野見山広明-子どもたちの未来を願い徒然なるままに書き綴るカグヤ社長の惟神の道blog。

場を磨く

自分らしさというものがあります。その人の持ち味ともいえるものです。その人の持ち味とは何か、それはその人にしかない味わいのことです。

例えば、私たちが飲んだり食べたりする素材があります。これはその素材の持つものを味わってみようと試みれば色々な味わいがあることがわかります。その味わい方は、いくつも方法があります。料理の方法やその飾り方、環境、あらゆる要素が味わいを深くしていきます。

その他にも味わい深さは、その素材が誕生してたどり着いたプロセスのようなものもあります。滋味あふれる深い味わいは、その素材の真の持ち味ともいえます。つまり、この真の持ち味こそ自分らしさの源泉というものです。

自分らしさを磨いていくには、天命を知る必要があります。他人軸ではなく、自分軸で生ききり、自分に与えられた唯一の道、つまり天命を生きるときその人にしかない深い味わいがにじみ出てきます。

これはその人にしかできないというもの、まさに天から与えられた唯一無二の人生を歩んでいるときその人らしさの持ち味が発揮されるものです。

そして本来、これは特別な人にしかないものではありません。誰もが持っているものです。これを私は徳とも呼びます。徳を磨いていくことで、その持ち味は発揮されます。そしてその徳が集合し、調和していのちが循環するところを私は「場」とも呼びます。

私は場道家を名乗り、場づくりを専門にしています。

持ち味を活かすための仕組み、自分らしくいられる環境づくり、それを頭でっかちに理解してお金にすることを仕事にするのではなく、まさに暮らしの中でそれを体得するという生き方を伝承しているのです。

暮らしフルネスの場に来る人たちはそれを感じることができます。

これから少しずつ、仲間を増やしていきますが気づいた人は訪れてほしいと思います。先祖に報いて子孫に徳をそのままに伝承していけるように場づくりを深く磨いていきたいと思います。

憧れ

暮らしを追及していると、生き方に出会います。生き方は暮らし方になっているからです。そして生き方を見つめていると死に方と向き合います。死に方は暮らし方の延長にあるからです。そして生き様というものが顕れ、死に様というものでその縁起を覚えます。

私が尊敬する人たちは、みんな生き様が見事な方でした。ここ10年で私が憧れた人たちが次々とお亡くなりになりました。ごく自然に、距離を持ち、そして静かに穏やかに逝かれました。

生きているときに常にこれが最期のような感覚をいただき、お別れするときは今世はもうお会いできないのではないかという寂しさがありました。そうしてまたお会いしたいと思ったときにまたタイミングがきてお会いすると、出会えた喜びに生まれ変わったような気がいつもしました。しかしもうお会いできないという状況になると、まるで深山の巨樹のようにまだそこに存在して見守ってくれているのではないかという気配があるものです。

ある方は、光のように、ある方は風のように、ある方は土のように逝かれました。生き方はそのまま死に方になり、生き様はそのままに死に様になりました。

これらはすべてその人の初心が顕現しているとも言えます。どのような初心を以って道を歩んでいくのか、その初心の余韻が場に薫ります。

私たちはその人になることはありません。しかしその人の歩んできた道を共にした経験によって歩き方も変わっていきます。振り返ってみたら、自分もまた歩き方がだいぶ変わってきました。歳をとり、若い時のように歩いていくことはできません。歳相応に歩いていきますが、気が付くと無理ばかりをしているようにも思います。

初心を忘れてはいけないと、歩き方を歩き様を振り返っては反省の日々です。

憧れた大人になるように、そして子どもたちの憧れるような大人になれるようにどう生きるか、どう死ぬか、そしてどう逝くかを見つめています。

盂蘭盆会の準備に入り、夏の風が吹いてくると日が強くなり死が身近に感じられます。日々の小さなことに感謝して前を向いて歩んでいきたいと思います。

伝承的な暮らし

歴史には、知識の方面と知恵の方面のものが二つあるものです。知識としての歴史は、過去にこうであったと切り取られたものです。しかし知恵としての歴史は、今もこうであると生き続けているものです。本来、歴史はその両面を持ち合わせていたものでしたが今は専門家や分類わけが進み知識の歴史の方ばかりが重視されるようになってきました。

