新たな施浴伝説

歴史というのは、普遍的な私たちの先生です。困難な時こそ、今にあたふたするのではなくもう一度歴史に学び、今を考察していく必要があると思います。

今から1300年前、聖武天皇が治めた奈良時代に天平文化というものが花開きました。この時代は地震や疫病の大流行ありました。天然痘と思われる疫病では総人口の3割前後が死亡したとも言われています。

この疫病は権力者や貴族であろうが関係なく広がり、藤原不比等の息子4人兄弟(藤原武智麻呂、藤原房前、藤原宇合、藤原麻呂)も病死しています。この時代は、地震や疫病から飢饉にまで発展しどうにもならないことが続きます。

だからこそ聖武天皇は仏教の力をかりて国分寺や国分尼寺を各地に作らせその総本山の東大寺と法華寺を建て大仏を建立したといいます。

先日、大三元大師のこともブログで書きましたがもともと節分の豆まきもここのとき宮中で行われた疫病を持ち込む鬼を国外に追い払う追儺に起源があるといわれます。感染症と地震は連動していて、今こそもう一度、歴史に学ぶ必要があるのです。

私が建立した原点サウナでもある、祐徳大湯殿サウナはこの時代の歴史も参考にしています。かつて古くから入浴と仏教には密接な関係があり入浴の起源は、仏像を湯で洗い浄めたことに始まるとされます。この時代、施浴といいお寺では寺僧の入浴後、近隣の人々に寺の風呂を無料で開放していたといいます。この施浴にまつわる伝説で有名なものが「光明皇后の千人施浴」です。

この光明皇后(701年から760年)は日本の第45代天皇・聖武天皇の皇后です。この光明皇后も天然痘で3人の兄を亡くしその生家である藤原不比等の邸を寄進し、その跡地に奈良に法華寺を建立して兄たちの菩提を弔います。

仏教への信仰心も篤く、社会のためにと真心を尽くしていた皇后がある日夢で仏のお告げを聞きます。そこで法華寺の施浴を建立し、千人の垢を洗い流す誓いをたてるのです。

そしてその千人目に現れた者は、肉がただれて血膿が噴き出たらい病の人でした。しかし皇后は自らその者の体を洗い、乞われるままに流れ出る膿まで吸い取ってやります。すると浴堂に紫雲が立ち込め、患者は瑞光に満ちた金色の仏に化身して「我れは阿閑(あしゅく)仏なり」と言葉を残して消えたといいます。

これはその後、ずっと人々の間で口伝で伝承されていて時代を超えて今でも人々の心に響くものがあります。世界ではマザーテレサなども同様に、深く人々の心を救おうとし真摯に手当てしてきた生き方が感じられます。

またこの光明皇后は千人の施浴の際、信仰の深い3人の女官に手助けをしてもらっていたといいます。そのこの女官のことを「典侍(ないしのすけ)」といって人々は3人を三典(さんすけ)と呼びました。これが銭湯で風呂を焚き、浴客の体を洗う男衆の呼び名である「三助」の由来となったといわれています。

つまり「施浴」を手伝い、人々の心の穢れや体の汚れ、ありとあらゆる苦難を癒そうと日本の石風呂(蒸し風呂サウナ)を活用したのです。

今の時代に似ているものを感じ、ここに共通の信仰の源泉を私は感じます。大げさかもしれませんが、私もこの祐徳大湯殿を建立する際に誓いを立てています。その誓いに恥じないように、歴史に学びこの時代に相応しい新たな伝説をはじめていきたいと思います。

自然の暮らし~医食同源~

春になると苦みのある旬の野菜がいくつかでてきます。その一つにフキノトウがあります。このフキノトウは、あの緑色の大きな葉をつけるフキの若い花茎のことです。花が開かぬ前の鱗片状の包葉に包まれたものをてんぷらや焼いたりゆでたりして食べます。

独特の苦みがあり、春の旬の代表の一つとも言えます。

この春に苦みには、「春の皿には苦味を盛れ」とありむかしから春には苦いものを食べるという習慣がありました。これは春野菜全体のことを言います。この春野菜の苦味成分には、冬の身体を春仕様に転換していく作用があるといいます。

冬は体温を逃がさないようにと、代謝機能を低下させその分、脂肪や老廃物を溜め込みたすくなっています。それで冬太りという言葉があるのです。この冬に脂肪を蓄えていると同時に老廃物も溜まっているのです。

