熱中

人間は何かに熱中するところまで入り込むと、今までになかった力が発揮されていくものです。この熱中するには熱心があり、心が一つのところに傾け打ち込んでいる状態になっているということです。

心と頭が一体になってしまうと、まさに没頭状態になり心のままにあるがままに物事に盡していきます。その時の境地は、苦しいけれど楽しい、苦労が多く楽ではないけれど遣り甲斐があるというように複雑な心境ですが味わい深い境地であることは事実です。

人間は矛盾を抱えているとき、中庸の状態になっているとも言います。心がやりたいこと、動機や初心に対してどこまで本気で熱中しているか、その日々の熱中が自分を中庸の状態に導いていくように思います。

人間は、現実と正対しそれを直視し問題を解決しようとするとき真剣味が出てきます。真剣味が出てくれば、現実は次第に改善され現実の方が変わっていきます。これを人はよく現実味を帯びてきたという言い方もします。つまりは単なる机上の空論や、空想から本気や真剣に熱中し没頭することで次第に現実に変わっていくということです。

この現実にする力、現実を変える力、それこそが熱中すると中庸になるということに他なりません。

現在も、様々な問題に取り組み今までになかったものを手繰り寄せていっています。まさにその取り組みに熱中し熱心に時間を注いでいくことで真剣味を帯びて現実味に変化していきます。

人間の仕合せは、この熱中し夢中する楽しさの味を味わえることです。この楽しさの味は、仕事を通して得られます。自分の仕事が楽しく、その楽しい仕事が自分の歓びになり、その歓びが周囲や世の中の仕合せになっていくのなら熱中はますます続いていきます。

情熱というものは、炭と同じで燃えているから水が沸騰しているのです。そして一度着いた火を絶やさないように火を熾し続けるのはその火が消えないように次々と行動し実践し手を打っていくことです。火にもリズムがあり、心にも同様に響きがあります。

音楽と同じように、人生の中で長い目で見て一つの音楽を奏でていくのは自分次第です。楽しい音楽を奏でられるよう、楽器に磨きをかけ、調和に心を澄ませ、情熱をもって演奏していきたいと思います。

和のまま

一つ一つの日本の古来の伝統文化を深めながら本物を学んでいくとそこに共通している「和」というものを学びます。頭で見知っている和ではなく、日本の古来から大切にしている確かな「和」というものを学び直すことができます。

この「和」は、自然と一体になった人間の智慧の結晶の姿であり私たちの先祖は自然のままに暮らしてきた歴史を道具からも感じることができます。

最近では、和風といって和ではない和っぽく見えるものが当たり前に流通していますが和と和風は完全に異なるものです。

和風は見た目だけ和っぽく見せることができるのなら、それは和風ということになります。和ではない和風に、日本人がなってしまうことはとても残念なことです。特にインバウンド熱が高まり海外から大勢の方が日本の文化に学びに観光に来る中で、どこもかしこも和風のものばかりを見せて本物だと信じ込ませてもそこに価値を感じてくれるのだろうかと疑問に思います。

何が和で何が和ではないかがわからない人が和風という言葉で都合よく取り繕ってもメッキは必ず剥がれていきます。何を変えて何を変えてはならないか、まさに温故知新を実践する人だけがその本質が理解できているからです。

明治以前の先祖たちは、和風にしたりすることはありませんでした。すべて和のままでした。和のままだから、その時の道具や建造物もまた和のままです。さらには生き方も、働き方も、そして衣食住すべてが和のままでした。だからといって時代に流されて和風にしたりすることはありませんでした。あくまで和にしたのです。

その証拠に明治のころの建造物や様々な道具は、和のままで存在しています。現在のように洋でもなく和でもない、洋風、和風のようにそれっぽく見せる大量生産消費型の手間暇がかからない便利なものはありませんでした。

和がわかるというのは、日本人として生きるための何よりの前提です。そのために、幼少期から和の家に住み、和の文化に触れ、和の生き方を学び、和の精神を身に着ける。和というのは何かというのを、空間や場所、先人たちに触れてその感覚を伝承していくことです。

