徳循環の道理

私たちの身の回りには自然由来のものと、そうではない人工的なものが存在しています。例えば、建築でいえば土壁や柱などは自然由来です。それに対して、ビニールクロスやユニットバスなどは人工的なものです。

本来、自然界は自然が造形したもので仕上がっているものです。それは自然の篩にかけられるなかでも生き残る智慧で存在しているもので形成しています。石も土も木も、また火も水もすべて自然界を維持するための大切な要素を果たしあうことで存在を助け合い半永久的に循環しながら維持しています。

しかし人間が人工的につくるものは、自然に反して本来自然の中で存在しないものを産み出しますから循環することができません。循環しないものは、自然の篩にかけられてそのうち消滅していきます。

つまりこの世の道理としてシンプルなものは、循環しないものは消滅し循環するものだけは永続するということです。こういう真理や道理は、この世にいる限りは変えることはできません。どのような生物にも生死が存在するように、変えることができない事実が真理としてあります。

現代を観てみたらどうでしょうか。

人類はここ百年で循環しないものばかりを産み出してきました。それはゴミとしてこの世にとどまり、自然の消滅を待つまで循環せずにこの世に存在していきます。本来、循環とはお互いに存在そのものが互助と利他で巡っており、お互いの役割がお互いの社会に必要不可欠な共生関係を結んでいるものです。

自然との共生という言い方をしますが、これは自然由来の中に人間も入って一緒に循環の一助になることを言います。里山などはその典型で、自然の巡りを助けるように私たちは自然の資源を上手に活用し、取りすぎず余らなすぎずに適当に分けていただきながらその分、周囲の生き物たち全体を活かそうとしていきます。

私が取り組んでいるむかしの田んぼもまた、生き物たちがいっぱいになるような環境を用意しお米をつくっています。お米づくりは、実は微生物をはじめたくさんの生命たちが水田に溢れ自然の循環を活性化していきます。それにより、水も空気も浄化され、私たちの身体も食を通して循環して浄化されていくのです。

循環というものは、お互いを活かしあうことですがそれは決して人工的に行うものでは廻らず、必ず自然の巡りと調和して発生するのです。私は、これから徳積堂を始動させ循環についてここから発信していきますがそもそも循環が徳そのものであり、循環を促すことが徳を積むことになるのです。

現代では逆行しているかもしれませんが、そのうち何が本来の持続可能なのか。延命治療ではなく、根源治癒とはどういうことを言うのか。気づく人たちとともに人類の未来を切り拓いていきたいと思います。

歴史を創る

この世の中には、ずっと残るものと残らないものがあります。それは歴史を学べば気づけるものです。例えば、建築物であれば長いものでは1000年以上もありますがほとんどのものは100年持つことは現代ではあまりありません。記憶も同様に3代くらいは口伝などで引き継いでもその前の代のことを覚えている人はほとんどありません。こうやって時代には、残るものと残らないものが篩にかけられて選別されていきます。

私たちは今を生きていますが、前のことでは生きてはいけません。過去の栄耀栄華がしがみついて生きていくことはできず、常に今を刷新して前進し続けることでこの世に存続することができています。

一見、時代的に長いものを観たとしてもそれはずっと同じままでいたことはありません。つまり、その時代時代に変化し続けて手入れをしているから今も持つのです。

あの法隆寺は1300年建っていますが、これも何もしていないのではありません。それをずっと守るために信仰を絶やさずに手入れを怠らないから今でも建っています。つまりは、その時代時代にそれを守る人が出たからといことです。そして守るためには、単に維持していけばいいのではありません。

時としては攻めて変革をしたり、またある時は守りに徹して粛々と大勢の批判に耐えながらも本質を貫いたりと、真摯に手入れをし続けてきたのです。

この手入れが悪いと、そこまでで途絶えてしまいます。今でも甦生し続けているものの手入れはなんでもいいわけではなく、常に本質を守りながらその時代の価値観に対応し続けるという初心を忘れない温故知新の知恵を持つ人たちが挑戦が必要なのです。

