一念

その道を究めるというのは、その道のイメージの先を創造するということです。言い換えれば未来を創造する力があるということでしょう。そもそも信じるというのは、何を信じているのか、それは今の世界を丸ごと信じているということです。本来は、こうあるものという強い思いこそが今に宿りそれを未来にします。そう考えてみると、未来を観ているというのは今を盡しているともいえます。

私が一昨年より深めた三浦梅園先生をはじめ二宮尊徳など、常に遠くをはかり今を生き切っておられました。つまり、遠くが観えるというのは未来を観ているということです。その時の未来は、過去か未来かの二元論の未来ではなくまさに今此処のこの瞬間にあるすべての未来をみつめているように思うのです。

今の心、今を信じる心、それを念じるとも書きますが念じ続けているように道を歩んでいるのです。これは専門家や学者が言葉遊びをするような単なる文字や物質としての言語ではなくまさに次元も超えて宇宙そのものと一体になっているような「一念」のことです。

この「一念」とは、先に一念がありそのあとに未来が着いてくるというものです。つまりそういう未来を信じるということを決心覚悟するということが一念発起ということでしょう。

常に一念を持っている人は、生き方に出てきます。一念を生きるように、そういう人生を歩んでいくのです。そういう未来を信じる人たちが集まり、その未来を具現化するのです。人には、同じように色々な一念があります。それも異なります。ある人の信じるがあれば、別のある人の信じるがあります。しかしその信じるものがこの世を創っていきましたから、こうありたいと願ったことや祈ったことは代々長時間をかけて醸成され今に生きているものです。

例えば、ある先祖が悲惨な戦争を体験し一念を定めて生きたとします。寿命が尽きてこの世に肉体は残らなかったにしてもその一念はいつまでも生き続けて、その一念を信じる人たちが後を継承していくのです。

いつの日か、必ず実現したいと思う未来へと一念を抱いて取り組んでいくのです。一念は、数珠繋ぎのように一念の連鎖をしていきます。それを永遠に永続することが念仏ということかもしれません。私たちは本来の人になること、一人になること、一念をもつことを生涯をかけて道を歩み学び続けていきます。

どうやったら人になるのか、歴史を鑑みるとそこに挑んだ先達たちの後姿がたくさん遺っています。そういう余韻や残り香を感じながら、念をまた一つ強くし磨いていくのも仕合せなことです。

私の未来が八百万のいのちの喜びになるかは、この先のかんながらの道が定めていくでしょう。真摯に豊かに一期一会の今を磨いていきたいと思います。

えにし

昨日は、カグヤの恩人の一人であり今も私たちの心の中で共に歩むメンターの方のご自宅にお伺いしてきました。今年の7月に天命を全うし天に還られましたが今でも目を閉じ耳を澄ませばいつでも生前の声が聴こえてきます。それくらい、長い時間をかけていつも深く気にかけてくださり、まるで自分が代わりに実践されているように私以上に自分事としてご指導やアドバイス、たくさんの示唆をいただきました。

人生に真剣な方で、今此処を生きておられました。気づいたことや必要なことがあれば、深夜であろうが早朝であろうがいつでもお電話いただけます。しかも電話登録などもしておらず、番号で覚えておられました。また、必要な言葉があったりそれを伝える本があればすぐに郵送してくださったりファックスをいただきました。

脳梗塞で倒れ、半身不随で車いすの生活をしながらもその障碍をものともせずに誰よりも真摯に即断即決の行動力でできることはすべて行っていました。

誰よりも未来の先を見据え、本来の世の中、これからの世の中がどうなるのかをよく見極め、それを誰よりも諦めず、また小さな力でも信じる力があれば必ず世の中は変わると誰よりも信じていました。

昨日は奥様と私たちの会社の役員たちとで生前のお話をたくさん共有しました。思い返せば、どれもその方らしい思い出ばかりでこんなにもありのままの純真な自分のままで生きて、そしてあるがままに正直に接してこられた方だったと実感しさらに尊敬の気持ちがこみあげてきました。

自分もありのままであるがままで人を愛し、愛されるような純真な生き方がしたいと改めて気づき直すことができました。

御霊前でその人の面影を語り、泣き微笑み、天然な奥様とみんなで時には大きな声で笑い合いながらたくさんお話しました。今でも身近にいて、いつも離れずに一緒に見守っているという感じがここまでするのははじめての体験です。生きていた時からずっと魂を結び寄せてくださったからだと思います。

