場数の妙

私たちはバランスや調和の中で進化、変異を続けている存在です。これは昨日、ウイルスのことでも書きましたが何度も繰り返されるプラスとマイナスを組み合わせてゼロにしていく中で何回もしくは何億回に1度にだけ調和ミスが起こり形が生み出されていくのです。

広大な宇宙の仕組みと、この身近の最小の仕組みは原理と法則に従って同じことが発生しています。つまり私たちはどんなに分かれていると思っていても宇宙という空間の中で存在しているものですから当然、宇宙の原理原則の中にあるのです。

神話には、伊弉諾と伊弉冉の話で1000人をこれから黄泉の国に連れていくといったら1500人産み続けて増やし続けるという話がありました。もともとはこの世に死というものがなかったものが、このことで発生し、生死の数が微妙にずれるということになったのです。

現代科学でも、素粒子や原子や電子のことがわかってきています。もともと天文学的な回数の調和と破壊の繰り返しの中でのゼロが、ある時突然変異して形というものが出てくるということまでは解明されてきています。

これは私の仮説でもありますが、太陽系も銀河系も、この世の宇宙は基本的には規則正しく相対的なものが毎回、お互いの性質によって消しさってゼロになります。しかし物凄い回数か時間をかけて、ほんの小さな変化が誕生します。それはどちらかの性質がほんの少しだけ強いということでしょう。先ほどの神話であれば、生成するエネルギーの方が崩壊するエネルギーよりもほんの少しだけ強いということになります。

宇宙の本質は、無から生成発展していくということです。物を産み出す原理はこの循環の中で誕生する微細な変化が偶然にも奇跡的にも現れるということでしょう。発明もまた何度も何度も繰り返す中で、エジソンが電球を産み出したように誕生するのです。

そう考えてみるとき、私はこの「場」で誕生する「場数」というものが大きな意味を持つことを感じます。場は、現代科学では場の量子論というものが解明されてきています。場には、素粒子や波動がありまるで空間の中の無に意志が宿るように場が存在するというのです。

私は場の道場を運営し実践していますが、場は繰り返す中で場数が誕生し、その中で奇跡もまた発生してくるのを何度も見てきました。これを場数の妙と名付けています。私たちはこの宇宙の真理を語るのに、この「場」の存在がこれからは何より重要であり、場数とは人類が新たな困難を乗り越えるために必要な思想であり原理になるのは自明の理です。

子どもたちのためにも、場数の価値を伝承し場数を磨いていきたいと思います。

漬物の智慧

昨日は、妙見高菜の漬物のお手入れを行いました。今年の春先に漬けたものはこの時期に次第に塩が抜けて漬け直しが必要になります。もともとこの漬物の原理は、科学で分かっている部分とわかっていない部分があるように思います。

私は石も自然石にこだわっていますが、同じ重しでも出来上がりが異なるのです。他にも木樽で、その漬物の小屋を発酵させるような場にしていますから環境が整っています。しかし今でも、毎回発見があり、この漬物の奥深さに驚くばかりです。

今回は、一樽だけ失敗してしまい腐敗してしまったものがありました。これは蓋が少し大きかったので樽のサイズにあわずに重しがかからなかったからです。しかし水が上がっていたのですが味も香りもやや腐敗に傾いていて厳しいものがありました。

この漬物は科学的には乳酸発酵によって醸成され仕上がっていきます。発酵の世界では、乳酸菌と腐敗菌の働きによって絶妙に調和されて漬物はできます。乳酸菌は塩の中でも平気で空気がなくても元氣に活動できます。しかし腐敗菌は塩や酸が苦手です。漬物の塩分がなくなり空気がたくさん入ってくると腐敗菌の方が増えていき食べ物は腐敗して人間には食べれません。

もともとこれらの乳酸菌や腐敗菌は、分解者です。自然界では循環を促し、最終的には土に帰す役割を持っている微生物です。その微生物たちの代謝から産まれた成分によって私たち人間も栄養などを吸収することができています。

私たちすべての生き物は、他者の働きによって栄養を得ていてこれが自然の共生原理でもあります。よく腐敗したものを食べると食中毒になると思い込んでいる人がいますが、腐敗菌は別に食中毒菌ではありません。香りや味わいがアンモニアを含め、腐敗に傾くのであって腐敗菌から出てくる働きを栄養にするものにウジ虫やハエ、その他の生き物が集まってきますが食中毒菌がいるとは限りません。

