雷のこと

深夜に大きな落雷があり目が覚めました。夏も終わりに入ってきましたが、積乱雲が巨大化しているのは目にみてもわかるほどでそれと同様に落雷も巨大化しています。この落雷の巨大化は、気候変動とも密接に関わっているといいます。

米カリフォルニア大学バークレー校のデービッド・ロンプス氏は、温暖化が進むにつれ、雷雨の規模はますます爆発的になると述べています。その理由は「温暖化が原因で、大気中に含まれる水蒸気の量は増加する。『燃料』が増えるほど、点火した時に爆発の規模が大きくなる可能性があるのと同じだ」といいます。

この方の研究によれば、降水量とCAPEという2つのパラメーターを複数の気候モデルに適用した結果、世界の平均気温が1度上昇するごとに、落雷が約12%増加することが分かったといいます。そこから気温が今世紀末までに4度上昇すると、落雷は50%近く増加することになるという。落雷は現在、世界で年間2500万回発生していますが威力も回数もその倍になるということです。

今までの落雷でも、自然の猛威や威力に慄いていましたがさらにそれが激しくなっていくのを想像すると怖くなります。昨夜も、今までにないほどの激しい光と音、そして何よりも地震のような地鳴りがきて眠れませんでした。

特に地鳴りと音は今までにないほどで、これが毎年増加していくと思うとどうなっていくのかと心配になります。

もともとこの夏の雷の原理は、地面からの水蒸気が上昇気流で昇っていきます。それが冷えて氷や塵などが摩擦して静電気が発生します。積乱雲の上部にはプラスの電気が帯電し、下の方にはマイナスの電気が帯電し、地上のプラスの電気が引き上げられてつながったときに雷が発生するという流れです。上空の電気が増えて持ちきれなくなっているときに、地上の電気とつながり流れる、それで落雷ということになります。

この時の稲妻と雷鳴の仕組みですが、一般的に落雷のときの放電量は、数万〜数十万A、電圧は1億〜10億ボルトあるそうです。稲妻の温度は3万℃以上にもなります。 3万℃以上の稲妻が通った部分の空気は瞬時に熱せられ、瞬間的に膨張することで激しい雷鳴が鳴り響きます。遠いとゴロゴロとなり、近いとバリバリとなります。

落雷している場所の確認は、光ってからの音がなるまでの秒数で10秒間で約3.4キロあるといいます。光とほぼ同時に音がなればもう身近に落雷が発生しているということです。

むかしから雷は、日本では雷神とされ稲の神様ともされてきました。古代の人たちは、雲が光、その光が地上に降りてくることをどう感じたでしょうか。田んぼに落ちれば、稲が元氣になり豊作になるなど体験から雷の徳を学んだのかもしれません。

これから雷が巨大・激化していきますが、自然現象から学び直して子どもたちにその意味や徳を伝承していきたいと思います。

むすびの真心

昨日は、カグヤの初心会議のワークショップで「むすび」の体験をみんなで行いました。具体的には、合気道の極意に触れるような体験をいくつか行いました。現代は、型を中心に形式的なものが武道になっていますがどの武道も突き詰めれば戦わない知恵を極めたもののように私は感じます。

矛盾ですが、戦わないで勝つというのが真の勝利ということでしょう。我をぶつけ合い、感情や闘志を戦わせるのは周囲は興奮しますがそんなものは本当の力ではないということでしょう。本当の力は、大切なものを守るためのものでそれはすべて生き方に関係しているようにも思います。

私たちにはもともと「軸」というものが具わっています。この「軸」は辞書では車の心棒、回転の中心となる棒。また 中心や基準となる直線。そして物事の中心、大切なところと記されます。

軸が定まっていないと、色々なことに振り回されてしまいます。言い換えれば、軸がどこにあるかで自分がブレなくなるのです。むしろ、周囲のブレの影響を無効化することもできます。

敵対関係というものも、敵にならなければ無敵です。

この無敵というのは、最強の力を獲得したから無敵になると思い込まれていますが本来は読んで字のごとく敵がいなくなるから無敵です。以前、木鶏の実践を学ぶ中で無敵になることを説明されている故事を知りました。闘鶏の話でしたが、最後は木鶏になり無敵になったということです。

これを同様に、軸を立てることができそしてむすぶことができるのなら私たちは無敵になるということです。無敵になることが目的ではなく、むすびの生き方を実践することが大切だということでしょう。

