柿渋講習

昨日は、無事に柿渋講習を実施することができました。コロナ禍で人が集まることが難しくなっていますが、もともと柿渋にはウイルスを除去する効果がある伝統的な日本の知恵でもありますからまさに今やるべきとも感じています。

先日、ある報道で柿渋がコロナウイルスに効果があることが発表されました。

「奈良県立医科大学は、果物の渋柿から取れる「柿渋」が新型コロナウイルスを無害化させるという研究結果を発表しました。柿渋は、渋柿を絞って発酵・熟成させたもので、古くから塗料や染料などに使われてきました。奈良県立医科大学は、新型コロナウイルスと唾液に、純度の高い柿渋を混ぜて10分間置いたところ、ウイルスが無害化したと発表しました。飴やラムネなどに柿渋を混ぜて口に含むことで、新型コロナの感染を予防できる可能性があるということです。(奈良県立医科大学免疫学・伊藤利洋教授)」

柿渋のタンニンの成分の中にその効果があるとのことです。このタンニンとは、渋みのことです。この渋みと柿が合わさって、柿渋と呼んでいます。

また広島大学大学院の研究で柿渋が広い範囲の種々のウイルスを強力に不活化できることも発表されました。具体的な12種類のウイルスに対して効果を判定し、柿渋とそのほかの植物由来のタンニン7種類との抗ウイルス能力の比較を行い柿渋のみが調べた12種類すべてのウイルスに対して強い効果があることを示したといいます。

つまりすべてのウイルスを完全に不活性化したのは柿渋のみでした。研究グループでは柿渋の抗ウイルスの能力の作用機構を調べるとウイルス表面蛋白質に柿渋が結合しウイルスを不活性化していることも発見されています。また効果の持続を確かめるため、2年間の劣化でも柿渋の抗ウイルス作用は失われないことが示されたといいます。

まさに、ウイルス対策にうってつけのものがこの柿渋なのです。

昨日の参加者の一人からも、むかしの御医者さんが火傷でも柿渋を塗って処置していたといいます。雑菌の繁殖を防ぎ、そして自然由来で人体には無害。これほどの薬のような存在が今まであったことを人類は再確認する必要があると思います。

先人たちはこの柿渋の知恵で、様々な怪我や病気、防疫に役立ててきました。今、なぜ柿渋講習なのかと思われるかもしれませんが本来は有事の時だからこそ今こそ柿渋講習なのです。

子どもたちにも自然の知恵が身近に活用できるよう、引き続き伝承をしていきたいと思います。

例大祭の直会

来週4日の例大祭の直会には、節分の豆の時季に因んで「ぜんざい」を準備しています。節分といえば、今年は暦のずれの影響で1日早まることになり、明治30年以来、124年ぶりに2月2日となる珍しい年です。つまり「立春」が2月3日で、「節分」が2月2日になるということです。

節分の豆は「五穀」(米、麦、ひえ、あわ、豆)のひとつで農耕民族である日本人の生活に欠かせないもので偉大な力が宿ると信じられてきました。常にこの五穀は神事に使われ、その中でも豆と米は特に神聖な存在として、鬼を払う力を持っていると信じられました。

今回のぜんざいは、そのお米とお豆のチカラが合わさったもので季節の変わり目の邪気払いとしても効果があり、また例大祭に相応しい神事の直会と考えてのことです。小豆を使った紅白の御餅も準備します。

そもそもこのぜんざいは、出雲ぜんざい学会というものがありこう紹介されています。

『ぜんざいは、出雲地方の「神在(じんざい)餅」に起因しています。出雲地方では旧暦の10月に全国から神々が集まり、このとき出雲では「神在祭(かみありさい)」と呼ばれる神事が執り行われています。そのお祭りの折に振る舞われたのが「神在(じんざい)餅」です。その「じんざい」が、出雲弁(ずーずー弁)で訛って「ずんざい」、さらには「ぜんざい」となって、京都に伝わったと言われています。「ぜんざい」発祥の地は出雲であるということは、江戸初期の文献、「祇園物語」や「梅村載筆」(林羅山筆:儒学者)、「雲陽誌」にも記されています。』