それが歴史を創るということなのです。

歴史は残すだけのものではなく、創り続けるものなのです。だからこそ新しく創めることに挑戦していく必要があります。今までのものを創新するのです。

私が取り組んでいることは、なかなか理解されないことですがそのうち時代が変われば理解されると思います。それまでは挑戦を楽しみ味わい、新たな未来のために歴史を掘り起こし、甦生し、磨いて創り続けたいと思います。

徳循環の社会実験

今週末はいよいよ徳積堂のオープンです。徳循環の社会を創造すべく、念願が叶いいよいよ「徳」を甦生させる活動を本格化していきます。今の時代の徳とはどういうものか、それぞれの時代で徳の大切さは語られてきましたがこれから新しい時代の幕開けに際しここから新たな徳の真価を発信していきたいと思います。

「徳」においての私の先生といえば、二宮尊徳です。私は二宮尊徳を非常に尊敬していて、30代の10年間はずっと二宮尊徳の遺した言葉や遺跡を歩き、またその言葉の意味をなぞるように学んできました。どの遺した言葉も私の魂に深く響き、それを社業にも反映させていきました。

例えば、「一円対話」というのは二宮尊徳の一円観を参考にしたものです。聴福人は、桜町陣屋の近くの親鸞上人の高田山でのメモ帳にあった言葉で閃いたものです。また今の時代の人たちが捨てるものを拾い集めて甦生するようになったのも二宮尊徳の生きざまから学んだものです。実は他にもこれから私が取り組むもののほとんどは、似たようなことを実行していくかもしれません。

金融に取り組むのも、積小為大からでもあり、至誠、分度なども今の会社経営だけではなく、あらゆる私の取り組みの根底を支えています。それはこの世の自然の真理を活かしたというところに深い信頼があるからだろうと思います。

いよいよ徳積堂を始動するにあたり、既存の価値観との融和するためにその土を醸成していきます。そのためにまず取り組むのは、「推譲」の真価です。

二宮尊徳に「譲って損なく、奪って益なし」があります。

言い換えるのならこれは、みんなで譲っていくことは徳になり、奪うのをやめば徳になる。徳の循環を実現するために、ここから温故知新した社会実験をスタートさせていきたいと思います。

塞翁が馬の会

故郷の旧庄内町(飯塚市)に「塞翁が馬の会」というものを新たに立ち上げました。これは、「結」といった日本の伝統的な互助の知恵を現代に温故知新して甦生させるためにはじめたものです。

この「塞翁が馬」という言葉は中国の有名な故事の言葉で正確には「人間、万事塞翁が馬」といいます。この塞翁は、人の名前ではなく国境の塞(とりで)付近に住む老父という意味でその馬のことを指します。

この故事の内容を日本語に現代語訳すると、「辺境の砦の近くに、占いの術に長けた老父がいた。ある時その人の飼っていた馬が、どうしたことか北方の異民族の地へと逃げ出してしまった。人々が慰めると、その人は「これがどうして福とならないと言えようか」と言った。数ヶ月たった頃、その馬が異民族の地から駿馬を引き連れて帰って来た。人々がお祝いを言うと、その人は「これがどうして禍をもたらさないと言えようか」と言った。やがてその人の家には、良馬が増えた。その人の子どもが乗馬を好むようになったが、馬から落ちて大腿骨の骨を折ってしまった。人々がお見舞いを述べると、その人は言った。「これがどうして福をもたらさないと言えよう」一年が過ぎる頃、砦に異民族が攻め寄せて来た。成人している男子は弓を引いて戦い、砦のそばに住んでいた者は、十人のうち九人までが戦死してしまった。その人の息子は足が不自由だったために戦争に駆り出されずにすみ、父とともに生きながらえる事ができた。このように、福は禍となり、禍は福となるという変化は深淵で、見極める事はできないのである。」とあります。

まるで「禍福は糾える縄の如し」のように、縄をあざなえば上下が交代で発生するように禍福もそのようなものであるということです。この禍とは何か、それは福のことです。そして福とは何か、それは禍のことです。つまり禍福の本体とは一つであり、自分のものの見方と心の持ち方でどうにでも観えているだけということです。

