誇りを磨く

「地域の誇り」という言葉があります。そもそも自分の地域のことにどれだけ自分が誇りを感じているかということです。もっと言えば、地域とは人物環境を含めたすべての風土ですからその中には当然そこで生まれ育った人々の暮らしも入っています。

そこの地域で代々、受け継がれてきた生き方、生きざま、暮らし方などを深く尊敬し愛するからこそ地域の誇りは育ちます。私たちが誇りを感じるのは、その地域の本当の真価に気づくことができているからです。

私は、故郷の旧長崎街道筋の古民家を甦生し、藁ぶき古民家を甦生し、生れた場所に徳積財団を創設し活動しています。他には伝統在来種の高菜を育て、その種を継承しさらに農業技術を磨き上げ自然農を実践し、代々の中でもっとも元氣といのちの詰まった最高の高菜に仕上がるよう見守っています。

一般的には、私たちの地域はなぜか自分の地域のことをよく言わない人が多くいます。炭鉱でダメになったとか、気性が荒い人が多いとか、何も観光名所がないとか、ないものばかりの文句を言います。私はこの地域で生まれ育っていますが、まったくそうは思いません。むしろ炭鉱があったから明治の近代化が実現し、命を懸けた人たちがいたから人情味があり、その炭鉱夫の元氣を下支えした高菜の食文化があり、また古代まで遡ればこの土地が如何に日本のはじまりに深く関与していた素晴らしい場所だったかと思うと誇りで胸がいつも熱くなります。

そもそも文化というものに対して、自分もその文化の一部であるという考え方がある人は「自分の誇り=地域の誇り」になっています。つまりこの誇りの本質とは、外にあるものではなく自他一体になっているというものです。

自分を誇りに思える人は、当然地域も誇りに思えます。その逆に自分に誇りが持てない人は地域にも誇りは持てないのです。だからこそ、私たちは真摯に自分が誇りを持てるような生き方をし、その誇りを磨いて地域の誇りへと昇華していくことが大切ではないかと私は思います。

自分の子ども、自分の子孫たちに自分は誇りをもって言えるようなことをしてきたか。その集積こそが誇りを磨くことです。自分がその地域で生まれて最後に誇りをもって死ねるか。そしてその誇りを遺せるか、子どもが憧れる大人は誇りをもって生きた人たちです。

地域への誇りを持てないというのは、先人への冒涜であり今の自分への諦めです。私は誇りを磨いて、立派な先人たちに恥じないようにさらによい地域にして誇らしくこの世を去りたいと思います。

私は私らしく誇りをもって、私の好きな道を好きなように歩んでいきたいと思います。いつもありがとうございます。

美味しいご縁

今、私は故郷の伝統在来種の高菜をリブランドし「日子鷹菜」としてこれから世の中へと広げる活動をはじめています。最初に在来種の高菜の種とお漬物の菌を譲り受けて16年目になるでしょうか。そろそろ頃合いかなとも感じての今の活動です。

人とのご縁があるように、種とのご縁というものもあります。私たちは何かのご縁で結ばれ今があります。そのご縁は大切にしていると発展していくように、出会いも広がっていくものです。

例えば、種と出会うと畑との出会いが結ばれます、同時にその畑に関わる人との出会いが生れます。そして場になり、その場でたくさんの物語に出会います。その場の中には、虫たち、植物たち、あらゆる周辺の生態系、そして町の人々、自分の思いや実践、その熱量などすべてと結ばれます。16年も経つと、写真を見ないと思い出さないようなこともたくさん増えました。しかし、その歳月で得られた智慧や技術、経験などは決して忘れることはなく全て染み付いています。そしてこれが私の高菜への信頼であり、自信と誇りになりました。

今では、どこに出してもまったく恥ずかしくない正直に取り組んできた全てを丸ごと公開できます。当然、肥料も農薬も一切撒かず、塩も故郷の天然天日塩、お水も地下水のみで木樽で家の裏の杜の発酵場で見守っているものです。むかしから変わらない先人の智慧通りのお塩と樽と菌のみの熟成。あとは、定期的にお漬物と対話しながらお塩や石の重みの塩梅をきかすだけです。

それを自分が毎日食べ、色々なこの高菜にしかない魅力や味を引き出してきました。他とは比べず、この高菜にしかない長所、善さを暮らしの中で発見し続けてきました。そうして、いよいよ家族や仲間から他の人たちへ食べていただく段階に入ったということでしょう。そこまでで16年、お金儲けのためではなく純粋に高菜と共に暮らしてきた有難いご縁の歳月でした。

