甦生の技術

この世の中には、時間というものがあると信じられています。他にも自分というものがあるとも信じられています。つまり人は何かを信じればそれがあると信じるようにできています。

実際にないものであっても、自分があると信じればそれがあるのです。

その中には、本当に現実としてあるものと、空想の中であると信じているものがあります。ある種の思い込みといえば、ほとんどすべてはこの世の中は思い込みでできていますが思い込みを超えるような発見があるとき人は真実に気づくように思います。

その時、目から鱗が落ちるような体験、また我に返ったような体験、自分というものを超えた偉大な存在になったような体験などがあるように思うのです。思い込みから解放されるとき、人間は今まで見えなかったものが観えるようになるのです。

例えば、「いのち」というものがあります。

一般的には、動物のように呼吸をして心臓を動かし活動しているものはいのちがあると信じています。その活動が停止したらいのちはなくなったといいます。植物であれば、花を咲かせていたらいのちがあるとし、枯れてしまえばいのちがないとしています。つまり動と静によって、いのちがあることとないことを使い分けているともいえます。

しかし、もしも静であることがいのちがあることで動であることがいのちがないとしたら混乱すると思います。例えば、石であればじっとしていればいのちがあり、壊れていけばいのちがなくなっていくということになります。他にも、静かな湖畔はいのちがあり、蒸発してなくなればいのちがないという具合です。

簡単に動と静で生き死にはすべて語ることはできません。

ここに一つ、「甦生」というものがあります。それは「いのち」そのものを観るために動静そのものとは離れた絶対的に存在する何かを可視化する技術です。私は甦生と浄化の道を究めていくものですから、いのちそのものの存在をどう磨いて徳を引き出し、それを活かすかということを生業にしています。

甦生というのは、時空を超えてあるものを世代を超えても受け継がれた存在を永続的に守り続ける力のことでもあります。甦生させていくことで、私たちは伝統を守り続けることができ、いつまでもいのちを輝かせていくことができるのです。

子どもたちにこのことを伝えていくために、映像を遺してみたいと思います。今、来ているご縁を一つ一つ噛みしめながら自分のやるべきことに専念していきたいと思います。

発明の甦生

私たちは、現在文字を活用して様々なことを記録していくことができています。人類が文字を使い始めたのは紀元前3200年ころの西アジアのシュメール人の都市の絵文字がはじまりだともいわれます。その後は、紀元前3000年ころにメソポタミア文明のくさび型文字、エジプトのヒエログリフが出たそうです。

文字ができたことで私たちは「歴史」というものを持つことができるようになりました。文字ができる前を先史時代といい、文字ができて私たちは歴史時代というようになります。

人類は紀元前500万年~400万年前からいるといわれていますがそうなるとそれまでは文字を使っていなかったということになります。文字という発明があってからまだ5000年くらいしか経っていないのです。文字ができるまでの人類は一体どうしていたのか、それを考えていると改めて原点や原始の姿を想像することができるように思います。

世界の少数民族には、数の概念がなかったり、文字を持たない民族も多くあるといいます。ハワイも、今から200年前には文字を持たなかったといいます。つまり、歴史の中に入っていなかったということになるのです。私たちは歴史というのを当たり前に認識していますが、実際には歴史とは文字の歴史のことです。文字にできるものが歴史といわれるもので、さらには時間という概念ですら人間が勝手に仕立てたものですから人類のみが発明した一つの道具ということになります。

動物の世界や昆虫の世界には、文字はありませんし時間という概念もありません。

そう考えてみると、人間というものは不自然なものを多く発明していくものです。本来、残らないものを残せるようにし、記録できないものを記録するようになったのです。しかしこれが文明を加速させて、今のような歴史時代を築いたということでしょう。

そういう意味では、文字の時代はまだはじまったばかりで終わるのかどうかもわかりません。その前はなかったか、もしくは風化してしまったのか、それもわかりません。ただ一つわかるのは、それは人間が創造した発明だということです。

