掃き掃除と調和

昨日は、宿坊周りと参道の掃き掃除をしましたがあまりにも落ち葉の多さに一日かかっても終わりませんでした。不思議ですが、宿坊の周辺の掃き掃除をしているはずがまるで山全体の掃き掃除をしているような感覚になります。

掃いても掃いても落ち葉はあり、掃けば掃くほどに他の落ち葉が気になります。落ち葉は、そのままにしていると川の流れに影響が出たりあるいは道が乱れたり虫が大量に増えたりもします。滑って転ぶのもよくないので、人が歩くところのものは取り除いていきます。強風に吹かれると、排水溝に落ちてしまうと石垣が壊れたりもします。

むかしは、まだ周辺に宿坊があったのでみんなで家族で掃除して綺麗にしていたのでしょうがほぼ一人でこれをやるとなると大変な時間がかかります。

人手が多いと、協力しあってやっているうちに綺麗になります。一人でするとなると、終わりが見えないほどの量になります。自然が豊かであるというのは、それだけ調和があるということです。

本来は人もまた自然の調和の一員でした。その調和を乱さないように、宿坊周辺をそれぞれで調えていたのです。

現代は人の手入れが入らないと、宿坊周辺も壊れてきています。建物は最初に壊れますが、それ以外の石積みをはじめ排水路、階段、道も壊れます。これは壊れたと見えますが、実際には自然が調和しようとしたのです。

先ほどの落ち葉も本来は自然の調和から発生するものです。しかしそこに人が住むのだから私たちも調和の一員としてしっかりと循環の中に入って貢献しあう関係を結んでいくしかありません。それが調和の素晴らしさであり醍醐味だからです。

人間が協力し合うのは、調和の大切な徳目であり自然循環の仕組みの一つです。

宿坊での活動が、英彦山での調和を育めるように丁寧に掃き掃除を続けていきたいと思います。

孤高の境地

老舗には、今でも代替わりというものと隠居というものがあります。これはその代のご当主が隠退して次の代に暖簾を守ることを託し譲る行為でもあります。むかしは、早い段階で隠居して次の代を見守りました。この隠居というのは、家制度を持つ日本の伝統的な仕組みの一つでもあります。

生前のうちから家を支える大黒柱を次の代に交代するのです。家を支える中心から離れたところから家を見守る役割に代わるのです。この仕組みは、私はとてもいい伝統文化であると感じます。

現代では、あまりこの代替わりや隠居というものが伝統的なものとしてではなく単に会社であれば財産や代表者、責任者が交代するという具合なもので理解されています。

しかしかつては家という単位で、家族として生計を立て一族単位で生業をする頃はこの代替わりはとても大切な行事だったように思います。幼い頃から次の代のために指導され、その機会に触れることで一家を守る事、暖簾を守る事、基本や基盤、初心が心身に沁みこんでいきます。

自分の代になることの意味や価値、使命も育ちます。最初から柱の一つとしてどう振舞うか、大黒柱として何が大切かを學ぶのです。

そして隠居する側は、より目指した孤高の境地に挑戦していくことができます。本来の自分、自己の実現、自分らしい人生の集大成に入ります。

この孤高の境地とは、「孤高」は世俗から離れて超然としていることをいいます。しかしこの世俗から離れてというのは、世間を捨てるということではありません。世間を超えるというのが私の感覚です。

これは仙人の境地でもあり、本当のこと、真実を見極め見定めるあるがままの自然体になるということです。そういう境地でなければ、代々を見守ることはできません。永続するような伝統は、常にその孤高の境地をもった人物たちによって見守られ維持されてきました。

