布施行の本質

昨日は、英彦山にある守静坊の甦生でまた多くの仲間や同志たちに見守られ大掃除や片づけ、木材を運び込むことができました。今回で5回目になりますが、いつも新しくご縁が結ばれた人が来てくださいます。本当に不思議で毎回、居心地よく明るく笑顔で豊かな時間をみんなと分かち合うことができています。

金銭での見返りもなく、大変な作業もある中でみんなで主体的に下座行に取り組んでいきます。この甦生中の宿坊は、もともとはお寺であり坊家であったからこそお布施で甦生すると覚悟して取り組んでいますが皆様の徳の行いや明徳に私自身が学び直すことばかりです。

もともと「お布施」というものは、仏陀の布施行がら来ている言葉です。この布施行には、法施と財施と無畏施の三種があるとそのあと分類されています。「法施」は、学んできた法を説いて実践を通して安心に導くこと。次に「財施」は、見返りを求めずお金や衣食などの物資を必要とする人に与えること。そして「無畏施」とは、恐怖しないでおそれずやろうという強い心、その勇気の背中で人々を安心させることです。

よく考えてみると、このお布施は他人に求めるものではないことはすぐにわかります。これは自分が実践する徳行であり修行なのです。よくお布施を集めるという言い方をしますが、これは金銭を集めることではありません。一緒に布施行を実践する人たちを集めるということです。

何を一緒に実践するのか、それがこの布施行の三種を代表に行います。さらに仏陀は布施の具体例に「無財の七施」ということをいいました。これは雑宝蔵経というものに記されています。

「身施」は、肉体による奉仕であり、心身を盡して布施行。「心施」は、思いやりの心を盡す布施行。「眼施」は、やさしきまなざしを盡していく布施行。「和顔施」、他人に柔和な笑顔を盡す布施行。「言施」はあたたかいぬくもりの言葉を盡すこと。「牀座施」は、自分の席を譲り尊重すること。そして「房舎施」家を提供しおもてなすこと。

他にも、布施行はたくさんあります。そのお布施をするのは自分自身であり他人がするのではありません。布施行を通して、自分を磨くのです。自分を磨くための方法として布施行がありその布施行が人々を菩薩にしていくということでしょう。托鉢というのは、つまり布施行を実践するということです。

山伏というのは在家で信仰していた人々だといわれます。私も特定の宗派宗教などはなく、尊敬している方々はたくさんいますが日本人としての伝統的な信仰心は持っています。気が付けば、多くの方々に支えられ見守られ、道を歩まさせていただいています。

今回の宿坊の甦生を通して、先人たちがどのようなお山での暮らしを営んできたのか、そしてどのように周囲の人々にお布施をしていたのか。学ばせていただいています。

人の捨てたものを拾いながら、一つ一つの我を捨てていく日々。

出会いとご縁に感謝しながら、残りの時間を大切に過ごしていきたいと思います。

 

初志と予祝

昨日は、無事に妙見神社の御祭と徳積財団設立2周年の座談会を盛況のままに開催することができました。コロナで人数を限定していましたが、心ある仲間たちが参加してくださり気持ちを一つに真暦での正月と予祝を過ごすことができました。

場にはその心地よい余韻がのこり、その余韻でまた夜も直会をして音楽を楽しみ時を忘れて仕合せを噛みしめていました。

思い返せば、もう25年くらい前に国際人とは何か、コスモポリタン、また地球を代表する人類として一体どう生きたらいいのかを模索していました。その頃も、東京の新宿で国際人会というものを私が立ち上げ有志のメンバーでどう生きるか、日本人としてどうあるべきかを語り合っていました。

そのころは、みんな若く情熱だけありましたが実力も時も定まっておらず必死でそれぞれ起業をしたてだったことと、他にも入社したてだったこともあり、気持ちだけで取り組んでいました。

あれからだいぶ経ち、気が付けば日本人とは何か、そして国際人とは何かということがもう身近にあり、今では実力も多少は追いつき、そして時が味方してくれているのを感じます。

初志はずっと変わらず、気がつけばその初志に合わせて人も物も物語も集まってきただけです。

私はこの集まってくるというものがとても多いタイプのようで、身近にはいつも本物や普遍的なものが集まってきます。志を共にする同志は、決して人だけではなく物や物語なども同じです。

