徳の周波数~暮らしフルネスの智慧

今、私は水鳥が飛来してくるような場所に住んでいて朝から様々な鳥の鳴き声が聞こえてきます。特にこの時期は、繁殖期でもありとても賑やかです。また耳を澄ますと小さな虫の羽音や植物の葉が風で擦れているような音も聴こえます。池の周りを歩いている人の話し声、車が通りすぎるエンジンやタイヤの音もたまに混ざります。

夜中にふと目が覚めるとそういう音は聞こえてきません。ただ、頭の中に響いているようなキーンという一定の響きだけが聞こえてきます。無音というものはそう考えてみるとありません。そして周波数もなくなることはありません。それはすべてのものは音を発しているということになります。

そして振動というものがあります。二つ以上の周波数が混ざり合って振動するというものです。音楽などはあらゆる音が振動して共鳴することで成り立ちます。鳥がお互いに鳴き合っていたらもはやそれは音楽ともいえます。

また地球上にあらゆる音が流れるとそれも音楽です。海の音、太陽が昇る音、風の音や地震、雷や雪などあらゆるものが自然の音を奏でています。周波数というのは、その存在そのものを顕現するように思います。

これはどんな周波数だろうかと私たちは音を聴きます。それは対話でも同じく、場を味わうときも同じです。そこに流れている周波数を通して、そのものの正体を察知することができるのです。

ある意味、すべての物質も周波数を常に奏でています。そして同時にそれが集まれば振動となります。どのような共鳴をするか、どのような調和をするかは、その周波数を感じる人によって調整、調律されるのです。

私は、手で調整や調律をします。それをお手入れともいいます。一つ一つのものを手で触り、それを磨き調えて適切に配置してそのものがそのものであるように、そして持ち味が活かせるように配置していきます。そのものがもっとも喜んでいるとき、喜びの周波数が出てきます。その喜びの周波数を自分が同時に喜んでいるとき、そこに徳の周波数が発生します。

徳の周波数を大切にすれば、人はその徳に目覚め徳の素晴らしさに感動するのです。引き続きこの知恵を子孫へと場を通して伝承していきたいと思います。

暮らしフルネス 掃除の意味

暮らしフルネスの中では、よく掃除をします。掃除というよりもお手入れという言い方の方が多くしますが、これには色々な理由があります。また道具もむかしの日本の職人たちがつくった和帚を使います。現代は、箒も中国産や東南アジア産ですぐに壊れますが安いものがたくさんホームセンターで販売しています。便利ですがすぐに傷むのでどうしても使い捨てになります。さらには掃除機が普及したことで、余計にむかしの道具は消えています。日本で箒職人さんというのはほとんど見かけなくなりました。

手間暇かかる自然の道具は、時間も労力もそして技もいるので安い海外産が入ってくるとどうしても駆逐されていきます。畳なども同様です。しかし畳の時も同じで、伝統の和のものは本来は日本の風土を活かした風土と一体になった暮らしの中で循環する大切な暮らしそのものでした。

日本の暮らしを味わうためには、先人の生き方に倣いその先人の知恵を尊敬のままに活用することで感得できるものです。そういう意味で、掃除というものは知恵の宝庫です。

もともと掃除という言葉の由来を調べていると、中国からのものであることがわかります。この時の掃除は、廟の中を祓い清めるために行いました。もともと箒というという字も「ほうき」は「ははき」の音が変化したもので「ははき」は、古くは鳥の羽を用いたところから「羽掃き」となったとあります。その道具は棒の先端に細かい枝葉などを束ねて取り付けたものです。

これを「帚(そう)」と呼び、そこに酒をふりかけるなどして廟を神聖に保ちました。この字に竹を冠したものが「箒」でその異体字として「草」を冠した「菷」の字になりさらに「手」にとって廟の中を祓い清めたら「掃」となります。そして「掃除」の「除」は“あまねく”という意味で、神聖な場所を余すところなく掃き清めるということです。

特に禅宗では「一掃除二信心」というように掃除こそすべての修行の先であるともいわれます。和箒となると、神道ではもともと箒神(ははきがみ)という産神(うぐがみ、出産に関係のある神様)が宿ると信じられていました。古事記にも「玉箒(たまほうき)」や「帚持(ははきもち)」という言葉で表現され祭祀用の道具として用いられていました。

