コミュニティの甦生

コミュニティという言葉があります。本来の英語の意味よりも、日本人は別の意味でこの言葉を用いることが増えているように思います。最近では、トークンコミュニティという言葉も出てきています。少し並べただけでもコミュニティの古典研究、コミュニティビジネス、オンラインコミュニティ、地域コミュニティと地方創生、東日本大震災とコミュニティ、コミュニティデザイン、コワーキングスペースとコミュニティ、オンラインサロン、コミュニティマーケティング、コミュニティビジネス等々があります。

このコミュニティの定義をどうするかで、その言葉の理解も変わりますから少しこの辺を整理したいと思います。

コミュニティと同じくらいよく使っている言葉にコミュニケーションがあります。このコミュニケーション (communication) の語源はラテン語のコムニカチ(communicatio) だといいます。このコムニカチオの意味は「分かちあうこと、共有すること」だそうです。

そして英語のコミュニティ(community)語源は、ラテン語の communis が転じて communitas フランス古語のcomunete、英語のcommon 、中世後期に現在の使われ方になってきたそうです。

このコミュニティとは、共同体のことです。

ある一定の地域に一緒に暮らす人たちから、仮想的なところで共に生きる仲間たちという意味にも発展してきています。つまり、何をもって共同体というのかという幅が多様性と文明の発展によって変わってきたのです。

●●コミュニティと書けば、その価値観を共有する共同体ということにもなります。これが管理しない、管理されない、ともに主体的にフラットにオープンな共同体にしていこうという流れが広がっているのです。

通常は、最初は小さな組織、2人から3人なら管理などせずとも阿吽の呼吸で共同体を結び維持しています。それが100人、1000人、数万人、数十万人となれば誰かが管理するという仕組みを入れていきます。それが国家というものになり今の世界を形成しているともいえます。

しかしその大きなコミュニティとは別に、小さな地域でのコミュニティというものが存在します。それが地方自治であったり、ご近所さんと結んでいたりした小さなサークルであったり、親戚などと結んでいた血縁などです。

何かあった時にお互いに協働して助け合う必要があり、私たちは共同体を結んでいました。しかし、現代はそれを社会のシステムによって保障したりカバーできるようにしたことで今では1対国家の関係で解決できるようになってきました。そのことで得た利点とそのことで失われたものがあることにも気づいたのです。

具体的に少し事例を言えば法律でほぼ網羅した半面、法律では賄えないもの、つまり個人の善意や主体性が必要なものがほとんど政府や行政に依存するようになり失われています。その部分をそのまま放置すれば、国家が破綻して自治が壊れます。そうすれば社会も失われ法律も消失してしまいます。実は、絶妙なバランスで維持されているこのコミュニティは本来は、機械のようなものではなく生命体であるからその生命体を維持するためのお手入れは絶対不可欠なのです。

それをコミュニティとして甦生させようとするのが、現代の一つの流れであろうと私は思うのです。実際に人類においてのコミュニティの本質は相互扶助であり思いやりや助け合い、一緒に暮らしていく人々とのつながりを醸成していくのは古今普遍的なものです。それが失われてきている現代というものは、人類にとってはこの先を生き延びることができるどうかの重要な局面を迎えているということでもあります。

どのようなコミュニティを創り出そうとするかは、この先の人物たちの主体性と覚悟で決まります。子どもたちのためにも、私は徳を用いたコミュニティをこの世に甦生させていきたいと思います。

素直さの意味

人間はみんな我があるものです。この我とは、一つは欲であり一つは情です。他にも細かく言えば我ばかりですがその我があるから真実や本質が見えにくくなっていきます。なぜこうなっているのかと、真摯に洗い清めて透明になるまで磨き上げていけば真実は見えやすくなりますがその間に様々な穢れがこびりついてきますからどうにも本当のことがわからなくなります。

そうなると、人は「素直」であることができません。素直というのは、単に従順になることではないことはすぐにわかります。他にも、ただ性格が良いことだけを言うのではないこともすぐにわかります。

素直さというのは、ある意味で無の境地であり、謙虚に我が省かれている状態であり、何か偉大な自然と直につながり直観が働いている心境であったりのことです。

つまり何物にも囚われない澄んだ心の姿勢の時こそ、人は素直になっていると言えます。人の話が素直に聴けるというのは、人の言うことを単に逆らわずに聞くことではなく心が澄んだ状態であるがままのことを聴けるということです。

