自分に正直に生きる

昨日、海外に住む親戚の長男が聴福庵でオリジナルのダンスを披露してくれました。様々なダンスの大会に出たり、学校に通ったりと自分なりに好きなことを楽しんでいました。

若さの花もありますが、好きなことを本気で打ち込んでいる姿には引き込まれるものがありました。自分に正直に生きていくということは、誰かが教えてくれるわけではありません。自分自身が何よりも悔いのない生き方をしているかは、自分自身が一番よくわかっているからです。

人間は誰しも小さな自分への嘘が積もりに積もっていくうちに自分への不信を募らせていくものです。そのうちに仕上がってしまえば、本心を打ち明けることもなく本心のままでいることもできなくなります。

自分に嘘をつかないというのは、自分に正直になることですがこの正直になるということが頭ではわからないものです。他人に聴かれても正直になるとはどういうことか、それは自分勝手になることか、自分中心になることかと考えてしまいかえって周囲の反感を買う人も多いように思います。

そうではなく、人生は二度となく自分も二人といないのだから「悔いがないか」と自分に問うということが正直であるということなのです。

悔いのない生き方をする人たちは優先順位をもって生きています。自分が何を大切にしているかということ、そして何のためにこのいのちを使うか、そして志を立てるために何を諦め何に集中するかということが腹に落ちています。

だからこそ今に真剣に打ち込むことができるのであり、何よりも自分というものと正対して自分にしかない天命を生きていこうとするのです。天命を生きる人は仕合せな人であり、悔いのない人生を生きる人は幸福を味わいながら歩んでいくものです。

本来の自分が何を優先して生きようとしたか、それを忙しさの中で忘れないように理念や初心はあるのです。自分自身が自問自答することなしに仕合せを掴むこともできず、自分に正直に生きることなしに真の幸福もありません。

一期一会の人生が座右ですが、まだまだ反省することばかりです。

引き続き、自分に正直に生きることで子どもたちに希望の光を与えていきたいと思います。

あなたの志は何ですか?

今年も無事に萩にある松陰神社に参拝することができました。幼い頃から志を学ぶ師と仰ぎ学び続けてきましたが苦しかった年、辛かった年の後ほど此処に来ると志風によって偉大に応援されている気持ちになります。

自分の頭で考えたことがどれだけあった一年であったか、どれだけ他人との答え合わせに生きるのではなく自分の答えを生きたか。ここに来ると毎回不思議ですが自分自身の人生の主人公として魂を磨ききったかと師に問われている気持ちになります。

きっと吉田松陰にとっては日々歳月の艱難辛苦こそが学問を通して自己を磨き自己を確立する善い機会だと歓喜し道の探求と実践を積み重ねた日々を送っていたように思います。それが生前に遺している言葉の数々からも省みることができます。

計愈々(いよいよ)違(たが)ひて志愈々堅し。天の我れを試むる、我れ亦(また)何をか憂へん。

仮令(たとい)獄中にありとも敵愾(てきがい)の心一日として忘るべからず。苟(いやしく)も敵愾の心忘れざれば、一日も学問の切磋(せっさ)怠るべきに非(あら)ず。

志荘(こころざし そう)ならば安(いず)くんぞ往(ゆ)くとして学を成すべからざらんや。

夫れ重きを以て任と為す者、才を以て恃みと為すに足らず。知を以て恃みと為すに足らず。必ずや志を以て気を率ゐ、黽勉に従ひて而る後可なり。

を立ててもって万事の源となす 。

この「志を持つことをすべての原点」とした吉田松陰の教えは、松下村塾の塾生たちの生き方に多大な影響を与えました。そしてそれは死後もまた、純粋な日本人の魂に語り掛け続けています。

気が充実するというのは、機が充実するということです。これはその機会が満ちるのを待つという状況であり、それまでは気を蓄え機(タイミング)まで力を磨き続けるということです。この「気」こそまさに志から発するものであり、気力の充実は志力の充実でもあります。志が結実するとき、まさにそれが時機でありその時期に応じている結晶が結果として顕現します。

