いのちの先生

私は幼い頃から動物が大好きで、子どもの頃の夢は動物園の飼育係でした。大人になっても、衛星テレビのアニマルプラネットなどは一日中見ていられるほとです。犬を飼うところからはじまり猫や鳥など色々な動物と接してきました。動物が当たり前にいる暮らしに心がとても癒されてきました。

しかし動物は私よりも寿命が短く、どうしても先に死んでしまいます。出会ったすぐはとても嬉しく仕合せで毎日ずっと一緒にいては自然のなかで遊びます。そのうち、家族のようになり心を通じ合わせては喜怒哀楽を共にして暮らしの一部になります。後半は病気になったり介護をしたりと、お世話をしてはお別れします。

一生というものは、短く喜びと同じくらいの悲しみもあります。今まで接してきた動物たちは色々とありますが、亡くなる直前に姿を消した犬と猫もいます。不思議ですが、最後にご挨拶というか見送られて去っていきました。通常は見送るはずが、見送られるのです。

愛の深さというか、いのちを共にした存在は静かに見送りこの世を去ります。自然のなかで深く結ばれたからこその静かな愛です。

動物たちの御蔭で私はたくさんことを学んできました。

彼らはとてもシンプルで感情をそのままに伝えてきます。そして心をいつも感じています。私達みたいな文字などの道具は持ちませんが、その分、洗練された持ち味としての個性を発揮します。これも一つの愛の姿の顕現です。

また野生動物たちとの繋がりというものもあります。英彦山の宿坊周辺の生き物も、私がきているのを分かっていて遠すぎず近すぎずに見守り合っています。なんとなく目があえば、音を響き合えば距離感を通して感情を伝えあいます。

他にもメダカなどの魚、農作物たち、そして虫もまた同じ感覚でコミュニケーションをとっていきます。自分の感覚が知識ではなく、深い愛や尊敬を保てばいのちというのは交流できるように思います。

人間がいのちと対話ができなくなるのは尊敬をやめて謙虚さを失うときです。動物たちは私たちのいのちの先生でもあります。

今までいただいてきたご縁のなかに徳があることを実感し、有難い気持ちになりました。これからも動物やいきものたちと共生しながら一生をともに歩んでいきたいと思います。

畜の意味

最近、社畜という言葉を改めて気にする機会がありました。なんとなく世の中で使っている言葉の響きが不愉快だったので調べると家畜を参照して作成された言葉のようです。社畜の意味は辞書を参照すると「日本では社員として勤めている会社に飼い慣らされ、自分の意思と良心を放棄し、サービス残業や転勤もいとわない奴隷と化した賃金労働者の状態を揶揄、あるいは自嘲する言葉」とあります。また家畜を調べると「ヒト(人間)がその生活に役立つよう、野生動物であったものを馴化させ、飼養し、繁殖させ、品種改良したもの」とあります。さらに社員ではなくアルバイトの場合はバ畜と呼ばれ「アルバイトをする学生がバイトに多くの時間と労力を割いてしまう状況を表す言葉」だそうです。

この「畜」という文字の語源は、会意文字で「玄(黒い)+田」の意味で栄養分をたくわえて作物を養い育てる黒い土のことをいいます。この発酵した黒い土がある御蔭で、植物や生き物たちの健康は守られます。

私は自宅で烏骨鶏や犬を飼っていますが、家畜といっても無理やり卵をたくさん産ませようとしたり犬をこき使って働かせようとは思ったことはありません。他にも自然農や田んぼをやっていますが、無理に作物を育てませんしその土を大切にするために農薬なども使ったことはありません。高菜のお漬物もつくっていますが、在来種の種を大切に自家採取してはまたそれを蒔き育て、その高菜で採れる分だけで木樽に寝かせて林の中でお漬物にしています。

私にとっての家畜は、大切な家族で共にこの世で生きていくためのパートナーです。家畜というものを悪いことのようにいうのは違和感があり、その流れで社畜というのはもっと違和感があります。

私は会社の社員のみんなを親戚や家族のように思っています。毎日、顔を合わせては健康の心配、子どもたちや家族や親せきの状態、仕事のこと、暮らしのことを気にしては一緒に語り合い助け合います。みんなで尊重しあえるように話を聴く時間を工夫して確保し、丁寧に一緒に生活の改善を続けています。飼いならすというよりは、みんなで協力しあって暮らしを創っているという感じです。大切にしている畜土(場)は、会社の文化であり、それは連綿と毎日続けて受け継がれてきたみんなの生き方や働き方の歴史が醸成されたものです。社畜という言葉がなぜ悪く言われるのだろうかと不思議でなりません。