たくさんの物語が集まってくると、それが集大成となり偉大な物語になっていきます。

人生は記憶を生きていますが、同時に歴史もつくっています。歴史は決して過ぎ去った過去のことではなく、今もこの瞬間も創られ続けています。どのような歴史を刻んでいくかはその人の生き方、そして信念、志が決めるのです。

他人をみて、他人のことを気にするのではなく、自己を省みて、自己を研ぎ澄まして本来の初心を忘れず初志を貫遂することが自分自身を生きることです。自分自身を生きるというのは、自らの「場」に物語を顕現させ続けることです。

出会いが場をつくるように、歴史が場を育てます。

じっくりと時を遊び、時を活かし、時を信じて、時が集まってくるまでその時を心静かに待ってみたいと思います。英彦山は、日本人の、いや世界人類の心の故郷として間もなく甦生します。

おめでとうござます。

本当の歴史、真実の暦

本日は、旧暦での正月となりいよいよ今年が真にスタートする日です。現在、新暦とか旧暦とかの言い方をしますがもっともここで大切なのは「本当の歴とは何か」ということです。

私は本当の歴である2月4日の正月に、当社の妙見神社(ブロックチェーン神社)を秩父神社と多田妙見宮から勧請して建立したのには深い意味があります。もともと御祭や大祭は一年の中でもっとも大切で重要な御祭りです。かねてからそれを本来の本質的な歴で行いたいという願いと祈りがありました。

先祖や先人たちがなぜもともとこの日にしたのか、なぜ一年のこの場面でこの行事が必要だったのかという記憶に実践をし心を研ぎ澄ますことで直観的にアクセスでき思い出すことができるからです。ある意味、この行事とか御祭りとは子孫たちがいつまでも忘れてはならない「初心を思い出す」ためにあります。この初心を思い出せば、あらゆる記憶や感覚が生まれ変わり新しくなります。神道ではこれを常若という言い方もします。親が子を産み、繁栄していくように繰り返していくなかで初心は伝承されていくのです。それが文化伝承の知恵でもあります。

今年は、午前中にはいつものように初心と甦生を重んじる例大祭を昨年一年の無事と繁栄の感謝をこめて執り行います。そして午後からは、本当の歴史を学び直すための座談会をそれぞれの歴史の道を歩まれる方々と共に語り合います。

そして徳とは何かということを、みんなで分かち合い、先人への感謝と子孫への祈りを共有します。ただの知識ではなく、そこには確かな歴史がありその歴史を私たちは刻み続けている存在であることを学び合うのです。

一年のはじまりに私はこの御祭と理念の共有をするのは、英彦山の予祝でもあります。英彦山がはじまり、このご縁がうまれ、そして甦生が勢いづいてきます。後になって感謝をするではなく、その目出度い吉報とご縁と、そして天命にみんなで先に喜びあうのです。

神様がそうしてくださっているように私たちは真心で取り組めたか、神様にお任せして信じて自分自身の至誠を盡すことができたか。これを先にみんなで覚悟を認め合うのです。

日本の生き方は、先人の真摯な命がけの歴史と共に醸成されてきた一つの大和魂です。素晴らしい一年がはじまることに感謝いたします。

おめでとうございます。

 

暦の知恵

今年は旧暦では2月1日が元旦になっています。これは二十四節気の雨水の前の新月が正月とするという天保暦に沿ったものです。この旧暦は太陽太陰暦のことをいいます。今は、新暦といって自然や季節とあまり関係がないものになっていますが、むかしは農業や漁業、そのほか、自然と調和して暮らしていましたから暦はそれを上手に取り入れるための一つの知恵でした。

例えば、太陽暦というのは太陽と地球の関係性を一年の周期でわかるようにしたものです。1年で365日というのは、今でもわかります。そして月の満ち欠けの周期は、1月で28日ですから少し短く1年354日になります。

もともと陰陽は、女性は陰で男性を陽で例えます。その男女のバランス、生命のリズム、またその持っている性質が備わっているともいえます。特に女性は生理も月の周期と深い関係があります。

私たちは、どのタイミングで生命を調和させていけばいいのかを太陽と月と地球の絶妙なバランスを直感しながら生きてきたともいえます。

つい頭でっかちに私たちは数字の便利な側面だけをみて、歴もただのスケジュールやイベントのように今では考えている人が増えているようにも思います。何かのイベントがある日は、そのイベントをやるという具合に、そこには季節や生命、また忘れていけない初心があるなどとは思ってもいないものです。

