法灯と宝珠

英彦山にある霊泉寺の本堂向かって右側の宝珠一帯の木材が雨により傷み壊れていたので修繕を報謝させていただくご縁がありました。こういう機会をいただけたことに深く感謝しています。

この霊泉寺を調べると、英彦山修験のはじまりだといわれます。幕末に修験道は神仏習合で信仰を禁止され一気に廃れていきました。この霊泉寺は、元々の英彦山修験のはじまりであった霊仙寺の法灯を継ぎ昭和30年(1955)復興、そして平成元年(1989)には本堂や寺務所、庫裡が完成したとあります。

元々は英彦山は北魏の善正という僧が531年に英彦山内の洞窟に籠り、修行して仏教を広めたことがはじまりです。この時期は日本に正式に仏教が伝えられるよりも7年前ということになり、日本の仏教のはじまりはこの英彦山ではないかといわれます。この善正法師は最初は大宰府に来て仏法を弘めようとしましたが光が日子山にさすのを見て、山中の石窟にこもりその時機まで待つと決め修行をしたことがはじまりです。そして豊後の恒雄という猟師が善正に弟子入りし「忍辱」と名乗り英彦山修験が興ります。

この場所が、現在の玉屋神社がある玉屋窟です。この窟で忍辱は一心不乱に修行を積んで、如意の宝珠(世の中の人々を救うために役立つ不思議な力を持つ珠)を授かります。その珠は窟の奥から小さな倶梨伽羅(竜)が口にくわえて細い水の流れにのって現れたそうです。その珠が出現したことから、それまで般若窟と呼んでいましたがそれを改めて、玉屋窟と呼ばれるようになりました。この霊泉は今でも現存して滾々と湧いています。

その後、有名な修験宗開祖の役小角もここで修行したとされ、以後も義覚・義玄・義真・寿元・芳元(五代山伏)などが続きます。さらに弘仁10年(819)以降、宇佐出身の「法蓮」という行者が堂宇、伽藍、社殿などを造営し、霊山寺と名付けます。

この霊山寺という名前が霊仙寺になるのは弘仁13(822)年、嵯峨天皇より、「日子を改めて彦となし、霊山を霊仙に改め、四方七里を寺の財産とし、比叡山に準じ3千の僧を置き、天台の教えを学ばしめ、70州を鎮めて海宇の豊かなることを祈れ」とお言葉をいただいてからです。そこから900年間、英彦山はますます荘厳になりその信仰圏は九州一円、40万戸にも及んだともいわれます。元禄9年(1696)、英彦山は幕府により別本山と定められます。そして霊仙寺は江戸中期には坊舎800、山伏ら僧衆3000を数えるほどだったともあります。

今ではその霊仙寺は名前を変えて法灯を継ぎ霊泉寺となり玉屋窟から銅の鳥居に場所を移動させこの先にまた興るであろう未来の時機をじっと待ち、この先の修験道や山伏たちの御縁を見守っています。私は、時空や時間を旅をするのが好きですから約1500年以上の月日をその場で味わい、その中でどのような方々がここで暮らし、そして生きたのかに想いを馳せては徳を感じ心を潤します。

現在でも「不滅の法灯」といって比叡山延暦寺で最澄が御本尊の前に灯して以来、1200年間一度も消えることなく灯され続けている明かりがあります。今でもその灯りを道を継いだ志のある方々が偉大であり、その光はいつまでも心を照らします。

この英彦山には、宝珠がありそして法灯があります。

甦生させていくというのは、言い換えるのならこの法灯を守り宝珠を使うことです。私がさせていただけるのはどこまでかはわかりませんが、心の声に従って使命を果たしていきたいと思います。

 

プラットフォームの意味

プラットフォーム(platform)という言葉があります。これはIT用語としては、アプリケーションやソフトウェアが動作するための土台を指します。一般的には、モノやサービスなどがつながる場とも定義されます。そもそも「プラットフォーム」の語源の原義は「一段高くなった平らなところ」という意味です。この原義から「プラットフォーム」の別の意味が生まれていったといいます。

