人の修行

この数日間、曹洞宗の禅僧と共に禅の作法で食事をとりました。食べる前には、五観の偈を唱えます。この「偈」はサンスクリット語でいう偈文のことで仏典のなかで、仏の教えや仏・菩薩の徳をたたえるのに韻文の形式で述べるものをいいます。五観というは、下記のことをいいます。(曹洞宗SOTOZENーNETより)

ひとつにはこう多少たしょうはかり 来処らいしょはか

ふたつにはおのれ徳行とくぎょうの 全欠をぜんけっ(と)はかっておう

つにはしんふせとがはなるることは 貪等とんとうしゅうとす

つにはまさ良薬りょうやくこととするは 形枯ぎょうこりょうぜんがためなり

いつつには成道じょうどうためゆえに 今此いまこじき

食材の命の尊さと、かけられた多くの手間と苦労に思いをめぐらせよう

この食事をいただくに値する正しき行いをなそうと努めているか反省しよう

むさぼり、怒り、愚かさなど過ちにつながる迷いの心を誡めていただこう

欲望を満たすためではなく健康を保つための良き薬として受け止めよう

皆で共に仏道を成すことを願い、ありがたくこの食事をいただきましょう

食べる前に、この五観の偈を唱えると身が引き締まる思いがします。そして食べはじめてからも、静かに瞑想のような気持ちで最後までいただきます。またお椀を片付ける前にも、お茶を注ぎお椀一つ一つを調えながら一つ残らずに綺麗に食べ終えます。

食べることを修行にしているという点で、私たちが何を大切にしてきたのかを思い出すことができます。食べるという行為は貪る行為にもなりますが、生きるために必要な行為でもあります。食べることが分かるというのは、自分たちが生きることが分かるということかもしれません。

そういう意味で、禅僧と共に暮らしを味わうと日々の動作の中にすべて修行の初心があり、それを日々に忘れない工夫で満ちていることがわかります。食事も作るときも修行、片付けも修行、消化している時も修行、その食べ物を活かすのも修行、あらゆる日常の全てがまさに修行そのものという生き方を示します。

これは日常、これは修行と使い分けることではなくまさに今、この暮らしそのものがすべて修行という意識で生きていくことは私の言い方ではいつも初心を忘れることがない生き方をするということでもあります。

私の実践する暮らしフルネスもまた同じく、暮らしそのものが修行という意味で同じです。そして修行の定義は、徳を積むことです。徳を積むとは、自分の喜びが全体の喜びになり、みんなの喜びもまた自分の喜びになるという自他一体の境地でいることです。

そうであるために、常に日々を磨いて日々を味わい、日々を一期一会に調えていくという具合です。生き方を同じくする仲間や同志との暮らしは心地よく、味わい深いものです。

子どもたちや子孫に、自然に先人たちの尊い生き方が伝承できるように場を調えていきたいと思います。

徳の周波数~暮らしフルネスの智慧

今、私は水鳥が飛来してくるような場所に住んでいて朝から様々な鳥の鳴き声が聞こえてきます。特にこの時期は、繁殖期でもありとても賑やかです。また耳を澄ますと小さな虫の羽音や植物の葉が風で擦れているような音も聴こえます。池の周りを歩いている人の話し声、車が通りすぎるエンジンやタイヤの音もたまに混ざります。

夜中にふと目が覚めるとそういう音は聞こえてきません。ただ、頭の中に響いているようなキーンという一定の響きだけが聞こえてきます。無音というものはそう考えてみるとありません。そして周波数もなくなることはありません。それはすべてのものは音を発しているということになります。

そして振動というものがあります。二つ以上の周波数が混ざり合って振動するというものです。音楽などはあらゆる音が振動して共鳴することで成り立ちます。鳥がお互いに鳴き合っていたらもはやそれは音楽ともいえます。

