茅刈り

昨日は、熊本県阿蘇郡高森にある萱場に茅葺屋根用の茅を刈りにいくご縁がありました。友人や仲間がたくさん駆けつけてくれて、みんなが楽しく茅刈りを行いました。

思い返せば、この茅葺とのご縁は私の故郷のお地蔵様が祀られている建屋の屋根を私が喜捨をして甦生するという話からです。その話は、地元の方々との折り合いがつかずに中断することになりましたがその御蔭で、一緒に徳積財団を設立することになった親族の叔父さんと出会い、その近くにある藁ぶきの古民家を甦生することになり、さらには今回のように英彦山の宿坊の屋根を葺き替えるというご縁になりました。

ご縁は最初からそうっなっているかのように繋がっていて、絶妙なタイミングで一期一会に場にも人にもと時にも出会います。答えが先にあって、それを象っていくかのようです。

有難いのは、その答えが最初からわからないからこそ有難い体験になっていくということです。私自身は慎重で臆病ですが、勇気を出せるのも挑戦できるのも、この「ご縁」を羅針盤にしているからだと思います。

資金面や材料面、知識も経験もすべて不足していてもみんながいるという存在感やご縁を信じるという目は見えない繋がりを味わって生きていくことができるからなんとかなっているようなものです。

今回の茅葺もとても貴重な体験になりました。

もともと私たちが古民家で使ってる材料は、すべて自然素材で自然由来です。ということは、その自然素材はどのような風土や環境で、いかなる特性を持っているのかを学ぶことで先人たちがどのように自然と共生してきたかがわかります。

ちょうど、私たちが茅を刈りに行った場所も本日から野焼きがはじまります。阿蘇の茅は特に良質で、しっかりとまっすぐに伸びていて丈夫でしなかやで品があります。水をはじき、長持ちし、雨や風から家を守ります。

昔の人たちは、身近にある素材を暮らしの中に上手に取り入れました。草草も捨てるのではなく、これはどのような徳が備わっていてその徳にどう報いようかと謙虚に考えたいのではないかと思うのです。

それは偉そうに、何かに活用してやろうといった人間都合の見識ではありません。自然への畏敬や畏怖、そして何よりもいのちを慈しむやさしさに満ちたものです。

私の取り組む甦生は、根本にはこの観点を忘れません。

今の私があるのも、人類が続くのもすべて自然の恩恵、自然の御蔭さまです。自然素材自然由来に感謝してこそ、本当の意味で本物の加工品になるのです。

子どもたちのためにも、プロセスを外さずに大切な文化を伝承していきたいと思います。

危機に備える

今回、ウクライナとロシアのことでウクライナの人たちが「まさか本当に侵攻してくるとは」とほとんどの人がショックになっていたというのを報道で見ました。私たちも外から見てて、世論も最初は脅しや一部の地域だけの侵攻かと思っていたら全面的に侵攻していきそこでまさかと考え始めます。そして第3次世界大戦が起きるのではないかと、それも今でもまさかそんなことはを思うようになっているはずです。
コロナの時も、想定外が発生して初動が対応できなかった国もたくさんあります。そして今は、戦争が発生してどのように想定外に対応するかが試されているのです。
昨日は、原発を攻撃したという報道が流れました。その時、私もまさかそんなことがとショックを受けましたが戦争ですからこれは当たり前に想定されることです。しかし、そんなことは起きてほしくないと思っていることや、まさかそこまではしないだろうとバイアスがかかっていることに気づきます。
本当の危機は、自然災害よりも人間の人災の方が確率も高く衝撃も大きいものです。これから世界がどのようになっていくのか、思考を停止させず危機に備えて動いていきたいと思います。

平和を持続させるために

私は、20年間、子どもに関わる仕事をしてきました。その子ども観というものは、子どもは生まれながらにしてすべてが備わっている完全な人間そのものであるというものです。

人間そのものというのは何を言っているのかというと、人間とは徳そのものであるということ。もう一つ進めると、もともとのいのちはすべて徳であるというものです。これは人間に限らず、全てが完全ですべてがいのちの一部。それを尊重しようという考え方です。

これは子どもに限らず、私は万物全てに徳が備わっていると思っていますから現在の古民家甦生だけではなくすべて取り組んでいるものはこの初心と観点を働かせて実践しています。