もともと食中毒菌は、ボツリヌス菌や、サルモネラ菌、赤痢菌、ノロウイルスなどもありますがそれぞれは付着していたら腐敗していない食べ物を食べても食中毒になります。手洗いや熱での消毒が必要な理由でもあります。その中のいくつかの微生物は、増えすぎて食中毒になるものと、少し付いているだけでも食中毒になるものがあります。

身体に異物としてその微生物を感知しますから、すぐに下痢や嘔吐でその微生物を体外に排出しようとするのです。人間の身体には、100兆匹の微生物で構成されています。種類も相当な数のものがいます。その中でも合わないものがあるから食中毒になるのです。

乳酸菌といっても、あらゆる菌が組み合わせっているものです。それを美味しいと感じるところに人体の不思議があるのです。私たちが普段食べている、チーズや納豆、キムチや漬物、甘酒やワインなどあらゆるものはこの乳酸発酵のもののおいしさです。若々しく細胞を保つのに、腐敗の方ではなく乳酸の方を多く取ろうとするのはそれだけ人間の体内の微生物がその働きの栄養素を欲しがっているからでしょう。

漬物の不思議を書くはずが、微生物の話になってしまいましたが私はこの漬物の持つ智慧は未来の子どもたちに必ずつながなくてはならないものだと確信しています。発酵の智慧、重力や引力の智慧、場づくりの智慧、炭の智慧、樽の智慧、塩梅の智慧、太陽や日陰の智慧、風通しの智慧、季節や作物の育て方の智慧、ウコンなど植物の智慧、手入れの智慧、めぐりの智慧、郷土の智慧、醸成の智慧、、まだまだたくさんありますが智慧の宝庫がこの漬物なのです。

子どもたちに暮らしフルネスを通して、大切な智慧を伝承していきたいと思います。

変異と進化

コロナウイルスが次々に変異して感染拡大は広がっています。この変異というものは、言い換えれば進化ともいえます。この仕組みは生命が生存するためには必要な力で、生き残るために変化・進化していくのは自然の仕組みです。

少しこの新型コロナウイルスの変異・進化について深めてみます。

ウイルスは細菌とは違って自力では増殖できません。なのでヒトや動物など他の生物の細胞の中に侵入し自らのコピーを作ることで増殖します。そうやってウイルスの遺伝子が大量にコピーさせていきます。

この時、細胞に入って何度もコピーを繰り返すうちに遺伝情報を受け持つRNAと呼ばれる物質の配列にごく小さなミスが起こします。いわばこのコピーミスが誕生したとき、それを「変異」と呼びます。新型コロナウイルスは平均では2週間に1か所のペースで小さな変異を起こし続けるといわれます。つまりウイルスは常に新しい環境に適応しながら進化していくのでワクチンの効かないものもこの先、さらに出てくることが予想されているのです。

インフルエンザも同様に毎年変異をして現れてきます。過去に感染していても、新たに感染するのはそれだけコピーしながら進化しているからです。何年かに一度は、まったく別のウイルスになってしまいワクチンが効かないものも出てくるのです。

ここから新型コロナウイルスのことを考えてみると、この先にどれだけ人類がこのウイルスとかかわるのが観えてきます。変異し続けながら広がっていくのだから、防ぐ方法は変異のスピードを遅らせ抑え込んで落ち着いてくるまで待つか、もしくは治療薬を開発して感染しても治療できる体制を整えるかしかありません。

変異・進化し続けるのだから一度、感染してもまた別のタイプのウイルスに感染します。その変異・進化に合わせて私たちヒトも変異・進化していくしかありません。

本当は人類が今のように変化・進化してこれたのはウイルスがコピーしてコピーミスをしてくれてきたからという側面もあります。身体の細胞を環境に合わせてブラッシュアップする役割もウイルスが担ってくれていたことがあります。環境や気候の変動でウイルスが出るのも、それは変化に合わせて進化していくためという部分もあるのです。ウイルスはヒトの進化に欠かせませんから全部敵だとして、完全に排除しようとするのはそもそもの存在に対して無理があるように思います。

もしもこのウイルス人為的につくりだしたものでも、時間が経てば自然界のものに回帰していくのが道理です。それまでの間、如何にウイルスと共存するかを私たちは考えさせられることになるように思います。

