天上の風と秋の慈雨

夜半から秋の雨が時折降り、今朝から澄んだ瑞々しい風が吹いてきます。この時期の雨は慈雨のように柔らかさを優しさを感じます。鳥の鳴き声もどこか、この秋風のようで存在自体に癒しを思います。

不思議なことですが、秋の風景はどれも癒しを感じます。これは深い悲しみや哀しみを恕すかのようです。

千峯雨霽露光冷(せんぽうあめはれて、ろこうすさまじ)君看双眼色(きみみよそうがんのいろ)不語似無憂(かたらざればうれいなきににたり)という禅語があります。

私にとっては、今朝のような澄んだ風景のなかにこれを感じます。春の天上に吹く風は、耐え難きを耐え、忍び難きを忍ぶことへの優しさやその有難さを感じます。しかし秋の天上に吹く風は、悲しみや哀しみを乗り越える美しさや喜びを感じます。あくまでこれは感覚の話ですが、澄み切った宇宙の中には何もないようで深い情緒があるように思います。

変化はすべてのいのちの中に宿ります。時として、そのいのちは自分を通してすべてを映します。そのものになって顕れてくるのです。それが心ともいいます。心を通して風景を映すとき、その人の眼にもその風景が宿ります。

もの言わぬその人の奥深い眼のさらに奥に、その人にだけ持っている心があります。同時に如何に愉快に楽しく明るくもの言う人の奥深い目のさらに奥にもまた深い悲しみがあるのです。

人はすべて単純のようで単純ではなく、誰もが悲しみや哀しみを宿しています。たくさんの人が、それぞれにたくさんの人生を宿し、それぞれの役割を全うしていきます。その全ては天上の風がいつも四季折々に姿かたちを換えて見守ってくださっているということでしょう。

毎日、ふとした時に見上げる空に心は深く通じています。そして風はそこから吹いてくることを思い出させます。

癒しはいつも天上の風から訪れます。

秋の慈雨に感謝しています。

ススキの生命

秋の七草の一つにススキがあります。七草は、姫部志、女郎花(オミナエシ)、尾花(ススキ)、桔梗(キキョウ)、瞿麦、撫子(ナデシコ)、藤袴(フジバカマ)、葛花(クズ)、萩(ハギ)です。

特にススキは、この時期は日本全国どこでも見つけることができます。お月見で活躍しますが、古民家では茅葺屋根などでも使われます。もともと茅葺のカヤという植物があるのではなく、ススキ・ヨシ・チガヤのことを総称してカヤといいます。

ススキに似た植物に、荻(オギ)があります。これはススキは乾燥地帯に生えますが、このオギは湿地帯に生えています。微妙に似ているのですが、ススキは株があってオギは湿地のなかで広がりますので生え方も異なります。ヨシも湿地帯です。チガヤなどは、世界最強の雑草ともいわれ繁茂していきます。

これらの植物は、みんな偉大な生命力を持っています。何千年も前から生き残り、いくら刈ってもまた甦生して繁茂します。私たちの先祖は、自然を壊さないようにしながらその自然からいただけるものを選んで暮らしの中に取り入れてきました。

もしもこれらのカヤが簡単に失われるような弱い生命力のものなら、それを敢えて使おうとはしなかったはずです。他にも竹などもですが、先人たちは自然に影響が出ないように配慮しながら暮らしを持続してきたのです。

そしてその生命力に肖り、その生命力を尊敬し真似していこうと生活の中で取り込んできました。自然をどう取り込んでいくかで、私たちは自然の持つ智慧を吸収して一緒に生き残ってきたのです。

現代では生き残っていくというのは、競争社会のなかでレールから外れないようにしていくことのようになっていますがむかしは自然界と同じように地球と共に生きて共に暮らしていくことができることをいいました。

植物たちがもつ四季折々の生き方や生命力は、私たち人間の模範の一つでもあります。風情を楽しみながら、一緒に生きてきたことを思い出し、その徳を共に伝承していきたいと思います。

心の交流

昨日、スリランカからアーユルベーダの国立大學の総長や秘書の方が来庵されました。色々とおもてなしをしましたが、日本のむかしながらの暮らしや和食こそが日本のアーユルベーダではないかと再認識できました。