また地球上にあらゆる音が流れるとそれも音楽です。海の音、太陽が昇る音、風の音や地震、雷や雪などあらゆるものが自然の音を奏でています。周波数というのは、その存在そのものを顕現するように思います。

これはどんな周波数だろうかと私たちは音を聴きます。それは対話でも同じく、場を味わうときも同じです。そこに流れている周波数を通して、そのものの正体を察知することができるのです。

ある意味、すべての物質も周波数を常に奏でています。そして同時にそれが集まれば振動となります。どのような共鳴をするか、どのような調和をするかは、その周波数を感じる人によって調整、調律されるのです。

私は、手で調整や調律をします。それをお手入れともいいます。一つ一つのものを手で触り、それを磨き調えて適切に配置してそのものがそのものであるように、そして持ち味が活かせるように配置していきます。そのものがもっとも喜んでいるとき、喜びの周波数が出てきます。その喜びの周波数を自分が同時に喜んでいるとき、そこに徳の周波数が発生します。

徳の周波数を大切にすれば、人はその徳に目覚め徳の素晴らしさに感動するのです。引き続きこの知恵を子孫へと場を通して伝承していきたいと思います。

伝統の魂

現在、英彦山の宿坊での暮らしを調えていくなかでかつてその場所で行われていたことを一つ一つを甦生させています。その中で、学び直すことが多く私たちの先人たちがどのような伝統を創造してきたかも気づき直しています。

知識というものは、先に持つこともできますが実際には後で持つ方がためになります。何のためになるかといえば、革新するときのためになるのです。先に伝統を学ぶのではなく、先に伝統に親しむ方が後から変化させることが容易くできます。

私の場合は、場から学び、そのものから理解する癖があり体験を重視し気づきを尊重するので知識が後になることがほとんどです。このブログも、後の知識であることがほとんとで先には親しむだけです。この親しむというものも、素直さが必要でありよくそのものに使われるような謙虚な気持ちがなければなかなかそうならないものです。

よく考えてみると、幼い子どもたちは先に知識がありません。そのものからよく使われているうちに次第に知識が集まり習熟していきます。発達というのは、そのものであるということでしょう。

また伝統というものは、誰かがそれをはじめに創造してそれが時間をかけて繰り返される中で育まれていくものです。しかし気が付くと、形ばかりに囚われて中身がないものがたくさん出てきます。この時の中身とは何か、それは魂ともいえるものです。

かつて柔道の父といわれる嘉納治五郎氏が「伝統とは形を継承することを言わず、その魂を、その精神を継承することを言う」と仰っていました。まさに私も全く同感で伝統だけを保存することに何の意味があるのかと感じます。保存というのは、活かすことであり単にショーケースに居れたり形だけを保ち続けることではないのです。

そこには魂が宿るのですから、その魂を受け継ぐことが真に伝統を革新しているということになると私は思います。

また南方熊楠がこうもいいました。「森を破壊して、何の伝統ぞ。何の神道ぞ。何の日本ぞ。」と。そもそも伝統が最優先ではなく、子孫や自然を如何に守るかということでしょう。その手段としての伝統や神道などがあるということでしょう。

そもそも何のために伝統があるのかを考えれば、そこには守りたいものがあるからでありその守りたいものを守るところに魂があるということです。

伝統の魂を守ることを伝承ともいいます。伝承には純度が必要でそこには魂が宿っていることが最低であり絶対条件でしょう。周囲がどういおうと信念をもって実践できるかどうかが志の登竜門ということでしょう。

引き続き、子孫のためにも英彦山で伝統の革新を続けていきたいと思います。

墨の智慧

昨日は、英彦山の守静坊で8回目の仙人苦楽部を行いました。今回は山水画の仙人でしたが4時間ほどの知恵を共にしましたが深い体験ができました。参加した方々はみんな山水画ははじめてでしたが、そのどの画にもその人らしさをはじめ場で得た境地を拝見することができました。

