御大師講

私の故郷にはかつて御大師講というものがありました。今から130年以上前に、八十八箇所霊場を設置し、戦争で亡くなられた子どもたちや家族のために定期的に参拝をしていたといいます。

関の山という山を中心に、町の中の辻々にお地蔵様のカタチで安置されております。それが道路の開拓や御大師講の衰退と共に、一部は何処にいったのかもわからなくなっています。

もともとこの「講」というものは、古文書ネットによれば「講とは、中世から今日に至るまで存在した宗教的・経済的な共同組織のこと。元々は仏教の経典を講義する法会(ほうえ)の儀式でした。しかし、それが次第に社寺信仰行事と、それを担う集団を指すものとなり、さらにその成員の経済的共済を目的とする組織をも意味するになったといいます。講・無尽(むじん)・頼母子(たのもし)の名称はいずれも同義に用いられ、貨幣または財物や労力を、あわせあって共同で融通しあうものを示すようになりました。」とあります。

その講には種類があり、経済的に助け合う講もあれば信仰的に結びつく講もあります。むかしは小さな地域で生活を共にし助け合う関係がありましたから、定期的に寄り合いをし集まり、意見交換をしたり決めごとを話し合ったりしてきました。今の時代のように国家という概念で管理し統制するようになっているからイメージがし難いものですがかつては自律分散型で対話によって時間をかけて村の自治をしてきた歴史がありました。

今、地域創生など色々といわれていますが実際には中央集権の管理型の体制や仕組みで国家運営をしていますから大きな矛盾があります。下から上ではなく、上下左右の見事の連携があってこそ地域ははじめて活動するものです。

話を御大師講に戻せば、この御大師講は弘法大師空海を信仰してみんなで寄り合いをし信仰を深めたり守ったりして教えを学ぶ会でもあります。この御大師講はそれぞれの地方によってやり方も内容も少し異なるといいます。

私たちの地域では、弘法大師と所縁のある木像や掛け軸、仏具などを使い、地域の数世帯~十数世帯で講連中を構成して定期的に各戸持ち回ります。その当番家のお座敷に簡単な祭壇を設えて講連中(各家の代表者)が集まってお祀りをします。その後、直会のように飲食をするという寄り合いが行われてきたといいます。

定期的にそれぞれの家に集まりますから、家が狭かったり料理するのも負担もあったかもしれません。それに持ち回りですから、必ず出番もまわってきて苦労もあったと思います。この講の寄り合いがなくなってきたのは、むかしのような地域やムラのカタチが失われたり、家の中に座敷や和室がなくなったというのもあるといいます。それまで持ち回りしていた木像や掛け軸も今では、どこかの家で止まってしまい保管されるかお寺に戻されたかもしれません。故郷のお地蔵様も、場所によっては廃墟のようになってしまい誰も手入れせずに打ち捨てられたところもあります。

かつての風習が失われてしまい、それがゴミのように捨てられているのは心が痛みます。私も古民家を甦生させたり、かつての歴史的な場の甦生を行っていますが想いや祈りは記憶として遺っていますからそれが色あせて廃墟になっているのを観るのはつらいことです。

この時代にも新しくする人物が出たり、かつての善い取り組みをこの時代でも形を換えて甦生させれば先人たちの想いや願いや祈りは今の私たちの心につながっていきます。

故郷をいつまでも大切にしてきた人たちの想いを守りながら、子どもたちにもその懐かしい未来が残せればと思っています。

子ども心と子ども時代

昨日、ある動画を観る機会がありました。それはオードリーヘップバーンの生涯の動画でした。子ども時代に戦争に巻き込まれ、その後は脚光を浴びるような人生を歩み、最後まで子ども心を失わずに子どもを守り続けた人生の動画です。

映画を見たことがありますが、子どものような大人の様子に一様にみんな感動するものです。子どもでもなく大人でもない、その中間のような存在はひときわ私たちの心を揺さぶります。

その中間を生きていたオードリーヘップバーンだったからこそ、生涯をかけて子どもに対して深い愛情をかけたように思います。子どもの定義が、単なる大人と子どもという比較ではなく自分の内面にある子どもであることを語ります。そしてこういう言葉を遺します。