これから世の中に出ていけば、色々な人たちや評論家などにこの高菜の値打ちが語られるように思います。人は色々なことを言いますから、他と比べて酷い評価をつける人もいるかもしれません。今の民主主義は、大人数が正義ですから大勢言えば真実ともなり悪い評判を出されればあっという間にダメになります。いい評判も、本当に心の底から私たちが感じているような美味しさを感じて出したものではない便利なものも出てくるでしょう。

結局のところ、真の値打ちは自分で育てて、自分を育てて、畑を見守り、畑で見守られ、共に暮らしを磨き、食べて慈愛や滋養を循環しあう関係で得た味わいは唯一無二でそれはその人たちにしか感じられないものということでしょう。

世の中にこれから出ていく日子鷹菜は、この先にたとえどのような評価が出たとしてもその真の値打ちは私が一番誰よりもよく知っています。だからこそ世の中にその美味しいご縁をリブランドしたいと思ったのです。過去や他人の評価などはどこ吹く風だと、この場で誕生した新たなご縁を信じてさらにもう一歩広げていきたいと思います。

子孫や故郷の未来に、この美味しいご縁を丹誠を籠めて結んでいきたいと思います。

自然免疫

先日、久しぶりにコロナウイルスに2回目の感染をしました。いつどこでもらった来たのかが分かりませんが、コロナ感染者に接触したこともあったのであれかなとか色々と思い出します。しかし、どんなに気を付けていても感染症というものはいつどこでもらってくるのかわかりません。自分の自然免疫を丈夫にして、もらってもそんなに気にならないほどの逞しさは持ちたいと思います。

そう考えてみると、幼い頃から様々な感染症を経験してきました。病気のリストのほとんどは感染症でその人の人生の病歴は感染症の歴史ともいえます。特にコロナウイルス以降は、様々な感染症がまた流行り出しているといわれます。

これはパンデミック中の隔離生活や過剰な手指衛生、マスク生活、あるいはワクチンの副作用によって感染症への耐性が低くなったというものもあります。私たちは免疫を獲得できないことを免疫負債といい、その状態が続けば免疫が失われて弱くなっていくそうです。

これは例えてみれば、都会の生活に浸っていた人が突然田舎に来て不便な生活に入ったもののような具合でしょう。私も以前は2拠点生活をしていましたが、東京から故郷に帰ってきて畑に出た日は、ありとあらゆる虫に刺されます。疲れも酷く、すぐに熱中症のような症状がでます。汗も湯水のように流れ、怪我も多くします。それが数日、畑に出ていると虫にはまったく刺されなくなり、皮膚は活き活きして水分をよくはじき、体温調節も自然に行い暑さにも寒さにも慣れてしまいます。野生化するというのでしょうか、自然免疫がフル稼働状態になり元氣が出てきます。周りからも、肌艶がいいとか、眼が活き活きしているとか褒められます。

つまり私たちの免疫が周囲の環境に合わせて強く逞しく働いているということでしょう。そもそも自然界で生きていると、空気中の中には膨大な量のウイルスがあります。私たちは毎日、あらゆるウイルスを吸い込んではそれを免疫が対応しています。過剰にウイルスを怖がって、マスクに無菌室のような殺菌だらけの部屋で生活していたら自然免疫は働く必要がありません。免疫が元氣なくなれば、自分も元氣がなくなっていくということでしょう。

今こんなことをいうと怒られるかもしれませんが、水も少し菌が入っていた方が健全ですし、野菜などもそんなに潔癖に消毒しない方が美味しく食べれます。この世からリスクを全て取り除いたら元氣そのものがなくなったでは本末転倒でしょう。

大事なことは、普段から自然免疫が働くような生き方や環境を調えていくことではないかと思います。古民家などは最適ですし、井戸水や農的暮らしも最高です。土に触れていれば大量の菌やウイルスと毎日遭遇します。自然免疫がなければ、とてもではないけれど対応できません。だからこそ、土に触れるのがいいのでしょう。土も、殺菌している市販の売り物ではなく自然界の森や畑の土のことです。

何が当たり前で何が不自然か、ウイルスなどの世界でも見てもそもそもの本質は変わりません。何が自然で何が免疫なのか、今回のコロナの体験から学んだことを子孫へと伝承していきたいと思います。