最初は仙人からの山水画とは何かという話にはじまり墨の濃淡のこと、筆の持ち方、そして画き方などの基本についてのお話をいただきました。とても謙虚に、山水画の楽しみや喜び、画の持つ妙味を全身でお伝えいただきました。

そしてみんな画への苦手意識など全く気にならず、それぞれが没頭してテーマに対して楽しく集中して画き楽しみ喜びあいました。守静坊英彦山の場の力もあり美しい新緑の光や風に見守られ一期一会の山水画のお時間を過ごしました。

また仙人がライブでこの英彦山と守静坊と仙人を即興で画きあげてくださって、その雰囲気にみんな深く魅了されました。

私たちは画いてみるときはじめて深く観察します。ただ見ているのと観ているのとではまったく異なるということ。そして美しさや自然というものを感じるのは、相性がありその相性そのものを通して和合していく豊かさ。さらには、現実にこだわらず理想を自由に画くことの大切さなどの素晴らしさを学び直すことができました。

私は炭大好きですが、この墨も同様に深く愛しています。この墨が画く濃淡には、火の心があります。この火は、消えているようでも墨に残存しているものです。その火を、水で濃淡を調整してそこにいのちを宿します。まさひ火水(カミ)の業です。墨はその神がかる力があるのを直感します。

この墨を用いて画くものは、私にはとても相性がよさそうです。これから少しずつ仙人から学んだ知恵を掘り下げて、場をさらに磨き上げていきたいと思います。

ありがとうございました。

暮らしフルネス 掃除の意味

暮らしフルネスの中では、よく掃除をします。掃除というよりもお手入れという言い方の方が多くしますが、これには色々な理由があります。また道具もむかしの日本の職人たちがつくった和帚を使います。現代は、箒も中国産や東南アジア産ですぐに壊れますが安いものがたくさんホームセンターで販売しています。便利ですがすぐに傷むのでどうしても使い捨てになります。さらには掃除機が普及したことで、余計にむかしの道具は消えています。日本で箒職人さんというのはほとんど見かけなくなりました。

手間暇かかる自然の道具は、時間も労力もそして技もいるので安い海外産が入ってくるとどうしても駆逐されていきます。畳なども同様です。しかし畳の時も同じで、伝統の和のものは本来は日本の風土を活かした風土と一体になった暮らしの中で循環する大切な暮らしそのものでした。

日本の暮らしを味わうためには、先人の生き方に倣いその先人の知恵を尊敬のままに活用することで感得できるものです。そういう意味で、掃除というものは知恵の宝庫です。

もともと掃除という言葉の由来を調べていると、中国からのものであることがわかります。この時の掃除は、廟の中を祓い清めるために行いました。もともと箒というという字も「ほうき」は「ははき」の音が変化したもので「ははき」は、古くは鳥の羽を用いたところから「羽掃き」となったとあります。その道具は棒の先端に細かい枝葉などを束ねて取り付けたものです。

これを「帚(そう)」と呼び、そこに酒をふりかけるなどして廟を神聖に保ちました。この字に竹を冠したものが「箒」でその異体字として「草」を冠した「菷」の字になりさらに「手」にとって廟の中を祓い清めたら「掃」となります。そして「掃除」の「除」は“あまねく”という意味で、神聖な場所を余すところなく掃き清めるということです。

特に禅宗では「一掃除二信心」というように掃除こそすべての修行の先であるともいわれます。和箒となると、神道ではもともと箒神(ははきがみ)という産神(うぐがみ、出産に関係のある神様)が宿ると信じられていました。古事記にも「玉箒(たまほうき)」や「帚持(ははきもち)」という言葉で表現され祭祀用の道具として用いられていました。

それだけ掃除や箒は、神聖なものということでしょう。仏教でも周利槃特といって掃除で悟りを開いた方がおられました。掃除という儀式や実践そのものが信仰の原点であるというのもよくわかります。