そして文字が生まれる前に「トークン(TOKEN)」というものがあります。

ウィキペディアには「紀元前8000年頃から紀元前3000年までメソポタミアの地層から出土する直径が1cm前後の粘土で作られたさまざまな形状の物体のこと。物品の商取引や管理に用いられていたと想定される。近年ではフランス人考古学者デニス・シュマント・ベッセラ(英語版)(Denise Schmandt‐Besserat)が世界最古の文字であるウルク古拙文字の発生の起源をトークンに求めた「トークン仮説」で知られるようになった」とあります。

「数」という概念を持ち、それを「記録」するということを思いつきました。そしてその「証拠」を確かめるということをした。最初は粘土と絵文字とコンテナという保存庫でしたがそれが多様に複雑になり文字が誕生していったのです。

それが現在、ブロックチェーンの出現によってさらにその数と記録と証拠があらゆる境界を超えて交換できるようになってきています。

本来、これは何の発明だったのかとよく考えてから取り組むことで歴史を正しく認識することができるように私は思います。引き続き、子どもたちの未来のために人類の幸福のためになる発明の甦生に取り組んでいきたいと思います。

 

調和力

今、住んでいる自宅は大きな池の水辺の高台にあるため朝からあらゆる野鳥の鳴き声で目が覚めます。水鳥たちが家の周囲にまで飛来してきては、朝からとても澄んだ鳴き声を奏でてくれます。

まるで風のゆらぎを指揮にしたオーケストラのように自然の音楽が聴こえてきます。水辺には、お互いの位置を確かめ合っているかのようにそれぞれで音を出しては距離とつながりを確かめ合っています。

自然というのは、お互いの距離感というものをそれぞれがもって共生しています。お互いに配慮しあい尊重しながらもともに居心地の善い場をつくりあげていくのです。

つまり居心地の善さとは自然界では、尊重し合うということにほかなりません。みんなが周囲を思いやりながらもここまでという境界線を大事にしているということです。

人間の歴史は、戦争の歴史といわれます。

そこにはお互いを尊重するような境界線がありません。自分たちが豊かになるために定めた範囲に対して、敵か味方があるだけです。人間は、そもそもいつから戦争をはじめるようになったのか。縄文時代のように、食べることで精いっぱいで自然と一体になって暮らしていた時代は戦争はあまりなかったように思います。

それが農耕をはじめ物質的に豊かになり、余裕がうまれさらにその富を増やすために生活圏を拡大させ人間でこの地球を埋め尽くしていきました。今では世界には80億人以上の人類がいて、人間の生活圏はあらゆる自然を埋め尽くすほどです。

戦争というものは、この生活圏の奪い合いともいえます。それが発展して、現在は経済が生活を占めていますから経済圏の奪い合いが戦争ともいえます。中国やアメリカ、ヨーロッパをはじめあらゆる国々が経済圏を確保するためにしのぎを削ります。

世界はいつになったら居心地の善い関係が築けるのか。

果たして本当に進歩しているのか、進化しているのか、自然を観照していると考えさせられることばかりです。せっかく進歩しても、進化しなければ進歩は活かせません。また進化は本質的な進歩を遂げるはずです。その調和が人類の真の成長であり、私たちが目指している持続可能で平和な世の中ということでしょう。

歴史から学び、自然から学び、私たちは本当のこれからを築く必要があります。暮らしの中には、その居心地の善い暮らしというものがあるように私は思います。それはこの自然のもっている調和力の中にこそあります。

子どもたちに、自然の智慧を伝承していきたいと思います。

 

丁寧な暮らし

生き物は美しい造形物を作り上げていくものです。私は若い時に拾った一つの貝を持っています。そしてもう一つ、石英の勾玉を持っています。身近に置いておくと心が癒され美意識が高まっていくのを感じます。