例えば、私は暮らしフルネスの実践の中で先人たちが知恵で生み出した知恵の暮らしを伝承していますがそれを使うには自分の五感をはじめ、身近なむかしの知恵の道具たちとの協力が必要です。囲炉裏で何かをしようとすれば、囲炉裏に関わる道具たちと火を上手に調整するための道具たちで構成します。

生活文化の歴史の本では、江戸時代の生活様式と紹介されイラストと一緒にその様子が描かれています。知識としては知っていても、それを使ってくださいとなると簡単には使えません。なので、実際には日々の暮らしで実践してみるなかで知恵を習得し、そのうえで知識としてこれはどのような意味や価値があり創造されているものかを語るとき、先ほどの知識と知恵の両面を持ち合わせることができるのです。

つまり歴史というものも同様に、まずは実践を通して知恵を学び、そのうえで知識を得ることで真実の歴史を伝承していくことができるように私は思います。

私は現在、英彦山の宿坊での伝統的な暮らしを試行錯誤したり、郷里の観音霊場の甦生などに取り組んでいます。失われた伝統文化などを甦生するには、自分の足で自分の身体を使い時間をかけて感覚を優先して会得していくことからはじめます。それと同時に、文献や地域の人たちの口伝、あるいは似たような文化圏を歩いて辿っていきます。

すると、不思議ですがかつての場に遺っている余韻のようなものと和合してかつての暮らしが甦生していきます。これは単に暮らしを追及したのではなく、日本人の追及の上に醸成されたとも言えます。

私たちの本来の日本人の原型というものはどういうものだったのか。先人たちの知恵の結晶の中には、日本人が語られていることに気づきます。自然との共生や真心を持ち、水のような謙虚さや光のような純心さがあります。

親祖から連綿と続いているやまと魂に触れることはとても仕合せなものです。子どもたち、子孫にその仕合せが永続していけるように伝承的な暮らしに取り組んでいきたいと思います。

円空の生き方~修験僧の真心~

円空という人物がいます。この人物は、1632年7月15日に生まれ、1695年8月24日に亡くなられた江戸時代前期の修験僧(廻国僧)です。仏師・歌人でもあります。特に、各地に「円空仏」と呼ばれる独特の作風を持った木彫りの仏像を残したことで有名で一説には生涯に約12万体の仏像を彫ったと推定されています。現在までに約5,300体以上の像が発見されているといいます。

円空は、20代の頃に白山信仰にはいります。これは山そのものをご神体として信仰する山岳信仰のことで、白山を水源とする流域を中心に信仰されていました。奈良時代の修験道の僧侶、泰澄(たいちょう)が白山に登頂して開山し、白山信仰は修験道として体系化されたものです。円空も同様に修験道の修行をしたとされています。この修験道とは、「山へ入って厳しい修行を行い、悟りを得ること」を目的とした日本古来の山岳信仰が仏教と結びついたものです。そのほかにも伊吹山太平寺で修行を積んだといわれます。その後、遊行僧として北海道から畿内に渡る範囲を行脚し大峯山で修行したことをはじめ、北海道の有珠山、飛騨の御嶽山、乗鞍岳、穂高岳などにも登拝したとあります。

円空は「造仏聖」(ぞうぶつひじり)と呼ばれました。これは寺を持たず、放浪しながら仏の像を作る遊行僧のことをいい、幕府からは下賤とされていたといいます。しかし一部の貴族や上流階級しかお寺を拝み恩恵が得られなかった時代、庶民や田舎の農民たちには信仰は近づけません。だからこそ、そこに仏像を彫り与えて救いを共に求めたのかもしれません。

円空が出家したのは、母が洪水によって亡くなったことが切っ掛けだったといいます。最後は、その土地に還り64歳の時に断食を行い母が眠る地で即身仏となって入定したといいます。

どのような思いで仏像を彫りこんだのか、これはきっとお母さんの供養からはじまったことです。修行するうちに『法華経』に書かれた女人往生によって母の成仏を確信してこの法の素晴らしさを広めるために仏像を彫る決意をしたという説もあります。しかしこれは本人ではありませんから推察でしかありません、しかし一生涯に12万体以上彫り込むというのは、よほどの強い思いがあってのことです。

