真に豊か~懐石の真心~

例大祭の準備がはじまり、精進料理を食べ始めます。本来は、潔斎は数か月前からのものもあれば1ヶ月前のものもあるそうですが現代は、仕事をしながらの会食もあり、なかなか難しいものもあります。

実際には、一汁一菜の暮らしをしていれば日々の暮らしそのものが精進料理ですから何の問題もありません。そのためには、日々の暮らしをととのえ、日ごろの料理を丹誠を籠めて取り組んでいくことになると思います。

まだ私にはできていませんが、暮らすように神事をし、その神事によって暮らしを充実させていきたいと思っていますから少しずつ近づいていきたいと思っています。

料理といえば、懐石料理というものがあります。現代では、和食のコース料理の名前などで使われていますが本来は禅僧が空腹をしのぐために懐に入れていた「温石(おんじゃく)」が由来です。

この温石とは腹や胸にいれて体を温めるカイロのような役割の石ですが、食べ物がない時代、その空腹をやわらげる効果もあったといいます。もともと禅宗の修行僧の食事は一日一食のシンプルなものです。満足に食事を摂らないと体を温める機能も低下するので温石で暖をとりつつ空腹を和らげたといいます。

また懐石料理が、おもてなしにつながるのは千利休によるものです。禅の思想、侘茶の精神を懐石に倣い見た目だけを重視した華美なものよりもお茶や料理を体に負担なく本来の自然と美味しいものを最善としました。

「利休百会記」の記述には、「天正18年9月に古田織部を招いた際の膳の内容は、飯のほかには鮭の焼き物、小鳥の汁、ゆみそ、膾の一汁三菜。」とあります。

本来の満たすというものに、豪華絢爛な欲望を満たすのではなく、いのちや心を丸ごと満たすという「足るを知る」ことがこの懐石の意味であるように私は思います。決して質素だから貧しいのではなく、本当の豊かさはそのシンプルな生き方の中にある。そしてこの懐石こそ、ないものねだりをするのでなくたとえ空腹であっても心は満たされていきそしていのちの温かさを感じられるところに本当の「食」の意味があることを悟るというものなのかもしれません。

いのちやこころは、膨大な量は必要ありません。ほんの僅かであったとしても、そこに真心があれば真に豊かなのです。

例大祭の準備を慎んで、執り行っていきたいと思います。

危機に備える暮らし

現代は、より不確定な時代に入っています。コロナだけではなく、ここ十数年、震災にはじまりあらゆる自然災害が発生しやすくなっています。また南極の氷が融けては世界の海の中の水量が代わり、流れも変わり、そしてその水の力で地球全体の変化は進みます。

その時、私達人類は今までのように計画を立ててその通りにやっていくということが難しくなっていくのです。つまり、自然が安定していた時はある程度、人間の好きなようにできる都市をつくり限られたところで自由自在に謳歌できましたがこれからは自然の変化と向き合いながら歩んでいく時代に入ったのです。

もともと環境問題の話は数十年前から出ていましたが、それは経済活動をしながら少しだけ環境に配慮しようとした慈善事業的なものでしたがこれからはそんな場合ではなくなって激しい自然環境の変化の中でどのように人類は生き延びていくのかということに向き合う時代になったということです。

当たり前のことですが、人類は今までもそうやって大自然の恩恵を受けながら、厳しい大自然に洗礼を受けては許しを得てここまで生き延びてきました。別に終末思想などを言っているわけでもなく、歴史を省みればそうやって人類は何回も絶滅の危機を乗り越えて生きてきました。

絶滅の危機を省みると、それは突然にやってきます。まさかこの平和や安定が突如失われるなどとは誰も思いもしません。しかしそういう時がもっとも危機の前兆であり、私たちは備えることに油断している状態であるのです。

言い換えれば、自然に向き合うことをやめてしまう、もしくは自然から離れてしまう。その時こそ、本当の危機が訪れているということなのです。

時代が時代なら、この危機に向き合い人類はどうやってみんなで生き延びるかを世界で対話をして解決に向けて協力していかなければなりません。いつまでも国家間の争いをして、常に比較や価値や評価を競いあってみても大自然の前ではひとたまりもありません。

極端なことをいうのではなく、だからこそ危機に備える必要を感じるのです。先人たちの暮らしをよく観察すればするほどに、日ごろから危機に備える仕組みを醸成していたのがわかります。たとえば、結に見られるような助け合い支え合いの仕組みも暮らしの中で醸成していました。

