場の流儀

「場の道場」では、そのほとんどは場を磨き調える実践ばかりに取り組みます。仕事をしやすいような環境はありますが、仕事の前には常に場を調えるためのお手入れやお掃除をしていますからいちいち長い時間がかかります。

通常、都会のオフィスでは掃除屋さんが入っていたりしてゴミも綺麗に片づけられて翌朝、出社したらすぐに仕事だけをします。あとは、時間に追われながらひたすらに仕事をするだけです。

しかし私たちの「場」は、自分で掃除しお片付けも自分です。室礼をはじめ、お花の手入れや畑の草取り、あるいは妙見神社などの掃除やお水換え等々、やることが多くてすぐに仕事ができません。忙しい人には向かない場所です。またお昼ご飯も畑で採れたもので工夫して調理をし、みんなで一緒に食卓を囲みます。お茶もお菓子も、みんなでゆったりと食べて片付けます。その時々の気づきや振り返りや対話も大切にして脱線することばかり。一般的なオフィスとは対照的に時間がゆっくりと穏やかに流れます。

頭を使う仕事には、心はいらないという具合に都会での仕事は時間ばかりを優先してあれやこれやと短時間に詰め込みます。頭がいいことも一つの才能かもしれませんが、その頭が心を使うことは決してありません。頭は頭だけで完結しています。しかし心は頭を用いることができます。私たちは心が先で、そのあとにあらゆる能力を活かせるようになっています。その中心になっている、心が不在では何をしても「場」はできません。

そもそも「場」とは何かと私に聴かれると、私はいま取り組んでいるむかしの田んぼであったり、畑のことをたとえて話します。かれこれ15年ほど、自然農でお米も高菜も育ててきましたが今では田んぼや畑がちゃんと育って自然に育ちやすい場になっています。つまり「場が醸成された」ともいえます。

その場の醸成は、頭であれこれと時間を惜しんで仕事のようにやってきたわけではありません。むしろ、手間と暇ばかりをかけてお田植祭や新嘗祭など数々の祈り、また直来でみんなでお結びを食べたり笑いあったり予祝したりと楽しんできました。畑もギターを持ち込みライブをしたり、法螺貝を吹いてはご挨拶と祈りを続けました。そのうち、いい生物仲間たちが集まり今では肥料も農薬も何もしなくても自然にいいお米も高菜もできてきます。心を磨いて調えるいるうちに土が易変わったのです。もちろん、作業をしていないわけではありません。しかし先に心を用いてからやっているというだけです。ふざけたように仕事をしては、真剣に真心を籠めて今の暮らしを磨いてきただけです。

本来、私たちは「場」というものを観るとき何を観て果たして場と呼んでいるのでしょうか。私から見ると、世間では場と謳っていてもこれは場ではないなぁと思えるものがたくさんあります。否定するわけではなく場の中心をどこに置いているか、見た目だけで人が集まれば場ができるというのはそれは場の側面の一部の結果の話です。

私の思う本来の場は、「心の場」です。心の場とは、心を磨き、心を高め、心を研ぎ澄まし、心を豊かにし、心を和ませるものです。だからこそ、面倒だと思われても私はいちいち丁寧に暮らしフルネスを実践して場を一緒に磨いていこうとするのです。

場を磨くことは、自分の心を磨くことであり、自分の心を洗い清めていくことで場も清浄になっていくのです。これは随分むかしに仏陀の弟子の周利槃特がすでに実践をして背中で教えてくれている智慧の一つです。別に仏陀が偉いからではなく、心の穢れを祓うことで心を和ませることができるという場を掃除で実現した事実のお話ということでしょう。

智慧の素晴らしいのはやってみるとすぐに気付きます。しかし智慧をおざなりにしていく理由は簡単で「忙しい」からです。忙しい人に智慧はありません。つまり心を亡くすと智慧が用いることができないからです。亡くしてしまうと智慧が働かず、場ができませんのでまずは心を甦生させることから実践させるというのが私の場の流儀です。

明日の「300年供養祭」の「場」をみんなで調えますが、ご供養するのは心で行うものです。みんなで心を磨いていく善い場にしていきたいと思います。

計算というもの

私たちは日々の生活の中で無意識に足し算や引き算をしています。あるいは掛け算をしたり割り算もしています。それは自分を中心に物事を計算しているということです。何かあれば計算をし自分が割に合うかどうかを考えているともいえます。割に合えばやり、割に合わなければやらない。貸し借りなどもそれで計算したりします。