自然のもつ造形物はまさに完全無欠であり、どのような状態になってもそのものらしく自然体で驚きと感動を与えてくれるものです。

まずこの貝は巻貝ですが、科学的には炭酸カルシウムとタンパク質を融和させながら成長していきます。最初は小さな姿から大人になっていくにつれて次第に貝も大きくなっていきます。

つまりこの手元にある巻貝は、この貝の一生を生きた証ともいえるものです。美しい海の中で仕合せに生きたこの貝の姿を眺めていたり触っていると私はいつも心が癒されその美しい貝の姿から海の中でどのように過ごして何を貝は感じて生きたのかというものが伝わってきます。一つ一つの曲線の美しさ、そして肌触り、手に収まるくらいの大きさ、そのどれもが飽きることもなく何度みてもうっとりするのです。

出会いは宮崎の日南の海で、仕事中に走っていたら海の中に光っているものがみえ、車を止めて石やサンゴがゴツゴツとした中での出会いでしたが発見した時の感動は今でも忘れることはできません。

もう一つの石英の勾玉もまた不思議な出会いでした。ある森の中の美しい水が流れている近くで微睡んでいた時に土の中に光るものを感じて掘り起こしてみたらそこにあったのです。ドロドロで真っ黒でしたが、水洗いしたら見たことのない緑色の美しい姿になり透明な光が出てきました。

これは数億年という単位で、水が薄く流れる鍾乳洞のような場所で少しずつカルシウムと水が融和してできたものです。水晶などは1㎜成長するのに少なくても100年かかります。数万年単位で水に溶けたシリカなどが固まって石になるのです。

つまりこの手元の石には億年単位の石の生涯があり、その美しさがあらゆる模様や姿形に出てくるのです。私はこの石に触れるたびに、その歴史やドラマ、地球内部での暮らしを感じて悠久の時を思い出します。

いつかは死に別れることもありますが、私の身体もまた自然物の一つで造形されたものですから違うものになっていくのでしょうがいのちの本体がなくなることはありません。

私たちが美しいと感じるものは、このいのちの本体に触れているからです。

私は芸術のことや専門のことはわかりませんが、美しいものは何かということは本能で感じます。人はみんな自然物ですから真の美しさがわかるはずです。自然物に触れて、一期一会に出会いつつづけることで美しい人生はさらに彩られていくものです。

日々の出会いを大切に、美しいものを見逃さないように丁寧に暮らしていきたいと思います。

自然に学ぶ心

先日、あることから久しぶりに星野道夫さんの文章を読み返す機会がありました。美しい写真を撮るだけではなく、美しい生き方に憧れよく自然から人間を観察された文章は心に響くものがあります。

その中で、ちょうど今の時期に相応しい星野道夫さんの言葉を見つけました。

「人間の気持ちとは可笑しいものですね。どうしようもなく些細な日常に左右されている一方で、風の感触や初夏の気配で、こんなにも豊かになれるのですから。人の心は、深くて、そして不思議なほど浅いのだと思います。」

人の心は深くて、そして同時に不思議なほどに浅いというものに共感します。

人間には心とは別に感情があります。感情は常に鋭敏に自然の変化の真っただ中にありながら常に感応を已みません。小さな変化、生きている実感ともいえる感動を感得し続けているのです。つい目先のことに囚われて我執や固執してしまうのもまた、この感情が動いているからでもあります。

しかし同時に心は、深い海の底のさらにその奥のような深淵の世界が広がっています。海の上で風に揺れる波とは異なり、海底の深いところの海は静かで闇く穏やかなままです。

心は常に落ち着いていて丁寧です。人間はそう考えてみるといつも同時に2つの目を通してこの世を観ていることになります。感情の目と心の目です。浅い目と深い目とも言ってもいいかもしれません。