ウイルスの持つ意味を学び直しつつ、この先の人類のために経験の智慧を伝承していきたいと思います。

 

いのちを守る実践

土地本来の樹木で森を再生する植林活動に長年取り組んだ植物生態学者で横浜国立大名誉教授の宮脇昭さんが先月、お亡くなりになりました。森林再生で「宮脇方式」(ミヤワキメソッド)を発明して4000万本の木を植え世界に貢献しました。

宮脇さんは、現在の多くの土地や森は過度な土地の開拓や、商用林の過剰などの現代人たちがやってきたことで土地本来の多様性や強さを失ってしまったといいます。その土地に適した植物を使って自立する森をつくることで自然本来の姿に戻そうというのが宮脇さんの提案することでした。

シンプルに言えば、本来の森に帰す、森の育ちを邪魔しない方式、自然農も同様に自然を尊重する甦生の仕組みということになります。

具体的なメソッドの特徴は、「本物の自然に帰す」「混色して密集させる」「毒以外は資源にする」「スコップ一つで誰でもできる」など、生態系を活かす知恵が仕組みの中にふんだんに取り入れられています。この方式で、300年の森を30年で実現させ、都市部にも生態系との共生を実現させています。つまり世界のあちこちで日本の伝統の鎮守の森をつくり守り育てる活動が広がっているのです。

地球温暖化で、一昨日から故郷では記録的豪雨で水害が起き、世界では熱波や山火事、そして砂漠化や砂嵐、バッタなどの大量発生、ウイルスなど気候変動はもう待ったなしで人間に襲い掛かってきます。この原因をつくったのは人間ですから自業自得ともいえますが、だからといってこのまま指をくわえて何もしないというわけにはいかないのです。子どもたちがいるからです。

未来のために何ができるか、そこでよく考えてみるとやはり唯一の方法は「自然を敵視せず、自然を尊敬し、自然と共生する」しかないと私は思います。そのために、どうやったら自然と共生できるかをこの日本から世界に発信していく必要があるのです。

私の提案する暮らしフルネス™の中には、この生態系と共生する智慧も暮らしの実践の中に入っています。発酵の智慧も、自然農の智慧も、生き方の智慧も、この森林甦生の智慧もまた暮らしの一つです。

日本人は、本来、スギやヒノキや松は暮らしの中で活用することが前提で植樹を続けていました。その暮らしをやめてしまっているから潜在自然植生も失われて森が荒れてやせ細っていったのです。近代の文明を全部をやめて、商業的利用をすべて停止してなどといっているわけではありません。

本来の豊かな暮らしは、半分は自然との調和、半分は人間社会での発展というバランスの中に心と物の両面の真の豊かさと和、仕合せがあります。極端な世の中になっているからこそ極端な対策が出るのであって、最初から調和していればそれは日々の暮らしの小さな順応で十分対応できたのです。

最後に宮脇さんの遺した「いのちの森づくり」の言葉を紹介します。

「日本には、世界には無い『鎮守の森』がある。木を植えよ!土地本来の本物の木を植えよ!土地本来の本物の森づくりの重要性を理解してください。土地本来の森では高木、亜高木、低木、下草、土の中のカビやバクテリアなどいろいろな植物、微生物がいがみ合いながらも少し我慢し、ともに生きています。競争、我慢、共生、これが生物社会の原則です。いのちの森づくりには、最低限生物的な時間が必要です。潜在自然植生の主木は深根性、直根性で、大きく育った成木を植えても育ちにくいものです。大きくなる特性を持った、土地本来の主木群の幼苗を混植・密植します。生態学的な調査と知見に基づいた地域の潜在植生による森づくり、いのちと心と遺伝子を守る本物の森づくりを今すぐ始めてください。潜在植生に基づいて再生、創造した土地本来の森は、ローカルにはその土地の防災・環境保全林として機能し、地球規模にはCO2を吸収・固定して地球温暖化の抑制に寄与します。生態学的には画一化を強要させている都市や産業立地の生物多様性を再生、保全、維持します。さらに人間だけではなく人間の共生者としての動物、植物、微生物も含めた生物社会と生態系、その環境を守ります。本物の森はどんぐりの森。互いに競争しながらも少し我慢し、ともに生きて行く、というエコロジカルな共生を目指しましょう!あくまで人間は森の寄生虫の立場であることを忘れてはいけません!森が無くなれば人類も滅びるのですから。」