ひとたび自然災害が来たら、その先人たちの暮らしが大いに役にたつのです。別に私は都会暮らしか田舎暮らしかを論議するのではなく、生き残るために何が必要かということを暮らしフルネスで提案しています。

その時が来ては遅いからこそ、今からやる必要があるのです。平時ではなく、有事に備えてこそ人類は協力し自律し合う関係が築けると思います。

子どもたちのために今できることを真摯に挑戦していきたいと思います。

心のパートナー

昨日、久しぶりですがオンラインで同志とこの一年の振り返りや話し合いを行いました。仕事も一緒にしながら理想に向かって挑戦を続けてもう7年目になります。色々な仕事をしてきましたが、理想を共にできる関係を築くことは簡単ではありません。

理想があるというのは、そこには非常な艱難辛苦もありお互いに苦労を分かち合いながらもあらゆる課題を心も持ち方を磨きつつ、創意工夫をもって乗り越えていきます。

片方が諦めても、もう片方は諦めない。そういった、お互いに同じ方向を向いて同じ目的に向かって挑戦するときにはじめてパートナーという関係が結ばれるからです。しかしそのパートナーは、決して頭で理解できるものではなく不思議なご縁によってのみ結実します。そこには天地人の縁が必要です。この天地人は、天の時、地の利、人の和、そしてご縁です。

人はいつかは必ず死にます。

この世で生きている時には、できるだけ一緒に様々なことに挑戦をして共に魂を磨き合い輝かせます。そして死してからも魂は共にしますが、そこにこの肉体は存在しません。頭で思考することもなくなります。ただ魂だけが残るのです。

だからこそ、この一期一会の瞬間を丁寧に丹誠を籠めて理想に向かって共に歩んでいく醍醐味があるのです。

昨日、彼らと話をして改めて振り返り気づいたのは私はこのコロナでこれからの時代の生きる力としてもっとも大切なのは「心の持ち方」を創っていくことだと思います。

本来の教育とは何か、教育の原点とは何か。それはこの「心の持ち方」を与えることだと実感するからです。どんな時でも、好奇心を持って楽しいものを見出していく力。人生の中での希望は、この一生を歩んでいくために最大かつ至高の座右です。

希望あるところに人は活き、絶望することで人は亡くなります。この世で、私たちが様々な艱難辛苦を味わう時、魂は磨かれますがそこで絶望すれば魂は衰えてしまいます。そんな時、希望を持てばまったく異なる世界が現われ真実に導かれていくのです。

つまりこの世は、その人の心の持ち方、心からの観え方次第で、どうにでも変わってしまうということなのです。そうやって私たちは、禍を転じては福にし続けてこの世を美しく豊かにしていきました。

人の心は、この不思議な効果や奇跡を自覚していてまさに心の時代に必要な素養であり、まさに今こそこの心の持ち方を学び直すことだと私は感じます。

心は私たちの大切なパートナーです。

そのパートナーと一緒に、心の持ち方を換える豊かさを追求しつつ新たな時代の幕開けを共にしていきたいと思います。

真に豊かな暮らし

現在、持続可能な環境をつくろうと世界では様々な挑戦が続けられています。このまま資源が地球から枯渇してしまえば、未来の子どもたちは今のような生活を維持していくことはできなくなります。

この資源はすべての生き物たちにとっても大切な生活の糧ですからそれが人類によって著しく失われていけば、この世は繋がりの中で共生し合っていますから共倒れになってしまいます。

そうならないようにどうすればいいのかを、経済活動と並行しながら今の暮らしを維持しようとみんな藻掻いていますが実際には根本的な解決に至っているものはまだ見いだせていないようにも感じます。自転車操業的な文明の進化は、競争や対立によって拍車がかかるばかりです。どのみち、いつかは立ち止まる機会を得ますからそれまでにやり直す準備を進めなければなりません。

人類史の長い歴史の中では、文明の崩壊による新生は何度も繰り返されてきたことでもあります。その都度、何がよくなかったかを検証して私たちの先祖も改善を続けてきました。それを見倣い、取り組んでいくことで根本的な解決策をまた見出していくのも今の世代を生きる私たちの使命です。

私は日本の伝統文化と接する機会が増えていますが、この日本の先人からの伝統的な文化の中にはその仕組みや知恵が入っていることが分かります。

例えば、「永く使う」という暮らしもまた自然の資源を枯渇しない仕組みです。現在は、安く大量に何でも便利につくれますが流行が過ぎればすぐに廃棄しています。いくらリサイクルしたとしても、資源の消費のスピードが短く、結局は捨てるまでの期間を少しだけ伸ばしているにすぎません。