様々な他力や様々な自他一体の実践によって、大いなる一つの力そのものとむすばれていく。我を通そう、自分の力だけに頼ろうとすることは力を働かせたのではなく、力は偉大なるすべてのいのちを活かすときにこそ発揮されるということ。

頭でわかるのではなく、それを日々の暮らしや実践の中でととのえていくことが大切であることを学び直しました。暮らしフルネスに通じる体験で、すぐに取り入れられるものばかりでした。

子どもたちに、先人の生き方、その知恵を伝承していきたいと思います。

大丈夫、浩然の気を養い、臥龍となる

「大丈夫」という言葉があります。これは本来、儒教の言葉で孔子 の説いた「 君子 」と同一視されている言葉です。孟子は、これを「常に浩然の気を養い、高い道徳的意欲を持つ理想の人間像」と定義しています。

それが現代では少しずつ意味が変化し、使い方も多様になっています。例えば、頑丈でしっかりとしていて安心ということ、他にも間違いがなく問題がないこと、さらには必要や不必要、イエスやノーの返答でも使います。丁寧に断るときも大丈夫ですという言い方もします。

言い換えれば、君子も大丈夫も徳を志す生き方をする人たちの総称でもあります。この言葉は、時代が変わっても自分自身をどうあるかということを問いているように思います。仏教では菩薩のことを丈夫と呼ぶようになっていきます。

この丈夫というのは、本来は中国では成人男子を「丈夫」と言いました。その中でも特に立派な男子を「大丈夫」と言ったそうです。そこから日本では立派な男子という意味になります。立派な男子という流れになるのに孟子の思想や言葉が有名です。

孟子は人間には誰でも「四端(したん)」の心が存在することを説きました。この「四端」とは「四つの端緒、きざし」という意味です。具体的には、「惻隠」(他者を見ていたたまれなく思う心)。「羞悪」(不正や悪を憎む心)または「廉恥」(恥を知る心)。「辞譲」(譲ってへりくだる心)。「是非」(正しいこととまちがっていることを判断する能力)の4つの道徳感情のことです。

この元来備わっている四端を精進することで仁・義・礼・智という人間の4つの徳を磨くことができるといいました。この端というのは、「道に入ることができる入り口」というように私は解釈しています。そしてこの徳を磨く実践することにより、見事な精神性が高まりそれを浩然の気が備わるといいました。その浩然の気が備わっている徳のある理想の人物こそ「大丈夫」としたのです。

孟子はこのような問答のやりとりが「滕文公章句下」で記されます。これは景春という人が、大丈夫というのはその人がひとたび怒ると諸侯が恐れをなし、その人が安居していれば平穏になるそんな人のことではないかと申しに尋ねます。これに対して孟子は真の大丈夫とはどのような人物であるかを返答します。そこにはこうあります。

「天下の広居に居り、天下の正位に立ち、天下の大道を行ふ。志を得れば民と之れに由り、志を得ざれば独り其の道を行ふ。富貴も淫する能はず、貧賤も移す能はず、威武も屈する能はず。此れを之れ大丈夫と謂ふ。」

これを私が意訳すると、「どんなに時代が代わり変化していくなかでも自らその天命を信じ、徳を実践する。志が人々に認められ引き上げられたなら徳を周囲の人々と共に実践し、人々がいなくても独り、徳を磨き道の実践を行う。そういう人は、名誉や地位、富貴や金銭に惑わされることもなく、貧しく苦労し困窮しても動じない。権威や権力に媚び屈することもない。こういう人物こそが真の人物であり大丈夫な人である」と。

大丈夫を志、いつか立派な男子になろうと自らを磨き上げていく。そうして社会の中で、自然体でありながら徳を循環させていく人物になること。子どもたちのためにも、浩然の気を養い、臥龍となり、その時を静かに待ちたいと思います。

火の心

先日は、迎え火をしてご先祖様をお迎えしました。これから送り火をして見送ります。もともと火は、鎮魂、慰霊をする意味もあります。この鎮魂、慰霊とは、人の魂を鎮めること、そして死者の魂を慰めることをいいます。元々「鎮魂」の語は「たましずめ」と読んで、神道において生者の魂を体に鎮める儀式を指すものだったといいます。