このようなご縁をいただけたこと、その「えにし」に深い感謝しかありません。そして「えにし」は終わってはいません。これからこの「えにし」をどう活かしていくかが、人生の道と旅の醍醐味です。そして旅は進み、道はまたここから一緒に創造していきます。

こうやって魂の荷物を預かってその先に届けていくように、前の人たちの志を共有して吸収して和合しながら人生は豊かに美しく広がります。

最後に、点塾で藤坂泰介さんと清水義晴さんの息遣いを感じる余韻の場で法螺貝を奉納してきました。あの響き合う音の仕合せをこれからも胸に秘め、子孫たちのために私の天命を盡していきたいとおもいます。

ありがとうございました、これからもよろしくお願いします。

 

小さなことこそ美しく、小さな力こそ偉大

私たちは小さいや大きいなどで規模を量ります。これは数字上の大小では特にはっきりと差が出ます。しかし同じ大小でも、生命というものであれば小さなものも大きなものも同じで差はほとんどありません。どちらも神秘的であり宇宙が創造した唯一無二のものです。

比べられる二元論で何でも分けているうちに、本来の真価が分からなくなるのは人間の性質でもあります。正義と悪、男と女、大と小と比較するうちにどちらが良いか良くないかと何でも比較するようになりました。

太陽と月と比較できるか、水と火は比較できるか、本来はそれらはどれも唯一無二で比較はありません。しかし特定の誰かや、あるいは大多数のその時代の価値観によって操作されていくものです。

私の尊敬する方は、小さなことこそ美しく、小さな力こそ偉大だということを仰っていました。これは今の時代が、大きなことが価値があり、偉大とは大きいことだと思い込む時代であるからです。本来は小さいか大きいかではなく、そのままあるがままが価値があるということですが今ではあるがままも小さければそれはダメかのように評価されます。

消費されることや、資本がたくさんあることが価値があり消費できないものや資本がないものは経済効果もないかのように言われます。この時の経済効果は、金銭的な数字上の差のことです。何でも物質的なものや数字に置き換えて考える世の中になっていますが、数字ではないものの効果はどうなっているのでしょうか。

本来は、二元論ではない永遠や無限、真心やご縁やいのちなど、比べることができないものの中にこそ本当の真価があるように私は思います。その境地に入る人は、その次元の言葉を使い、生き方を示します。

どんなに小さな実践であっても、それは実践そのものです。実践に大きいや小さいなどは本来はあまり関係がありません。大切なのは、どのような心で実践したか、どのような次元で取り組んだかということでしょう。

その真価を知っている人は、まるで川の水が流れ続けて已まないように静かに澄んで逝きます。魂の澄み切った人、魂のままであった人の純粋な美しさはまさに永遠の力であり、もっとも小さな力で偉大な美しさを顕現されます。

シンプルであること、正直であること、真心で生きること、これからも学び続けていきたいと思います。

美しい合理性

美しい合理性という言葉を、以前ある方に教えていただいたことがあります。合理というものは、理に適っているという意味や、目的に合っていて無駄のないという意味、つまりはシンプルであるともいいます。

シンプルなものは、そこに美しさがある。私たちはそれを美意識と感じることができるということでしょう。これは別のものでは、自然が同じものでしょう。自然はすべて道理に適っています。道理に合わないことはありません。自然は一切の無駄もなく、そこにゴミ一つ出ることはありません。逆に合理的ではないというのは、無駄もあって目的もズレ、道理に外れてゴミも出るということです。つまり何か循環しないものが発生しているということでしょう。

美しいものというのは、地球全体の姿でありそうではないものは地球から外れたことをいうのかもしれません。何が地球や宇宙の理に適っているのかを分かるというのは、地球と共生しその循環の一部としてのお役目を全てに全うしていることが合理ということになります。

また共生というのは、単に一緒に生きているだけではなくお互いの徳を存分に発揮してイキイキするということでもあります。人間であれば、互譲互助している姿に美しさを感じるものです。

この美しさというものの表現には、透明で澄み切ったものを感じる感性を感じます。簡素さや清浄さ、純粋さや真心に人が美しさを感じる理由はそれが合理性というものと結ばれているからでしょう。