これをまた別の角度から見るとある人は、足るを知り引き算で生きている、またあるい人は、もっともっとと欲望を足し算で生きるというものもあります。これは根底にその人の生き方が関係していて、同じ計算であってもどんどん貧しくなるものもあれば豊かになるものもあります。つまり計算とは生き方そのものということです。

また物質的な世界では足し算や掛け算というのは増えていくのに最適な計算方法です。物は目に見えますからそうなります。富も財産を増やすにも足し算と掛け算です。しかし心の世界になってくると、目に見えませんから引き算や割り算などが用いられます。足すよりも引いた方が、物ではない心の方が増えていくからです。物と心は同じ豊かさであっても、反比例することもあります。物と心を両面が豊かになるというのは、バランス感覚があるということでしょう。それは比べるのではなく、生き方の尺度が定まっているということかもしれません。

例えば、私たちの身体のことを考えてみます。

ある人は栄養をしっかりととっていくのがいいと信じて食べすぎ飲みすぎに加えビタミンなどをサプリで摂取します。またある人は一汁一菜で腹八分目、自然で採れた野菜や野草を最小限のものだけを摂取します。貨幣経済が跋扈する世の中ではお金があると、選択肢がいくらでも増えますがどれを選ぶかはその人の自由です。

この計算というのは一見、とても便利で合理的ではありますが敢えて計算をしないということも不便ですが実は「真の合理性がある」ともいえます。この真の合理性とは例えば日本人本来の美意識であったり、見返りを求めないで天命を全うすることであったり、運をよくするために徳を積んだりというものです。

私たちが計算するのは、自分をその尺度に入れて計算します。本来宇宙や自然は計算されているのですが計算をしていません。人が計算をしようとするとき、その計算によって自然の計算から外れてしまいます。自然の計算から離れるとき、損か得かばかりを憂うようになるのでしょう。計算外のことが起きることを怖がり、如何に計算取りにいくかをみんながやっていたらこの世はとてもアンバランスなものになります。

それが富の集中にも出てきているのがよくわかります世界人口の5分の1の人々が世界の所得の82.7%を所有して、世界でもっとも貧しい5分の1の人々は、世界の所得の1.4%しか所有していません。計算の成れの果てにつくり上げた世界が、今の富に帰結しています。

本来の自然というものは、自分の自然天命を生きるとき同時に周囲にも天命の豊かさが享受される仕組みになっています。これは計算外のようにみえますが、実は宇宙の尺度で計算通りです。その計算が乱れれば、天候不順や自然災害などで調整します。

私たちの心臓の鼓動がやまず臓器が協力し合って身体が健康を保つように、自然の計算は見事に調和しています。それを敢えて崩そうとすれば、身体もその分疲弊しますし、健康を害していきます。今の世のなかの経済というのは、如何に一部の人間の計算取りに事を運ぶかということに執着があります。

自然に計算されているのだから計算は任せるという生き方は運命を好転させていくようにも思います。ご縁を信じて、ご縁のあるがままに任せていくとこの世を去り土に還るときも計算通りぴったりということでしょう。そんな自然天命に委ねることができる人は、後世に偉大に役立つような偉業を為す人が多いように思います。學問とは、畢竟、そういう生き方を磨くための砥石のようなものかもしれません。

別に自分の思い通りの計算通りということが悪いとは思いませんが、計算にはいちいちその人の生き方がにじみ出てくると思うと計算という意識自体を磨いていきたいと思うものです。

どんなことがあってもすべて計算通りと笑って明るく今を生き切る生き方は自然計算を学んでいるのかもしれません。自然の生命に習いながら、道を歩んでいきたいと思います。

自然學問の実践~場の道場~

もともと私たちは自然からあらゆる原理を学びます。その理由は、私たちは自然に活かされ自然がなければ生きていけない存在だからです。この水も空気も太陽も植物も土も微生物もすべて存在しているから私たちの肉体をはじめ精神は健康を保つことができます。その自然の恩徳をいただき存在するからこそ、私たちはその恩徳の存在の根源は何かとその自然學問への探求心が磨かれていくようにも思います。

この自然というのは、言葉で切り分けた自然ではありません。自分も入っている自然ですからもっと突き詰めれば自分というものも存在しない、あるいは自分も渾然一体になっている自然のことです。