そして「慰霊」の方は、霊を慰むとありますがこの慰むというのは、「心を穏やかな状態に静める」という意味です。この慰むという字の上の尉はもと叞(い)に作り、手(又)に火のしを持って布にこてをあてる形を表します。それに火のしをして布が平らかに伸びやかになるように、心が伸びやかな状態になることを慰といい「なぐさめる、なぐさむ、いやす」の意味になります。また慰むは、凪という意味もあるといいます。凪は、風がやみ波が穏やかになる様子です。

このように、魂や霊が静まり穏やかに和むという意味にもなります。

私は場道家としてよく炭を使います。特に備長炭を使うことが多いのですが、この火は燃え盛る激しい火ではなく懐かしくて静かに和む火です。この火を観ていると心が落ち着き研ぎ澄まされていきます。

火はもともと古来より、祓い清めるという効果があります。特に和蝋燭をはじめ線香などの火も同様に鎮魂や慰霊に結ばれる意味がよくわかります。私たちは、穏やかで静かな火を見つめることで心が和やかになっていきます。

心が荒まないようにいつも穏やかに和やかにいてくださるように火をお供えするのです。

迎え火も送り火も常に心和やかでいてくださるようにという真心のおもてなしです。人はみんなもともとは神様です。そこにあらゆる我や欲や感情が執着して、澄んだ心が穢れていきます。またもとの澄んだ真心に回帰して静かに平和な魂になるようにと祈るのです。

私たちがお供えするものは、その清らかな心であることは古来から間違いないものです。時代が変わっても、大切に繋いでいく心は失ってはいけません。それは本来の意味であり、その心を継ぐのが子孫の使命でもあるからです。

火の有難さと感謝とともに、今日も穏やかな一日を過ごしていきたいと思います。

 

意味の甦生~お中元~

私が小さい頃は、この時期はたくさんのお中元が自宅に届いていました。お盆のご挨拶に、近所の方々や父親の会社の方々がたくさんお中元の贈答品をもってご挨拶に来られました。中身も、お菓子や果物やジュースが多かったのでとても楽しみにしていたのを覚えています。

今ではあまりお中元を贈り合うような文化はなくなりました。世の中の価値観の変化はこういう行事の消失と共に感じるものです。

この「お中元」はもともと中国の道教の旧暦の1月15日は「上元」、旧暦の7月15日「中元」、旧暦の10月15日「下元」の中の「中元」から来ています。この「上元」「中元」「下元」は「三元」と総称され道教の3人の神様を意味します。

この三人は三官大帝(天官、地官、水官)はどれも龍王の孫であり、天官(天官賜福大帝)は福を賜い、地官(地官赦罪大帝)は罪を赦し、水官(水官解厄大帝)は厄を解く神徳があると信じられていました。

中元は、罪を赦す地官赦罪大帝の誕生日である旧暦7月15日が贖罪の日になり、同に地官大帝は同時に地獄の帝でもありましたからその死者の罪が赦されるよう願う日となり今のお中元になった経緯があります。つまりこの日にお供えをして供養することで、罪がゆるされたという行事だったのです。

仏教の年中行事である「盂蘭盆会(うらぼんえ)」も以前ブログで書きましたが、仏陀の弟子の目連が地獄に落ちて飢えに苦しんでいるお母さんを助けるため仏陀の助言に従い、旧暦の7月15日に百味を盆に盛って修行を終えた僧たちに供養して救えたという話がはじまりの由縁です。この仏教と道教、お盆とお中元が結びついてお盆の時期に贈り物をするようになったといいます。

日本人は、時間をかけてあらゆる宗教や信仰を上手に暮らしに取り入れて融和させていきました。その御蔭で、日本ではあらゆる行事の中で知恵が生き続け活かされ続けています。その恩恵はとても大きく、私たちは知らず知らずにして知恵を会得しそれを子どもに伝承して暮らしをさらに豊かにしていたのです。

話をお中元に戻せば、お中元が食べ物が多いのはお互いに共食といって同じ釜の飯を食べたり、煮物を分け合い一緒に食べることがお互いを信頼し合う関係づくりにもなったからです。家族のように心を開いて一緒に食べることで、お互いの結びつきやご縁に感謝することもできます。

これは神道の直会と同じような意味で 神様に供えた御神酒や神饌を弔問客でいただき身を清める、という神事の一つでした。

みんなで分け合う、助け合う、共食することで神様やご先祖様の気持ちになって穢れを祓い、平安の心に甦生します。

むかしの人たちは、このお盆や正月は身を清めるような暮らしをととのえていたように思います。現在はあらゆるものが形骸化して、意味が分からないままにカタチだけになったものが増えてきました。しかしちゃんと意味を理解し、実践する人たちの背中や実践が意味を甦生させてくように思います。