まだまだ美については、深めていきたいことがたくさんあります。何が美で何が醜いのか、美醜の別を自然から学び直して美しい合理性を磨いていきたいと思います。

 

 

米百俵からの学び

佐久間象山の門下で二虎と呼ばれた人物に吉田松陰(寅次郎)と小林虎三郎がいます。どちらも志と教育を実践することにおいて魂を磨き上げた人物です。吉田松陰はよくこのブログでも書いていますが、小林虎次郎においてはほとんど書いたことがありません。少し深めてみようと思います。

もともとこの小林虎次郎という人物が世の中で有名になったのは山本有三の戯曲、「米百俵」です。この戯曲は、小林虎三郎に関する現地の聞き込みなどの詳細な研究と合わせて一冊の本にまとめ1943年に新潮社から出版されて人気を呼んだものです。

具体的には、戊辰戦争の敗戦によって城下町は焼け野原になり、さらにはそれまでの石高が従来の三分の一になり武士たちをはじめ長岡の人々が食べるものもないほど困窮しました。その時、支藩の三根山藩がその惨状をみて米百俵をお見舞いとして贈ってくれました。藩士たちは大変喜び久しぶりに御飯が食べられると喜んでいたら、それをその当時の大参事(家老)の小林虎三郎が学校を建立すべきとして藩士と共に学校を建立した話です。

これは以前、私がオランダに訪問したときライデン大学の創立の時に同じ話を聴きました。これも80年も続いたオランダ独立戦争ではじめて民衆の力で独立を果たしたとき、その報酬として民衆に何が必要かと問うと最初に学校が必要だといってできたそうです。それがこのオランダ、ライデンの誇りとして今でも立派な人や優秀な人たちがオランダから排出され続けています。

長岡も同様に、なぜ敗戦したのかと反省するとき「人物」によると定め、立派な人を育てる学問が必要で、それを果たすためには学校がいるという判断をしたとあります。もともと歴史を深めると、長岡藩は最初から戦おうとしていたわけではなく中立でむしろ戦わないようにと働きかけていました。しかし、明治維新で江戸に無血開城が決まり血気盛んな薩長土肥やその背後の勢力が義を無視して攻め込んだようにも思います。色々と幕府との関係においての復讐もあったのかもしれません。

どちらにしても時代の先をよく見据えて、何がもっとも根底から藩を立て直すことができるかを考え抜いたとき学校を創るという判断になったように思います。明日食べる御飯もない飢餓のなかで、遠く先を見据えて行動できるというのはまさに武士道の鑑のような実践で感銘を受けます。今の時代も、目先のことばかりで自分たちのことばかりで長い目で遠い先を見据えたことが蔑ろになっています。

徳というものも本来は、長期的に実践するものでありそれを徳目とも呼びます。如何に経世済民をするか、如何に徳を循環させるかは遠い未来のためにと取り組むしかありません。

先ほどの米百俵の戯曲にはこうあります。

「この米を、一日か二日で食いつぶしてあとに何が残るのだ。国がおこるのも、ほろびるのも、まちが栄えるのも、衰えるのも、ことごとく人にある。」「この百俵の米をもとにして、学校をたてたいのだ。この百俵は、今でこそただの百俵だが、後年には一万俵になるか、百万俵になるか、はかりしれないものがある。いや、米だわらなどでは、見つもれない尊いものになるのだ。その日ぐらしでは、長岡は立ちあがれないぞ。あたらしい日本はうまれないぞ。」

また戯曲の中では子どもたちのために何ができるのかをよく考えてほしいと、また常在戦場という藩の理念に対してどうあるべきかを考えてほしいと藩士に訴えます。この常在戦場とは、常に戦場の心で生きよという生き方のことです。戦場でお腹が空いたからと取り乱すのか、常に自らを律していのちを懸けよということでしょう。長岡藩士たちは理念を実践し、長岡を敗戦から救うだけでなく負けておらぬと真摯に立ち上がって復興をし続けたように思います。敗戦からの復興は希望であり、未来であり、そしてここから学ぶことで甦るのだという覚悟を感じます。

そして国漢学校という名で創立されその初代校長に小林虎三郎が就任します。その最初の挨拶と講義は大学にある「修身治国平天下」の話だったそうです。そしてそこから近代日本を創る見事な人たちがたくさん創出されました。