自分を中心に物事を考えていけば、自分にとって禍だとするときそれは周りにとって福になることもあり、自分にとって福であるのは周りにとっては禍であることもあるのです。そしてそれは自分の人生においても同じく、禍福は常に入れ代わり立ち代わり交換しながら訪れてきた半生でした。

例えば、一人の人生においては苦難や失敗があったおかげで気づかなかったことに気づき、それを努力し乗り越えて転じるとき、善いことになるものです。または逆に、楽をして上手くいったからと福を満喫しているうちに見落としたことが増えて気が付くとそれで転落することになるものです。かつて二宮尊徳は、余話の中で「禍福二つあるにあらず、元来一つなり。」といいました。それをこういう話で例えます。

「包丁で野菜を切るときは福だが指をきれば禍になる。柄をもって切るか、指を切るかの違いだけだといい、次に水を使った田んぼの畦の例えから、畦があれば田んぼは肥え、畦がなければ田んぼは痩せる、その違いは水は同じでも畦があるかないかのみとしました。さらには富も、自分のために使えばそれは禍になり、他人のために使えば福になるとし、同じく財宝も貯めて使えば福になり、貯めて使わなければ禍になるのだ」と。

結局は、ここでも禍福とは同一のものでありそれはその人の転じ方次第であるといいます。つまり禍福が問題ではなく、如何に「活かすか」にかかっているということです。

私は「活かす」というのは「禍いを転じて福にする」ことだと定義しています。そして禍福を一円のように丸く融合させるとき真の平和が人々に訪れます。

「塞翁が馬の会」と名付けたのは、物事に対してそういう初心を忘れないで取り組んでいこうという気持ちからです。偶然に発足した会ではありますが、この会の生き方や心の持ち方が故郷の人々、そして風土、暮らしを甦生して日本、世界を平和に導いていけるように禍福を豊かに味わっていきたいと思います。

やり遂げる力

運とは何かということを考えることがあります。幸運を持っている人と、不運を持っている人。どちらにしても運というものは誰にしろ存在するものです。ただし、その中に運を活かす人と活かさない人があるというのは現実としてあります。

この時の運とは何かを定義してみると、それは機会でありチャンスのことです。つまり運は別の言葉にすれば機会やチャンスのことでありそれを活かすか活かさないかというだけであることはわかります。ここからの文章は運をチャンスという言葉に置き換えて書いていきます。

チャンスというのは、そもそも挑戦する機会のことです。毎回、挑戦する機会がありますが今がその時かどうかをまずはよく観察して耐え忍ぶ必要があります。これは季節でいえば、今が蒔き時なのかもしくは収穫の時なのかを見極める目のことです。蒔き時に収穫しようとしてもその時は実がなく、収穫時に蒔いても実がなることはありません。

自然にリズムがあるように、私たちはその時を捉える力がなければチャンスを掴むことができません。これが一つの幸運というのは事実です。そしてもしも掴んだならば、それをやり遂げなければチャンスはものにすることはできません。掴んだら何が何でも話さずにやり遂げるといった強い思いが必要になってきます。簡単に手放してしまったら、チャンスは逃げていきます。

チャンスが逃げないようにするには、何が何でもやり遂げるといった強い思いと実現するための力が必要です。その力が発揮されてはじめて私たちは運を活かしたといえるのでしょう。

ゴッドファザーの映画で有名な小説家のマリオ・プーゾがこういう言葉を遺しています。

「運と力は、切っても切れない関係にある。運がめぐってきたら、やり遂げる力がいる。また、運がつくまで待つ力も必要だ。」

つまり運を掴んだなら、あとはやり遂げる力次第ということでしょう。

また熊沢蕃山の遺した歌にこうもあります。

「憂きことのなほこの上に積もれかし限りある身の力ためさん」

今の私の心境は、これに近いように思います。チャンスはまるで絶望の中の希望のような明るさがあります。例えれば闇夜の中の星々のような存在です。その一つの星を掴み、それを光らせて輝かせるのが私たちの役割のようにも感じます。この存在が宇宙の大きな役割の一端を担います。