教育の本質

私の人生を振り返って見ると最初に「教育」というものの本質に気づかせていただき、この道を教えていただいたのは吉田松陰先生だったように思います。もちろん、学校の先生には色々と教えていただきましたがはっきりと教育とは何かということを直観したのは松下村塾だったように思います。

17歳のころにその教育という愛に気づいてから、ずっと毎年欠かさず松下村塾へは参拝とご報告に伺っています。そもそも人を教えていくという道は、偉大な愛があります。愛を受けた生徒たちがその後もその愛に報いようと志を立て、己を磨き、學問に勤しみ修養し続けていきました。

肉体が滅んでも、心は燦然と輝き魂は永遠に生きているような至誠の生き方や後ろ姿に励まされ草莽崛起の立志の御旗は150年経っても色褪せません。まだ国防は終わってはおらず、何をもって国防とするのかということもまだ問の中です。

吉田松陰先生は、教育というものをこう定義しています。

「教えるの語源は「愛しむ」。誰にも得手不手がある、絶対に人を見捨てるようなことをしてはいけない。」

常に愛をもって人に接するというのが真の教育者ということでしょう。それは相手の徳性を深く厚く慈愛をもって見守っていく太陽やお水のような生き方をしていくということです。そしてこうもいいます。

「どんな人間でも、一つや二つは素晴らしい能力を持っているのである。その素晴らしいところを大切に育てていけば、一人前の人間になる。これこそが人を大切にするうえで、最も大事なことだ。」

「人間はみな、なにほどかの純金を持って生まれている。聖人の純金もわれわれの純金も、変わりはない。」

愛するというのは、条件をつけないということでしょう。大事なのは、自分が愛したかということであってそこに教育の本質があるように私は思います。

そして松下村塾というものの偉大さを感じるものにこの言葉があります。

「自分の価値観で人を責めない。一つの失敗で全て否定しない。長所を見て短所を見ない。心を見て結果を見ない。そうすれば人は必ず集まってくる。」

日本人の今まで伝承してきた教育のかたちは、「子どもたちを愛しむ」という真心にあるように私は思います。時代が変わっても、私たちの民族の中に脈々と流れているその伝家の宝刀を如何にこれからも大切に守っていくか。

これから日本がどのような状況に入っていくのかは混迷を深めていきますが、条件に左右されることなく子どもたちのために真心を実践していきたいと思います。

眼のバランス

私たち人間というのは、そのものの姿によって好悪の感情を抱くものです。毛虫の時は毛嫌いし、蝶になれば美しいと愛でようとする。その本体はどれも同じであっても、それを別物として認識しては好き嫌いを分けています。他にもイノシシなども売り坊の時は可愛いとなり、大人になったら気味悪いとなります。人間でも生きているときは美しいと思っても死んだら幽霊だと怖がります。

そんな当たり前のことをと思うかもしれませんが、これは本当に当たり前なことなのかということです。この世の中のあらゆるものは変化を已みません。その変化していく姿に私たちは思い込みで好悪感情を持ち評価しているものです。

先ほどの毛虫であれば、その毛虫が将来大変貴重で美しい蝶になると言われたら毛虫への感情も変わりその毛虫が好きになったりするものです。その逆に、醜い毒蛾になるといわれたらすぐに捨てるか遠ざけるでしょう。人によってはそれぞれに選り好みもありますからそれが好きな人もいるかもしれません。

何を言っているかというと、それは全てその人の偏見で観て感情も執着をもっているということです。

それが分かってくると、この好悪感情は一瞬にして変わってしまうものであることがわかります。例えば、銀杏の実が臭いと毛嫌いしていたものが一度炭火で焼いて食べて美味しいことが分かった瞬間から喜んで実を集めだすようになります。しかもそれまでの環境が反転して、臭いすらいい臭いに感じ、愛しく実が落ちるのを眺めるほどです。

結局何が言いたいかというと、好きか嫌いかというその人の偏見によってそれは裁かれますがそのものの価値はその人の好悪感情とは関係がないということです。

そうやって偏見を持たずに自然を見つめ直すとき、すべての自然にはそれぞれに尊い価値があり、お役目があり、徳があることに気づきます。小さな石ころであっても、鬱蒼と生えている蔓であっても、それぞれの本質がありいのちがあります。それをそのままに観えることができてはじめて人は、あるがままの味わいを感じることができるように思います。