私も古民家甦生を通して、実際にやっているほとんどは掃除の実践です。本当に驚くほど、掃除とお手入れしかしていません。しかしそれが何よりも家が喜ぶことになり、自分も場も喜びます。

色々と情報化社会で便利でお金で何でも買える世の中になっていますが、掃除もメンテナンスや掃除屋さんに頼んでは強烈な薬品や業務用の掃除機やブロアーで吹き飛ばすようなことが盛んです。時短で効率優先というのは、掃除や和帚にそもそもの意味がなくなってしまえばそうなるのは当然です。

時代が変わっても、初心を忘れないこと、意味を場に留めることは伝統や伝承に関わる人たちの大切な責任と使命であろうとも私は思います。時代の流行や日々の喧騒に流されないように丁寧に暮らしを紡いでいきたいと思います。

原初の感覚

今年は辰年ということもあり、龍とのご縁が増えているとブログでも書きましたが引き続きあまりにも龍に関することが次々に発生するので色々と深めています。

私の場合は、スピリチュアルでもなく特定の宗教への信仰があるわけではなく感覚や歴史を掘り下げていくことで好奇心に委ねながら学び直していきますが学術的かというとそういうわけでもなく自然から教えていただいたものをどう汲み取るかということを大事にしています。

例えば、英彦山の守静坊に滞在しお山やお水とずっと心を澄ませて触れていきます。すると、次第に月が身近に感じるようになり龍という存在とのご縁が増えていきます。龍が増えていくと、次第に役行者や瀬織津姫、あるいは弁財天など神仏混淆したものとのつながりが出てきて次第に出雲族のことや海神族、龍蛇族のことなどのことを深めていきます。また魏志倭人伝にある邪馬台国のことや、一支国のことが出てきます。ルーツというものは、今も繋がっていて辿っていくと原始や原初の存在に巡り会うようにも思います。

これは自分というものの存在も同じです。先祖を辿れば、先祖が通ってきた道を実感することができます。今の自分の存在の個性や魂が望んでいることや出来事、あるいはご縁のある人たちとの関係をよく観察して直観するとその理由があることがわかります。すべてのことは認知していないだけで、今、こうなっていることは全ては理由がありご縁があることしかこの世にはありません。

人間は不思議ですが、同じようなことを何回も生まれ変わり体験しその記憶を思い出し鮮明に甦生させているだけともいえます。時間というものの概念をもしも取り払うのなら、私たちの記憶こそが実体の正体でもありその記憶のために体験を続けているともいえます。

話を戻せば、龍というのは、月であり、水であり、夜であり、山であり海でもあります。夜の月明かりに照らされた海の一筋のゆらぐ光ともいえます。漆黒の闇を導く透明な光です。

私たちの心が澄んでいるのなら、龍はそこに顕現してきます。古代の人たち、あるいは原初の先祖たちは龍を感じていつも生きていたように私は思います。時代がどう変化しても、原初の感覚を研ぎ澄ましてかんながらの道を歩んでいきたいと思います。

むかしの田んぼ

今日は、千葉県神崎にあるカグヤのむかしの田んぼで田植えが行われます。今朝から雨が降っており、雨模様の中での田植えになります。しかしよく考えてみると田植えというのは本来は雨の日が多かったいいます。その理由は、水が豊富な地域なら問題ありませんが水が少ない地域は雨次第では田植えができなかったからです。

私もお米作りをはじめてから最初に水利権のことを色々と聞かされました。物騒な話ですが、農家は水で争い人が亡くなることもあったとも。それくらい水の取り合いには大変な苦労があったといいます。

少し想像してみるとわかります。雨が降らなければ田んぼに水をはることができません。いくら苗を育ててみても、田んぼの方へ植えることができなければお米は育ちません。

雨は自然のものですから、むかしは雨乞いといってご祈祷をしたりみんなで手分けして水を運んで流し入れたり、井戸をくみ上げて流したりと本当に大変な状態を乗り越えてきたように思います。

