季節感の幸福

私たちの暮らしには季節感というものがあります。この季節はこの風物詩というように季節のリズムと共に歩んでいます。四季折々に私たちは小さな変化を季節から感じとって自然の流れに身を任せていきます。

なぜそれをするのかといえば、その方が豊かで仕合せなことだからです。私たち人間のもっている感性の磨き澄み切った場所にある幸福感とは自然と一体になることです。

自然から離れ、私たちは便利な世の中にしていき人間社会を発展させてきましたがそれと反比例して幸福感というものの感性は鈍ってきました。精神的にも病む人は増え、空しい比較競争ばかりで疲れてきています。

本来、私たちすべての地球上の生き物は足るを知る暮らしを知っており自然と共に生きていく中で真の幸福を味わい、この世に生まれてきた喜びを心から享受してきました。

何もない中に深い味わいのあるいのちがあり、そのいのちが活かされていることを知り自分の役割を知らずして知るという具合に存在そのものへの感謝を味わい暮らしをしてきたのです。

そういう意味で、四季折々の変化を味わうということが幸福感と直結していることは自明の理です。

忙しすぎる現代人において、只管お金を稼ぐために色々なものをそぎ落として暮らしを喪失していきましたが子どもたちには本当の豊かさ、真実の幸福を味わえる環境を用意していきたいと願います。

暮らしフルネス™の実践と場が、未来を幸福にしていくことを祈り今日もご縁を結んでいきたいと思います。

そうめんの由来

昨日は、藁ぶき古民家の和楽で息子たちが青竹から準備してくれて「流しそうめん」を楽しみました。まさに夏の風情というか、雰囲気でだけでも涼が味わえ豊かな時間を過ごすことができました。

この「流しそうめん」は、最初は青竹で器をつく井戸水で冷やしたそうめんを食べたことで発想されたものではないかともいわれています。そのそうめんを流すようになったのは宮崎県の高千穂峡の真名井の滝の傍にある「千穂の家」が発祥といわれます。発案は、もともと江戸時代に琉球で薩摩の役人をおもてなすときに那覇湾の崖の上から落下する綺麗な泉流の上源からそうめんを流して、途中ですくって食べてもらうということをやっていたものがありました。このことをヒントに昭和30年頃にこの高千穂峡で本格的に流しそうめんがはじまったのです。

もう一つ、似た名前のものに「そうめん流し」があります。呼び方の順番が逆になっただけですが、実際には違いがあります。これは鹿児島県の指宿市にある「市営唐船峡そうめん流し」として昭和37年に発案されたものです。最初は同じように流しそうめんではじめていますが、途中で当時の町の助役さんが回転式のそうめん流し器を発明しました。回転式ですから、みんなで囲んで丸くなってそうめん流しを楽しめるということで珍しさと面白さと相まって人気が出ました。この助役の人はそのあと町長になっています。

ということで、竹で縦にそのまま流すのが流しそうめんで回転式のものがそうめん流しということになります。

このそうめんの呼び名の由来はもともとは「索麺」と書き、中国大陸から伝わったものです。「索」とは「なわ、つな」という意味でそこに麺が入り、小麦粉を練った細長い食べ物という意味になります。つまり「なわ、つわのような麺=そうめん」と呼ぶようになったのです。

このそうめんが伝来したのは隋か唐の7~8世紀頃(飛鳥時代~奈良時代頃)といわれますが、北宋の時代や室町時代などまちまちです。この「索麺」「索餅」という字が現代のように「素麺」となるのは麺が白いことから白い意の「素」の字を当てたとする説や、「索」の字を書き間違えたとする説もありますが今はほとんどこの「素麺」になっています。

むかしは、そうめんは庶民が食べれるものではなく宮中の七夕などの行事の時に用いられました。それだけ高級で敷居の高い食べ物でした。現在では、どの家でも夏は素麺というくらいみんな一年で一度は食べる夏の風物詩になりましたが歴史が長い食べ物の一つなのです。

こうやって一年で、節目節目に伝統的なものを上手に現代に活かしながらその大切な要素はそのままに新しくしていくことに豊かさを感じます。夏はまだまだこれから暑くなっていきますが存分に夏を味わいたいと思います。