すべての機会を自分を磨くためにあるとする生き方は、今のような人生とはあまり関係のない歪んだ学問がひろまっている時代にはとても大切な指針になるように思えます。学問は他人のためではなく、自分のためであるといったのは孔子の時代からあったことですから今さらどうこう言っても仕方がなく、指針として生き方を学び直すしかありません。

志とは、刀と砥石の関係であり魂は志があってはじめて磨かれるのです。

最後に今年のテーマに近い言葉に出会いました。どの時代においても変化に適応していくことは学問の要です。

「天下に機あり、務(む)あり。機を知らざれば務を知ること能(あた)わず。時務(時務)を知らざるは俊傑(しゅんけつ)に非(あら)ず。」

意訳ですがこの世には必ず機があり、それを待つ実践というものがある。いくら能力が高く優れていたとしてもその幾に当たらなければ決して何もできはしない。その場その場に集中し、今を適切に応じて実践していくことなしには天与の才徳を持っているとは言えないのである。と。
つまりは本来の天才は、日々の実践を知るものこそが機を活かすことができるということです。目標が達しないからと腐るのではなく、まだまだ志が低く徳が薄いのだと精進するものこそが天与の才徳を活かすのでしょう。
過去や未来を思い憂い、今から離れようとする時こそ「あなたの志は何ですか?」という言葉を三省して自己を磨き続けていきたいと思います。子どもたちに譲り遺していきたい生き方を自らの道を歩むことを以て伝承していきたいと思います。

しっくり

和室を整えていると、心も同時に整ってきます。和とはそもそも整い調和することで、すべての関係性があるべきところに配置され理想的な空間を産出すことを言うと私は思います。

たとえば、自然であれば美しい山に入るとそこには様々な自然が配置されています。木々はもちろんのこと、川のせせらぎや大きな岩、そして谷に空に獣道まで見事に調和して山の風景を彩ります。美しい山には、不自然な物はなくそこには自然に造形したものが見事に配置されているのです。この配置は一つではならず、あるべき場所にあるべきものがしっくりくる時に感得するものです。

このしっくりとは何か。これは私の感覚では根づくということです。たとえば、畑で苗を植えていきますがその場所に相応しいところに配置しなければ他の野菜たちとぶつかり安心して育つことができません。その苗が生きていくために必要な空間、またはその畑全体の配置を考えて植えていかなければそれぞれが結実していくことがありません。

同様に和室の空間の道具たちもまた、全体の空間にしっくりと来るように根付く場所を与えてあげなければそのものが宙ぶらりになってしまいます。そういう時は、片付けをして仕舞いまたその場所が空くのを待ってもらうか、もしくは別のところを探して配置していくしかありません。

この根づく感覚がしっくりであり、それは具体的にその場所でそのものを置いてみなければわかりません。しかしこのしっくりと来る感覚が分かれば、次第に心が落ち着くということもわかってきます。

お互いの関係性が結びつきやすいものか、その場所が居心地の善い場所か、それは物を置いてみればわかりますし、一緒に並べてみればわかります。私は古民家で、炭と水晶を一緒に活用することもありますが火と水というものも調和するととてもしっくりと来るものです。火鉢の鉄瓶から湯気が立っているのを観る感覚に癒される人が多いことと同じです。

それくらい万物が一体に調和すると、心もまた落ち着いてくるのです。この心の落ち着きこそがしっくりであり、しっくりくるときその場はとても清浄な場所になっていることが証明されます。

場づくりというものは、目には観えませんがマネージメントの本質であり人間の智慧の結集されたものです。私はこれを風土と定義しており、私の持つ風土感はこの一点に凝縮されているのです。

心が落ち着けば自ずから穢れは払われ、その場は清浄になりすべては調和します。調和を乱さないように常に配置には気を付け、常に配置に配慮することが思いやりや真心になっていくのです。

なかなかこれを誰でも伝わるように仕組み化するのは骨が折れる作業ですが、諦めずに子どもたちのためにカタチにしていきたいと思います。

大晦日~日本の心~

いよいよ本日は大晦日になりました。年々、暮らしが遠ざかり年末年始の正月の雰囲気が薄れてきているように思います。思い返せば幼いころは、年末年始のご挨拶まわりやお歳暮やお年玉、正月の準備の熱気をあちこちで感じたものです。最近では、コンビニをはじめずっと営業している店舗ばかりで休みというものがなくなり、より暮らしを楽しむ時間が失われてきたのかもしれません。行事の意味も変わってしまい、言葉は知っていてもその意味を知らない人が増えてきたこととマンネリ化して深く考えずにただ過ごしているうちに本質とはかけ離れたことをしていて周りもそれを信じて伝承していることもあります。