私が感銘を受けたのは、本物は耐える、そして本物とは何か、それは「いのち」であるということです。一番大切なものは「いのち」、だからいのちの森をつくれと仰っているように感じます。

いのちの森は、鎮守の森です。鎮守の森は、古来よりその場の神奈備が宿る場所、それを守り続けるのはかんながらの道でもあります。子どもたちの未来のために、私も子どもたちのために未来のために、いのちを守る実践を公私ともに取り組んでいきたいと思います。

 

年中行事の意味

お盆に入り、ゆったりと休みを過ごしています。もともと以前にも書きましたが、お盆の行事は西暦606年からはじまります。江戸時代までは一部の武家、貴族、僧侶、宮廷だけで執り行うものでした。それが蝋燭や提灯など、必要な道具が安価でできるようになり一般庶民にも広がっていったといいます。

江戸時代までの日本は、休日といえば正月とお盆くらいしかなかったといいます。基本的には、日々の暮らしの中で仕事をするのではなく「働く」という意識で生活共同体を組んでいましたから日々の暮らしの中では休みと仕事の境界線はありません。今では出勤しているときとそうでないときで分けていますが、家で働く丁稚奉公などの場合も含め一緒に住んでいますからほとんど家事手伝いのように協働しながら暮らすのです。

お盆休みという風習は、「藪入り」といって江戸時代の商家に広まったのがはじまりといいます。最初はお嫁に行った女性が実家に帰る日のことで関西では親見参、六入りとも呼ばれていたそうです。まとまったお休みが取れ実家に帰ることができるのが、正月とお盆だけというのは今の人たちにはびっくりするかもしれません。今のような便利な時代には、いつでも家を空けられ仕事も交代できますが少し前まではそんなことができないほど社会で構成されていたのです。今では、日曜日が休みになっているのは当たり前ですがこれも第二次世界大戦以降のものです。テレワークなどというのは、この150年の間での働き方でいかに大きな変化であるのかがわかります。

話を藪入りに戻せば、江戸時代は将来、仕事として職人や商人などになるために、13~14歳くらいから師匠や商家を選んで丁稚奉公をする時期でした。基本的には、弟子入りするのだから奉公人たちには、ほとんど休みはありません。しかし今のように学校にいかなくても働きながら現場で身に着けて、時にはその稼業を継いだり、暖簾分けをしたりとして後継者を育成していた暮らしの智慧だったのでしょう。

正月とお盆に、丁稚奉公や嫁に嫁いだ娘が実家に帰ってきてゆっくりと休んだり、親孝行をするという文化は今でも色褪せなく残っているように思います。今はコロナで帰省をするなと政府は言いますが、なぜ帰省しようとするのかをよく共感して話す必要があると私は感じます。

離れていて、なかなか会えないからこそこの貴重なお盆と正月にみんなに会いたいと願うのは日本の生活文化であり、日本人の家族を大切に思う真心と生き方です。

休みをどう使うのか、それはその人の自由です。しかしその休みには本当はどんな意味があったのかはちゃんと伝承していく必要を感じます。日本にはとても素晴らしい年中行事がたくさん残り今でも継承しています。西洋文明が入り、旧暦が新暦になり、カレンダーやスケジュール、また商売的な行事が増えて本来の日本の伝統行事は薄まってきています。

しかし意味があったものをただ意味もなく続けることは、かえって本来の行事を喪失させていくことになります。これは理念というものも同様に本来、意味があっている理念を思い出しもしないでただやっていると理念が形骸化し本当の意味も喪失していきます。伝統行事もまさに同じく、私たちはちゃんと意味を思い返しながら実践していくことが遺したいもの譲りたいものを次世代へとつないでいく責任であり、智慧は私たちの代で終わらせるものでもないのです。

自然の篩にかけられて消えるのならいいのですが、不自然な篩にかけられて失うのは本意ではありません。子どもたちにいつまでも大切な願いや祈りが伝わっていくように、私たちは意味を甦生させ紡いでいく役割があります。