本来は、「捨てない」暮らしを実現していて先人たちはもともと「永く使う」ことを前提にしてものづくりをしていきました。そのために防腐防カビの智慧や、手入れする智慧、自然物の徳性を上手に活かす智慧などを活用してきました。

これは限りあるいのちや資源を如何に最期まで使い続けるか。言い換えるのなら、寿命というすべてのいのちが天寿を全うできるように自他に思いやりをもってこの地球での生活を営みました。

そこにはいのちへの深い感謝と思いやりがあり、いつまでも一緒にこの世で暮らしを共にしながら助け合い支え合い生きていこうとするような大家族への優しさに満ちている生き方をしているのです。

人類は本来は、地球上のどのいのちよりも周囲のために思いやりをもって接してきた存在ではなかったかと感じることがあります。だからこそ、自然を美しくする、また生きものたちを尊重して活用する技術に長けたのです。

今更かもしれませんが、こんな今だからこそ「いのちを大切にする」ことをもっと行動で示す必要があると私は思います。私の暮らしは、古いもの、本物に囲まれた有難い環境があります。

この場、この時、この人たちと一緒に、真に豊かな暮らしを実現していきたいと思います。

例大祭の直会

来週4日の例大祭の直会には、節分の豆の時季に因んで「ぜんざい」を準備しています。節分といえば、今年は暦のずれの影響で1日早まることになり、明治30年以来、124年ぶりに2月2日となる珍しい年です。つまり「立春」が2月3日で、「節分」が2月2日になるということです。

節分の豆は「五穀」(米、麦、ひえ、あわ、豆)のひとつで農耕民族である日本人の生活に欠かせないもので偉大な力が宿ると信じられてきました。常にこの五穀は神事に使われ、その中でも豆と米は特に神聖な存在として、鬼を払う力を持っていると信じられました。

今回のぜんざいは、そのお米とお豆のチカラが合わさったもので季節の変わり目の邪気払いとしても効果があり、また例大祭に相応しい神事の直会と考えてのことです。小豆を使った紅白の御餅も準備します。

そもそもこのぜんざいは、出雲ぜんざい学会というものがありこう紹介されています。

『ぜんざいは、出雲地方の「神在(じんざい)餅」に起因しています。出雲地方では旧暦の10月に全国から神々が集まり、このとき出雲では「神在祭(かみありさい)」と呼ばれる神事が執り行われています。そのお祭りの折に振る舞われたのが「神在(じんざい)餅」です。その「じんざい」が、出雲弁(ずーずー弁)で訛って「ずんざい」、さらには「ぜんざい」となって、京都に伝わったと言われています。「ぜんざい」発祥の地は出雲であるということは、江戸初期の文献、「祇園物語」や「梅村載筆」(林羅山筆:儒学者)、「雲陽誌」にも記されています。』

またぜんざい発祥の地である佐太神社にはこう紹介されます。

『11月25日は神々をお送りする神等去出(からさで)神事が執り行われます。この日はカラサデさんといわれ、神前に供えていた餅と小豆を一緒に煮て小豆雑煮を作り再び供えていました。これを「神在餅(じんざいもち)」と呼び、今も宮司宅では家例としてこの日に小豆雑煮を作り、屋敷内の祖霊社、稲荷社、邸内の歳神にお供えいたします。昔は里人の間でもこの日の朝に餅を搗き参拝する慣わしがあり、参拝するものは必ず一重ねのオカガミ(餅)をもって参った後、小豆を入れた雑煮餅を作って家の神棚に供えてから銘々も頂く風習があったようです。この「神在餅」が転化して「ぜんざい」になったといわれているのです。』

諸説あるそうですが実際に出雲地方の正月に食べる雑煮も小豆汁だそうで小豆との関係が強く、出雲地方の郷土料理であったことはその土地にいけば風土の味で直観するものです。

例大祭は一年に一度の大切なハレの日ですから、ハレの日に相応しいものとしてお米とお豆の赤飯を炊こうと思いましたが、私が得意な炭を総動員して和合した「ぜんざい」(善哉)にすることにしました。

また小豆の効能や効果はいわずもがなまるでお薬そのものであり健康によいことが証明されています。世界最古の中国の薬学書である「神農本草経」にも登場しているほどでその煮汁には解毒作用があるとされ、当時は食べ物というよりも薬として食べられていました。アンチエイジング効果が絶大で、若返り(甦生)の食べ物なのです。