その自然の原理というのは、観察によって磨かれます。農などはまさに観察の學問です。自然のハタラキのありとあらゆるものを観察して察知し、その原理を活かして暮らしを成り立てます。むかしの人たちは当たり前に學問に励み、自然に精通していたともいえます。

そして同時に人間のことも観察します。人間の存在が顕す自然の原理をよく観てそれを「孝」として察知し學問を磨きます。人間の徳が、孝によって磨かれ高められ自然に深く厚く循環を恩恵をめぐらせることを発見します。

発見した原理を如何に実践するかというのが、この世の中の経世済民家であり今では経営者といわれる人たちかもしれません。経営者は、自分の経営からということであれば世界人類皆経営者ということになります。

論語大学に、明徳の道はとありますがまさに自然の道はと言い換えれば孝の実践です。人間がいつまでも自然のままであること、これを古来の日本ではかんながらの道とも言いました。

また原理を具体的に実践した人に、二宮尊徳先生がいます。

この方に「たらいの水」理論の実践があります。これはたらいを使って、世の中が丸くなっていること、つまり自然が一円であることを説きました。今では地球を外からいくらでも科学的に観察できますからこの原理は自然の原理であることはもう誰にでもわかります。その中で、二宮尊徳先生は「欲心を起して水を自分の方にかきよせると、向うににげる。人のためにと向うにおしやれば、わが方にかえる。」とし、贈与していく実践を見せてはそれが如何に循環して最終的な偉大な恵みになって帰ってくることを可視化しました。

この思想は、一円観ともいい私もこの思想の原理と同じ意識で徳が循環する経済を実現させようと挑戦しています。これを「場」に投影させるということが、今の私の実践です。

そのため私が「場の道場」を創設して、場のハタラキがどこまでその徳を循環させるのかを観察する実験場としているのです。

今回、その実験の一つの節目としてどのような働きがあるのかがまた新たに観察できます。たらいの水の理論は、私に言うとまず一円であること、そしてお水が宿していること、そして循環すること、さらには浮かんでいるということ、最後はそのたらいそのものが生きているということが重要です。

徳は永遠に巡り、それが子々孫々へと恵みます。

今の時代だからこその面白さを、學び治していきたいと思います。

暮らしの灯

私たちの文明はかなりの発展を遂げて今があります。国家というものが世界にここまで乱立し、世界は交通手段をはじめインターネットも普及し情報で結ばれ、宇宙開発も盛んで宇宙から地球を眺めるほどです。金融で象った経済も全人類のほとんどをカバーしています。そして医療をはじめ、工業技術はAIの誕生によりますます緻密に向上していくのでしょう。

私たちが何かを得るとき、同時に何かを失います。両方を失わないというのは、中庸をとるということでそれは人間力を磨き高めるということを選択するということです。

かつての人類、いや始まりの人類はどうしていたのだろうかと思いを馳せます。

すると、そこには自然と共生し暮らしを積み重ねてきた人類の姿を想像できます。最初は国家というものもなく、文明もありませんでした。きっと今の野生の動植物のように本能に従い、暮らしを循環し永続できるように自然を観察し活かして日々を生きたのでしょう。

このむかしの暮らしで考えてみると、現在、在来種の高菜を栽培してみて気づくことですが1200年も前に日本に伝来してから今までこれが保っているのは毎年、いや毎日の暮らしでこの高菜を見守り育てた先人たちがいることはすぐにわかります。

この種の発芽率を思えば、もって数年です。その間、植え続けなければこの高菜という野菜は終わってしまいます。私たちは自然と共生することで今食べる野菜が享受されているということです。いくらその間に、戦争が起きようが異常気象で地球が冷えようが諦めずにコツコツと暮らしを営んできたから今も生きているということです。

そう考えると、私たちは今の文明の前にあったものは暮らしだったということでしょう。この暮らしは怠ると滅んでしまいます。先ほどの高菜であれば、いくらお金や銭が大量にあっても誰かが暮らしの中で見守り育てなければそこで終了です。種が消えたら、復活することはまずありません。それが絶滅ということです。

現在、地球では日々にこの瞬間にも種が次第に絶滅しています。これは何が失われているかといえば「暮らし」であることは間違いありません。種が消えるということは、自然と共生して守り続けてきたそれまでの「暮らし」が消えたということです。

私が「暮らしフルネス」を実践していこうと提唱するのも、種に大きな影響があるからです。少子化の本当の問題もまたこの暮らしにあります。暮らし方が変わり、暮らしをやめているから種が消えるのです。