またぜんざい発祥の地である佐太神社にはこう紹介されます。

『11月25日は神々をお送りする神等去出(からさで)神事が執り行われます。この日はカラサデさんといわれ、神前に供えていた餅と小豆を一緒に煮て小豆雑煮を作り再び供えていました。これを「神在餅(じんざいもち)」と呼び、今も宮司宅では家例としてこの日に小豆雑煮を作り、屋敷内の祖霊社、稲荷社、邸内の歳神にお供えいたします。昔は里人の間でもこの日の朝に餅を搗き参拝する慣わしがあり、参拝するものは必ず一重ねのオカガミ(餅)をもって参った後、小豆を入れた雑煮餅を作って家の神棚に供えてから銘々も頂く風習があったようです。この「神在餅」が転化して「ぜんざい」になったといわれているのです。』

諸説あるそうですが実際に出雲地方の正月に食べる雑煮も小豆汁だそうで小豆との関係が強く、出雲地方の郷土料理であったことはその土地にいけば風土の味で直観するものです。

例大祭は一年に一度の大切なハレの日ですから、ハレの日に相応しいものとしてお米とお豆の赤飯を炊こうと思いましたが、私が得意な炭を総動員して和合した「ぜんざい」(善哉)にすることにしました。

また小豆の効能や効果はいわずもがなまるでお薬そのものであり健康によいことが証明されています。世界最古の中国の薬学書である「神農本草経」にも登場しているほどでその煮汁には解毒作用があるとされ、当時は食べ物というよりも薬として食べられていました。アンチエイジング効果が絶大で、若返り(甦生)の食べ物なのです。

現在、西洋の食文化に慣れてきて小豆離れも増えてきています。しかし、先祖代々、大切な日に食べてきた小豆を思い出すと何か心の懐かしい故郷に回帰した気持ちになります。美味しいというのは、決して舌先だけで出てくるものではなく心の奥底から湧き上がってくるものもあります。

暮らしの中で神事を行うのは、この懐かしさを忘れない、初心を忘れないための行事でもあるのです。子どもたちに、本来の日本人としての生き方、道徳の涵養、自然の智慧の伝承などを日々の暮らしフルネスの実践を通して伝道していきたいと思います。

 

伝統塗料の真価

今週、柿渋、渋墨、弁柄や漆などの伝統塗料をつかった講習をしますが日本古来の塗料には人類の深い智慧が詰まっています。

例えば、柿渋や漆などは縄文時代の複数の遺跡の装飾品などが出土していてもっとも古いものでは世界最古の約1万2600年前のものとされるウルシの木片なども出てきています。

歴史も何十年や数百年の単位ではなくまさに千年から万年以上、私たちの暮らしに欠かせない塗料であったことは事実です。最近では、西洋から入ってきた誰でも簡単に塗れるオイルステインの油性塗料がホームセンターなどでも販売されていますがこれは油性の塗料で先ほどの伝統塗料とは異なります。

日本人が油性塗料を最初に使ったのは、1854年(安政元年)に来航したペリーとの会見に使われた談判所(横浜 本覚寺境内)に、ペリーが持参した油性塗料を漆塗り職人の町田辰五郎が塗装した時だそうです。またほかには長崎出島のオランダ人屋敷で既に使用されていたともいわれています。西洋ペイントを日本で使いだしたのは、まだ150年くらいなものです。

そう考えると、伝統塗料の歴史の長さには驚くことと思います。私たちの暮らしの中での塗料は、単に色合いだけのために用いられたのではありません。柿渋や漆は、そのものが持つ防腐効果、自然の風化の防止、さらには強度を増す、また芸術性なども見出されてきました。