お盆休みの意味を味わいながら、あと数日ほど大切に過ごしていきたいと思います。

線香と徳

盂蘭盆会で昨日から準備をし火をたいてご先祖様へのおもてなしをしています。この時機は特に線香との縁が深くなるので、引き続き線香についてもう少し書いてみます。

昨日のブログでは、お香の伝来に関することで日本書紀にある聖徳太子のことなどを書きましたが今のような棒状の線香になるのは16世紀半ばに中国から伝来し17世紀半ばころから国産されるようになったといわれています。

具体的には日本では『御湯殿上日記』や『実隆公記』、『言継卿記』などの文献に室町時代には伝来していたといわれています。その当時は公家の贈答用品でした。国産で線香がつくられたのは諸説ありはっきりとしていないといいます。一つには、長崎で五島一官という人物が1667年頃に造り始めたという説。もう一つには堺で線香の形状が発明され一般に用いられるようになったという説があります。

もともとこの線香は、正式には「綫香」と書きます。この「綫」という文字は「細長い糸」という意味です。細く長くすることで燃焼時間を伸ばし香りの発生を一定にし燃焼が安定していることから扱い易いことから今でも重宝されています。

江戸時代では、この線香は時計の代わりにも使われたといいます。禅寺では座禅を行う時間の単位として、約40分の燃焼で「一炷(いっちゅう)」としました。

また線香の種類には、主に「匂い線香」と「杉線香」というものがあります。匂い線香は椨(タブ)の木の樹皮を粉末にしたものに白檀や伽羅といった香木の粉末や他の香料、炭の粉末、その他の材料を加えて練り、線状に成型・乾燥させたものでできています。そして杉線香は3ヶ月ほど乾燥させた杉の葉を粉砕機や水車を用いて粉末にしたものに湯と糊を加えて練り、線状に成型・乾燥させたものでできています。現代では、煙が出ない線香がでたり、ハーブやラベンダーなどの香りの線香もできています。

時代の変化でお香も辿ってきた歴史があり、香道といってその奥深さを味わう実践も弘がっています。本来は、仏教で誕生したもので盂蘭盆会では供養として線香は欠かせません。仏教の経典、俱舎論には人があの世にいくと生前に徳を重ねた人は良い香りを食べることができると記されています。先祖や故人に振る舞うおもてなしとして、線香を焚くことはその徳を偲ぶことにもなると思います。

最後に、では線香は何本をあげてどのように焚くのかという疑問があると思います。私もよくお寺などで色々な立て方をみては、どれが本当だろうかと思うことがあります。調べてみると、宗派で様々で1本~3本くらい、横に寝かせているものもあります。

ある宗派では、一本は一心不乱、二本は戒香・定香、三本は三毒を焼くという意味であるといいます。どちらにしても、本数の問題ではなく大切なのはその真心で線香をお供えするということに仕合せを感じます。

子どもたちがいつまでも安心してこの先も生きていけるよう、先祖や故人の見守りに感謝しその徳を偲んでいくことを伝承していきたいと思います。

 

香福

盂蘭盆会の準備で、今年も室礼をしご先祖様を迎える準備をしています。その中でお香のことを深める機会がありました。少し整理してみたいと思います。

もともと日本最古のお香の記録は推古3年(595年)現在の淡路島に流れ着いた大きな流木を薪にして火にくべたら何ともいえない高貴な香りがしたことが発端だったと日本書紀に記されています。この時、驚いた島民がこの立木を献上したところ聖徳大使がこのお香を嗅いですぐに「香木である」と答えたといいます。

びっくりした島民がすぐさまこの流木を献上したところ、この香りを嗅いだ聖徳太子が「沈である」とお答えになったそう。【沈】とは香木・沈香のことで、この頃にはすでに香木の存在が知られていたということが伺えるエピソードです。このころはすでに仏教が伝来していますから中国から入ってきた漢薬(香原料)が使われていたといいます。これが現在の焼香になっていきます。

淡路島は、現在でも線香の生産量日本一を誇ります。まさか日本のお香の歴史が淡路島からはじまったということは私も知りませんでした。

その後は奈良時代に入り、鑑真和上が授戒、建築、薬草などを日本に伝えました。その中に唐から持ち込んだ薬草や香原料を調合してより効能の高い薬もつくられました。この調合の仕組みでいくつものお香が発明されました。この時代のお香の効能は、魔除け・厄除け、防虫などで用いられます。そして東大寺の正倉院には、日本最古の香袋(匂い袋)が収蔵されています。