足りないから補うのではなく、本当にそのものの役割を発見して活かしていくという発想です。これは日本人の伝統的な価値観、もったいないなどにも通じるものがあります。

子どもは最初からすべてを備わっているからこそ、余計なことをしない。余計なことというのは、備わっていないと、足りないと、これはダメだや間違っているなどをということを無理やりに教え込まないということです。きっと、何か理由があってそうしているのだろうと尊重し尊敬して見守るということです。

これが私たちが社業で取り組む、見守る保育の考え方から学んだことです。

子どもは丸ごと信じてこそ、本当の意味で私たちが子どもから学び直し、子どもように素直で正直なままに自立して自分の天命を全うしていくことができると私は思います。

そもそも自立というのは、自分の自立ですがこれが人類の自立にもつながります。今のように世界を巻き込む戦争が起きそうなときこそ、教育者たちは真実と向き合い、平和ボケするのではなく「真の自立とは何か」ということを正対する必要があります。

真の自立をするのなら、人類はもっと優しくなり思いやりを忘れずに悍ましい戦争もなくなっていきます。人の心が貧しくなり、荒廃するからこそその結果、環境に現れていくのです。だからこそ、人の心に真の豊かさを甦生させていくことが末永く平和を持続するための知恵でもあります。

私が取り組む、場も暮らしフルネスも起点はすべて子どもを見守ることからはじまっています。こんな時だからこそ、希望を忘れずに自分の天命を全うしていきたいと思います。

人の形

先日、大宰府天満宮の宝物館で展示されている友人の中村弘峰さんの作品を見学する機会がありました。常に人形を通して、時代時代に生き方を温故知新し変化を求めて挑戦しているそれぞれの代々の生き方の展示でもありとても刺激を受けました。

時代は常に変化して已みません。私たちはこの今も日々に新たな気持ちで自分の中にある初心に正直に生き続けていくことで本当の自分のままで存在することができるものです。

自分の心に素直であり続けることは、本当は周囲の環境とはあまり実は関係ありません。どんな環境下であっても、自分の初心のままであり続けることができてはじめて人は自分を生き、真に自立することができるからです。

どんなときにも初心を優先できるか、この問いは人類一人ひとりに与えられた使命でもあります。

今回、展示の中で感動したものの一つに中村人形の家訓があります。改めてこれはものづくりに関わる人だけでなく、まさに日本人としての初心を忘れてはいけない素晴らしいものだと思い皆さんに共有したいと思いました。こう記されます。

【人の形を作ることを生業とする我が家は代々一子相伝である。

たとえ粥を食へども只ひたすらに良き物を作るべし。

これは初代筑阿弥が残した家訓である。

生活が貧しくとも信念を持ち人形を作ることを第一とする。

人形は人々に夢や希望を与えうるものである。

特に祭りの御神体の様なものは祈りを受ける存在である為、

それを作る時には殊更自我を捨て、無になることが必要不可欠である。

その為、我が家では幼き頃より常に自分のものを人に差し出す事でその特訓をし、

人の形を作る者は謙虚であるべきと教える。

青年になりし頃、心と体を鍛え学問に邁進し、

我が家の後継は必ず修行に出て人の役に立つ為に苦労を買って出る事。

歳を経ても常に純粋で素直であるように、

仕事に臨む時は作らせて頂いている心を大切にする。

初代より我が家は臨終に於いて、

後継は先代の手を握り目に見えるものを受け取る。】

どの文章の中にも、自戒が籠っていてそれが本物の人形を象ることができると諭しているかのように感じます。私たちの身体も本来、自然の一部であり依り代でもあります。その時代時代に、どうやって無我の境地を会得し、どのように人々の心に残るような自分自身を貫遂していくことができるか。

人生のテーマは、先人たちの生き方や生き様からも学べます。子どもたちに、未来の希望が伝承していけるようにこれからも学びを楽しんでいきたいと思います。

心のふるさとのバトン

これから英彦山の守静坊の屋根を茅葺屋根に葺き替えるための本格的な準備は入ります。現在は、トタン屋根になっていますが本来の宿坊の姿を甦生するために元の屋根にする作業です。

