英彦山の甦生のはじまり

昨日は、英彦山の宿坊、守静坊に120人以上が集まりみんなで茅葺屋根の茅を運び入れました。大きなトラックで6台分くらいあったでしょうか。一軒の家の屋根にこんなにも大量の茅を使うのかと驚きます。先日、阿蘇に茅を刈りにいきましたがその作業も大変な作業でしたからこれをこの数と思うと、改めて職人さんたちの労力や仕事に頭が下がる思いがしました。

現在、この宿坊は昭和のリフォームで茅葺屋根がトタン屋根に変わっています。もう地元で茅を育てている人たちもなく、みんなで茅を葺く文化も消失しました。できないのだから他の方法でということで、トタンになったのでしょう。トタンは便利で、茅を丸ごと囲いますから茅に雨が染みこむこともありません。茅は、そのままにしていると傷みますから定期的なメンテナンスが必要になります。

むかしは、常に囲炉裏に火が入っていたから茅も燻されて防カビや防虫などもしてくれ長持ちしました。現代は、燻すこともありませんからすぐに茅も傷んでしまいます。どう考えてもトタンからわざわざ茅葺にすることは見た目が良いメリット以外には大きな費用がかかるし、この先もずっとメンテナンスできるかという問題があるからと二の足を踏む人が多いといいます。それはよくわかっています。一般的には無理だと諦めるかもしれません。しかし、私は別に家をリフォームしているのではありません。

私は、古民家甦生を通して日本の懐かしい未来を甦生しているのです。なので茅葺屋根は私にとってはメリットしかないのです。やらない理由はまったくないのです。この茅葺屋根を葺くという行為自体が、懐かしさの源流であり、現代にも連綿と続いてきた真の日本人の心を甦生することになっているからです。

昨日は、みんなで「結」(ゆい)という体験をしながら、たくさんの茅を運びました。みんなで声をかけあいながら、力を合わせて協力しました。午前中だけでは終わらず、その後は有志が残ってくださって残りの茅もほとんど運びました。体力も消耗し、大変ではありましたがみんな心は清々しく笑顔も多く、素晴らしい人たちが一緒に汗をかいてくださっていることで場所全体が輝いていました。そして200年の枝垂れ桜もそれを満開の花と共に美しく揺れながら見守ってくれていました。

この懐かしい未来の光景は、決して文字では伝えることができません。

この場に参加してはじめて、これが「結」(ゆい)なのかと、直観し実感するものです。私はこの光景がいつまでも子どもたちに遺して続いていけたらいいなと心から祈っています。

人はみんな、みんなのものだと分かち合う時、そして誰もが地球では家族の一員だと助け合う時、私たちはそこに繋がっている存在、結ばれている存在の有難さに気づきます。他人と貸し借りができるのも、そして知らない人たちでも協力し合えるの、その時、心はとても豊かになります。懐かしい先人の生き方や知恵に触れるとき、私たちは何かを思い出しています。その何かは先人が私たちに遺してくださった大切な心を伝承し、その当たり前ではないことに感謝を思い出しています。そして私たちはその結ばれてきた今までのご縁の尊さを思い出すのです。

私たちは、ずっとむかしから今も結ばれ合っています。それをまたこの時代も結い直すことが、これまでもこれからも仕合せになっていくための知恵なのでしょう。

英彦山の甦生のはじまりが、この結からであったことに深く感謝しています。

歴史の大切な1ページを皆さんと一緒に、結でめくれたこと一生忘れません。英彦山のお山の徳が引き出された瞬間を感じました。ここからは引き続き、徳を磨き、英彦山から日本全体へとその徳を顕現させ子どもたちの心のふるさとを甦生させていきたいと思います。

一期一会をありがとうございました。

ありがとうの波紋

昨日、無事に46歳の誕生日を迎えることができました。多くの方々からもお祝いをしていただき、感謝の一日を過ごすことができました。ご縁は広がっていきますから、出会う人たちも広がっていきます。人生の豊かさの一つは、多くの人たちに出会い関わりを持てるということでもあります。

人はそれぞれに色々な生き方があり、色々な考え方もあります。まるでお花のように、色々なお花を咲かせてはそれぞれの徳が薫ってきます。その花の魅力をどう活かすかは、器にもよるし場所にもよります。みんなが活かしあえるような楽しく愉快な場所がこの世に広がっていけばいいなといつも思っています。