この老廃物を取り除き、代謝を促すにもこの春野菜の苦みが役にたちます。この春野菜の苦みは、「植物アルカロイド」と呼ばれ新陳代謝を促し体内にたまった余分な熱や水分を体外に排出する作用があるといいます。それに加え春野菜には抗酸化作用のあるポリフェノール、他にもビタミンA(カロテン)、ビタミンB群、ビタミンC、があり体内の代謝を高めるために使われる補酵素があるといいます。この苦み成分は、サポニン、タンニン、アルカロイドなどになり、少量であれば、体にとっては肝臓の働きを活発にして解毒作用につながり腎機能も向上させるといいます。

春野菜には、春キャベツ、春ニンジン、フキノトウ、たけのこ、タラの芽、菜の花、新セロリ、新じゃがいも、新ごぼうなどがります。

ただおいしいだけではなく、私たちの食べるものは薬そのものであり、医食同源とあるように体を元気にして健康を保つのにも欠かせないのです。

暮らしフルネスの食は、まさにこの医食同源を実現するものです。旬を味わい、四季のめぐりと一体になりながら自然と離れず、自然と同化してその恩恵を全身に受け取ることで仕合せを感じるものです。

子どもたちに、その自然の暮らしを伝承していきたいと思います。

例大祭の御礼

昨日は無事に例大祭を執り行うことができました。深いご縁のある多くの方々にご参列いただき、祈願後、とても神社や周囲が光り輝いて甦生しておりました。いのりの力は偉大で、こうやって人々の真心がご神体そのものを磨き光らせることを知りさらなる精進をしていこうと真心に帰しました。

コロナウイルスで集まれないからこそ、神事を大切にみんなでこの困難を支え合い乗り越えていくことを祈願する。まさに、人類はこうしてみんなで祈りを捧げて結束を強め結びつきや絆、真心によって道を拓いてきたことを実感します。

確かに具体的な予防をしていくことも大切ですが、禍を転じて福にしていくという生き方そのものが人類の未来を明るく希望に満ちたものにしたのでしょう。

この祈りの日を忘れずに、この一年も丹誠を籠めて祈りを捧げていきたいと思います。

思えば、私たちは日常の中でさまざまな出来事によって感情や心が波立つものです。これは雲一つなく風もないうららかな快晴の日であったものが、大嵐が来て強風が吹き、雨や霙などが降ってきて大荒れの日であるかのように変化しています。

時として、災害級の出来事もあれば、また平穏無事な日々を過ごすこともあります。まさに天気や天候のように、私たちの心情もまたこのように変わり続けている存在なのです。

その時、私たちは穢れといったものを引きずることがあります。それはネガティブな感情や不安などをずっと抱えていくようなものです。天気や天候は、自然に恢復していきますが人間の心情はなかなか自然のようにはいかないものです。自然が私たちを守ることもあれば、厳しく戒めることもあるなかで私たちは偉大な見守りの中にいて生きています。

つい忘れかけてしまう、生かされていることの有難さや満たされていることの仕合せを穢れを祓うことによってさらに善いものへと甦生させていくことが私たち人類の修養になっているように思います。

お祀りは、この魂を磨き心身を清め、真心で素直に明るく生きていくことを私たちに諭してくれます。日々に精進し日々に修養する、人格を育てていくことで自然と一体になり和することでこの世で記憶を鮮明に甦生するのです。

来年の例大祭に向けて、また新たな精進と修養に励みたいと思います。

危機に備える暮らし

現代は、より不確定な時代に入っています。コロナだけではなく、ここ十数年、震災にはじまりあらゆる自然災害が発生しやすくなっています。また南極の氷が融けては世界の海の中の水量が代わり、流れも変わり、そしてその水の力で地球全体の変化は進みます。

その時、私達人類は今までのように計画を立ててその通りにやっていくということが難しくなっていくのです。つまり、自然が安定していた時はある程度、人間の好きなようにできる都市をつくり限られたところで自由自在に謳歌できましたがこれからは自然の変化と向き合いながら歩んでいく時代に入ったのです。

もともと環境問題の話は数十年前から出ていましたが、それは経済活動をしながら少しだけ環境に配慮しようとした慈善事業的なものでしたがこれからはそんな場合ではなくなって激しい自然環境の変化の中でどのように人類は生き延びていくのかということに向き合う時代になったということです。