何でも早く便利に海外の技術を持ち込んでくれば進歩になるわけではありません。本来の和で調理し、和の文化に昇華していかなければ本物の進歩ではない。和のままであることにこだわることは、この時代を生きる世代の責任だと私は思います。

引き続き子どもたちの未来のためにも、取捨選択し、和風ではなく和の生き方を貫いていきたいと思います。

新しい日本民家

伝統的な日本家屋というものは、高温多湿の夏が過ごしやすいようにできています。高温多湿というのは、身体への影響が大変多く熱射病をはじめ喘息、リウマチ、むくみ、下痢、食欲不振、倦怠感などから様々なカビ類などの雑菌の病気、ダニの繁殖による皮膚病、また水虫など問題が発生してきます。漢方でいうところの水毒という問題が発生します。

それに食べ物が腐りやすく食中毒の原因にもなったり、さらには木材が腐り白蟻が来たりと水による問題をどう乗り越えるかは日本の風土の課題でした。そのため日本の家屋は夏仕様になって建てているとも言えます。

徒然草の中で吉田兼好も「家の作りやうは、夏を旨(むね)とすべし。冬は、いかなる所にも住まる。暑き比(ころ)わろき住居は、堪え難き事なり」と言っています。つまりは、夏仕様ではない住居は決して耐えることができないほどに不快であるといっています。

現代では、夏は涼しく冬は暖かい家屋を建てようとします。日本の風土が夏が蒸し暑く、冬も寒いですからもし両方快適にするのなら自然を無視して建てるしか方法はありません。

自然を無視して建てるというのは、自然をシャットアウトした建物にするということです。高気密高断熱の住宅にするということです。これは夏は涼しく、冬は暖かいことをウリにしていることでもわかります。私は東京で住んでいる家はマンションですが、完全にこの高気密高断熱です。ですから、空調や床暖房がないとまったく生活することができません。なぜなら気密性が高すぎて夏の暑さは殺人的であり、冬の寒さは凍てつく大地のようです。魔法瓶のように熱しているものが冷めにくく、冷めたものが温まりにくいというものがこの高気密高断熱です。

そのためには常に電力や機械を用いて、熱をコントロールし夏は除湿器を、冬は加湿器を使わないといけません。その時は一時的に快適に感じても、体は自分で体温調節したり調湿したりすることをしなくなっていきますからそのうち次第に弱い体になっていきます。健康というものを優先するとき何をもっとも大切にするか、それは家の建て方次第で多大な影響を与えるのです。

本来、自然と調和する生きものである私たち人間もまた風土の気候にDNAも合致して健康は維持されていくものです。何百年も砂漠で暮らしてきた人が、いきなり日本に来ると大変ですしまたその逆もしかりです。

つまり生き物はその自然に適ったものが健康にも適っているということですから、如何に日本の風土に適しつつ、どこまで便利なものを導入するかというバランスが住まいをデザインするときに求められるのです。

私は偶然にも運がよく、田舎の日本の伝統家屋での暮らし、都会の近代住宅の暮らし、そしてその両方を併せ持つエコログハウスでの3つ巴の暮らしを今でもしています。そのことからそれぞれのメリットデメリットを知りつつ、暮らしに最適なバランスがどこにあるのかというその中心を掴むことができています。

これはメリットもデメリットも活かすという発想で、伝統職人さんが道具を使い分けるように今の時代の日本民家を甦生するのです。これからやってみたいことは色々とありますが、今は一つ一つのご縁を感じながら丹誠と真心を籠めて「家が喜ぶか」を基本に据えて学び直しを続けていきたいと思います。

自他一喜福

昨日は43歳の誕生日を無事に迎えることができました。生まれてから15695日経ったことになります。平均の人生が80歳であると仮定すれば、人生は約30000日ということになります。実際には、それぞれに寿命がありますから何歳で死ぬのかは誰も正確にはわからないものです。