多くの人々を救いたい、その一心で彫り込んだからこそこの数になっているのを感じます。

この時代の世の中の人日が造物聖を差別したというのはとても信じられないことですが信念をもって歩き彫り込んで、自らのいのちを削り彫り込み信仰を全うしたことがわかります。そもそも修験道とは何なのか、そして本来のお山の信仰とは何か、この円空から学び直すことばかりです。

お山に入り、木のいのちや徳性を見極め、それを観立てて仏様の依り代にし祈りをもって造形していく。苦しみが救われ、慈悲を伝道していく中にいのちを全うするという生き方。今でも円空仏に心が惹かれるのは、その生き方が仏像に刻まれているからかもしれません。

悩み苦しみには観音菩薩を、病気には不動明王を、災害や雨ごいには龍王を、そして安らかな死には阿弥陀如来を彫っては依り代にしたのでしょう。

時代が変わっても人々の持つ業は失われることはありません。今はさらに効率化や自利欲や金銭が優先する世の中になり不安や不幸も増えている様相です。この時代の円空は誰か、そして円空仏は何処にあるのか。

私なりのその道を辿り継承してみたいと思います。

見極める目

物事を観察するのに、何が本質で何が本質ではないかを見極める目というものがあります。私たちは知識が増えていくうちに、あるがままのものが見えなくなっていくものです。それは知識によって知るという行為で現実が曇っていくからです。現実が曇るというのは、澱んでいる水のようにも似ています。

つまり透明で澄んだ状態ではないので見えるには見えるけれど明瞭に本質が見えないということです。それは心の状態にも影響していきます。そもそも心というのは何もなければ常に自然と同様にあるがままのものが観えるものです。

むかしの人たちはそれが観えていたからこそ、その自然や野生が持つ力を知り、それを活用して暮らしを営んできました。いのちの持つ循環やその効果などもあるがままに澄んで観えていたようにも思います。その証拠に、今でも先住民族や野生がのこっている人たちはその感覚が残っています。

しかし長い時間をかけて感覚ではなく、知識によって知ることを優先されてくると頭ではわかっても実際には観えないという状態がはじまります。こうなってくると、現実が曇ってきてよくわからないことを共同で信仰するかのように理解する社会になってきます。

例えば、地震や自然災害などは本来は畏敬と共にむかしの人たちは備えましたが今では一週間程度の備蓄と多少の装備と訓練すれば大丈夫のような感覚になっています。そんなはずはなく、現実にその時が来たらなぜそんなところに住んだのかやなぜ現実がわからなかったのかと曇りが取れます。

東日本大震災の時も、津波に原発とあの揺れと犠牲の大きさに私たちは自分自身の現実が曇っていたことに気づいた人がたくさんいたように思います。その澱みに気づいて心を澄ませて人生を換えた人も多くいたように思います。知識が通用せず、如何に知恵が大切かということにも目覚めた人も多かったように思います。

しかし歳月が過ぎ、また似たような知識ばかりを詰め込んでいるうちに気づくと曇り澱んできて元の木阿弥になります。

だからこそ如何に人間は曇らないように澱まないように心を澄ませていく暮らしを実践し日々を調えていくかにかかっているように思います。今は、自然災害が猛威をふるい、そして地球環境も人間社会も大変革期に入っているからです。

子どもたちが安心して未来を今を曇らせないように自然に寄り添った生き方、自己を磨き澄ませていくことの大切さなどを伝承していきたいと思います。

暮らしの実践

観えないものを観る力というものは、実践によって磨かれていくものです。日々の掃除をはじめ、日々の内省、初心に向かってコツコツと新鮮な気持ちで取り組み続けることで観えないものが観えるようになる境地の会得というものがあるように思うのです。

これは武道をはじめ、伝統継承の方などもその境地の会得によって一般的に観えないものを観えるようになっています。その証拠に、それを言葉にして実際に見せることができるところまで結果を出しているからです。

続けることというのは、変化を観続ける力です。継続は力なりとありますが、本来は力の本質は継続にこそあるということでもあります。最初は自分が観えるようになるまで実践をし、観えるようになったら気になりますからそれをお手入れし保ちまた時代の変化にあわせて革新し続けるように精進するようになります。