当たり前のことですが、人類は今までもそうやって大自然の恩恵を受けながら、厳しい大自然に洗礼を受けては許しを得てここまで生き延びてきました。別に終末思想などを言っているわけでもなく、歴史を省みればそうやって人類は何回も絶滅の危機を乗り越えて生きてきました。

絶滅の危機を省みると、それは突然にやってきます。まさかこの平和や安定が突如失われるなどとは誰も思いもしません。しかしそういう時がもっとも危機の前兆であり、私たちは備えることに油断している状態であるのです。

言い換えれば、自然に向き合うことをやめてしまう、もしくは自然から離れてしまう。その時こそ、本当の危機が訪れているということなのです。

時代が時代なら、この危機に向き合い人類はどうやってみんなで生き延びるかを世界で対話をして解決に向けて協力していかなければなりません。いつまでも国家間の争いをして、常に比較や価値や評価を競いあってみても大自然の前ではひとたまりもありません。

極端なことをいうのではなく、だからこそ危機に備える必要を感じるのです。先人たちの暮らしをよく観察すればするほどに、日ごろから危機に備える仕組みを醸成していたのがわかります。たとえば、結に見られるような助け合い支え合いの仕組みも暮らしの中で醸成していました。

ひとたび自然災害が来たら、その先人たちの暮らしが大いに役にたつのです。別に私は都会暮らしか田舎暮らしかを論議するのではなく、生き残るために何が必要かということを暮らしフルネスで提案しています。

その時が来ては遅いからこそ、今からやる必要があるのです。平時ではなく、有事に備えてこそ人類は協力し自律し合う関係が築けると思います。

子どもたちのために今できることを真摯に挑戦していきたいと思います。

心のパートナー

昨日、久しぶりですがオンラインで同志とこの一年の振り返りや話し合いを行いました。仕事も一緒にしながら理想に向かって挑戦を続けてもう7年目になります。色々な仕事をしてきましたが、理想を共にできる関係を築くことは簡単ではありません。

理想があるというのは、そこには非常な艱難辛苦もありお互いに苦労を分かち合いながらもあらゆる課題を心も持ち方を磨きつつ、創意工夫をもって乗り越えていきます。

片方が諦めても、もう片方は諦めない。そういった、お互いに同じ方向を向いて同じ目的に向かって挑戦するときにはじめてパートナーという関係が結ばれるからです。しかしそのパートナーは、決して頭で理解できるものではなく不思議なご縁によってのみ結実します。そこには天地人の縁が必要です。この天地人は、天の時、地の利、人の和、そしてご縁です。

人はいつかは必ず死にます。

この世で生きている時には、できるだけ一緒に様々なことに挑戦をして共に魂を磨き合い輝かせます。そして死してからも魂は共にしますが、そこにこの肉体は存在しません。頭で思考することもなくなります。ただ魂だけが残るのです。

だからこそ、この一期一会の瞬間を丁寧に丹誠を籠めて理想に向かって共に歩んでいく醍醐味があるのです。

昨日、彼らと話をして改めて振り返り気づいたのは私はこのコロナでこれからの時代の生きる力としてもっとも大切なのは「心の持ち方」を創っていくことだと思います。

本来の教育とは何か、教育の原点とは何か。それはこの「心の持ち方」を与えることだと実感するからです。どんな時でも、好奇心を持って楽しいものを見出していく力。人生の中での希望は、この一生を歩んでいくために最大かつ至高の座右です。

希望あるところに人は活き、絶望することで人は亡くなります。この世で、私たちが様々な艱難辛苦を味わう時、魂は磨かれますがそこで絶望すれば魂は衰えてしまいます。そんな時、希望を持てばまったく異なる世界が現われ真実に導かれていくのです。

つまりこの世は、その人の心の持ち方、心からの観え方次第で、どうにでも変わってしまうということなのです。そうやって私たちは、禍を転じては福にし続けてこの世を美しく豊かにしていきました。

人の心は、この不思議な効果や奇跡を自覚していてまさに心の時代に必要な素養であり、まさに今こそこの心の持ち方を学び直すことだと私は感じます。

心は私たちの大切なパートナーです。

そのパートナーと一緒に、心の持ち方を換える豊かさを追求しつつ新たな時代の幕開けを共にしていきたいと思います。

道は一つ

ミッション(理念)とは生き方の事です。どのような生き方をするか、それを保つためにどのような経営をするか、理念経営とは、理念が優先であってそれに合わせて経営を工夫するということです。