文化やアイデンティティを持つというのは、何が本物で何が本当か、そして本質は何かということを正しく理解することが大切です。見た目だけを誤魔化しそれが本物にとって代わってしまわないように、プロセスを偽り結果だけで物事を判断しないでいいように真実は語り続けられなければならないのです。歴史の重要さは、自分自身が本物の人生を歩んでいくために必要不可欠なのものです。

この「大晦日」というものも、言葉は知っていてもその意味は最近では語られません。これは旧暦の太陰暦の月の満ち欠けを「晦」といい、月が隠れてしまうことを月隠れ(つごもり)が転じた言葉だと言われます。

新月が1日、月が隠れるのがだいたい30日頃だったためその日を晦日というようになりました。毎月末を晦日といい、一年を締めくくる最後を大晦日といったのです。

この日は、家をずっと守ってくださっている歳神様、歳徳様といった五穀の神様をはじめ祖霊やご先祖様が遠来される日とされ準備をして待つ祭祀の日でした。今では旅館やホテルに泊まったり、カウントダウンなどのイベント会場や有名な神社などで初詣をしている人が増えています。

本来の伝統では歳神様が訪れるのを家人たちと共に一晩中起きて「家に居て待つ」ものだったのですが、明治20年代に官公庁から始まった元旦に御真影を拝む「新年拝賀式」と、1891年(明治24年)の「小学校祝日大祭日儀式規定」により元旦に小学校へ登校する「元旦節」などが実施されるようになり、さらに関西の鉄道会社が正月三が日に(恵方とは無関係な方角の)神社へ初詣を行うというレジャー的な要素を含んだ行事を沿線住民に宣伝しこれが全国にまで広まったことで家で歳神様を待つ「年籠り」という習慣は次第に失われたと言われています。

正月の準備をする中で、歳神様の存在を意識しながら行えば自ずから大晦日は家で待つようになるはずです。しかしなんとなく周りがやっているように意味も分からずに右へ倣へをしてしまうと家で待つという概念は失われていきます。

一年が豊かで充実したのは、日ごろから暮らしを見守ってくださっている御蔭様の存在を意識すること。それは月のように、太陽の陰で常にいのちを見守り育んでくれている存在に気づくということ。夜に月を眺めては、満月の時、御隠れの時と、月の存在が暮らしを支えてくれたことをむかしの人たちは自覚されていたのです。そして感謝の心で、また新年も歳月の福が再び訪れるようにと祈りました。

日本人は常に頂いている方を観て、ないものねだりをせずにある方をもったいなく使わせてもらう慎まやかな暮らしを積み重ねてきました。年中行事には、そういった日本の心が生きています。

御蔭様で暮らしの甦生は古民家甦生と共に着実に一歩一歩積み重ねられています。これもまた歳月を司る歳神様の恩恵なのかもしれません。丁寧にひとつひとつ、心を籠めて子どもたちに伝承していきたいと思います。

炭のぬくもり

聴福庵の冬は、炭が暮らしを彩ります。夏よりも冬の方が炭の出番が多く、あちこちに炭が活かされています。その日々の暮らしの中でもっとも活用されているのは、櫓炬燵(やぐらこたつ)の炭団(たどん)です。毎朝、火を入れれば長ければ一日中暖かいままです。

今では電気炬燵が主流ですが、炬燵は室町時代には「火闥」「火踏」「火燵」、江戸時代には「火燵」「巨燵」などと言われていました。文字通り、火を使うのですが現代では電気が主流です。電気のものは、スイッチを入れたらすぐに熱くなりますから便利ですが電磁波で長く入っていると疲れますがそれに対し炭団はじっくりとゆっくりと暖まり時間がかかりますがしんしんと身体が遠赤外線の放射熱で深いぬくもりを感じます。