それに田植えとなると、雨の降る短い期間でやり遂げないといけませんが大勢で一気に田植えをします。この期間は、雨の中、ずぶ濡れになりながらみんなで協力して田植えをしたのでしょう。

私たちはお米がある御蔭で生きていくことができます。お金があってもお米がなければ生きていけません。それにお米がなければ加工品もできませんから、御餅もお酒も麹菌を培養することなどもできません。

お米というのは、お水や空気と同じくらい今の私たちの生活を根元から支えているものです。特に高温多湿で水の多い島国の日本では、稲作は私たちをずっと助けてきました。時代が変わっても、助けられてきたものの存在を忘れないということもあって私たちの会社ではむかしの田んぼの取り組みを実践しています。

今の時代は、自然に合わせるよりも自然を征服するような技術革新を続けてきました。雨が降ってなくてもなんとかでき、機械で人手がなくても田植えができ、肥料や農薬で除草や生育を促します。そのために大量の費用と材料が必要でお金がなければ実現しない農法になっています。お金で自然を征服することに努めてきた時代ともいえます。

しかし自然から離れることで、得たものと同時に失ったものがたくさんあることがわかります。それは田んぼの地力であったり、人々の真心や協力、絆や助け合いであったり、元氣の漲る生命力のある種であったり、コスパやタイパではない真の豊かさや喜びであったりと本来得られていたお米の陰の役割が消えていきました。

今でも私たちの家々の神棚にはしめ縄があります。そしてお米やお酒なども奉納しています。ここには、単に食べる物としてのお米の役割ではないことが言葉でなくても形になって私たちにその恩恵や徳が授かっていることに気づくものです。

子どもたちに大切なことをそのままに継承していけるように、生き方と働き方を丁寧に紡いでいきたいと思います。

英彦山の宇賀弁財天

昨日は、英彦山にある宗像神社にてお掃除とお手入れ、ご祈祷を行いました。ちょうど守静坊が最もその神社に近く、よくお参りする場所です。巨大な山のような磐座があり、そこからの景色は広大です。また磐座に立つとそこから英彦山の山頂が拝めるようになっており、古代からこの場所で祭祀が行われていたような感覚があります。

そもそもこの宗像神社がなぜ英彦山にあるのかということに疑問があり色々と深めていきました。地域の人たちは宗像神社とは呼ばず、弁天様や弁財天と呼んでいました。この弁天様や弁財天というのは、仏教の守護神である天部の一つでヒンドゥー教の女神であるサラスヴァティーが仏教に取り込まれた呼び名です。この天部とは、元々は仏教の生まれたインドで仏陀の生まれる前から信仰されていたバラモン教やヒンドゥー教の神様などが仏教に取り込まれた神々ということです。

日本で最も古いと言われる弁財天は東大寺法華堂に安置されていた奈良時代の弁財天像といいます。八臂辨財天(はっぴべんざいてん)といい、八本の手に八つの道具を持って仏法を守護しているともいいます。そしてもう一つが、宇賀弁財天(うかべんざいてん)というものがあります。この宇賀の神は中世以降に庶民の間で信仰された蛇や龍の化身とされる神さまのことです。一般的には翁面蛇体の宇賀神をいただく姿の弁才天が信仰されて十五童子を伴っています。

英彦山のこの宗像神社の御神体と像は、この宇賀弁財天です。もともと弁財天は、お水の神様でありインドでは川の神様です。そしてこれは龍を顕します。

英彦山は神仏習合の山で修験道のはじまりの地です。その修験道の開祖は役行者です。豊前坊という天狗の場所がありますが、そこに役行者の石像と龍、そして不動明王が祀られています。お水が滾々と湧き出る場所です。そして役行者の母は、女山伏の祖ともいわれており、白専女(しらとうめ)、また渡都岐比売(とときひめ)、刀自女(とらめ)といいます。そのその白専女は、宇迦之御魂神の御霊を持っていたといわれています。