よく経営を優先して理念があとでという事例を見ますが、これは理念経営ではないことはわかります。本来、何のためにやるのかが本であり、末にどのようにやるのかが決まります。本末が転倒してしまわないように、常に初心を振り返りどのように取り組んでいくのかをみんなで真摯に実践していくしかありません。

そしてそのミッション(理念)を砥石に、振り返りながら磨いていくことで生き方を高め生き様を伝道していくことができます。そうすることで、一つの組織がまるで生きもののように生き様を共にする人たちによって人格のような姿が現われてくるのです。

稲盛和夫さんはこういいます。

「リーダーの行為、態度、姿勢は、それが善であれ悪であれ、本人一人にとどまらず、集団全体に野火のように拡散する。集団、それはリーダーを映す鏡なのである。」

つまりリーダーの生き方、またその生き方を共にするスタッフたちがミッション(理念)を共有し生き方を実践すれば企業に格(社格)ができるというのです。

さらに稲盛さんは、「人を治めるには、権力で押さえつける「覇道」と仁、義などの「徳」で治める「王道」とがあります。私は、やはり人間性、人間の徳をもって相手の信頼と尊敬を勝ち取り、人を治めていかなければならないと思っています。」といいます。

もしも覇道になれば、ミッション(理念)を凶器のように使われて権力の一つの道具になります。しかしもしも、このミッション(理念)が徳で使われるのならスタッフが自分たちの魂を磨き、人格を高めるお守りのようになります。

私は後者のためにミッション(理念)を使っているのであり、私の提案する仕組み(智慧)は自然に徳が穏やかに沁み込んでいくように日々の内省を通して自己の精神性を洗い清め高め合いながら自立と協力を促していくようにしているのです。

それはミッションページやミッションリーフレットなど、ミッションとつく物はすべてこの「徳」による王道の智慧を活用したものです。

まずは自己の脚下の実践からということで、弊社ではミッションブログに始まり、内省、一円対話、讃給などあらゆる仕組みを実証しています。

覇道でいくのか王道でいくのかと対比されますが、本来の道は一つです。

人類は魂をどう磨くか、磨き方は自然から学び直すことが一番です。自然の徳に包まれ見守られて生きている私たちのいのちだからこそ、その徳に報いていきたいと思います。

ご縁が解ける

仏(ほとけ)という言葉があります。この語源を調べると、それぞれの辞書で内容は異なりますがブリタニカ国際大百科事典には「仏陀のこと。語源は,煩悩の結び目をほどくという意味から名付けられた,あるいは仏教が伝来した欽明天皇のときに,ほとほりけ,すなわち熱病が流行したためにこの名があるともいわれる。日本では,死者を「ほとけ」と呼ぶ場合もある。」とあります。

シンプルに言えば、執着を取り除いた姿が仏(ほとけ)の象徴とされたように思います。強く握りしめていたこうでなければならないというものを、手放し融通無碍に来たものの全てを受け容れて受け止めるときこの仏(ほとけ)に近づいていくということかもしれません。

小林正観さんの著書にこの仏(ほとけ)についてわかりやすい内容で紹介されています。

『執着やこだわり、捕らわれ、そういう呪縛から解き放たれた人を、日本語では「ほとけ」と呼びました。それは「ほどけた」「ほどける」というところから語源が始まっています。自分を縛るたくさんのもの、それを執着と言うのですが、その執着から放たれることが出来た人が仏というわけです。ところで、「執着」とは何か、と聞かれます。執着というのは、「こうでなきゃイヤだ」「どうしてもこうなってほしい」と思うことです。それに対して、楽しむ人は、「そうなってほしい」のは同じなのですが、「そうなったらいいなあ。ならなくてもいいけれど。そうなるといいなあ」「そうなると楽しいな」「そうなると幸せだな」と思う。「こうでなきゃイヤだ」と思ったときに、それが執着になります』(だいわ文庫)

想いの強さは時として、それが執着になっていきます。情熱がありすぎると正義を振りかざしたり、自信がありすぎると思いやりに欠け過信にもなります。なんでも片方に過ぎることが時として調和を崩すことがあり、その都度、自己の執着を手放すようにと何か偉大な存在に見守られながら諭されていきます。