「子どもを無視して 子ども時代を無視するのは 人生に背を向けるのと同じだ 子どもは自ら声を出すことはできない 私たちが代わりにしなければならない。」

自分の人生のなかでもっとも無視してはならないものこそ子どもであり、そしてその子どもの頃に生きた自分を受け容れることです。子どもを無視するというのは、自分の人生を半分やめてしまったことと同じです。その子どもは、日ごろは抑え込まれているからこそ誰も声が出せなくなってしまっている。だからこそ、子ども心を守る私たちが実践し仲間を助け出していくのだという意味だと私は解釈しています。

私がカグヤで子ども第一義の理念を掲げて今も子どもの志事に取り組むのもほぼ同じ理由です。子どもを第一義に取り組む、この時の子どもは子どもが子どもらしくいられる世の中にしていくためでもあります。そのためには、子どもを無視するようなことをするのではなく、子どもを尊重するような世界にしていくことです。

私たちは本来、自然に自分の人生を全うできるような仕合せで豊かな時代を生きていました。それが戦争や競争、差別や貧困によってそれが失われていきました。人間の持つ一つの本性ですが、自然と共生していく生き物たちは自然から学び自然から離れずにひとつのいのちを充実させて終えていきます。そのいのちは全うし、唯一無二の喜びと仕合せを生き切ります。子どもの頃に感じたことをどう癒し、どうゆるすかは大人の話ですが子どもに大人になることを急がせたり無理にそうさせることは不必要です。

平和にみえるこの時代も、子どもは大人の戦争に巻き込まれていきます。できる限り、子どもを守り、子どものためにできることをやることが真の平和を維持することでもあります。

真摯にこれからも自分の役割と全うしていきたいと思います。

使命の全う

昨日からハーバード大学で修験道の研究をされているカナダ人の方がBAに来られています。色々と情報交換をしていると、この道に入ったことの理由やその哲学などを語り合い豊かな時間を一緒に過ごしています。

もともとこの方が大学生の時に、仏教のことを教えるいい先生に出会ったことが切っ掛けだったそうです。この先生は、仏教の教えとして苦労することの大切さ、そして森羅万象の死について話をされたそうです。そこで価値観が転換し、仏教の道を学び始めたそうです。

その後は、カナダの先住民族の儀式で日本でいうお祓いのような行事に3年間をかけて参加して自分の中の価値観を醸成されたそうです。もう日本は12回目の訪問で、少し前までは出羽三山で研究を進めていたそうです。

このカナダの先住民の儀式をきくと面白いもので、シャーマンが石を火にかけてそれを円の中心に置き、サウナのようにみんなでその中に入ります。その石に、聖水や薬草のような何かをいれてかけてその水蒸気を浴びながら祈る、謳うという具合です。夕方17時くらいからはじまり深夜まで行われたそうです。まるで温泉やサウナに入ったあとのようなととのうような感覚だったそうです。

これを何のためにするのかと聴いたら、先住民族の方々は「甦生するため」とあったそうです。毎週1回、これをすることで生まれ変わることができるという意味だそうです。

この感覚は、私の取り組んでいる暮らしフルネスの「お手入れ」と同じです。私も、生きていたら日々に穢れもくすみもでてきます。それは物事が分化して複雑になっていくからこそ、初心に帰るように原点回帰していくためにも行います。

掃除も同じく、洗濯も同じく、使うと器が汚れるからそれを濯ぎ洗い拭いて仕舞うのです。私たちの心身は器ともいえます。その器には何が入っているのか、それをある人は心ともいい、またある人は魂ともいいます。どのような呼び方であっても、私たちは器に盛られた一つの存在です。

どのように生きるのか、器と一緒にどこに向かうのかは自分で決めることができます。どの時代においても、先を観て何が大切なのかと伝承してきた人たちは古から知恵を受け継いで現代も暮らしをととのえています。

暮らしがととのうことは、人間が自然の叡智をもって自然と共生し平和を保っていくことです。人間がこの甦生や生まれ変わりをしなくなれば、そのうち穢れも積もり悲しい出来事が増えていきます。