つまりここから推察すると、元々のご神体は瀬織津姫であるということです。修験道の祖が何をお祀りしていたのか。これは私の勝手な洞察なので、責任は私が持ちますがお水が古代においての最も重要な信仰のはじまりであり、私たちはお水から心を学び、お水から智慧の全てを学びました。この世の全ては、お水が変化したものでありお水の化身がこの宇宙の存在ということでしょう。

その存在に気づいた役行者が瀬織津姫をお祀りして修験道がはじまったのではないかと私は直観します。最初の導いた神様が宇賀弁財天、瀬織津姫であったということでしょう。よく考えてみると、大祓祝詞にも瀬織津姫は水を司る神様とされています。仏教では龍神です。八大龍王ともいいます。

そして弁財天が音を司るようになったのは、その水の流れる音と繋がりがあるといいます。音のはじまりもまたお水からということでしょう。

今年は辰年で龍にご縁ばかりがある歳です。有難い英彦山のお水に見守られながら、お水の持つ徳を伝承していきたいと思います。

長期的に醸成するものを観る

物事というのは長期的に醸成されることと、短期的に可視化されて理解されるのではその意味や内容が異なるものです。例えば、田んぼでいえば稲が収穫されていますがこれは短期的に可視化されたものです。しかしその一年の田んぼでのめぐりを通して土や地力が高まっていくのは長期的に醸成されるものです。

つまり私たちは稲を見てはその土の力を感じ、田んぼというものを理解するのです。世の中の半分は目に見えるもの、そしてもう半分は目に見えないもので構成されているのがこの世の中の理です。

朝、太陽の光が差し込んできます。太陽の光は目に見えますが、もう一つ光とは別に目に見えない気が入ってきます。元氣の中心ともいうべきものですが、これも同様に私たちは澄んだ光を見てはその日の元氣を感じるのです。これは夜の月も同様です。目に見える月の満ち欠けを見てはその月の成長を感じ、同時に目には観えない重力や引力を通して月というものを理解するのです。

現代は、目に見えるものだけを信じる世界になりました。これは言い換えれば、短期的なものしか見ないという世の中のことです。近視眼的に目に見えるものだけを科学的に証明して信じるという世の中は、目に見えないものを蔑ろにしてないもののように接する世の中です。

先ほどの田んぼであれば、稲さえできれば土などは関係がないという田んぼの考え方。太陽の光であれば、明るて温度さえ出せれば太陽でなくても代替えできるという考え方。月などは夜空のネオンや部屋の明るさのせいで観ることもなくなっていきます。

私たちは目に見えないものを語り合うことで長期的に醸成されるものを大切にしてきました。それが伝統文化や伝承文化、歴史やいのちというものです。今の時代は、歴史も教科書に載っているものしか信じない世の中になり、文化も形だけの形骸化されたものだけになり、いのちは動いているものだけにあると思われている様相です。宗教においても、教えという組織化するためのメソッドだけが信奉され、本来の信仰という長期的に醸成されるものは失われつつあります。

人間の目は確かに、身近にあるものを見通してくれます。しかし本来は、半分目を閉じて心の目を開き心を通してその長期的に醸成されるものを観ることができたはずです。この力は、使わなければ減退していきます。私たちは自然と離れて暮らす前は、この力を重宝してきました。その御蔭で自然災害を未然に防ぎ、自分のいのちのバイオリズムや諦観といった自然の一部として循環する時間を持っていました。

私たちが今こそもっとも取り戻さなければならない力は、この長期的に醸成する目を磨いていくことだと私は思います。

子どもたちがこの先も安心して暮らしていけるように、徳を積んでいきたいと思います。

新たな種~第二創業

創業という言葉があります。これは事業をゼロから創ることです。そして第二創業というものがあります。これは創業して成長し成熟し、そして衰退するときにまた新たな種を蒔き芽を出しまたゼロから成長していくときの節目のことです。