隠居や隠退というのは、単に世間を捨て世俗を捨てたのではなく実際にはその逆で世間を見極め世俗を究めたということでもあります。

孤高の境地とは、何ものにもとらわれないであるがままの自然、かんながらの道に入るということでしょう。

これからの一年、隠れることの本質を探究していきたいと思います。

日日是試煉日

何かがはじまるとき、試練(試煉)が訪れます。つまり試練とは、正対することであり、実践するということであり、挑戦するということです。

試練(試煉)のことを辞書でひくと、「信仰・決心のかたさや実力などを厳しくためすこと、能力や信仰、気持ちの強さなどを厳しく試すこと。また、その時の苦難。」とも書かれます。

この試練(試煉)の字にある「練」には「繰り返し行う」「精練する」「磨く」という意味があります。「煉」には、金属や心身をきたえることやねり固めることを表します。練習、練磨、鍛錬、修練、そして煉瓦や洗煉などもあります。

練は、煉の書き換え字で使われますが共通するものはどちらも「磨く、鍛える、溶かす、ねり固める」などの意味になります。

「試」の方は、言ったことをはじめるという意味です。試験なども試みる、確かめるというイメージです。有名なものに「試金石」というものがあります。これは貴金属の純度を調べるのに用いる黒色緻密ちみつな玄武岩やケイ質の岩石のことをいいます。この石にこすりつけて条痕色を既知のものと比較して金・銀の純度を試験したことから言われます。

つまり「純度」を試し確かめるのです。

何かをはじめるには、根源としての「純度」がいります。その人の覚悟や決心が試されます。純度がどれくらい澄んでいるのか、純度がどれくらい濃密であるか、純度が玉のように美しいかどうか、真善美が試されそれはもはや信仰とも呼べるほどにです。

試練が来たというのは、純度を磨き上げる時が来たとも言い換えられます。

この世に私たちが誕生し、生き続けるというのは試練の真っただ中にいるということです。だからこそ、誰にでも「生き方」というものが何よりも優先され大切になるのでしょう。

どのような試練を迎えて、どのような生き方を実践するか。

純度が全てです。

私たちは有難いことに、親祖より今に至るまで先祖代々からずっと純度を磨き煉りあげてきました。終わりはなく、永遠に続く道の途上です。

日日是試煉日と、心の持ち方を味わって歩んでいきたいと思います。

千里同風

昨日、ある方から「千里同風」と書かれたろうけつ染めの軸をいただく機会がありました。この千里同風は、はじめて観ましたがよく禅語で使われているものです。その時は、君子千里同風ともいうそうです。これはそのまま読むと「千里離れた遠い地域にも同じ風が吹いている」という意味です。ただ禅では、同じ心でいることや結ばれていることなどを示すといわれています。

また中国には、千里同風と似た言葉で万里同風というものがあります。これはどちらも世の中が平穏に治まっているという意味ですが、万里の方がより広く厚く平穏に治まるという意味です。

そもそもこの同風の「風」とは、風俗・教化を意味します。つまりよく天下が統一されて平和に治ままればはるか遠くまで風俗・文化が同じになっていくということです。つまり「場」において、同じように治まるということです。

場所が離れていても、よくよく場を磨き治めていけばその地域の風土・文化はさらによりよく醸成されていくということです。

この同風というのは、場は異なれど同じように徳の教えが伝道されていますよ、あるいは伝統文化が伝承されていますよという意味でしょう。

同じ志を生きていれば、どこにいても同じように感じ、同じように苦労し、同じように自己を磨いている。変わるものがあっても、同質ものは変わることはありませんという意味にもなるのでしょう。

そこからどんなことがあっても、風は変わることはないとも読めます。風はいつも同じ風、つまり風を感じるままでいるということです。

文字は、その人の心の在り方やもち方でどのようにでも解釈できます。禅語が美しいのは、文字を自然にあるがままに感得するからかもしれません。日本には美しい風景や風土、そして風俗があります。

私なりの千里同風の妙味を深めていきたいと思います。

 

錫杖の暮らし

山伏たちが持っている道具の一つに錫杖(しゃくじょう)というものがあります。これは起源はインドからといわれます。托鉢の際に、食べ物などを入れる器を下げて持ち運ぶものだったといわれます。