高温多湿の日本において、塗料は単に色合いのためだけではなく暮らしを守る道具として重宝されてきたのです。

渋墨という塗料は、松煙と柿渋を混ぜたものですがもともと煤も私たちの暮らしには欠かせない道具でした。藁葺の古民家の天井の煤竹のように、煤で燻すことで防虫防カビ効果もあり、家の中を守りました。

資源をもったいなく活用してきた先祖たちは、その資源がどうやったら長持ちするか。そして衛生的に清潔に保てるか、これを自然の智慧を用いて保存していきました。持続可能など最近は声高に言われますが、そもそもむかしの日本、伝統的な暮らしは永続することが大前提で創造されてきたものです。

現代の消費文明の価値観の中では、理解できないことが多いかもしれませんがどれだけ大切に寿命を使い切るか、捨てるという概念がなかった時代を生きた人たちの智慧はまさに自然環境と一体になった理想の共生圏を産み続けていたのです。つまり先人の智慧の本体はこの自然のチカラをお借りする仕組みを持っているということです。

その先人の智慧を現代の暮らしに適応させていけば、自ずから私たちの暮らしは変革していきます。私の提案する暮らしフルネスには、この伝統の智慧がふんだんに取り入れられています。

講習では、私たちが何のためにこの塗料を使ってきたのか。なぜ何万年も前から、使われ続けてきたのか。そしてなぜこれが今、失われてきたのか。この観点から、子どもたちに伝承していきたい未来の話をしつつ実践を共有して伝統を子孫へつないでいきたいと思います。

道は一つ

ミッション(理念)とは生き方の事です。どのような生き方をするか、それを保つためにどのような経営をするか、理念経営とは、理念が優先であってそれに合わせて経営を工夫するということです。

よく経営を優先して理念があとでという事例を見ますが、これは理念経営ではないことはわかります。本来、何のためにやるのかが本であり、末にどのようにやるのかが決まります。本末が転倒してしまわないように、常に初心を振り返りどのように取り組んでいくのかをみんなで真摯に実践していくしかありません。

そしてそのミッション(理念)を砥石に、振り返りながら磨いていくことで生き方を高め生き様を伝道していくことができます。そうすることで、一つの組織がまるで生きもののように生き様を共にする人たちによって人格のような姿が現われてくるのです。

稲盛和夫さんはこういいます。

「リーダーの行為、態度、姿勢は、それが善であれ悪であれ、本人一人にとどまらず、集団全体に野火のように拡散する。集団、それはリーダーを映す鏡なのである。」

つまりリーダーの生き方、またその生き方を共にするスタッフたちがミッション(理念)を共有し生き方を実践すれば企業に格(社格)ができるというのです。

さらに稲盛さんは、「人を治めるには、権力で押さえつける「覇道」と仁、義などの「徳」で治める「王道」とがあります。私は、やはり人間性、人間の徳をもって相手の信頼と尊敬を勝ち取り、人を治めていかなければならないと思っています。」といいます。

もしも覇道になれば、ミッション(理念)を凶器のように使われて権力の一つの道具になります。しかしもしも、このミッション(理念)が徳で使われるのならスタッフが自分たちの魂を磨き、人格を高めるお守りのようになります。

私は後者のためにミッション(理念)を使っているのであり、私の提案する仕組み(智慧)は自然に徳が穏やかに沁み込んでいくように日々の内省を通して自己の精神性を洗い清め高め合いながら自立と協力を促していくようにしているのです。