それだけ掃除や箒は、神聖なものということでしょう。仏教でも周利槃特といって掃除で悟りを開いた方がおられました。掃除という儀式や実践そのものが信仰の原点であるというのもよくわかります。

私も古民家甦生を通して、実際にやっているほとんどは掃除の実践です。本当に驚くほど、掃除とお手入れしかしていません。しかしそれが何よりも家が喜ぶことになり、自分も場も喜びます。

色々と情報化社会で便利でお金で何でも買える世の中になっていますが、掃除もメンテナンスや掃除屋さんに頼んでは強烈な薬品や業務用の掃除機やブロアーで吹き飛ばすようなことが盛んです。時短で効率優先というのは、掃除や和帚にそもそもの意味がなくなってしまえばそうなるのは当然です。

時代が変わっても、初心を忘れないこと、意味を場に留めることは伝統や伝承に関わる人たちの大切な責任と使命であろうとも私は思います。時代の流行や日々の喧騒に流されないように丁寧に暮らしを紡いでいきたいと思います。

新たな種~第二創業

創業という言葉があります。これは事業をゼロから創ることです。そして第二創業というものがあります。これは創業して成長し成熟し、そして衰退するときにまた新たな種を蒔き芽を出しまたゼロから成長していくときの節目のことです。

宇宙のなかで地球に住むとこの場所の摂理というものがあります。それは重力や引力があるのも、陰陽がありバランスをとるのも、また呼吸をして水を循環させいのちを保つのも「最初から決められて存在している」ものです。これを「自然の摂理」とも私たちは呼びます。

その自然の摂理の中に、種から芽が出て成長し花や実をつけて枯れてまた新たな種になるという循環があります。私たちが赤ちゃんで生まれてから成長し老化して死に至ることも摂理でありそれは最初から決められているものです。地球が丸いことも、水に包まれていることも、太陽との距離が一定であることも月が傍にあるのもこの場所が持つ摂理です。

摂理というものは、いちいち逆らっても仕方がないのでその中で私たちは最善の体験をして摂理を学びそれを活かし、いのちを繋いでいきます。植物も年々同じ四季を迎えて同じ成長をしているようですが変化し続けているものです。天候、気候も変わり時も経ち周囲の循環すべてが微妙に変化していますから同じであることは不可能です。その同じではないことに対して、どんなものでも小さな変化を続けていきます。それが成長の本質でもあります。

摂理にはサイクルがあり、また新たに生まれ変わるような状況を意図的に創り出します。それが死というものです。ある意味では、私たちの生死とは摂理の中で創り出した自然と共に永続して生きるための最善の智慧であり仕組みです。

そしてこの生まれ変わりというのは、実は日々に発生しているともいえます。毎日、夜寝て朝起きては細胞をつくり毀し新しい自分として甦生させます。これを繰り返していくなかで老いて死ぬまで細胞分裂を繰り返します。そのうち別のいのちと和合して新たないのちを産み出します。それが赤ちゃんです。子どもは瑞々しい産まれたての好奇心を発揮して新たな環境を創り出すのです。それが創業のサイクルです。

永続している老舗やまだ数十年ほどの会社であってもこの創業のサイクルは発生しています。そして自然の摂理に沿ってまた新たに生まれ変わるのです。自然に逆らえばそのまま終焉を迎えます。それだけ自然というのは、循環することや永続することを最も大切な摂理にしているのです。終わることは最初からないということです。終わるのは私たちが摂理に合わせて終わらせているのです。

そう考えてみたら有難いことに第二創業というのは、それまでのいのちが充実して結実し新たな種を創るところまで時間も経験も醸成したということの証です。何もなかったところから、志に導かれ目的を定め理念を磨き、仲間を集め、形として顕現するところまで生育して成長して終わるのです。いわば、次の種を創れるところまで成長してきたということです。

一つの種ができるためには、大切な時間といのちを使う「思いの醸成」が必要でした。種はちゃんとこの思いの醸成という自然の摂理を通らないとできませんから種が新たにできたというのは思いの結晶が誕生できたということです。