どの場所にも歴史があり人があります。

私たちの中に連綿と流れている徳の川を辿り、子孫たちへとその徳を伝承することが真の歴史を紡ぐことです。伝承者として、先人の生き方から常に学び直していきたいと思います。

武士の精神

昨日は、福岡県朝倉市秋月で鎧揃えに法螺貝をもって参加してきました。これは島原の乱より秋月藩が武運長久と尚武の精神を培うために行ってきたものです。一度途切れたものを60年ぶりに復活させ、少しずつですが人数も鎧も増え行列も凛としてきています。法螺貝の数も少しずつ増えて、見学に来られる関係者も増えてきました。こうやって伝統が甦生し新しくなっていく現場に参加できることに深い感謝の念が湧きます。

秋月という場所の力、またその環境で生きてきた人たちの実直さ、そこに連綿を続いてきた秋月の武士道精神を深く感じます。

そもそも私たちは武士というものをもう知らない時代です。かつては常に武士は道徳規範を学び、常に自らを律して義を重んじ、日頃から生活を調えて質実剛健に暮らしていました。

そういう人たちが戦うということになると、卑怯なことをしない、醜い殺戮はしないと、先祖の誇りを胸にお互いに礼をもって生死を懸けていきました。それが鉄砲をはじめ、大量の殺戮兵器が開発され武士でもない農民や一般人がその道具を使い出してからそういう武士道的なものが失われてきたように思います。ただ勝てばいいという具合です。

昨日、米沢藩と秋月藩の大筒を使った砲術の交流があっていましたがその取り組む姿勢や一つ一つの作法に武器を扱う側の人間の人格のようなものを感じます。人間性を失わないでいることに武を磨くのです。

武士道とは何か、改めて学び直す一日になりました。

引き続き、古来から大切にしている先人たちの生き方を子どもたちに伝承していきたいと思います。

場の甦生

昨日は、英彦山で武家茶道を体験しみんなでお茶を味わうお時間がありました。そもそもこのお茶というものは、太古のむかしからお薬として飲用されてきたものです。歴史を調べると、中国の雲南省で飲まれたという記述があったり『神農食経』には「茶若久服,令人有力,悦志。」とあり、 『華陀食論』にも「苦茶久食,益思意。」とあります。

薬用として、日常の暮らしの中で苦みのあるお茶の葉を飲む風習があったということです。この英彦山もまたお茶をつくり、お茶を飲んでいた歴史があります。宿坊の周辺にもお茶の木がたくさんあります。

現在は、鹿がほとんど食べてしまい鹿対策が大変ですが今後は増やしていこうと思っています。茶道を体験すると、その道具の豊かに感動するものです。茶碗をはじめ、棗、茶杓、柄杓、釜、袱紗、茶筅など一つのお茶をたてるのに様々な作法があります。その中でも、武家の茶道は武家らしくその人格や風格が顕れます。

みんなでその武家のお茶を体験して味わいましたが、同時に菓子きりを守靜坊の茅葺屋根を守っていた数百年前の煤竹を使って手作りしました。暮らしの道具を自らの手でつくるというのはとても有意義な体験です。

現代は、何でも機械につくらせていきます。機械がつくったものは確かに正確で綺麗にできます。見た目は機械でつくった方が良いものに見えるものです。しかし、人間が手作業でつくったものには味があります。この味わいというのは、その人の個性や人柄、人格がにじみ出てくるのです。

私たちはこの自分の手をつかって物を創り出してきました。そういう意味では、私たちはみんな藝術家です。そして自分で産み出してきたものは、唯一無二の味わいを放ちます。この藝の字の語源は、「埶」は「木」+「土」+「丮」の 会意文字 で、植物を土に植えるさまを象るところから来ています。そのものの才能をはじめどのように植えたものが育っていくかということも意味しているように思います。

自分というものを探し、自分というものを究め、自分というものを磨いていく。まさに徳を積むことで徳が出てくるという生き方のことです。

今年の最後を締めくくる仙人苦楽部として有難いご縁と機会になりました。これからも藝を磨き、活き活きした場を甦生していきたいと思います。

 

 