特に秘書の方が興味をもっていただいたのが、先日の十三夜です。日本人は、月に祈り感謝するのかと大変驚かれていました。もともと、私たちの先祖たちは小さな自然の変化にも偉大な関心を寄せ、また日々の暮らしのなかで常に自然への感謝を忘れませんでした。

自然からいただいている恩恵のことを常に忘れず、自然の厳しさに対して謙虚に自分たちを反省していました。

現代では、自分の寿命を削り取るような生活をしているとスリランカの方々も嘆いておられました。時間を急ぎ、日々忙しくし、便利な食事をとり、結局はいのちが短くなっていくことをなぜみんなやるのかと。

私にしてみれば、消費経済の中で搾取構造の環境の中にいるから次第に環境の影響を受けて人々の生活様式も現代の便利なものになりました。日々の小さな心がけや暮らしを磨いていく努力や場数がなければなかなか意識を換えることは難しいものです。

私が暮らしの中でとても助けられているのは備長炭たちです。炭火を通して、丁寧にいのちに接して色々とぬくもりを味わう時間と場。そこに私は喜びを感じます。

昨日もおもてなしはほとんど炭火を使っていますが、そのどれもを私は心とセットに行います。この豊かさは、味にも顕れますし、終わったあとの余韻にも余熱が入ります。

むかしからの知恵や道具、あるいは精霊と呼ばれるものを如何に今の時代でも大切に感じていきていくか。意識した暮らしは、寿命を伸ばし、心の余裕や豊かさを増やします。

これからも心の交流を通して、伝統医療を現代に甦生していきたいと思います。

和を尊ぶ

歴史の一つには、人の間の紛争というものがあります。どの時代も、人は人と争います。その陰には様々な権力者たちの思惑があります。本来、自然にはそういうものはなくそこに関わる人の間に紛争が発生します。

以前、宇宙から観たら地球は国境の線はないとあり人間が地図で国境を分けたことで国境が産まれているのもわかります。他にも人肌の色の違いやそれまでの生活文化の違いで上下を分けるなども人の間での話です。

そもそも最初はどうだったかということに思いを馳せると、最初はこんなに分かれていたものはありません。よく言う神様という存在もまた分かれてはいなかったのでしょう。山は山として、川は川として名前もなくそのままあるがままの自然の一部として認識していたものです。

人間は分けてあるところから認識することで、分けていることによる紛争が起こることがあります。そんなことなら分けるのをやめればいいと思いますが、権利や権力が蔓延ることでそれは終わりを見せません。

先日、不動明王の徳をあるところでお聴きする機会がありました。人間の煩悩や欲望を縄で捕まえて剣で切り、炎で燃やし浄化するというのです。それぞれの山々には不動明王の信仰がありますがそのお山で宗教の紛争があった歴史を観るととても残念な思いがします。

そもそも渾沌として渾然一体になっているこの宇宙や自然において、分けるということが如何に真理に遠ざかっているのかを直感します。分けて考えるのではなく、お互いが大切にしているものをどう折り合いをつけて守っていくか、あるいはその渾沌とした中にある和をどれだけ大事にしてきたかということが紛争を已める切っ掛けになるようにも思います。

分けたことで和を学び直すのはいいのですが、分けたままで和にしようとするのは無理があるということでしょう。分かれているものをもう一度、最初から結び直すことが歴史の一つの役割かもしれません。

分けた本人たちはもうとっくに亡くなってしまい、子孫たちがその禍根をいつまでも継承しているところもあります。それはとても残念なことで、今だかららこそまた渾沌に回帰するチャンスだと和合し子孫へと恩徳を結んでいきたいものです。

自分にできることはどれだけあるかわかりませんが、和を尊び小さな実践を積み重ねていきたいと思います。

井戸の一年

浮羽にある老舗古民家甦生の井戸に関わりはじめて約1年近くなりました。当初はこんなに時間がかかるものとは考えておらず、1か月くらいで終わるものと思っていました。しかし実際には、次々と問題が出てきては終わらずまだまだお時間がかかります。

今時、人力の手彫りで18メートル近くも井戸を深く掘る人などはいません。採算が合わず機械であっという間にボーリングするのです。しかし今回の浮羽の古民家は、家の中に井戸があること、すぐ上に屋根があるので機械がまったく入りません。さらにはかつての井戸を甦生するのに井戸枠などもすでに失われており、内壁が壊れるので作業もゆっくりになります。そしてかなりの深さ故に、水中ポンプの揚力が足りずに中継地をつくるために足場を設け、その分、穴の大きさは通常の数倍に広げることになっています。