結局、この言葉の意味の変遷は時代的な価値観として「いい会社かどうか、いい家庭かどうか」のその話をしているということでしょう。悪い意味でつかわれる家畜も社畜もバ畜も、まるで人間がいのちのない単なる物体のように扱われ、一人ひとりが尊重されない環境のなかで主体性を放棄した状態ということになります。そういうように動物たちや植物などの家畜を扱い、そういうように人間も扱うようになったということでしょう。一方的な奴隷化、搾取、それを飼いならされた状態というのでしょう。

実際にうちの烏骨鶏でいえば、柵も鳥小屋もあるのは野生動物や蛇などの天敵から守るために設けるものです。それに広さを十分に確保し、止まり木があり、発酵土を設け、泥浴びができるようにし、風通しのよい日陰で新鮮な空気があり目が届く場所に設置するのは奴隷化するために飼育しているのではありません。犬も同じく、綱があるのは車社会で飛び出すと危険であることや保健所に連れていかれて殺処分されたり、犬に乱暴に扱う人たちがいることから守るためでもあります。飼いならすことと守ることは違います。大切ないのちを守ろうとするからこそ「畜」はあるのです。

「畜う」という字は、「やしなう」とも読めます。つまりは、大切に育て養い守るということです。そして見守られている側もきっとそれに気づいて安心して育つはずです。そうやって「お互いにやしないあう=見守り合う」ことで私たちはいのちの寿命をのばして仕合せになるように思います。

言葉の使い方の中に、時代の価値観や人々や民衆の感じる不信や不満がでてきます。全部がそうではなく、そしてそうではない生き方の人たちの実践もあることにももっと目を向けて子どもたちのために将来がどうあってほしいかよく考えて今を生きる大人として取り組んでほしいと思います。

私たちも引き続き、子ども第一義、私たちの道を拓いていきたいと思います。

原始からのいのり

例大祭の準備で太鼓をお手入れしています。私のところで使われている太鼓は、明治19年のものです。それを修繕して使っていますが、元々これは滋賀県六地蔵で使われていたものです。私は地蔵尊とのご縁が深く、何か大切なことがあるときはよく地蔵尊に関係するご縁や出来事、物とも出会います。歴史あるものの続きを奏でられることに有難さをいつも感じています。

和太鼓というのは、石笛と同じく縄文時代よりあったといわれます。特に原始的なこの太鼓や石笛というものは、シンプルな音の中に深い自然への畏敬の念を感じるものです。

音というものは、不思議なものでその波動は複雑ではないほどに洗練されています。太古の音色は、叩きかた次第であらゆる心情を表現し、またその場の雰囲気を変えてしまいます。同時に、リズムによって全体との調和や躍動感を引き出していきます。

原始的な祭祀は、歌や舞、踊りをしますがそれはまるで春が来ては鳥たちや魚たち、あらゆる虫たちがいのちを踊るかのように舞い、いのちといのりを表現します。

これから誕生するものへのいのり、これから消えていくものへのいのり、そのどれもが音や波動を通して心情に沁みこみ響き渡ります。

さらに私のところにある最も古い太鼓は戦国時代のものがあります。これは陣太鼓で徳川家への献上品の一つでした。龍虎が描かれ、幻想的です。音を鳴らせばその余韻は深く、いつまでも耳を通して心に残ります。

目を閉じれば、その時代の音が聴こえてくるかのようです。

芸能のルーツは、これらのシンプルで洗練されたものの中にこそ今もまだ生き続けているように私は感じます。妙見神社の例大祭では、この妙を観る境地をみんなで感じ合うところに仕合せや喜びもあります。

子どもたちにいつまでも先人たちのいのりが伝承していけるように、丁寧な暮らしを紡いでいきたいと思います。

預言の本質

預言というものがあります。これは辞書を引くと「ある人が神や神霊の代わりとなって、神意を民衆に告げること」とあります。世の中が不安定な時は、色々な預言者が現れ様々な預言をするものです。有名な預言者には、イザヤやエレミア、エゼキエルがいます。少し前ではドイツのシュタイナー、日本にも出口王仁三郎氏がいます。

