自己自然の感受性

季節の変わり目というものは、風や雲、雨が動きます。日本では特に四季が豊かで、あらゆる種類の風や雨が降ります。小さな変化を敏感に察して自然と共生してきた日本人たちは、同じ風であっても同じ風に感じず、同じ雨雲であっても同じ雨雲とは思っていなかったのでしょう。

そういう意味では、私たちの五感はその微細な変化に順応しながら四季折々の自然循環の流れを察知して独特な情緒をもち日々を豊かに暮らしてきたことを感じます。

例えば、日本の風の種類には2000以上あるといわれます。これは農家や漁師が、微細な風に名前をつけては天気予測をしていたことがわかります。

数が多くて全部は書けませんが、例えば風であれば、つむじ風、そよ風、台風など、雨であれば、花時雨、桜雨、緑雨など、雲であれば東雲、瑞煙、慶雲など、全部足せば覚えられない量の種類が存在します。

私たちは雨だからただの雨だという認識ではなく、そこに季節や自然との深いつながりを察知してその季節を感じ取っていたのです。

豊かな言葉は、この自然の恵みそのものでありその自然の産物として私たちは言葉を大切に深く味わい暮らしに活かしてきました。私たちは知らず知らずのうちに、この日本の風土の恩恵によって豊かな感性を育まれたのです。

瑞々しい料理ができるのも、音楽が誕生するのも、芸術はその自然との共感や共生によって導きだされたものです。同時に文化もまた、同様にそれらのものが調和して誕生してきました。

子どもたちが自然に育つ中に、この自然の微細な感受性をより昇華できるような環境を用意していきたいと思います。日本の風土や文化芸術を守るのは、日本人の豊かさを守っていくためです。

引き続き、暮らしフルネスの価値を発信していきたいと思います。

新たな施浴伝説

歴史というのは、普遍的な私たちの先生です。困難な時こそ、今にあたふたするのではなくもう一度歴史に学び、今を考察していく必要があると思います。

今から1300年前、聖武天皇が治めた奈良時代に天平文化というものが花開きました。この時代は地震や疫病の大流行ありました。天然痘と思われる疫病では総人口の3割前後が死亡したとも言われています。

この疫病は権力者や貴族であろうが関係なく広がり、藤原不比等の息子4人兄弟(藤原武智麻呂、藤原房前、藤原宇合、藤原麻呂)も病死しています。この時代は、地震や疫病から飢饉にまで発展しどうにもならないことが続きます。

だからこそ聖武天皇は仏教の力をかりて国分寺や国分尼寺を各地に作らせその総本山の東大寺と法華寺を建て大仏を建立したといいます。

先日、大三元大師のこともブログで書きましたがもともと節分の豆まきもここのとき宮中で行われた疫病を持ち込む鬼を国外に追い払う追儺に起源があるといわれます。感染症と地震は連動していて、今こそもう一度、歴史に学ぶ必要があるのです。

私が建立した原点サウナでもある、祐徳大湯殿サウナはこの時代の歴史も参考にしています。かつて古くから入浴と仏教には密接な関係があり入浴の起源は、仏像を湯で洗い浄めたことに始まるとされます。この時代、施浴といいお寺では寺僧の入浴後、近隣の人々に寺の風呂を無料で開放していたといいます。この施浴にまつわる伝説で有名なものが「光明皇后の千人施浴」です。

この光明皇后(701年から760年)は日本の第45代天皇・聖武天皇の皇后です。この光明皇后も天然痘で3人の兄を亡くしその生家である藤原不比等の邸を寄進し、その跡地に奈良に法華寺を建立して兄たちの菩提を弔います。

仏教への信仰心も篤く、社会のためにと真心を尽くしていた皇后がある日夢で仏のお告げを聞きます。そこで法華寺の施浴を建立し、千人の垢を洗い流す誓いをたてるのです。

そしてその千人目に現れた者は、肉がただれて血膿が噴き出たらい病の人でした。しかし皇后は自らその者の体を洗い、乞われるままに流れ出る膿まで吸い取ってやります。すると浴堂に紫雲が立ち込め、患者は瑞光に満ちた金色の仏に化身して「我れは阿閑(あしゅく)仏なり」と言葉を残して消えたといいます。