これを日本で考えてみると今では「舞台」が近いように思います。そしてそれは別の言い方では「場」とも言います。どのような場になっているか、そこに○○プラットフォームという言い方をするようになったのではないかと思います。

私の考えているプラットフォームは「繋がる場」ということになります。どのような繋がる場を用意するか、場に繋がる環境を整えていくか、そこにプラットフォームを創造し磨いていく面白さがあります。

つまりプラットフォームを提供するというのと、場を提供するというのは同義であるように思います。

私は場の道場を運営していますが、場づくりと場の提供こそ道の本質となります。どのような道を歩んでいくかを設定していくにもこの「場」の提供は欠かすことはできません。

何かをやり遂げたいと思うと、まずは「場」を産み出すこと。そしてその「場」を通して繋がること、さらにその「場」を結び合うこと。これによって場と道は実践され永続的に循環されていきます。

この「場」とは、先ほどの「プラットフォーム」であり、こういうものを具体的なアナログでの場で実現させるのと同時にデジタルの空間の中にプラットフォームを実現させようと試みているのが今の私の取り組みということになります。

人類はこれからどのような場を創造しくかにかかっていて、そこには理想や哲学や初心が入っているものでありその価値観を結び合わせて居場所をどう醸成していくかにかかっているのです。

そしてそこには、自己組織といったDAOの考え方、またスマートコントラクトといった透明性、ブロックチェーンの持っている特性が活かせるのです。そして私は世界に古来からある「徳」に着目し、徳を循環させることでいのちもまた甦生していくことを発見しました。

私が実現したいプラットフォームは、徳のプラットフォームであることはこのブログでもたびたび発信してきたものです。古民家甦生もまたその場の創造をアナログで実現してきたもの、そしてこれからデジタルで場を創造していきます。

ハイブリッドに取り組むのは、暮らしフルネス™を創造して提供しています。子どもたちのために、未来の世代のために挑戦を続けていきたいと思います。

素直さの意味

人間はみんな我があるものです。この我とは、一つは欲であり一つは情です。他にも細かく言えば我ばかりですがその我があるから真実や本質が見えにくくなっていきます。なぜこうなっているのかと、真摯に洗い清めて透明になるまで磨き上げていけば真実は見えやすくなりますがその間に様々な穢れがこびりついてきますからどうにも本当のことがわからなくなります。

そうなると、人は「素直」であることができません。素直というのは、単に従順になることではないことはすぐにわかります。他にも、ただ性格が良いことだけを言うのではないこともすぐにわかります。

素直さというのは、ある意味で無の境地であり、謙虚に我が省かれている状態であり、何か偉大な自然と直につながり直観が働いている心境であったりのことです。

つまり何物にも囚われない澄んだ心の姿勢の時こそ、人は素直になっていると言えます。人の話が素直に聴けるというのは、人の言うことを単に逆らわずに聞くことではなく心が澄んだ状態であるがままのことを聴けるということです。

よく他人に質問して何かを訊いているのに話をまったく素直に聞かない人がいます。それは自分の我があるからですが、素直ではない状態だから訊かないのはすぐにわかります。自分自身の心が澄まないので、澄ませていきたいと思って訊くのならその人は謙虚ですから素直に近づいていくこともできるかもしれません。

しかし最初から我が強く出て自分の思い通りにしたいと思っているのもがあるのなら、本当のことを素直に直観できる感覚はそこで働いていないと私は感じます。

素直さというものは、直観力であり、そして浄化力であり、研磨力でもあります。どれだけ研ぎ澄ましていくか、そして洗い流していくか、心を清らかにして真実を明らかにしていくかというものであろうと思うのです。