しかし実際には、二十四節気は自然の天候や運行とのリズムを観察したものであり、旧暦は太陽と月と地球のバランスとリズムを観察したものです。私たちの生命も体も、この地球の一部ですから確実に太陽や月、そして四季の変化の影響を大きく受けています。

その影響を活かすこともできれば、無視することもできますが自然に逆らうとバランスが崩れて不幸や災難が増え、自然と調和すれば自然体でも仕合せの機会が増えていくものです。

先人の生き方や知恵を学び直すことは、本来の私たちがどのようにこれから暮らしていけばいいのかのヒントを得ることです。なんだか働き方改革とか生き方がどうとか、SNSやテレビなどで最近言葉ばかりが流行っていますが本当は先人はどうしていたのかをもっと丁寧に学び直すことが肝要ではないかと私は思います。

実践をしながら、暮らしの豊かさを子どもたちに伝承していきたいと思います。

時勢と自然

時勢というものがあります。ある時、急に追い風が吹いてくるように流れが変わる感覚です。これは自然では季節の変わり目や、時間をかけて醸成してきた土が発酵してある瞬間から調和がはじまるようなものです。

これは自分のチカラではなく、何か天の時のチカラが入っているのを感じます。私も、今までの人生を振り返ると何をしても認められず向かい風でまったく前に進めないような状況の時もあれば、自分では無理もせずなにもしていないのに物事が前に進むような時があります。

つまりこの「時」というもの中に、その勢いがあるということです。これは時というものの存在自体が「自然」であるということを意味しています。

そして時勢が働き、自分の生き方が天の意志に叶うという瞬間には自然の加勢が入るということです。これを天の時ともいいます。

人は、偉大な使命や天命に従って己を盡していたら世間の評価は別として己に恥じないように精進することを常とします。それを武士道ともいい、日本には古来から生き方をして恥の文化がありました。侍といわれる人たちは、他人がどう評価しようが己の天命に生きようと志しました。

これは時代が変わっても関係がなく、今の時代にも侍はいます。私利私欲もなく、名誉欲もなく、死よりも大切なもの、つまり恩義や徳に生きようとする。それが侍でしょう。侍という字は、人と寺でできています。これは人であることを守るという意味でもあります。

この「人」というのは、単なる人間のことではありません。立派な人格を持った人間であることを守るという意味です。侍といえば、日本一の兵と天下に評され愛されている真田幸村がいます。

その真田幸村は、最後の戦で徳川家康から10万石で寝返るように声掛けされ、それを断り、その後、信濃一国ではどうかとも打診されます。しかしそれを十万石では不忠者にならぬが、一国では不忠者になるとお思いかと喝破し、その後にこんな言葉を遺しています。

「恩義を忘れ、私欲を貪り、人と呼べるか」

天下は統一され、それぞれが保身で身を寄せ合っているときに本来の侍の生き方を貫いたことでその名を後世にまで轟かせました。本来、武士といえど生き方はその人が決めることができます。そしてその生き方に天が味方することで、奇跡のような力を発揮していくように思います。そして「人の死すべき時至らば、潔く身を失いてこそ、勇士の本意なるべし」ともいいます。

孟子は「義をみてせざるは勇なきなり」と、義と勇が同質であることをいいます。吉田松陰は、「義は勇により行はれ、勇は義により長す」ともいいます。

人の心に生き続けるような生き方は、自然に合致した人の姿そのものです。古の言い方では、それを神人合一ともいいます。

時代が変わりますが、生き方はその時代時代で貫いた人たちは出続けます。今の時代は、刀で切りあったりすることはなくなりましたが、義に生きる人はいます。あとは、時勢が傾くまで粛々と地道に時を待つのみです。

子どもたちの未来につながる道にいてこの先の天命がどうなるのか、それはわかりませんが純粋な真心を保ち、日々に勇気を出して明徳を磨いていきたいと思います。

暦と徳

今週の金曜日、2月4日の立春に例大祭と徳積財団設立2周年記念イベントを行います。私は旧暦に合わせて暮らしのバランスを取っていますから、歴を遊び様々な取り組みをしています。

そもそも本来の暦は、月や太陽の運行に照らして自然と調和しながらその宇宙や地球の機智に合わせながら生きていく仕組みです。全体快適というか、自然との調和の中で暮らしていく方が無駄な力もいらずみんなで共生し支え合っていきますから合理的でシンプルです。