子どもたちがそうであるように、それぞれの子どもたちの徳は無限の可能性があります。やりたいことがあり、その人らしい個性を持っています。みんなで尊重し合う社会が実現できるのなら、悲しい暴力や戦争も遠ざかっていくように思います。

何世紀もの間、性懲りもなく人間は同じような戦争を繰り返しますが同時にどの時代にも暮らしをととのえて地球や自然と共生し、他の生き物と一緒にじっと耐え忍んで永遠の平和の実践を積み重ねてきた人々もいます。

しかし子どもたちは未来がありますから、この一時的な感情よりももっと大切なものを守るために私たちができることを、できる人たちからはじめていくしかありません。まさに、来た時よりも美しくしようと一人ひとりの一歩一歩が場をととのえて世界をより善くしていくことです。

私の現在の状況を振り返ると、いつも怒涛の一進一退です。善いことが起きると思って期待すると、すぐにそれが予期せぬことで叩き落されます。感情的には落ち込みますが、それでも人間万事塞翁が馬だからと粛々と初心を貫いていたらまた予期せぬことが起き偉大な恵みをいただきます。感情の起伏が激しい味わい深い体験ばかりの日々ですが、有難いことにその繰り返しによって謙虚でいられます。

私は今もずっと未熟で、どうしても謙虚でい続けることができません。心が揺さぶられ感動する分、感情も波立ちますから毎日は劇場のように物語が発生しています。しかしこうやってブログや日記、その他の内省の習慣の御蔭で少しは自分自身の心を守り続けることができています。

謙虚さというものの本質は、自分が恵まれていることに気づいていく感性のことをいうのかもしれません。

当たり前ではない、有難いことをどれだけ今、この瞬間に感謝しているか。私たちの日本語は、「有難う」という言葉の御蔭様で暮らしが潤います。多くの人たちとのご縁が広がるというのは、それだけ有難うという恵みをいただいているということでもあります。

皆さんの有難うの波紋が、お山に伝わり、そして世界に広がっていけるように真摯に自分の役割を全うしていきたいと思います。

ありがとうございます。

仁聞の徳

歴史を調べていると、文献にあるものと文献のないものの辿り方があります。本来、文字で歴史を残すというのは改ざんされたり全体が観えるものではなかっため、大勢の人たちの口伝、もしくは石碑や場の景色や風景、他には何かしらの目印を残していました。

以前、何がもっとも歴史として遺るかというものを調べた研究者がいて文字がもっとも早く失われ、その逆に長く遺ったものは言い伝え、歌や舞などの神事であったということを聞いたことがあります。

確かに文章や文字は、その時代の価値観を反映していますし記録はできても記憶は伝承できません。記憶を伝承するのが先で、それを理解するのに記録が必要ですから本末転倒になってしまいます。

私はもともと記憶を優先するタイプで、歴史を辿るときは直観的に必ずその場所に行き、その記憶を辿るための目印を探します。その目印は、時には石碑石像であったり、樹木であったり、場であったり、風景であったり、道具であったり、人々の伝承や伝説、文化や芸能であったりと多種多様です。

記憶というのは、一体どこにあるものなのか?

これは人の脳の中にあるものなのか、私は記憶は脳で理解するものではないと思っています。記憶は、五感や六感を通して直観するものであり、その記憶はいつまでも場に佇み、磨き上げたり澄ませるときに徳のように顕現してくるものだと感じています。

私が何か古いものを甦生するとき、心身を清め、場を磨きととのえ、その記憶にゆったりと心や耳を傾けていきます。つまり「聴く」のです。聴いていくと次第に、どうしてほしいか、何を出してほしいか、どれを引き継いでほしいかなど、篩にかけられた記憶が残っていきます。もしくは、じわりとにじみ出てくるように、太古からの複雑な記憶が集まってきます。

それをカタチにして甦生させるとき、人々はその記憶をはじめて実感することができるのです。いくら隠しても、いくら改ざんしても、本当にあったことはなくなることはありません。ただ忘れているだけです。忘れたものは、必ず思い出すことができます。それは脳で思い出せなくても、心は思い出すのです。

私が英彦山の甦生に取り組んでから、ますますそのむかしの記憶が蘇るご縁が増えてきています。そろそろ思い出す時機が来ていることを思い、できる限りの人たちにその記憶を伝播していきたいと思います。

古の記憶を心で聴いて子どもたちと歩んでいきたいと思います。

 