人口が増えているのは、在来種を守る暮らし、自然と共生する暮らしをやめているからです。工業のように大量生産し標準化すると種も増えます。しかしその種は、何万年も維持してきた自然の種ではなく人工的な種ということになります。人工的な種はその場しのぎですから長くは持ちません。それに人工的なものは、自然との共生が難しくそのために大量の費用がかかります。人類は、銭金を追い続けて増やしてきたからこそこの負のスパイラルから抜け出せません。

だからこそ、今こそ原点回帰して「暮らし」を換える必要があると私は感じるのです。この時の暮らしは、暮らし方の転換であり、生き方の転換です。日々に何をすることが自然の循環となるのか、もっと言えばどう生きれば徳が循環するのかを意識して暮らしを改革していくのです。

そのうち人類は、自然と共生することが暮らしでしかできないことに目覚めます。すると、文明を否定することではなく中庸であることを尊ぶ新しい意識が誕生します。両方をとればいいということです。

しかしそうあるには、暮らしとは何か、暮らしを新しくするのはどういうことかから始める必要があります。それくらいこの数百年の教育や変化のなかで私たちはそれを捨ててきたからです。捨てたものを拾い新しくすることが、人類の夜明けには必要だと私は感じています。

実はこの暮らしは、誰にでも変革できます。一人でもできます。むしろ一人でやるものです。どんな時も私たちは自然が味方になってくれています。思い出して忘れたことを思い出し、今ならどう新しくできるのか、時代時代に普遍的な道を求めた人たちが闇夜を照らすものです。

子どもたちのためにも、暮らしの灯をともしていこうと思います。

自然から學ぶ

懐徳堂に関わり、改めて麻田剛立先生のことを深めていると學問への真摯な姿勢や自由で独創的な取り組みに感動します。懐徳堂でも鵺学問といわれ、あらゆる分野の善いところを取っていると揶揄されたと言いますが本来はそれが學問の本質ではないかと思います。

今は専門分野に分かれ専門家が特別な学問の人のように語られます。しかしよく病を見て全体を見ずのように一部の原因だけに詳しく全体のことがわからなくなることもあるように思います。業界が分かれて、業界の中だけの人になるということは往々にしてよくあることです。

実際に何かを究めていこうと取り組むと、ありとあらゆることがアンテナに飛び込んでくるものです。例えば、いのちを調べていこうと思ったら微生物やウイルスなど目に見えないものから具体的な植物の成長や動物の発達、あるいは宇宙や星々の運行などにまで興味がわくものです。

麻田剛立先生は、天文学をしながら医者で生計を立て日本では三番目に古い人体解剖書『越俎弄筆』を懐徳堂の中井履軒先生とも行いました。39歳で脱藩をして大分から大阪へと移住し、そこで自由に天文学の研究をし先事館を創設し弟子たちを指導しながら道を拓きました。5歳から太陽と影の関係を観測し、ケプラーの第3法則を発見したり、月のクレーターを含む月面地図を日本人で初めて観測し画きました。孫弟子には伊能忠敬先生に結ばれこの生き方や思想がのちの日本地図を完成する偉業につながります。

どの時代の学者も自分の理論や理屈にこだわっている人ばかりですが、この麻田剛立先生は自分の理論や理屈には囚われず何からでも学びました。また自分の観測結果や学習した理論を惜しげもなく自由に公開していたといいます。名誉や出世などに影響を受けず、自由に學問に没頭し、生涯謙虚に純粋性を大切になさっていた人柄が偲ばれます。

そういう麻田剛立先生だったからこそ、三浦梅園先生も心から信頼して一生を信じる友となっていたように思います。我執よりも純粋に學ぶ姿は、私たちに自由の本当の意味を気づかせてくれます。

自然から學ぶということがどういうことか、先人の生き方や生きざまから學び直していきたいと思います。

ふるさとの宝

私たちの暮らしている場所にはそれぞれに固有の風土があります。この風土とは、その地域の自然環境のことです。しかしその自然の中には、単なる気候や土や環境のようなものとは別にその地域の人々の気質や生活文化、そして醸成されてきた性格を含めて様々なものが混淆しています。これらを括って風土ともいいます。

その風土が生んだものの一つに特産品というものがあります。これはその地域でしかできない、その地域固有の個性です。食文化などもその影響を大きく受けています。私たちが観光である地域を訪れ、その地域の素晴らしさを実感するときにその地域の特産品をその場所で食べると驚くほどに美味しく感じ、その地域の魅力に深く魅了されます。