暮らしフルネスの役割

国内総生産のGDPというものに替わる概念として国内総充実のGDWという言葉があります。このGDWは「Gross Domestic Well-being」の略称です。具体的には物質的な豊かさだけでなく既存のGDPでは測ることのできなかった「精神的な豊かさ」(主観的ウェルビーイング)を測るための新しい尺度のことを言うといいます。

GDPの方は、「Gross Domestic Product」の略称で国内総生産のことです。これは一定期間内に国内で新たに生み出されたモノやサービスの付加価値のことをいいます。シンプルに言えば、指標のプロダクト主義からウェルビーイング主義への転向といってもいいかもしれません。

今までは物質的な豊かさを生産することが幸福の指標としたものが、これからは精神的な豊かさ、心の満足度や充実度を幸福の指標にしようとする考え方へとシフトしようとする概念です。

もともとこの考え方は経済指数を示す国民総生産(GNP)よりも国民総幸福量(GNH)を重要とするブータンの提唱によって世界で意識されていきました。資本主義的な経済価値を求めるGNPやGDPではなく、国民の心理的な「幸福感」「充実感」などを示すものにGDWを活用していこうというのです。

よく考えてみるとすぐにわかりますが、人生は決して物質的なものだけが膨大に増えてもそれですべてが手に入って満足しても充実するとは限りません。例えば、皇帝や王様などすべてが物質的に手に入っても本当の意味で幸福ではなかったという歴史の話はたくさんあります。心の渇望を物質で満たせても、それは一時的なもので永続するわけではありません。物をただ多く持つことはかえって幸福度を下げてしまうこともあるからです。

だからこそこの時代、従来の豊かさで得られなかった真の幸福とは何かを問い始めたということでしょう。人類がいつも青い鳥を探しているのはむかしから何も変わらないものです。

改めてウェルビーイングを調べてみると初めて言及されたのは1946年です。これは世界保健機関(WHO)設立にあたって考案された憲章にこう書かれました。「Health is a state of complete physical, mental and social well-being and not merely the absence of disease or infirmity.」と。これは意訳ですがこれは真の健幸は、病気や弱っていないとかではなく、精神的にも社会的にも「全体として快適で充実している」ということだとおおよそ定義しました。

もっと簡単に言えば「人生においての居心地の善さ」といってもいいかもしれませんが一人ひとり、その人がその人らしく生きられる世の中になっていて、それが全体快適になり人類全体で永続する暮らしを味わえる状態になっているということでしょう。これは平和な社会と平和な暮らしの実現でもあります。

この問いはそもそも人はなぜ生まれてきたのか、何のために生きるのか、ふと立ち止まってみるとすぐに誰もが考えるものです。本当は、この地球に生まれてきてから私たちは真の豊かさを備わって誕生してきました。足るを知る世界に入るのなら、誰もがその幸福に気づくものです。

しかしあれが足りない、これが足りないと、わかりやすい成長と繁栄ばかりを追い求めてきた結果として自然環境が人類の都合で悪化し、空気や水やその他の暮らしのリズムなど、当たり前に存在してきた偉大な幸福も急激に失われているのが現状でもあります。

今、まさに人類は世界の中で真の豊かさについて議論をしだしたということでしょう。人類は、今、大事な分水嶺にいてその「選択」によって未来の子どもたちに影響を与えます。今の世代の責任として、子孫のために何を選択していくか。それが問われているのです。

もともと日本人の先祖は「和」を尊びました。私たちは今、世界の一部としての日本となりました。世界は様々な文化と融和し、新しい世界を切り拓いています。だからこそ日本から私たちは真の豊かさを発信する必要があると思うのです。それが私たちの役割であり、世界に貢献できる真のウェルビーイングの定義の提唱になるのです。

世界が一つになっていくからこそ、この問題は人類は決して避けては通れません。日本から何を伝道していくか。まさに今こそ、私たちはこの問いに正面から向き合い発信していく責任を果たすべきでしょう。

子どもたちのためにも、概念論だけではなく実態をもった智慧を「暮らしフルネス™」を通して引き続き実践していきたいと思います。

藁ぶき古民家の甦生~徳の伝承~

今日、無事に藁ぶき古民家甦生のお披露目の日を迎えることができました。多くの方々に見守られ、支援していただき、ここまでくることができました。人の御縁はとても不思議なもので、何かを実現しようと思う時に四方八方から現れては力を分けてくれます。