火鉢の炭も同様に、近くで手を当ててお湯が沸くのをゆっくりと待つのですがその間に身体がゆっくりと温まってきます。鉄瓶で沸かした一杯のお茶は、ほっとして心まで温めます。

急激に温めたものは急激に冷えますが、時間をかけて温もったものは時間をかけて冷えていきます。自然界は、時間をかけて温めているから冬も乗り越える温もりを維持することができるのです。炭は自然の温もりのリズムを持っています、そのゆっくりとじっくりと温もるさまは自然の温もりそのものなのです。人間は自然の一部ですから、本能や感覚でその温もりの本質を自覚しています。

瞬間湯沸かし器で沸かしたお湯やお茶と、炭でじっくりと沸かしたお湯やお茶はまったく異なるのは誰に飲ませてみてもすぐに気づくからです。不自然な生活に慣れていくと、自然のリズムや自然の味、自然の感覚などが麻痺していくものです。

冬の過ごし方もまた現在は暖房器具が発達し何でも電気が中心ですが、思い切って電気を使わない暮らしをすると冬の温もりに溢れている暮らしに気づくのです。それにはそれを彩る火の道具たちが必要です。

火は使い方を丁寧にし、敬意をもって接すれば偉大なぬくもりを私たちにもたらします。しかし敬意を忘れ失礼な扱い方をすれば、それ相応の火傷を負います。自然の火も水も、使う側の謙虚な姿勢次第で仲間にもなれば先生にもなるのです。

話を炭団(たどん)に戻しますが、これは日ごろ使う木炭、竹炭などの残りかすの粉末をフノリなどの結着材と混ぜ団子状に整形し乾燥したものをいいます。この10センチ後の丸い団子状にした炭は、まさに物を捨てないで使い切る工夫に満ちた作品です。

これは木炭製造時に売り物にならない細かい欠片が大量発生しますし、家庭でも木を燃やせば炭の残りカスが少しずつ溜まっていきます。また炭俵や炭袋などの中には大量の炭の粉末が溜まっています。これを捨てるのがもったいないとして練って丸く固めて成形させたものが炭団の始まりです。

団子も粉で作りますがこの粉を使う文化があったからこそ炭団もまた生まれたように思います。この炭団は、通常の木炭よりも火はかなり弱いのですがその弱さを活かして種火のまま長時間燃えるためまさに炬燵のためにあるのではないかとほど相性がいい炭です。

以前、東北で掘りごたつの下に大量の炭を熾していたところもありましたが火加減が重要なのです。この炭団と櫓炬燵の相性は、まさに最高のパートナーです。何でも文明の利器が便利だと取りいれますが、この炭に関しては文明の利器の便利さを超えるほどの仕合せや価値があります。この価値を最大限活かせるのはやはり冬だからこそです。

冬の楽しみに炭があることは仕合せです。

日本人は、自然と上手く調和し自然の道具を発明してきました。それは伝統の職人技や道具の中にも発見できます。暮らしの中で自然を活かした智慧は、身体の健康だけでなく心も健康にしてくれるものばかりです。

現代社会の中で心を病む人が増えてきましたが、きっと炭がそういう人たちの心も温め健康を取り戻すきっかけになるかもしれません。炭数寄だと人に言われますが、私が炭が好きなのは「ぬくもり」を与える存在だからです。

子どもたちに譲り遺したい暮らしを伝承していきたいと思います。

 

懐かしい道具たち

昨日、伝統的な御餅つきを聴福庵で行いました。伝統的というのは、自ら稲作をし収穫したものを木臼や杵、また竈と木製の蒸器で麻布でお米を蒸して子どもたちと一緒に餅つきをすることをここでは伝統と言います。それくらい今では、臼や杵などを持っている家も少なくなり御餅もすぐにコンビニで買えますから餅つきをする必要もなくなっているからです。

ちょうど28日に御餅つきをし、鏡餅をお祀りするのは縁起が良い末広がりの8がつく12月28日にするのが一番適していると言われているからです。むかしの人は縁起を担ぐため餅つきをする日も選んでいました。たとえば12月29日は「二重に苦しむ」からとか、それに12月31日は「一夜飾り」慌てて準備をしたとなると歳神様に失礼に当たるから餅つきはしないほうがいいと伝えられています。実際には、29日を福(ふく)と呼ぶため構わずに29日に御餅つきをする地域や家庭もあるそうです。