これはその後、ずっと人々の間で口伝で伝承されていて時代を超えて今でも人々の心に響くものがあります。世界ではマザーテレサなども同様に、深く人々の心を救おうとし真摯に手当てしてきた生き方が感じられます。

またこの光明皇后は千人の施浴の際、信仰の深い3人の女官に手助けをしてもらっていたといいます。そのこの女官のことを「典侍(ないしのすけ)」といって人々は3人を三典(さんすけ)と呼びました。これが銭湯で風呂を焚き、浴客の体を洗う男衆の呼び名である「三助」の由来となったといわれています。

つまり「施浴」を手伝い、人々の心の穢れや体の汚れ、ありとあらゆる苦難を癒そうと日本の石風呂(蒸し風呂サウナ)を活用したのです。

今の時代に似ているものを感じ、ここに共通の信仰の源泉を私は感じます。大げさかもしれませんが、私もこの祐徳大湯殿を建立する際に誓いを立てています。その誓いに恥じないように、歴史に学びこの時代に相応しい新たな伝説をはじめていきたいと思います。

大和魂とともに

様々なことを研究することを通して人は、その本質や真実を磨けます。そうやって得た知恵を今度はどのようにして社会の役に立てるのかに挑戦します。その時、はじめてその知恵が人々の間で活用できるようになるともいえます。

私は研究が好きで、つい研究に没頭していく性質があります。自然物をつかった研究が特に好きなので、深めていると寝食を忘れるほどに没頭します。それがある一定のところまで形になると、今度はそれを役立てることを考える時機がきます。

その時機に合わせて、自分が本当にやりたいことややりたかったことを見つめなおしていきます。道具が揃い、環境が整い、いよいよ世の中に発信するという状況のことです。

実際には、今まで積み重ねて積み上げてきたことばかりですからそのどれもが社会の役に立てるものばかりです。

一つの真理にたどり着けば、それは自然の摂理を学び悟ります。しかしそれだけではこの世は動かず、人間の摂理というものも学ぶ必要があります。人間がどのようなもので、人間が何をもって真理に救われるかという問題を研究しなければなりません。

私は保育というものを研究しながら人類の行く末や子どもたちの可能性や希望ばかりを追いかけてきました。

ここにきて、それをどう合致していくか。調和させていくかの一つの大きな節目を迎えています。今、その時機が到来してみて自己の深い心のうちと向き合い対話することばかりです。

こういう時は、誰とやるのか、ご縁を辿った方がいいのかもしれません。結果を恐れずに、やむにやまれぬ大和魂とともに歩んでいきたいと思います。

人類の岐路

久しぶりに古いノートパソコンを出してきてブログを書いています。現在のパソコンが、ウィンドウズの更新をしてライセンスがなぜか認証できなくなり、復元したところ完全に立ち上がらなくなったことによるものです。

日ごろから効率よく仕事をパソコンでしていましたから、そのパソコンが立ち上がらなくなるというトラブルの与える衝撃はかなりのものでした。それだけパソコンに依存しているということでもあります。

現代は、携帯電話を持っているのは当たり前です。田舎で電波のないところにいくと、使えなくなりそこに電池が切れると時間すらわからないという具合になります。知らず知らずに、多くの情報や道具としてこのパソコンや携帯を使っていますが突如として使えなくなるとどうなってしまうのかという不安に陥るものです。

今回は、3年以上前のパソコンを取り出してきましたがスピードも遅く何か作業をするのにかなりの時間を要します。もう一つ前の代のパソコンは立ち上がるのにも数分かかります。さらに前のとなると、もはや故障しているパソコンのような状態です。

この十年くらいでそれだけの速度の変化があり、扱う情報量も膨大に変化しました。そう考えてみたら、時代は確かに変わったという感覚を実感として持てるものです。

このように機械の性能が上がれば上がるほど、機械への依存度は高まっていきます。しかし機械が壊れたりなくなれば他の方法がすべて一瞬にして喪失します。このことは、これからの人類はよくよく考えなければなりません。