子どもたちにも、本来の姿、何のために行うのかを伝承していきたいと思います。

御大師講

私の故郷にはかつて御大師講というものがありました。今から130年以上前に、八十八箇所霊場を設置し、戦争で亡くなられた子どもたちや家族のために定期的に参拝をしていたといいます。

関の山という山を中心に、町の中の辻々にお地蔵様のカタチで安置されております。それが道路の開拓や御大師講の衰退と共に、一部は何処にいったのかもわからなくなっています。

もともとこの「講」というものは、古文書ネットによれば「講とは、中世から今日に至るまで存在した宗教的・経済的な共同組織のこと。元々は仏教の経典を講義する法会(ほうえ)の儀式でした。しかし、それが次第に社寺信仰行事と、それを担う集団を指すものとなり、さらにその成員の経済的共済を目的とする組織をも意味するになったといいます。講・無尽(むじん)・頼母子(たのもし)の名称はいずれも同義に用いられ、貨幣または財物や労力を、あわせあって共同で融通しあうものを示すようになりました。」とあります。

その講には種類があり、経済的に助け合う講もあれば信仰的に結びつく講もあります。むかしは小さな地域で生活を共にし助け合う関係がありましたから、定期的に寄り合いをし集まり、意見交換をしたり決めごとを話し合ったりしてきました。今の時代のように国家という概念で管理し統制するようになっているからイメージがし難いものですがかつては自律分散型で対話によって時間をかけて村の自治をしてきた歴史がありました。

今、地域創生など色々といわれていますが実際には中央集権の管理型の体制や仕組みで国家運営をしていますから大きな矛盾があります。下から上ではなく、上下左右の見事の連携があってこそ地域ははじめて活動するものです。

話を御大師講に戻せば、この御大師講は弘法大師空海を信仰してみんなで寄り合いをし信仰を深めたり守ったりして教えを学ぶ会でもあります。この御大師講はそれぞれの地方によってやり方も内容も少し異なるといいます。

私たちの地域では、弘法大師と所縁のある木像や掛け軸、仏具などを使い、地域の数世帯~十数世帯で講連中を構成して定期的に各戸持ち回ります。その当番家のお座敷に簡単な祭壇を設えて講連中(各家の代表者)が集まってお祀りをします。その後、直会のように飲食をするという寄り合いが行われてきたといいます。

定期的にそれぞれの家に集まりますから、家が狭かったり料理するのも負担もあったかもしれません。それに持ち回りですから、必ず出番もまわってきて苦労もあったと思います。この講の寄り合いがなくなってきたのは、むかしのような地域やムラのカタチが失われたり、家の中に座敷や和室がなくなったというのもあるといいます。それまで持ち回りしていた木像や掛け軸も今では、どこかの家で止まってしまい保管されるかお寺に戻されたかもしれません。故郷のお地蔵様も、場所によっては廃墟のようになってしまい誰も手入れせずに打ち捨てられたところもあります。

かつての風習が失われてしまい、それがゴミのように捨てられているのは心が痛みます。私も古民家を甦生させたり、かつての歴史的な場の甦生を行っていますが想いや祈りは記憶として遺っていますからそれが色あせて廃墟になっているのを観るのはつらいことです。

この時代にも新しくする人物が出たり、かつての善い取り組みをこの時代でも形を換えて甦生させれば先人たちの想いや願いや祈りは今の私たちの心につながっていきます。

故郷をいつまでも大切にしてきた人たちの想いを守りながら、子どもたちにもその懐かしい未来が残せればと思っています。

心おもてなし

この時期はいつも御先祖様をお迎えするためにお墓のお手入れや古民家の掃除や室礼を行っています。先祖を辿ることがあってからご先祖様が増えてお参りするところやお手入れするところも増えていますから結構長い時間をかけて取り組んでいます。

本来は、場所も数も増えて大変だと思われますが実際に実践しているとご先祖様に供養させていただける豊かさや仕合せに包まれていきます。お盆のこの時期だけでこの有難さ勿体なさを感じますから本当はもっと事あるごとにみんなでこの時を味わい楽しむ時間が持てたら世の中はさらに徳が循環していくのではないかとも感じます。