私もかつて旅行でその地域の特産品を食べて感動して、それを持ち帰ったり東京で食べたりしましたがあまりその時のような感動がありませんでした。その「風土の中で」というのが最も重要だったことがわかります。風土には、人物空間、歴史や伝統などありとあらゆるものが混然一体になっているということでそれを深く味わえるのです。

この特産品の「特」というのは、特別の特のことです。この「特」の字はもともと古代中国の象形文字です。元々は牛に関する特別な印を示す意味で、牛をさしていたとされています。それだけ他とは異なる最も優れたものが牛だったということでしょう。特許や特有などといってむかしから大切なものの総称としても使われます。

そしてこの特産品は辞書で引くと「ある特定の国や地域でのみ生産 されたり、収穫 される物品のことでその地域を代表しその土地の気候風土を生かした物品のこと」とあります。

似た言葉に名品、名産品というものがあります。これは「その土地でしか作られないわけではない」ものです。その地域で売れていたり有名なものが名産品です。

しかし不思議なことにこれだけ重要な名産や特産の違いはあまり気にされず、言葉の意味や使い分けの部分は曖昧なままに偽物が年々増えているように思います。産地偽装や原材料の不透明化、さらには加工している時に大量の化学添加物を入れたりその土地の人や道具、あるいはプロセスなども無視したものでもまるで本物のように出回ります。世間では原材料も一部は違っても100パーセントと言っていいとかの規制緩和があったりして?ですし、他にも色々と調べれはきりがないほど「グレーゾーン」な部分が増えるのが当たり前で世の中は誤魔化しばかりです。それこそDAOの技術であるブロックチェーン技術も今は偽装を防ぐためばかりに使われています。

海外ではブランド品が模倣され様々な問題になっています。信じて買ってみたら、実際には偽装されたものだったとなれば売る方も買う方も悲しい気持ちになります。そうならないようにと、色々と対策を立ててはいますが売り買いする方も見た目ばかりを誤魔化して販売してきたことで、本物を見分ける力も失われているものです。

例えば、食に関する特産品であれば生産から加工販売まで全てを正直に自分で取り組んでいる人は偽装はしません。首尾一貫して本物にこだわり、伝統文化を守り風土と共に生きる人は偽装できません。それを「現場に見に行けば」すぐに本物かどうかは見分けがつきます。ただ、儲けに目が眩んで正直に取り組まなくなれば品質は下がります。

農業であれば、農薬や肥料をつかい機械化し大量生産をし種を改良しとすれば本来の風土の味が劣化していきます。加工でも便利なものを使い時短をし添加物などで誤魔化せば味が劣化します。また販売する方も、見た目ばかりで消費者が買いそうなものにデザインし流通にのるように価格をコントロールすることでさらに味が劣化します。

つまり正直に取り組まないから味が劣化するわけで、正直に取り組んでいれば味はその風土を体現するような本物の磨かれた味わいが出てきます。味に出るから本来は誤魔化せないはずなのですが、味を目や脳みその思い込みで食べている時代はなかなか本物を見分ける本能や感性も劣化してしまうものです。

話を戻せば、特産品というものは本来は「ふるさとの宝」です。このふるさとの宝をどう甦生して、そのふるさとの魅力を開発していくかはその志事に関わる人たちの大切な使命であるはずです。

それに気づいている人たちが地域の宝を守り、その宝を守る時にブランド化するということでしょう。みんなで守ろうとしなければブランドはできません。まず何が地域の宝なのか、そしてその宝をどう守るのか、それが将来の子どもたちや子孫へ何を譲り遺せるかにかかってきます。私が取り組む古民家甦生もですが、現在の消費優先の利益吸い上げ型の仕組みに気づき宝を磨いて守っていくような経世済民型の仕組みに転換していく必要性を感じています。

核心は常にこの宝を何にするかにかかっています。

引き続き、人類の本当の宝を磨いていきたいと思います。

自學自悟

懐徳堂に学んだ人物に富永仲基という人物がいます。この方は、今でいう兵庫県、摂津尼崎の人で幼少より懐徳 堂に入り醬油醸造業を営みながらも三宅石庵に陽明学を学びます。陽明学は、知行合一の実践を重視する學問です。そし仏教・神道をも学び、のちに儒・仏・神のいずれも否定し「誠の道」を求めることを著書で主唱しました。