そもそもこの預言というものは、不思議な直観力を持って見通す力だといわれます。しかし冷静に考えてみると、人間が預言者として尊敬して感動するのはここ数日から数年、あるいは十数年の事実を見通すことや、同様に過去の同じような期間のことを言い当てたことによるように思います。

1万年先や100万年先の未来も過去も、今の自分には関係がないからです。そう考えてみると神様と崇められる存在というのは短い期間の予想ができる人物ということになります。ある意味、組織のリーダーというものはその経営のかじ取りをする上で中長期的な未来予測を絶妙にできる存在が人々によって選出されていくものです。

そしてこれらの予測は、如何にして行われていくのかを観察するとそれは全ての出来事への内省からの深い洞察に裏付けられていることがわかります。

なぜなら、過去の出来事というものはその本質をよく見つめればそれは未来の出来事になるということがわかります。古来からの因果応報、陰陽調和の知恵にあるようにすべては表裏一体であり万物和合しているものです。何かをすれば相応にそのことが調和しゼロになるようなことが発生するのです。

これは預言というよりは、宇宙や自然の仕組みであり避けられない法理であり真実です。最初から存在しているルールというものには、逆らえないのです。どんな預言者であっても肉体的には滅ぶようにこれらのことも避けられません。物質が循環するという法理には逆らえません。

だからこそ預言は一般的には神の霊感とか言われますが実際に私が感じるのは非常に深い内省からの洞察でありどこまで物事の陰陽を微小に偉大に観ているかというです。これを科学で突き詰めるのなら、AIなどはその情報量のインプットと分析によってある程度の人類の未来は予測できるように思います。人間が受け入れないだけで、すでにAIは人間の業を分析済みであるのです。

ただ、人間は起きてくる真実とは別にどう生きるか、どう感じるかは人によって選べるものです。それはどのような宿命が待っていたにせよ、自分がその最後の瞬間までどうあるかは自由にできるということです。

なので、こうなった時はどうするか。こうあった時はどうあるかなどはある程度はシュミレーションできるものです。どんなに大金持ちであっても地球規模の大災害からは逃げられません。この世に宿命から逃れられる人はいないのです。結局は、その逃れた行為から別の業が発生していきますからこれも法理として決められた布置からは逃げることはできないということでしょう。タイムマシーンのようなものがあったとしてもまた別の運命に翻弄されるだけです。

先ほどの出口王仁三郎氏は、「この世で起こる出来事や事件はあの世に現れている」ともいいました。この世が陽であれば、あの世は陰ということではないかと私は思います。これは三浦梅園先生も同様なことを仰っていました。

また出口氏はこうもいいます。

「1日先のことがわかれば大金持ちになれる。1ヶ月先のことがわかれば大宗教家になれる。10年先、100年先のことを見通せば、頭が変だと危険視される」

これに1万年後とか10万年後のことを言うと、普通過ぎて誰からも気づかれない人になるようにも思います。結局は、預言というものの本質はそのような感じのものです。

だからこそ、今、どうあるかに集中することで過去も未来も調えていくことができるものです。過去をよく観察し学び伝承することは、未来そのものを善くなるように循環に導く大切な今になります。

今を大切にするのは、それが子どもたちや子孫の未来に直結するからです。自分がどうなるかを心配するよりも先に、自分よりも先の世代のことを慮り自分が多少大変であっても過去から学び未来を繋ぐことの方が預言の仕合せはあるように思います。

引き続き、かんながらの道を歩み徳を磨いていきたいと思います。

山伏の柚子胡椒

昨日、英彦山でとても有名な柚子胡椒の会社、柚乃香本舗の代表がお越しになりました。先代の長野覚先生の時から守静坊の柚子を柚子胡椒にしていることをお聴きしており、毎年山伏屋敷の柚子胡椒として当坊の柚子を使っていただいております。

はじめて食べてみると、他の柚子胡椒よりも野生の味わいが強く元氣が漲るような感覚があります。もともと山伏の秘薬として、あるいは宿坊庭園の観賞用としてむかしから植えられていたといいますが時代の変遷を経て柚子胡椒として英彦山を代表するお土産、名品となっているのは素晴らしいことです。