私たちは御先祖様の供養の大切さなどを知識で最初に教わります。それは祖父母からか、あるいは学校からか、もしくはお寺などからです。しかし押し付けられた知識では逆に反発をして、失礼かもしれませんが正座してお坊さんの長い話を我慢したり、蚊の多い話の中での墓参りや猛暑厳しい中で厚着をしてじっとすることなど辛かった思い出が多く楽しいなどとは思いませんでした。

しかし手を合わせて線香の香りとおりんの音を聴いていたら心が落ち着く感覚は覚えていました。それが年を重ねていく中で懐かしいものや古いものと接する中で、磨いて甦生させたり、お手入れし寿命を伸ばしていくなかで、このご先祖様の存在に助けられ、守られているのかを感じられるようになってきました。

そして具体的に目には見えませんが、今の自分と共にある存在を直観していると心が満たされ幸福感が訪れてきます。この幸福感は、自分に流れている縦の時間、歴史の空間、記憶のご縁などを味わっていることで得られているものです。

私たちは目には見えないものを心で感じるとき、心が満たされる感覚を持ちます。そこは目に見えないプロセスや想いや願い、祈りからのあらゆるものが入っているのを感得できます。

これは料理などと似ていて、手間暇をかけて心を籠めて大切に素材を育て調理して器に盛り、最適なタイミングで自分の心を運び提供したものに人が感動するように心はそういう目には見えないものを味わうことができるのです。

今の時代は特に目の時代で、目ばかりを酷使し疑心暗鬼になりがちです。しかし、心を大切にして心が味わいたいと思っているものに自分を寄せていけば自ずからご先祖様の見守りにも感じられるようになるように思います。

このお盆の行事は、忙しい現代の心を和み休めるための大切な節目になります。ご先祖様の存在を感じながら、心おもてなししていきたいと思います。

使命の全う

昨日からハーバード大学で修験道の研究をされているカナダ人の方がBAに来られています。色々と情報交換をしていると、この道に入ったことの理由やその哲学などを語り合い豊かな時間を一緒に過ごしています。

もともとこの方が大学生の時に、仏教のことを教えるいい先生に出会ったことが切っ掛けだったそうです。この先生は、仏教の教えとして苦労することの大切さ、そして森羅万象の死について話をされたそうです。そこで価値観が転換し、仏教の道を学び始めたそうです。

その後は、カナダの先住民族の儀式で日本でいうお祓いのような行事に3年間をかけて参加して自分の中の価値観を醸成されたそうです。もう日本は12回目の訪問で、少し前までは出羽三山で研究を進めていたそうです。

このカナダの先住民の儀式をきくと面白いもので、シャーマンが石を火にかけてそれを円の中心に置き、サウナのようにみんなでその中に入ります。その石に、聖水や薬草のような何かをいれてかけてその水蒸気を浴びながら祈る、謳うという具合です。夕方17時くらいからはじまり深夜まで行われたそうです。まるで温泉やサウナに入ったあとのようなととのうような感覚だったそうです。

これを何のためにするのかと聴いたら、先住民族の方々は「甦生するため」とあったそうです。毎週1回、これをすることで生まれ変わることができるという意味だそうです。

この感覚は、私の取り組んでいる暮らしフルネスの「お手入れ」と同じです。私も、生きていたら日々に穢れもくすみもでてきます。それは物事が分化して複雑になっていくからこそ、初心に帰るように原点回帰していくためにも行います。

掃除も同じく、洗濯も同じく、使うと器が汚れるからそれを濯ぎ洗い拭いて仕舞うのです。私たちの心身は器ともいえます。その器には何が入っているのか、それをある人は心ともいい、またある人は魂ともいいます。どのような呼び方であっても、私たちは器に盛られた一つの存在です。

どのように生きるのか、器と一緒にどこに向かうのかは自分で決めることができます。どの時代においても、先を観て何が大切なのかと伝承してきた人たちは古から知恵を受け継いで現代も暮らしをととのえています。

暮らしがととのうことは、人間が自然の叡智をもって自然と共生し平和を保っていくことです。人間がこの甦生や生まれ変わりをしなくなれば、そのうち穢れも積もり悲しい出来事が増えていきます。

苦労も死も、私たちがどうにもならない諦観を持つための材料として存在します。何を諦めて、何を諦めないのか。現代のように人間中心の世界や社会が広がるなかで、どのような空気を吸っているのか。私たちは蓮の花のように汚泥で美しい花を咲かせる時、先人の偉大な徳を感じるものです。