もしこの30000日だとするのなら、私は半分残っていないくらいです。もちろんまだこれだけ残っていると楽観的に生きてはいますが悔いのない人生を送りたいと誕生日のたびに自分のこの一年の生き方を見直しています。

有難いことに充実した日々を過ごせ、素晴らしい方々のご縁に恵まれ、自分自身を大切にしながら夢に向かって挑戦を続けることができてとても仕合せです。みんな私に「悔いのないように頑張ってね」と励ましてくれる言葉をたくさん頂けます。

今まで悔いたことが今の挑戦にもなり、失敗したことがすべての成功になり、耐え忍んできたことで情熱が強くなり、辛酸をなめ苦労してきたことで智慧を蓄えてきました。

人生というのは、偉大な問題を解決したいと強く願うことでそれ相応の出来事が舞い込んできます。そしてきっと善くなると信じ切ることで様々な奇跡やご縁を呼び込んでいきます。さらに理想は高くても足るを知りすべての存在に感謝していくことで運を引き寄せていきます。

あと7年で今の会社の代表を引退することを決心し公表していますから残り私が社長をさせていただくのは2555日です。この期間に、どれだけ理念を文化に昇華し、長期的に成長し続ける体制を設け、人財が働きやすく多様性を保ち、変化し続けることをお面白がるようにし、生き方と働き方と経済と道徳の一致ができるのか、果たして可能なのかと思うと戦々恐々として薄氷の上の歩くがごとしの心境でもあります。

しかし、人生はいつか誰にも終わりがきます。

後悔していい、しかしこの悔いが残らないように生ききる事が人生の真の喜びであり、世界人類の平和や幸福へのお役立ちだと私は信じています。

ここにきて自他一体が成長し、自他一喜福に転換です。

変化を求めて、変化を愉しみ、成長の仕合せをかみしめながら神人合一に随神の道を邁進していきたいと思います。

居場所

先日、居心地について改めて考える機会がありました。この居心地という言葉は、居と心地からできた日本語です。居は落ち着く場所のこと、そして心地は仏教語であり、心を大地から支えるものとあります。心が落ち着き心の支えになっている居処ということになります。

この居場所というものは、改めて考えてみるととても大切なものであることがわかります。人間は何をして誰といてどこにいてどうしていることがもっとも気楽にいられるか、この居場所とは自分の心が安らぐこと、常に落ち着いている空間や関係ができていることをいいます。

つまりは日本文化でいうところの場と間と和が存在し、心がそのものと一体になって自然に解けこんでいるようなものをいうように思います。

そして居心地が悪いとは何か、それは自分が無理をして自分本来の心が落ち着かないこと。この無理をするというのは、素の自分の価値を否定し自分を偽っている状態になっているということです。言い換えれば、素を出せないということです。この時の素とは何か、それは素心のことで素直でいられない状態になっているということです。

素直になれないのはなぜか、それは自分の感情に囚われたり、相手を勝手に思い込んだり、自分が他人にどう見られているかばかりを気にして本音を誤魔化していたりという状態のことを言います。

本人にとっても居心地が悪いと思いますが、周囲の人たちもそのような人たちがいることで居心地が悪くなるものです。居心地の善さというのは、みんなで協力して居心地を善くしていく必要があります。

それはどのようにしていけばいいか、それは本音の対話を通じて行われていきます。本音の対話とは、心音の対話です。心がどのように感じたかを素直に言える関係、お互いに素心のままで尊いと思いやれる関係、そういう絆を結び合っている居場所は居心地が善いと感じるものです。

人間は色々な価値観の人がいます、生まれながらに異なれば育った環境でも異なります。そういう人たちを同一の価値観で同一の環境下で管理することは不可能です。特に現代は多様性が尊重され、人口減少の中でより協力して助け合って生きていく時代に入っていますから余計に居心地を気にすることが増えています。

だからこそ居心地がよくなるための努力を、みんなで一緒に取り組んでいく必要があります。一人ひとりが、お互いを認め合い、尊重し合う関係を築き、役割や力が発揮できるような場や空間を環境に創りこんでいくこと。