動機が善であるか、私心はないか、そしてこれは子どものためになるかと自問自答しながらも徳を磨こうと取り組んでいくことでそれを一緒に実践してくださる仲間や同志に回り逢うのです。

このご縁をよく観察すると、ある人は、これからの未来のために必要な情報を取ろうとし、またある人は過去の何かの因果を解決しようと関わろうとし、またある人は、今を生きることを学ぼうと実践しようとされます。つまり、ご縁を活かすというものは生き方や生き様、そして志の輪が広がっていくことをいうのです。人のつながりは、志があってはじめて強く結ばれるということでしょう。

そしてこのご縁は、人とだけではありません。物や家とのご縁というものがあります。今回、藁ぶき古民家で暮らしを甦生する方が振り返りの映像の中でシンデレラストーリーのような話と言っていたのが印象的でした。

このシンデレラストーリーといえば私が思い出すのはプリティ・ウーマンという映画があってその主人公の女性が最初はみすぼらしい様から、紳士の指導によって次第に磨かれて美しく洗練された人物に変化していくというようなあらすじだったと思います。この話は、同時にその紳士もその女性によってさらに徳が磨かれて真の紳士に成長していくという話です。

これは今回の藁ぶき古民家と確かに共通点があります。誰もが価値がないと捨てられていた古民家を拾い、それを磨き上げていきます。この家が今は、美しく洗練された家に変化して甦っています。そして同時に、私自身も家から学び徳を磨く機会をいただき成長することができたのです。

私が古民家甦生をするとき、自分を主語にはしません。家を主語にします、つまり家が喜ぶかどうかを観て取り組んでいくのです。そうすると、家が喜べば私も喜びます。これが逆になると学ぶことができません。

人が学ぶことにおいて大切なのは、自然を主語にしたり、先祖を主語にしたり、徳を主語にしたりと、コミュニティを主語にしたりと、「私」を主語にしないということが大切です。私ばかりをみて、私が私がとなったら磨かれないのです。何を砥石にして自分を磨いていただくか、そこに人は自分の徳や魅力を引き出すポイントがあると私は感じます。

今日は、その藁ぶき古民家のお披露目会。

どのような姿になったかをみんなに見てもらるのがとても楽しみです。子どもたちにも、徳のある家から学び、見た目ではなくそのものが磨かれるとどのように徳が顕現するかを伝承していきたいと思います。

 

安心する社会

人間は自分というものを大切にしていくことで、他人を大切にすることができます。それはセルフブランディングともいい、自分の中のマイノリティを如何に大切に育てていくかということでもあります。

言い換えれば、「自分らしく」生きていくということです。最近のコロナで、自粛警察のように同調圧力をかけてはコロナ感染者をまるでいじめのように全体で追い込んでいく多数の人たちが出るのをみるととてもむなしい気持ちになります。

この同調圧力というものは、日本では村の掟や村八分などといって敢えて問題を避けるためにそこは暗黙の了解で空気を読みましょうという村の管理手法として用いられてきた仕組みです。個性を潰し、意見を潰し、勝手は許さないという強い圧力です。

それによって理不尽でも対話がなくても、みんなでその空気に従おうとする仕組みをつくり村は運営されてきました。この同調圧力によって、かつて真剣に生きた人たち、個性を持って素晴らしい感性を持った人たちのいのちが失われる悲惨な出来事がたくさん発生した故事や物語にはいとまがありません。

今の時代は、個々が自分らしく生きていく生き方が保障されてきています。そういう意味では、今はもっとも生き方や生き様を自分らしく表現し合える時代です。せっかくこのような時代に生まれてきたのに、自分の初心を守らず、理念や信念を貫かずに周りに合わせて問題が発生しないように空気に同調しては自分と他人の心の芽を摘んでいくというのはむなしいことであり子どもたちにはもっと自由にのびのびと個性を伸ばし尊重して見守り、居心地の善い場所を創っていきたいなと感じる日々です。

同調圧力で有名な言葉は「常識」というものがあります。これは言い換えれば偏見とも言い、思い込み、決めつけとも言います。アインシュタインは、「常識とは18歳までに身に着けた偏見のコレクション」といいます。18歳というのはこれは教育を受けてそうなってきたということを意味します。