バランスという中庸もですが、中庸がわかるというのは中庸でいるということですがこの中庸は中庸を実践し続けている状態、観えないものが観え続けている状態、たとえば自然の循環やいのちが観え続けている状態のように意識がバランスを保つこと調えてある場に定着して離れないほどに取り組む状態であるということでもあります。そしてこれが暮らしの実践でもあります。私の暮らしというのは、本来その意識を保つためにあるともいえます。

現代は、資本主義などにょり仕事や経済活動が中心になって暮らしはその隙間に少しだけある程度で語られます。経済の中にある暮らしは、道具を販売したり、衣食住がよくなるため、またそれを実践するワークショップや講演会をやったりと経済と紐づいているものとして語られます。しかし本来の暮らしは、そもそも生き方のことであり生き方が暮らしにまで昇華されているということでもあります。

日本人の先人たちは、自分たちの生き方を暮らし方にまで到達させてきました。それを徹底して実践することで、自己の修養や精神、魂を磨き上げてきました。日々が精進と修行のような暮らしをしていますが、その中で感謝に満ちた足るを知る生き方を実践してきたのです。いのちを活かし、ものを活かす、徳に報いて喜ぶ仕合せの境地を会得しておられました。

私の提唱している「暮らしフルネス」はそれを今も先人たちと同じように体験することによって、日常のなかで幸福や仕合せを味わえる生き方を体得できるようになるという仕組みになっています。しかし、これも境地の会得までは実際には実践しないとあくまで一過性の体験で暮らしが変わることにはなりません。

暮らしを変えていくということは、実践をしていくということです。

子どもたちに先人たちの遺してくださった生き方や暮らしの真の豊かさを伝承していけるように引き続き暮らしフルネスの実践を味わっていきたいと思います。

善は急げ

「善は急げ」という言葉があります。「善は急げ」は、仏陀のダンマパダ(法句経)が由来の言葉です。 ここには「善を為すのを急げ、悪から心を退けよ、善を緩くしたら心は悪事を楽しむ」と紹介されています。

この善を急げという言葉は、日常的にはすぐに良いことはやったほうがいいという意味で用いられます。それが次第に、すぐにやることのことを指すようになっています。

しかしよくこの仏陀の言葉を吟味していると、実際には心が悪事に流されないように常に善いことを続けよという意味合いの方が強いことに気づきます。別の言い方にすると、「徳を積むことを躊躇わずに実践し精進しなさい」という言葉にも聴こえてきます。

気づかないうちに悪いことに影響を受けるのに躊躇うことはあまりありません。ちゃんと悪いと思ったらやりませんが、知らないうちに悪いことに巻き込まれてしまっていたらどうしようもありません。

今の時代のように、自然環境破壊や自利的な経済の競争社会の仕組みの中で過ごしていたらそれだけで気づかずに悪事に参加しているようなことは多々あるものです。それをしないようにといくら気を付けていても、圧倒的に社会が悪が強くなれば気づいたら善行の量よりもそうではないことの方が増えてしまいます。

悪をなさないと気を付けることも大切ですが、それよりも善行をしたいという強い気持ちで実践を続けることで心を調えていくことができるのかもしれません。それに善し悪しもそれがわかるというのは、それだけの視座や視野があるともいえます。だからこそこれが善いこと、悪いことと簡単には決めつけることもできません。人間は不安だとせっかちになって、早く解決したいと結果を望むものです。しかし、善いことをするのにせっかちで早く結果を出したいと思うかといえば善行は長い時間をかけて見返りもなく、徳が醸成されていくまでゆっくりと待ちます。

だからこそ不安な世の中の情勢に悲観して諦めるのではなく、それよりも善は急げとみんなで徳を積む喜びを味わう方が人類は幸福に近づいていけるように私は思います。

また「随喜功徳」という言葉もあります。これは他人が善い行為を修めているのを心から喜び、それを賛嘆することをいいます。まさに自他一体の喜びが徳になるという教えですが、善は急げということの意味深さもここにあります。

正しいことをやることや理屈で良いことを述べたり批判評論するよりも、まさに徳を積むことをどんどんやろうとみんなで善を急げの方が喜びも豊かさも倍増し幸福も訪れるように思います。これが私が思う、徳積循環の経済をみんなで伸ばしていくことでもあります。