そしてこの好悪感情というものがどれだけ現実に影響を与えているかを知ります。事実を歪め、本質を澱ませ、根源を忘れさせます。

好悪感情があることで、様々な感情の経験を体験でき私たちは臨場感をもってこの人生を謳歌していけることも確かです。しかし同時に、自然そのものの素晴らしさや不完全であることの美しさなども実感することでいのちが一体になって共生する豊かさを感じられ仕合せになることも確かです。

人間に眼が二つあるように、心の眼と情の眼をバランスよく重ねてそのどれもを丸ごと愛せるようになれたらいいなと思います。人間らしく自分らしくというのは、生きるうえで大切な羅針盤なのかもしれません。

引き続き、観るを省みて眼のバランスを調えていきたいと思います。

雨乞い

私の場の道場には、神社がお祀りされておりそのご神体に闇龗神がいます。これは八大龍王とも呼ばれ、私たちの先祖が代々お祀りしてきた神様です。特に私たちの住んでいる場所から一直線上に八木山の龍王山があり家の麓には八龍権現池があります。そして八大龍王神社がありその奥社には多田妙見神社があります。この神様が闇龗神です。

私たちの場所は、雨乞い神事を執り行うのに適しているところです。常に龍の気配を身近に感じて雨を祈ります。この雨乞いというのは、雨を降らす祈りです。

今では雨乞いなど遠い昔の過去の物語のようで誰も意識することはなくなっています。便利になった世の中で、各地には水道やため池が増え、治水もポンプなどで運営しています。雨に頼らなくてもある程度は人間の思い通りです。

しかし以前は、雨が降らなければどうにもなりませんでした。干ばつがくればすぐに食糧難、そして餓死です。また洪水が来れば同じく食糧難になり家もすべて破壊され疫病が蔓延し餓死です。雨の動向一つで私たちの暮らしは脅かされ、すぐに死が身近に訪れました。

そういう時、私たちは何をしていたかということです。現代は、地球の天候は極端になり世界各地で激しい自然災害が発生しています。一昨年の豪雨の体験では、私も英彦山で恐ろしいほどの川のような雨が降るのを体験しました。もはやこの規模になると、人智は及ばずただ祈るしかありません。

本来、雨乞いとは何かということを今一度思い出す必要を感じています。

雨乞いとは、雨を降ってもらおうとか雨を少量にしてもらおうと希ったものではありません。これは、適量適度に穏やかでいてくださいと祈ったものです。降らなければ問題であるし、降ってもも問題。だからこそ、ほどほどに降っていただきたいと願いました。少し足りないくらいでちょうどいいと願ったのです。

その真心は、穏やかで安らか、和やかに静かのままでという優しい祈りです。

私たちは自然災害を前にして、なぜこうなったのかを考えました。これは単に災害をスピリチュアル的に鎮めるという物質的な話だけではなく、心の在り方、心の持ち方のことも真摯に内省して自己を見つめる機会にしたのです。その証拠に、日本人は自然災害を前にするととても謙虚な心が出てきます。そしてみんなで助け合って道徳を実践します。

長い年月、自然と共に調和共生してきたからこそその心や生き方が自然に陶冶されてきたように思います。私は、毎朝、この闇龗神に御参りして祝詞を奏上しています。私は宗教には全く興味がなく、どこかの宗派に属する気もなければ入信するつもりも一切ありません。つまり無宗教です。

しかし信仰はあり、自然というものと調和したり畏怖を念を感じるとき深い反省といのりの気持ちが出てきます。そして先人たちが暮らしの中で大切にしてきた智慧としての祝詞や詩やお経、道具などは尊敬の念で勝手に使わせてもらっています。

他人に言わせると、数珠もって祝詞あげて法螺貝吹いてふざけるなと思う人もいるかもしれませんが、たまたまそれらの智慧にご縁で触れただけで、そのうち石もって水もって植物着て火を吹いてなど入ってくるとサーカスかと笑われるくらいになるはずです。でもこれは宗教ではなく、自然と人間の智慧と調和を暮らしで結ぼうとする私なりの「雨乞い」なのです。