道具の役割

道具というのは使われるなかで磨かれていくものです。特に使い手が徳のある人物であったり、その目的が偉大であればあるほどに道具の質も変化していきます。これは道具の話でもありますが、人間の話でもあります。

人間も道具と同じように、何か天や神意に使われることで磨かれ偉大になっていくものです。尊敬して已まない方々をみると、みんな一様に何かに使われている感じがします。

それは自分が使っているのではなく、何かしらの偉大なものに使役しているのです。それをよく人は、「神懸かる」という言い方をします。この神懸かるという言葉は、辞書を引くと「計り知れない、神霊の仕業かとも思われるような様子を表す表現。」とあります。別の言い方では「神霊が人のからだに乗り移る。また、人が普通と違うようすになることにもたとえていう。」ともあります。

つまり使い手の意志が道具に乗り移りそのものになっているということです。

これは自分の身体でも同じではないかと思うのです。魂が宿っているのが自分の肉体ということであれば、その魂懸かるのが自分ということです。純粋であればあるほど、精神を研ぎ澄ますほどに自分の魂が外側に出てきます。

私の尊敬している新潟の方がまさにそのような方で魂が外に顕現しています。純粋さや純粋性を磨き切ると、人は神懸かるのかもしれません。

日本刀のような美しさもまた、その魂を磨いていく中でこそ味わえる境地です。

英彦山に関わっていると、私の中の純粋性が磨かれていくように感じます。お山の御蔭で今まで感じなかったこと、観えなかったことなども近づいてきています。少しでも恩返ししたい、お役に立ちたいと取り組めばさらに純粋性が高まります。

これから何が起きるのか、わかりませんが心を澄ませて、魂を研ぎ澄ませ、邪魔にならないように道具としての役割を果たしていきたいと思います。

甦生の心得

私は甦生の取り組むをする際、とても大切にしている心得のようなものがあります。それはそのものの持っている徳を感じるように取り組むことです。これは言い換えれば、ご縁を感じることに似ています。

自然はそれぞれにいのちがあり天命を生きています。それをそのままに尊重することで、その徳が出てきます。あるがままに活かすというか、ありのままにその時々のご縁を味わうような具合です。

そもそもご縁というものは、一期一会です。

二度とない組み合わせで、その時の記憶に刻まれていきます。これは物の組み合わせも、そしていのちの組み合わせも、その時々の絶妙なタイミングで発生してきます。

みんなその絶妙を生きている存在であり、そこに疑うものはありません。そしてその絶妙で顕れたご縁に対して、それを深く味わっていく方を優先していけばそのうちそのご縁がととのっていくのを感じます。

ご縁がととのうというのは、あるようにあり、なるようになり、あるがままになるというものです。これをある人は、待っているといい、またある人は、満ちるともいいます。

自我というものは、自分の思い通りにしようするものです。ではその反対は、思い通りにしないと通常は考えます。そうではなく、思っている以上の不思議な何かがあると信じるとき、自我合一し自然に想いと一体になります。

想いというものは、操作しているようで操作せず、自分があるようで自分ではない。まるで山のようで、まるで海のようで、まるで空気のように透明です。私たちたちは本来は、地球と一体になって暮らしていますから地球そのものともいえます。

私に与えられた天命とすべてを丸ごと受け容れて生きている方が、あまり執着もせず日々は豊かで楽しいものです。他人と比較せず、あまり持っているとか持っていないとか思わず、足るを知り、あるものを活かす方がみんなの天命に出会えるものです。

年度末で色々と周囲のスケジュールに巻き込まれてしまいますが、こういう時こそ、穏やかな暮らし、日々の暮らしフルネスを楽しんでいきたいと思います。

学友との出会い、新たな平和への挑戦

友人のヤマップの春山慶彦さんの協力で英彦山宿坊のクラウドファウンディングをすることになりました。春山さんとは、2年前に宗像国際環境会議の座談会を聴福庵で行った時からのご縁です。

その時を思い返せば、穏やかな佇まいで語り、静かな情熱と哲学、美意識を持っている行動力のある姿に感銘を受けたことを憶えています。そこから約2年、ご縁からの行動を共にしたり英彦山の甦生への取り組みを通してさらにその人柄をすばらしさを実感しました。