子どもたちのためにも運を活かしてやり遂げる力をつけていきたいと思います。

二つが一つ~聴福の境地~

聴福人というのは、造語ですが私たちが取り組んでいる一つの生き方のことです。これは文字の通り、聴くことが福であり、福こそが人の姿であるという言葉で成り立っています。人はもともと福が備わり、それは聴くことで実感できるというものです。

ここでの聴福というのは、ただ人の話だけを聴いて福にするのではありません。あらゆるご縁を聴くという意味でもあります。日々は小さな現象が集まっているものです、それは微細で気づかないような小さな変化から感情を揺さぶるような大きな変化まであります。

心を落ち着けて、そのものの現象の意味に耳を傾けていくことでこれは一体何が起きているのかということを直観するのです。その直観は、私心がないとき、我欲が洗い清められたときに全体が観えて現象の意味が顕現します。また素直になること、依り代や器になるときに現象そのものと一体になります。

自他一体の境地ともいうのかもしれませんが、あらゆるものと自分が今につながっていく感覚になるのです。これを瞑想で近づける人もいますが、一期一会の生き方をしている人は常に今にその感覚を持っているようにも思います。

しかしこれは持続するものではなく、常に自己対話を続けて私心を取り払い続ける必要があります。バランスを保つというのは、常に変化の中で中心を守り続けることに似ています。この中心とは「中の心」といいますが、心そのものの中心のことです。

外の現象と中の現象、世の中には二つの現象が同時発生していきますからその二つを一つにしていき続けてバランスを保つ必要があります。水も二つが一つ、火もまた二つが一つになって存在します。水を保つのもバランス、火を保つのもバランス、この世のすべは円環していて二つがご縁で結ばれて存在します。

聴福の真の境地は、この二つの声を聴き、二つのご縁を一円に結ぶということです。

自他の心を一つにすること、そのためには周知を集めて私心を取り続ける精進が必要です。日々の暮らしを整えていくことは、この二つを一円にすることです。

子どもたちの未来ために場を譲り遺していくためにも、心の修練を積んでいきたいと思います。

 

場を極める

先日から英彦山とのご縁があり宿坊のことを深めていると、かつての聖地ということの意味を再確認することがあります。

もともとこの宿坊とは、主に仏教寺院や神社などで僧侶や氏子、講、参拝者のために作られた宿泊施設のことです。この英彦山では盛時には僧坊3800余が建ち並んで門前の集落をつくっていたともいいます。山の中を歩いていると、宿坊跡だったような場所がなんとなく棚田のように残っています。

厳しい山間での暮らしが観えて、この神域でみんなで助け合い学び合い生きていたことを感じます。明治29年には126戸を記録した坊舎も、現在は顕揚坊、楞厳坊、増了坊など10数軒を残すだけになっています。かつての坊舎は、それぞれに工夫された庭園がついていたといいますがその形跡もあちこちに残っています。その跡地からは、その澄み切った精神性を感じることができます。

本来、聖域とは何かと定義するとそこには聖なる場があったということです。そして聖なる場があるということは、その場を整えていた人があったということです。人は自然の中である一定の精神性を磨き極め高めるとそこに場を創ります。その場に入ると、心の安堵や平安が訪れまるで仏教でいうところの極楽浄土が現れます。

その極楽浄土とは、心の澄み切ったところです。

かつての宿坊は、その心の澄み切った場所であったと私は思います。その場所を守り続けるというのは、その場を清め続けるということです。何が荒廃してなくなったのかといえば、そこに人物がいなくなったことです。

人物と書いて、人と物ですがそれが磨き清められた空間には場が誕生します。私が場道家を名乗るのは、その「場」を極めようとしているからです。場を極めるのは、聖地を甦生させることです。

子どもたちに心の楽土を感じてもらい、魂のふるさとに原点回帰して本来の自分を取り戻していけるように丁寧に甦生を続けていきたいと思います。

 

思考を止めない

久しぶりに東京入りして明治神宮をゆっくりと散策する機会がありました。コロナの緊急事態宣言が解除されてから街中は人があふれています。3密を避けてといっても、駅の周辺やデパートなどは行列ができています。変わったのは、すべての人がマスクをつけていることくらいな感じです。