雨乞いを今でもやっていくのは、いのちの根源に感謝しいつも穏やかで安らかに調和したいと願う生き方を実践していきたいからです。

子どもたちや子孫へ、自然との優しい関りがいつまでも継承されていくように私は私のやり方と生き方で真心を実践していきたいと思います。

場のハタラキ

場のハタラキというものがあります。これは自分が直接的に何かをしなくても、その場がその代わりにハタラキをするということです。これは別の言い方では、やるべきことは全てやってあとは運や天命に任せるというものにも似ています。

これは自分でやると小さな力でも、その小さな力で大きな力を引き出すということにもなります。テコの原理なども、小さな力で大きな力を使います。場のハタラキは、これにさらにもっと偉大な力を使うということです。

例えば、場には想いが宿ります。他にも時が宿ります。重力も宿り、引力も宿ります。他にはいのちが宿り精神が宿ります。つまりありとあらゆるものを器の中に容れて宿らせることができるのです。そしてその場は、目には観えませんが偉大な調和が生れその中で奇跡のようなハタラキをはじめます。これは、物事がなぜかうまくいったり、不思議なご縁を引き出したり、一期一会の見事なタイミングがあわせたりします。

なぜかその場にいけば、いつも物事が善いように運ばれる。なぜかこの場所に来ると心が落ち着き、不思議と話も仕事もうまくいくということが発生するのです。

それがそのようになるのは、その場を創っている人が中心にあるのは間違いありません。ではその場をつくる人は何をしているのか。それは日々に心のお手入れをして場を調えているのです。場を調えることで場のハタラキはさらに活性化していきます。そのためには、生き物に接するように、あるいは神仏に仕えるように謙虚に丁寧に実践していくしかありません。

私は場道家として、場の道場でこのような場のハタラキを研究し実践していますが次々に場のハタラキが可視化され、多くの人たちに感じてもらうようにもなってきました。私が取り組んでいるのは、単なる場所貸しではなく、場のハタラキを受けられる場を提供しているということでしょう。

1000年先の子孫たちに伝承されていくように、まだまだ長い時間をかけてじっくりと醸成していきたいと思います。

心を活かす生き方

中村天風先生という方がいます。この方は今から約150年前に誕生されのちに天風会というものを創設し心身統一法というものを生み出して多くの方々に影響を与えました。

私もはじめて志のため海外へ留学する際には、自分の弱い心を奮い立たせようと座右の書として何回も読み直しました。その後は、就職して営業職についてからもいつも名刺の中に中村天風先生の言葉をメモし仕事の合間の車内の中で何回も言葉に出して発していたことを覚えています。

その中で最も私が影響を受けたのは、積極思考というものでした。これは、消極的な生き方をしないということ。病気も弱い心もすべてはこの自分の中にある消極的な思考が引き寄せているというものです。

例えば、病気になるとだるいやきつい、熱があるなどから不安になったり心配事が増えて、そのうち治りも悪いと不平や不満ばかりがでてきます。本来は、その病気は自分の免疫をつけてくださっている大切なものであったり、自分を見つめ内省する機会いなったり、あるいは病気の治癒に専念できる有難い周囲の方々や両親をはじめ会社の人たちなどの存在があっているのです。不平や不満や不安や不信などが、消極的な生き方を育て、そのことによって永遠に病気の根源が治癒しないのです。それを積極思考にして絶対安心の境地に入る時、不思議なことに私たちは病気そのものの根源が絶たれるともいいます。

これは「生きる姿勢」の話でもあり、「心の在り方」でもあり、どんな今でも真摯に生き切ったかといういのちの根源との繋がりの話です。

天風先生はこう言います。「絶対に消極的な言葉は使わないこと。否定的な言葉は口から出さないこと。悲観的な言葉なんか、断然もう自分の言葉の中にはないんだと考えるぐらいな厳格さを、持っていなければだめなんですよ。」

消極的精神に対してのどうあることが積極的精神であるか、こういいます。

「どんな目にあっても、どんな苦しい目、どんな思いがけない大事にあっても、日常と少しも違わない、平然としてこれに対処する。これが私の言う積極的精神なんであります。」