素直にいきましょうと声掛けするのは、お互いに心を澄ましていきましょうという掛け声をすることです。みんなが素直になるのなら、本当のことがわかり本質のままにお互いに協働して助け合い、清々しく明るく物事に取り組むことができます。

つまり素直にという意味は、「清々しく明るく」いましょうということだと私は思います。人間は、常に相手がどうかではなく自分が澄んでいることが重要です。そうでばければ、この世にいて本当に起きている事象や出来事、ご縁を理解していくことができなくなるからです。

日々の喧騒や荒波、濁流の中であっても深海のような静けさ、水面の鏡のような美しさを保ちたいと思います。子どもたちのためにも、むかしからある日本人の智慧を伝承していきたいと思います。

農泊の本質

以前、ヨーロッパに滞在していたときにドイツで民泊を体験したことがあります。そこは、年老いた夫婦がかつて息子がいた部屋を旅行者に開放していました。表看板に「部屋がある」と書かれた表札がかけられておりそこで交渉して泊まります。簡単な食事も提供されていて、ゆったりと過ごしたことを憶えています。

他にもフランスやイタリアで同様に田舎の民泊を体験しましたが、どれもその土地に相応しい人と、相応しい料理、風景、そして文化を体験できるものでした。その土地での体験はいつまでも心身に沁みこみ、懐かしい思い出になっています。

思い返せば、あれは単なる経済効果を狙ってやっていることではありませんでした。あれは、地域を守り、古民家を守り、暮らしを守るためにそれぞれが自分のできることで精いっぱい努力している人々の姿でありその故郷を子孫のために大切にしたいと願う思いの結晶であったように思います。

日本では、すぐに金儲けの手段としての●●というように何か西洋から持ってきてはそれを真似して広めます。そして流行らなくなればすぐにやめては、別の金儲けをはじめます。そのうち、その地域は疲弊してきてさらに廃屋が増え、文化が途切れ、子どもたちは離れ、そして過疎地のように荒れていきます。

経済効果ばかりを追いかけているうちにミニ東京やミニ都会の考え方を田舎に持ち込み、そのうち田舎の善さも消失していくのです。これは、ヨーロッパと日本の文化の違いとかではなく単に古いものや伝統文化に対する意識の差があるだけのことです。

古民家などもヨーロッパではとても大切にされます。特に古い土地、風土、家はその地域の文化の象徴でもありいつまでも子どもたちに遺していきたいと思っている風景です。

その風景を守ろうという取り組むの中に、農泊、グリーンツーリズムがあり地域の人たちの真摯な取り組みがあります。いつまでも故郷を大切にしたいという思いが人々をその地域に集め、同じように故郷を見守り続けたいという人たちが立ち上がってそこに仲間ができていくのです。

私が見てきたヨーロッパの農泊には理念がその地域にありました。どんな地域にしたいという願い、それは本来、どの自治体でも持つべきもののはずです。しかしそれを実践に移そうとすると、ないものねだりばかりして何もできていません。その理由はほとんどがお金になっています。

私はお金で古民家を甦生しているのではなく、お金で暮らしを甦生しているわけではありません。子どもたちに何を譲り遺していくのかを考えたとき、故郷を甦生させていつまでもこの故郷を大切にして見守りたいと願い投資していくのです。

この投資は、世間一般のお金儲けのための投資ではなくまさに未来、子孫への投資です。これを徳積みという人もいますが、むかしの人たちは当たり前にみんな行っていたことです。

自分のことしか考えないといった部分最適では、結果的に自分も破滅してしまいます。全体快適といって、自分が損をしても全体のためにと投資したならそれが長い年月を経て子孫や、そこで暮らす人たちのためになっていくのです。

そういうものに投資できる人というのは、実はとても幸せなことです。なぜなら、自分が今あるのは先人たちの投資の御蔭であることに気づけるからでありそうやってみんな守られてきたことを実感し感謝に生きていくことができるからです。