餅つきは、呼吸を合わせて杵で搗きますから年に一度の経験だけではそんなに上達しないものです。しかし日ごろから一緒に暮らしているもの同士であれば息が合うものです。最初は、お米を引き延ばしながら米粒をつぶしていきます。そして捏ねながら搗いていきます。臼と杵の木が受け合う高音が心地よく、静かな地域に餅つきの音が響いていました。

竈の荒神様の祭壇に灯をいれ、見守りの中で餅つきの行事を清々しく進めていきます。有難いことに水も井戸水を使い、火は備長炭、むかしの竈も道具たちもすべて伝統的なものだけで御餅ができることの有難さに心が落ち着きました。

特にハレの日の出番の道具たちは、ハレの日以外は仕舞われてじっと待っています。しかしハレの日なると、どれも晴れ晴れしく活躍しいつもと様相が変わってきます。道具もその時手入れし、また修繕をしながら御礼を言って仕舞います。

日本人の暮らしは、暮らしを彩る道具たちとの御縁は切ることはできません。機械化され、便利になってかつての暮らしの道具たちは廃棄されるか骨董屋さんにいき海外などのコレクターに収集されています。しかし、暮らしを一緒に生きてきて豊かな思い出と懐かしい記憶をいつまでも持ったまま残存している道具たちは仕合せのつながりをいつまでも保ったままです。

そしてそれがかつての伝統的行事の実践と共に甦ってきます。まるでタイムスリップしたように、かつての記憶、その道具が使われていたころの思い出がその場に帰ってくるのです。道具たちは確かに無機物かもしれませんが、その道具たちと共に生きた方々の記憶はその無機質のはずの道具にいのちが宿っていくのです。道具はその単体でいのちがあるのではなく、御縁が結ばれることによって新たないのちが芽吹きます。

それは木が加工され新たなものに生まれ変わるように、いのちもまた御縁と結びつきによって新たないのちが生まれるのです。そしてそのいのちはいつまでも生き続け、そのいのちに触れる人たちによって永続的に生き続けます。この感覚を「懐かしい」と呼ぶのです。

懐かしい暮らしの復活は、いのちの復活でもあります。かつての人々、先人や先祖が身近に感じられる生き方、つまりは徳や恩を感じながら感謝で生きていく生き方の甦生なのです。

年中行事にはそういう懐かしさが生き続けていますが、それを彩る道具たちの存在は欠かすことはできないのです。だからこそ大切にいのちが永く続くように寿命を伸ばすための工夫や修繕、手入れを怠らなかったのでしょう。

御餅つきということをするだけで、それらの生き方が学び直せ自分の生き方も次第に変わっていきます。いのちを粗末にすることがないように、いのちを輝かせる人たちが増えていくように、伝統から学び直して子どもたちに伝承していきたいと思います。

 

鑑餅~円満福~

本日は、年代物の手掘りの木臼と百日紅の杵を使い餅つきをして鏡餅をつくります。今ではどこでも簡単に買って来れますが、そうすると餅つきをするプロセスがなくなってしまうものです。本来は、この餅つきの中に意味が籠められており歳神様をおもてなしする大切な信仰行事の一つです。

鏡餅の名前の由来であるこの鏡は、日本の神話の中で出てくる三種の神器の一つ「八咫鏡」からとったものです。丸い餅の形が銅鏡に似ていてその鏡に映る自分を「鑑みる(かんがみる)」ということから「鑑餅」となり次第に「鏡餅」と名前が変化したと言われています。この「鑑」という字は、「金」は金属の象形を覆う様子を指し、臣は大きく見開いた目の象形文字、そして臣の右横にあるのはタライを覗く様子の象形文字、皿は水の入っているタライの象形文字です。この金と監の合わさった会意兼形声文字である鑑には、金属製の鏡を意味します。ありのままの価値をそのままに映し出すという意味でもあり、鑑定、鑑賞などでつかわれます。