その結晶を軸に、新たないのちの芽を出していくのが第二創業です。不易と流行という言葉もありますが、変わらないものを持っているからこそすべてを変えていくことができるのです。つまり摂理が変わらないからこそ、我々が変わっていくことができるのです。世の無常というのは、歴史を鑑が観ても明らかです。人の生死のように摂理はいまでも揺るぎません。新たな門出に、感謝の気持ちがこみあげます。

ここ数年取り組んでいる修験道でも、山伏が峰入りするのは擬死再生や母胎回帰の通過儀礼を意味しますがある意味、第二創業にも似ています。生々流転していくことは仕合せなことであり何よりおめでたいことです。

昨日は、カグヤのクルーたちと共に百年自然酒を酌み交わして予祝をしました。いつも善いご縁、善い仲間、そして徳に包まれて有難い時を過ごしています。

この機会をいただけたこと、そして新たないのちが誕生していくこと、摂理と共に永続していく喜びに感謝しています。子どもたち、子孫たちに徳が譲り渡されていくことを信じて新たな種と共に社業を邁進していきたいと思います。

暮らし=生き方

昨日は、千葉県神崎市にあるカグヤのむかしの田んぼで視察研修を行いました。この田んぼは、取り組みだした13年前から一度も肥料も農薬も入れたことはありません。しかしある研究機関がお米を分析調査していただくと、非常に抗酸化力が高いと驚かれました。また味も美味しく、お米好きな人や本物好きな方にとても好評です。

何か特別な農法をしているのかとよく聞かれますが、実際にやっていることといえば、社員みんなでお田植祭や新嘗祭などをしご縁に感謝して楽しく取り組んでいるくらいなものです。

福岡県飯塚市でも伝統の在来種の高菜を自然農法で育てていますがここもまた同じく肥料や農薬を一切使っていません。しかし市販の高菜と比べたら、味も複雑で濃く、同時にピリリとした辛みと野性味があります。虫にもほとんど食べられることなく、見た目の元氣さも特別です。

ここも特別な栽培方法をしているわけではなく、家族で多少の草取りと作業しながら美味しいご飯を畑で食べたり、音楽を聴いたり歌ったりしながら楽しみ有難い時間を過ごしているくらいです。

現代は、すぐに収量を余計に気にします。それは儲からないからです。大量につくれば多く稼げます。しかしその大量を優先すれば、大量になるような農法をしなければなりません。そこから様々な欲望が芽生えていきます。一緒に育つ大切なパートナーを儲けのためだけに利用するようになるのです。

これは養鶏も養豚も養殖なども同じです。餌に何かを足し、抗生物質などの薬を投与し、大量に育てては安く販売していきます。世の中の経済の在り方が、そもそも安く大量にを推奨してきましたからみんなそのことには疑問にも思いません。いいものを安く買えるのは正義のようになっています。それが現代では、人間にも同様なことが発生して安くて大量な人材ばかりをつくろうとします。

そもそも私たちのご先祖様たちが取り組んできた理想の姿を見つめていると損か得かとか、利益があるかないかではなく、常に「生き方」というものを大切にしてきたことがわかります。

今でも見事な風土や貴重な在来種の種が大切に残っているのは、その種を守るために自分の生き方を磨いてこられた人たちがいたからです。特に何百年や千年を超える老舗を見学するとその磨かれてきた生き方が随所に垣間見ることができます。彼らは、単に儲けのために材料を利用するのではなく、今でも生き方を守り感謝して代々の願いや祈りを伝承して味わって暮らしているのです。

私が「暮らしフルネス」にこだわるのは、生き方にこだわるからです。暮らしをどう定義するのかは色々とあるでしょうが、私にとっての暮らしは生き方です。暮らしを換えるというのは、生き方を換えるということでそれは人生を換えるという選択です。

どのような人生を歩んでいくかは、その人が決めることができます。何を大切にするのかを判断するかは、まさに日々の生き方が決めていきます。時代が変わっても、生き方はそれを伝承していく人たちによって結ばれ繋がり永遠です。

いい土を遺してくださった存在や、いい種を繋いでくださった先人、そういう有難く温かい真心をいつまでも継いでいきたいと思うものです。現在、お米のことを深めてお米を甦生していますがお米には何かそういう先人たちのいのりを感じます。