人生は誰もが一生涯修行であり、どんなときにも自分の中にある執着と対話してそれを手放すという修練が求められていきます。その中で、人は深いご縁ほどにつながりもまた深くなります。

一つ一つのご縁の中では、誤解もあれば了解もあります。しかしそのどちらも、いつの日か時が経てば解けていき真実が顕現していきます。未熟だった自分を反省し、改善していくことで人はさらに成長していきます。そういうご縁をいただいていること自体が感謝そのものであり、深くご縁に見守られていることを実感します。

子どもたちが憧れるような未来を遺していくためにも、今を直視して日々に弛まずに怠けずに逞しく嫋やかに実践し、思いやりを忘れず優しい心で歩を進めていきたいと思います。

結の甦生

藁葺のことを深めていると、むかしの相互扶助の共同体の「結」のことにつながります。今では金銭でなんでも解決するような生活になってきていますが、むかしは貸し借りを金銭ではないもの、つまりはお互いの義理人情のようなもので支え合っていました。

もちろん、今でも義理人情はありますがむかしは見返りを求めずに助け合うという根底には「徳」というものの考え方によって人々が助け合い支え合うという土着文化がその地域を安定させていたとも言えます。

例えば、先日の藁葺でもみんなに声をかけて集まってもらい集まった人たちで助け合いながら藁葺職人たちと一緒に屋根を修繕していきました。懐かしさを感じるのは、こうやって金銭ではなくみんなで助け合い支え合うところに暮らしの原点があるということです。

中部地方の合掌造りの茅葺屋根の葺き替えは「結」の制度があり、ウィキペディアによると今でも下記のような手順で藁葺を進めているようです。

「作業の3年以上前から準備が始まる。屋根の面積から必要な茅の量と人員を概算する。作業の日取りを決め、集落を回り葺き替えをいついつ行うので手伝って欲しいと依頼する。予め作業に必要なだけの茅を刈って保存しておく(そのための「茅場」を確保してある)。役割分担を決める(茅を集める者、運ぶ者、茅を選別する者、縄などその他道具を準備する者など)。上記は専ら男性の作業である。女性は作業に従事した者達への食事、休息時の菓子、完成祝いの手土産の準備を行う。屋根の両面を同時に吹き替えることはほとんど無く、片面のみを2日間で仕上げる。1日あたり200人から300人の人手が必要となる。100人以上が屋根に登るさまは壮観である。」

金銭であれば1000万以上かかるものを、無報酬で協力し合って村人たちで行われているといいます。

以前、この「結」のことである方に聴いたことがあるのは「むかしの人は自分が受けた恩義をいつまでもお互いに忘れない、それが先祖代々、「結帳」に記入してあれば子孫の代になっても口伝、もしくは記録しいつまでもその人たちのことを協力するという考え方があったことです。恩義を中心にして、無条件でお互いに支え合うというのは「徳」のつながりのことであり、私が取り組むブロックチェーンの概念と同様です。

貸し借りとは、金銭的なものだけを言うのではありません。等価交換できないもの、それもまた恩義でありそれは生き方が決めるものです。感謝し合う人格が磨かれた地域であれば、その地域の文化はみんなで恩義の質量を高めていくことができます。

つまりは徳を中心にした思想によって、相互扶助の豊かさを実現していくことができるのです。この豊かさといういうものは、現代のような物質的な豊かさではないことはすぐにわかります。

これはまさに人がこの世で安心して暮らしていくために絶対不可欠な安心基地を持つ豊かさの事です。そして見守り合い徳を分け合う暮らしは子孫たちの安心にもなり、先祖たちもその繋がりに恥じないよう、またいつでも顔向けできるようにと協力を惜しまずに恩送りをするのです。

等価交換できないものを持つというのは、心で繋がり深く結ばれていくということです。これが和の原点であり、結の意味でしょう。

「結」の甦生は、これからの時代の新しい真の豊かさにおいてかけがえのない大切な実践項目です。むかしの豊かさから学び直し、原点回帰していくことで日本人の甦生、日本の甦生、そして世界の甦生を促していきます。