日本では山岳信仰などで山中にて修行する人たちが、獣や毒虫よけ、または音による供養として道を歩む伴侶として大切に用いられてきたといいます。

錫杖を梵語ではカッカラ (खक्खर 、 khakkhara)といいます。これは漢字でいうと有声杖、鳴杖、智杖、徳杖、金錫ともいいます。銅や鉄、錫などで造られた頭部の輪形に遊環(ゆかん)が4個または6個または12個通してあり、音が出る仕組みになっています。この錫杖のこの遊環の金具がシャクシャク(錫々)という音がなることから錫杖の名がつけられたともいわれますし、実際に錫で鍛造するから錫杖となったともいいます。

錫杖のお経に「九條錫杖経」というものがあります。これを調べると「ひとたび錫杖の音を聞けば、怠け者は精進し、戒を破るものは戒を守り、不信心な者は信心深くなり、貪る者は施しをするようになり、怒れる者は慈悲の心を持つようになり、愚痴を言う者は智慧を授かり、傲慢な物は恭しくなり、心が定まらない者は集中するようになり、たちまちに菩提の心を起こすようになる」と記されます。煩悩を取り払い、智慧を得ることができるという功徳があるということです。

錫杖の上部の遊環には意味があります。通常は1本の錫杖に付ける遊環の数は4個・6個・12個と決められます。その理由は4個は四諦を顕し、6個は六波羅蜜を顕し、12個は十二因縁を顕します。

4個は「声聞の錫杖」、6個は「菩薩の錫杖」、12個は「緑覚の錫杖」とも呼ばれています。

声聞の錫杖の四諦とは、苦諦、集諦、滅諦、道諦のことです。そして菩薩の錫杖の六波羅蜜とは、六波羅蜜、布施、持戒、忍辱、精進、禪定、智慧のことです。縁覚の錫杖の十二因縁とは、無明・行・識・名色・六処・触・受・愛・取・有う・生・老死のことです。

錫杖はその煩悩によって修行し、自己を磨こうとする一つの磨杖です。

私は錫杖の御蔭さまで人生がとても豊かになりました。引き続き、錫杖を持ち丁寧に暮らしの中の遊行を歩んでいきたいと思います。

杖の伝承

遊行を通して山中を歩いていると、錫杖の音が響いてきます。杖を頼りにするというのは、不思議な境地でまるで人生の歩き方を導いてくださっているかのように感じるものです。

杖というのは、いにしえのむかしから人類には多大な影響を与えてきました。儀式的な権威や宗教儀礼のものとしてであったり、実用的に体が弱った時に支えるものであったり、登山や歩行の補助にもなりました。

実際には、どれも「頼りになるもの」「信頼の象徴」として使われてきました。この杖は、単なる木や棒ではありません。つまり頼りにするとき杖となります。

杖の歴史は古く、一説には人類が最初につくった道具が杖だといわれています。神様の依り代として考えられており、日本でも杖は古墳から出土しています。日本の文献で杖が初めて登場するのは「古事記」の上巻で「御杖(みつえ)」と出てきます。神聖なものとして「御(み)」がつきます。

世界各地でも杖は神様や王様、部族を纏めるものが持つものとされていました。杖もご神木でつくられたり、最も神聖なものとして崇められました。

権威の象徴としてのはじまりは古代ギリシャ神話の「アスクレピオスの杖」だともいわれます。そしてモーセなどの預言者も杖を持ちます。他にも魔術や魔力を秘めたものだとして医者をはじめ巫女や魔女なども杖を持ちます。

この杖は、人類にとって単なる身体補助の道具ではないことはすぐにわかります。

現在、杖を使って人生そのものを學ぶための遊行を開始していますが山中にて杖を持つほどにその意味深さを再実感しています。

子どもたちのためにも、いにしえから続く真の意味を伝承し、人類が何によって導かれてきたかを見守っていきたいと思います。

 