一つのものに依存するというのは、それ以外のものがなくなるということです。分散して依存すれば何かがなくなっても、他の代替え機能があるのでそれによってリスク回避はできます。しかし分散していなければ、もしもがあれば身動き一つとれずにすべてを失ってしまうのです。

現在、商売でも独占的に富を集中したり、このパソコンのOSのように一局集中して標準化するのは便利なことです。しかしこの富や便利さには一種の危うさはつねに付き纏います。歪な依存は、有事を乗り越えるのにはリスクが高すぎるのです。

この先、コロナが収束しても同時に第二、第三の自然災害が発生する可能性があります。地球規模で環境の変化が起きていますから当然、人類も変化に巻き込まれていきます。気温や湿度など、水分量が変わればそれ相応のウイルスはまた出て来ますし、生態系が変わるから食糧事情は今までのようにはいきません。資源がこのペースで失われれば、あらゆる業態に影響を与えます。

つまり今は、人類の岐路なのです。

今回のパソコンが壊れてから、改めて分散することの大切さに気付き直した気がします。私の取り組んでいる暮らしフルネスのハイブリットハイタッチな働き方や生き方を子どもたちや民族の未来に伝承していきたいと思います。

藁葺古民家の甦生~白蟻被害~

現在、藁ぶきの古民家を甦生していますが大半の木材が白蟻に食べられていてとても難儀して工事を進めています。外から見ても、そこまでは感じなかったのですが室内のクロスや板を剥いだら家中のほとんどに白蟻による食害がありました。

十数年の空き家で湿度が高く、人が住んでいないため窓を開けることもなく風通しの悪い家に白蟻が来ればほぼ家は壊れてしまいます。まさかと思うような立派な柱や梁までもスカスカになるほどに白蟻は木材を食べつくしていました。

この白蟻は3億年以上前から地球にいることが分かっており現在、世界で確認されているだけでも2,000種類以上ものシロアリが存在するといわれます。その中で日本に生息するシロアリは、およそ22種前後だと言われます。その中でも家屋に大きな被害をもたらすシロアリは、ヤマトシロアリやイエシロアリです。

ヤマトシロアリは、日本でもっとも生息数が多く家のシロアリ被害の80~90%はヤマトシロアリだと言われます。このヤマトシロアリは土壌性の白蟻で土の中や湿った環境が好きで被害は床下に多く生息しています。特徴として巣を作る能力がなく餌場にそのまま住み着き、天井まで被害が及ぶこともあるといいます。

またイエシロアリは木造の建物だけでなく、コンクリート造の建造物、立木に対しても被害があります。特徴として食害に遭っている場所に巣を作ることはなく、別の場所に大きな巣を形成するといいます。そして一つの巣には100万匹以上にのものもできるとし、被害速度が甚大だといいます。

まだ専門家に見てもらってみませんが、見るからにイエシロアリの食害ではないかと思えるものです。立ち木、梁、その大きなところをあちこち食べられていました。

この白蟻の餌は、木材のセルロースです。通常は分解できない木材のセルロースをお腹の中の微生物で分解してもらい栄養を確保しています。他にもこのセルロースを栄養源として利用する動物に牛がいます。牛は胃のなかにいる微生物がセルロースを糖に分解して栄養にします。こうやって共生関係を維持することで通常は食べれないものを分解して栄養をお互いに与え合っているのです。

白蟻の弱点は、紫外線や乾燥になります。水分がなければ、生息環境に適していませんから繁殖することが難しくなります。家を手入れしていてわかるのは、カビが生えないような環境が重要なのです。

高温多湿の日本の気候風土だからこそ、風を通し、また火を焚き水分を除き、煙で燻して木材が腐食しないようにする。これらのことで、本来は家の中に湿気がたまらずにカビないように工夫したのです。

甦生するのも大変ですが、これからまた白蟻が来ないように予防することも必要です。期間が短いですが、どこも手を抜けませんから日本の未来の甦生、子どもたちに引き継いでいく文化のためにも、丁寧に丹誠を籠めて取り組んでいきたいと思います。