開眼 ありのままに観る

昨日は、ある木像の開眼供養に同席するご縁がありました。元々、仏陀は偶像崇拝をしていなかったといいますが最初の木像は仏陀を思慕した弟子によるものがはじまりともいいます。今では世界各地、また日本全土で仏像があります。これは仏師という職人もたくさん誕生し、古い樹木には精霊や命が宿ると信じられてきましたからそれをお守りにするという風習も増えていったこともあるのでしょう。日本では、どちらかというと勾玉や鏡のように自分をうつすものを美しく清浄な魂の依り代のひとつ、それを「御守り」として像を大切にしていくということが多いようにも思います。

もともと仏というものの定義は「目覚めた者」で、「真理 に目覚めた者」「悟りを開いた者」ともいいます。また同時に、人はみんな元来仏であると言葉もあります。何かどこかの神格化された神様ではなく、自分の中に仏がありそれが目覚めれば仏そのものになっていくということでしょう。

これは赤ちゃんが産まれてすぐに神様のような姿で誕生するように、人は最初は初心な姿ですがそれが世の中の環境や育ち方によって変化して自分の本文や徳を刷り込みによって忘れてしまうのでしょう。そうならないように、いつも仏をお守りにしていこうとするのは自然に発生する人間の心の一つであろうと思います。

また開眼というのは、5つの眼が開くことをいうといいます。その5つは肉眼・天眼・慧眼・法眼・仏眼です。簡単に言えば、肉眼はそのまま肉体を通してみる目のこと。天眼とは、心の眼を開くこと。そして慧眼は、本質や未来を見通す眼。法眼は、正しいことを観る眼。そして仏眼はあらゆるものをありのままに観える眼ということになります。

そもそもこの世を観るのに、ありのままに観るというのはとても難しいことです。そこには偏見をはじめ、常識、欲望、余計な知識などによって複雑に混乱しています。シンプルに物事が観えるというのは、真実が観えるということです。

眼を開くというのは、悟りそのものでありこれを仏の姿としてそう観えるようにありたいと願う中に仏像のもっている本来の徳を感じます。

私もいつか一切の淀みなく、清らかにあるがままに物事が観えるような自分になりたいと思います。このご縁に由って直観した智慧を学び直していきたいと思います。

言葉の意味

日本語というものをはじめすべての言葉には、その意味の中に時代の価値観を織り込んでいるものです。時代が変われば同じ言葉でも意味がまったく異なります。つまりそれは人間がその道具をどのように使うかで意味が変わるからです。

例えば、自然という言葉でも今の人がいう都会や人工的なものがあることが前提で語っていますが、数千年以上前の生活をしていた人たちが使うかつての自然とは意味が違います。特に近代に入り、言葉は軽くなり様々な言葉を一部の人たちによって操作捏造され定義を変えられてきました。今ではメディアが一斉に言葉を簡単に情報によって変えてしまいます。価値観も認識の変容も言葉から行われます。

そして無意識に知らず知らずに教え込まれ使っているうちに、私たちは本来のその言葉の意味や語源などを立ち止まり深く考えることがなくなりました。まさにこれを言葉を通した意識の洗脳と呼ぶ人もいるかもしれません。私たち生き物は最初からあった環境に刷り込まれますから、言葉も当然、その意味で使っている周囲の大人たちが3人以上で教え込めばもはや誤認しているかも気づかなくなるものです。

私は元々どうだったかを知りたがるオタクですから、言葉はよく調べます。実際に語源やルーツはどうだったのか、どのような変遷で今の言葉になっているのか、そして世の中ではどのように使われているのか、あるいはその使われ方から誰がそれをそうさせているのかなどを研究します。これは元々を知りたい欲求から来ているので、何かの勢力や洗脳することにまったく反対は興味はないのですが知れば知るほど非道なことが行われていることを感じます。

経済という言葉などはその最たるものです。そして経済成長などという言葉もだいぶおかしなことになっています。何を経済と定義するかでその意味が変わります。現在の経済はお金のことをいいます。そして経済成長となると、お金がどれだけ増えたかということです。つまり経済=お金ということです。

そうなってくると、経済がつく熟語はすべてお金の熟語ということになります。しかし実際の経済という言葉は、経世済民という語源があり、西洋のeconomyも家を運営する仕組みという語源です。お金のことなどは一切述べているものはありません。