現在、西洋の食文化に慣れてきて小豆離れも増えてきています。しかし、先祖代々、大切な日に食べてきた小豆を思い出すと何か心の懐かしい故郷に回帰した気持ちになります。美味しいというのは、決して舌先だけで出てくるものではなく心の奥底から湧き上がってくるものもあります。

暮らしの中で神事を行うのは、この懐かしさを忘れない、初心を忘れないための行事でもあるのです。子どもたちに、本来の日本人としての生き方、道徳の涵養、自然の智慧の伝承などを日々の暮らしフルネスの実践を通して伝道していきたいと思います。

 

伝統塗料の真価

今週、柿渋、渋墨、弁柄や漆などの伝統塗料をつかった講習をしますが日本古来の塗料には人類の深い智慧が詰まっています。

例えば、柿渋や漆などは縄文時代の複数の遺跡の装飾品などが出土していてもっとも古いものでは世界最古の約1万2600年前のものとされるウルシの木片なども出てきています。

歴史も何十年や数百年の単位ではなくまさに千年から万年以上、私たちの暮らしに欠かせない塗料であったことは事実です。最近では、西洋から入ってきた誰でも簡単に塗れるオイルステインの油性塗料がホームセンターなどでも販売されていますがこれは油性の塗料で先ほどの伝統塗料とは異なります。

日本人が油性塗料を最初に使ったのは、1854年(安政元年)に来航したペリーとの会見に使われた談判所(横浜 本覚寺境内)に、ペリーが持参した油性塗料を漆塗り職人の町田辰五郎が塗装した時だそうです。またほかには長崎出島のオランダ人屋敷で既に使用されていたともいわれています。西洋ペイントを日本で使いだしたのは、まだ150年くらいなものです。

そう考えると、伝統塗料の歴史の長さには驚くことと思います。私たちの暮らしの中での塗料は、単に色合いだけのために用いられたのではありません。柿渋や漆は、そのものが持つ防腐効果、自然の風化の防止、さらには強度を増す、また芸術性なども見出されてきました。

高温多湿の日本において、塗料は単に色合いのためだけではなく暮らしを守る道具として重宝されてきたのです。

渋墨という塗料は、松煙と柿渋を混ぜたものですがもともと煤も私たちの暮らしには欠かせない道具でした。藁葺の古民家の天井の煤竹のように、煤で燻すことで防虫防カビ効果もあり、家の中を守りました。

資源をもったいなく活用してきた先祖たちは、その資源がどうやったら長持ちするか。そして衛生的に清潔に保てるか、これを自然の智慧を用いて保存していきました。持続可能など最近は声高に言われますが、そもそもむかしの日本、伝統的な暮らしは永続することが大前提で創造されてきたものです。

現代の消費文明の価値観の中では、理解できないことが多いかもしれませんがどれだけ大切に寿命を使い切るか、捨てるという概念がなかった時代を生きた人たちの智慧はまさに自然環境と一体になった理想の共生圏を産み続けていたのです。つまり先人の智慧の本体はこの自然のチカラをお借りする仕組みを持っているということです。

その先人の智慧を現代の暮らしに適応させていけば、自ずから私たちの暮らしは変革していきます。私の提案する暮らしフルネスには、この伝統の智慧がふんだんに取り入れられています。

講習では、私たちが何のためにこの塗料を使ってきたのか。なぜ何万年も前から、使われ続けてきたのか。そしてなぜこれが今、失われてきたのか。この観点から、子どもたちに伝承していきたい未来の話をしつつ実践を共有して伝統を子孫へつないでいきたいと思います。

道は一つ

ミッション(理念)とは生き方の事です。どのような生き方をするか、それを保つためにどのような経営をするか、理念経営とは、理念が優先であってそれに合わせて経営を工夫するということです。

よく経営を優先して理念があとでという事例を見ますが、これは理念経営ではないことはわかります。本来、何のためにやるのかが本であり、末にどのようにやるのかが決まります。本末が転倒してしまわないように、常に初心を振り返りどのように取り組んでいくのかをみんなで真摯に実践していくしかありません。

そしてそのミッション(理念)を砥石に、振り返りながら磨いていくことで生き方を高め生き様を伝道していくことができます。そうすることで、一つの組織がまるで生きもののように生き様を共にする人たちによって人格のような姿が現われてくるのです。