それはミッションページやミッションリーフレットなど、ミッションとつく物はすべてこの「徳」による王道の智慧を活用したものです。

まずは自己の脚下の実践からということで、弊社ではミッションブログに始まり、内省、一円対話、讃給などあらゆる仕組みを実証しています。

覇道でいくのか王道でいくのかと対比されますが、本来の道は一つです。

人類は魂をどう磨くか、磨き方は自然から学び直すことが一番です。自然の徳に包まれ見守られて生きている私たちのいのちだからこそ、その徳に報いていきたいと思います。

和が来る場

日本には「和」を感じる場所がたくさん存在します。この「和」は現在は広く使われていますが、和の精神性というものが根源にあるものが私は和の本流であると感じています。

それは調和の和であり、日本人の持つ共生の思いやりから発生してきているように思います。日本には、八百万の神々という思想があり生きとし生けるものすべて、それは有機物無機物に関わらず一緒に生きるものとしてのいのちがあると信じられてきました。

だからこそ常にそのいのちたちへの思いやりを忘れないように配慮しながら気遣い、心に和を保ってきました。調和をととのえるということは、自然の一部としてみんなで助け合い謙虚に生きていこうとしてきた暮らしを充実させていくことからはじまります。

私が「暮らし」に特化するのは、かつての日本の暮らしの中にこそ和の文化の源流が滾々と流れており、それを甦生させることで和を顕現させていくことができると実感しているからです。

そしてこの暮らしを伝承してきたのが、本来の幼児期の環境であり場でした。現代になって失われていくその場に憂いを感じ、日本人としての根から養分を吸い上げることができるようにと日本の文化を丸ごと暮らしで甦生させているのが暮らしフルネスの仕組みなのです。

話を戻せば、この和を感じる場所はどのようなところか。一つは、私たちが取り組んでいるむかしの田んぼです。このむかしの田んぼは、無肥料無農薬で行います。それをみんなで力を合わせて田植えをして草刈りをし収穫をして実りを分け合います。そのすべてを私は神事だと認識し、一つ一つの神事を通していのちが和するようにと取り組んでいきます。するとその場には、和が来ます。和が来る場所は、懐かしさや牧歌的な風景が甦り、来る人達のいのちも同時に甦生していくのです。

むかしの結という文化が根付く、里山。また代々、土着で大切につむがれてきた隣組などがある場所。他にも、合掌造りの家々がのこり、山間の厳しい自然の中で助け合い生きる人々の暮らしの中にも和があります。

この「和」は、先祖が辿り着いた豊かさの原点であり、仕合せの本質でもあります。

令和は、まさにその和がととのってくると天の命令で顕れた時代の特徴を示す年号です。私たちはその年号の遺志に則り、和をみんなで磨いていく必要があります。子どもたちのためにも暮らしを甦生させ、本来の和をととのえるために精進していきたいと思います。

ご縁が解ける

仏(ほとけ)という言葉があります。この語源を調べると、それぞれの辞書で内容は異なりますがブリタニカ国際大百科事典には「仏陀のこと。語源は,煩悩の結び目をほどくという意味から名付けられた,あるいは仏教が伝来した欽明天皇のときに,ほとほりけ,すなわち熱病が流行したためにこの名があるともいわれる。日本では,死者を「ほとけ」と呼ぶ場合もある。」とあります。

シンプルに言えば、執着を取り除いた姿が仏(ほとけ)の象徴とされたように思います。強く握りしめていたこうでなければならないというものを、手放し融通無碍に来たものの全てを受け容れて受け止めるときこの仏(ほとけ)に近づいていくということかもしれません。

小林正観さんの著書にこの仏(ほとけ)についてわかりやすい内容で紹介されています。

『執着やこだわり、捕らわれ、そういう呪縛から解き放たれた人を、日本語では「ほとけ」と呼びました。それは「ほどけた」「ほどける」というところから語源が始まっています。自分を縛るたくさんのもの、それを執着と言うのですが、その執着から放たれることが出来た人が仏というわけです。ところで、「執着」とは何か、と聞かれます。執着というのは、「こうでなきゃイヤだ」「どうしてもこうなってほしい」と思うことです。それに対して、楽しむ人は、「そうなってほしい」のは同じなのですが、「そうなったらいいなあ。ならなくてもいいけれど。そうなるといいなあ」「そうなると楽しいな」「そうなると幸せだな」と思う。「こうでなきゃイヤだ」と思ったときに、それが執着になります』(だいわ文庫)