苦労も死も、私たちがどうにもならない諦観を持つための材料として存在します。何を諦めて、何を諦めないのか。現代のように人間中心の世界や社会が広がるなかで、どのような空気を吸っているのか。私たちは蓮の花のように汚泥で美しい花を咲かせる時、先人の偉大な徳を感じるものです。

子どもたちのためにも、自分の使命を全うしていきたいと思います。

今の心 念じる生き方

日々は忙しく過ごしていると目の前のことで一杯になることがあります。そうなってしまうと、それだけで先々のことを取り組めなくなることもあるものです。これは仕方がないことで、目の前のことに集中するとき、人は今に心を置きますから頭で先のことなどはあまり考える余裕もありません。だからといって心を失ってしまい頭でっかち鳴門、今から離れてしまい先のことばかりを考えてしまいます。

このバランスを取ることができれば、今に心を置きながら次のことも考えていくことができます。私もむかしは振り返ることや内省すること、このブログなどを通して訓練することで少しずつバランスを保つことができているように思います。

実際には、人は大変なときは全身全霊で何も考えることができませんから振り返りの時間を持つことが大切なのは間違いありません。

先ほどの今に集中しながら考える事とは何か、それは意味をしっかりと感じながら歩んでいくことに似ています。今、何が起きているのを目の前のことに集中しながら感じていくこと、そしてその意味が何かということを深める事。そうしていけば、意味から先のことを導かれていくものです。

今に起きていることは、もともと将来を実現したいことがあって願い想ったものです。その思いや想いが実現していくためにあとは自動でハタライテいきます。そのハタラキは、目には見えないものですがそれを可視化するときは意味付けをしていくことで実現します。

その意味が何かということを深めるとき、どうあればいいのかが観えてきます。あとは信じて進んでいくだけです。頭で考えることというのは、本当はその時の具体的なやり方として知識を活用していくという具合です。

知恵というものは、目には見えません。しかし確かなハタラキがあり、知恵が物事の半面を動かしていきます。その知恵を活かすには、今を肯定することであったり、心を優先することだったりします。

古語に、「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」がありますがこれに似た境地かもしれません。藻掻いて泳ぐよりも、流れに任せながら意味を感じてその時々で必要な手を打っていく。

焦るよりも、今を楽しみ、喜び合うような関係があることが仕合せと豊かさを産み出すようにも私は思います。自分との正対を続けて、暮らしフルネスを実践していきたいと思います。

かんながらの道

先日、ある方から本をいただきそこに「誠実自然」という言葉を見つけました。誠実と自然をそのまま並べていた言葉でしたので気になって改めて意味を深めてみました。そもそもこの誠実という言葉は、辞書をひくと「誠実」とは、私利私欲がなく、誠意・真心をもって人や物事に対する様子と書かれます。

さらにこの誠の文字の成り立ちをみると、「神様への祈りが成る」と書き、「想いが神様に真実と証明されたこと」ことを意味するそうです。そして「実」は實とかき、「本当のことがみちる」意味になります。字も「祭壇に貝(’宝)をたばねたものの組み合わせでここから真に中身があるものとされました。

誠実とは、嘘偽りなくそのままであるという意味です。

そしてこのあとの「自然」という言葉、この言葉もまた誠実と同じくあるがまま、そのままであるという姿です。別に無理に自分を装うのではなく、いつもの自分のままであること。これは別に自分のすべてを見せるという意味ではありません。いつも心を開いて神様や天に対して恥じることのないありのままの自分でいることを心がけようとするものだと私は思います。

自然体というものは、自分の定めた初心に対して正直で素直であるということです。つまり自分の心を優先していく生き方を実践しているということです。西郷隆盛なら敬天愛人ともいいましたし、吉田松陰は至誠ともいいました。

天地自然の一部として自分が自分のままに心に正直に生きていくことは、そのまま自然の天命を生きるということでもあります。天寿を全うする生き方をすると、人はその人をみて感動するものです。

私たちは地球が創造したものですから、心は地球そのものです。地球の心を生きることができたとき、そこは自然になります。これを私は「かんながらの道」と呼んでいます。

立場や生まれも異なっても、同じように生きた人。大和魂や武士道を実践した人がいることを知ると嬉しくなります。子どもたちのために、私も生き方を大切に残りの人生を自然体で全うしていきたいと思います。