誰でも廃屋、廃村にならないように取り組もうとするその志、そして生き方を選択する人が出るのならその地域は必ず復興し復活します。要はその初志初心を貫けるかどうかということでしょう。

子どもたちにいつまでも伝統文化や暮らし、その土地や人々の歴史の徳が守られるように脚下の実践を積み上げていきたいと思います。

働き合いの豊かさ

昨日、藁ぶきの古民家で結友と集まりみんなで古民家甦生の仕上げ作業を行いました。具体的には、梁や建具の水拭きと乾拭き。その後に蜜蝋を塗り磨きます。また一部、床板などを柿渋、渋墨、弁柄などで塗装します。他には、外は砂利を敷いたり、犬走をつくったり、創作竹垣を設置したり、桟のところの柿渋塗をやりました。

久しぶりに大勢で作業をしましたが、最初から関わってくださっている結友仲間が増えて関係で一致団結してまるで熟練のチームのように取り組むことができました。みんなで集中して作業をしながら、この豊かさをもっと味わっていたい気持ちになりました。

人は、みんなで協力し合って何か一つのことを成し遂げようとするときそこには不思議なつながりや結束が産まれます。みんなで助け合って何かをするというのは、心身共に健やかなことであり私たちは仕合せを感じるものです。

自分のやったことがみんなのためになっていく、自分の役割がみんなにとっても大事な存在になっていく、そして見返りを求めずに真摯に小我を超えて大我のために尽くしていくことに深い喜びを感じることができるように思うのです。

それは単なる仕事ではなく、まさに一人一人の働きであり、その働きが一緒に協力しあうことによって報われていくのです。働きに対して、働きで返す。働き合いともいうべきこの結は何か懐かしいものをみんな感じるのです。

それはきっと長い間忘れていた記憶、むかしむかし長い期間にずっと私たちはそうやって暮らしをしてきたことを思い出しているのかもしれません。

暮らしは、働き合いによってはじめて豊かになります。お金がたくさんあるから豊かなのではなく、一緒に働くから豊かなのです。かつての日本人は働くことを奴隷の労働や使役義務などとは思ってはいなかったといいます。海外から来た異国人たちは一応に日本人はみんなニコニコして働き、仕合せそうだったというのです。

それはまさに単なる仕事をしていたのではなく、みんなで働く仕合せを味わっていたからだと私は思います。

現代は、精神的な病気、孤独や自殺なども増えています。これだけ金銭的にも物資知的にも豊かになっていますが、本来の豊かさとは程遠い心の苦しみを感じる人が増えているのです。それはきっと、このみんなで働く仕合せを忘れたからかもしれません。言い換えれば、暮らしができなくなってきたのです。

私の言う、暮らしフルネス™はこの真の豊かさを甦生させていくことが要です。子どもたちのためにも、いつまでも変わらない働き合いの豊かさを伝承していきたいと思います。

感受性を磨く

人間には感性というものがあります。辞書には「物事を心に深く感じ取る働き」とあります。この感性というものの正体は一体何なのか。私たちは生きる目的=初心ということと向き合うとき、この感性を磨くことの大切さに改めて気付くように思います。

例えば、日々は誰にしろ訪れ、同じように24時間をかけて過ぎていきます。しかし、その一日をどのように感受するのかは人によって全く異なります。これは同じ環境、同じ状況、同じ体験をしたとしてもです。それだけ人は感性によって人生が異なっているともいえます。

私は毎日、何らかの事件が発生して何もない日はないほどに様々なことが発生するタイプのようで周囲にいる人たちは一緒に過ごすと大変だとよく言われます。確かに、自分でもよくもこんなにいろいろなことが発生するものだと感心するのですがこれは感性によって無意識下によって行われているもののように思います。近くにいることで周囲の人も感性が増幅するのかもしれません。