想いの強さは時として、それが執着になっていきます。情熱がありすぎると正義を振りかざしたり、自信がありすぎると思いやりに欠け過信にもなります。なんでも片方に過ぎることが時として調和を崩すことがあり、その都度、自己の執着を手放すようにと何か偉大な存在に見守られながら諭されていきます。

人生は誰もが一生涯修行であり、どんなときにも自分の中にある執着と対話してそれを手放すという修練が求められていきます。その中で、人は深いご縁ほどにつながりもまた深くなります。

一つ一つのご縁の中では、誤解もあれば了解もあります。しかしそのどちらも、いつの日か時が経てば解けていき真実が顕現していきます。未熟だった自分を反省し、改善していくことで人はさらに成長していきます。そういうご縁をいただいていること自体が感謝そのものであり、深くご縁に見守られていることを実感します。

子どもたちが憧れるような未来を遺していくためにも、今を直視して日々に弛まずに怠けずに逞しく嫋やかに実践し、思いやりを忘れず優しい心で歩を進めていきたいと思います。

結の甦生

藁葺のことを深めていると、むかしの相互扶助の共同体の「結」のことにつながります。今では金銭でなんでも解決するような生活になってきていますが、むかしは貸し借りを金銭ではないもの、つまりはお互いの義理人情のようなもので支え合っていました。

もちろん、今でも義理人情はありますがむかしは見返りを求めずに助け合うという根底には「徳」というものの考え方によって人々が助け合い支え合うという土着文化がその地域を安定させていたとも言えます。

例えば、先日の藁葺でもみんなに声をかけて集まってもらい集まった人たちで助け合いながら藁葺職人たちと一緒に屋根を修繕していきました。懐かしさを感じるのは、こうやって金銭ではなくみんなで助け合い支え合うところに暮らしの原点があるということです。

中部地方の合掌造りの茅葺屋根の葺き替えは「結」の制度があり、ウィキペディアによると今でも下記のような手順で藁葺を進めているようです。

「作業の3年以上前から準備が始まる。屋根の面積から必要な茅の量と人員を概算する。作業の日取りを決め、集落を回り葺き替えをいついつ行うので手伝って欲しいと依頼する。予め作業に必要なだけの茅を刈って保存しておく(そのための「茅場」を確保してある)。役割分担を決める(茅を集める者、運ぶ者、茅を選別する者、縄などその他道具を準備する者など)。上記は専ら男性の作業である。女性は作業に従事した者達への食事、休息時の菓子、完成祝いの手土産の準備を行う。屋根の両面を同時に吹き替えることはほとんど無く、片面のみを2日間で仕上げる。1日あたり200人から300人の人手が必要となる。100人以上が屋根に登るさまは壮観である。」

金銭であれば1000万以上かかるものを、無報酬で協力し合って村人たちで行われているといいます。

以前、この「結」のことである方に聴いたことがあるのは「むかしの人は自分が受けた恩義をいつまでもお互いに忘れない、それが先祖代々、「結帳」に記入してあれば子孫の代になっても口伝、もしくは記録しいつまでもその人たちのことを協力するという考え方があったことです。恩義を中心にして、無条件でお互いに支え合うというのは「徳」のつながりのことであり、私が取り組むブロックチェーンの概念と同様です。

貸し借りとは、金銭的なものだけを言うのではありません。等価交換できないもの、それもまた恩義でありそれは生き方が決めるものです。感謝し合う人格が磨かれた地域であれば、その地域の文化はみんなで恩義の質量を高めていくことができます。

つまりは徳を中心にした思想によって、相互扶助の豊かさを実現していくことができるのです。この豊かさといういうものは、現代のような物質的な豊かさではないことはすぐにわかります。