この費用が甦生でもっとも決断が必要なものでしたが、日本人の心のふるさとを甦生するためにもこの茅葺屋根は欠かすことはできません。

私の取り組む甦生は、この茅葺だけではなくありとあらゆる日本の伝統文化につながるものを同時に甦生させていきます。それはただ伝統の物を使うのではなく、その伝統の意味も一緒に甦生させていくのです。

例えば、畳一つにしても畳がなぜ存在したのかの歴史的な背景をひも解き、同時にその畳を本物にこだわる職人さんと一緒にその心や伝承を伝道していきます。そして職人さんたちやその土地の人々を結び、本来の日本の結の関係をつなぎ直していくのです。

そのためには大変な手間暇や配慮なども必要になりますが、もともと日本人なら備わっている真心があると確信していますからそれを丁寧に甦生させていきます。

今回の茅葺屋根の甦生も、葺いてしまえば手入れをしていけば30年以上は家を守ってくれます。そしてまた30年経った頃には、また葺き替えをするのでしょう。そのころはもう私も生きていないかもしれませんし、一緒に取り組んだ職人さんたちもいなくなっているかもしれません。

しかしここで今、つなぐことにこそ意味があり、誰もしないから私もやらないではなく、誰もしないからこそ自分がやる必要があるのです。

子どもたちのことを思うと、先人たちの祈りや志、生き方や知恵をつなぎたいと真摯に思います。人生の中で、何がもっとも役に立つのか、そしてどこに心の居場所があるのか、それはもう明白です。

煌びやかで派手なものばかりについ感情的に魅せられますが、それもすぐに消費され飽きてしまいます。しかしこの私が取り組んでいるものは、一生飽きることもなく、そして永遠に知恵として未来の子どもたちの人生を助けます。

今はわからないかもしれませんが、これは本当に100年後、もしくは数百年後に人々が気づききっと感謝しているのがわかります。

それはなぜか。

私自身が、先人たちや先祖たちからいただいている恩徳に心の底から感謝しているからです。よく私のところまで来てくださった、つないでくださった、集まってきてくださったと感謝しているからです。

私の身の回りには、いつもそういう徳の存在のものや人たちが集まってきてくださいます。何よりもその知恵ややさしさ、思いやりや美しさに日々の暮らしが感動に包まれています。

時代の当事者、時代の責任者として普遍的なものを丁寧に紡ぎ、自分がされたように未来の子どもたち、そして後世へと心のふるさとのバトンを渡していきたいと思います。

時代の責任者

ロシアがウクライナに侵攻をして世界は戦争の意味をもう一度、確認することになりました。誰も望まないはずの戦争はいつから発生するのか。それは歴史を省みると少しずつ明らかになってきます。

私たちは最初に戦争をはじめたのはいつか、それは古代の頃、領土を取り合うことではじまります。地域によって得られる富が変わってきますから、当然人はよりよい領土を広げて富を増やしていこうとします。しかしそこには先住民がいたり、あるいは別の人たちがすでに富を確保していたとします。富は、その領土の経済力を決めますから富を守るために強烈な軍隊を持つこともでき、さらに国力を増大してその富を拡大させてさらに富を守ろうとしていきます。

世界は、ずっとその繰り返しで領土を取られたり奪われたりをしてきました。そして現代もまた、冨の拡大のために新たな領土を探し続けて争いはなくなりません。日本でも最初の大きな政府が誕生してきたら富を集中させてそれぞれの領土の人たちのバランスが崩れて戦争にならないようにコントロールしてきました。戦国時代などは自分たちの富を増やし守るために領土を取り合うために発生した時代でもあります。

江戸時代には江戸幕府ができて、戦争が起きないように見張りました。すると領土が拡大できない分、隠れて貿易をしたり年貢を必要以上に取り立てたりと富を守る工夫は続きました。富は、常に人類の戦争の中心にあったのは間違いないことです。

世界には、その理屈を知り、冨をうまく分配し合って助け合う領土もありました。しかし、冨を拡大する領土から狙われる羽目になり失われていきました。自分たちのものにするには、その領土の人たちも自分たちのものにする必要がありましたからそれぞれに言葉や文化、あらゆる価値観を融合していくために宗教なども入っていきました。