振り返れば、その時々に場に誠実に、そしてどんなことからも吸収し学びを深めようとする実直な姿勢がありました。また、山のような深い心をもち長い目で物事を観て矛盾を受け容れつつ今を楽しもうと挑戦をしています。本をよく読み、知識を得ますが同時にそれを社会にどのように還元しようかと常に思案をしています。これは2年かけての私の勝手な人物評ですが、まるで「懐かしい日本の青年」という感じでしょうか。

今、世界戦争の足音が次第に近づいてきています。

私は戦後生まれですから戦争を知りません。しかし知覧の特攻の話や、沖縄の話をその土地のおじいさんやおばあさんから口伝で聞いたり、遺ったお手紙や日記、取材の内容を読んでいるとその当時の日本の青年たちの姿が観えてきます。

その姿は事に及んで真っすぐで誠実、家族のために社会のために自分の使命を全うするために深く学び、そして笑い、苦労を惜しまず命を懸けて運命を受け容れ実直に駆け抜けています。その根底には、深い優しさや悲しみ、そして思いやりを感じます。

私たちの心には、誰が与えたかわかりませんが最初から「真心」というものがあります。その真心に気づき、真心を盡そうと生きるとき、日本人の懐かしい何かに触れていくように思います。きっと歴史の中の青年たちは、この真心を常に生きていたのではないかと私は思うのです。

時代は現代、平和が続いて半世紀以上経ちました。平和で物質的豊かな時代を生きた私たちは何か大切なものを忘れているのではないかということに気づき始めてきています。これからどのような選択をするのかを決めるためにも、私たちはその当時の日本人の願いや祈り、その想いを改めて今こそ思い出す必要があると私は思います。

今回の英彦山の宿坊の甦生は、かつての日本人の心のふるさとを思い出すための大切な象徴になると信じています。

子どもたちに、何を伝承していくことが真心なのか。それは時代時代の人々の真の生き方であることは間違いありません。身近な学友から生き方の素晴らしさを学び合い、磨き合うような出会いをし、新たな平和を築くための挑戦を続けていきたいと思います。

樽の伝承

伝統の堀池高菜をむかしの樽に本漬けしました。このむかしの樽は、隣町にある伝統の味噌屋さんの蔵や建物が解体されるときにいただいてきたものです。もう随分と長い間、味噌をつけていましたが機械化したり樽がプラスチックになったりして使われなくなったものです。

昨日、樽をもう一度綺麗に洗ってみるととてもしっかりとできており隙間もありません。水をはってあげると、出番に喜んでいるような気がして使っているこちらも嬉しくなりました。

そもそも樽の文化はいつがはじまりなのかはよくわかっていません。世界ではおよそ2000年前にケルト人が金属の箍で木の板を張り合わせた丸い樽を作ったのがその始まりともいわれています。

日本国内では鎌倉時代末期に生まれ、室町時代に酒造業などの醸造業の発展と共に急速に広まっていったともいわれています。木工技術でいう結物(ゆいもの)の代表が、この樽や桶です。なので桶や樽を結桶(ゆいおけ)・結樽(ゆいたる)と呼ぶ場合もあるそうです。

これは従来の曲物の桶や樽に比較して強度・密閉性・耐久性に優れ、酒や醤油・油・味噌・酢・塩など液体や水に溶けやすい物資を入れて輸送するのにもとても役立ったといわれます。

もともと桶は、杉や檜などの板を縦に並べて底をつけ、たがでしめた円筒形の容器のことです。そして樽は、同じく「たが」で締めた円筒状の桶の形と同じですが蓋(ふた)があってお酒やしょうゆなどの液体を持ち運ぶのに重宝しました。どちらかというと、発酵させるもの全般は桶よりも樽を用いられています。

この樽の語源は、「ものが垂れる」=「垂(た)り」からきているといわれます。樽という字は木偏(きへん)に尊(たっと)いの組み合わせでできています。つまり「神に捧げる尊い酒壺」という意味で、樽は「神に捧げる入れもの」だったそうです。

よく神社にいくと酒樽が奉納されていますが、まさにあれは樽そのものの本来の役割を見事に顕現している姿です。神様に捧げると思ったらそういう品のある自然の器を用意したいと思うものです。そうなると私ならやはり木樽になります。

大事に育ってくれた高菜だからこそ、その高菜を漬ける塩も、ウコンもそして樽も本物にしたいと思うようになるものです。そしてその樽を安置する場所も、ととのえて清浄にしたいと思うようになります。