お話をお伺いすると、祖父の方が創業者で柚子胡椒の元祖であることをお聴きしました。それまでの歴史や商品を研究してきた苦労、そして実業家でもあり山伏の家系として生き方、とても示唆のあるお話に有難く思いました。

そもそも歴史というものは、生もので過去にあったことが止まったままではありません。時代を超えて形を変えて、今の人たちがその歴史を生きたままに伝承していきます。人間が感知する歴史は、50年くらいたてばもはや何がその当時に行われていたのかは生きている人から伝わらなくなってくるものです。生もののように鮮度があるのです。いくら教科書や記録に書かれていても標本のようになっていても、動いているもの生きているものではなければ真実がわかりません。

しかしそれを観た人が多数生きていて、今もそれを大切に扱い、それぞれの記憶や実体験を口伝等でお伺いしていくなかで生きたままの鮮度を甦生させて生の歴史を知ることができます。

柚乃香本舗は創業者の祖父の実業を受け継がれ、今でもその初心と共にお仕事をなさっておられました。私も宿坊にある柚子と共にこれからも英彦山をはじめ柚乃香本舗のお役に立てることに感謝の思いがします。宿坊甦生の際にいくつかの木を作業できないからと切ってしまったことに深く反省しました。改めて英彦山の柚子の木をもっと大切にしなければと反省と決意をいただきました。

英彦山とのご縁は、この人生においてとても大きなものです。英彦山に関係する人たちと出会い、生きた歴史を知り、生きたままに歴史を味わう。こんな仕合せや喜びはありません。

丁寧に歴史を紡ぎながら、志や伝承を紡ぐ方々と共に子孫へと真心を結んでいきたいと思います。

生まれ変わる

意識というのは何回も生まれ変わるように思います。私たちが身体は、新陳代謝を通して細胞もその都度生まれ変わっています。死というものは、この細胞の生まれ変わりが次第に失われて消えていくことは科学的には証明されています。

不思議なことですが、細胞の合体によって私たちはいのちを繋ぎます。そして繋いで新たな生命が誕生しますが、同時に増え続けるものを今度は消滅させていく必要があります。バランスというものですが、それを保つために合体しては消えるという循環を自然は持っています。これはいつからそうなったのか、宇宙の一つの真理や原則なのでしょうがその御蔭で全体を結ばれ環境に適応していくことができます。

私たちのいる宇宙は、有為転変であり諸行無常です。合体するからこそ変化するのです。変化の正体は合体なのです。合体していくことを続けなければ存在することができない仕組みになっているのです。創造と破壊こそ、生きるということです。そのために、変化するのです。

ただこの変化や合体には、意識というものがついてきます。どういう意識でプロセスを経たかというのが、次の合体に結ばれていくからです。毎回、創造と破壊を繰り返してもゼロにリセットされているわけではありません。同じことは二度となく、形成する段階で毎回何かが変わります。それは傷のようなもので、時を刻むようなものです。そしてそれを癒し、それを忘れるという作業があります。

その行為を繰り返すことで、私たちは生きている実感というものを得られます。生きている感覚、いわばこの感覚を味わうことで役目を理解して役割に仕合せを感じるのです。

細胞もまた同様に、日々に生まれ変わることによって仕合せを感じます。健康というものの本質もまた然りでしょう。そして同様に意識も変わります。意識は特に時間や歴史によって変化していきます。変化の中にいることを忘れなければ細胞は調っていきます。意識が調っていれば、人類はバランスを崩すことはありません。健康であるためには、自然や宇宙の変化にあわせて自分たちも意識を変え続けていくことだろうと私は思います。

自分の中にある宇宙、つまり意識を調えることが大きな目で観ると人類にも地球にもすべてにも大切なことはわかります。丁寧に自分自身を調えて暮らしを実践し、新陳代謝と生まれ変わりを味わっていきたいと思います。

やり遂げる知恵

私たちが限られた寿命の中で、今を味わい今を生きています。その中で何をやり遂げたのかを顧みると、続けてきたこと、続いてきたことがその結果になっていることがわかります。

例えば、呼吸などわかりやすく私たちは呼吸を継続することで生きています。呼吸が止まれば活動はそこで終わります。生きているというのは、呼吸をすることです。呼吸をし続けることで活動もまたし続けています。こうやって続くものの中に、私たちのやり遂げたいことがあるということです。

人生の中では、やり遂げるものの格言がたくさんあります。やり遂げたものの一つとして成功というものがあります。そして成功と失敗の境界線は諦めたか諦めなかったかに尽きるということもよくわかります。