これが今でも大勢の思想家や哲学者、宗教家に影響を与え続けていると言います。

まさに生き方は、學を志、孤高を歩む独創的な人です。夭折されたこの天才が世の中に今知られるのは、一つは弟の富永定堅を中心に兄の遺志や著書を守ったからかもしれません。

これは私の解釈ですがそもそも學問は権威のためにあるのではなく、本来は自己の内面を磨くためにあるとすれば経典をはじめあらゆるものに派生した分派や派閥などは本来の誠の道ではないというのでしょう。

そして最初にはじまった道、つまり真心の人は決して経典に書こうなどしていない。経典や文章にしたのはその口伝だったものを弟子たち及び周囲が聞き取りそれを明記し、それが次第に権威になって信仰の対象のようになっていったということ。

それがどのようになっていったのかを学問的に分析して明記したという意味では、本来の歴史をどのように人間が改ざんしていくのかを解釈したものとも言えます。

そもそも歴史というものも、普遍的な中庸の道ではなく誰かが時代時代に価値観や文化を改修して都合のよいものに変化してきたものです。その時の権威によって内容はコロコロと変えられます。言葉や文字も同様に、同じ言葉や文字を使っても意味は全く異なります。

今でもこの富永仲基が天才や独創と呼ばれる理由の一つは、世の中の権威や当然の価値観を否定しているからでしょう。學問において自由にどこまで話していいのか、その本当のことを語れば抹殺されたり永久に資格をはく奪され追放されたりするのがほとんどです。そういう意味で、世の中に真実というのは出回りません。出るときは、利用されたり敢えて極端な説を引き立たせるために使えるところだけを抜きとって改ざんするときです。

富永仲基が語る誠の道とは何だったのか、これは私のかんながらの道と同じではないかと直観します。

最後に富永仲基の言葉で締めくくります。

「善をすれば則ち順、悪をすれば則ち逆、これ天地自然の理、もとより儒仏の教えに待たず」(「出定後語」)

最初からある存在、そもそも誰かが手を加えなくてもいい真理、教えなどなくてもこの世にはそれがあり、この智慧こそが學の道ではないかと話しているように私は感じます。暮らしフルネスもまた、同様に智慧を場に投影して先入観なく中庸に学ぶ実践です。

教えから入るのではなく、自學自悟することが道であるということでしょう。自由な學問を実践していた懐徳堂で幼少期から純粋に学んだからこそこの数々の著作につながったような気がしています。

刷り込みや先入観などすべてを取り払い、私も自分の眼で感じたことを実践していきたいと思います。

独創の生き方

三浦梅園先生の影響を大きく受けた人物に1949年に日本で初めてノーベル賞を受賞した物理学者で中間子理論を生み出した湯川秀樹先生がいます。その湯川先生は「もし梅園に出会わなかったら、私はノーベル賞をもらえなかっただろう」とも話をしています。

では出会って何に気づいたのかということになります。それは一つは、常識という枠外にあるもの、もっといえは刷り込みのまったくないそのものから学んで気づいたという學問への在り方やそのうえで本当のことを恐れずに追及していくことではないかと私は思います。

その湯川先生はこうもいいます。

「独創的なものははじめは少数派。多数というものは独創ではない」とも。

現代の世の中では多数派が力を持ちます。多数派は、人気がありお金も仕事もたくさん得られます。そして周囲からも評判を得られます。独創の対義語は模倣ともいいます。誰かの知識で理解するということでしょう。自分が自ら悟って得た知識ではなく、誰かの知識を模倣して標準化した人が現代ではオリジナルとも言われたりします。

そもそも独創的な人は周囲から理解できません。周囲できないから独創的ともいわれます。何を言っているのかわからないともいえます。それが多数派になったときはもはや独創ではないということです。

それだけ自分で學問を探求する人は、周囲には理解されません。しかし今の勉強ではそんな独創的なもの、言い換えれば独りよがりのものは予算もつきませんし、世間の評価というものもありません。そんなことをさせてもらえる環境はないとも言えます。

なのでいつの時代も独創的な人は、自力で執念深く自らの力を頼りに探求していきます。それがある時、世間に知られてしまえばそこからは膨大な予算や評価もつくのでしょう。

しかし最初は一人からはじまります。そういうものが発明であり、そういうものが変革ということになります。つまり世の中を変えてしまう独創性は、そのはじめの独創的な人からはじまるということです。