子どもたちのためにも、自分の使命を全うしていきたいと思います。

戦争の本質

戦争の足音が少しずつ身近に迫ってきています。こういう時にこそ歴史を直視して、なぜ戦争が起きるのかということを見直す必要があるように思います。私たちは、戦争は国家が起こしているもののように思っています。しかし、この国家というものの正体はとても曖昧なものです。

そもそも集団というのは曖昧で、集団をコントロールするものがあってはじめて集団は存在します。人々は集団ではなく一人一人の意思があって存在するものです。その一人一人の意思があれば戦争は未然に防げるものです。

もっとも危険なことは、集団に依存し一人一人が考えなくなることかもしれません。一人一人が、真摯に考えて戦争の意味を深めていけば誰かの操作されることもコントロールされることもありません。

戦争は人間が起こすことだからこそ、人間がなぜ戦争を起こすのかを深く見つめる必要があります。誰かの利益が誰かの不利益になるからこそ、利益を得たい人たちが戦争を利用するともいえます。その戦争を利用する人たちが、国家というものを持ち出し、国民を使って利益を確保しようと戦争にしていくのです。

利益と不利益、争いはいつまでもなくならないのはその権利を奪い合う構図がなくならないからです。哲学者のサルトルが、「金持ちが戦争を起こし貧乏人が死ぬ」とも言いました。

権力者になるということが戦争をいつまでも終わらせないのです。そして守るための平和、平和であるための武ではなく、武を権力を維持するために使うのが戦争なのです。動物たちが行う戦争は、あくまで生きるため、そして守るためです。権力を永遠に維持するためではありません。

ダライラマ法王はこういいます。「たいていの軍事行動は、平和を目的としています。しかし現実の戦争は、まるで生きた人間を燃料とした火事のようです。」と。

ひたすら燃料を投下しては、燃やしていく。何のためというと、そこに権力や利益があるように思います。そして内村鑑三はこういいます。「戦争は戦争のために戦われるのでありまして、平和のための戦争などとはかつて一度もあったことはありません。」

生まれたばかりの赤ちゃんが戦争をしたいとはいわないものです。誰かに助けられなければ生きてもいけない自分が誰かを殺そうとはできないはずです。助けてもらってこの世に私たちは存在しているともいえます。

助けれてきたいのちだからこそ、助け合う社会をつくることが仕合せになります。産まれたままの赤ちゃんのまま死ぬまで助け合って生きられたらそれが平和であろうと思います。

原爆の日である今日は、なぜ原爆がつくられ落とされたのか、色々と考えを巡ります。子どもたちのためにも平和について伝承していきたいと思います。

 

かんながらの道

先日、ある方から本をいただきそこに「誠実自然」という言葉を見つけました。誠実と自然をそのまま並べていた言葉でしたので気になって改めて意味を深めてみました。そもそもこの誠実という言葉は、辞書をひくと「誠実」とは、私利私欲がなく、誠意・真心をもって人や物事に対する様子と書かれます。

さらにこの誠の文字の成り立ちをみると、「神様への祈りが成る」と書き、「想いが神様に真実と証明されたこと」ことを意味するそうです。そして「実」は實とかき、「本当のことがみちる」意味になります。字も「祭壇に貝(’宝)をたばねたものの組み合わせでここから真に中身があるものとされました。

誠実とは、嘘偽りなくそのままであるという意味です。

そしてこのあとの「自然」という言葉、この言葉もまた誠実と同じくあるがまま、そのままであるという姿です。別に無理に自分を装うのではなく、いつもの自分のままであること。これは別に自分のすべてを見せるという意味ではありません。いつも心を開いて神様や天に対して恥じることのないありのままの自分でいることを心がけようとするものだと私は思います。

自然体というものは、自分の定めた初心に対して正直で素直であるということです。つまり自分の心を優先していく生き方を実践しているということです。西郷隆盛なら敬天愛人ともいいましたし、吉田松陰は至誠ともいいました。

天地自然の一部として自分が自分のままに心に正直に生きていくことは、そのまま自然の天命を生きるということでもあります。天寿を全うする生き方をすると、人はその人をみて感動するものです。

私たちは地球が創造したものですから、心は地球そのものです。地球の心を生きることができたとき、そこは自然になります。これを私は「かんながらの道」と呼んでいます。

立場や生まれも異なっても、同じように生きた人。大和魂や武士道を実践した人がいることを知ると嬉しくなります。子どもたちのために、私も生き方を大切に残りの人生を自然体で全うしていきたいと思います。