今もその構造はほとんど変わっていません。

その当時の人々も、農民や職人たちもそんなに裕福だったわけではありません。裕福だったのは一部の富裕層であり、その富裕層が富を守るために戦争をはじめていくのです。農民一揆なども同じように、貧富の差が拡大することによって人々の不満が高まりさらに押さえつけるために強権を発動していき抑え込める。それが限界に達すると、政権が変わる。そのうちまた同じことが起きて繰り返す。こういうことばかりをずっと数千年も前から繰り返しているのです。

私たち人類は、情報化社会で色々なことを知ってきました。むかしは諦めていた人々も今では、情報を学ぶことによってこれは諦めることではないことを学んでいきました。

この時代、人類が真の幸福や仕合せになるために何をすべきかということを全人類に問われているのです。

冨=幸福という構造を如何に乗り越えるのか、そのためには富は何のためにあるのかから考える必要があります。日本も戦後に物質的には非常に裕福な国になりました。毎日大量のごみを捨てても、まったく影響がないほどに、食べきれない食料をもち、使い切れないほどのお金を持つことができました。これである一面では幸福になったのでしょうが本当にそれだけでいいのでしょうか。

私は、人類がもっとも望んでいるもの、富を超えて本当に幸福を感じるものがどれだけあるのかがそろそろ人類で議論する時期が来ているのではないかと思います。それで暮らしフルネスを実践することを自らがはじめています。

冨ではない別の物差し、真の豊かさということをみんなで考える時期に来ているということです。戦争はもうここまでくると、人間とは切り離せない全体の一部ではありますが自分たち一人一人のみんなが当事者として自分に打ち克っていくことで戦争を小さく未然に防いでいくことができるように思います。

時代の責任者として、こんな時だからこそ暮らしをととのえていきたいと思います。

 

真の知恵

現在、英彦山の宿坊の甦生に取り組んでいますが、仲間や同志たちからたくさんのメッセージや連絡が入ります。私が今、ちょうど必死に取り組んでいるのを汲んでくれているのか、温かく強い言葉をたくさんかけてくれます。

みんなそれぞれの場所で、自分の信念と生き方を守るために自己と向き合い周囲に流されずに踏ん張っています。時代の中で、何度も生まれ変わる中でこうやって友達に再会しそれぞれで励まし合っていくのはとても仕合せなことです。

コロナで不要不急といって、色々なものが失われていきました。

その中には、決して不要不急ではなくても普遍的で何よりも大切な伝統や文化、そして伝承なども失われていっています。そして経済を優先するように働きかけ、経済と関係ないものは後回しという具合にもなってきています。

実はいつの時代も、今回のコロナのような感染症が流行した時もあり、今のように戦争が起きて日常生活が一変したことは人類は体験してきたのです。

しかし今でも、文化が失われず、日本人としての生き方がそれぞれの人や場所に遺っているのはそれは先人たちがどんな過酷な環境下であっても守り通してきたからに他なりません。

つまり今の自分の存在こそが、先人の生きた努力の結晶の証なのです。

そこに私たちは真の誇りと心のやすらぎ、そして居場所を得るのです。

最近は、居場所がないと苦しんでいる人が増えています。それは先祖や先人たちとのつながりが希薄になっているからです。私は家系図を辿ったこともあり、そして家系図で出会った先祖をその後にお祀りすることになり、今では歴史のつながりの深い場所や人、そしてご縁を大切に生きています。

御蔭様でいつも心の深いところに居場所があり、いつも身の周りには先人からの知恵とご加護とお守りに包まれて暮らしていくことができています。

私に言わせれば、「コロナで不要不急だからこそ、本当に大切なものを守る。」ことが今を生き、これからを生き延びるための真の知恵だと感じています。文化に携わる友人たちは、みんな今、大変な想いをしながら自己を磨き利他に挑戦しています。

私もみんなの元氣の一つになれるよう、みんなが勇気を出すためのチカラになれるよう、私の持ち場を守っていきたいと思います。

お互い様の存在

人は人を信頼していると、色々な助けが入ってきます。その助けは、その人に勇気を与え、その人が持っているポテンシャルを引き出す原動力になっていきます。私の人生を振り返りと、いつも人に助けてもらってきた人生であることがわかります。