自然界を観察すれば、動植物はじめすべての生き物たちはこの自然暦に沿っていのちを永らえて繋いできました。雨が降る時期には雨を活用し、暑い時にはその暑さを活用する。それぞれのいのちのリズムをととのえながら、他の生き物たちと一緒一体になって自然と上手に力を貸しあい借り合いながらこの世の生を豊かに全うします。

自然と遊ぶのは暦と遊ぶことに似ています。私は旧暦で大事な感謝の行事に取り組みますが、新暦もまた遊び心で楽しみます。日本には古来から予祝の文化がありますから、この少しズレている暦もまた予祝にしてしまえば御蔭様と感謝の二回、その徳を味わうことができます。

例大祭は、毎年、同じことをやっていますがその時々で神様が喜ぶようなことが変わります。それはご縁と出会いが増えていくこと、弥栄といいますか繋がりが豊かになっていきますから回数を重ねるごとに面白く仕合せが増えていきます。そして直来もまた、その時々にいただいたご縁によって変わります。同じことをやっていますが、同じことは一度もなく毎回、この日が来るのが楽しみになっています。

それに今回は、徳積財団設立2周年ということもありまた徳について磨き深める時間が持てます。あっという間の2年でしたが、なんと濃い2年であったかと振り返ると感謝がこみ上げてきます。

むかしから、徳には陰徳というものと明徳というものがあります。

陰徳は見返りを求めずに、自分の真心を盡すこと。そして明徳は、そのものに備わっている使命を明らかにすること。徳は、この世で生きていく上での真の羅針盤であり、この暦と徳を学べば安心立命の境地に入ります。

子どもたちの未来のためにも、本来の生き方を、日本人の道を少しでも後世に繋いでいきたいと思います。

徳の回帰

大分県中津市本耶馬渓に「青の洞門」というものがあります。これは江戸時代、荒瀬井堰が造られたことによって山国川の水がせき止められ、樋田・青地区では川の水位が上がりました。そのため通行人は高い岩壁に作られ鉄の鎖を命綱にした大変危険な道を通ることでしかそこを渡れなくなっていました。

諸国巡礼の旅の途中に耶馬渓に立ち寄った禅海和尚が、この危険な道で人馬が命を落とすのを見て心を痛め、享保20年(1735年)から自力で岩壁を掘り始めたのがはじまりです。

この禅海和尚は最初は、自分一人で3年間ノミとで穴を掘りぬき、その後も托鉢勧進によって雇った石工たちとともに30年余り経った明和元年(1764)、全長342m(うちトンネル部分は144m)の洞門を完成させたという話です。その後は「人は4文、牛馬は8文」の通行料を徴収して工事の費用をもらうことにし、これが日本初の有料道路とも言われています。

私はこの青の洞門に深く心が支えられていることがあります。周囲の誤解で事を邪魔されたり、すべてをひっくり返されるような出来事に出会う時、また一人でコツコツと地道に取り組んでいる最中など、ふとこの禅海和尚のことをいつも思い出し徳を偲ぶのです。

人は、あまりにも偉大なことを発想したり、あまりにも遠大なことに取り組もうとすると周囲から必ず誤解されたり疑われたり、変人や狂人扱いをされるものです。一生懸命それを何度も説明しても誰も本気にはせず、言い訳の一つやもしくは何か裏があるのだろうと思われたりもします。私の人生はいま振り返るとそんなことばかりの連続でした。不可能と思えることや、意味がないといわれることに取り組んでいくことは陰徳のようでそれを誰かに認められたいからなどの気持ちは入りません。でも人は人とあまりにも違う人をみると好奇な目もあり社会秩序などが気になってしまい黙ってはいられないのでしょう。

私の場合は、今まであまり目立たずにこっそりとひっそりとそっとしてもらいながら取り組んでいくように心がけていきました。時折、周囲が盛り上げて運動にしようとされますがそれがいつも返ってそれぞれの我欲望の養分になって大きな邪魔になってしまうことが多く、結局は静かに実践する人たちと穏やかに取り組んだ方が安心して結果が出るまでが早かったりするからです。

人は真の意味で人を信じることができるとき、本当の意味の支援や協力をしてくれるようになります。誤解されたり、いつまでも理解されないのは、まだ自分の真心が人々が信じるほどではないのだと諦めて真摯に取り組むしかありません。