これからのリーダーは、この「居場所」の価値に気づけなければ人々の調和や協働を引き出していくことはできません。今の職場や日本の環境を見つめ直し、何の刷り込みを取り払い、何をどこから改善するのか、そのプロセスを経て本物の居場所を創造うのが私たちの会社の本業の一つです。

子どもたちが安心して自分らしく生きて、自己を発揮していけるように見守る環境を弘げていきたいと思います。

 

次のステージ

人は自分の意識次第で世界観が異なります。この世界が一体どのように観えているか、それはその人の意識次第です。しかしこの意識というものが、すべての世界を見ていますからこの世を生きていくのに大きな影響を与えてしまうのです。

この大きな影響は例えてみるとすぐにわかります。ある人は、この世界を自分にとってよくないものばかりと思ってみていればこの世界への不平不満は募るばかりです。しかし逆に、この世界は自分のとって善いことばかりと思っている人はこの世界は十分足りていて満足しています。

そしてまたある人は、この世界は最初からすべてにおいて完全であるとし宇宙のように存在そのものがあり活かされていると思っている人であればこの世は自分次第ですべて叶うものであると特別な世界を創造していくことができるのです。

つまりは、ある・ないで意識する世界の人。そもそもが存在があると意識する世界の人。この差は、同じ場所にいても世界が全く異なって観える境地にあるということです。

人間は、何をもって先達というのか。そして道の達人というのか。それはもちろん技能もありますが、その意識が完全に一般的な人たちと次元が異なっているのです。この異なりは、観えている世界観が異なるということです。

雨を見てもただの雨ではなくその人は、自然を観ます。智慧を見てもただのそれは智慧ではなく、宇宙そのものを観ます。このように意識が達した人は、居ながらにして無、無にして在、そういう境地の体得があるのです。

私も直観的に機縁や機智を獲得していくタイプですから、観えている世界の異なりはよく感じます。ある時、リンゴが木から落ちて万有引力を悟るように意識は私たち人類の世界を丸ごと変革してしまうのです。

子どもたちの意識を、身勝手な大人が刷り込んで可能性をつぶさないように、子どもの無限の可能性を引き出せるような生き方や会社にしていきたいと思います。次のステージを楽しみたいと思います。

天のメッセージ

人生の羅針盤の言葉の一つに、老子があります。孔孟の教えも己に克つことに満ちていますが、自分で自分を正しく理解し、己を制し律し克つことができて人間力は磨かれています。

しかし、どうしても己に負けて無意識にうちに現実から乖離し、真実から遠ざかってしまうと本当のことや真理がねじ曲がってしまうものです。そういう時こそ、先人の智慧に触れ反省をして素直に謙虚に学び直す必要があります。

老子は特に、人間力について精通しているように思います。

「賢者は人の上に立たんと欲すれば、人の下に身を置き、人の前に立たんと欲すれば、人の後ろに身を置く。かくして、賢者は人の上に立てども、人はその重みを感じることなく、人の前に立てども、人の心は傷つくことがない。」

「優しくなりなさい。そうすれば勇敢になれる。つつましくなりなさい。そうすれば広い心を持てる。人の前を行かないようにしなさい。そうすれば人を導く者になれる。」

謙虚でいなさいと諭します。まさに謙虚は魔除けなのです。

そしてこうも言います。

「他人を知るものは賢いが、自分自身を知るものは目ざめた人である。他人に打ち勝つものは強いが、自分自身に打ち勝つものは偉大である。」

「人を知る者は智、自ら知る者は明なり。人に勝つ者は力あり、自ら勝つ者は強し。足るを知る者は富む。」

自分自身に打ち克つことが本当の「力」であると。力とは、決して能力や権力ことではなくまさに自分に克つことこそが「力」の本質だといいます。

そしてこうもいいます。

「優しい言葉をかければ、信頼が生まれる。相手の身になって考えれば、結びつきが生まれる。相手の身になって与えれば、愛が芽生える。」

本物の信頼とは、優しい言葉の中にあるもので相手の身になっているからこそ結ばれると。そして思いやりをもって接すればそれが愛になると。どの時代もどのような人も、信頼はやさしさと思いやり、まごころを通してしか結ばれないということです。