稲盛和夫さんはこういいます。

「リーダーの行為、態度、姿勢は、それが善であれ悪であれ、本人一人にとどまらず、集団全体に野火のように拡散する。集団、それはリーダーを映す鏡なのである。」

つまりリーダーの生き方、またその生き方を共にするスタッフたちがミッション(理念)を共有し生き方を実践すれば企業に格(社格)ができるというのです。

さらに稲盛さんは、「人を治めるには、権力で押さえつける「覇道」と仁、義などの「徳」で治める「王道」とがあります。私は、やはり人間性、人間の徳をもって相手の信頼と尊敬を勝ち取り、人を治めていかなければならないと思っています。」といいます。

もしも覇道になれば、ミッション(理念)を凶器のように使われて権力の一つの道具になります。しかしもしも、このミッション(理念)が徳で使われるのならスタッフが自分たちの魂を磨き、人格を高めるお守りのようになります。

私は後者のためにミッション(理念)を使っているのであり、私の提案する仕組み(智慧)は自然に徳が穏やかに沁み込んでいくように日々の内省を通して自己の精神性を洗い清め高め合いながら自立と協力を促していくようにしているのです。

それはミッションページやミッションリーフレットなど、ミッションとつく物はすべてこの「徳」による王道の智慧を活用したものです。

まずは自己の脚下の実践からということで、弊社ではミッションブログに始まり、内省、一円対話、讃給などあらゆる仕組みを実証しています。

覇道でいくのか王道でいくのかと対比されますが、本来の道は一つです。

人類は魂をどう磨くか、磨き方は自然から学び直すことが一番です。自然の徳に包まれ見守られて生きている私たちのいのちだからこそ、その徳に報いていきたいと思います。

色を醸す

私たちが通常眺めている「色」には様々な意味が存在します。この世には、無数の色があり同じ色と思っていても自然界では千差万別な色で構成されています。私たちが馴染みの深い色には、その色の持つ歴史があり、私たちは暮らしの中でその色を眺めては心のつながりを深めていったように思います。

例えば、私は黒が好きで黒をよく使います。黒といっても、日本には数多くの黒が存在します。漆黒の黒であったり、灰色がかった黒であったり、他にも鳥羽色といった藍がかった黒があったりと、同じ黒でも色合いが異なります。

私が特に好きな黒は、炭の黒ですが穏やかな気持ちになる墨の黒は心に何かを伝えてくるものがあります。また煤から取り出す黒もまた格別です。この煤は、炭火が消えたあとののこり、その煤ですがなんともいえない深い味わいのある黒に変化していきます。渋墨という柿渋と松煙を混ぜた伝統塗料の色も、うっとりする黒を醸し出します。

むかしから色には意味があると信じられてきました。代表的なものに五色というものがあります。これは古代中国の陰陽五行説から渡来したものです。この陰陽五行説は、この世のすべては陰陽と木・火・土・金・水の五行で成り立つという思想です。

これは自然界を構成する代表的なものを分類し変化や調和を学んだのでしょう。易経や風水もこの五行を参考にされています。この五行の五色、ここから木=青、火=赤、土=黄、金=白、水=黒(玄)としたのです。

自然界の変化には色があります。例えば、先ほどの私の炭色であれば夜の暗闇の中にこの炭色は浮き出ます。同じ黒でも、闇の中の炭の黒は暖かい黒であり、見分けがつくほどに炭は存在感を出しています。また黒と赤は相性がよく、観ていると和むのは炭に火が灯ると黒と赤の絶妙な明かりが周囲を包むように照らすからです。

火と水の調和から産み出される色合いに、私たちのいのちはその何かに感応していきます。色はまた感情も顕します、あらゆる色合いのなかで私たちはまた自然に透明な色に回帰してそこからまた色が産み出されていきます。

色は私たちの変化の証であり、いのちの活動の動静や明暗を伝えるものです。自分に合った色を知ることは、自分の環境をととのえていくのにはとても大切なことです。私は和色が好きですから、古いものを磨き、深い色合いが出ているものを身近に置きたくなります。

年数がたてばたつほどに色合いは深く濃くなり、一つの色の中にあらゆる歴史が凝縮されて色が醸します。色々な人生を色々な感性と共に歩み、それを和して顕現させていく。子どもたちがどんな色を楽しんで醸していくのか、今からとても楽しみです。

 

和が来る場

日本には「和」を感じる場所がたくさん存在します。この「和」は現在は広く使われていますが、和の精神性というものが根源にあるものが私は和の本流であると感じています。

それは調和の和であり、日本人の持つ共生の思いやりから発生してきているように思います。日本には、八百万の神々という思想があり生きとし生けるものすべて、それは有機物無機物に関わらず一緒に生きるものとしてのいのちがあると信じられてきました。