子孫たちが、いつまでも真に豊かな心の世界が伝承されていくように善を急いで取り組みたいと思います。

 

時代の中のバトン

本物とお金という関係があります。これは真心と言葉という関係にも似ています。本物に価値をつけてお金にする作業によって本物はお金に置き換えられるようになっていきます。同様に真心も言葉で飾って上手にデザインすれば真心に置き換えられるようになっていきます。しかし、本来は本物や真心というものは何物にもかえられないものであるのは明らかです。これはいのちとお金でも同じです。いくらお金をもらえるからといのちと交換といわれてもかえられないのと似ています。

私たちは目先の損得というもので物事を判断することが増えています。長い目で観てというのは目先の損得よりも大切なものを優先しようとする生き方です。しかし、国家や政治をみていたら本来は長い目でみて対応していく必要がある事案が短期的で目先の問題ばかりを解決しようとするあまり先ほどのような置き換えられないものまで無理やりに置き換えて済まそうとする世の中になっています。

例えば、気候変動や自然災害が発生すると今までの生活が一変します。食べ物がなくなり、今までの豊富な物流が止まり、資源のあるなしで急に危機が訪れます。それまでは肥料も農薬も物流も経済もインターネットもすべて整っていましたがそれをも破壊するような災害に出会うと人は無力です。しかしそんな時こそ、先人が乗り越えてきた知恵の出番です。

食料の保存、薬草などの医療、自然と循環する暮らし、相互扶助の仕組みやあるものを活かす工夫など知恵が活躍するのです。

今の時代は人類にとって滅亡の危機に直面するような災害には遭遇していません。戦後は物が豊富にになりなんでも捨てては消費することの繰り返しでしたからより危機のイメージもありません。

しかし長い目で思索をすると、先人の知恵が如何に大切になってくるのがわかります。短期的には今の便利な道具や知識が価値があると思ってしまいますが、長期的に見たらやはり先人の知恵の方が確かです。

換えのきかないもの換えないようにすることや、伝承すべきことをちゃんと伝承することは有事の時に必ず大きな手助けになって子孫を守るはずです。自分たちの代ではないから知恵はいらないと捨て去り蔑ろにするのではなく、子孫のためにもしもがあるから今から調えていこうとすることで目先の損得に負けない克己心も磨かれるように思います。

一人一人は小さな存在ですが、先人たちの繋いできたバトンを子孫へそのまま渡せるように時代的に意味もなく価値がなくなったものでも変わらずに丁寧に伝承していきたいと思います。

自然の災害

昨日から英彦山の守静坊では滝のような大雨と地震のような雷、周囲の濁流の轟音であまり眠れませんでした。こんなにも降るのかというくらい豪雨が止まらずに降り続けています。

自然の猛威の前には、人間はなすすべもなくただ祈ることしかできません。人間が作り出した仮想空間のような世界ならまだしも、現実の地球規模の変化や宇宙はあまりにも壮大でコントロールなどできるわけがありません。

私たちは洞穴の中で、その洞穴を少し快適にする程度しかできません。それを勘違いして世界を自分の思い通りになると信じてしまうことが浅はかであり視野の狭いことのように感じます。謙虚さというものは、自分たちの思い通りにはならないという現実を直視する心から訪れるようにも思います。どうにもならないからこそ、その中でどこまでは許されるのかと現実を見つめ直すのです。

地球では動植物たちもまた似たように生きています。私たちは、脳を使って様々な集合意識を重ねることで生きていますが気が付くと現実を麻痺してしまうものです。特に権力や権威、傲慢さ、欲を優先するような環境にいればいるほどに現実は隠れてしまいます。文明というものはそうやって何度も繰り返し現実逃避によって滅んできました。

本来、私たちの先祖たちはそうならないように自然と共生し循環と共に謙虚に歩んできました。それは残された先人の知恵を観れば明らかです。翻って今の時代を見直してみるとどうでしょうか?