これをニーチェはこうもいいます。

「何か新しいものを初めて観察することではなく、古いもの、古くから知られていたもの、あるいは誰の目にもふれていたが見逃されていたものを、新しいもののように観察することが、真に独創的な頭脳の証拠である」

いわゆる先入観もなく、自学自悟するということです。自分で悟るために自分で学ぶというようにすでに学び方が世間一般と逆転しているのです。もっと具体的に言えば、先に答えを生きているのです。これは自然観であり、宇宙観であり、発明する人たちほど持っている素養です。

そしてこうもいいます。

「世論と共に考えるような人は、自分で目隠しをし、自分で耳に栓をしているのである。」

また「たくさんのことを生半可に知っているよりは、何も知らないほうがよい。」とも。

そして「孤独な者よ、君は創造者の道を往く」と。

独創という生き方こそ、本来の創造であるということでしょう。独創というのは、その言葉の通り独りで創りあげるということです。

私も色々なことに挑戦していますが引き続き、独創の生き方を貫いていきたいと思います。

先人たちの御恩

昨日は、国東半島にある三浦梅園先生と帆足万里先生のお墓参りをしてきました。三浦梅園先生は、昨年冬の生誕300周年記念イベントの深い學びに感謝の御礼をしてきました。旧宅でもご位牌にお経をあげて懐かしい時間を過ごすことができました。三浦梅園先生は、ご両親をはじめご先祖様をとても大切になさったと言われます。

実父の死後には三浦家一統の墓石を一ヶ所に集め、一日三度の墓参を欠かさず老齢に至ってからも一日二度の墓参は亡くなる数日前まで続いたといわれます。長男の黄鶴が「死に仕ふることかくのごとし。生に仕ふること、知るべし」とその生きざまを残しています。

これは列子にある「生を視ること死の如し」とも似ています。生死は自然の一部として分けずに超越しどれも天命や宇宙の流れの一部として身を任せるという生きる態度のことです。

そもそもこの世にある元氣や空氣などという氣というもの、目には観えませんが確かに存在します。また霊魂などといわれ、意識、念というものも眼には観えませんが確かに存在します。どれもこれも自然ということで、万物は常に一体善として存在するのだからそのすべてに仕えるということでしょう。

常に分けないで当たり前の暮らしを丁寧に実践しておられた三浦梅園先生は亡くなった今でも私の恩師です。その先生の言葉に、「学問は飯と心得べし、腹にあくがためなり。掛物のやうに、人に見せんずるためにはあらず」とあります。

このブログもですが、誰かに見せたり名誉や地位や金銭のためにするのではなく日々の丁寧に滋味を食べていく御飯のように學問をすることへの態度を語られます。常に日々の生き方が學そのものということでしょう。

また現代でもメディアを賑わしている人たちにも似ているのかもしれませんが「学文は臭きなのやうなり。とくと臭味を去らば用ひがたし、少し書を読めば学者臭し、余計書を読めば余計学者臭し、こまりしものなり。」ともいいます。

これは三浦梅園先生に学んだお弟子さんの一人に脇蘭室先生があります。この方が、「學問の道は知ると行うにあり。必ずよく知り、よく行うこと」と常に自他を戒めていました。また自分を愚山とも名づけこういいます、「この山は土は浅くてよい木材を育てることができず、勢いもなく雲を生み雨を降らすこともできない。したがって誰にも振り返って見られることのない山、私はこの山に似ているので愚山と名乗ることにした」と。學は志を遜にするにありの実践です。

學を志す姿勢や態度は今の時代はどうなっているのでしょうか。親孝行をし、家という社會をどのように治めていくか。畢竟、世界の紛争や欲望で大衆がどうしようもないところまで追い詰められる前に如何に未然に調えて守ろうかと考えたとき、そこには教育しかないことに氣づきます。學問は、人のためにあるのでしょう。そしてそれは謙虚に、真心の実践を積さかねていくことで徳を醸成していくことが一番の道です。

また帆足万里先生は、その脇蘭室より学びます。一生涯、恩師として慕ったことがわかります。その帆足万里先生も自らを愚亭と名乗ります。私塾の西崦精舎(せいえんせいしゃ)では弟子たちの善いところを見抜き、それを活かすために一緒に學を深めたといいます。外科医に向いている弟子がいれば、自分が外科のことを學び導き、オランダ語も40歳から学び、弟子たちを導きました。ここでも知るだけではなく行うことを重視した生き方が観えます。