よく私はこだわりが強いといわれますが、こだわりが強いのではなく当たり前のことをやっているだけです。当たり前のことがなくなってくるとすぐにそれがこだわりだといわれるものです。

丁寧に暮らしを結んでいくなかで、本来どのようなものが本物であったか。それは自然を尊敬し、日々を大切に丹精を籠めて生きていれば自ずから本物に近づいていくものです。

子どもたちにも本物に囲まれた暮らしを伝承していきたいと思います。

茅葺との出会い

英彦山の宿坊、守静坊の茅葺屋根の準備がはじまっています。そもそも茅葺屋根に繋がるまでのご縁を振り返ってみると不思議なご縁で今に至っていることに気づきます。

思い返せばこの茅葺との出会いは、4年前に故郷にある私が幼い頃から参拝している8体のお地蔵様の建屋を修繕することがはじまりです。このお地蔵さまは私のふるさとの88か所巡りに配置してある石像の一部ですが、コンクリートでつくられた建屋も40年以上たちだいぶ傷みが酷く、屋根などは鉄骨が錆びて崩れてきそうな状態になっていました。

そこでこの場所が山の麓の景観のよいところにあること、また美しい桜の木があること、他にも紫陽花や山茶花、紅葉、梅など年中美しい花を咲かせますからそれに相応しい建屋はなんだろうと考えた結果、茅葺屋根の地蔵堂を甦生させたいと思い茅葺職人を探していたところ出会ったのが今回、茅葺屋根を葺き替えることになった阿蘇茅葺工房の植田さんです。

植田さんには、事情を話し、なんとかやり替えたいと伝えてたらちょうどその時にお地蔵さんと植田さんも縁があって一緒にやりましょうと盛り上がりました。しかしその後、地域の色々な理由から茅葺をすることができないということになりその話は中断されました。

不思議なことに、そのお地蔵さんの建屋から坂をくださったところにある江戸時代から続く藁ぶき古民家を甦生することになり天井の内側の藁ぶきを修繕するということでお願いすることになりました。そこで使われていた古い藁は、他の場所にある色々な藁ぶきの古民家の修繕に再利用されて甦生しています。

そこから少し経って、今回の英彦山の宿坊を甦生することになり最後の仕上げに茅葺屋根をするということで決まり昨日から我が家に職人たち5名が泊まり込みながら英彦山に通い甦生していきます。

お地蔵さんのことがなければ、私はこの職人と出会っていません。そしてこのお地蔵さんの建屋を修繕するために連絡した方がだいぶ以前に離れてしまった親戚だったことがわかり今では一緒に徳積財団を設立し運営しています。

英彦山の宿坊も私の名前をつけていただいた霊仙寺の前住職さんの寺院の傍で同じ谷にあり、その宿坊も山伏研究の第一人者の先生のご自宅でした。共通するのは、150年前の歴史の空白を埋めようと努力され甦生させるために尽力してきた方々の想いがあるということです。

想いがリレーのようにつながり、私の所にたどり着きました。私はその想いをつなぎ今、英彦山から茅葺を使って懐かしい未来を甦生させていきます。

なぜ今、こうなったのか、なぜ今、これをやっているのかは色々な人たちの想いがつながって今に至っているからです。お地蔵さんも、宿坊もすべて信仰の想いを残してくださった先人たち、そしてそれを渡してくださった方々、さらに私と周囲の人たちが次世代へとつなげていこうという願いや祈りが形になっていくのでしょう。

子どもたちに伝道し伝承できるものを、自分なりに努めていきたいと思います。

知恵の本質

経験というものは知恵そのものです。人は経験をするという時点で知恵を得ているともいえます。経験をよく観察すればするほどに、そこには知恵が隠れていることがわかります。失敗をすることも成功をすることも、それは実はどちらでもよく大切なのはそこから何を学んだかということです。

この経験は、時間が経つことで観えてくる境地があります。経という字は、もともと縦軸の意味があります。つまり長い時間をかけて培われてきた知恵のことです。お経もひょっとしたら、その経の意味もあるのかもしれません。

そしてその縦軸の経験をじっくりと何回もその時々で観察してみる。すると、時間が経つにつれ、経験の質量が増えていくにつれ知恵が鮮明にかつ多面的に入ってくるようになるのです。

一つの小さな経験が、他の経験の助けにもなります。

よく一つを極めた人が、他でも極めていく道楽者の人たちをみかけますがこれはあらゆる経験から知恵を会得しその知恵によってまた別の道も達していくのです。先達というのは、あらゆる知恵を会得するような経験や体験を修練を積んで得た人です。

