お水の神様が鎮座する場所

守静坊には、弁財天と吉祥天の欄間があります。もともとこの宿坊のある谷は、宗像神社がありお水に包まれた場所です。宿坊で座禅をすると、常に水のせせらぐ音が聴こえてきます。

もともと吉祥天と弁財天は、インド発祥の女神です。インドでは、吉祥天はラクシュミ、弁財天はサラスバティーと呼ばれています。それが神仏習合、神仏混淆して神道の市杵島姫命や瀬織津姫、水波能売命などとも混ざり合いました。

吉祥天の実父は八大竜王の一柱徳叉迦竜王、実母は上記にある通り鬼子母神、実兄(もしくは夫)は毘沙門天です。そして弁財天の方は、七福神の一人です。本来は別人ですが、お水の神様として知恵と豊穣を司ります。

私たちの地域でも、この宗像神社の神様のことを弁天様と呼びますがこれは弁天様の言葉、「サラスヴァティ(Sarasvatī)」がサンスクリット語で「水を持つもの」「流れ」を意味しているからです。聖なる川ともいい、聖なる水ともいいます。

鎌倉時代までは吉祥天の方がお水を象徴していたようですが次第に本地垂迹説によって七福人としての弁天様の方が残っていました。もともと同じ功徳を持つ神様を神仏習合しよう、混淆しようとしたのが日本古来からの方法で、その神様が顕現したとき、それを「権現」(ごんげん)であると呼びました。

英彦山ではこれを英彦三所権現ともいい三つのお山である北岳南岳中岳に顕現した権現であるといいます。具体的には北岳に阿弥陀如来、中岳に観音菩薩、南岳に釈迦如来が顕現し、三岳の頂きに神祠を祀ったといわれています。

そう考えてみると、この守静坊の谷の神様はお水の神様が顕現した「お水権現」ということになります。それを土地の人たちは仏教と混淆して弁財天、吉祥天ともいい、神道と混淆すると宗像三女神ともいい、それぞれの信仰するもので名前を変えてきたのです。

ただ本質は、「お水」をお祀りする場所ということでしょう。

本日は、巳の日で蛇は水の化身、弁天様の日です。大切に供養をして、みんなでしだれ桜の樹の下で祈り拝みたいと思います。

ありがとうございます。

お山の暮らし

宿坊周辺の枯れ木や小枝などを片付けて燃やしました。空き家になってから数十年、お手入れされなかった山林は荒れ果てています。これらの枯れ木や小枝があまりにも増えると、排水が悪くなりところどころの石垣などが破壊されていきます。石垣がなくなりと、土留めがなくなりますから地形が変わります。

人が住むというのは、住む場所を調えるということです。しかし実際には、単に片付けだけをするのではなくそれを暮らしに取り入れるということです。

本来、むかしは電気などありませんでしたから薪や小枝は貴重な資源です。毎日のように火を焚き、木々を使いましたからむしろ片付けではなく日々の生活の大切な材料として重宝されてきました。

時代が変われば、貴重だったものがゴミになります。大量生産大量消費のお金を中心にした経済では物が溢れています。木材などもほとんどが外国から輸入した材料になったため、日本の山林の木は朽ちるだけ朽ちて放置されています。

もしも天変地異や災害、様々な人災で危機がくればまたむかしの生活や暮らしが参考になるものです。むかしの智慧は本来は、便利とはかけ離れたものです。しかし不便ではありますが、自然の仕組みを上手に取り入れ、暮らしを成り立たせ永続して生きていくことができる知恵に溢れています。

現代、山の活用となるとすぐにソーラーや風力などの発電所など電力系の話や産業廃棄物の焼却場、あるいはダム建設や観光地化などの話になります。

しかし本来の山の価値はそんなことでしか利用しようとしないのかと思うととても残念な気持ちになります。山は実際に暮らしてみると、自然が循環し人々の暮らしを豊かにするものに溢れています。

私は山をお山と呼んでいますが、お山は歩くだけで人々の心を癒し、お手入れするだけで周囲の生き物を活かし循環を促進します。風景や景色はそのままがよく、信仰をはじめ平和や健康を守るために大切な場となります。

お山に対する人々の意識は、便利さを優先し人間が持っている本来の自然を遠ざけています。これは大変危険なことだとお山に住めば住むほどに気づきます。

この場所に、もしもあと100人私と同じにように暮らしをしてくださる人がいるのならこのお山はさらに素晴らしい場所として徳を発揮して人々を自然と平和に導いてくれる場所になるように私は思います。