 

 

例大祭の御礼

昨日は無事に例大祭を執り行うことができました。深いご縁のある多くの方々にご参列いただき、祈願後、とても神社や周囲が光り輝いて甦生しておりました。いのりの力は偉大で、こうやって人々の真心がご神体そのものを磨き光らせることを知りさらなる精進をしていこうと真心に帰しました。

コロナウイルスで集まれないからこそ、神事を大切にみんなでこの困難を支え合い乗り越えていくことを祈願する。まさに、人類はこうしてみんなで祈りを捧げて結束を強め結びつきや絆、真心によって道を拓いてきたことを実感します。

確かに具体的な予防をしていくことも大切ですが、禍を転じて福にしていくという生き方そのものが人類の未来を明るく希望に満ちたものにしたのでしょう。

この祈りの日を忘れずに、この一年も丹誠を籠めて祈りを捧げていきたいと思います。

思えば、私たちは日常の中でさまざまな出来事によって感情や心が波立つものです。これは雲一つなく風もないうららかな快晴の日であったものが、大嵐が来て強風が吹き、雨や霙などが降ってきて大荒れの日であるかのように変化しています。

時として、災害級の出来事もあれば、また平穏無事な日々を過ごすこともあります。まさに天気や天候のように、私たちの心情もまたこのように変わり続けている存在なのです。

その時、私たちは穢れといったものを引きずることがあります。それはネガティブな感情や不安などをずっと抱えていくようなものです。天気や天候は、自然に恢復していきますが人間の心情はなかなか自然のようにはいかないものです。自然が私たちを守ることもあれば、厳しく戒めることもあるなかで私たちは偉大な見守りの中にいて生きています。

つい忘れかけてしまう、生かされていることの有難さや満たされていることの仕合せを穢れを祓うことによってさらに善いものへと甦生させていくことが私たち人類の修養になっているように思います。

お祀りは、この魂を磨き心身を清め、真心で素直に明るく生きていくことを私たちに諭してくれます。日々に精進し日々に修養する、人格を育てていくことで自然と一体になり和することでこの世で記憶を鮮明に甦生するのです。

来年の例大祭に向けて、また新たな精進と修養に励みたいと思います。

ブロックチェーン神社 例大祭

今日は、ブロックチェーン神社の例大祭を行います。この一年、本当に色々な不思議なことがあり奇跡のような出会いをいただきました。昨日は、ちょうど二十四節季の立春ということもあり、一年のはじまりの日でしからゆっくりと振り返りをしました。

この立春は、春の始まりであり1年の始まりとされる日のことです。その前の日は節分ということで、豆まきをし鬼を祓い、立春大吉として正月を迎えます。縁起のよいものとして、大豆を使ったものをたくさん食べます。立春大吉豆腐などもその一つで、白いものを食べ不浄を祓います。この後は、御祭りの直会としてぜんざいを用意しています。ぜんざいも、小豆とお餅、穀物の神様の宿るものを食べお福分けをしていきます。

神社の例大祭の御蔭で正月を2度楽しむような気持ちです。特に、12月末の正月とは異なりこの時期の正月は寒さも特に厳しいですが空が澄み渡って春の兆しがあちこちに感じられまさに冬と春のちょうど融和したような気配があります。この時期に正月をすることが本来の姿だったことは懐かしさや気候の様子でも感じられます。

諸説ありますが、明治のころのグレゴリオ暦への改定で世界(西洋)にあわせて暦を改変しましたがそれまでに使われてきた暮らしの暦がなくなり生活があべこべになりました。本当は、太陽や月を観て、地球の変化を捉え、その暦に従い私たちは旬を取り入れ健康的な精神や肉体、心を清浄に保つことで仕合せや豊かさを感じていました。

時間に追われるというのは、季節を無視してただ時間や時刻に合わせているともいえます。神事のような暮らしというのは、まさに自然と一体になった暮らしを行うことです。

私が暮らしフルネスを提唱するのは、この自然と一体になった暮らしを甦生することで本来私たちに備わっている本能や本質を伝統の知恵を借りて根本から養分を吸い上げるように結んでいくことです。