よく他人に質問して何かを訊いているのに話をまったく素直に聞かない人がいます。それは自分の我があるからですが、素直ではない状態だから訊かないのはすぐにわかります。自分自身の心が澄まないので、澄ませていきたいと思って訊くのならその人は謙虚ですから素直に近づいていくこともできるかもしれません。

しかし最初から我が強く出て自分の思い通りにしたいと思っているのもがあるのなら、本当のことを素直に直観できる感覚はそこで働いていないと私は感じます。

素直さというものは、直観力であり、そして浄化力であり、研磨力でもあります。どれだけ研ぎ澄ましていくか、そして洗い流していくか、心を清らかにして真実を明らかにしていくかというものであろうと思うのです。

素直にいきましょうと声掛けするのは、お互いに心を澄ましていきましょうという掛け声をすることです。みんなが素直になるのなら、本当のことがわかり本質のままにお互いに協働して助け合い、清々しく明るく物事に取り組むことができます。

つまり素直にという意味は、「清々しく明るく」いましょうということだと私は思います。人間は、常に相手がどうかではなく自分が澄んでいることが重要です。そうでばければ、この世にいて本当に起きている事象や出来事、ご縁を理解していくことができなくなるからです。

日々の喧騒や荒波、濁流の中であっても深海のような静けさ、水面の鏡のような美しさを保ちたいと思います。子どもたちのためにも、むかしからある日本人の智慧を伝承していきたいと思います。

働き合いの豊かさ

昨日、藁ぶきの古民家で結友と集まりみんなで古民家甦生の仕上げ作業を行いました。具体的には、梁や建具の水拭きと乾拭き。その後に蜜蝋を塗り磨きます。また一部、床板などを柿渋、渋墨、弁柄などで塗装します。他には、外は砂利を敷いたり、犬走をつくったり、創作竹垣を設置したり、桟のところの柿渋塗をやりました。

久しぶりに大勢で作業をしましたが、最初から関わってくださっている結友仲間が増えて関係で一致団結してまるで熟練のチームのように取り組むことができました。みんなで集中して作業をしながら、この豊かさをもっと味わっていたい気持ちになりました。

人は、みんなで協力し合って何か一つのことを成し遂げようとするときそこには不思議なつながりや結束が産まれます。みんなで助け合って何かをするというのは、心身共に健やかなことであり私たちは仕合せを感じるものです。

自分のやったことがみんなのためになっていく、自分の役割がみんなにとっても大事な存在になっていく、そして見返りを求めずに真摯に小我を超えて大我のために尽くしていくことに深い喜びを感じることができるように思うのです。

それは単なる仕事ではなく、まさに一人一人の働きであり、その働きが一緒に協力しあうことによって報われていくのです。働きに対して、働きで返す。働き合いともいうべきこの結は何か懐かしいものをみんな感じるのです。

それはきっと長い間忘れていた記憶、むかしむかし長い期間にずっと私たちはそうやって暮らしをしてきたことを思い出しているのかもしれません。

暮らしは、働き合いによってはじめて豊かになります。お金がたくさんあるから豊かなのではなく、一緒に働くから豊かなのです。かつての日本人は働くことを奴隷の労働や使役義務などとは思ってはいなかったといいます。海外から来た異国人たちは一応に日本人はみんなニコニコして働き、仕合せそうだったというのです。

それはまさに単なる仕事をしていたのではなく、みんなで働く仕合せを味わっていたからだと私は思います。

現代は、精神的な病気、孤独や自殺なども増えています。これだけ金銭的にも物資知的にも豊かになっていますが、本来の豊かさとは程遠い心の苦しみを感じる人が増えているのです。それはきっと、このみんなで働く仕合せを忘れたからかもしれません。言い換えれば、暮らしができなくなってきたのです。

私の言う、暮らしフルネス™はこの真の豊かさを甦生させていくことが要です。子どもたちのためにも、いつまでも変わらない働き合いの豊かさを伝承していきたいと思います。

感受性を磨く

人間には感性というものがあります。辞書には「物事を心に深く感じ取る働き」とあります。この感性というものの正体は一体何なのか。私たちは生きる目的=初心ということと向き合うとき、この感性を磨くことの大切さに改めて気付くように思います。