ここから聞香や組香などの香道が開いていきますが、このお香は奥が深く今回の記事では書ききれそうもありません。

私は、日ごろから白檀のお香を好んで使っています。この白檀は仏教との関わりが深い植物で数珠や仏像、位牌(いはい)などの仏具にも使用されます。お釈迦様を荼毘したときにもこの白檀が使われたといいます。

この白檀は、木の幹の部分が白っぽいことから「白檀」と呼ばれるようになったといいます。科学的にはサンタロールという成分の香りですがこの成分は化学合成できないため大変貴重なもののままです。

仏教では、お香を供えることを供養としています。このお供えするというのは、仏様やご先祖様へのおもてなしでもあります。心を沈めて線香をたき、手を合わせて故人へ御供養、おもてなしをする。

まさに室礼の原点であり、一年の中でこのお盆の時期がもっとも私にとっても心安らぐ暮らしの仕合せの時間になっています。子どもたちにもこの線香の歴史と意味を香福と共に伝承していきたいと思います。

自然と離れず

気候変動が気になるニュースばかりが世界で放映されています。今年は作物をはじめ季節のあらゆるものが2週間くらい前倒しになっているのを感じます。また寒暖差も激しく、今までの緩やかさがなくなってきているようにも思います。

世界はコロナであまり話題になっていませんが、実は本当に深刻なことはこのコロナではなく気候変動から発生する様々な自然災害だと私は感じます。

自然災害といっても、大雨や地震などのほかにも緩やかな災害というものがあると思います。それは時間をかけて砂漠化していくものであったり、逆に水没していくような環境の変化です。他にも、動植物が変化に耐えられず死滅していくことなどもその一つです。

こういうことを話すと脅しているように感じたり、極端な意見という人もいます。しかし人間はもしもに備えるからこそ災害に対応できるのであり、その予兆を直観できなければ自然と調和して対応していくこともできなくなります。

都会的な生活は、自然環境を無視して存在します。もしくは自然を敵視し、徹底的に排除していきます。その生活が慣れてしまえば、自然への畏敬を忘れてしまい自然をなめてしまいます。そうなると、ほとんど対応がでずに思考停止してしまうでしょう。

そうならないように自然から半分は離れずに半分は寄り添う生活をしていくことが日本人の伝統的な暮らしの智慧であったのです。その証拠に、古民家は半分は自然で半分は人工的です。

これを今の時代も上手に調和させていけば、時代が変わっても私たちは自然と共生しながら人類の社会を永続的に発展させていくことができるように思います。

時代的に今は、大きな分水嶺を迎えています。暮らしフルネス™の実践にそって、これからの生き方を子どもたちに伝承していきたいと思います。

免疫の仕組み

コロナによって自然免疫というものが注目されてきています。いくらワクチンを打ったからと安心ではなく、このさき様々な変異株が発生すればワクチンが効かないようなウイルスも沢山出てきます。それはコロナだけではなく、温暖化の影響によって今まで静かに小さな範囲で生きていたものが変異して暴走して世界を席巻することもあるかもしれません。

地球環境の変化と共に、あらゆる虫やウイルスや菌などは新たに変異して急増急減してバランスが崩れていきますからこの先も油断できません。人類はこれまで生き延びてきた中で、様々な困難を乗り越えてきました。そこには気候変動もあり、今回のような病原菌やウイルスの蔓延もありました。時として、かなりの人たちが犠牲になりその期間を生き延びてきて子孫たちに希望をつないできました。

そう考えてみると、私たちには過去に乗り越えてきたという実績があり、実力があります。それが自然免疫として身体に記憶されていますからそのことによって私たちは新たな困難を乗りこえていくことができるのです。

現在は、科学が進み短期的にはウイルスに対応できていますが今までの歴史ではほとんどやったことがない対応策で今回のコロナは乗り越えようとしています。過去の先人の智慧を使わずに、先端科学だけに依存することに危機を感じています。

私たちは自然免疫を持っています。そして獲得免疫というものを持ちます。シンプルに言えば、元来生まれながらに備わっている免疫と、育っていく中で身に着けていく免疫というものです。

この免疫という言葉の語源は、ラテン語のimmunitus(免税、免除)や immunis(役務、課税を免れる)といわれます。つまり疫病(感染症)を免れるという意味で「免疫」となります。