湧いてくる水分量も非常に多く、毎回の作業でトラブルがあると水位がすぐに戻ってしまい作業ができません。また家庭用電源しかなく、業務用の電源はレンタルしていますが音がうるさいため昼間しか作業できません。毎回、井戸の水を抜くのに半日かかり作業時間も短くなります。

家の中の作業はトラックも入らず、当然すべて手作業です。砂利や砕石、井戸枠などもコツコツと運ぶしかありません。これを私の尊敬する生粋の井戸職人が一人で行っています。すでに伝説的なお仕事をしてくださり、私もお手伝いできるだけ仕合せです。お手伝いしようにも、井戸職人が危険を伴うため自分一人ですべてを計算して取り組むためほとんど素人の出番がありません。出番があるのは、職人がピンチの時と、人手がいるとき、あとはお金の問題と大変なことの感情的な共有とお見舞いくらいです。ただ心を一緒に和して取り組まないと井戸は穏やかになりません。

そろそろ終わりがようやく見え出したからこそ、ここからもうひと踏ん張りです。秋の長雨などが来れば、井戸がまた水位が上昇して色々と大変になります。

自然を相手にするお仕事は、大変なことや問題があることばかりです。人間の謙虚さが問われ、人間の知恵が求められます。しかし有難いことは、とても澄んだお水がたくさん湧いてくださっていることです。こんなに大変なことだったからこそ、お水が如何に有難い存在かが身に沁みて入ってきます。

先人たちの偉大な生き方や知恵を深く学び直した一年でした。私たちがどうあることが最も自然と共生できるのか、改めて終わりまで真摯に正対していきたいと思います。

本当の環境問題

昨日は、福岡の田んぼで稲刈りがありみんなで集まって竈でご飯を炊いてカレーを食べました。カレーの具材は、先日の十三夜祭でご神前に奉納した供物が中心でした。収穫続きの秋の実りの喜びを感じる一日になりました。

今回はいつもの収穫とは別に、稲藁を収穫しそれをビニールハウスに運び干しました。この稲藁は今度の古民家甦生のときの内装に使う予定にしています。自分たちで調達した素材で自分たちでつくり上げるところまでをやり遂げる。

これは生産者の喜びであり、仕合せなことです。

そもそも生産とは、消費の対極にあるものです。消費とは、生産をせずにひたすら消費の方法を考えることです。現在の金融関係や投資なども消費を優先して展開されています。実態がなくても、消費すれば善としそのために数字上で大金が動きます。

しかしよく考えてみると、すでに今の消費をみたら2030年には地球2個分でも足りない計算で人類は消費しているといいます。あと5年後には、この地球からほとんどの資源が失われていてその消費を支えるためにクローン技術をはじめ、遺伝子組み換え、大量に増やす昆虫食など悍ましい科学が研究されそれが当然の様相です。

人類は一体何がしたいのかと疑問に思いますが、それだけ消費を優先してきたことで富を増やすことだけに専念してきたから富が架空のものになってもその富を追い続けることしかできない状態に入ってしまっているのかもしれません。

人間は環境に左右される生き物ですから、何が本当の環境問題なのかを今一度見つめ直す必要を感じます。

そういう意味で本当の農業とは、地球の生産を助けるものです。ちゃんと農をみんなで取り組めば地球半分でも十分に私たちは暮らしていくことができます。もっと言えば、地球が生産してくださるその利子だけで生きていくことができます。

例えば、私たちが飲める水は地球上の0.01パーセントで賄っています。たったそれだけでも全人類が暮らしを営んでいけるのです。ちゃんと見てみたら、自然は膨大な生産を今でも続けてくれています。人類の生産は、消費することと挿げ替えられた価値観をどのタイミングでまた元に戻すのか。それは生産をする喜びや仕合せをみんなが感じるような社会を気づいた人たちで構築することが最善だと感じます。

暮らしの真の豊かさを知った人たちは、いつかは現在の環境を抜け出し真の暮らしに目覚めるように思います。それが暮らしフルネスです。時間がかかっても、地球と人類への愛のために挑戦を続けていきたいと思います。