例えば、日々は誰にしろ訪れ、同じように24時間をかけて過ぎていきます。しかし、その一日をどのように感受するのかは人によって全く異なります。これは同じ環境、同じ状況、同じ体験をしたとしてもです。それだけ人は感性によって人生が異なっているともいえます。

私は毎日、何らかの事件が発生して何もない日はないほどに様々なことが発生するタイプのようで周囲にいる人たちは一緒に過ごすと大変だとよく言われます。確かに、自分でもよくもこんなにいろいろなことが発生するものだと感心するのですがこれは感性によって無意識下によって行われているもののように思います。近くにいることで周囲の人も感性が増幅するのかもしれません。

つまり感性が磨かれているからさらにその感受性が豊かになっていったということでもあります。そうすると、次第に学びや心のメッセージに向かって自ずから深く体験をするような出来事をますます呼び寄せていくのです。

人間は誰でも自分がこの世で体験したいと思っていることを自ずから実践することで感受性を高めていきます。それは言い換えれば、何のために生きるのかということを突き詰めていくことに似ています。

日々に何のために生きるのかと向き合う人は、次第に感受性が高まっていきます。そうすると、自分の運命や宿命、そして目的や本質に気づきやすくなっていきます。そして初心を持つようになり、その初心に帰るたびにアンテナが研ぎ澄まされ立っていきます。

その初心のアンテナが磨かれていけば感受する力もまた同時に高まっていきます。そうすると、自分の初心に適うものはどんなに僅かなものでもすべて受け取れるようになっていきます。すると次第に自分の人生に必要なことをすべて自覚でき、その意味付けをすることでさらに体験が濃く深くなっていくのです。

特段、テレビや映画やドラマで見かけるような激しい事件でなくても日々の微細なことまですべて事件のようにダイナミックに感受できるようになるのです。これが感受性が豊かになっていくということでしょう。

感受性とは、つまりその人の初心を自覚する力ということです。

子どものころにもって生まれた感受性がつぶされてしまうとなかなか元に戻らなくなっていきます。教育をはじめ刷り込みによって子どもたちは本来の感受性に蓋をされ貧しい感性に仕立てられていることもあります。

子どもたちが感受性を思い出せるよう、初心を伝承していきたいと思います。

一枚板の価値

藁ぶき古民家にご縁をいただいた古木の一枚板のテーブルを入れてこれから甦生していきます。もともとこの一枚板というのは、長く育った古の大木から取り出されたものです。そこには偉大な生命力を感じ、いつまでも長くいのちをつないできた歴史を感じます。

まさにこの古木の一枚板は古民家に相応しいテーブルであり、ここでこれからどのような暮らしがはじまりそこでどのような団欒があるのか。ここで暮らす人を支え、豊かさの一つの象徴となるようにテーブルには特にこだわりを持たせました。

もともと一枚板は一生ものといわれるように、それだけ価値のあるものです。費用も高額で数十万から数百万するものもあります。なぜ高いのかといえばそれは希少でありかつ長持ちするからです。

本来、古民家というのはどのような定義をしているのかはわかりませんが私にすればこの一枚板のようなものと同質のものであると感じています。

長い年月を経て、艱難辛苦を乗り越えて育った立派な大木を木挽き職人がしっかりと丁寧に選別し丁寧に取り出していく。それを見事なまでに磨き上げ仕上げたものが一枚板です。当然、長持ちするのは当たり前で数百年を持ちこたえるものもたくさんあります。

木は一般的には、木の時に生きた年数以上は耐久できるといわれます。樹齢200年であれば、200年はもつのです。というと、古民家で使われている素材(私の言う古民家は年数ではなく日本の本物の民家のことを言う)は、同様に数百年単位の木材を使って梁や棟に使われています。

それだけ長持ちし、寿命があるということです。つまりそれだけ価値があり高額であるものなのです。しかし実際に今では、新築信仰で張りぼてばかりをつくり古民家の価値はほとんどありません。むしろ迷惑な存在のように扱われます。