無為自然を説く老子はこう言います。

「現実を現実として、あるがままに受け入れなさい。物事をそれが進みたいように、自然に前に流れさせてやりなさい。」

すべては天にお任せしていけば、なるようになると。だからこそ素直に謙虚に任せて信じて自然であれといいます。

最後に、老子の格言です。

「足るを知れば辱められず、止まるを知ればあやうからず。」

私自身、日々のご縁をすべて天のメッセージと受け止めながら自分自身を見つめ反省して生き方を老子に学び直したいと思います。

祈年祭4

昨日は、千葉県神崎にあるむかしの田んぼで無事に祈年祭を行うことができました。前回同様に、むかしの田んぼの中に祭壇を設けお祀りして宮司様に祝詞を奏上していただきました。

祝詞も仕来たりも古代からの祈りが甦生されたもので、祈年祭の意味を深く味わう善いご縁になりました。美しい空と田んぼ、澄んだ空気、そして春風に純白の和紙がたなびく様子にこれからはじまる稲との四季の暮らしを想い、荘厳で清浄な心持になりました。

お祀りが終了し、宮司様と一緒にみんなでお神酒をいただきましたがその際に「おめでとうございます」という声を合わせました。

通常ならば何もまだ収穫をしたわけでもなく、結果が出たわけでもないのになぜおめでとうございますなのかと思うかもしれません。しかしこれは古代から連綿と続いている日本人の精神文化を象徴するものなのです。

「前祝」という考え方があります。これはあることが善い結果になるように確信して祈り、結果が出る前に先に祝ってしまうという考え方のことです。よく前祝として、祝宴を開いたり、桜の花の下で宴会をして新しい年度の未来を祝うものもその一つです。

これを別の言い方では予祝とも言いますが、予めそうなると信じて先に祝ってしまうというのはどのようなことがあったとしてもそれは丸ごと「福」であると信じる気持ちがあるということです。この「福を待つ」という生き方は、どんなことがあっても希望を失わず与えられたすべてのご縁を神様からの恩恵としてみんなで受け取り味わっていこうとする素直で謙虚な生き様です。

宇宙自然の道理として、福は追いかけるものではないということ。すでに福は身近に訪れており、それを信じて待つことこそが福を知り福になるという真理をいうのでしょう。

幸福に気づかない人は、希望や夢までつまらないものに変えてしまいます。なんでも面白がるところに発酵があり、どんなことでも天与の徳であると楽しむところに希望や夢が存在しています。

私たちのご先祖様たちが、かつてどのような環境下や状況下であっても希望を見失わず福を待ち、夢を実現してきたから今の私たちが生き残っています。その中で特に大切に重んじてきたものこそ、いのり福で居続けることだったのでしょう。

子どもたちにも、そのような先人たちの智慧や遺徳、また伝承されてきた前祝の意味や価値をむかしの田んぼを通して継承していきたいと思います。

祈年祭3

いよいよ今日は、「春祭り」として祈年祭をむかしの田んぼで行います。春が到来し、あらゆる生きものたちが田んぼから甦生してお米と共にいのちの廻りがはじまります。このいのちの廻りのこの時季にあるお祀りは自分自身の初心を確かめるためにもとても善いご縁になります。

ここ数年の異常気象で、災害や干ばつ、様々なことが世界中で報道されます。当たり前にできるお米はなく、自然の猛威を感じ、自然を畏れながら自らを慎み、自然と共に歩んでいくのが私たちの先祖が生きてきた生き方でした。

現在では、お金を中心にした経済が優先されていますから民家稲作一体の暮らしではなくなりより自然が遠ざかっているから余計に感じにくくなっていますが本来は自然に対して謙虚に素直に自分たちを省みて正していくことで様々な災害に対して未然に対処し、さらには復興の活力を養ってきたとも言えます。