屈原と真心、粽の祈り

先日、粽(ちまき(のことを深めていたら中国の屈原という人物のことを学びました。もともと端午の節句の食べ物として慣れ親しんできましたがその理由についてはあまり調べていませんでした。時期はズレていますが、少し紹介したいと思います。

もともとこの端午の節句や粽(ちまき)中国の故事にある楚国の詩人屈原(くつげん)の死を供養するためにはじまったものです。この屈原は、王様の側近でしたが陰謀により国を追われ悲観しついには河に身を投げてしまいます。この屈原の命日が5月5日でその屈原の死を嘆いた人々は米を詰めた竹筒を投じて霊に捧げました。理由は屈原の肉体が魚に食べられないようにという意味もあったそうですが同様に河に住む竜に食べられないようにと竜が嫌う葉で米を包み五色の糸で縛ったものを流し供養したといいます。

この風習が日本へは奈良時代には伝わり平安時代では宮中行事になったといいます。他にも神功皇后が三韓征伐の時持ち帰ったとも言われたり仁徳天皇の時代にちまきが宮中に献じられたと言う話、他にも伊勢物語や古今和歌集などに記述があるなどとあります。この「ちまき」と呼ばれるようになったのは、茅(ちがや)の葉が使われたことからつきました。

現在は笹の葉を巻いていますがこれも武士が戦に行く時にもっていくときに殺菌効果もあり腐らないからというのもあります。屈原との縁起を持つこともあったように思います。

では、屈原どのような人物であったのか。日本でいえば吉田松陰に似ているような気がします。澄んだ心で権力に媚びずに王と故郷を守ろうと真摯に忠義を貫きました。王が暗君でも政治が乱れていても、変わらずに自分の言葉と実践を大切にされました。別の言い方では、魂を守り生き方を優先した人生でした。その姿をみた国民や周囲の人々から深く愛され、亡くなってからその真価や徳が顕現した人物です。

自分に素直に生きていくことはもっとも価値があることです。しかし時としてそれは世の中が乱れているときは不器用な生き方です。もっとうまく生きていけばいいという声もあるでしょう。しかし、人生は一度きりですし自分も一人きりです。だからこそその人生おいて、魂を優先して歩み切ったのでしょう。

その清々しい姿、澄んだ真心に人々は心をうたれ歴史の中に生き続けて今もあります。粽はその生き方を尊び、最期まで自分を盡すことができるお守りでもあったのかもしれません。先日のソクラテスも同じですが、この世の自分を守るよりも真の自己を守る生き方。魂を研ぎ澄ませるような美しさは、私たちに目を覚まさせる力を持っています。

最後に、屈原の残した言葉です。

「この世すべて濁るとき、清めるは己れだけ、人々みな酔えるとき、正気なのは己れひとりだけ、されば追放の身となった。」

今の時代も通じることですが、先人の生き方から学び、暮らしを観なおし続けていきたいと思います。

知恵風の知識

ソクラテスという人物がいます。わかっている範囲だと、古代ギリシアの哲学者。アテネに生まれる。自分自身の「魂」(pschē)をたいせつにすることの必要を説き、自分自身にとってもっともたいせつなものは何かを問うて、毎日、町の人々と哲学的対話を交わすことを仕事とした人とあります。

有名な名言に、「無知の知」や「徳は知である」などがあります。特にこの「無知の知」(または「不知の自覚」)は自分に知識がないことを自覚するという概念のことです。

これは「自分に知識がないことに気づいた者は、それに気づかない者よりも賢い」という意味です。これはある日、友人のカイレポンから「アテナイにはソクラテスより賢い者はいない」と神託があったことを知り、自分が一番の知者であるはずがないと思っていたソクラテスはその真意を確かめるためにアテナイの知識人たちに問いかけを繰り返していきます。そしてその中で「知恵があるとされる者が、必ずしも本物の知恵があるわけではない。知らないことを自覚している自分の方が彼らよりは知恵がある」と気づいたという話です。