人間の身体は60兆個ものさまざまな細胞でできていますが、もともと自分の身体というものを構成する以外の外敵の侵入により個体破壊されたり寄生しつづけないように自己の細胞と自分のものでない(非自己)の細胞を見分けています。この見分ける仕組みが免疫であり、私たちは一度感染したものを二度と侵入させないようにするようにできているのです。

この仕組みで免疫を働かせて生きていますから、もしも今まで感染しなかったものが来れば平易に感染してしまいます。この世界で生活をしていたら、実は身の回りには無数の病原菌やウイルスが存在します。それを免疫システムによって防いでいるというのは当たり前のようにみえてとても偉大な身体の仕組みであることがわかります。

免疫は、感染してからも早めに対応すれば獲得免疫によって善処することができることもわかっています。常に健康を維持して、心身が常に免疫を保てる状態にしていれば感染しても免疫の仕組みによって乗り越えていくこともできるといいます。

この60兆ある細胞を持つ、奇跡の存在がこの身体にありますから身体を信じて健康を保つための工夫をすることが長い目でみて人類がこの先の子孫と共に地球に生き延びるための智慧であるのは自明の理です。

この世にいるウイルスの種類や数は、発見できていないのを含めると無限に存在します。共生し合う関係をどう保っていくかは、人類の大きな課題であり、地球の調和の中で生き残る智慧の活用です。

子どもたちにも、この困難が転じて福になるように暮らしフルネス™の実践を磨いていきたいと思います。

文化財の本質

文化財のことを深めていますが、実際の文化財というものは有形無形に関わらず膨大な量があることはすぐにわかります。私の郷里でも、紹介されていないものを含めればほとんどが文化財です。

以前、人間国宝の候補になっている高齢の職人さんとお話したことがあります。その方は桶や樽を扱っているのですが50軒近くあったものが最後の1軒になり取り扱える職人さんもみんないなくなってしまい気が付けば自分だけになったとのことでした。そのうち周囲が人間国宝にすべきだと言い出したというお話で、その方が長生きしていて続けていたら重宝されるようになったと喜んでおられました。

このお話をきいたとき、希少価値になったもの、失われる寸前になると国宝や文化財になるんだなということを洞察しました。つまり本来は文化財であっても、それが当たり前に多く存在するときは文化財にはならない。それが失われる寸前か、希少価値になったときにはじめて人間はそれを歴史や文化の貴重な材料だと気づくというものです。

そう考えてみるとき、私たちの文化財というのもの定義をもう一度見つめ直す必要があると感じます。実際に、私は暮らしフルネス™を実践していますが身のまわりのほとんどが伝統文化をはじめ文化財に囲まれてそれを日常的に活用している生活をしています。

これを文化財と思ったこともなく、当たり前に日本の文化に慣れ親しみ今の時代の新しいものも上手に導入して流行にも合わせながら生き方と働き方を一致して日々の暮らしを味わっています。

そこには保存とか活用とか考えたこともなく、ごくごく自然に当たり前に暮らしの中で文化も文明も調和させています。農的暮らし、ICTの活用、和食に文明食になんでもありです。

そしてそれを今は、「場」として展開し、故郷がいつまでも子どもたちが安心して暮らしていけるように新産業の開拓と古きよき懐かしいものを甦生させています。私は文化財が特別なものではなく、先人たちの有難い智慧の伝承を楽しんでいるという具合です。

本当の問題は何かとここから思うのです。

議論しないといけなくなったのは、何か大切なことを自分たちが忘れたから離れたからではないかとも思うのです。山岳信仰も同様に、山の豊かさを味わい畏敬を感じてそこで暮らしているのならそれは特別なものではありません。そうではなくなったからわからなくなってしまい、保存とか活用とかの抽象論ばかりで中身が決まらないように思います。今度、私は山に入り山での暮らしを整えるつもりです。そこにはかつての山伏たちの暮らしを楽しみ、そして流行を取り入れて甦生するだけです。

何が文化財なのかと同様に、一体何が山岳信仰なのかも暮らしフルネス™の実践で子どもたちのためにも未来へ発信し歴史を伝承していきたいと思います。

人間がわからなくなっていくときこそ、初心や原点に立ち返ることです。この機会とご縁を大事に、恩返しをしていきたいと思います。