忙しさや分断から、心身を病んでいる人が増えてきています。本当は私たちは大きな家族であり、みんなで一緒にこの地球で暮らしを謳歌して仕合せを保障されてきました。神様のような暮らしというのは、原初の暮らし、つまり原始のような豊かさを取り戻すことでもあります。何もなくても仕合せ、足るを知り充分すぎる豊かさに感謝するシンプルでもっとも美しい暮らしを感じられるようにしていくことです。

例大祭は、一年に一度のハレの日です。

ハレバレとした心地で、このお祀りしご縁の方々の繁栄と発展、また世界人類の平和と子どもたちの未来への安寧を祈願したいと思います。

おめでとうございます。

 

精進潔斎の暮らし

例大祭の準備を兼ねて、精進潔斎を行っています。これは肉類を食べず、酒を飲まずに心と体を清めることをいい、「精進」は肉類や酒を飲まずに、心と体を清めて修行すること。そして「潔斎」は不浄なものを避けて、心と体を清らかな状態に保つことと言われます。

語源辞典によれば「潔」という字は、潔白や潔いなど、「 流れる 水 」の象形と「 刀で切り刻む 象形・より 糸 の象形 」 (「 罪・けがれを取り除く為、刀で刻み、糸を結んで 清める 」の意味)から出来た字です。斎は、会意兼形声文字です(斉+示)。「穀物の穂が伸びて生え揃っている」象形(「整える」の意味)と「神にいけにえを捧げる台」の象形(「祖先神」の意味)から、「心身を清め整えて神につかえる」、「物忌みする(飲食や行いをつつしんでけがれを去り、心身を清める)」を意味する「斎」とあります。書斎や斎食なとどもいい、物忌みの意味もあります。この物忌み(ものいみ)はある期間中、ある種の日常的な行為をひかえ穢れを避けることといいます。

神社本庁によれば、「斎戒に関する規定」として大祭、中祭は当日および前日、小祭は当日斎戒するものと定めている。斎戒中は、「潔斎して身体を清め、衣服を改め、居室を別にし、飲食を慎み、思念、言語、動作を正しくし、汚穢、不浄に触れてはならない」とあります。

祭祀に合わせて身を慎み神様と一心同体になるように心を整えていくことのように思います。もともと神道には依り代という思想もあり、神様が器に宿ります。その宿るものを清浄に保つことで、その宿る魂を穢さないということでしょう。

そのためには不純物を入れないようにする、言い換えれば「透明」にしていくということです。この透明とは、「いのち」のままでいる、「魂」のままであるという状態に近づけるということです。

私たちは日々の暮らしの中で様々な穢れ、雑念と共に生きています。それをどう祓い、清らかで素直な落ち着いた心で日々に真心で接していくことができるかはその精進や修行によります。

こういう例大祭などの機会があることで、それに意識を合わせて神様の状態に近づいていくことが暮らしの醍醐味でもあります。丁寧に、明日の例大祭の準備を丹誠を籠めて取り掛かっていきたいと思います。

真に豊か~懐石の真心~

例大祭の準備がはじまり、精進料理を食べ始めます。本来は、潔斎は数か月前からのものもあれば1ヶ月前のものもあるそうですが現代は、仕事をしながらの会食もあり、なかなか難しいものもあります。

実際には、一汁一菜の暮らしをしていれば日々の暮らしそのものが精進料理ですから何の問題もありません。そのためには、日々の暮らしをととのえ、日ごろの料理を丹誠を籠めて取り組んでいくことになると思います。

まだ私にはできていませんが、暮らすように神事をし、その神事によって暮らしを充実させていきたいと思っていますから少しずつ近づいていきたいと思っています。

料理といえば、懐石料理というものがあります。現代では、和食のコース料理の名前などで使われていますが本来は禅僧が空腹をしのぐために懐に入れていた「温石(おんじゃく)」が由来です。