丁寧な暮らしを通して、子孫たちへ先人の智慧を伝承していきたいと思います。

春爛漫

この時期は、ずっと英彦山の宿坊に居てしだれ桜にご縁のある方々をおもてなししています。年配の方から若い方まで色々な方が来られますがそれぞれにお越しになる理由があります。

ある人は若い時から難十年もずっと来ている方、またある人は両親やご家族を連れてくる方、またカメラを持ってずっと撮影されている方、この宿坊の先代との懐かしい思い出を持たれている方などそれぞれです。

お茶を振舞い、少しお話しているとそれぞれの人生と桜の関係をお聴きできます。

何を思って何を感じているのだろうかと静かに関心を寄せて省みているとそれぞれの生き方のところにこの桜が影響を与えていることが分かります。

人が何かに美しいと感じるのは、単なる見た目の存在だけではありません。その存在そのものが放つ、生き方、生き様に感応して美しいと感じているのです。

桜の美しさは、その生き方の美しさにもあるのではないかと私は思います。

特にこの英彦山の守静坊のしだれ桜は深い谷の静かなせせらぎの場所で孤高に超然と咲いています。かつては八百坊あった英彦山の宿坊はもう十数坊になり、周囲は失われたかつての宿坊跡ばかりでほとんど誰も住んでいません。参道から少し離れたこの侘びて寂びた場所にひっそりとしつつも凛として立派に咲き誇ります。

昨日、お越しになった方も守静坊がますます凛としていて感動したと仰られ、同時に桜の美しさにこの場所全体の素晴らしさの感動してくださいました。

美しいと感じるのは、美しいと感じる心があるということでありその人の中に、その人の人生、その生き方の中に何か共感する美しい風景があるということかもしれません。

桜は、かつて私たちの先人たちや先祖が憧れ生きた美しい歴史を象徴するものです。

今週の4月6日(日曜日)は、弁財天が降臨する巳の日です。そして大安の縁起の善い日です。この守静坊の谷は、弁財天の守護する谷でお水の神様をいにしえのむかしより大切に今でもお祀りしています。弁財天は、蛇神で巳年の今年は深いご縁があります。財宝を司り、芸術の神様です。

もっともこの守静坊の場に力が充ち溢れるこの6日の夜、満開に咲いた樹齢225年になるしだれ桜と共に満天の星空と月とライトアップをして美事な一期一会の桜を拝みたいと思います。

また偶然にも梅の花と椿の花と桜の花が同時に咲く春爛漫の元氣もいただき、これからの季節の予祝をしていきたいと思います。

おめでとうございます。

 

ライトアップの試行錯誤

現在、しだれ桜のライトアップの準備をしていますが光の当たり具合や角度でその見え方が変わります。色もですが、人工的なものを使うのはどこか限界を感じていますが今しかない面白さもあるので色々と試行錯誤しています。

日本で最初にライトアップしたのは誰かと調べると、織田信長であるともいわれます。安土城を提灯などで演出し、城下では一切の焚火などを禁止してみんなで夜の城の景色を楽しんだといいます。

もっと前を想像してみると、人間が火を使って生活をしはじめてから夜の明かりも様々にとれるようになりました。水面や海面に映る火は美しかったでしょうし、夜空や月夜の光もまた自然のライトアップです。

昨夜は福智町上野の知人に誘われ、一日限りの夜桜のライトアップを見てきました。寿命をとっくに超えては咲き続けるソメイヨシノの老木に照明が当たり、限られた生を全うしている様子を感じ風情を味わいました。その隣の若い桜はこれからという樹勢がありました。

そして帰りに駐車場に向かうと、そこには明かりがなくお月さんと星々が清らかに光っています。この照明というものは、その時、その人がその心で何を照らすかによってその意味も価値も変わります。

今回は、自然の光と人工の光と二つの照明を試してみて色々と考えること感じること、復古起新を観ていただきたいと思います。

ありがとうございます。

桜から学び直す

桜の花があちこちで満開です。私は英彦山の守静坊のしだれ桜に出会ってから野生種の山桜の魅力に魅了されていますが世の中ではソメイヨシノの桜の方が圧倒的な数で存在しています。

このソメイヨシノは、江戸の末期に奈良の吉野桜のように美しいものになってほしいとの願いをこめて東京の染井村(豊島区駒込)で開発された接ぎ木の桜です。その染井村の吉野桜という言葉の組み合わせでソメイヨシノになったそうです。現在では、遺伝子の研究を通してエドヒガンとオオシマザクラの雑種が交雑してできた単一の樹を始源とする栽培品種の クローン であることがわかっています。