経済を優先し、何が本来の危険であり何が現実の危機であるのかさえわからなくなってきています。自然が安定していて、たまたまその許容範囲内で暮らしていけるから安心することができています。しかしひとたび、自然が人間にとって都合が悪くなったら今の世界は維持していくことができるでしょうか。

本来、危機だからなんとかしようとするのは手遅れで危機に備えて丁寧に慎んで準備を怠らないようにしようとするのがまともな精神です。しかしそうならないのは、それだけ何らかの不自然な現実を信じているからともいえます。

自然の災害はいつも人間に何がもっとも大切なことなのか、どう暮らしていくことがもっとも大事なことかを思い出させてくれるものです。

子どもたちが未来も仕合せに豊かに平和に安心して生きていけるように、現実を直視して本来の在り方、そして自然と共生する生き方を伝承していきたいと思います。

仏陀の絆

現代の私たちはあまりこの150年の間の歴史を知りません。明治に入り激動の時代を超えて今がありますが、この150年間で一体何が起きて何が変わったのかを検証されることもなく前へ前へと進むことばかりに注力してきました。

しかし、時代が変わっても忘れてはいけないものがありますし、今の私たちがなぜこういう生活ができているか、その御恩もいつまでも覚えておく必要があると感じるからです。「懸情流水受恩刻石」という言葉があります。これは受けた恩は石に刻み、かけた情は水に流せというものです。人として、いつまでも恩を忘れす、恩に報いていこうとする生き方は子孫繁栄のためにも大切なものです。

明日、スリランカから来客があり英彦山でおもてなしをする予定があります。

このスリランカというのは、実は私たちは大変な御恩があります。それは1951(昭和26)年9月6日午前11時からのスリランカ代表のJ・R・ジャヤワルダナのサンフランシスコ講和会議です。

実は私たちの日本は、第二次世界大戦の敗戦後、分割統治をされバラバラになるところでした。今のように一つの島国ではなく、ありとあらゆるものが解体され日本という国も失われる寸前でした。戦争に負けるというのは、大変悲惨なものであり歴史をみると文化も人も財産もすべて消失するほどの出来事に遭遇するものです。

その大事な局面が、サンフランシスコ講和条約でした。世界から49か国が署名してくれて私たちの国は主権を回復しました。そこには先ほどのスリランカの故ジャヤワルデネ元大統領が対日賠償請求権の放棄などを訴えた演説がありました。その演説がなければ、今の日本はなかったほどです。こんな大切な徳のことを子孫へ伝えないのは恥ずかしいことです。

その演説では「憎悪は憎悪によってやまず、慈愛によってのみやむ」との仏陀の言葉を引用して語られました。スリランカもまた第二次世界大戦の犠牲をたくさん受けており、損害賠償を請求する立場にあったにも関わらずすべてを放棄され仏陀の言葉を実践する演説をしたのです。他の国々もこの演説に感動して同意してくださった御蔭で、今の日本の主権は守られました。

先人たちが掲げた独立自尊の精神、本来、植民地で支配されるような世の中ではなくそれぞれが尊重しあう社会を求めて国々が平和を結んでいこうと感じたのではないでしょうか。もちろん、歴史ですからそこには大小さまざまな思惑などもあったかもしれません。しかし人の心を打つ演説にはその人の生き方が出ていますからこのJ・R・ジャヤワルダナ元大統領が目指した理想をみんなが共感したからに他なりません。

この方は、そのあとも日本と交流を続けられその後は「自分はこれからもスリランカと日本という二つの国の行く末を見守りたい。だから、二つの目の角膜の一つをスリランカ人に、もう一つを日本人に移植してほしい」と願い、そのこの遺言どおり、片目の角膜は群馬県に住む女性に移植されたといいます。

中国の老子に、「怨みに報いるに徳を以ってす」という言葉もあります。お互いに恨み憎しみあう先に、戦争はなくなりません。戦争をなくすというのは、愛と許しが必要ですがそれは一人からの勇氣ある行動によってからだと感じます。

戦争はいつの時代もいつまでも終わらないものです。憎しみや恨みは停戦しても失われず、溜め込んでは爆発し、冷戦のような陰湿なものになるだけで真の平和は訪れません。難しいことではありますが、平和のために人々はみんな一人一人の中で平和のために仏陀や老子のいうような実践を結んでいくしかありません。

私たちが日々の暮らしの中で、恩や徳に報いていこうとする生き方を実践することで世界の平和も革新していけるように私は思います。仏陀の教えに守られてきた日本とスリランカとの歴史や初心からこれからも平和の絆を維持していきたいと思います。

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