同行コンサルティング

コンサルティングという言葉があります。この言葉を調べると語源は、ラテン語の「consultare」だといいます。この意味は「共に話し合うことや協力して意見を出し合う」という意味だとあります。そして「consult」という言葉を分解すると、「con(共に)」と「sulere(取る)」とあり、共に座り考える、また相談するという意味です。

つまりは、一緒に考えて共に歩むということがその言葉の本質です。

世間でいうコンサルティングの仕事は今では多岐に及びます。日常的なビジネスなどでは様々な定義も分類もあります。例えば、一般的には専門的な知識があり客観的に分析したりアドバイスをしてクライアントを導くような仕事。または、具体的に組織の人間関係を含む経営課題を解決に導くために仕事などもあります。

私の場合は、「見守る」という実践を仕事にしてきましたから見守り合う関係を通して一緒に取り組み伴走するうちに次第にコンサルティングの方といわれるようになりました。

そもそも誰かの人生に大きな覚醒や気づきや影響を与えるということは、共に成長していくということで発生します。共にお互い様と御蔭様の心の関係を結んだら、一緒に成長しあっていく。成長する人同士だからこそ自他が一体になりお互いの成長する姿に刺激されることで共に高め合っていくことができるものです。これは自然界も同様に見守り合う中で育ちあいます。

教える側も教わる側も本来は本質として表裏一体の存在であり、これは同志であっても師弟であってもお互いに深い尊敬と成長しあう関係があって成り立っているものだからです。

そして見守る時に最も求められるのは、心を寄り添うという伴走型であるということです。この伴走というのは、共に走っているという関係です。単なる並走ではありません。むしろ見守りに近い別の私なりの言い方では、「同行」ともいいます。この同行も、一緒に行動する、同じ道を歩むという意味です。また四国八十八か所巡礼に同行二人(どうこうににん)という言葉があります。この「同行」と「二人」を合わせた「同行二人」という言葉は、巡礼者が弘法大師空海の生き方、智慧、そして教えや精神を学び一緒に道を歩んでいくことを意味するといいます。

私は本来のコンサルティングという生き方はこの同行二人にこそあるように思います。そして伴走するというのは、同じ心で同じ理念で共に一緒一体になって取り組むということです。

そうすると、一般的なコンサルティングのように専門家による部分最適のみをビジネスのためにやるのではなく常に「全体最適で一緒に人生を生き切るという実践」が必要です。つまりは、実践を通して貢献する。自分の体験や経験や研鑽がそのまま、一緒に同行する相手の成長の糧そのものになるということです。お互い「道」に導かれるように歩んでいくということです。そこには偉大な「場」が誕生します。

こういう関係は、一生涯のうちに滅多に巡り会えることではありません。同行同時のように、同じ人生をシンクロさせるような一期一会の関係を築くことです。一般的にはあまりにもリスクも高く、効率もわるいので世間的なビジネスにはあまり向かないかもしれません。しかし、そもそも人は利他や貢献、そして共生をしたいと心から願うものです。自然にコンサルティングになるのなら、ほとんどはこのような同行二人の境地に入ると私は思います。そして本来の幸福を考えるのならば、私はやはりこの「同行コンサルティング」にこそ深い共感を覚えます。

子どもたちのためだからこそ、子孫に恥ずかしくないような仕事を遺していきたいと思います。

 

ことほぎ

古来から日本には、「ことほぎ」という文化がありました。漢字では「寿ぎ」や「言祝ぎ」とも書きます。もともとこの言葉の意味は、祝いの言葉を述べて祝福するという意味です。

言葉は言霊ともいい、むかしから呪力があるものとして大切にされてきました。例えば、日頃の自分の使っている言霊によって現実も変化するということです。自分の状態が言葉になったのか、それとも言葉によってその状態になったのか。よく考えてみると、この前後関係や表裏関係はどちらが先でどちらが後かもよくわかりません。