つまり感性が磨かれているからさらにその感受性が豊かになっていったということでもあります。そうすると、次第に学びや心のメッセージに向かって自ずから深く体験をするような出来事をますます呼び寄せていくのです。

人間は誰でも自分がこの世で体験したいと思っていることを自ずから実践することで感受性を高めていきます。それは言い換えれば、何のために生きるのかということを突き詰めていくことに似ています。

日々に何のために生きるのかと向き合う人は、次第に感受性が高まっていきます。そうすると、自分の運命や宿命、そして目的や本質に気づきやすくなっていきます。そして初心を持つようになり、その初心に帰るたびにアンテナが研ぎ澄まされ立っていきます。

その初心のアンテナが磨かれていけば感受する力もまた同時に高まっていきます。そうすると、自分の初心に適うものはどんなに僅かなものでもすべて受け取れるようになっていきます。すると次第に自分の人生に必要なことをすべて自覚でき、その意味付けをすることでさらに体験が濃く深くなっていくのです。

特段、テレビや映画やドラマで見かけるような激しい事件でなくても日々の微細なことまですべて事件のようにダイナミックに感受できるようになるのです。これが感受性が豊かになっていくということでしょう。

感受性とは、つまりその人の初心を自覚する力ということです。

子どものころにもって生まれた感受性がつぶされてしまうとなかなか元に戻らなくなっていきます。教育をはじめ刷り込みによって子どもたちは本来の感受性に蓋をされ貧しい感性に仕立てられていることもあります。

子どもたちが感受性を思い出せるよう、初心を伝承していきたいと思います。

喜捨の意味

喜捨(きしゃ)という禅語があります。これは仏陀の慈悲喜捨からの言葉であるとも言われます。他にもイスラム教などでも似たような言葉があるといいます。喜と捨てるという字の組み合わせですから、なぜ喜びを捨てるのかと思う人もいるかもしれません。

本当は私には、「喜=捨」ということ。つまり喜ぶことが捨てることであり、捨てることこそ喜ぶことだということだと解釈しています。

人は、自分が喜ぶことで他者やみんなが喜ぶことができるのならそれは至上の喜びであり徳であると思います。徳を積むというのは、自分自身が喜んでいることであり、それが相手の喜びになっているという自他一体の境地を実感できるということです。

自然は常に自他一体であり、それぞれのいのちが精いっぱい生きて喜ぶとき、自然界全体のいのちも同時に喜びます。つまりこの喜ぶというのは、いつも自分が仕合せを感じているのであり、その仕合せの中にいて喜びに満ちているという心境です。「ああ、これでいい、ああ、これで善かった」と心の声に従って自分自身が仕合せであることを噛みしめていくこと。まさにその中にこそ、喜捨の精神があるように思います。

決して自己犠牲をすることが良いことではなく、誰かのために自分は我慢することがいいことではないのです。自分の喜びを高めて磨いていけば、それが自ずから誰かの豊かさに貢献していく。つまり徳が循環するようになっていくのです。

そしてもう一つの捨てるという言葉。これは何を捨てたのか、それは自分、我慢です。仏教では「自分を高くみて、他人を軽んじる心」とも言われます。つまり自意識であり自分が特別な存在というように自分というものを勝手に自己認識してつくりだしているものです。自然界では、自分というものはなく万物が一体に存在しています。名前もなく、私はあなたであり、あなたは私です。もちろん役割というものがありますが、どれも平等にいのちは存在します。

自分の慢心や高慢な心は、自分というものを超えた存在を意識して自分の我欲を捨てていくときに磨かれていきます。つまり自分さえよければいいという慢心を捨てるときに私たちは仕合せを感じることができるのです。世の中には、一緒に生きてともに支え合い助け合う仲間がいます。離れていても、会ったことがなくても、そして直接的に関係がなかったにせよ、魂や心で結ばれている存在というものもあります。言い換えれば、先祖のつながりであったり、何かを介して同じ目的のために生きたことがある同志や朋友だったりもします。