宇宙のなかで地球に住むとこの場所の摂理というものがあります。それは重力や引力があるのも、陰陽がありバランスをとるのも、また呼吸をして水を循環させいのちを保つのも「最初から決められて存在している」ものです。これを「自然の摂理」とも私たちは呼びます。

その自然の摂理の中に、種から芽が出て成長し花や実をつけて枯れてまた新たな種になるという循環があります。私たちが赤ちゃんで生まれてから成長し老化して死に至ることも摂理でありそれは最初から決められているものです。地球が丸いことも、水に包まれていることも、太陽との距離が一定であることも月が傍にあるのもこの場所が持つ摂理です。

摂理というものは、いちいち逆らっても仕方がないのでその中で私たちは最善の体験をして摂理を学びそれを活かし、いのちを繋いでいきます。植物も年々同じ四季を迎えて同じ成長をしているようですが変化し続けているものです。天候、気候も変わり時も経ち周囲の循環すべてが微妙に変化していますから同じであることは不可能です。その同じではないことに対して、どんなものでも小さな変化を続けていきます。それが成長の本質でもあります。

摂理にはサイクルがあり、また新たに生まれ変わるような状況を意図的に創り出します。それが死というものです。ある意味では、私たちの生死とは摂理の中で創り出した自然と共に永続して生きるための最善の智慧であり仕組みです。

そしてこの生まれ変わりというのは、実は日々に発生しているともいえます。毎日、夜寝て朝起きては細胞をつくり毀し新しい自分として甦生させます。これを繰り返していくなかで老いて死ぬまで細胞分裂を繰り返します。そのうち別のいのちと和合して新たないのちを産み出します。それが赤ちゃんです。子どもは瑞々しい産まれたての好奇心を発揮して新たな環境を創り出すのです。それが創業のサイクルです。

永続している老舗やまだ数十年ほどの会社であってもこの創業のサイクルは発生しています。そして自然の摂理に沿ってまた新たに生まれ変わるのです。自然に逆らえばそのまま終焉を迎えます。それだけ自然というのは、循環することや永続することを最も大切な摂理にしているのです。終わることは最初からないということです。終わるのは私たちが摂理に合わせて終わらせているのです。

そう考えてみたら有難いことに第二創業というのは、それまでのいのちが充実して結実し新たな種を創るところまで時間も経験も醸成したということの証です。何もなかったところから、志に導かれ目的を定め理念を磨き、仲間を集め、形として顕現するところまで生育して成長して終わるのです。いわば、次の種を創れるところまで成長してきたということです。

一つの種ができるためには、大切な時間といのちを使う「思いの醸成」が必要でした。種はちゃんとこの思いの醸成という自然の摂理を通らないとできませんから種が新たにできたというのは思いの結晶が誕生できたということです。

その結晶を軸に、新たないのちの芽を出していくのが第二創業です。不易と流行という言葉もありますが、変わらないものを持っているからこそすべてを変えていくことができるのです。つまり摂理が変わらないからこそ、我々が変わっていくことができるのです。世の無常というのは、歴史を鑑が観ても明らかです。人の生死のように摂理はいまでも揺るぎません。新たな門出に、感謝の気持ちがこみあげます。

ここ数年取り組んでいる修験道でも、山伏が峰入りするのは擬死再生や母胎回帰の通過儀礼を意味しますがある意味、第二創業にも似ています。生々流転していくことは仕合せなことであり何よりおめでたいことです。

昨日は、カグヤのクルーたちと共に百年自然酒を酌み交わして予祝をしました。いつも善いご縁、善い仲間、そして徳に包まれて有難い時を過ごしています。

この機会をいただけたこと、そして新たないのちが誕生していくこと、摂理と共に永続していく喜びに感謝しています。子どもたち、子孫たちに徳が譲り渡されていくことを信じて新たな種と共に社業を邁進していきたいと思います。