これは本物がダメになったのではなく、本物の価値をわからなくなった人が増えただけともいえます。なんという悲惨な時代だろうかと思うことばかりですが、町に出れば安価で偽物、便利ですぐにダメになるもの。量産型で画一的で希少なものなどはほとんどありません。

そんなものを使っても、すぐに壊れますし、先ほどの一枚板のテーブルのように暮らしの中心を支える大切なものとして働きはどうなのだろうかと思います。

善いものがわかる、つまり本物を知るというのは私は人生において何よりも重要なことであろうと思います。私の甦生する古民家が、なぜ皆さんに喜ばれ感動されるのかといえば別にセンスがいいからやデザインがいいからというわけではなく、本物にこだわっているからだともいえます。

その本物は何でも本物という自然物だけにこだわっているわけではありません。時代的に文明のものを使って仕上げますからそこには自然物ではなく人工物です。しかしこの時の本物という私の言葉は、「本質的か」ということも本物の理由の一つにしています。

つまり何のためにやるのかということにこだわっているということです。

長くなりましたが、一枚板というものを通してこれからこの説明をするときにはこの古民家の価値と一緒に伝道していけるように思います。木造建築の価値、木の持つ徳を子どもたちにつないでいきたいと思います。

苦労し甲斐~メリハリのある人生~

人生には「苦労し甲斐」というものがあるように思います。時が経ち、後で振り返ったときに苦労した甲斐があったなと感じるもののことです。苦労したからこそ、得たものがあります。それはそこまでに経てきた体験からの気づきであったり、智慧であったり、そして技術であったり心身の練磨による成長であったりです。

これをやろうとすれば苦労すると最初に誰もがわかっていてもそれを厭わずに挑戦し突進していく。そこに人生の真の妙味があるように思うのです。

人生の妙味を知る人こそ、苦労し甲斐を知る人でもあります。

周りからすれば、何でこんなことをと思っていますがそこには苦労によって誰でもわからない境地に生きているからです。私の場合は、未来の子孫のためにと初心を定めていますからそのためには苦労を厭わずに何でも来たものは選ばずにご縁と導きを信じて取り組んでいきます。

過去の経験や何かそれを実現する才能などは特にありませんから、毎回新しいことに挑戦することになります。周りからは、苦労するよと言われてもそうですねと笑いながら取り組んでいきます。失敗したり困難があると、ほれ見たことかといわれることもありますがそんなことは最初から分かっていることだから特段何も影響はありません。

問題は、この苦労は苦労のし甲斐があるかどうかというところが重要なのです。そしてそれは「道」として必ず通らなければならないのであれば正面から向き合って取り組んで味わい通過、もしくは突破していくだけです。

そうして振り返ったとき、今の自分が育てていただいたこと。今の自分の信念や勇気、そして生き方や生き様を創造してくださったことに感謝できるのです。

人生は一期一会であり、今は唯一無二です。

何事も遣り甲斐があることに挑むことが、メリハリのある人生が送れるということになります。このメリハリとは、緩むことと張ること、つまり弓のように適度に弦がはっている状態をいいます。いい意味で、充実して心身が調和している状態のことです。

何かに集中するというのは、そのものを実現するために真剣に打ち込んで苦労をしていくということです。苦労のない人生は、ハリがありません。ハリのある人生は、苦労を通して人生の妙味を知りそしてそれをゆったりと振り返りその時の思い出を豊かに味わい感謝していく生き方です。

これは苦労のし甲斐があると、偉大な目的に向かって生きるとき人は人生が真に豊かになり充実するのです。若さ、情熱、青春は苦労と共にあります。大変でも目的に生きる苦労の多い人生の価値を、子どもたちに伝承していきたいと思います。

お手入れの循環

最近、捨てないということについての動きが活発になってきています。資源が枯渇してくればくるほど、資源のリサイクル化は進んでいきます。しかし実際には、膨大な量を生産していれば捨てなければこの世はまるでゴミ溜のようになっていきます。

現在は、資本主義経済を循環させることが大前提ですから両立するというのは如何に経済を回すかということですがそれでは本当の意味で解決することはありません。

私は捨てないということよりも、本物にするということだけで十分解決すると感じています。

例えば、日本には伝統職人さんたちがいます。彼らは、自然物を上手に活かし、里山循環の中にしっかりと溶け込み、自然の一部としての役割を見事に果たしています。藁ぶき職人であれば、その地域の藁やカヤ、葦などを用いて家の屋根を葺きます。また左官は田んぼの土などを活かして土壁を塗ります。また森林を手入れし炭焼きをし、大工さんらはその木を用いて家を建てます。竹の手入れによって数々の暮らしの道具を人々はつくります。かつて、私たちは「何が本物であるか」を知っていたのです。

