です。その名残が今でも国旗に表れています。

気候が日本とは異なり、最高気温が現在でも30度近く最低気温も24度くらいで平均湿度も75パーセント近くあります。人口は約2000万人ほど、日本との時差は3.5時間、また面積はは65,610平方キロメートルと九州の2割ほど大きいイメージです。国民人口の7割が仏教徒(上座部仏教)です。また国の花はスイレンの花、国の宝石はブルーサファイア、国技はバレーボールが有名です。

私がスリランカのことを深めるのに最初に知ったのが、世界一の親日家ともいわれるスリランカの二代目大統領ジャヤワルダナ氏の存在です。

本来、今の日本は韓国や北朝鮮のように戦後に列強国などによって分割統治される予定でした。それをすべて覆したのはその当時、スリランカの44歳の大蔵大臣だった人のたった一つの15分の演説でした。今の日本を救ってくれた本物の大恩人です。この演説がなければ、今頃私たちは日本国内で争いあい憎しみあっていたかもしれません。

そのサンフランシスコ講和会議での演説の映像が遺っています。

そこでは「私は2つの立場からお話します。1つはスリランカを代表して、もう1つはアジアを代表しての立場です」と言い釈迦の「憎悪は憎悪によってではなく慈愛によってのみ止む」を引用して会場の人たちに語りました。

そして「戦時中、スリランカは日本によって空爆を受け多大な損害を受けている、補償を受ける権利はあるが、私たちは賠償請求を放棄する。なぜかと言うと、私たちはブッダによって目には目、歯には歯という教育を受けていない。私たちは許す。他の国々もそうしませんか?」と呼びかけてくれました。

その言葉に会場の人たちも賛同して分割が免れたのです。

たった一人の言葉で、大きな決断が変わっていく。その人の心の言葉は、その後の子孫たちにも偉大な影響を残してくれました。これは釈迦の言葉が数千年を経ても、その子孫たちの生きる道に結ばれていることがわかります。

私たちは釈迦の言葉に今でも救われている存在です。 

「人はただ愛によってのみ憎しみを越えられる人は憎しみによっては憎しみを越えられない」「Hatred ceases not by hatred but by love」

そのジャヤワルダナ氏は90歳で逝去されますが、形に遺るものは残してならぬといい何も残っていません。しかし、その生き方や生きざまは釈迦と同じく徳として私たちと生き続けています。

その釈迦の歩みと思想が遺る場所に足を踏み入れることは大変光栄なことと思います。色々な歴史を学び直して、改めて愛の意味を結んでいきたいと思います。

2025年のテーマ

今朝も素晴らしい太陽の光が差し込み、2025年の新しい年を迎えました。昨年より正月は冬至に行っており、この1月1日の元旦は二度正月を楽しむ機会にしています。夜中の年越し蕎麦も年々、滋味深くなり、家族と参拝する初詣も子どもの成長を感謝する大切な機会になります。

昨年は、いのちの対話をテーマにしていましたが大切な人たちが天に還られますます私も残りの人生の使命を強く覚悟することができました。この世にいなくなるのは寂しいですが、生前の雰囲気や声はいつもイキイキと心に響いています。いのちと対話するのに昨年は自分自身の体と対話することをとても大切に過ごした一年になりました。内臓もこれだけいのちを支えているのに普段はあまり配慮せずに反省もありました。いつも偉大な働きをしてくださっているその内臓と対話するような暮らしをはじめています。また自分の普段の意識にも目を向け、波動を調える美しい暮らしを心がけました。また無機物の発する音や風や水や火という精霊のような存在のゆらぎからもその深い徳と偉大な叡智を学びました。

その上で今年のテーマは、「謙」を一文字として設定しています。この謙は謙虚の謙からの言葉です。言うは兼ねると書きます。今から29年前、当時のメンターから謙虚であれとたくさんご指導をいただきました。もうこの歳になりまたなぜ改めて謙なのかと考えてみると、そもそもこれは一生涯の生き方に関係する言葉だからだとわかります。