そこには自分からしか見えない狭い自己中心的な視野と全体や宇宙のような広大無辺の無の視野があります。まさに一物一心全体の自他一体の境地です。

日々に感情は波打っても、心はとても落ち着いて静かです。心の静けさに感情を合わせていくことで人は驚くこと豊かになれるのです。

私の言う暮らしフルネス™には、この暮らし方の意義もあります。日々の忙しさに追われてしまう仕組みが走っている現代社会において、如何に真の豊かさを持てるかは人類の課題になってきています。人工知能が発達すればするほどに、人はなんのために生まれてきたのかという課題に正面から向き合うことになります。

その時、人はどちらを選ぶか。

私は心の世界を大切にしている人が、感情だけではなく自他一体の境地で選択していってほしいと願っています。子どもたちに大切な人類の節目に、本来の自然からの英知と受け継がれてきた智慧を伝承していきたいと思います。

自然との共生

野生生物と人間との共生の問題は、避けては通ることができない問題です。現代では、見なかったことにするかのようにその問題はどこか別のところ、もしくは田舎の一部で発生している問題のように扱われますが地球全体の問題であり、人類が滅ぶかどうかの岐路に立っている問題でもあります。

大袈裟に思われるかもしれませんが、現代は恐竜大絶滅時代に匹敵するほどにあらゆる生物が絶滅していっています。現代は人間の産業化の影響で一日に約100種類の生き物が絶滅しています。このままでは、生物多様性と循環が途切れ、人間を含む一部の種だけが画一的に存在する場所になっていきます。そうすると、滅ぶのは時間の問題でありまた復活するまでに数万年単位の時間がかかってしまいます。

この大量絶滅はいつからはじまっているのか。野生動物と人間の共生はいつからおかしくなってきたのか。その期間を歴史を遡って推察するとまだ60年くらいなものです。なんとこの60年の間に、人類は取り返しのつかないほどの自然を破壊し、そして絶滅危機を迎えているということです。

日本でも第2次世界大戦後の1960年代の燃料革命によってエネルギーの主体が化石燃料となり木炭需要が急減して森林の利用が止まりました。そうなると森林の手入れができませんから野生動物はますます増えていきました。さらに減反政策によって耕作放棄地が増え、山の野生動物たちは人間のいる場所に近づいてきました。そのため1950年から60年代の半ばまで3~4万頭だった捕獲数も、16年度には61万頭に達しています。

エネルギーが化石燃焼になってから地球温暖化はとどまることを知りません。今では南極や北極の氷も解けて、山や海にまで人間の自然汚染が続き、絶滅のスピードは加速しています。

そもそも化石燃料だけが問題ではなく、人間が自然との共生をやめたことが本当の原因だと私は思います。田んぼにも農薬をまき散らし、河川、海、その他を人工物で塗り固めて便利にしていったことでより自然破壊は進みました。それもこれも、乱獲、乱開発によってです。人間の利益を優先して競争してきたことのツケが、人間全体に及んできているということです。

産業革命が切っ掛けになり、人間の欲は資本主義とともに成長の一途をたどっています。もはや、何かしらの大災害が地球規模で発生しない限り止まることはないでしょう。しかし、生き方として本来の自然との共生を生きようとすることは子どもたちのために必要なことだと私は思います。

資本主義がもっとも破壊してきたのは、自然との共生、つまり暮らしです。この暮らしの破壊が、人間本来の自然の心も破壊していきます。暮らしフルネス™に取り組む理由は、この暮らしを甦生させていくことで本来のあるべきように原点回帰していこうとする実践でもあります。

子どもが、この豊かな地球でいつまでも仕合せに暮らしていけるように地道に実践を積み重ねていきたいと思います。

畏怖の念~自然との境界~

藁ぶき古民家のアライグマの駆除について色々と調べてみると、大変なことがわかってきます。特に、これらの野生動物は特定外来生物に含まれるため、傷つけたりした場合は鳥獣保護法で罰せられることもあります。もしも違反した場合は100万円以下の罰金もしくは1年以下の懲役を科されてしまいます。 なので基本的には「追い出す」ことや「近づけない」ことしかできません。