この青の洞門は、そういう意味では私たちが真に徳を積むためのお手本であり模範です。この取り組みをベンチマークして学び、取り組むことで私たちはこの先人の智慧を活かしこの国も人々の心も甦生させていくことができると私は思うのです。

この禅海和尚は、初心を定めてから3年間はまずは一人で掘り続けました。すると3年目にしてはじめてお手伝いしてくれる人が現れ一緒に掘り始めます。その後は、一人二人と協力が現れみんなで掘り始める。今度は、石工たちに費用が払えるように托鉢が広がっていきます。最後は、有料道路にして通行料をとってそれを掘り修繕するための費用にします。この流れで、トンネルが掘られたのです。そしてこの景観と遺徳後世まで守るためにと、福沢諭吉が周囲の土地を買い取り守ります。その後は羅漢寺と共に、現代の資本主義の台風をいわばでしのぎながらも嫋やかにその陰徳を顕彰し続けるために維持します。そしていつまでも多くの人たちが訪れてその価値を学び続けます。それが私のように志を守る勇気をいただく原動力となって心にいつまでも徳が掘り続けられていくのです。

これは一つの真実であり、甦生やコンサルティングのもっとも王道のカタチです。

現在、英彦山の甦生に取り組んでいますが私がいつも心に抱いて見本にしているのはこの禅海和尚の志の貫徹する実践の姿です。信仰というものの本当のチカラは、人々の心に徳を回帰させていくことです。

徳が回帰すれば、人々はその偉大なことをいつまでも学びそれを世の中を導く原動力にしていきます。ひょっとしたら福沢諭吉にもこの禅海和尚は偉大な影響を与えたかもしれません。子どもたちは、このような遺徳が養分になり健康に成長していきます。

1000年後の未来のために、逆算して今、何をすべきかをこれからも真摯に取り組んでいきたいと思います。

 

甦生の心得

現在、宿坊に使う古材を探しています。もともと古い宿坊なのですが、昭和の頃のリフォームなどで色々なところが改造されています。それを元に戻し、本来の役割の場に回帰するにはその当時の時代に合ったもので甦生させていくのが私のやり方です。

時というものは、一緒に流れていますからそこに古いものと新しいものが産まれます。全部を古くする必要はありませんが、その肝心かなめの場所には相応の品格が必要になります。

例えば、床の間というもの。他には、仏壇、そして重要な柱などはその場を司る神様の舞台のようなものです。私の場合は、その場の中心になるものを必ず探して配置していきます。それもご縁で辿るという具合に、そこに相応しい物語が必要になるのです。

現在では、古いものは価値がなくなり捨てられていく大量消費の時代ですがそのうち資源がなくなれば奪うように古いものを手に入れようと競争する時代も来るでしょう。人間というものは、有り余れば捨て、希少価値になって拾おうとします。本当は、本物を大切にするという普遍的な感性を持っていればすべてのものをもったいないと感じることができると思います。失ってはじめて、その当たり前にあったものの有難さに気づくというのはわかっていてもこの消費文明の環境の中にいたらなかなか難しいものです。

私が古民家甦生で取り組んでいることの一つは、子どもに本物を遺すことです。その本物とは、真の豊かさ、真の仕合せ、真の価値、真の意味、真の姿、真の道です。こういうものは、先人が大切に智慧として繋いできたものの中にこそあります。

宿坊には、まだその余韻がいくつか遺っておりこれらを拾い集めて磨き上げてそのむかしからの場を甦生していきます。

家との対話は、家から学び直すことです。私たちは、ずっと場から学ぶのです。その場の学びをどうこの時代に甦生するかが、真の意味での建築だと私は思います。私は、設計士でも建築士でもありませんが場を創る人です。そしてその場の中に入り、舞台をととのえていく人でもあります。

家が育つように、人も育ちます。そしてその家も人も、時機がくれば必ず原点回帰します。その原点回帰に関われたことはとても仕合せなことです。その時に取り組んだ先人が大事にしたものに恥ずかしくないように、丁寧に真心を籠めて甦生をしていきたいと思います。

備忘録1

私が日ごろ思っていることをいくつか文章にしてみたものがあります。これは暮らしフルネス™を体験した時に、言葉にするときに使うものです。他にも膨大にありますが、シンプルにいえば「本当の暮らしは徳を積む中にある」というのが私が実践しているものです。