せっかくなので、その格言をいくつか調べてみます。

「進まざる者は必ず退き、退かざる者は必ず進む。」  福沢諭吉

「他の発明家の弱点は、ほんの一つか二つの実験でやめてしまうことだ。わたしは自分が求めるものを手に入れるまで決してあきらめない。」 トーマスエジソン

「成功の可能性は0%だと言われて、諦めることができるような、そんな軽い気持ちで夢を追いかけたわけじゃないのです。」 ジネディーヌ・ジダン

他にもたくさんの方々が諦めずにやり遂げることの大切さを語ります。諦めないというのは、何を諦めていないのか。それは自分の信じることを諦めないということです。自分の信じるとは、自分が已むに已まれずにそうしたいと思うことを続けることです。

何度も心が折れそうになっても、不撓不屈でまた挑戦する。そこにやり遂げるための本質があるように思います。変化というものは、やり遂げるために必要なものです。

諦めないからこそ、ありとあらゆる変化を利用して挑戦する。昨年が苦労や苦難が多かったからこそ、今年は様々なことに挑戦して引き続きやり遂げていきたいと思います。

立春と素直な心

春のはじまりを告げる、そして冬のおわりを告げる節目です。立春の「立」には季節の始まりという意味があり、「春の気立つをもって也」ともいわれます。春の気配がはじまったということでしょう。

そうやって周囲を見渡すと、池のほとりの様子や植物や木々の蕾や新芽、また動物たちの行動や鳴き声などが変化が著しくはじまっています。

この時期は大寒といって一年で最も寒い季節ですが、この時期の空気や水が澄み渡っていることからこの時期に発酵食品などをむかしから仕込んできたともいいます。太陽を観察しながら日々を過ごしていると、この季節の太陽の光の清々しさは言葉にはならないほどです。

特に雲一つない薄碧い空の光や、夕陽の河に反射して眩い光、また夜空に照らす月の透明さ、どれもがこの寒い季節だからこその澄み渡った気配があります。寒さは厳しいですが、その分、いのちは研ぎ澄まされて感覚も鋭敏になっていきます。

感覚が鋭敏だからこそ、この時に仕込みたいものがたくさんあります。これからの夢や希望、そして昨年からの改善、あるいは覚悟を確認して決心することなどとても心地よいスタートがきれます。

昨日は鏡開きもして、道が開いていくことの目出度さ、豊かさや感謝などを味わいました。五穀豊穣というものがある御蔭で私たちは暮らしを味わうことができます。恵みに感謝することや、いつも助けてくださっている御蔭様を祈ることは仕合せを確認することにとても意味があります。

立春といえば、西行にこういう歌が残っています。

「年くれぬ 春来べしとは 思ひ寝に まさしく見えて かなふ初夢」

私も残りの寿命を思いながら昨日は眠りました。朝起きてみると、すでに夢が叶っていることを思い感謝が沁みました。春とはまさに今ここに味わう素直な心。いつまでも素直な心のままに原点回帰して日々を大切に過ごしていきたいと思います。

恵みに感謝

全国各地に商売繁盛の神として知られる七福神の一人に、「えびす」さまがいます。ちょうど十日えびすのお祭りがあっているので少し深めてみます。

この「えびす」さまは、ウィキペディアの分類によれば「日本の神。七福神の一柱。狩衣姿で、右手に釣り竿を持ち、左脇に鯛を抱える姿が一般的。また、初春の祝福芸として、えびす人形を舞わせてみせた大道芸やその芸人のことも「恵比須(恵比須回し)」と呼んだ。外来の神や渡来の神。客神や門客神や蕃神といわれる神の一柱。神格化された漁業の神としてのクジラのこと。古くは勇魚(いさな)ともいい、クジラを含む大きな魚全般をさした。寄り神。海からたどり着いたクジラを含む、漂着物を信仰したもの。寄り神信仰や漂着神ともいう。」とあります。

「えびす」さまの名前はとても有名ですが、以上のように外来の神様や渡来の神様、海からの漂流物など、はっきりとしないあらゆるものが混ざり合った姿として存在があります。また一説によれば古代の鴨族が田の神様として祀っていたとか、海人族安曇氏の氏神様であったとか、謂れがあります。この古代の安曇族は本拠地は北九州の志賀島一帯で遠く中国まで交易をし、海部(あまべ)を支配して勢力を誇った有力な豪族だったといいます。水軍を持ち、あちこちに移住しその勢力を拡大した一族です。