そういう人と繋がり結ばれていると実感することで、一人ではないことに気づき、みんなの仕合せを実感するのです。その時、私たちはあらゆるものが手放せるようになります。その最初に手放すのが自分自身の我欲なのでしょう。欲が問題ではなく、我が問題であり大欲は無私であるように小さな我を手放すのです。

この小さな我とは、目先のことであるのは間違いありません。

長い目で、広い視野で、歴史を見通し、本来のあるべきもののためにいのちを活かそうとする。それは徳に目覚め徳に生きるということでしょう。

子どもたちのために、一緒に生きる仲間がいることに私も喜捨の精神を学びました。この志や応援を心に抱え、さらなる徳を磨くための挑戦を皆さんと一緒に続けていきたいと思います。

ありがとうございました。

参道の甦生

先日、福岡にある英彦山の参道を歩いて社殿まで訪問する機会がありました。雨が上がったすぐ後だったので、濡れた石や岩、そして砂利から清浄な雰囲気が醸し出していました。

雨垂れによって、石のあちこちに小さな穴がありました。長い年月をかけて、木から滴ってくる雫が石に落ちることでこれらはでてきます。参道は、長い年月を経た美しさに満ちており参拝する往来で私たちは悠久の歴史を感じ、自然の持つ壮大な営みに触れて様々な執着が取り払われていくようにも思います。

参道でウィキペディアを調べるとこうあります。

「参道にある灯籠、常夜灯はもともとは仏教寺院のものであり、平安時代以降、神社にも浸透したものである。また参道に敷かれる玉砂利は、玉が「たましい(魂)」「みたま(御霊)」「美しい」という意を持ち、砂利は「さざれ(細石)」の意を持ち、その場を清浄する意味を持っている。敷くことによってその場所を祓い清める意味があり、なお参道を進み清浄な石を踏みしめて本殿に進むことによって、汚れた身を清め心を鎮めて、最高の状態で祈りが出来るようにしてある」

この参道という仕組みは、とても大切な智慧であるように私は思います。目的地についていきなり参拝ではなく、そこまでの道を歩かせるという智慧です。

私たちの人生は、歩くことと似ていて目的地に向けて自分の足で一歩一歩と進んでいきます。乗り物にのって簡単に目的地にたどり着くのではなく、まさに自分の身体だけを使い歩いてたどり着いていくのです。

歩いては拝み、また歩いては拝むという繰り返しで私たちはその日その日に発生した穢れを祓って浄化して甦生し続けていきます。魂はもともと透明であり、その透明に様々なものが纏わりついていくのでそれを透明にし続ける智慧が必要なのです。それを繰り返すためには、砥石のようなものが必要で私たちは研磨することでまたもとの状態に回帰していきます。

もとの状態というのは、神様と一体になっている姿であるともいえます。言い換えれば、赤ちゃんのときの自分です。赤ちゃんのままの魂でいられるように私たちは様々な体験をしてもその本体をいつまでも忘れないようにしているのです。

魂とはここでは玉石のことで、玉石を磨き合いながら研ぎ澄ませて心身を浄化するということ。それを美しい参道を歩むことで思い出しているのです。そして参道を囲み見守る宿坊での暮らしは、まさに先達が実践するこの世での歩み方の体現であり、私たちはその先人の知恵や精進の姿に生き様を見直し参考にしまた現世でのあり方を磨いていくのです。

修験という山の参道には、私たちの生きる道、生きるための智慧が遺っています。

参道の甦生は、人々の生き方の甦生です。

子どもたちのためにも、美しい生き方を参道によって伝承できるように取り組んでいきたいと思います。

苦労し甲斐~メリハリのある人生~

人生には「苦労し甲斐」というものがあるように思います。時が経ち、後で振り返ったときに苦労した甲斐があったなと感じるもののことです。苦労したからこそ、得たものがあります。それはそこまでに経てきた体験からの気づきであったり、智慧であったり、そして技術であったり心身の練磨による成長であったりです。