子どもたちの未来のためにも、暮らしや生き方を見つめ直していきたいと思います。

役割の尊さ

すべてのものには役割というものがあります。それはそのものにしかないものです。不思議なことですが役割は交代することもあれば、急に別な役割をいただくことがあります。自分がこういう役割を果たしたいといくら思ってみても、あるいは役割が果たせない状態になっていたとしても役割は与えられることがあります。その時々の役割があって、それを体験することで自分というものの可能性を新たに発見していくことがあります。

例えば、器というものがあります。一つのお椀というものでもいいです。はじめはご飯を食べるときに食べ物を容れるものでしたがそれが愛着が湧いて自分の大切な暮らしのパートナーになります、時には汁を容れたり、またある時は子どもの御粥をつくったり、時には保存するものに使ったり、割れたら修繕し、大切な時の縁起担ぎや御守りになったり、そして場をととのえるお花や苔を活けるものになったり、最後は一緒に土になったり、それぞれにその時の役割を全うしていきます。

私は古民家甦生に取り組んでからその「役割」というものをとても強く感じるようになりました。私の身近にあるものは、長いものは数百年の役割をもっていた道具があります。伝来するなかで多くの人たちにご縁があり大切にされ、あらゆる役割を果たしてきました。

色々な役割を経てきたものが持つ美しさや洗練された徳には頭が下がる思いがします。

現代の社会では人間は役割というものを誰かによって決めつけられるものです。あるいは、自分の役割を自分勝手に決めつけては苦しんでいるものです。しかし本来の役割というのは、自然に与えられるものです。

与えられた役割を全うする生き方というのは、仕合せで豊かなものです。他人と比べて幸福の善し悪しを嘆くよりも、自分に与えられた最も尊い役割を実感することで有難い気持ちが満ちてきます。時にはそれが自分の思っていないものかもしれませんし、世間的にはあまりよいものではないと評価されることがあるかもしれません。

しかし不思議なことですが、自分にしかない役割を天が与えてくれていることがほとんどです。それをどう受け取るかは自分次第でもあります。他の誰かにはなれないからこそ、自分の役割を全うする喜びに生きることが大切です。

教育というのは、何かにさせるのではなく、役割に気づいてその役割を全うする中で出会うご縁に感謝していく人を見守っていくことではないかと私は思います。今の価値観では、そして日本の教育環境という空気を吸っている中ではそこは議論の中心になることもなくなっているのかもしれません。

徳というのは、本来は観えないものです。だからこそ、気づく環境を用意して見守るのがある意味での教育者の役割かもしれません。生意気なことを言っているようですが、役割の尊さに気付けることが入り口に立つことだろうと私は思います。

子どもたちに役割があることを丸ごと信じてそれぞれの人生を全うする喜びを伝承していきたいと思います。

タイミング

私はいつもタイミングに見守られて不思議な体験をすることが多くあります。その体験は、その時に今しかないことが発生しそこから示唆を受けることしかないからです。何の意味のないようなことであっても、意味はあり、その意味が教えてくださったことに導かれて歩んでいると次第にタイミングが合ってくるのです。

これを私は一期一会ともいい、ご縁に活かされた人生とも呼んでいます。

久しぶりに鞍馬山に来ています。先週からずっと英彦山でしたが、よく考えると20代の後半からずっと鞍馬山と英彦山の往復をしてきました。何回、往来したかも覚えていないほどです。しかしどちらも天狗がいるお山で、教えがあるお山です。お山という存在を認識したのもこの二つのお山を往来するなかで体験したものです。

このお山というのは、単なる岩や土が盛られたところではないことは誰でもわかります。お山にもいのちがあり、ずっと場が生きている存在です。これは地球としてもいいし、太陽などの星といってもいいものです。生きているというのは、確かな意味を持って存在しているということでもあります。その意味は、自分との関係性や結ばれ方、つながり方で認識し直観するものです。

そしてそれを理解するのは先ほどタイミングというものがとても大切な要素になっていると私は思います。なぜこのタイミングでこの場にいるのか、そういうものを深めていくと自分に確かな意味があることに気づくからです。

私は鞍馬山の御蔭で、いのちというものの存在に深く気づくことができました。そしてそのいのちが輝くということの意味を学ぶことができました。現在世の中では多様性とか公平性とか色々といわれますが人間社会でいうそれと、自然界や宇宙などでいうそれは意味も異なります。