その時、私たちは捨てるのでもなく作り続けるのでもなく「手入れする」ということだけに専念したのです。

私は今の時代、もしも世界が変わりこの人類の方向性を導けるとしたらこの「手入れ」をするということだと確信しているのです。そのことから、徳積財団を設立し、暮らしフルネスを起草し、「お手入れ」のための活動と実践をこの地から発信しています。

物を大事にすること、もったいなくいのちをいただき伸ばすこと、このすべては「お手入れ」する心から育つものです。自分の心をお手入れし、身体をお手入れし、そしてお導きやご縁にお手入れする。当たり前のことかもしれませんが、自然はみんなでお手入れをすることで循環を守り続けてきたのです。

現代はこのお手入れの反対のことをみんなでやってます。やりっぱなし、なげっぱなし、捨てっぱなしで作りっぱなし、これがゴミの正体であることに気づく必要があると私は思います。

日本にはそもそもゴミという概念がありませんでした。八百万の神々の一つであり、それが他の神様のお役に立つ大切な存在でした。だからこそ、ここ日本からこの思想や生き方を伝道していくのが今の世代の使命だと感じています。

子どもたちがこの先、100年後、1000年後、どれだけの自然に見守られているのか。自然の回復力と人間の魂の真の成長を信じて、子どもたちのために日々のお手入れ、修繕を伝承していきたいと思います。

竹垣と暮らし

今度、藁ぶき古民家のブロック塀の装飾に竹垣を創る予定があります。これは「この場所をきれいに美しく整えたい」という地主さんの想いにとても共感し、私もどうしたらいいかと考えている中でアイデアが出てきたものです。

「竹垣」というのは日本人には馴染みが深いものです。特に京都にいけば、町をあるくといろいろな竹垣に出会います。寺院にも多いですし、また庭との境界線にも竹垣があるのを見かけます。

海外には、家の境界には石組みをして頑丈で堅固なものを用いられることが多いですが日本では敢えて竹を用いることで風情を醸し出しているように思います。

この竹垣は、改めて説明すれば竹で編んだ垣根のことで日本庭園に使用される主な竹垣は建仁寺垣、高麗垣、沼津垣、鉄砲袖垣、襖垣、鶯垣、四つ目垣、大徳寺垣、立会垣などが有名です。

独自に開発したものを創作垣といいますが、今回はどちらかといえば建仁寺垣風の創作垣になるような予感がしています。

この垣根の歴史奈良、天平のころからあるといわれます。貴族や大名の家の周辺はウツギの生垣や葦垣などで囲まれていたと文献にあるようです。

単なる境界線をわける目隠しとしてではなく、強くて柔らかいといった竹の長所を見事に活かしています。涼し気であり、見た目も美しく、そして竹を用いることで資源の有効活用と里山の手入れにもつながります。

むかしの人たちがつないできた、日本の先人の知恵はまさにこれからの世界をどう生きていけばいいかの羅針盤になるように思います。

一つ一つのご縁を大切にしながら、暮らしを紡いでいきたいと思います。

紫陽花の不思議

この時期は、あちこちで綺麗に咲く紫陽花の花を見かけます。いろいろな形や色に変化していく様子は、まさにこの季節の雰囲気を明るくしてくれます。幼いころは、紫陽花が咲くころにはカタツムリを探しにいきました。比較的大きな、カタツムリをみつけては紫陽花の主人のように振る舞う様子に不思議を覚えた記憶があります。