私は謙虚を想像するとすぐに素直という言葉が出てきます。これは常に一対です。つまり素直を実践するとそれが謙虚になります。至誠も正直も同様に、私たちは言行一致、真心のままに行動するということが一番の徳積みです。あれこれと考えを巡らせては自分の置き所を間違っていくのが人間でもあります。私は35歳になったときから来たご縁を選ばずにすべて受け容れると決心して、それからは栃の実が川に流されるようにすべてお任せにするようにして生きてきました。

しかしご縁は不思議で自分の思ってもみないことの連続に心を痛めたり、あるいは判断を迷い苦悶することも多々あります。同時に、自分の想像を超えるような偉大なご縁であったり、一期一会の大感動に魂が震えることもたくさんあります。

まだまだ未熟で私が知らないことばかりの膨大な宇宙や世界がこの世にはあります。悟ることやわかることは大した意味はなく、それよりも自他一体になることや全体快適であること、あるいは神人合一するような体験や修行のプロセスの中に永遠普遍の喜びや豊かさは生きています。畢竟、自分の人生にちょうどいいことしか自分にはやってこないということでしょう。そうやって手放した数だけ自分自身との一人の対話が成り立ちました。

今年はまさかのスリランカのワニアヤ・アエット長老とのご縁からスタートです。ナーガ族とヤタ族、マヒヤンガナのもりの民。人類が原初に何処からきてそしてこれから何処にいこうとするのか。子どもたちの平安や真の幸福のために最善を盡していきたいと思います。

本年もよろしくお願いします。

波動を調える

今年一年を振り返って見ると御蔭様で新たなご縁に恵まれてとても充実した一年になりました。その「新たな」というのは、「新たな意識で出会ったご縁」ということです。ご縁は自分の波動や意識が大きな影響を与えています。日頃の暮らしで何を観て何を考えて何を食べてというように、自分が日々に調えている波動や意識によって出会うご縁も変化します。

例えば、霊峰英彦山の宿坊に棲み静かに光や水の音に耳を傾け空気を深く吸い込み静かに座禅をしているとお山の気配を感じます。お山の気配とは、お山の呼吸のことです。その呼吸に自分も一緒に包まれていると、そのお山の波動になっていきます。

すると、それまで見えていた景色が変わり今まで観えなかったものが観えてきます。同時にあらゆる感覚が変わり、刻の流れや場の雰囲気すら変わります。場がその波動を調えて変えていくのです。

何だかスピリチュアルな話だと思われそうですが、実際に人間の身体感覚というのはどこまででも鋭敏になります。直観というものもまた、鋭敏な神経が見事に波動と調和して事前に洞察させたり感得させるように思います。シンクロニシティやテレパシーなど超能力のように閃きが迸ります。

話をご縁に戻せば、それだけご縁というのは次元を超えてあらゆる波動と巡り会っているということでしょう。そうして暮らしていると、似たような波動の人たちが集まってきます。さらに深く言えば、同じ身体感覚や神経を研ぎ澄ませて鋭敏にしているような仙人のような人たちと出会うのです。

仙人というのは、単なる能力が秀でた俗世から距離を置いた人として解脱したような存在と思われていますが実際にはそうではありません。当然、波動を高め徳を磨いていますから人間として深い魅力があり思いやりを持ちます。同時に、生き方を見つめ、生き方を優先していますから道を一人歩んでいます。

有難いことに仙人苦楽部を続けていると、よく仙人に出会います。そして私も仙人のような暮らしに近づいていきました。私たちは誰もが仙人としてのポテンシャルを秘めています。それが開花するかどうかは自分の波動をどうするかに由ります。そしてその波動を調えるのに暮らしの改革が必要です。別に仙人になったら何かいいことがあるのか、便利な何かがあるのかと思われるかもしれませんがそんなものはありません。