しかもその野生動物に赤ちゃんがいた場合、家から追い出してしまうと赤ちゃんだけでは生きていけないので死んでしまうと違反したことになり先ほどの罰則がきます。大人になるまで待ってから追い出す必要があります。しかしその間も、人間に害のある状態(例えば、糞による病原菌やマダニ、回虫、また襲われる等々)の不安が付きまといます。時としては人間が襲われて死ぬにも関わらず、個人としてはどうしようもありません。また追い出したとしても、その追い出したアライグマは一体どこに移動するのか。もしかすると別の民家に移動してまたそこで害になるかもしれません。まさに、動物名が異なりますがいたちごっごで埒があきません。

なぜそもそもこんなことになってしまっているのか。近年は、ますます動物たちの害が増えていき農作物は荒らされ、都市部にもあらゆる野生動物が住み着いてきて荒らしています。人間界にどんどん入ってきては、人間もコントロールすることもできなくなっています。これは動物に限らず、ウイルスをはじめあらゆる病原体が人間を脅かすようになってきました。

これは少し考えてみると感じるのですが、かつては人間と自然との境界線を緩やかにもうけていてお互いを尊重し合って共生関係を結んできたものが崩れているからであろうと感じます。

例えば、山と里の間、昼と夜の間、また食物循環などが機能していたころはお互いをあまり邪魔しないように距離を保っていました。生活圏にゾーンがあり、そのゾーンはお互いに確保しあうという具合です。しかし、人間が一方的にその相手のゾーンに踏み込みそれを浸食すればその生き物たちはこちら側になだれ込んできます。

それをいくら駆除しても、もはや手遅れでコントロールすることすらできません。それが現代の問題になっているように思うのです。うまくお互いを尊重し合うというのは、自然への畏敬であったり、自然界への畏怖であった、お互いに循環を担う一員としての責任のようなものです。それが失われたことが、今の問題を引き起こしているんであり問題を先送りしてもそれはまったく問題解決にはならないのです。

この法律の問題も同様に、いくら法律で罰則をつくりその場しのぎで対処したとしても本質的な問題は何も解決していません。それでみんなが困っていくのです。部分最適のその場の対処法はかえって問題を広げていくことを証明しているのです。

自然のバランスを壊すということがどのような問題を引き起こしていくのか、科学でなんでも征服できると勘違いしてしまうと大きなしっぺ返しがやってきます。自然はそれだけ畏れおおい存在です。むかしの日本人は神様として畏怖の念を忘れませんでした。

これからの時代、自然現象が大きく私たち人類にメッセージを発信してきます。いち早く気づいた人たちで、如何に自然と調和し共生する智慧に原点回帰していくか。まさに今は試練の時なのでしょう。

人間のルールの問題もありますが、今回のアライグマのことも真摯に対応していきたいと思います。

甦生業

藁ぶき古民家の甦生もまもなく最終段階に入ってきていて家の徳が引き出されてきています。ご近所の方や通りすがりの車が止まり声をかけてくださいます。その声は、一様に「だんだんと家が善くなってきていますね、楽しみです」というものです。

それは動画で配信しているサイトのコメントでもたくさんいただき、身内や仲間からも喜びの声をいただきます。その言葉に励まされ、信念を強くして真摯に家に向き合って修繕を続けています。

考えてみると、人はみんな何かが甦っていくことに希望を感じるように思います。

もう御終いだと思っていたものが復活して、それがさらに以前よりも元氣になって美しく生命を輝かせていく姿に偉大な何かの存在を感じるように思うのです。

それは病気からの恢復、あるいは壊れた機械の修理、よくお手入れされた道具、これらのものに触れると人は善かったねと喜んでくれるのです。徳を積むということは、この甦えらせていくことに似ているのです。