これはまさに人がこの世で安心して暮らしていくために絶対不可欠な安心基地を持つ豊かさの事です。そして見守り合い徳を分け合う暮らしは子孫たちの安心にもなり、先祖たちもその繋がりに恥じないよう、またいつでも顔向けできるようにと協力を惜しまずに恩送りをするのです。

等価交換できないものを持つというのは、心で繋がり深く結ばれていくということです。これが和の原点であり、結の意味でしょう。

「結」の甦生は、これからの時代の新しい真の豊かさにおいてかけがえのない大切な実践項目です。むかしの豊かさから学び直し、原点回帰していくことで日本人の甦生、日本の甦生、そして世界の甦生を促していきます。

これは現代を全否定するのではなく、あくまで原点回帰して本物や善いものは持続しながら文明を調和させていくということです。ブロックチェーンで私が取り組むことはこの新しい豊かさの甦生です。

引き続き、子どもたちのために志を磨いて挑戦をしていきたいと思います。

 

全体最適の暮らし

最近は、専門性を高めるために分業化が進みましたがその分業化によって大切な本質を見失うことが増えてきたよういも思います。全体最適あっての部分最適ですが、部分最適ばかりを追いかけているうちに全体最悪のようなことが発生してきているように思います。

例えば、縦割り行政なども同様に専門性は高まりましたが横連携がなく無駄や無理、ムラばかりが発生して結果的に対立構造の中で協力しにくい雰囲気が出てきます。それぞれに正論をいっても結果として何も進まないとなると国民の怨嗟の声も増すばかりです。

私たちの伝統文化を深めていると、これらの文化はすべて暮らしの中で醸成されてきたものであることがわかります。

先日から茅葺職人さんたちと共に現場で作業をしながら話をしていると、やはり伝統の畳職人さんの時と同じく地産地消、その土地でとれた作物でつくりその場所で循環させるということを大切にしていました。

これはすべて中心に「暮らし」が入っており、暮らしのないところに本来は伝統文化も職人もないということです。

現在は、全体最適の暮らしではなく部分最適の経済ばかりを追いかけています。そうすると、本来の全体を調和していたものがなくなりお金を儲けるための職人技ばかりがフォーカスされてしまいます。

つまり、テクニックばかりが競われ、先ほどの「暮らしの中での」というところが切り離されてしまうのです。現在は、海外の遠いところからわざわざ材料を集めてそれが生活の中で提供されます。スーパーの刺身などを見てもわかりますが、ほとんどが遠い国からきているものばかりです。

暮らしは本来は、その土地でその場所で身近なところでみんなで循環しながら永続させるものです。暮らしの智慧とは、まさにこの持続する仕組みであり、持続しない仕組みにならないように百姓たちがあらゆる職種を縦断しみんなで専門性を深め、多様な個性を発揮してその土地の文化を醸成していったのでしょう。

その土地土地に伝統文化が育づくのは、先人の智慧がそこで磨かれ高まり守られてきたことの証です。

何が本来の「和」なのか、「和」の本体とは一体何か、私の取り組みを通して実現させていこうと

懐かしい国

昨日、藁ぶきの古民家の藁を片付けているとむかしの手紙や書類が藁と共に残っていました。そこのはがきの住所には、今の地名になる前の住所が書かれていました。それは単に市町村合併で名前が統合するのではなく、国としての単位が変わっていますから余計にそれを感じたのかもしれません。

私の郷里は、もともとは神話の時代は豊国に属していました。そして筑前国になり今の日本国になります。もともとは九州に属していますがむかしは筑紫島、その後に九州島と呼ばれていました。

具体的には筑紫、豊、火、襲(そ)の4国にはじまり、701年以降は西海道として大宰府が筑前、筑後、豊前、豊後、肥前、肥後、日向の7国と壱岐、対馬の2島を統轄する体制になり、薩摩、大隅を入れて9国と2島に分かれてから九州になりました。