ただ仙人は、お山であればお山がどう生きて自然を守り豊かないのちを育んでいるのかを察知でき喜びを深く味わえます。また伝統的な先人たちの智慧に包まれ仕合せを深く味わえます。つまり永遠に豊かな心で生きていくことができるように思うのです。

好奇心というものもまた、仙人たる由縁の一つです。来年も、好奇心を存分に発揮して原初の道を求道し丁寧な暮らしを実践し波動を調え、新たな出会いを大切にしていく一年にしていきたいと思います。

今年も本当にお世話になりました。改めて感謝申し上げます。

原初の仏陀

スリランカの訪問にあわせて改めて仏教伝来のことを深めています。もともと仏教には、南伝仏教と北伝仏教というものがあります。

南伝仏教は、アショーカ王 の子(一説には弟)のマヒンダが前3紀頃にセイロン(スリランカ)に伝えた仏教であるといわれます。この仏教を上座部仏教ともいいセイロンから東南アジア諸国へと広まり発展したものです。仏陀が亡くなってすぐからの伝来なので初期仏教とも言われます。それに対して、北伝仏教は西北インドからシルクロードに沿って、中央アジア、中国、朝鮮半島、日本へと伝来した仏教のことです。これを大乗仏教とも呼ばれます。紀元前1世紀ころにガンダーラからパミール高原をこえて紀元前後頃には中国西部に伝えられました。有名なのはこの経典を漢訳した5世紀の鳩摩羅什 (くまらじゅう)、また7世紀の玄奘 (げんじょう)です。言い換えればこの2人の仏教が今の日本の仏教の原初かもしれません。

仏陀は本来は名前ではなく「悟りをひらいた人」を意味する称号です。今の日本では仏像になったり神様になったりと人ではないものになっています。しかし原初の仏陀は、ゴータマ・シッダルタさんとして己を磨き修行をして執着を手放し人としてどう生きることが仕合せかということをあらゆる角度から究め盡した人物のようです。人間が持っているすべての感覚や欲望、感情などを見つめ、それが何であるか、どうあることがいいかを解きました。好奇心の塊のような実践者です。

現代では仏教は相当数の派閥や部にわかれてそれぞれに解釈が異なり、時には争いの原因ともなっています。また政治にも密接に関わっており、それぞれの権力者たちが採用して治世の役に立てました。私たち日本でも、聖徳太子の時代に仏教を取り入れ、その頃の神道や儒教などとぶつかった歴史があります。

教えというものは、言葉と似ていて二元論を持ちます。善か悪か、正しいか間違いかと、常に言葉が二つに分けていきます。もともと口伝を採用していた初期仏教はその言葉の性質を知っていたのかもしれません。私たちは、言葉という便利な道具によってあらゆる知識を便利に理解でき、そして新しいものを発明するための道具にしていきましたがそこには長所もありますが短所もあります。バランスを保つというのは、形にすればするほどに難しくなるものです。

本来、聖徳太子が理解した時のように分かれる前に回帰するというのがいいように私も思います。聖徳太子は、神儒仏習合や神儒仏混淆ともしました。そもそも一本の木が、根と幹と枝葉に分かれたように丸ごとを観ると一つの木であるというのです。

私もこれは全くの同感でそもそもが一つの木でできていると捉えると分かれていることでそれと敵対することがありません。また、一本の木が成長と捉えたら全体最適であることが分かります。

先ほどの上座部仏教と大乗仏教の違いであれば己自身が悟ることと、大勢の人々を救い助ける利他に生きることは一本の木が成長する過程と同じです。新芽が出て、真摯に生きていけば周囲を活かします。そしていつか花を咲かしたくさんの実をつけ種になれば周囲を救います。別々のものではないということでしょう。

スリランカには、ゴータマシッダルタさんが生身で生きていたころと同じ暮らしをし、具体的にその人物に会った人たちの子孫がいます。その子孫が、何を感じ、何を学び、何を守ってきたのかを感じることが私にとっては原初の仏陀の痕跡になります。