今まで荒れ地で捨て去っていたものを甦らせてそこで作物を育て農地を役立てること、経験豊富な高齢者や職人たちが後世の若い人に技術を伝承していくこと、他にも古井戸や古民家を甦生して新しい役目を与えて人々を潤してもらうこと、こういうこともまた徳になるのです。

徳は事業ではなく、お金儲けではありません。なので無理にお金のためにするものではなく、みんなが喜び、自分も喜ぶことを真摯に取り組んでいくことに似ています。自他一体に全体が幸福になるというのは、自然循環の摂理であり自然の徳の仕組みでもあります。

この徳循環を支えるもの、それが「甦生」なのです。

甦生業が私の取り組みですから、甦生したものが役に立てるように場を創造していくこともまた使命です。挑戦すれば喜びも多いですが苦しみもまた同時に発生します。それを味わいながら、今、できることに真摯に挑戦を本気のままに続けていきたいと思います。

 

腸活を楽しむ~智慧食~

私たちの郷土料理の中の一つに「ぬか炊き」というものがあります。ぬか漬けの漬物を知っている人は多いと思いますが、そのぬかを使って料理して味付けをし煮込んだものがぬか炊きといいます。

そもそもこの「ぬか」は、玄米を精白する時に出る、胚芽(はいが)と種皮とが混ざった粉のことをいいます。それを壺や木桶などに入れて、塩水を加えて練れば「床」ができます。そのぬかの床ができるから「ぬか床」(ぬかみそ)とも呼びます。このぬか床は人間に有益な微生物や乳酸菌などの棲家になりそこでの発酵の循環で産み出されたものを摂取することで人間にとっても豊富なビタミンやミネラル、栄養価を得られます。

この微生物と人間との調和、そのものを「発酵」と呼び、私たちは伝統文化として暮らしの中に取り入れてきました。野菜等の保存食としても最適でもあるためこの智慧を伝承されてきたのです。今では冷蔵庫=保存するものになっていますが、自然界にはそんなものはなく微生物と共生することで私たちは生き残るための智慧を獲得してきたのです。この時の保存は単に傷まない腐らないための仕組みではなく、「永続的に健康でいられる仕組み」まで入っていたのです。

以前、確かこのブログでも書きましたがぬか漬けの歴史は奈良時代の「須須保利(すずほり)」という漬物がルーツだともいわれます。米糠のことも734年(天平6年)の正倉院文書の尾張国正税帳にあるといわれています。それだけぬかを使った暮らしには歴史があります。

その「ぬか」を使った「ぬか炊き」は一般的なぬか床のような漬物として使わずにぬか床を調味料にして青魚のサバやイワシをぬか床で長時間炊くのに使います。つまり「ぬか+炊く」から「ぬか炊き」ということなのです。このぬか床を長時間炊くことで保存期間が延びさらに青魚特有の臭みも消えぬか床のうま味が魚に入り絶妙な味わいが得られます。健康になる上に、寿命が伸びるという発明食です。福岡での伝統郷土料理としてのはじまりは小倉藩主の小笠原忠政公が前任の信濃国から保存食用としてぬか床を持ち込んだのがはじまりです。

今の時代、添加物をはじめいのちの入っていない便利なサプリや加工食品ばかりが広がっている中で腸内環境を整えるといった「腸活」が流行ってきていますが現代社会でも心身の健康恢復の救いになるのがこの「ぬか漬け」と「ぬか炊き」であることは間違いありません。日々の暮らしの中で如何に腸内フローラを活き活きさせていくか、それは暮らしの中の日々の食の智慧と工夫にこそあります。

つまり伝統保存食は単なる長期間腐らないものではないのです。本来の伝統保存食とは、健康な暮らしを維持継続させるための智慧食のことです。私たちは日々に心身が整っていけば、それだけで仕合せを感じます。日々の暮らしは、私たちの人生を美しく彩り、明るくしていきます。