私たちは今、頭ばかりつかって知識を得ていますがそれで分別知は磨かれます。わかりやすく整理され、複雑な言語を使い分けまた新しい定義の言葉を産み出せます。しかし現実の世界では、現場がありますから場に真実が出てきます。

その場は、身体感覚や五感、そして直観や第六感などあらゆる全体を駆使して知恵を活用していかなければ物事を真に理解し全体と調和していくことができません。つまり知恵が必要になるということです。

子どもたちには、知恵を学ぶことの大切さを背中で伝えていきたいと思います。自分を信じて、経験をすること、観察すること、そして修練を積み、知恵を磨くことを伝承していきたいと思います。

平和のために

現在、ロシアとウクライナの戦争が激化してきて報道で一般人が大勢被災している映像が流れています。暴力というものは、どの時代にもありますが改めてそれを目の当たりにすると平和であることの大切さを思い出します。

平和とは、永遠に和み続けている状態のことです。

これは力で乱暴に何かを押し付けるのではなく、みんなで分け合い分かち合っているものです。誰かだけが富を独占したり、誰かだけが権力を維持したり、誰かだけが特別扱いされる環境ではなく、地球に一緒に生きる大切な仲間としてみんなで苦しみも喜びも仕合せも分かち合っている心がそのまま和んでいるということです。

差別せずいのちを尊重し、いのちを大切にする。いのちには違いがないからです。そのいのちを粗末にせず、いのちを乱暴に扱わない。これは地球の平和をさらに育てます。私たちに真の教育の意味があるのは、本来は人類が平和を司るための知恵なのです。

人類は傲慢になると謙虚さを失い戦争をします。戦争をしてまたいのちの有難さや大切さを学びます。本来は、わたしたちは小さな虫から植物、動物にいたるまであらゆるもののいのちを尊び、その寿命を大切に分かち合って暮らしてきました。伝統的な和の暮らしは私たちが傲慢にならない一つの仕組みであり知恵でした。

現在の教育は偏差値や成績ばかりで他と比較し競争させ、知識一辺倒で思い込みばかりを増やし仮想に偏っています。本当は、自然のなかで一人ではないことを知り、平和を学ぶのが教育の本義であったはずでそれが市場原理や経済優先の社会で蔑ろにされてきています。

そういう人が教育され大人になり社会にでて、平和を望むのか。むしろ孤立し戦争の温床をつくっているかとさえも思います。自分のいのちを大切にすること、自分以外のいのちもまた大切にすること。それをいつまでも忘れないようにみんなで平和を保とうとしたのが「暮らし」だったのでしょう。戦争は暮らしが破壊されるときにすでにはじまっているのです。戦争をする人の暮らしはほとんど破綻しているからです。

私が「暮らしフルネス」を提唱するのもまた永続する平和のためなのです。

日本人の親祖をはじめ先人たちもそれを知っていました。きっと戦争の苦しみのなかで必死に平和を生きる方法をみんなで悩み対話して考え抜きました。そこからみんなで一緒にお米作りをして藁ぶき屋根を葺き、自然の素材を最後まで大切に使い切るような意識でみんなでいのちをもったいないと寿命を丁寧に使い切ったのではないかと思うのです。これが子孫の平和と繁栄のためだと信じていたからでしょう。

今こそもっと長い目線、縦の歴史を学び直すことだと私は思います。

今、戦争が起きていますがもっとむかしも同じように戦争はありました。暴力で苦しんだなかで今の平和をつかみ取ってきました。それを忘れないというのは先人や先祖たちの願いや祈りを忘れないことではないでしょうか。仏壇や神社を拝むのも、私たちはその先祖の祈りや願いを受け継いでいる存在だからでしょう。

私たちに今できることは、ただの正義のぶつけ合いや正論の押し付け合いではありません。そして運動ではなく、「実践」が必要だと私は思うのです。その実践とは、何か、それは一人一人の暮らしをととのえていくことです。一人一人の暮らしから立て直すのです。

身近なことでも戦争は防ぐことができます。それは一人一人の小さな実践、1人の100歩よりも100人の一歩が大切だと思うのです。これ以上、戦争の犠牲者が増えないことを願い、子どもたちのためにも暮らしの実践を通して祈りをカタチにしていきたいと思います。