この温石とは腹や胸にいれて体を温めるカイロのような役割の石ですが、食べ物がない時代、その空腹をやわらげる効果もあったといいます。もともと禅宗の修行僧の食事は一日一食のシンプルなものです。満足に食事を摂らないと体を温める機能も低下するので温石で暖をとりつつ空腹を和らげたといいます。

また懐石料理が、おもてなしにつながるのは千利休によるものです。禅の思想、侘茶の精神を懐石に倣い見た目だけを重視した華美なものよりもお茶や料理を体に負担なく本来の自然と美味しいものを最善としました。

「利休百会記」の記述には、「天正18年9月に古田織部を招いた際の膳の内容は、飯のほかには鮭の焼き物、小鳥の汁、ゆみそ、膾の一汁三菜。」とあります。

本来の満たすというものに、豪華絢爛な欲望を満たすのではなく、いのちや心を丸ごと満たすという「足るを知る」ことがこの懐石の意味であるように私は思います。決して質素だから貧しいのではなく、本当の豊かさはそのシンプルな生き方の中にある。そしてこの懐石こそ、ないものねだりをするのでなくたとえ空腹であっても心は満たされていきそしていのちの温かさを感じられるところに本当の「食」の意味があることを悟るというものなのかもしれません。

いのちやこころは、膨大な量は必要ありません。ほんの僅かであったとしても、そこに真心があれば真に豊かなのです。

例大祭の準備を慎んで、執り行っていきたいと思います。

危機に備える暮らし

現代は、より不確定な時代に入っています。コロナだけではなく、ここ十数年、震災にはじまりあらゆる自然災害が発生しやすくなっています。また南極の氷が融けては世界の海の中の水量が代わり、流れも変わり、そしてその水の力で地球全体の変化は進みます。

その時、私達人類は今までのように計画を立ててその通りにやっていくということが難しくなっていくのです。つまり、自然が安定していた時はある程度、人間の好きなようにできる都市をつくり限られたところで自由自在に謳歌できましたがこれからは自然の変化と向き合いながら歩んでいく時代に入ったのです。

もともと環境問題の話は数十年前から出ていましたが、それは経済活動をしながら少しだけ環境に配慮しようとした慈善事業的なものでしたがこれからはそんな場合ではなくなって激しい自然環境の変化の中でどのように人類は生き延びていくのかということに向き合う時代になったということです。

当たり前のことですが、人類は今までもそうやって大自然の恩恵を受けながら、厳しい大自然に洗礼を受けては許しを得てここまで生き延びてきました。別に終末思想などを言っているわけでもなく、歴史を省みればそうやって人類は何回も絶滅の危機を乗り越えて生きてきました。

絶滅の危機を省みると、それは突然にやってきます。まさかこの平和や安定が突如失われるなどとは誰も思いもしません。しかしそういう時がもっとも危機の前兆であり、私たちは備えることに油断している状態であるのです。

言い換えれば、自然に向き合うことをやめてしまう、もしくは自然から離れてしまう。その時こそ、本当の危機が訪れているということなのです。

時代が時代なら、この危機に向き合い人類はどうやってみんなで生き延びるかを世界で対話をして解決に向けて協力していかなければなりません。いつまでも国家間の争いをして、常に比較や価値や評価を競いあってみても大自然の前ではひとたまりもありません。

極端なことをいうのではなく、だからこそ危機に備える必要を感じるのです。先人たちの暮らしをよく観察すればするほどに、日ごろから危機に備える仕組みを醸成していたのがわかります。たとえば、結に見られるような助け合い支え合いの仕組みも暮らしの中で醸成していました。

ひとたび自然災害が来たら、その先人たちの暮らしが大いに役にたつのです。別に私は都会暮らしか田舎暮らしかを論議するのではなく、生き残るために何が必要かということを暮らしフルネスで提案しています。

その時が来ては遅いからこそ、今からやる必要があるのです。平時ではなく、有事に備えてこそ人類は協力し自律し合う関係が築けると思います。

子どもたちのために今できることを真摯に挑戦していきたいと思います。