私が鞍馬山で学んだことは、もともと最初からこの世にあったものについてのいのちの存在です。私たちが人間として今、文字や言葉で認識するずっと以前からいのちというものは存在してきました。

そのいのちは、自分の周波数や波長、あるいは意識を変えることで認識することができるものです。それは人間様になっているような現在の環境ではなく、ひたすらに謙虚にいのちと向き合うことで観えてくる境地です。感覚を研ぎ澄まし、徳を顕現しては今というタイミングを生ききること。

そういう生き方の集積によって少しずつ、意識は変容していくように私は思います。そしてそれもまた場数によって変わります。運のいい生き方というのは、出会いやご縁を大切にする生き方でありそれはタイミングの妙を片時も忘れない生き方でもあります。

またこの場にこれたことに感謝しています。善い時期にこうやって導かれ呼んでいただけるのことに天意や神意を感じています。今日も一期一会のタイミングを生きていきたいと思います。

英彦山に残る“守静坊のしだれ桜”伝承物語

これは今から二百年以上前の江戸時代から霊峰英彦山の山伏の宿坊、守静坊(しゅじょうぼう)にある一本の老樹、しだれ桜と共に語り継がれているお話です。

霊峰英彦山は九州福岡にあり、日本三大修験場の一つに数えられ修験道のはじまりの聖地であり、古来においては霊験を極めた仙人たちが棲む神仙の地で人々が憧れる天国のようなお山であったといわれる場所です。

現代ではあまり聞きなれない修験道というのは、厳しい自然の中で修行をする修行者のことを指し、金剛杖や法螺貝などを持ち歩き、深山幽谷に入り自然と調和し己を磨きその験徳を実践する方々のことです。

そしてこの守静坊は、戦国時代末期から続く修験者の棲む宿坊で先代の駒沢大学名誉教授の長野覚氏で十一代続いている由緒ある坊です。

守静坊のしだれ桜が英彦山の地に植樹されたちょうど二百二十年年前には約三千人以上の修験者たちが英彦山の中で暮らしていたといわれます。当時の英彦山はとても賑わっており、山伏たちは薬草で仙薬をつくり、信仰者へのお接待やご祈祷や祭祀、護符の授与や生活の知恵の指導などを生業として暮らしていたといわれます。

その当時の面影を残し、今でも清廉に咲き誇る「しだれ桜」が守静坊の敷地内にあります。この桜はもともとは京都の祇園にある桜でした。品種名は一重白彼岸枝垂桜(ひとえしろひがんしだれざくら)といいます。澄みきった可憐さを持つ花びらと、鳳凰のように羽を広げた姿はまるで今にも飛翔していきそうな姿です。

実際には樹齢二百二十年以上、高さ約十五メートル、幅約二十メートルほどあります。言い伝えでは、江戸時代の文化・文政年間に(1804年~1819年)に当時の守静坊の坊主である守静坊普覚氏が二度ほど、英彦山座主の命を受けて京都御所へ上京しました。その時、京都祇園のしだれ桜を株分けしたものを持ち帰りこの英彦山に植樹したといいます。

樹齢としてはもっと長いものがありますが、守静坊のある場所は標高六百メートルほどもあり、冬は特に厳しいもので雪は積もり、鹿などの野生動物も多く被害にあいます。厳しい環境の中で生き抜いてきた老樹は今までも何度も枯死する危険に遭遇しました。平成二十年には台風で倒木し枯れる寸前で花もつかなくなっていたこのしだれ桜を九州ではじめて樹木医と認定された医師による治療の甲斐あってまた満開の花が咲くほどに復活しました。

同時に守静坊も人が住まなくなって数十年ほど経ち坊内や庭園の荒廃が進み倒壊し失われる危機を乗り越え飯塚にある徳積財団が譲り受け皆様よりのお布施の御蔭様のお力をいただき修繕し新たな物語を繋ぎ結い直しました。また甦生で出た屋根の古い茅葺をしだれ桜の周囲に敷き詰め土壌をふかふかにしたことでさらに美しい花を咲かせてくれるようになりました。守静坊の敷地内に苔むした石垣と共に宿坊と見守り合うように凛とそびえ立つ姿はまるで英彦山の伝説にある仙人の佇まいを感じます。