クローン桜なので、ソメイヨシノの寿命は60年くらいといわれていてまた植え替える必要があります。明治時代前の桜といえば、山桜でしたがそのあとはこのソメイヨシノになっています。なので俳句や和歌なども、むかしの人たちはソメイヨシノで詠んだものではありません。

いにしえの人たちは今のソメイヨシノが満開に咲く姿を観てどのように感じるでしょうか。今ではソメイヨシノは、川の堤防沿いなどに植えられています。これも江戸時代からはじまったものだといわれます。その理由は人がたくさん集まることで、土手が固められます。なので桜をたくさん植えれば人が集まり踏み固めてくれるからという工夫もあったそうです。

実際には、宿坊のしだれ桜は人が踏み固めないようなところに植えられています。土がフカフカである方が、木が元氣になります。大樹や古樹にとっては、土を固められることを嫌います。

どこからが人工的でどこまでが自然かというのは、自然への尊重次第で変わります。私たちは色々と観光やお金儲けのために、自然を人工的に操作していきます。しかし、本来は自然を尊重してこそ自然本来の循環の美しさや尊さがあります。

時代の中で何が変わり何が変わらないのか。

桜の木と共に、歴史と人の関係を学び直していきたいと思います。

大和魂の一日

49歳の誕生日を迎え、なぜか織田信長の好んだ幸若舞の「敦盛」を思い出しました。この敦盛とは、源平合戦で源義経と戦った平家の平清盛の弟、平経盛の末子、平敦盛のことでです。

この平敦盛を、源氏の熊谷直実が討ち取ったときの様子が物語として語られているものです。

その中の一文に、「人間五十年、化天の内を比ぶれば、夢幻のごとくなり。 一度生を受け、滅せぬ物のあるべきか 。 これを菩提の種と思ひ定めざらんは、口惜しかりき次第ぞ」という言葉が出てきます。

これは人生は五十年の寿命であると勘違いされていることがありますが、実際にはそうではなく天界の一日と比べて人間(じんかん)は五十年が一日であるという意味です。天界のひとつである「化天」という世界は、一昼夜が人間界の800年にあたり、化天住人の定命は8000歳とされているからです。それだけ人間の一生は儚いものだということの表現でもあります。

信長はこの幸若舞の敦盛を舞、桶狭間の戦いに出陣したといわれています。どのような心境で舞っていたのか。それを思うと無常観や覚悟を感じるものです。

元々この平敦盛は、まだ16歳の若さで熊谷直実に討ち取られました。熊谷直実も同じ歳の息子がいて目の前の息子と同じ年齢の敦盛を討ち取るのに非情に徹しました。しかし、それを悔い、その後出家し弔いをし続けたといいます。

戦国の世のならいというものがあります。時代的に仕方がないと言えども、息子と同じ年の若者を討ち取るというのは、まるで息子を自ら殺めるほどの苦しさだったのでしょう。死は一度、名は永遠と名乗りをあげては無情にも亡くなっていくけれど情厚き故に割り切れない思いがあるという姿に私は人間らしさを感じます。

人間というのは、一日一生、一期一会ですがそこに永遠があります。

諸行無常とはいうものの、巡り合わせの運命に嘆き、それでも仕方がなく往かねばならないこともあります。已むに已まれないとき、死を覚悟して前進する勇気。その時、人が拠り所にするのはやはり「人間性」ということではないかと私は思います。

人間らしさを失っていく、現代のお金中心の物質文明においては戦国の世よりも悲惨で無残な心情を感じることが多々あります。人間がただの殺戮マシーンのようにならないようにするには、常に人間らしい暮らしを通して人格を磨き徳を積む精進が必要です。

生き方や生きざまというのは、いつまでも記憶に刻まれて後世に遺ります。

何を大切にして生きていくか、何を最も優先して自分を生き切るか。

誕生日は、常に自己を試される内省の一日です。

残りの人生、夢幻であろうとも覚悟をもった大和魂の一日を歩んでいきたいと思います。

お水の権現

今朝はBAの前にある鳥羽池(八龍権現池)には冬の風物詩でもある蒸気霧が発生しました。ここ数日の寒さは特に厳しく、この桜の時季に初冬の景色が重なりとても幻想的です。

毎朝、この場から八木山の龍王山と合わせてこの八龍権現池を拝んでいますがこの蒸気霧は一期一会です。この霧の特徴は冷気が温かい水面上に流れてきたときにできる霧で発生条件も空気と水の気温差が15度以上あり風があまり吹いておらず晴れていることが必要です。