その助けは、もっとも身近な家族、そして親族、そして同志や友人、またはこれまで出会った素晴らしい生き方をなさっている先人たちからいただきます。そういう思いをいただきそれを心に抱いて挑戦していきます。

この挑戦は、当然結果も出しますがそれ以上にそういうものをいただいて挑戦したという事実に心底救われます。救いというのは、助けと共にあり人が助けを求めるとき救いが顕れるのです。

そしてこの助けには、大前提として人を信頼しているというその心を研ぎ澄ましていることが大切だと感じます。それは赤ちゃんから学び直せます。私たちは最初は赤ちゃんからはじまります。産まれてすぐの私たちは裸一貫で自分だけでは生きていけません。そこで親を頼り、周囲を頼り、はじめて生きていくことができます。

最初からそんな状態ですが自立していく上で、自分も同じように赤ちゃんを守るような力を持てるようになっていきます。しかし、よく考えてみると思うのです。実は、いくら大人になっても自分だけで生きることなど不可能ではないかと思うのです。

だからこそ私たちは自立というものを勘違いしてはならないと思うのです。自分一人できるようになるから助けを必要としないのではなく、常に生まれてから死ぬまで私たちは助けてもらうことで生きていけます。助けてもらう状態、つまり人を信頼したままで、今度は助けをお返しできる人になりたいと「お互い様」が当たり前にできるように学び盡していくのです。

お互い様というのは、感謝を忘れていない赤ちゃんの心であり感謝そのもので信頼している人間そのものの純粋な姿でもあります。子どもたちに、何かを遺したいと精進していますが私自身は子どもたちからいつも救われています。子どものことに関われる人生に心から感謝しています。

これからも子どもや赤ちゃんから人間としての純粋で素晴らしい存在を学び続けていきたいと思います。

いのちの甦生

英彦山の守静坊の祭壇の甦生が仕上がってきました。江戸時代に書かれた建具の絵に仙人が描かれており、そこで学んだ山伏や檀家さんたちの様子が甦ってきました。

私はその時代には生きていませんが、その建具は大勢の人たちがこの宿坊に来て様々なことを学び合い語り合い、そして助け合った記憶を見守ってきました。新しい宿坊になっても、この時を超えた見守りはいつまでも続くようにと願い祭壇の壁面として生き続けられるようにしました。

他にも、もともとあった古材の板をはじめ彫刻や柱など遺してあるものの中でも特に大切に祀られてきたものや飾られてきたものはできる限り修繕をして使っていきます。

私たちの身近にあるものはどれも歴史を持っています。古いものであれば、何代もの主人を経て今の私のところにたどり着いています。前の主人はどのように大切にしてくれたのか、新しい主人はどのような人なのか、物はよく私たちを観ています。

どう考えても私の寿命よりも長いものばかりに囲まれていると、その数奇な運命に人生の妙味を感じます。辿ってきた歳月や、出会ってきたご縁、そして時代の様々な出来事との遭遇、それをすべて体験して今のカタチとして此処にあるからです。

物は物語を持っています。これはただの無機質の物ではなく、時を持っているのです。その時が集まってきたもの、つまり集大成がこの今であり私でもあります。

物を大切にすることも、もったいないとすべてのご縁を活かすこともそれはこの時の中に自分も一緒に存在していることを感じ続けているからです。これを最近では五次元という言い方もするそうですが、元々生まれてきてからずっとこれからも私たちは五次元の中今に存在するということでしょう。

私が仕合せなのは、もともと別の使われ方をするために作られたものがそこで一生を終えるのではなく別の役割をもって甦生していき喜んでいる姿を観ることです。そのものが終わるかどうかは、それを見出し使う側の存在に由ります。

才能があっても見出す人がいて開花するように、道具たちや物たちもそのいのちを活かす側によって開花します。この地球で産まれたすべてのいのちは、そうやってお互いに活かしあい生きるときこそ真の幸福を感じるのです。

私の甦生の流儀は、場にこそ顕れます。

子どもたちに場を遺し、その生き方を伝承していきたいと思います。

日本の初心

現在、英彦山の宿坊の甦生に取り組んでいますがいつものことながら困難続きです。だいぶ、これまでの経験から慣れてはきていますが信じているものの現実の対応には決断ばかりが必要で心身の疲労は蓄積していきます。