しかしなぜこの京都の円山公園にある伝説の祇園しだれ桜が、ここで生き残っているのかということ。もしかするとむかしは大志を志す同志が共に初志貫徹しあうことを願い、同じ霊木の苗木を分けそれぞれの生きる場所に植えて大輪の花を咲かせようと誓い合ったという言い伝えもあります。その初志を叶えるために今も桜は私たちを見守っているのかもしれません。果たしてどのような浪漫が隠れているのかは、この守静坊のしだれ桜を直接観に来ていただきお感じしたものを語っていただけると有難いです。

私たち一人一人にも誰もが語り継がれてきた歴史を生きています。

先人や先祖の物語の先に今の私たちがそれをさらに一歩進めて結んでいます。今、私たちが生きているということは歴史は終わっていないということです。今も新たに生き続け語られている現在進行形の物語を綴っているということになります。みんなでご縁を結び、かつての壮大な物語に参加することは私たちもその語り継ぐ一人として同じ歴史に入ったことになります。

この守静坊もしだれ桜も偉大な語り部です。私は、毎年この時季の満開の桜を眺めると言葉にならないものが語りかけてくるようでいつも魂が揺さぶられています。

伝統と伝承は純粋な気持ちによって永遠に結ばれ繋がれていくといいます。

大和桜花の季節、霊峰英彦山守静坊にてご縁と邂逅を心から楽しみにしています。

スリランカの大臣

昨日からスリランカにあるアーユルヴェーダ省の大臣、シシラジャヤコリ氏とその奥様、秘書と通訳の方が聴福庵に来庵されお泊りになり暮らしフルネスを体験していただいています。

他国の大臣が来庵するのもはじめてで安全面や食事の内容など緊張しましたが、いつも通りの私たちの暮らしの中で安心されとても喜んでいただきました。ちょうど今の季節は桃の節句の行事を実践している時期なのでお祀りしているむかしの人形の場をご覧いただきウェルカムドリンクに甘酒や玄米おはぎなどを一緒に食べ場を味わいました。

その後は、一通り聴福庵の生い立ちや甦生のためのルール、部屋ごとにむかしの懐かしくそして今に新しい暮らし方を説明しました。長いフライトでお疲れでしたので、先に粕漬の樽を甦生した大風呂に入っていただき備長炭を用いた七輪で春の地元の春の山野草を中心に湯豆腐やこんにゃくなどの日本式アーユルヴェーダの料理で古くて新しくした食文化をお伝えしました。

また会食の間にスリランカでの薬草の話や、在来種の話なども大臣からご教授いただきいつかスリランカに訪問の際は大臣が所有している現地の伝統在来種の薬草の畑やそれを活かした様々な取り組みをご案内いただくことになりました。将来的には両国の薬草や種を通して未来の子孫のために交流できるような関係をつくっていけたらという有難いご提案もいただきました。食後にも英彦山に千年以上伝承されてきた伝統の和漢方の不老園をお湯と共に飲んでいただきましたがスリランカの皆さまにもとても美味しいと評判でした。

最後に、伝統の日本の職人の手作りの和布団でお早目にぐっすりとお休みいただきました。朝食には私が聴福庵の地下水で手打ちで打った十割蕎麦をこれから振舞う予定です。初来日ということもあり、懐かしい日本の文化と真心を聴福庵と共にお届けでき仕合せでした。

もともとスリランカは仏教への信仰が厚く仏陀の教えや生き方を今でも大切に実践されております。私も英彦山の御蔭さまでお山の暮らしの中で修験道の実践することが増えて仏陀の教えに触れていますがそのためかとても親近感があり手を合わせる感謝の交流にも心豊かに仕合せを感じます。

親日国といわれますが、私もスリランカのことが今回の交流でさらに深く親しみを感じました。長い年月で結ばれてきたアーユルヴェーダの薬草の関係や伝統医療が今の時代に日本の暮らしと和合し新しくなり、子孫を見守っていただけるようになればと祈りが湧きます。

ご縁に感謝して、暮らしフルネスを丁寧に紡いでいきたいと思います。

おにぎりとおむすび

おにぎりとおむすびというものがあります。これを感じで書くと、お結びとお握りです。一般的に、おむすびが三角形で山型のもの。おにぎりが丸や多様な形のものとなっています。握りずしはあっても握り寿司とはいいません。つまり握るの方が自由なもので、お結びというと祈りや信仰が入っている感じがするものです。