よく考えてみると、私たちはお水に包まれてはじめて暮らしていくことができます。地球もお水に包まれ、自然も身体もお水に包まれます。お水はあらゆる形に姿を変えては常に循環を已みません。このあらゆる姿は決して雲や霧のような水蒸気や海や川などの液体のようなものだけではありません。ある時は、花になり、ある時は虫になり、またある時は菌になり、ある時は石などの物体にもなります。そして雪になりお湯になり、光にもなります。

今日は私の誕生日で人生を振り返っていますがこれまで道のりもまたずっとお水に守られてきたものでした。辰年の辰の刻に産まれ、龗神の多田の鎮座する妙見神社のお汐井川で遊び、氏神様でお水の親祖でもある水祖神社の境内で育ちました。大切な人生の節目は、お水の関係することばかりに導かれました。気が付くと、お水の湧くお山を守る活動をするようになり、井戸も5本ほど甦生させていただく機会に恵まれました。ここ数年では、滝行をはじめ石風呂サウナをつくりこれから薬草蒸気風呂の甦生に挑みます。日常では鉄瓶で炭火で沸かしたお湯を飲み、よく蕎麦打ちをして蕎麦を食べています。邸内社や自宅、宿坊のお供えのお水を換えることは欠かしません。

有難いことに、生まれてからこれまでずっとお水に見守られてきた人生でした。

この見守ってくださっているお水のことを私は総称して「龍神」と呼びます。

龍は単なる蛇のような鰐のようなドラゴンではなく、私たちのいのちの本体、「いのちのお水権現」です。

そしてお水は、自分の意識次第でどのようにも波動が変化します。変化の象徴もまたお水であり、あらゆるものに姿を変えることができ常に寄り添い離れないものもまたお水です。

誕生日を迎えた朝、鞍馬山の恩師の言葉を思い出しました。

「お水さんありがとう」

これからも残された刻をみおやの龍神と一緒に修行を続け、太古のむかしからの生きた智慧の伝承を子孫へと結んでいきたいと思います。

真菰のしめ縄

英彦山守静坊のしだれ桜に、真菰(まこも)でできたしめ縄をご奉納していただくご縁がありました。3年前より、本来の山の神様の鎮座する依り代としてのサクラ(サ=山、クラ=坐)としての存在を大切にみんなで見守り合っていきたいという願いを籠めてお願いしていたものです。

今年のサクラ祭りのタイミングでしめ縄をご神木に配置できたことにとても有難く仕合せです。本来、サクラという木は私たちの先祖たちにとっても特別な存在でした。お花が美しいだけではなく、お山の神様が宿りそれが田んぼに降りてきていただき稲や食べものを恵み、またお山に還りご先祖様の魂たちと一緒にいつまでも見守ってくださっていると信じていました。

守静坊では、この桜の季節にご先祖様たちを偲び一期一会に場で再会して供養するという神事を行っていたといいます。それを甦生させようとこの数年、取り組んできましたがご縁のある方々が次第に集まり、また協力してくださっている御蔭で素晴らしい場になってきています。

今回、真菰のしめ縄も唯一無二で見た目も薫りも雰囲気も凛としていてご神木のしだれ桜に全く見劣りすることなく品が宿ります。

そもそも真菰という植物は、麻と同じく古来から日本人が大切にしてきた神聖な植物だといわれます。最初に登場するのは、古事記の天照大神の岩戸隠れのお話にある真菰のしめ縄です。最初にこの真菰を植えたのは素戔嗚尊だともいわれます。伊勢では麻を今でも大切に守り、出雲では真菰を大切にしているともいわれています。出雲大社では今でも真菰のしめ縄を使っています。

そしてしめ縄というのは、神話で岩戸から出てきた天照大神が再び岩戸に引きこもってしまわないようにしめ縄を張って入り口を塞いだのがはじまりです。そこから神域にはしめ縄を張るようになって今があります。蛇が和合しているようなしめ縄を観ると、助け合いや協力、そして仕合せを実感するものです。

私は宗教や教義でこういうことに関心があるのではなく、日本人のご先祖様やかつての暮らしで大切にしてきた理由を紐解き、子孫や未来へと伝承したいと願っているから取り組んでいるというものもあります。これは日本人の初心を大切にしてご先祖様からの遺徳や恩恵に感謝を忘れないで生きていきたいと願うからです。