八咫鏡は、天照大神のご神体として今でも伊勢神宮でお祀りされているといいます。説明にはこうあります。

「鏡はその人の真影を映すので,天照大神は孫瓊瓊杵(ににぎ)尊を大八洲国(おおやしまぐに)につかわすときにこの鏡を渡して,もっぱらわが魂としてわが前にいつくがごとくいつきまつれと勅した。その鏡がいまも伊勢神宮に神体として祭られる八咫鏡(やたのかがみ)であるとする。鏡をもって神体とすること《皇大神宮儀式帳》を見ても,荒祭宮(あらまつりのみや)は大神宮の荒魂(あらみたま)宮と称し御形は鏡であるとする」

つまりは鏡を観ればそこに天照大神が顕現するとあります。神社や神棚には、鏡がお祀りされています。その鏡は、まさに自分の姿のありのままを映し出す存在して真実をうつす鏡とされたのです。その鏡が曇り澱めば真実はうつりません。だからこそ磨き清め、払い清めて澄んだ真心を高めなさいとしたのでしょう。

この鑑みることを想う時、私は吉田松陰の辞世の句を思い出します。

「吾今 国の為に死す; 死して 君親に負かず; 悠悠たり 天地の事; 鑑照 明神に在り」

天が観てくださっている、必ず真心は明るみになるという鏡の境地です。祈り歩めば、必ず天が照明するということ。天命のままに生きたことは、必ず天がその意味や価値を明らかにするということでしょう。

話を鏡餅に戻せば、丸形のお餅は円満や心臓を表し家族の心身の円満を意味します。二段重ねなのは、太陽と月、陰陽を表し日月円満、つまり日々が充実して円満に過ごせることを意味します。

またお年玉の由来もこの鏡餅からで、これは歳神様の依り代になったものだから「歳神の魂」が宿ったものからきています。つまり御歳神魂(おとしだま)ということです。年長者から子どもたちに食べさせたことで、お年玉を配るようになったといいます。

また鏡餅は、橙、干し柿、昆布、四方紅、御幣、三宝、扇などと一緒に飾りお祀りします。これは説明が長くなるのでまた別の機会に紹介しますが縁起は時代の流れと共に少しずつ増えていき変化してきたのでしょう。本来は、八咫鏡である鏡餅が原型なのは自明の理です。

どのような心で正月をお迎えするか、歳神様をおもてなすか、それは鏡餅を家族で創る中で感得できるものです。今では、食中毒になるとか、すべて機械任せで量産したりとか、食べ物でもない見た目だけの鏡餅とかに代用されたりとむかしから変えてはならないものまで便利に変わってきました。

餅つきには楽しく笑い、感謝と澄んだ心でついてはひっつきのばし、こねては丸くしていく、まさにこれは私たちの会社で大切にしている「一円観」の思想にも通じています。円満は福に通じるということです。

すべて円満福の素直で明るい心は、私たち日本人の精神文化でありアイデンティティの一つです。子どもたちに伝承していきたいことを鑑みて、暮らしの実践を積み重ねていきたいと思います。

門松と信仰

昨日は、聴福庵に門松を飾り正月の準備を行いました。最近では、あまり家々の門に門松飾りを見かけなくなりましたがこれも古来から続いている日本の伝統の一つです。

そもそも門松の意味は簡単に言えば、正月に遠来から歳神様が家に来てくださるようにその目印としてお祀りするものです。より詳しくは、折口信夫氏の「門松のはなし」が最も的を得ているように思います。

「日本には、古く、年の暮になると、山から降りて来る、神と人との間のものがあると信じた時代がありました。これが後には、鬼・天狗と考へられる様になつたのですが、正月に迎へる歳神様(歳徳神)も、それから変つてゐるので、更に古くは、祖先神が来ると信じたのです。歳神様は、三日の晩に尉と姥の姿で、お帰りになると言ふ信仰には、此考妣二位の神来訪の印象が伝承されてゐる様です」

色々な説が時代と共に変化していますが、一般的には山から降臨する田の神様が歳神様だとも言われます。五穀豊穣を約束する神様が、家に来て福を授けてくださいます。床の間におもてなしする鏡餅は、正月の間、滞在してくださる神様の依り代です。稲作を中心に私たちは暮らしと信仰を一致させ永続する家としての智慧を結集したものの一つがこの正月であったのです。