因果の法則を解いた仏陀の御蔭さまで、一期一会の氣づきとご縁でスリランカと結んでくださいました。丁寧に原因と結果の間を辿りつつ、未来の子どもたちのために学び直してきたいと思います。

人類の大先達

スリランカのヴェッダ族のことを深めていると、驚くことが次々と出てきます。このヴェッダ族は人類の起源にまで遡るほどの歴史を持っている奇跡の民族です。ヴェッダ族に触れることは、人類の起源に触れることにもなります。人類のルーツが何か、これは私は保育の仕事に取り組んできたからこそずっと追い求めていたテーマの一つでした。今回の訪問では、これからの未来の子孫たちの行く末のためにも人類の深淵に出会ってきたいと思います。

もともとこのヴェッダ族は、古代、中石器時代に生きた最古の人類であるバランゴダ人 (ホモ・サピエンス・バランゴデンシス)の直系だといわれます。これはスリランカの大多数のシンハラ人とは異なります。洞窟の遺跡から発見されたバランゴダマンは少なくても紀元前 38,000 年前には定住していたともいわれます。別の科学者によれば、50万年紀元前からこのスリランカの地にいたともいわています。

人類の原初の暮らしを今でも持続し保ち続ける奇跡の民族、このヴェッダ族は地球と共生してきた人類の原型です。今でも狩猟採集民としてスリランカの森や自然環境と密接に結びついた暮らしを続けています。

もともとこのヴェッダという言葉の語源は、ウェッダー(Vedda)です。弓矢を持った狩人を意味するサンスクリット語の「ヴィヤダ」に由来します。実際のヴェッダ族は自らを「ワンニヤレット(Wanniyalaeto)」(森の民)と自称します。

日本の古神道の杜と同様に自然崇拝で、あらゆる自然の叡智と共に場を守り暮らします。自然や森の精霊を尊び、いのちの循環する宇宙の真理と共に生きます。私たちが文字や映像などで見聞きした何よりも神聖な空間と結界を守り続けて今でも真実を生きています。

私たち現代の人類は、あらゆる欲望の成れの果てに今の人類のみの世の中を好き放題に席巻してきました。もはや教えというものも何が正しくて間違っているのかも、あらゆる宗教派閥紛争や権利権力の集中や歪んだ知識の上書きの連続でもはや原型すらとどめていません。時折、自然災害に遭遇し目覚めるかと思えばまた同じことの繰り返し、人類は歴史から学びません。

しかし現代のようにいよいよ人類の成熟期で文明の末期症状が出ているからこそ、私たちは原点回帰し今一度、真実に目覚める必要があるのではないかと私は感じます。その真実は、誰かの専門家や権威の知識ではなく、大多数が信じる何かではなく、説得力のある本質的な正論でも教えでも記録でもなく、「真実を生きてきた人たちの背中」から學び直すことだと思います。

人類は、過去に何度も滅びそうな目にあってもいざという時のために種を遺してきたから今も持続しているともいえます。種は改良してどうしようもないほどに改悪されても、もしも最初の種が残ってあればそこからちゃんと生まれ変わり甦生することができるのです。

その種とは単なるDNA的なものではなく、意識や精神、生き方や暮らし方などを保つ人々の生活様式などが統合された今も遺り生きる人々の叡智のことです。

私は暮らしを変え場を創ることで、人類は変わると信じている一人の人間でもありますが暮らしの根源を持つ人たちはまさに私にとって人類の大先達です。

大先達から人類とは何かを真摯に學び直し、子どもたちのために真実の道を結んでいきたいと思います。

深い學び

今年のことを振り返っていると新たなご縁が増えた一年になりました。特に体のことを深めることが多く、色々な体のメンテナンスや調え方、食事に生活の方法などを学び直しました。