私はこれは知識の中には知恵はなく、知恵の中にこそ真の知識がある。みんなが知識と思っているものの中には知恵がなかったということでしょう。

これは現代の風潮をみてもわかります。最近は特に、自分で体験せずに知識を得たい人が増えています。実践も体験もせず、気づいたこともなく、気づいた気になれるもの、わかった気になれるもののためにお金を払って知識を購入しています。

お金持ちは時間がもったいないと思い、体験しなくてもその知恵をお金で買おうとします。しかしその知恵は、知恵と思い込んでいるもので本当の知恵ではなく知識です。知識を知恵と勘違いしているからそういうことをしようとします。

オンラインでの講習会や、流行りの講演にいっても知恵のように知識を話していますがその知識は使おうとすると知恵が必要です。しかし知識が知恵になることはなく、知恵だけが知恵になるものです。知恵は知識にはなりますが、それはあくまで知恵を知識にしただけで知恵ではありません。

なので知恵者とは、徳のある人物のことであり、徳を生きるものです。これは世の中のハタラキそのものが知恵であるから使えています。

例えば、二宮尊徳はある知識のある知識人が訪ねてきたときに「お前は豆の字は知っているか」と尋ねた。それでその知識人は紙に豆の字を書くと、尊徳は「おまえの豆は馬は食わぬが、私の豆は馬が食う」と答えたという逸話があります。

これは知恵についての同じ話です。

私は本来の革命は、知識で起こすものではなく知恵がハタラクものであると思います。人類を真に導くには、文字や文章、言葉ではなく知恵が必要なのです。知恵風では真に世界は変革しないと私は経験から感じています。私が「暮らしフルネス」にこだわるのもここがあるからでもあります。

生き方と働き方というのは、単に知識で理解するものではありません。体験して気づき実感して真似ることで得られます。子どもたちのためにも、今日も実践を味わっていきたいと思います。

知恵の甦生

知恵というのは、もともと知識とは異なり使っている中でなければ観えないものです。つまり止まって理解するものではなく、実践したり体験する中でこそはじめて実感でき観えるものともいえます。

例えば、昨日、暮らしフルネスの一環で滝行をしてきましたがこの滝も流れる中でしか滝のいのちを感じることはできません。いくら口頭で滝の話をしたとしても、滝が持つ徳は滝の中ではじめて活かされるものです。

さらには、この滝が知恵として感じるためにはその滝をただの文字や言葉だけにしない知恵の伝道者が必要です。この伝道者は、その価値を知り、その価値を学び、その知恵を正しく使い続けてきた人でなければなりません。

むかしから伝統の職人たちのように、意識を継いでいく人があってはじめてその真の技術が温故知新されアップデートしていけるようにその本になっている知恵が伝承されなければ伝統はつながりません。

つまり知恵こそ伝統の本質であり、知恵を活かす人こそ真の伝承者ともいえるのでしょう。

時代は、時代と共に時代の価値観があります。戦国時代の知恵の活かし方は平和な時代は使えません。その逆も然りです。つまり時代に合わせて価値観が変わっていくのですから、知恵はそのままに使い方や仕組みは変える必要があります。

先ほどの滝行も同じく、一昔前の使い方をしていても知恵が伝わりません。知恵を伝えるには、今の時代の使い方、活かし方が必要になるのです。これは意識も同じです。現代の知識優先の考え方を意識優先の生き方に換えていく。そうすることで、眠っていたり忘れていた知恵が甦生していきます。

知恵の甦生は、人類のこの先の未来、子孫たちの永遠の仕合せには欠かせないものです。地球がバランスを保つように、人類もまた長い歴史の中でバランスを保っています。この時代は、バランスを保つために舵をきる必要がある時代でもあります。

子どもたちに真の知恵が伝道していけるように、暮らしフルネスの実践を積んでいきたいと思います。

暮らしフルネスの場数

情報過多の時代、脳の認知も過労になります。以前、修験道のことを英彦山の禰宜さんにお伺いしたときに深夜からずっと山歩きをして身体感覚が極限まで過労したときに何も考えなくなることがいいということを聞いたことがあります。

きっとその時、脳の認知がなくなり力が脱落して空や無の状態になるように思います。脳は、あらゆるものを仮想に創造しますから今ここにあるという意識を遠ざけてしまうのかもしれません。