つまり本来の経済とは、全体最適でありすべてのいのちの幸福を実現する言葉であり、単なるお金を増やすことだけを語るものではないということです。

経済界となると、お金界ということになります。確かに、経済界の集まりに出るとお金の話ばかりです。本来は、徳の循環を話をしあうのが本当の経済界だと私は思いますがそういう人があまり出てきません。お金をどう稼ぐのか、お金のことばかりでほとんどの時間を費やします。それで経済活動というのです。

経済活動とは、本来は徳が循環する活動だと私は思います。これはすべてのいのちが輝くような活動であり、全ての徳を活かすような活動です。先人たちは、縄文時代よりももっとずっと前からお金が発明されるよりも先に経済活動をしてきました。それは暮らしを洞察し研究してみるとよくわかります。

私が伝承している暮らしの中は、そのほとんどがかつての懐かしい経済活動です。お金はそんなに多くはありませんが、ちゃんと徳が循環するように流れています。まるで英彦山の宿坊の傍にあるせせらぎが流れ続けるように、私の経済活動もそれを参考にしながら続けています。

このせせらぎのような経済活動も私は立派な経済活動だと自画自賛しています。いつかはこれが大河になり海に辿り着く理想を志して取り組んでいくだけのことです。

耳にする言葉、話し合う言葉、そして使う言葉に気を付けながら本当の意味に回帰させることも自立の大切な要素です。子どもたちや子孫のためにも丁寧な暮らしを紡いでいきたいと思います。

いのちを結ぶ

偶像崇拝というものがあります。ウィキペディアには「偶像を崇拝する行為である。 概説. 偶像という語には「人形」「生贄」「人間 に似せた物」などいくつかの意味があるが、ここでは 木材 や 土 、 金属 など具体的な物質で形どられた像のうち 崇拝的対象 をかたどったものをさす」とあります。

この偶像崇拝を禁止している宗教や宗派はたくさんあります。実際には日本にも仏像などがたくさんありますが、実際には仏陀そのものは偶像崇拝をすべきではないと言っていたそうです。実際に、目に観えないものの方が多いこの世界において目に見えるものにして、それを崇拝するというのは意味がないともいうのでしょう。

しかし実際に何か神様が観える人と観えない人では、そもそも何を言っているのかよく分からないということになるのかもしれません。自然でも感性が鋭敏で自然のあらゆる元氣のようなものを直感的に感応している人もいれば、都会生活が慣れてあまり感覚ではなく知識ばかりで理屈でなければよくわからない人もいます。

人にも色々とあって、その見え方も感じ方も異なるのです。私自身は偶像崇拝というものの見方をしていることはなく、どちらかというといのちが宿っている依り代という感覚で観ています。

古いものをたくさんお手入れするために手で接していると、その物が単なる物体としての物ではなくそこには別の魂のようなものが宿っているのを指先から感じることが多々あります。特に、長い時間人々に愛されてきた道具たちや、職人さんたちが手掛けてきた様々な思いが詰まったもの、それは仏像などの像に限らず建具や椅子などのような暮らしの道具の中にも宿っているのを感じます。また身近では、石ころや巨石、また場所や遺跡などでも感じることができます。そこには目には観えませんが歳月というものが入っているのです。思い出と呼んでもいいかもしれません。記憶のようになりそこに宿るのです。それを思い出すかのように記憶媒体となってそのものに宿るのです。

私たちの肉体をはじめ山川草木なども、何かが宿っているのを感じるのは誰でもわかります。虫が死んで亡骸になっている様子に、そうなる前には何かが宿っていたのを感じるものです。これは魂の依り代ともいえます。宿っているものを感じて、それを祈るのは私は偶像崇拝ではなくいのちの結びだと感じます。

私たちは日々に、あらゆるものといのちを結びます。このブログを書いている今は、ヨモギをお茶にして飲んでいますがヨモギの持っているいのちと結んでいます。祈ることまではしていませんが、美味しく身体も温まり癒されます。これはお水の中にヨモギのいのちが宿りそれを取り入れることで私もヨモギと結ばれているのです。

私は、仏像などもよく拝みますがこれもいのちの依り代としてその場所に宿っているものと結ばれていくからです。結ばれることで私たちはその一部になった感覚を持つことができます。宇宙をはじめ、地球を含め、私たちはありとあらゆるものと結ばれる存在です。

丁寧にその場所やその依り代と接し、お手入れすることはとても仕合せなことです。ご縁を大切にいのちを結んでいきたいと思います。