サクラの木もまた、お山に祈ることもまた私たちのご先祖様がいのちのお水を与えてくださっている場を守り、そして一年の暮らしの廻りやいのちの循環を見守ってくれる杜や植物たちに感謝しようとした生き方を忘れないでいようとする象徴でもあります。

真心や徳は、同じように同じ心で実践するからこそ伝承します。時代が変わっても、私たちは何度でも生まれ変わります。ご先祖様は今の自分の心身に共に存在していて、眼を閉じるとその存在を実感するものです。

子どもたちのためにも、丁寧に徳を積み、美しい伝統を繋ぎ、真心を伝承していきたいと思います。

歴史の花

いよいよ今年も英彦山の宿坊「守静坊」の境内にある樹齢220年以上のしだれ桜が開花をはじめました。一本桜の漂わず幽玄で幻想的な雰囲気と相まって唯一無二の舞台が研ぎ澄まされていきます。

現在、日本全国にはソメイヨシノといったクローンの桜があちこちに開花していますがこの守静坊のしだれ桜は貴重な野生種の一つで正式名称は「一重白彼岸枝垂桜」(ひとえしろひがんしだれざくら)といいます。しだれ桜というのはもともとエドヒガンという桜の突然変異によって枝垂れるようになったといわれます。

桜は今から約1200年前くらいから日本人の真心に寄り添うお花として大切に愛でられてきた存在です。梅や桃は中国から渡来したものですが桜は日本の古来からある在来種でまさに「日本人の故郷の花」です。

この守静坊のしだれ桜は、江戸時代にその当時のご当主であった真光院普覚 (1765〜1849)が京都の祇園のしだれ桜を株分けして持ち帰り植樹したものだと伝承されています。

祇園のしだれ桜は幕末までは祇園社の執行であった山科家の宿坊、「宝寿院」の庭に植えられていたものです。明治になり神仏分離令により宝寿院が失われると祇園枝垂れ桜を医師で化学者の明石博高が金五両で買い取り今では円山公園を象徴する桜となっています。

今の祇園にあるしだれ桜は昭和22年に枯死したため2代目になりますが守静坊のしだれ桜はその兄弟桜としてあの当時から枯れずに今も英彦山で生き続けているのです。時代がどうなったとしても共に遺志をつなげていこうとする偉大な歴史の浪漫を感じてしまいます。

先月、ご縁あってその「宝寿院」のご子孫とお会いするご縁がありました。このしだれ桜を通じて220年の時を越えて生き続けている歴史の中にあることの仕合せを感じました。

英彦山で「決して忘れないぞ」と美事な歴史の花をいつまでも咲かせてくれることに心から感謝します。

 

変化の徳

英彦山の守静坊では、梅の花が満開です。今年は不思議なことに、梅と桜と椿と三椏がまったく同じタイミングで満開になっています。本来、梅はもう少し早めに咲いていますが今年はだいぶ開花を遅らせてきました。その分、桜の方も少し遅れているといいます。

しかしよくよく経過を観察すると昨年のことから色々と変化していることを感じます。昨年は、梅の花が咲くころに寒波がきて虫媒花である梅の花に虫が飛来せずほとんどが受粉できなくて梅の実ができませんでした。

毎年大量の梅ができ、梅干しづくりができるのですがほとんど収穫できずに終わりました。梅からすると、なぜこうなったのかを自然から直感し今年は少し遅らせることで虫が飛来する時機に合わせたようにも思います。そして虫たちもまた同様に、早く冬眠から覚めるのではなくじっくりと時を待って目覚めています。

そういう私の方も、昨年のサクラ祭りで学んだことを改善し今年は供養を中心に場づくりと関わる内容を増やし調える方法や仕組みも変化させています。

不思議なことですが、同じ場においてみんなで「変化」しているのです。それは私だけではなく、虫や鳥、木々や家、場全体においてそれを行っています。これはみんなで変化を優先して好循環しようと精進しているからです。

自然というものは、常に循環を已みません。

そしてその循環を好転させるものは、変化です。変化することこそが好循環を促進していきます。変化とは、學ぶことでありそれまでのこだわりや執着を捨てて全体快適に合わせて時を待つことです。

時は思い通りには進みません。しかし変化は思った以上の好機に巡り会います。有難いことに、自然は何度でもチャンスをすべてのいのちに与えているのです。

子どもたちには、この先の時代が大きく揺らいでも安心して暮らしていけるようにその時々で自然との調和や好循環することの変化の徳を場で伝承していきたいと思います。