門松の松は、常緑樹は榊と同様にいのちが宿る木とされ古来より神様の依り代になりました。また松を「待つ」と言霊の響きを同じくし、神様を待つとしています。松飾がある期間を「松の内」とし、その間は神様が家にいるかのように生活を慎みました。そして山にお帰りになるころにちょうど節分があり五穀豊穣を祈願するために五穀を蒔き歳神様をお見送りするとも言われます。

行事はそのもの単体で見ては意味がわからないものも、つなげてみるとその行事の意味や信仰していた日本人の心やカタチが観えてくるのです。

聴福庵では、古式の門松を飾ります。これは平安時代の「小松引き」が由来です。そのため玄関には「根」がついたままの松を飾ります。これは歳神様が訪れて幸せが根付くようにという縁起によるものです。そして裏玄関には根が切られた松を飾っています。これは厄を断ち切り根付かせないという縁起によるものです。

日本人は、むかしから物事の解釈を常に福になるように転じ続けてきました。根があってもいい、根がなくてもいい、それをどのように捉えるか、そのすべてを感謝に換えて言葉や文化、伝統を創り上げてきました。

信仰というものの本質は、どんなことがあっても丸ごと信じるという生きる姿勢の実践のことです。自然災害が世界で最も多い国だからこそ、自然災害から自然崇拝が誕生してくるのは自明の理です。宗教ではなく、「信仰」というものがあるのは私たちがそれだけこの自然風土の変化に晒されて逞しく変化に順応しながら生きてきたからです。

暮らしや行事は、私たちが自然の中で仕合せに生きぬいていくための先人の智慧と親祖の真心を感じます。時代が変わることは仕方がないことですが、変えていいものと変えてはならないものを確かに見つめ子どもたちのために先人の恩を繋いで結んでいきたいと思います。

 

幸福と変化

人間には二通りの生き方があります。一つは、誰かのせいでと他人のせいにしてしまう生き方。もう一つは、誰かの御蔭様でと他人の御蔭にしてしまう生き方です。この二通りの生き方は、自分の人生の幸福に大きな作用を働くだけでなく、人間関係においても大きな影響を与えます。

たとえば、事物を誰かのせいやもしくは自分のせいだと責めることばかりに躍起になっている意識は変化に対応できる考え方ではありません。変化に対応するには、受け容れる力が必要になりますから現実から逃れるために何かのせいにしても物事は前に進むことがありません。

その逆に、事物はすべて御蔭様という考え方を持つ人は自他をせめず自分に矢印を向けて現実をあるがままに受け止め、変化というものを受け容れていきます。これは人間が感謝の時が変化に対応しやすく、自分の思い通りであることが当たり前と思い違いをする時が変化に対応できなくなるということです。

人間は生きていれば、日々に小さなことから大きなことまで変化に遭遇しストレスを抱えます。そのストレスは、無理をして取り除くためにエネルギーを使い切るのではなくストレスを受け容れて立ち直る方へと転じた方が幸福を感じます。私はそれを「福に転じる」といいますが、何でも福に転じる人はすべての出来事を前向きに捉えて変化そのものを楽しんでいくことができるのです。

変化を楽しむ力というものは、一つは好奇心があると思います。大変なことがあっても、面白そうと思える意識、めんどくさいことがあっても、真心を使えるチャンスだと思える意識、その人の生き方次第で現実の受け止め方が全く異なり変化のスピードも変わっていくのです。

自分の思い通りいくことが、人生にとって良いことだと思っている人と、自分の思い通りではないけれど思った以上のことをいただいていると思っている人では、人生行路の歩み方、感じ方が異なります。

人間は誰もが幸せになろうとしますが、仕合せで居続けるには変化し続けている必要があります。それはどんな世の中や周囲が変わっても、自分がそれに順応していつも感謝のままで居続けられる状態、御蔭様を感じ続けられる状態、その心境を現実と一致させていく努力が必要になると感じるからです。

謙虚さというものは、人生にもっとも大きな影響を持つものです。同様に傲慢というものもまた、人生に大きな影響を与えます。生きていれば、人間は手入れを怠り掃除をしなくなりエゴの穢れのようなものがこびりついていきます。日々にそのエゴを増大し穢れを払うために様々な感謝の工夫を仕事にまで昇華できた人たちがこの世に最幸の組織を実現させていきます。