人の間の愛

人は大切な存在を失うと喪失感を感じます。これは心に穴がぽっかりとあくような感覚です。今まで当然いつもあったと思っていたものがなくなるのです。これは自分というものを形成していた大切なものが失われた時に感じるものです。

私も以前、親友を失ったときにこれを感じ、今までも何回もありましたが最も大きなショックを受けました。その時は、何か体の一部が失われたような感覚がありました。私たちの心というものは、自分との繋がりや関りによって一体になっていきます。離れていても心は一つであればなおさら、それが失われるということは大きなショックを受けるものです。

生きていると、人は必ず死ぬことがわかります。それは私もですが、自分よりも先に尊敬しているメンターや親友、同志や家族などがこの世を去るとその都度、大きな喪失感があります。

その時は、感情がどうしても追いつきませんが時間が経っていくと次第にその穴がその人がこの世にいないものとして入れ替わっていきます。自分の中に生き続けていくという表現をしますが、実際には自分の思い出の中に整理されて一緒に生きていくのです。

人生を旅に見立てたときに、一緒に旅をできるところまでを共にし、もしも別れたならその先を自分が前進していくのです。人生は過去の経験も同様に、自分が体験してきた記憶をもって前に進みます。体験してきたことが自分になり、自分の思い出を形成してきた人たちがいつまでも心に宿ります。これは人だけではなく、物でも場でも同じです。ずっと一緒に歩んでこれたということが、一つの奇跡です。

今でも、身近には大切なものや存在が多くあります。いつかは私が死んでしまい、遺されたものが存在します。その遺された存在のためにも、今は真摯に生きようと思うのがいのちの在り方かもしれません。

思い出はいつまでも遺しておきたい、そして今この瞬間を永遠に忘れないように生きていきたい、そういう人の間に愛があるように思います。

ご冥福を心からお祈りしています。

徳の一眼

昨日は、徳積堂の十三夜祭を無事に開催することができました。御蔭さまで雨の予報が見事に夜は晴れて美しい月を眺めることができました。特に雲の切れ間からの安らかな光や、雲越しの月の虹の神々しさには深い美しさを感じました。

私たちは父や母など、あらゆるものに見出していきます。昨日の美しい月はまるで母のようでしたが、私たちは海を母とも呼び、また母なる大地とも呼びます。母というのは、あらゆる自然の中にありその母を見出すとき私たちは懐かしい何かを感じています。

十三夜には何か、懐かしいものを感じるのは私だけではないはずです。昨夜は収穫を祝い、感謝してみんなで豊かな実りを味わいました。その時に、得られる安堵感は特別でした。

私たちは秋の実りがあるから冬を越せます。春から夏と、自然の恩恵を得て食べ物が得られることを如何に喜んでいたか。そしてこの秋に、実りがあって収穫したものがあることにどれだけ安心して仕合せを感じたか。夜空を見あげれば、美しい月が出て、それまでの苦労を見守ってくださっている清々しい姿に観音様のような存在を感じたのかもしれません。

今では、何でもお金なのでお金があるかないかで実りを感じています。しかしかつては、自然と共生し自然の恩恵の一部をいただいて暮らしていましたから食べ物があるかどうかが何よりも重要なことでした。それは大変ではありましたが、人間も自然と一緒一体になって生きてきていた時代ともいえます。

自然と共生するのは深い安心があるものです。この安心感は、自然のリズムで共に生きる仲間たちやいのちが循環していることを感じていたからのように思います。まるで、子どもが安心できる父母と共に暮らしているように私たちは自然を父母として共に暮らしていくなかに真の安心を得ていたのでしょう。

厳しい自然と慈しむ自然、子どもはこの厳父と慈母の中にあってこそ安心してすくすくと健やかに育つことができるのでしょう。

今年の十五夜祭も十三夜祭も、そんな自然への感謝に満たされた豊かな暮らしになりました。忙しい日常だからこそ、心はいつも自然のリズムでありたいものです。

慈しみの母の月を感じるほどに徳が循環する世の中にまた一歩、前進していける仕合せを味わえます。一眼は遠く歴史の彼方を、そして一眼は脚下の実践をと真摯に徳の一眼を精進をしていきたいと思います。