例えば、座禅や瞑想、松葉などの薬草や和漢方、またお水やお塩などの基礎調味料、またヨガをはじめ合気道やアーユルベーダなどの伝統医療を学びました。もともと英彦山の宿坊に棲み始めてからの山岳信仰やその思想、歩き方や巡り方なども深く関係してきます。

私たちはこの体の持つ神秘に触れることで人類が太古のむかしからもっている智慧やその潜在能力に気づきます。私たちが何かによって活かされているということの事実を、体を深めれば深めるほどに感じることばかりです。

来年は、スリランカのマヒヤンガナの森でヴェッダ族の長老と4日間森の中でご一緒に過ごしながら伝統医療の本質を学びます。

このスリランカの先住民族は今ではヘラ族と総称され、その中にヤッカ族とナーガ族がいたといわれます。このヤッカ族がヴェッダ族のことです。そしてスリランカの伝承医学を、ヘラ・ウェダカマ(ヘラ医療)、パーランパリカ・ウェダカマ(受け継がれる・医療)、デーシャ・チキタサ(地元の・薬)と呼ばれるのはその理由からだそうです。

もしかしたらと直観するのは、ヤッカとはヤタガラス一族でナーガは龍一族ということではないかとも感じます。山岳信仰に触れてから太陽神や烏や天狗のことばかりが身近にあり森とこの烏がとても深い関係があることに気づくことばかりです。森の民といわれるヴェッダ族はまさに山岳修験の起源ともいえるのではないかと私は思います。

ヴェッダ族が今でもこのような暮らしを続けていることが、現代の人類の奇跡そのものです。

時代と共に、ヴェッダ族も数々の危険や危機に遭遇してきました。ある時は植民地化、またある時は強制移住や疎外があったといわれます。

そして今では資本主義経済が入り込んできて、少しずつ他の民族が滅んだことと同じやり方で浸食しはじめているともいいます。

私が暮らしフルネスを実践する中で、どうしてもわからないことがありました。また太古から続く普遍的な道を、あるいは仏陀が歩んだ軌跡の原点を学び直せるのではないかとも直観しています。

心静かに準備をしていきたいと思います。

道を守る

時代時代に私たちは時代の影響を受けています。いくら本質的に人間らしくいようとしても、時代の背景によってはそれもできなくなるようなことがたくさんあります。例えば、現代では物質文明のなかで資本主義中心の搾取や消費を優先する時代ではスピードも増し、利便性ばかりが価値があることになれば自然から遠ざかる一方です。だからといって、その時代の流行にばかりに合わせていたら時代が変わった時に歪が産まれ対応することもできません。

時代時代に流行があったとしても、普遍的な大道や王道のようなところを歩んでいる人たちの御蔭で人としての道も途切れずに繋がっていくものです。

ではどのようにしてその道を守ってきたのか、その一つは意識を保つことです。そして二つ目が心を磨くこと、そして最後が暮らしを変えることだと私は感じます。

意識を保つというのは、例えば食品なども主食を正食という玄米中心の食生活にすれば副食は質素で健康的なものになっていきます。それは玄米を主食にするという意識を持っていることで意識が正常に保たれるからです。主食がパンやお菓子などになってしまえば、食の意識が変わってしまいます。人を良くすると書いて食ですが、その食の中心は日本では玄米です。

また心を磨くというのは、日々に己と向き合うことです。手間暇をかけたり、小さなことを大切にしたり、あるいは丁寧さなどは心を用います。心を用いる人は、心を使うことを忘れません。心は、流行に流されず普遍的な道に中にいます。真心ともいいますが、理想や理念、初心を守り生きていくことで心は磨かれ研ぎ澄まされていきます。

そして最も重要なのは暮らしが変わることです。生き方や働き方を突き詰めていくと、暮らし方が変わります。その時だけ暮らすなどという言葉はありません。暮らすというのは、常に先ほどの意識や心を保つ実践をすることです。するとそれが暮らしになります。