世界でもっとも自然災害の脅威にさらされる国土だからこそ、私たちは自然から様々なことを学び智慧を獲得してきました。その証拠に、自然豊かで水の多い田んぼが私たちの生活を潤しています。

稲は古代より稲霊と呼ばれ、私たちの親祖と共に暮らしてきた祖霊として祀られてきました。祖霊とは家族の魂のことです。つまり家族の一員として大切に祀ってきたということです。この家族は、他にも五穀があり、一緒にこの世で生きながらえるパートナーとして大切に守り続けてきたのです。

稲作をすればすぐにわかりますが、他にも稲作の仲間に蜘蛛やツバメ、田螺やトンボなどもいます。これらのことを同じいのちとしてみて家族として祀るところに、日本人の精神文化が息づいているのがわかります。

少しでも調和が崩れれば、すぐに稲が育たなくなる。そうならないように、数々の祈りを捧げながら謙虚さを保ち自分たちの生活に怠慢はないか、傲慢はないかと欲を戒めつつ慎ましく暮らしてきました。

祈りと共にはじまる暮らしは、自然の循環に逆らわず自然と共に生きていくという生き方の伝承なのです。一時的に大収穫を得て、大量生産できたとしてもそのツケは必ず数年後に訪れます。自分たちだけよくなるようなものや、自分さえよいと思うような生き方はその時はよくてものちになれば後悔がきます。

何度もそれを繰り返してきた歴史を持つからこそ、稲作に祈りを籠めて先祖たちは私たちに暮らしを伝承してきたのではないかと私は思います。だからこそタネを蒔くとき、どのような初心で種を蒔くか、それが大事なのです。

祈年祭によって自分の初心を振り返る素晴らしいご縁に感謝しています。

 

祈年祭2

祈年祭について昨日から深めていますが、「とし」は稲のことで「祭」は政を行うことでですが、祈りとは何かということです。

神道の「神祗令義解」には、「謂ふ、祈は猶ほ祷の如し、歳災作らず、時令を順度ならしめむと欲して、即ち神祗官に於て祭る、故に祈年と曰ふ、」と書かれています。ここで祈るのことを「祷」のことだと定義されています。この祷は「禱」のことで、示す辺に寿ですが、寿は「言を祝う」が由来です。祝うは福ですから、福が到来することを意味します。そして古語日本語の「いのる」は「」(斎) + 「のる」(宣る)が語源です。

ここから私が直観するのは、いのちのままでいること。いのちのままに言うことに従うこと、信じるままに生きること、安心して自分の役目を天意に従い全うすることという意味であろうと思います。

なぜ先に祈りからはじまるのかは、自分自身の中にすでに備わっているものを大切にして取り組んでいけば、その結果として顕れたものが幸福になるという智慧を示しているからではないかと私は思います。

そして祝詞も、祝福と言葉の詩からできた語です。先人たちや先祖たちが、同じように取り組んできたことで素晴らしいご縁に導かれた祝福に出会ったこと。同じように福が訪れますよという安心の声を伝承しています。

道に迷いそうなときは、その物事を福に感じられなくなるときです。なんでも福に転じる人は、自分のいのちの声に従うことを自覚し、天命に従い使命を全うすることが祝福そのものになることを体現し続けます。

私たちにとっての祈りは、宇宙自然の道理のままに暮らしていこうとした親祖からの「生き方の伝承」です。四季や四時の循環において、田の神さまが稲を見守り一緒に育てて暮らしを助けてくださっている。私たちはこの日本の風土に守られながら、稲を育てて寿命を永らえていこうとした民族。その民族の生き方が祈りの中に宿っているのです。

祈年祭はその確かな初心を風化しないように、ずっと稲と田と人々によって大切に受け継がれてきました。戦後に、それまでの日本人の精神文化や暮らしの大元が解体されて急速に意識が西洋化していきましたがそれでも親祖の初心が消えることは決してありません。永遠の祈りは、いつも私たちのいのちと一体になって受け継がれています。

引き続き祈年祭を甦生しながら、子どもたちにその意味を伝承していきたいと思います。