月の徳 十三夜

今日は、徳積堂で十三夜祭をします。生憎の朝から雨で、果たして月がどうなるのか、ここ数日間ずっと月待ちです。しかしこの月待ちという心の中には、豊かな風情があります。月をじっと待つ心境は、どこかなるにまかせた気持ちがあったり、夜の中の見守りに対する安心、また一期一会の出会いへの感謝などがあります。

平安時代、宇多天皇の世くらいからこの十三夜ははじまっているようですが私はこの後半の月の方が懐かしさを感じます。十五夜から十三夜までを月待ちするのも、暮らしフルネスの風情の一つになっているからかもしれません。

むかしの人たちは、この十三夜をどのように感じていたのか。私が尊敬している西行法師にはこういう和歌が遺っています。

「雲きえし秋の中ばの空よりも月は今宵ぞ名に負へりける」(西行法師)

確かに、十五夜は雲一つない眩いばかりの満月でしたが、十三夜はどこか雲に隠れたり雨の影響があったりと弱弱しい中でも美しく煌びやかな様子に風情があります。また十五夜は男名月といい、十三夜は女名月ともいいます。この「十五夜」の月と「十三夜」の月をあわせて「二夜の月」といって両方の月を同じ場所で見ると縁起が良いと伝承されてきました。

そしてどちらもお月様に感謝して収穫を祝うお祭りでした。十五夜は芋名月で芋三昧でしたが、十三夜は豆や栗などをお供えする豆名月、栗名月ともいいます。なんとなく、十三夜のお月さまの方が、豆や栗のような感じがするもの不思議です。

むかしの先人たちは、見立てによってあらゆる月を連想しそれを味わったのでしょう。今日は、夜は雨なら様々なものを月に見立ててみんなでこの十三夜を味わっていきたいと思います。

最後に松尾芭蕉はこういう和歌を遺しています。

「夜竊(ひそか)に虫は月下の栗を穿(うが)つ」

今年は栗がたくさんあり、お供えしていますが虫たちもたくさんいます。人間だけでなく、みんなでお月さまのもとに集まり分け合いながら月の徳を循環させていきたいと思います。

銀杏の徳

昨日も来客が多かったのですが、せっかくの機会だからと古民家和樂でみんなで銀杏拾いを楽しみました。はじめての方も多かったのですが、みんなで銀杏の香りのするお庭で銀杏を拾いました。

不思議ですが、最初は鼻につくようなにおいがするので苦手という人もいるのですが拾っているうちに臭いはなくなります。実際に臭いから拾おうとしない人もいますが、実際に拾ってそのあとすぐに炭火で焼いて食べるとその実の美味しさにみんな魅了されます。

特に拾ってすぐの銀杏はまだまだ実が青々としていて宝石のように綺麗です。割るのが大変という人もいますが、今は銀杏焼き網と銀杏用のペンチも販売していますがすぐに調理することができます。

そもそも銀杏の実が臭いと感じるのはなぜでしょうか。もともとこの独特の香りは、種が食べられるのを防ぐために行われています。銀杏の種を遠くへ運ぶため、この銀杏の実を持ち運んでくれる存在のためにこの姿になっています。

他にも果物をはじめ、すべての果実はある特定の生き物たちが食べたり運んだりしてくれるように自然に備えていきました。例えば、鳥であれば果実を食べて糞として落としてくれたり、どんぐりなどはリスが巣に持ち帰る過程で広がります。

動物たちの修正を利用して、果実を食べてもらいその結果として広げていくのです。銀杏は果たしてどのような動物のためにこうなったのか。銀杏は生きた化石とも呼ばれ、古代の氷河期の前から生き残ってきました。

その当時、人間は果たしてこの銀杏を食べたのでしょうか。

しかしその絶滅寸前の銀杏が今でも生き残り、その実を私たちが食べることができるということに壮大な浪漫と深い感謝が湧いてきます。銀杏拾いをしたみんなも、心が落ち着くや懐かしいなど笑顔が絶えませんでした。

私たちは時代も世代もあらゆるものも超えて、懐かしいものを懐かしい銀杏と共に感じているのかもしれません。銀杏も拾ってくれて嬉しいからこそ、私たちも嬉しいと感じているのでしょう。お互いの関係性がいつまでも結ばれて続くように、丁寧な暮らしを紡いでいきたいと思います。