私のいるこの場を磨く、そしてこの場が世界になっていきます。子どもたちのためのもこの場から世の中がさらに平和に、仕合せになってほしいと祈ります。

「1000年後から今をみて、子どもに残したい未来をやるのが暮らしの本質」

「感謝の日々は、行事に出てる、暮らしの中に、手入れの中に。」

「古いものではなく、つないできたもの、いきているもの、本物。」

「自然から離れるのではなく、自然の一部として生きる、それが私たちの心と身体をととのえる。」

「火をみる、水をさわる、風を感じる、この感性が,幸せと豊かさをつくっている」

「すべてはご縁であつまってくる、シンクロニシティとセレンビテイ、人生も家も集大成である」

「甦生とは、いのちを壊さないこと。いつまでも寿命をのばしつづけること、いのちを最後までいかしつづけること」

「温故知新、新しいものと古いもの、そのバランスを保つことがハイブリッド。ほんとうの最先端である。」

「伝統とは、世代を超えてつないでいくもの。遺志とはつながれるほどに強くなり、そして輝くもの。連綿と伝承してこそ、知恵になる。」

「感謝で暮らすことが本物の信仰、これは宗教ではなく道である。暮らしそのものが信仰なのが日本人なのです。」

「畢竟、自分をととのえることが世界を平和にする。他人のせいではなく、自分が主人公として暮らしをととのえること。これはガンジーの非暴力や、マザーテレサの愛を与えると同じ。感謝でととのえることが平和をつくる。」

「時間をモノのように扱わず、いのちとして扱い大切にする。みんなのいのちが集まっている、ここに一期一会の場が誕生する。」

「懐かしい未来とは、普遍的な暮らしのこと。人類の真の幸福のこと。これは徳を積むことでしか得られない。」

色々と、これからも実践から誕生している語録を備忘録として綴っていきたいと思います。

終始のご縁

何がきっかけで物事がはじまったのかを振り返ってみると、そのはじまりのきっかけの中にそのご縁がどのようなご縁だったのかが観えてくるものです。今振り返ると不思議で、みんな誰もがはじめて出会ったときにはその後にどのようなことが発生するのかがわかりません。

わかるとしたら直観的に幸不幸の予感があるくらいですこのご縁には、ずっと一緒に長く旅を伴にする人もいればバトンを渡すときに一瞬だけのご縁の人。あとは、すれ違っていくようなご縁の人。人生を丸ごと変えてしまうようなご縁もあります。しかし、よくよく味わってみるとあの時のあの出会いとご縁は必然だったのだとも感じるのです。

それをどう大切にするかは、その人の感性に由ります。感性が優れている人は、ご縁の持つ偉大な存在に気づいています。一期一会に、ご縁を大切にしそこに宿しているメッセージを受け取りそのものとのご縁を集めていきます。

どのようにご縁を集めて一つの人生を完成させていくのか、それが人が生きていくことの証です。そう思うと今も私の人生はご縁を集めることだけです。

これまでもただ大切にずっと集めてきました、そしてこれからも遺りを集めていきます。よく集大成という言い方をしますが、人生はご縁が積み重なり結び合いできあがります。今、私たちの目の前にあるものすべて、それは石や木、そして生命体に至るまでそのすべては集大成の今のカタチなのです。

ご縁はまだまだ無限に続き、まだまだ集め続けます。しかし、人生は死を迎えるとそれが逆行していくように感じます。つまり集大成からまたはじまるのです。まるで終わりがはじまりのようにです。

はじまりのご縁を感じるときに何かが終わることを感じる。つまりはじまりと終わりのご縁は同時に行われているということです。その終始こそご縁の本体であり、終わるようではじまり、はじまってるようで終わっていく。まさにご縁というのは永遠の循環です。

だからこそ私たちはその一瞬のご縁を「大切にしたか」が問われるのです。

大切にするからこそご縁は活きるのであり、ご縁を活かす人は「大切にしていくことを忘れない」のです。時間は、その大切にする意味を思い出させるための産み出した人類の道具なのです。まだ言葉のない時代、何も知識がない時代に、私たち人類はそこに気づきこの世に時間を創造したのではないかと私は思います。

人生は一度きり、そして永遠なのです。

日々の社会通念や常識に流されてしまいますが、いのちの持つ意味を忘れずに子どもたちに先人からのいのりを伝道し生きるチカラを伝承していきたいと思います。