暮らしを変え続けることは、日々に意識を保ち心を磨くのですが同時に小さな変化に気づくということです。例えば、自然の変化、そしてご縁の変化、今までとの変化、世界の変化、自分の変化に気づき続けるということです。どの瞬間も、今に集中して変化に応じてご縁を一期一会に過ごしていくこと。そうすると、流行で大勢の価値観が津波のように流れてこようと凪のようにあるいは深海のように静かに穏やかにその場に止まります。

暮らしが調っているというのは、つまり全体調和しているということです。そして変化を乗りこなしているということでもあります。一人一人が暮らしを調えていくことができるのなら人の道は途絶えることはなく、かえって道が明かに弘がります。

私が暮らしフルネスを提唱し実践するのは、人の道を守るためでもあります。私がこうやって今を生きられるのは何の御蔭様か。あらゆる全体調和の御蔭様です。だからこそ、その全体調和の有難さに拝む気持ちで暮らしフルネスを実践しています。

今日は仕事納めで振り返りをしますが、どれだけ暮らしを大切に変えてきたか。様々な角度から振り返り感謝と改善を続けていきたいと思います。

地域の宝徳

昨日は早朝より庄内中学校の有志の生徒たちが100人以上が集まり飯塚市の桜の名所の一つでもある鳥羽池周辺の清掃とゴミ拾いを行いました。地域代表としてお手伝いに参加してからもう3年目になります。最初は生徒会で実験的に取り組んでみて、その後は部活動の生徒たちが参加し、今では全校生徒で有志が集めいつも100人以上の参加するほどになりました。

庄内中学校は、校内にあるメタセコイヤの大木にイルミネーションをつけて地域を明るくする活動や、その資金調達にクラウドファウンディングに取り組むなど、実社会に基づいた社会への参画を色々と挑戦しています。またブロックチェーンの講義を受けたり、コロナ後の地域のお祭りに新たに積極的に参加したりとこの数年は特に目覚ましい活躍です。学校行事も次々と生徒が主体的に自由に取り組んでいるのが拝見でき、素晴らしい教育と大勢の見守りのある学校だと改めて母校の変化に感銘を受けました。

この鳥羽池の清掃では、初年度のゴミは恐ろしいほどの量で粗大ゴミや産業ゴミなどとても中学生の手におえないほどのものが出てきました。池の水が少なくなるこの冬の時期に誰かが捨てたものが池の中から出てきます。この場所は、夜は住宅が少なく人目につかないからと捨てに来る人がいるのでしょう。それを真摯に靴も泥だらけになり汗をかいて拾っている子どもたちの姿を見たら捨てられるはずはありません。

またゴミのほとんどを分別すると、ビールやコーヒー、ジュースの空き缶とペットボトル、それにお菓子や弁当などの袋、プラスチックや発泡スチロール、それに釣り道具などです。自然には容易に分解されないゴミばかりが池の周辺や池の中に大量に出てきます。同じ場所に吸い殻や同じ空き缶があるところは、同じ人がそこで捨てているのかもしれません。

この取り組んでから3年間、毎日散歩している人が拾ったり、ゴミ箱を設置してあってもゴミは1年に1度、生徒たちで清掃すると同じくらいの量が出てきます。しかもゴミ袋30袋以上の大量のごみです。これは一体なぜでしょうか。

一つには金融構造や欲望優先の消費経済、他にもシチズンシップや家庭教育の問題などいろいろとあるでしょう。以前、ゴミ処理場を運営している経営者にゴミ処理場を経営したら日本という国がどういう国かがよくわかると教えていただいたことがあります。ゴミの処分の仕方、ゴミに対する政策の内容、そしてゴミの種類や捨て方などにすべてが日本という国のありのままの姿が出ているからというのです。