時代が変わっても、學問の態度や本質は普遍的で変わることはありません。人格を磨き上げて謙虚に真摯に取り組んだ先人たちの背中を見ては恥ずかしい思いがします。自分はどこまで知った気になっているのか、自分を省みると本当はどれだけ実践で気づいて語っているかと思うととても残念な思いもします。まだまだはじまったばかりの學問を定期的に報告していますが謙虚にありのままのことを伝えていきたいと思います。

先人たちの生き方が私たちの今を照らします。心からご冥福をお祈りし、志を継いでいきたいと思います。

徳積帳のヒント

江戸時代における日本最大の私塾に日田の咸宜園があります。これは豊後の三賢人の一人、廣瀬淡窓が開いた私塾です。三賢人は他には、梅園塾の三浦梅園、西崦精舎の帆足万里があります。それぞれ独創的で本質的な教育者で和の系譜を伝承されています。

廣瀬淡窓は、敬天思想の実践者で「万善簿」をつけて善に取り組みました。これは毎日善を積めれば白丸、そうではなければ黒丸、毎月集計して白丸を増やしていき一万の善を積むというものです。この善は、別の言葉では徳ともいいます。毎日徳を積んで、一万回ということでしょう。日々の暮らしを善や徳を意識して実践するというところに、この咸宜園の理念を感じます。

咸宜園の「咸宜(かんぎ)」は中国の詩集「詩経」の言葉fr「ことごとくよろし」という意味になります。これは徳を活かすという意味とも言えます。また実際には身分、学歴、性別を問わず誰でもどんな人でも入塾ができるという三奪法(さんだつほう)」というものを定めます。年齢や地位や職業など問わないで人間本来の學問を一緒に取り組むということでしょう。

むかしの私塾の創設者や學問を立てた人たちは、その人格のすごさや内容の素晴らしさにいつも感銘を受けます。これは伝統技術や伝統工芸でもむかしの人たちのつくり上げたものに現代の人たちが叶わないのと同じです。それだけ人格が磨きあげられ、暮らしが丁寧であったことが想像できます。

廣瀬淡窓は、學問への姿勢として「淡窓詩話」の中でこういうこともいいます。

「天下ニ廣ク流行スル説ハ。其説必ス浅近(せんきん)ニシテ一偏(いっぺん)ナリ。如此(かくのごとく)ナラザレバ。中下等(ちゅうかとう)ノ人ヲ引キ入ルゝコト能(あた)ハズ。予ガ如キ漠然タル説ハ。迚(とて)モ人ノ耳ニ入ラズ。是亦子莫カ中ヲ執リテ權ナキノ類ナルベシト。自ラ一笑シテ止ミヌ。」

意訳ですが、「天下に流行している学問の極端な説は、浅はかで偏っているから人気があってすぐにうける。しかしそういう俗うけするものはそういう浅はかな人たちがばかりが集まってくるものだ。自分のいうような当たり前の説は、ほとんど広がらないし俗うけしないし目立つこともない。これは中庸であるからで、極端ではないからであると。いつも笑って受け流している」と。

これは現代の珍しい著書やニュースや偉い人たちが極端なことをいってテレビなどで注目されて人気が出ているのを見てもよくわかります。みんな新しい説や極端な説ばかりを探して、メディアはそれを取り上げては情報ビジネスで儲けています。しかし、本来の中庸とは「あたりまえ」のものです。それは空気や水や光などの自然の道、あるいは暮らしという生活と意識であったりもします。

私も日頃から話していて世間からみるとそんなの知っているということを何度も地味に伝えています。しかし知っているだけで実際にやっていないのならそれは知っているとは言わないものです。知りたがりが増え、知ることが目的になってしまえば、あたりまえの本質的な意識を改革するような暮らしは遠ざかる一方です。一人の暮らしが変われば世界が変わるといっても、今は10億人が変わることの方が変わったという時代です。

本当のことを學ぶは、人の教育の理由と本質であり、人格を磨くことにおいてはまず「あたりまえ」から共に學び直しはじめましょうということかもしれません。それは古今問わず誰にでもある普遍的な「暮らし(生活)」からということでしょう。むかしの私塾が全寮制であったり、共に師弟で薫風するのを見つめているとその本質を感じます。

私もこの場で暮らしフルネスを実践していますが、引き続きあたりまえのことを丁寧に取り組み徳を積んでいきたいと思います。