改めて紫陽花のことを深めてみるとその名前から不思議であることがわかります。

詳しいことはウィキペディアにもありますが、それもまたはっきりしない内容です。そこにはこうあります。

「アジサイの語源ははっきりしないが、最古の和歌集『万葉集』では「味狭藍」「安治佐為」、平安時代の辞典『和名類聚抄』では「阿豆佐為」の字をあてて書かれている。もっとも有力とされているのは、「藍色が集まったもの」を意味する「あづさい(集真藍)」がなまったものとする説である[8]。そのほか、「味」は評価を、「狭藍」は花の色を示すという谷川士清の説、「集まって咲くもの」とする山本章夫の説(『万葉古今動植物正名』)、「厚咲き」が転じたものであるという貝原益軒の説がある。花の色がよく変わることから、「七変化」「八仙花」とも呼ばれる。日本語で漢字表記に用いられる「紫陽花」は、唐の詩人白居易が別の花、おそらくライラックに付けた名で、平安時代の学者源順がこの漢字をあてたことから誤って広まったといわれている。草冠の下に「便」を置いた字が『新撰字鏡』にはみられ、「安知佐井」のほか「止毛久佐」の字があてられている。アジサイ研究家の山本武臣は、アジサイの葉が便所で使われる地域のあることから、止毛久佐は普通トモクサと読むが、シモクサとも読むことができると指摘している。また『言塵集』にはアジサイの別名として「またぶりぐさ」が挙げられている。シーボルトはアジサイ属の新種に自分の妻「おタキさん」の名をとって Hydrangea otaksa と命名し、物議をかもした。これは Hydrangea macrophylla と同種であった。」

なんともはっきりしない由来ばかりで、しかも間違って使われている事例ばかり。まさに七変化の象徴のような花であるのを感じます。

うちの庭にあるものは、野生種のヤマアジサイです。独特な形をしていて、緑と花が交互に折り重なるように咲いているので透かしもあり涼し気です。

このヤマアジサイは九州や四国に分布している種だそうで、むかしから私の故郷の地域の山や沢に咲いていたのでしょう。それがうちの庭にもあるというのは、どのようにここに運ばれて来たのかわかりませんが時と場を感じます。

こうやって、その土地に相応しいものやいつまでも変わらずに存在するもの。変化しないものと変化するもの。紫陽花から色々と学び直す機会を得ています。

子どもたちにも紫陽花の美しさを豊かに鑑賞するゆったりとした時間を持てるよう環境を用意して見守っていきたいと思います。

私の目的

私はこの「場の道場(BA)」で、日本の伝統的な文化を継承して温故知新しながら最先端の取り組みと融合させています。なぜこのようなことをするのかといえば、目的は明確で子どものためにということです。

この子どものためといっても、単なる一般的な世の中で使う子どものためではありません。もっと広義で子孫のためといった方がいいのかもしれません。子孫たちが安心して世界の中で自分らしく自分を生きていけるように先祖の思いやりをつなごうとしているのです。

私の暮らすこの場には、古いものと新しいものが共存し共生しています。よく言われるのが、ハイブリット型や善いところ取りなどとも評されます。しかしそれは、ちゃんと日本人の精神や魂、生き方を大切にしながら時代の中で創造されてきたものとの調和した暮らしを実践しているだけのことです。

先祖は、私たち子孫のために色々と深く考えてくれて偉大な思いやりを遺してくれています。その先祖の生き様や人生を無駄にしないのが、私たち子孫たちの責務であり使命であるはずです。

今の時代は、そんなことを思わず刹那的に今の自分の人生や世代だけがよければいいという短絡的な生き方が増えています。どれもこれもすべてその原因は、忙しくなることで暮らしを手放したことに起因しています。

暮らしがなくなれば、先祖の思いやりも届かないところにいってしまいます。私たちの先祖は、決して単なる文字や記録で子孫が守れるとは思っていませんでした。なので色々と工夫して知恵を働かせたのです。

その一つが、日本の家屋であり日本の伝統行事であり、まさに衣食住を含むこれらの「暮らし」にその仕組みをを入れたのです。

そしてそれを甦生し続けて温故知新する人物を、道を通して育成してきたのです。私が場の道場を開いた理由、そしてなぜ今、ここに「場」を誕生させようとするのかはその手段の一つであり目的を実現するためです。

子どもの仕事をしてきたからこそ、何をすることがもっとも「子ども=子孫」のためになるのかと四六時中ずっと思い続けてきました。そうすることで先祖とつながり、子孫へ譲り遺していく初心伝承文化に気づいたのです。

これから目的に人を集めるための動画を撮影していきますが、目的を忘れずに丁寧に取り組んでいきたいと思います。