以前、イエローハットで掃除道で有名な鍵山秀三郎氏から「足元のゴミ一つ拾えない人間に、何ができましょうか」という言葉を聴いたことがあります。そして著書でこう続きます。「『ひとつ拾えば、ひとつだけきれいになる』私の信念を込めた言葉です。ゴミを拾っていて感じることは、ゴミを捨てる人は捨てる一方。まず、拾うことはしないということです。反対に、拾う人は無神経に捨てることもしません。この差は年月がたてばたつほど大きな差となって表れてきます。人生はすべてこうしたことの積み重ねですから、ゴミひとつといえども小さなことではありません。」と。

これは徳を積むことも同じです。地域の代表として私からはみんなに「コツはコツコツ」の話をしました。コツは一つだけではなく、継続しコツコツとなることで非凡になると。ゴミ拾いというのは、継続と凡事徹底を學ぶ智慧にもなり、徳を磨き、己の心を育てるための素晴らしい教育になるということです。これは私の徳積財団の活動や丁寧な暮らしや社業の実践でいつも話していることです。

私がこれを改めて皆さんに発信したいと思ったのは地域の人たちに庄内中学校の生徒たちが真摯にキラキラと心を磨きお掃除をする姿を伝えていきたいと思ったからです。地域を守ることは、一人一人がコツコツと心をみんなで磨いていくことだと私は思います。

日本人は元々、来た時よりも美しくという精神を持っていて世界では試合後のゴミ掃除の姿がとても尊敬されています。正々堂々として清らかであろうと、荒んだ心を調えて和を尊ぶ国民性がある人たちといわれます。

都会に出て地域に子どもが少ないとか人口減少で過疎化しているとか不平不満ばかり並べる前に、凡事徹底して地域の宝や徳を磨き、それを未来へと大切に見守っていけるような日本人でありたいと思います。

 

お手入れの功徳

日本には古来から穢れという概念があります。これは別の書き方で氣枯れともいいます。元氣が枯れていくということで元氣がなくなるということでしょう。元氣というものは、どういうときに失われていくのか。それを一つ一つ見つめていると、わかりやすいものに病気というものがあります。病は気からという言葉もありますが、気が枯れることで病気になっているとも言えます。

そもそもこの病気の定義は、身体の病気、心の病気、精神の病気、あるいは環境の病気、場の病気、あらゆるところに病気はあります。その一つ一つを取り除いていくことが、穢れを祓うことであり、清めていくということになります。

この清めるというものは、どのようなものか。それは私たちは日常の中ですぐに感覚として理解できるものがあります。これは掃除です。掃除は、あらゆるものを祓い清めてくれます。先ほどの身体も心も、精神も場も清められます。私たち日本人が、清々しさを大切にするのは古来より気枯れを予防するような生き方をしてきたからです。

気枯れは、例えば不安、心配、恐怖、また苦痛や執着、猜疑心や嫉妬などあらゆる悩みからも発生します。また水が澱み、風通しがわるいときも発生します。他には、ゴミのように使わなくなったものが増え、消費や浪費が多いところにも発生します。不平不満をもって文句を言えばすぐに発生するものです。

人間は生きていれば、知らず知らずのうちにこれらの感情に呑み込まれていきます。特に現代のようなお金を優先にして比較されたり差別されるような格差環境では気枯れは容易に発生します。

だからこそ主体的にそれを乗り越えていくような祓い清めが必要になります。つまり気枯れではなく、「元氣」になるように生き方や心の持ち方を換えていく実践が必要になります。

心の世界は、心の世界で禍を転じて福にするために感謝や徳を積むという実践があります。精神の世界では、全てをお任せで安心の境地に入る実践があったり、身体の健康ではちゃんと真に元氣があるものを食べるような医食同源の実践があります。

しかしこれらを全部ひっくるめてやっぱり最も効果があるものは何かと突き詰めれば「掃除の実践」であるのは間違いありません。掃除は私はお手入れともいいますが、お手入れをして穢れを祓い清めるのです。

日々の小さな実践でもっとも効果があるのはこのお手入れの功徳です。丁寧な暮らしを通して、子どもたちと一緒にお手入れの功徳を積んでいきたいと思います。