子どもたちが憧れる生き方と働き方を実現するために、職場の文化が世界を変えていくことを信じてもう一歩深く踏み込み、腰を据えて挑戦を続けていきたいと思います。

心の掃除

人間は心が「荒む」(すさむ)と感謝を忘れていくものです。心が荒れて行動が乱れれば、次第にゆとりや余裕が消え、冷静さを失い、すべてが乱暴になり周囲にとげとげしくなり悪影響をまき散らします。

この荒むの語源は「凄まじい」からきていて、この凄まじいは恐怖を感じるほどにひどいさま、興ざめするほどにすごい恐ろしさからきています。

人間というものは、心が荒んでくると本人にも色々と問題が起きます。精神が病んだり、心と体のバランスが崩れたり、そうなると自制もきかず何をするかわかりません。人間は心が荒まないように工夫することで、本来の穏やかで調和した自分を維持していくことができるのです。

心が荒む理由としては、現実に対して心が御座なりになってついてこれないときや自分の心を誤魔化したり、無理をして心に嘘をついたりするときに特に影響を受けるように思います。日ごろの自分の心がけと心の持ち方ひとつで、心が和やかである人もいれば心が荒む人もいますから如何に自分自身に対して正直で居続けるか、あるがままで丁寧に生きていくかは人生にとってとても大切な素養と工夫であるように思います。

私は一昨年より暮らしの甦生をする中で、如何に日々の手入れを怠らないか、掃除を大切にするかということを学び直しました。家の神様に対しても、荒ぶる神(荒魂)にならないように感謝の心で洗い清めてお掃除と手入れ、片付けを行うことで荒ぶることもなく和やかなままの状態でいていただくようにつとめます。そのようなことを怠ればすぐに家に問題が発生し、色々な反省が波のように押し寄せてくるからです。数々の暮らしの年中行事は、すべてにおいて日ごろの心の準備と心の手入れ、心の掃除が行き届くことで万事整うのです。

掃除道の鍵山秀三郎氏も、「掃除とは心の荒びを取り払うことである」とはっきりと定義されています。日々のことを掃除にはじまり掃除に終わることで丁寧に片付けていく、その片づけをする心はまさに「感謝の実践」であり丁寧に生きていくことは、「心の和みを醸成する」ためにも必要なのです。

掃除を怠ることで心が雑にならないようにと暮らしを整えていくことは、心が荒まないようにとゆとりを維持していくコツであり秘訣なのでしょう。先人たちはその大切さを知っていたからこそ、日々の暮らしを丁寧に紡いできたのかもしれません。

余計なものを断捨離し、余計な垢を綺麗に洗い流し、整理整頓して美しく保ち続けること。単に増やし続けて雑に扱えばいいのではなく、一つ一つ片付けてまた次の準備をする。かつての日本の家で当たり前にあった四季折々を丁寧に生きて片付けを行い心を整えていく工夫が心の持ち方の智慧として私たちへ伝承されてきたのでしょう。

粗雑で乱暴な生き方は自分自身の心を痛めてしまいます。そうして心を痛め心が病めば日常がさらに色あせて頂いている感謝よりも足りないことへの不平不満に頭をもたげてしまいます。これだけ自分への御縁や感謝をいただいていることを忘れてしまうことこそ不仕合せであり、悲しいことはありません。そのような時こそ、一休みし心の掃除を行い心を澄まし心を整え心を慎み、自分自身の心が全体と一つになるように心を調和していくまで掃除をしながら待つしかありません。

人間の日々の暮らしは人生の生き方です。

感謝で生きていくことは心の掃除をしていく人生の生き方を実践していくということです。掃除道の鍵山氏は、心は取り出せないからこそ、身近にあるものを磨くこと、そして片付けること、綺麗に掃除すること、それが自分自身の心を掃除することになるということを仰っています。

人間誰にしろ自分らしく正直に仕合せを求めて生きていく以上、心の掃除は人生最大の徳目なのです。

今年もあと残り少しですが、丁寧に片づけをしながら心の和魂を鏡に映しながらかんながらの道を歩んでいきたいと思います。