人間は、他人の様子に合わせて多数派の意見や誰か専門家や権力者の発言に依存すると思考停止してしまうものです。簡単に言えば、自分で考えることを止めてしまうという具合です。

本来、現状はコロナの問題は何の解決もしたわけではなくワクチンも接種したわけでもなく、さらに状況は変異株や感染数は増えて悪くなる一方です。しかしみんなコロナ前の日常に戻ってきています。ひょっとしたら自粛して解除までは我慢したのだからとその反動が来ているのかもしれません。もしくは、マスコミの情報を頼りすぎて自分の感覚で判断するのをやめてしまったのかもしれません。

どちらにしても、思考停止してしまえば悪い方の状況がそのうち常識になってしまい何が最善で何が本質なのかもわからなくなってしまうようにも思います。

自分の感覚を信じるというのは、自分で考え続けるということとイコールです。誰かの意見は参考にしても、大切なのは自分の感覚を大切にするということです。

人間は一つの災害に対応するだけでも精いっぱいで、二つ以上の災害に対応するのはほぼ不可能です。感染症が流行しているときに、他の自然災害などが発生すれば悲惨な事態になります。これは歴史を観ればすぐに理解できますが、地震などのあとに死者が増えるのはそのあとに感染症や飢饉などが発生するからです。

連鎖的に何かが発生する前に、何かしらの対処を早急にして次の災害に備えるというのが大切なことだという教訓です。

リスク分散、これは危機回避をするためにみんなで力を合わせて支えあう仕組みでもあります。ブロックチェーンは、DAOといって自律分散の仕組みです。何かあった時のために、いかにそれぞれが自律して支えあうか。お互いの役割を信頼を築いて協力して助け合い生き残る智慧でもあります。

私はコロナだから今の判断をしたのではなく、自分の感覚を信じてずっと今までやってきました。自分の嗅覚、聴覚、触覚などの五感、そして手と足と運を信じて歩んできました。その中で、今はこうすると自分の信じる道を直観して決断をしてきました。それは思考を止めないための工夫だったように思います。

刷り込まれていく世の中で、刷り込まれないことこそが生きるための本当の知恵だと今、私は確信しています。子どもたちが、いつまでもこの地球で仕合せに暮らしていけるように刷り込みを少しでも取り払い、刷り込まれない環境を創るために思考停止する世の中に暮らしフルネスの楔を打ち込んでいきたいと思います。

徳を磨くチャンス

徳積堂が間もなく始動するにあたり、初心を確認する機会が増えています。自己との対話を通して、改めて心の調整を丁寧に紡いでいく毎日です。

徳というものの正体は、なかなか現代では伝わりにくく構想だけを話すとすぐに感謝ポイントや恩返しシステムなどと脳が判断できるもので理解されていきます。私はもともと実践を重視するタイプですが、世の中に現代の言葉で甦生し、今なら何をすれば徳を積めるのかの具体的な事例を伝え、仲間や同志たちと一緒にその豊かさを伝道していきたいと取り組む中で様々な葛藤も生まれます。

特に親しい人や、尊敬できる人たち、また親切な方々になかなか伝わらないときは時機ではないのではないかや、これで本当に良かったのかと自問自答することもあり、その時は静かに元の場所に回帰して徳についてまた自分なりの整理をしていきます。

目に見えないものを語るとき、現代ではそれは宗教の類であると分類わけられます。しかし、この世の中はご縁も同様に目には観えない「つながり」によって存在や関係が結ばれているものです。そしてその空間的にも歴史的にも深く結ばれた縁起によって私たちは自分の道を体験していくことができています。

徳というものもまた中庸であり、実態はわかるようでわからないものです。今朝がた、また整理しているとふと常岡一郎さんのことを思い出しました。この方もまた、徳を積み、自分を磨き切った人生を送られた方でした。同じ福岡県出身の方です。こういう言葉があります。