しかし本来、脳は、短期的な危険を未然に察知したり想像をしたりするのにはとても大切な役割を果たしています。しかしそれが行き過ぎると、疑念や不安などをつくり実際にないことまで創り出したりそれを事実だと思い込んだりもします。思い込みの強さというは、記憶を捻じ曲げていきます。人は世界をそれぞれに持っていて、それぞれの世界を生きています。

事実が同じであってもある人は、平和で安心の楽観的で穏やかな世界に暮らしていたり、あるいは疑心暗鬼と不安、悲観的で恐怖の世界に暮らしていたり、それはその人の心の持ち方で決まっていきます。

心の持ち方というのは、常に初心を忘れずに今起きていることを意味づけして自分のありたい方へと転換していくような実践です。つまりどんなことがあっても、「これでいい」とし、それを上手に受け容れて目的に回帰していく原動力にしていくということです。

古語にある「禍転じて福にする」というのもまた、心の持ち方の実践ともいえます。

脳の認知に縛られないで心の在り方の方に軸足を置いていく。バランスを取るというのは、身体の重心や軸を保つということに似ています。背骨が一緒についていきながら移動していくように、初心が一緒についていくように移動させていくということ。

何のためにこれをやるのかということを、忘れないでい続けるというのは日々の自己内省と自己鍛錬によるものです。

よく考えてみると、人間は自己を真に育てあげていくことで世界を変えていくことができます。どのような世界にしていくかは、一人一人の心の中にあります。その世界になるようにするには外側の世界に軸足を置くのではなく、あくまで軸足は自分の世界をととのえていくことに置き、バランスよく移動していくことに似ています。

脳と身体の関係もまた、日々の暮らしをととのえていくなかで磨いていくのかもしれません。小さな日常の移り変わりの中においても、大きなハタラキがあることを知り、そのハタラキが世界を真に豊かにするということを知覚できるのもまた日々の精進です。

心静かに、暮らしフルネスの場数を増やしていきたいと思います。

武の徳

昨日、アメリカから来日した友人と一緒に糸島の龍国禅寺にて話をするご縁がありました。美しく苔むした庭を眺めながらととのった場で内省をしあうことができる仕合せは格別なものです。

その中で特に豊かな話は「武」についてのことです。武というと一般的には、武力や武士など戦っているイメージがある言葉だと思いますが本来の意味はその逆で戦を止めるという字で構成されていることがわかります。この字を分解してみると「戈」(ほこ)と「止」(とどめる)から形成しています。この戈は、戦で使われる武器であり、戦いそのものの象徴。そしてそれを止めるのが本来の「武」であるというのです。

かつて織田信長が戦国時代に「天下布武」という宣言をしました。これは天下を武力で統一するとイメージする人の方が多いかもしれません。しかし実際の意味はこれとは全く異なります。

これはもともと中国の古典、『春秋左氏伝』に本来の武は「七徳の武」であると記されているところから使われています。ここでは、天下は七徳の武によって治まるという意味です。

その七つ徳は、武力行使を禁じ、武器をしまい、大国を保全し、君主の功業を固め、人民の生活を安定させ、大衆を仲良くさせ、経済を繁栄させることをいいます。

天下布武、これは如何に戦のない世の中にするか、そのためには徳を使い七つの武を実践する必要があると説いたのです。

そして武を志した「武士」には、この武の生き方を貫き実践するための武士道の七つの徳というものがあります。それは「義」「勇」「仁」「礼」「誠」「名誉」「忠義」です。

武士は、暴力や戦争を終わらせる役目とそういう時代にならないような教えを実践し導く存在でした。だからこそ武を磨き、武を尊び、武を守ったのです。

誰も殺し合いや戦争などをしたい人はいません。憎しみや恨みの連鎖は、悲惨な時代を到来させます。だからこそ私たちは本来の「武」を学び直す必要があると思うのです。

私のいのる天下布武とは徳積みの循環のことです。如何にこの時代に相応しい七つの徳を循環させていくか。その徳の循環を暮らしフルネスの実践において実現しようとしているともいえます。

子どもたちがいつまでも平和な世界で笑い合い和み合い、助け合い豊かに暮らしていけるように今こそ武の徳を磨き直していきたいと思います。