「食」という字が、なぜ「人が良くなる」と書くのか。それは食によって人間が磨かれていくからです。そしてそれは「腸内環境」からというのはまさに的を得ていると感じます。

コロナウイルスのことで、暗く辛い報道も増えていますが、いつまでも子どもたちが安心して元氣で健康で幸せになれるように私も腸活を楽しんでいきたいと思います。

 

助け合いの精神

現在の世界の政治の運営の仕組みは、成熟して限界値を超えてきています。それぞれの国が国家財政がひっ迫するなか、今までの仕組みでは社会制度を保つことが難しくなっています。

人類はこれまでいろいろな方法をつかって社会を維持してきました。グローバリゼーションによって一斉に似たような社会を築きましたが、少子高齢化をはじめ今までになかったような問題に取り組むことになっています。

こういう時こそ、私たちは歴史に学び、智慧を磨いていく必要があります。

かつて米沢藩主上杉鷹山という名君がいました。この方は「民の父母」として慕われました。財政難に陥っていた米沢藩を倹約や民政事業による財政の立て直しを行いました。その具体的な藩主の根本方針を次の「三助」と表現して政治を執り行いました。

それは、「自助・互助・扶助」の3つです。これは自ら助けること、そして近隣社会が互いに助け合うこと、最後は藩政府が手を貸すこととしました。

「自助」実現のために米作以外の殖産興業を積極的に進め、「互助」の実践として農民には「五人組、十人組、一村」の単位で組合を作り互いに助け合わせました。また孤児、孤老、障がい者がいた場合は五人組、十人組の中で、養うようにしました。また一村が火事や水害など大きな災害にあった時には近隣の四か村が救援するようにしました。

それを超えるような災害、天明の大飢饉では藩政府の「扶助」が必要とし、藩士、領民の区別なく一日あたり男、米3合、女2合5勺の割合で支給して粥として食べさせ乗り越えました。その際は鷹山のいる上杉家も全員で領民と同様に三度の食事は粥としそれを見習って富裕な者たちも貧しい者を競って助けたと記録にあります。

これは実は、時代を超えても大切な三要素であることがわかります。そしてこの仕組みは、国家経営だけではなく会社経営、人類の社会存続の智慧であることもわかります。

つまり「助け合い」がしやすい環境を創造したということです。

常に有事に備えるとは、日々の助け合いの機会や場が整っている状態をつくるということです。現代は、個人主義でプライベート重視ですから助け合うよりもあまり深く関わらないように距離をとって生活しているものです。特になんでもお金を使えば、その助け合う要素が必要がなくなりますから何でもお金で解決しようとするものです。

そうやって社会全体が、助け合い難い環境が仕上がっていきました。すると次第に、財政がひっ迫していきます。その状態になったら余計に人々は助け合わず、さらに悪循環に陥り財政難はさらにスピードアップしていくものです。

日本の国家運営をみても、助け合う環境がますます減っていき膠着してきています。災害というものは、天災、人災がありますがいつこの先どのような災害に見舞われるかわかりません。現在は、コロナという人災の災害ですがこれが他に天災が加わってしまえば私たちは上杉鷹山が体験したような大変な状態が訪れるかもしれません。

あの当時ですら、気候変動から天保・天命の疫病と飢饉で100万人以上が亡くなっています。気候変動はこの先もずっと避けては通れない自然の摂理ですから私たちは常に災害に備える必要があります。世界でもっとも危険で、自然災害が多い国に生まれた以上、私たちは世界に対して災害を乗り越える智慧を発信して世界の人類の一つの希望にならなくてはなりません。

日本人として、これから何が必要なのか。それをどう示していくか、そこにこの上杉鷹山の言う「自助・互助・扶助」の助け合いの精神は要になっていくと私は思います。

これは日ごろからどのような暮らしをしていくかという生き方の問いでもあります。暮らしフルネス™の中に、この智慧を取り入れていきたいと思います。