もともと日本という国は島国で海路と海の恵みによって豊かな暮らしを育んできました。内陸も今よりも内海や河川が自然のままで、船によって内陸との交易を発達させてきました。

海がある御蔭で私たちは世界とつながります。今では空もありますが、古来は海が中心でしたから多様な文化を受け容れる神様の御蔭で人類は交流を持ったように思います。

そしてこの「えびす」さまは、その象徴だったように思います。

今では商売繁盛のご利益が有名で、よく大黒天と一緒にむかしはお祀りされていたといいます。私の古民家でも常に厨房やおくどさんにはえびすさまと大黒様を一緒にお祀りします。これは豊かさの象徴に感謝するためでもあり、その見守りの中で暮らしが成り立っていることを忘れないようにするためでもあります。

海の恵み、田の恵み、自然の恵みによって私たちは生きていくことができます。いくらお金があっても、これらの自然の恵みがなければ私たちは生きていくことができません。

今、ちょうど十日えびすで私のいるBAでも恵比寿様をお祀りしていますが改めて恵みに感謝する日にしたいと思います。

 

親友の仕合せ

幼馴染がはじめて家族と一緒に聴福庵に来てくれました。小学校5年生の時からの友人で色々なことを星を観ながら毎晩のように語り合った仲です。転校してきたのですが最初からとても気が合い、お互いにタイプも異なることもありとても尊敬していました。

音楽が好きでアコースティックギターを弾き、また工作が好きで半田鏝を使い近くのパチンコ屋さんの廃材で色々なものをつくっていました。他にもパソコンが得意でプログラムなどもかいていました。私はどちらかというと野生児のように自然派でしたからとても理知的で新鮮でした。

中学では同じ部活に入り、レギュラーを競いバンドを組んでは一緒にライブなどを行っていました。塾も一緒で成績でも競い、その御蔭で勉強もできるようになりました。思い返せば、尊敬しあい好敵手という関係だったように思います。

高校卒業後は、私は中国に留学し彼は岡山の大学に行きました。そして社会人になって一緒に起業をして今の会社を立ち上げる頃にまた合流しました。毎日、寝る時間を惜しみ休みもなく働き努力して会社を軌道に乗せました。私の右腕であり、苦楽を共にするパートナーでした。しかし、その後、お互いに頑張りすぎたり結婚をはじめ色々な新しいご縁が出てきてメンタルの不調や社員間の人間関係の問題、過去のトラウマや祖父母の死別など様々な理由が見事に重なり別れることになりました。

そこからは孤独に新たな道をそれぞれに歩むことになりました。もっとも辛い時に、お互いにそれぞれで乗り越えなければならないという苦しみは忘れることはありません。あれから20年ぶりにお互いの親友の通夜で再会してまた語り合うことができています。

離れてみて再会してわかることは、その空白の20年のことを何も知らないということです。当たり前のことを言っているように思いますが、その間にお互いに何があったのか、伝えようにも関係者や周囲がお互いの知らない人ばかりになっていてどこか他所の他人の話になります。私たちの知り合いは20年前に止まったままでその頃の人たちももうほとんど今ではあまり連絡を取っていません。

人のご縁というのは、一緒にいることで折り重なり記憶を共にするものです。同じ空間を持つ関係というのは、同じ記憶を綴り続けている関係ということです。喜怒哀楽、苦楽を共にするときお互いのことが理解しあい存在が深まるからです。

今では、親友は新しい家族を築き子どもたちも健やかで素敵な奥さんとも結ばれて仕合せそうでした。20年たって、一番嬉しかったのは彼が今、仕合せであることでした。

そう思うと、最も自分が望んでいるものが何かということに気づかされました。私が一番望むのは、私に出会った人たちがその後に仕合せになっていくことです。だからこそ、真心を籠めて一期一会に自分を尽力していきたいと思うのです。

いつまでも一緒にいる関係とは、仕合せを与えあう関係でありたいと思うことかもしれません。親友との再会は、心が安心し嬉しさで満たされました。苦労の末に掴んだ彼の仕合せに感謝と誇りに思いました。

善い一年のはじまりになりました、ご縁に心から感謝しています。