振り返ってみると、これまでも古民家甦生は無理難題ばかりの連続でした。当然ながら、費用の問題。大工さんや職人さんたちは一生懸命に取り組んでいますからそのお支払いが必要です。なぜ今までなんとかなってきたのが不思議で、その都度に知恵を出したり周囲の方々からのご寄付があったりして何とかなってきました。

そして次に建物の問題。私がやるところは皆が手入れをやめて荒廃していよいよ最期かというところのものしかご縁がありません。中もぐちゃぐちゃで、木材などもシロアリ被害にあっていて思った通りに工事が進みません。

他にも私の無知からの不手際でご迷惑をおかけしたり、本業の仕事ができなくなりみんなに迷惑をかけたり家族との時間が減り家事を任せきりになっていたりと、いろいろとあります。

何よりももっとも大変なのは、本質を守り続けるためにブレないで最後まで貫遂するための自分自身との正対です。

私が取り組むときに最初に決めるのは、「家が喜ぶか」「本物の和にしたか」そして「子どもに恥じないか」と定めます。今回の宿坊はそれに加えて、お寺ということもあり「布施行」を貫き仲間を増やし、「いのりの場」として子孫に繋ぐためのプロセスを重んじたかと、取り組みの際の自戒を定めてやっています。

何度も費用のことや、楽にやろうとしたり、時間がないなかで時間を敢えてかける方を選択したり、ブレないで自戒を大事に守り取り組んできました。夜中に夢に魘されたり、山の中の寒さで冷え切り体調が著しく崩れたり、心ここにあらずで怪我をしてしまったり、ストレスで頭痛や胃腸を悪くしたりと、思っていた以上に堪えました。

しかし、そんな時こそ足るを知り、いただいている方を観て感謝して同時に信じてくれた自分や周囲の御蔭様に勇気をいただき前進してここまで来ました。周囲からは、順風満帆で明るくやっていますし私自身も弱さを公開せずに徳を積む仕合せをこぼれさせようと顔晴っていますからなかなかこんなことを伝えることがありません。

むかしの諺に「武士は食わねど高楊枝」があります。 これは誇り高い武士はどんなに貧しくても、腹いっぱい食べたかのように楊枝を使って見栄を張っていたというものです。これは見栄をはっていたのでしょうか?

実際には、江戸時代の武士の多くは今でいう政府や役所のお役人でした。彼らの多くは私利私欲に走ることなく世の中のため、民衆のためにと働いた公人でした。現代のように裕福でモノに溢れた時代もある中でも為政者としての武士の倫理規範をもち、無私の奉仕、誠実な生き様を痩せ我慢をしてでも実践した言葉です。

この時代、価値がないと捨てていく大切な伝統や本物の文化が荒廃していくのを見すごせないと私のようななんでもない凡人でも環境がなくても真摯に取り組めば甦生はできるとその姿に何かを感じてほしいと宿坊の甦生に取り組んでいます。

かつての山伏もまた、山で暮らし山を守り、日々に修行に精進して気品高く人々のために盡してこられました。私にとっての山伏は、先ほどの武士は食わねど高楊枝で尊敬する先人であり先達なのです。

その暮らしを甦生するためにも、私自身が同じ境地を少しでも感じたいとこの今も甦生に取り組んでいます。今回の宿坊の甦生、英彦山の甦生は、できる限り多くの方々のお布施や托鉢、そして英彦山を愛し、日本の誇りを甦生するための寄付をなるべく多くの一人ひとりから集めたいと願っています。

それが日本人の心のふるさとを思い出し、日本の初心を甦生させることになると信じているからです。途中経過になりましたが、今の私の心境です。皆様の心に何かが伝わり、一緒に徳を積むことの仕合せや喜びがこの社会をさらに磨き上げて素晴らしくしていくことをいのっております。

宿坊が甦生し、皆さんにお披露目できるのは新緑の頃になると思います。

ぜひ、この「いのりの場」に来ていただくご縁がありましたら心に懐かしい未来の美しい風景が宿りますことを念じております。残りの期間、しっかりと取り組みます。

一期一会