また古事記に握飯(にぎりいい)という言葉があり、ここからお握りや握り飯という言葉が今でも使われていることがわかり、お結びにおいては日本の神産巣日神(かみむすびのかみ)が稲に宿ると信じられていたことから「おむすび」という名前がついたといわれています。

このように、お握りとお結びを比較してみると信仰や祈りと暮らしの中の言葉であることがわかります。形というよりも、どのような意識でどのような心で握るかで結びとなるといった方がいいかもしれません。

この神産巣日神は、日本の造化三神の一柱です。他には、天之御中主神、高御産巣日神があります。古事記では神産巣日神と書きますが、日本書紀では神皇産霊尊、そして出雲国風土記では神魂命と書かれます。このカムムスビの意味を分解すると、カムは神々しく、ムスは生じる、生成するとし、ビは霊力があるとなります。つまりは生成、創造をするということです。

結びというのは、生成や創造の霊力が具わっているという意味です。お結びというのは、それだけの霊力が入ったものという認識になります。いきなり握るのと、きちんと調えて祈りおむすびするのとでは異なるということがわかると思います。

また他の言い伝えではおにぎりは、鬼を切(斬)ると書いて「鬼切(斬)り」からきたというものもあります。地方の民話に鬼退治に握り飯を投げつけたもありおにぎりという言葉ができたとも。鬼をおにぎりにして、福をおむすびにしたのかもしれません。

私たちが何気なく食べているおにぎりやおむすびには、日本古来より今に至るまでの伝統や伝承、そして物語があります。今の時代でも、大切な本質は失われないままに、如何に新しく磨いていくかはこの世代の使命と役割でもあります。
有難いことに故郷の土となり稲やお米に関わることができ、仕合せを感じています。子孫のために徳の循環に貢献していきたいと思います。

日本の醸し文化

日本には古来から食文化というものがあります。その一つに酒があります。このお酒というものは、日本人は古来より家でつくり醸すのが当たり前でした。醤油や味噌などと同様に、発酵の文化と一つとしてそれぞれの家にそれぞれのお酒を醸していました。何かのお祝い事や、あるいは畑仕事の後などに呑み大切な食文化として継続してきたものです。

それが明治政府ができたころ明治32年(1899年)に、自家醸造が禁止されます。この理由は明治政府による富国強兵の方針に基づき税収の強化政策でした。実際に明治後期には国税に占める酒税の割合は3割を超え地租を上回る第1位の税収だった時期もあったそうです。

そこから容赦なく自家醸造が取り締まられ、高度経済成長期にはほとんどお酒を自分の家でつくる人とがいなくなりました。実際にはお酒以外にも酒以外にも、砂糖、醤油、酢、塩などの多数の品目にも課税されましたがこれらの課税はその後撤廃されていてなぜかお酒だけが今でも禁止のままです。

それに意を反して、昭和に前田俊彦氏がどぶろく裁判というものを起こしましたが敗訴しています。その時のことをきっかけに全国でも、おかしいではないかと声があがりましたがそれでも法律は変わっていません。先進国の中でもアルコール度が低いお酒でさえ醸造するのを禁止しているのは日本だけです。発酵食文化として暮らしの中で大切に醸してきたものが失われていくことはとても残念に思います。

ちなみにこのどぶろく(濁酒)というものは、材料は米こうじとお水を原料としたものでこさないで濾過しないものというお酒のことです。一般的な清酒はこすことを求めていますがどぶろくはこしません。しかしこのどぶろくを飲んだことがある人はわかりますが、生きたままの菌をそのまま飲めるというのは仕合せなことです。

以前、私も生きたままのものを飲んだことがありますがお腹の調子がよくなり仕合せな気持ちになりました。アルコールはただ酔うためのものではなく、菌が豊かに楽しく醸しているそのものをいただくことでそういう心持ちや気持ちになってきます。

つまりは生きたまま醸したものを呑む方がより一層、その喜びが感じられるのです。

現在、宿坊の甦生をしていて明治の山伏禁止令に憤りを感じましたがこの密造酒として禁止した法令にも同じように義憤を覚えます。

子どもたちが食文化としてのお酒が呑める日がくることを信じて、自家でやる醤油、味噌など日本の醸し文化を伝承していきたいと思います。