だからこそ常にそのいのちたちへの思いやりを忘れないように配慮しながら気遣い、心に和を保ってきました。調和をととのえるということは、自然の一部としてみんなで助け合い謙虚に生きていこうとしてきた暮らしを充実させていくことからはじまります。

私が「暮らし」に特化するのは、かつての日本の暮らしの中にこそ和の文化の源流が滾々と流れており、それを甦生させることで和を顕現させていくことができると実感しているからです。

そしてこの暮らしを伝承してきたのが、本来の幼児期の環境であり場でした。現代になって失われていくその場に憂いを感じ、日本人としての根から養分を吸い上げることができるようにと日本の文化を丸ごと暮らしで甦生させているのが暮らしフルネスの仕組みなのです。

話を戻せば、この和を感じる場所はどのようなところか。一つは、私たちが取り組んでいるむかしの田んぼです。このむかしの田んぼは、無肥料無農薬で行います。それをみんなで力を合わせて田植えをして草刈りをし収穫をして実りを分け合います。そのすべてを私は神事だと認識し、一つ一つの神事を通していのちが和するようにと取り組んでいきます。するとその場には、和が来ます。和が来る場所は、懐かしさや牧歌的な風景が甦り、来る人達のいのちも同時に甦生していくのです。

むかしの結という文化が根付く、里山。また代々、土着で大切につむがれてきた隣組などがある場所。他にも、合掌造りの家々がのこり、山間の厳しい自然の中で助け合い生きる人々の暮らしの中にも和があります。

この「和」は、先祖が辿り着いた豊かさの原点であり、仕合せの本質でもあります。

令和は、まさにその和がととのってくると天の命令で顕れた時代の特徴を示す年号です。私たちはその年号の遺志に則り、和をみんなで磨いていく必要があります。子どもたちのためにも暮らしを甦生させ、本来の和をととのえるために精進していきたいと思います。

改心の一心

人生の中では正念場というものが何回も訪れます。その正念場とは、まさにその言葉通りで「念」の「場」にするということです、念は今の心と書きますから、今に集中するということです。

人はあれこれと思い悩んでいると、念が入りません。念が入らないと念が籠らないと心が入りません。心を入れるというのは、頭で考えるのではなくまさに自分の初心を忘れないままで実践を積むということです。

人はすぐに初心を忘れます。脳が働くからこそ初心を思い出せなくなっていくのです。特に感情が揺さぶられれば、悩みで頭はいっぱいになります。そうなると心がどこか別のところにいくようになるのです。

そうならないように、毎日、毎朝、自分の初心を確認してその覚悟の日々を生きていくということが本来の正念場ということでしょう。

正念場をどう日々に迎えるか、そして正念場をどう実践して魂を磨くかがその人の一生を決めていきます。

中村天風にこういう言葉があります。

「一度だけの人生だ。だから今この時だけを考えろ。過去は及ばず、未来は知れず。死んでからのことは宗教にまかせろ」

今に生きる、今を生き切るとき人は正念場ということでしょう。

中村天風の哲学は、人生は心一つの置きどころにあるといいます。如何に人間をつくるか、それは一心に生きることを説きます。まさに、正念場を生き続けて磨き人間を創ることに徹底するのです。

未熟な自分を憂うこともありますが、だからこそまず自己を磨き創ることに専念することだと感じるのです。最後に、中村天風の遺した言葉をいくつか紹介します。

「船に乗っても、もう波が出やしないか、嵐になりゃしないか、それとも、この船が沈没しやしないかと、船のことばかり考えていたら、船旅の愉快さは何もなかろうじゃないか。人生もまたしかりだよ。」

「土台を考えないでいて、家の構造ばかり考えたって、その家は住むに耐えられない家になっちまうでしょう。人生もまたしかりであります。」

「偉くなる人とそうならない人と、差が出てくるかっていうと、同じ話を聴いても、聴き方、受け取り方が全然違うからなんです。受け取ったことを自分の人生に、どう応用していくかということだけの差なんです。」

「自分が心配、怖れたりしている時、「いや、これは俺の心の本当の思い方、考え方じゃない」と気付きなさい。」

「自分自身を自分自身が磨かない限り、自分というものは本当にえらくならない。」

「笑っているとき、人間は最も強い。」

先人の生き方に倣い、今日も改心していきたいと思います。