これは現代を全否定するのではなく、あくまで原点回帰して本物や善いものは持続しながら文明を調和させていくということです。ブロックチェーンで私が取り組むことはこの新しい豊かさの甦生です。

引き続き、子どもたちのために志を磨いて挑戦をしていきたいと思います。

 

全体最適の暮らし

最近は、専門性を高めるために分業化が進みましたがその分業化によって大切な本質を見失うことが増えてきたよういも思います。全体最適あっての部分最適ですが、部分最適ばかりを追いかけているうちに全体最悪のようなことが発生してきているように思います。

例えば、縦割り行政なども同様に専門性は高まりましたが横連携がなく無駄や無理、ムラばかりが発生して結果的に対立構造の中で協力しにくい雰囲気が出てきます。それぞれに正論をいっても結果として何も進まないとなると国民の怨嗟の声も増すばかりです。

私たちの伝統文化を深めていると、これらの文化はすべて暮らしの中で醸成されてきたものであることがわかります。

先日から茅葺職人さんたちと共に現場で作業をしながら話をしていると、やはり伝統の畳職人さんの時と同じく地産地消、その土地でとれた作物でつくりその場所で循環させるということを大切にしていました。

これはすべて中心に「暮らし」が入っており、暮らしのないところに本来は伝統文化も職人もないということです。

現在は、全体最適の暮らしではなく部分最適の経済ばかりを追いかけています。そうすると、本来の全体を調和していたものがなくなりお金を儲けるための職人技ばかりがフォーカスされてしまいます。

つまり、テクニックばかりが競われ、先ほどの「暮らしの中での」というところが切り離されてしまうのです。現在は、海外の遠いところからわざわざ材料を集めてそれが生活の中で提供されます。スーパーの刺身などを見てもわかりますが、ほとんどが遠い国からきているものばかりです。

暮らしは本来は、その土地でその場所で身近なところでみんなで循環しながら永続させるものです。暮らしの智慧とは、まさにこの持続する仕組みであり、持続しない仕組みにならないように百姓たちがあらゆる職種を縦断しみんなで専門性を深め、多様な個性を発揮してその土地の文化を醸成していったのでしょう。

その土地土地に伝統文化が育づくのは、先人の智慧がそこで磨かれ高まり守られてきたことの証です。

何が本来の「和」なのか、「和」の本体とは一体何か、私の取り組みを通して実現させていこうと

懐かしい国

昨日、藁ぶきの古民家の藁を片付けているとむかしの手紙や書類が藁と共に残っていました。そこのはがきの住所には、今の地名になる前の住所が書かれていました。それは単に市町村合併で名前が統合するのではなく、国としての単位が変わっていますから余計にそれを感じたのかもしれません。

私の郷里は、もともとは神話の時代は豊国に属していました。そして筑前国になり今の日本国になります。もともとは九州に属していますがむかしは筑紫島、その後に九州島と呼ばれていました。

具体的には筑紫、豊、火、襲(そ)の4国にはじまり、701年以降は西海道として大宰府が筑前、筑後、豊前、豊後、肥前、肥後、日向の7国と壱岐、対馬の2島を統轄する体制になり、薩摩、大隅を入れて9国と2島に分かれてから九州になりました。

日本国はそもそも島であり、その島がいくつも連なって国のカタチを持ちます。国という単位は、律令制で朝廷が定めていたとしてもその頃は国といっても自分の住んで歴史とつながっている場所の感覚しかなかったかもしれません。頭で考える国というものと、そもそも感覚で理解した国は別もののように思います。その感覚は、郷土への郷愁というか懐かしい故郷とのつながりのようなものかもしれません。

郷愁を辞書で調べると、「 他郷にあって故郷を懐かしく思う気持ち。ノスタルジア。「故国への郷愁を覚える」「郷愁にかられる」そして過去のものや遠い昔などにひかれる気持ち。「古き良き時代への郷愁」とあります。

ふるさとを懐かしみ、そのふるさとを守るため生まれ育った文化や伝統を大切に先祖からの智慧や暮らしを大切に受け継いでいこうとする祈りに近いものが国という認識だったのかもしれません。

藁葺の古民家の甦生を通して、今回のメッセージは何かとても大切なことを伝えてくださった気がします。なつかしい故郷を甦生させていくのは、その懐かしい国を甦生させていくことです。

引き続き、丁寧に過去を紡ぎながら懐かしいものを甦生させていきたいと思います。