常に平然と平常心で対処していく、それがまず積極的な精神を持つということです。そしてこうもいいます。

「運命だって、心の力が勝れば、運命は心の支配下になるんです。」

どんな状態であったとしても心の力が消極的なものの打ち克てば運命すらも心が支配できるというのです。そして心についてはこう言います。

「心も身体も道具である。」

道具のように大切に使い使いこなしていけば、いいというのです。だらこそ常に人生に対して、心と体を心身統一していこうといいます。

最後にこうもいいます。

「人生は生かされてるんじゃない。生きる人生でなきゃいけない。」と。

頭で知識で理解することができても、それを自分のものにするには常に日々の自己を磨き続けなければなりません。日々に様々な出来事が発生しても、それをどのように受け取り、心と身体を使って感謝や歓喜に換えていくのか。人生の醍醐味というのは、この小さな体験をどれだけ厚く豊かにしていくかということかもしれません。

子どもたちや子孫の仕合せのためにも、先人たちが人生をかけて遺してくださった生き方や知恵を実践で伝承していきたいと思います。

タイミングの中

まだまだ酷暑は続きますが、夜になるとコウロギや鈴虫などの音色が響いてきます。それに一部では銀杏の木も葉の色が黄色に移り変わり、桜の葉もほとんど落葉しているところもあります。

季節は全体として動いても、その季節に合わせてどう対応するかはそれぞれに異なります。桜といっても一本から個性があり、同様に虫にも動物たちにもそれぞれに自分にあった季節の対処というものがあります。

みんな同じようにと思い込んでいるのは人間だけで、実際には個体個体ですべて異なります。みんなに合わせていても、自分の身体には合わないこともあります。自然の生き物は、自分の身体感覚に正直でありその身体感覚に合わせるからこそ自分に最も相応しいタイミングというものがわかります。

私たちはタイミングというもの中に、季節だけではなく時機やあるいは死期というものまで直観するものです。タイミングとは中庸であり、最も相応しいことがわかるというものです。

そのためには周りに合わせていてはわかりません。自分の内面や身体感覚とよく向き合い、丁寧に自分というものと正対して調和していく必要があります。人間は無理をする生き物です。特に誰かのためにや、みんなのためにとなると余計に無理をします。無理をするとき、意識は自分の身体感覚からズレていくことがあります。なぜ無理をするのか、どこが無理をしているのかなど丁寧に向き合うことで何が自然体であるのかということに気づきます。

しかし自然体に気づいたとしても、自然体になるというのとは別のことですから自然体でいるための道を歩んでいく必要が出てきます。その一つには、認めることや恕すこと、諦めることなど色々な執着を手放していく努力があったり、あるいは自分の喜びに集中することや、徳を磨いていくことなどもあります。

自然の生き物たちは上手に自然の流れに従いつつ、調和しては季節の巡りと道を合わせています。タイミングに生き、タイミングに死にます。自然というものの素敵さというものはこのタイミングの中にあるということかもしれません。

引き続き、よくタイミングを内省しながら丁寧に暮らしを紡いでいきたいと思います。

場の徳

人は場を通して心を広げていけるように思います。それは波紋のようなものです。波紋は波動ともいえます。お山の中にいて、色々な生き物たちの音が聴こえてきます。この音は、波紋として全体に響きます。その音は、水の音や風の音、そして植物の触れる音、鳥の声、虫の羽ばたき、木々の揺らぎなどあらゆるものが自然の波動を合わせていきます。

その合わせていくものに心を寄せていくと、次第に境界線が取り払われ少し遠くで行われる波紋も感覚が拾うようになっていきます。身体の中にある様々な感覚と一体化していく感じです。それを感じていると、お山全体の波紋や波動を感じます。

たとえば、深夜の静けさに包まれているときのお山の状態。そして朝から昼にかけての状態、一日のの中で何度もその波紋や波動を感じます。すると、次第に自分がお山になっているのかのような感覚を得られます。すると、とても穏やかで静かな心になります。シンプルに心地いいのです。この心地よさというのは、心が地に着いているということでしょう。別の言い方にすると、落ち着いているということです。

心は場に落ち着くと、心は全体と結ばれていきます。心地よさというのは、波紋や波動が好循環して調和しているということでしょう。

お山には、そのような調和を司るいのちが宿っているようにも思います。お山にいき静かに瞑想をし、あるいは自然と結ばれると心が落ち着くというのはお山自体にそういう場があるからです。

その場をどう守っていくかというのは、如何にその靜けさを保つかということに他なりません。英彦山の宿坊で、ただ一人閑かに暮らしていると先人たちが何をこの場で取り組んできたのかが感覚的に伝わってきます。

先人たちが磨いてきた場の徳を、これからも大切に守っていきたいと思います。