言霊というのは、自己一体になって発されるものでさらに言えば、全体と一体になって発しているものであるともいえます。言霊を発しながら、その言霊によって自己の運命が導かれていくともいえます。

毎日、自分がどのような言霊を発したか。それをよくよく観察すると、自分の今がどのような状態であり、それが過去にどうで未来がどうなるかも洞察することもできます。

特に、今の言葉を省みると過去をどのように過ごしてきたかがわかります。またその発した言葉がどれだけ遠くの光を観つめて発したのかということもわかります。言葉は、まるで生き物のように自分と一緒一体になってこの世に生き続けています。そして死語においても、その人の言霊は生前と変わらずに力を持ち続けていきます。

私は座右の銘や、大切にしている信条をいつも身近に置いています。事あるごとその文字や言葉が目に入り自分の力の源泉になっています。これは理念然り、初心然り、いつも身近で見守る大切な言葉として共に生きています。

言葉は、その人がどのように用いるかでまったく威力が変わります。ある人は、心から応援する言葉を発し、ある人は、脅したり怖がらせたりする言葉を使い、またある人は、思いやりや癒しの言葉を発します。

それはその人の内側の生きざまや生き方から発されるものであり、常に言葉は魂のように暮らしの中で醸成され子どもが育つように共に成長を已みません。

何かを信じるというのは、先にそうなっているようにイメージするということでもあります。これを日本では予祝ともいい、言葉を先にして現実を受け容れていきました。たとえ現状が苦しくても、言葉までは力を失わないようにしたいとことほぎをしていたように私は思います。

これはニコニコ顔で命懸けということでしょう。それだけ生きる覚悟を持って暮らしを営んでいたともいえます。

先人たちの生き様や生き方は、言霊の中に宿っています。丁寧に甦生して、この先の子孫たちがその恩恵を受けられるように結んでいきたいと思います。

新たな時代の地縁

現在、職員の常駐しない田舎の小さな神社などはその地域に住んでいる人たち、自治会によって運営されているところが増えています。そこでは自治会=氏子という位置づけで様々に地域の活動を分担しています。これを「地縁」といいます。

この地縁は、土地や場所に由来する人間関係のことで出身地や育った場所、現在住んでいる地域など 地理的な要因に基づいて成立している人間関係のことをいいます。

かつての日本では、狭い区域でみんなで助け合って生きていたためお互い様、御蔭様の関係で地縁を拠り所にしていたこともあります。特に善良な名主や村長がいるところでは、安心して暮らしを行うことができました。密接な地域の繋がりによって、生命保険などに加入しなくても地縁によって見守り合う関係がありました。

しかし時代の変化と共に、価値観も変化して今では個人主義で無縁社会とも呼ばれるようになり近隣とも血縁とも疎遠になっています。都会などでは、同じマンションでもほとんど会話をしない人たちも多く、地域の集まりなども参加しない人がほとんどです。その孤独と孤立は、心の病を増加させています。

信仰においては、地域の氏神さまのある神社ではなく、遠い神社や有名な神社に参拝して地域にはいかない人も増えています。同時に、信教の自由ということで別の宗教の人たちは地域の氏神様には敢えて参拝しない人もいます。

本来、神道は宗教というよりは土地や場に対する感謝でみんなでその場所をお手入れし調えて清浄で安心な環境を維持してきた生活習慣でした。また何かの災害時の避難所としても活用され、あるいは自然を守る為の杜としても大切にされました。年中行事なども、地域の智慧や暮らしの伝承でしたがそれも人口減や負担増により行われなくなってきています。

現在は、土地も荒れ、鬱蒼とし不気味な場所になっている神社も多く誰も近寄らなくなってきました。荒れた場所には、不浄がつき纏い、犯罪や事件なども増えていきます。神社の荒廃がそのまま地域の荒廃になっています。