これをやろうとすれば苦労すると最初に誰もがわかっていてもそれを厭わずに挑戦し突進していく。そこに人生の真の妙味があるように思うのです。

人生の妙味を知る人こそ、苦労し甲斐を知る人でもあります。

周りからすれば、何でこんなことをと思っていますがそこには苦労によって誰でもわからない境地に生きているからです。私の場合は、未来の子孫のためにと初心を定めていますからそのためには苦労を厭わずに何でも来たものは選ばずにご縁と導きを信じて取り組んでいきます。

過去の経験や何かそれを実現する才能などは特にありませんから、毎回新しいことに挑戦することになります。周りからは、苦労するよと言われてもそうですねと笑いながら取り組んでいきます。失敗したり困難があると、ほれ見たことかといわれることもありますがそんなことは最初から分かっていることだから特段何も影響はありません。

問題は、この苦労は苦労のし甲斐があるかどうかというところが重要なのです。そしてそれは「道」として必ず通らなければならないのであれば正面から向き合って取り組んで味わい通過、もしくは突破していくだけです。

そうして振り返ったとき、今の自分が育てていただいたこと。今の自分の信念や勇気、そして生き方や生き様を創造してくださったことに感謝できるのです。

人生は一期一会であり、今は唯一無二です。

何事も遣り甲斐があることに挑むことが、メリハリのある人生が送れるということになります。このメリハリとは、緩むことと張ること、つまり弓のように適度に弦がはっている状態をいいます。いい意味で、充実して心身が調和している状態のことです。

何かに集中するというのは、そのものを実現するために真剣に打ち込んで苦労をしていくということです。苦労のない人生は、ハリがありません。ハリのある人生は、苦労を通して人生の妙味を知りそしてそれをゆったりと振り返りその時の思い出を豊かに味わい感謝していく生き方です。

これは苦労のし甲斐があると、偉大な目的に向かって生きるとき人は人生が真に豊かになり充実するのです。若さ、情熱、青春は苦労と共にあります。大変でも目的に生きる苦労の多い人生の価値を、子どもたちに伝承していきたいと思います。

竹垣と暮らし

今度、藁ぶき古民家のブロック塀の装飾に竹垣を創る予定があります。これは「この場所をきれいに美しく整えたい」という地主さんの想いにとても共感し、私もどうしたらいいかと考えている中でアイデアが出てきたものです。

「竹垣」というのは日本人には馴染みが深いものです。特に京都にいけば、町をあるくといろいろな竹垣に出会います。寺院にも多いですし、また庭との境界線にも竹垣があるのを見かけます。

海外には、家の境界には石組みをして頑丈で堅固なものを用いられることが多いですが日本では敢えて竹を用いることで風情を醸し出しているように思います。

この竹垣は、改めて説明すれば竹で編んだ垣根のことで日本庭園に使用される主な竹垣は建仁寺垣、高麗垣、沼津垣、鉄砲袖垣、襖垣、鶯垣、四つ目垣、大徳寺垣、立会垣などが有名です。

独自に開発したものを創作垣といいますが、今回はどちらかといえば建仁寺垣風の創作垣になるような予感がしています。

この垣根の歴史奈良、天平のころからあるといわれます。貴族や大名の家の周辺はウツギの生垣や葦垣などで囲まれていたと文献にあるようです。

単なる境界線をわける目隠しとしてではなく、強くて柔らかいといった竹の長所を見事に活かしています。涼し気であり、見た目も美しく、そして竹を用いることで資源の有効活用と里山の手入れにもつながります。

むかしの人たちがつないできた、日本の先人の知恵はまさにこれからの世界をどう生きていけばいいかの羅針盤になるように思います。

一つ一つのご縁を大切にしながら、暮らしを紡いでいきたいと思います。