日本国はそもそも島であり、その島がいくつも連なって国のカタチを持ちます。国という単位は、律令制で朝廷が定めていたとしてもその頃は国といっても自分の住んで歴史とつながっている場所の感覚しかなかったかもしれません。頭で考える国というものと、そもそも感覚で理解した国は別もののように思います。その感覚は、郷土への郷愁というか懐かしい故郷とのつながりのようなものかもしれません。

郷愁を辞書で調べると、「 他郷にあって故郷を懐かしく思う気持ち。ノスタルジア。「故国への郷愁を覚える」「郷愁にかられる」そして過去のものや遠い昔などにひかれる気持ち。「古き良き時代への郷愁」とあります。

ふるさとを懐かしみ、そのふるさとを守るため生まれ育った文化や伝統を大切に先祖からの智慧や暮らしを大切に受け継いでいこうとする祈りに近いものが国という認識だったのかもしれません。

藁葺の古民家の甦生を通して、今回のメッセージは何かとても大切なことを伝えてくださった気がします。なつかしい故郷を甦生させていくのは、その懐かしい国を甦生させていくことです。

引き続き、丁寧に過去を紡ぎながら懐かしいものを甦生させていきたいと思います。

いのちの一灯

明日からいよいよ藁葺の古民家の屋根の修繕に職人さんたちと取り掛かります。日本の文化を甦生するのに、この家の甦生はとても意味があります。家はそれぞれの時代に、それぞれの家人や家族を大切に見守ってきました。

その見守ってきた家には、それぞれの物語や思い出が凝縮されておりその場にはその暮らしの余韻が残っています。たとえ、家人や家族がそこに居なくなってもそこには家が残っています。

家が残っているということは、その家は新しい家人や家族が訪れるのをいつまでも待っているのです。

以前、私の友人で貝磨きの達人の方から貝は主人と一心同体であり新しい主人をいつまでも海辺で待ち続けているという話を伺ったことがあります。中にある主人を守るために貝はいつまでも待ち続ける。そして貝は新しい主人の御守りになるのです。

むかしの人たちは貝を御守りにして身に着けました。そして貝もまた全身全霊でその人を守りました。家も同様に人は家で暮らすことで家に守られ、家もまた全身全霊で家の中で人を守りました。

今は家の売り買いや建て替えや解体などがまるで何かいのちのない物のように金銭で簡単に取り扱われますがそこには大切ないのちがあります。

こんなことをいうとセンチメンタルに思われるかもしれませんが、よく考えてみたらすぐにわかります。この私たちの肉体であっても、魂を守るための家であり、その家に魂が入ることで私たちは生きています。肉体を大切にしていくことは、守ってくれている存在を大切に思うことであり、肉体を最期まで大切に使い切ることで肉体もその役目を終えていきます。

私は家を甦生していますが、決して別にただ古民家再生事業をやりたいわけでもなく、リノベーションやビジネスや趣味でDIYが好きなわけではありません。家を磨き、甦生させていくことに仕合せを感じるのは、そこにまた新しい主人とのつながりができ、守り合う存在達に出会うことで世の中が明るく豊かになり、子どもたちに美しい未来が結ばれていくことを実感するからです。

私が取り組んでいることは、「つなぐ」ことであり、「みがく」ことです。そしてそれはすべて「いのち」を「むすぶ」ことであり、子どもに「ゆずる」ことです。

今更なぜ藁葺屋根の古民家を甦生をと思われるかもしれませんが、永い間、放置され朽ち果て白蟻でボロボロになってでもそこに建っていつまでも地域や子どもを見守ろうとする意志を私には感じます。

親切なご縁を感じ取って、家ももう一度、甦って子どものためにといのちを燃やしているのを感じます。私ができることは本当に微力で小さなことですが、真心はきっと家に伝わって、その家が周囲を明るく照らしていくと信じています。

いのちの一灯をこの場所から灯していきたいと思います。