そもそも神社とは何かということを時代と共に再定義していく必要を感じます。時代が変化すれば、当然、価値観も変わります。本質を変えないためにも、価値観そのものの変化に気づいてどうやったらかつての本来の役割を保ちながら新たに今の人たちが地縁に喜び、自然を守り、災害の時のコミュニティになり、安心基地や安全地帯にできるかを制度や仕組みそのものから抜本的に変革させていく必要があります。

価値観というのは、ある意味思い込みと刷り込みです。自分の決めつけてしまっているその価値観をどう柔軟に変化させていくことができるか。無理に変えよといったら、しがみつくように手放さないというのもこの価値観です。

自然に価値観を変えるには、新しい価値観が楽しい、素晴らしい、学びになる、喜びとなると感じてもらうように場を創造していくことが何よりも近道です。楽しそうに取り組む人たちは主体性があり、やらされているわけでもありません。

伝統は変化しますが、それを仕方なくやらされていたらそれはもはや本来の伝統ではりません。伝統とは革新すること、常に本質を変えないために新しいことに挑戦し続けることです。それを先人たちがやってきたからこそ、今の伝統があるからです。

新しいことへの挑戦は、わくわく感やどきどき感から発生します。能動的に主体的に取り組むのは趣味のように思われますが、その楽しさこそが価値観を変化させます。

あなたのしき、あなおもしろきと、先人に倣い新たな時代の地縁に取り組んでいきたいと思います。

伝統食の智慧

昨日は、古民家和楽で長野おばあちゃんに来ていただき仙人苦楽部を行いました。この和楽は江戸時代くらいからある古民家で、土間がありむかしの風情のままに今に甦生されている場です。今回は、伝統食の智慧を学び、みんなでむかしながらの高菜漬けの漬け方を実践で取り組んだりしました。

長野おばあちゃんが産まれた頃は今から約95年前です。その頃のお話をお聴きしていると、都市と田舎の生活もまったく異なり食べ物が少なく苦労していた時代だったことがわかります。世界恐慌もはじまり、その後に戦争に突入していきます。今も少しその時の様子と似ている模様もありますが、その当時の人たちがどのように生き延びてきたか、何を食べて、何をしてきたかをお聴きできる貴重な機会になりました。

私が最も今回の体験で印象に残ったのは、むかしの調理や加工と今のものでは異なるということです。今は、物が溢れお金で何でも購入して調理加工します。自分で生産したものを調理加工することはほとんどありません。切り干し大根一つでも、今ではお店で買ってきてそこから調理します。しかし、むかしは特に田舎では都会と違って買い物するところもなく、大根を育てて収穫したものを切り干し大根にして調理していました。

先人たちはどのように生産したものを調理加工したのかとよくよく観察していたら「捨てないため」であったことがわかります。つまり旬の短いお野菜などを保存したり、傷んだところや傷がついたものも何かに使えないかと試行錯誤して調理加工をしました。そういうものは、捨てるものではなくさらに美味しいものになり宝のようにしていきました。同時に、心身にも健康でお薬のようにもなりました。

それが伝統食の智慧であるということです。

私は、和の精神の一つを「禍転じて福にする」ことだと思っています。日本人は、神話の時代から暢氣さや氣楽さを重んじてきました。どんな時でも笑い明るく元氣に和楽の世にしてきました。

そういうところから真の伝統が誕生し、どのように食べてきたかというのが伝統食と呼ばれたのです。伝統食は、単なる物体としての食ではなく、生き方としての食で私たちの先祖から代々連綿を続いてきた食べ方の智慧ということでしょう。

もったいないという精神もまた、この捨てない文化から誕生したものです。最近、断捨離など流行っていますが本来は断捨離ではなく捨てないで循環する智慧を磨くことが私たち日本人の根源にあるものだと私は思います。

これからも長野おばあちゃんがここまで結んで繋いでくださった御恩や恩徳に感謝して、丁寧に次世代へ、未来へと伝統食を磨いていきたいと思います。まずは伝統在来種の高菜から取り組めたことにも心から感謝しています。