「徳と毒はよくにている。徳は毒のにごりを取ったものだ。毒が薬ということばもあるではないか。毒になることでも、そのにごりを取れば、徳になるのである。どんないやなことでも、心のにごりを捨てて勇んで引き受ける心が徳の心だ。いやなことでも、辛いとかいやとか思わないでやる、喜んで勇みきって引き受ける、働きつとめぬく、それが徳のできてゆく土台だ。ばからしいとか、いやだなあというにごった心をすっかり取って、感謝と歓喜で引きうけるなら辛いことほど徳になる。」

「とく」に濁点が入ることで、「どく」ともなる。多少の毒は薬になり、良薬苦しともいえる。何も毒がないものは徳にもならない可能性もある。大事なことは、その毒の濁りを洗い清め禊ぎ祓い、徳にしていけばいいのである。最初から毒だからと避けて清らかなところにだけいてもそれは徳にはならないものかもしれません。泥沼の中の美しい蓮のように、私たちにとって大事なことはただ清らかなところで善いことをすればいいのではなく、それがたとえ自分にとっては苦労であっても勇んで訪れてきたご縁に素直な心で取り組んでいくこと。やりたいことのためにやりたくないことを我慢するのではなく、やりたくないこともまた喜んで勇んで引き受ける。あらゆる我執をも手放して、濁った心を見つめてそれを磨いて光らせる正直な想いで引き受けて至善に転換していく。そういう取り組む姿勢や実践の積み重ねによって感謝と歓喜が湧いてきてこそ徳になるのだと。つまり、毒を自分の身体を通して徳にしようという祈りの心の中にこそ徳を醸成する要諦があるということなのでしょう。

これは私の意訳ですから文章をどうとるかは、それぞれの人の解釈ですが徳積みとは禍を転じて福にすることであり、故事の人間万事塞翁が馬のような生き方をするときに出会えるものだと私は思います。つまり素直さこそが明るさであり、その明るさによって濾過されたものが人々の幸福を増やしていくのです。

初心は常に子どもたちの未来のために取り組んでいますから、すべてのご縁を活かし徳を磨くチャンスに換えていきたいと思います。

つないでいく貴重な存在

私たちは先人たちが譲ってくださったもので生活を営んでいくことができます。それは例えば、土地、家、環境、使っている道具、田畑や食料、また生活文化などもすべて先人が子孫に譲り遺してくださったものです。

発明品なども同様に、先人が知恵を絞り発明したからこそ私たちはそれを今も活用することができています。エネルギーなどの電気や石油もまた、発明されたものの一つです。

当たり前に私たちは使っているもののほとんどが、先人たちが譲り遺してくださったものです。それをどう大切にして、また同様に私たちは次世代へとつないでいくのか。これは先人の知恵の恩恵に触れる人たちを中心に行われていきます。

伝統職人たちは、まさに先人の知恵の伝承者でもあります。左官をはじめ、刀鍛冶、また鰹節職人などもこれらの先人の知恵を学び続けています。いくらその時代に世の中に必要とされなくなったとしても、その知恵は非常に大切なものなのでそれを次世代へと渡さなければなりません。

時代がまたそれを必要とする日が必ず来ますから、その技術の継承は重要なのです。

そう考えてみると、歴史の中では何度も失われそうになったことがあるように思います。例えば、戦乱で滅亡したり、或いは疫病が流行り、また或いは飢饉があったりして人口が減り伝承できない状態になったこともあるように思うのです。

それでも今でも遺された先人の知恵に触れるときに、私はそれまでつないできてくださった方々の有難い存在と恩恵を深く感じます。よくぞ、ここまでつないでくださったという具合にです。

私たちの体も本当は同様に先祖や先人たちがずっと子どもを育て見守りつないできた存在です。よくぞ私までつないでくださったと実感するのです。そういう実感が感謝になり、同様につないでいこうという気持ちになるのです。

私が取り組んでいる甦生は、単なる現代に適応できるように温故知新することだけではありません。甦生はつなげていくことであり、感謝の伝承を結んでいくことでもあるのです。

子どもたちが未来に、これらの先人の徳がしっかりと譲られていけるように私がやれることを命を懸けて取り組み、仲間や同志を集めていきたいと思います。