例えば日本では、すぐに前例主義をとります。前例があれば認めますが、前例がないものはすべて非常識となるのです。私などは、何のためにそれをやるのか、また目的や理念に忠実に取り組みますから非常識なことばかりをやっています。ある人は、自分のことを天才と呼び、ある人は自分のことを奇人変人、発達障害とも言います。

吉田松陰は、信念をもって生きる生き方を通して教え子たちに「狂いたまえ」と指導します。今の教育とはまったく逆でまじめになれですが、松陰はこの道理を理解し自分らしく生きるためにも常識に捉われず信念を貫けといったのでしょう。

スティーブジョブズは、「常識?あ~凡人が仲良く生きるためのルールか!」ともい言っていたといいます。彼はそんな調子だから敵をたくさんつくったかもしれませんが、私たちはその恩恵で今のiphoneをはじめとしたアップルの製品を使うことができているのです。文句を言った人は、そういうものを利用しなければいいのに何事もなかったかのように享受されて使っているから不思議です。

もしも彼らがその時に同調圧力に負けて、村の掟や村八分を恐れて常識に縛られて無難に生きたらどうなったでしょうか。今の新しい世界はなかったように思います。温故知新できたのは彼らが挑戦したからであり、彼らを真に支えた仲間がいたからです。

つまり、本質的に何をしようとしているのか。そして一体、この人の本当の素晴らしさはどこなのかをみんなが尊重し合えるのなら空気を読むかどうかよりも、大切なのは理念を優先して生きていることをみんなで尊重し合う社会を築くことではないかと思います。

それが自分らしく居心地が善い社会を築くことであり、子どもたちが自分のままでいられる安心して信頼し合える社会になっていくと私は思います。古い体質のままそれを破れずに常識を押し付け合う人たちはこの国には大勢います。この空気を読むことが、相手を慮るものであればいいのですが他人に押し付けるようになったらそれは攻撃であり殺人に等しいと私は思います。

他人のことをとやかく言う前に、自分自身がどうであるか内省することがお互いを尊重し合うための真の掟やルールのように感じます。自分の至らなさを学び直しつつ、自分の中にある本当の個性やマイノリティを大切に思いやれる人になるように日々を必死に磨いていきたいと思います。

法灯と宝珠

英彦山にある霊泉寺の本堂向かって右側の宝珠一帯の木材が雨により傷み壊れていたので修繕を報謝させていただくご縁がありました。こういう機会をいただけたことに深く感謝しています。

この霊泉寺を調べると、英彦山修験のはじまりだといわれます。幕末に修験道は神仏習合で信仰を禁止され一気に廃れていきました。この霊泉寺は、元々の英彦山修験のはじまりであった霊仙寺の法灯を継ぎ昭和30年(1955)復興、そして平成元年(1989)には本堂や寺務所、庫裡が完成したとあります。

元々は英彦山は北魏の善正という僧が531年に英彦山内の洞窟に籠り、修行して仏教を広めたことがはじまりです。この時期は日本に正式に仏教が伝えられるよりも7年前ということになり、日本の仏教のはじまりはこの英彦山ではないかといわれます。この善正法師は最初は大宰府に来て仏法を弘めようとしましたが光が日子山にさすのを見て、山中の石窟にこもりその時機まで待つと決め修行をしたことがはじまりです。そして豊後の恒雄という猟師が善正に弟子入りし「忍辱」と名乗り英彦山修験が興ります。

この場所が、現在の玉屋神社がある玉屋窟です。この窟で忍辱は一心不乱に修行を積んで、如意の宝珠(世の中の人々を救うために役立つ不思議な力を持つ珠)を授かります。その珠は窟の奥から小さな倶梨伽羅(竜)が口にくわえて細い水の流れにのって現れたそうです。その珠が出現したことから、それまで般若窟と呼んでいましたがそれを改めて、玉屋窟と呼ばれるようになりました。この霊泉は今でも現存して滾々と湧いています。

その後、有名な修験宗開祖の役小角もここで修行したとされ、以後も義覚・義玄・義真・寿元・芳元(五代山伏)などが続きます。さらに弘仁10年(819)以降、宇佐出身の「法蓮」という行者が堂宇、伽藍、社殿などを造営し、霊山寺と名付けます。

この霊山寺という名前が霊仙寺になるのは弘仁13(822)年、嵯峨天皇より、「日子を改めて彦となし、霊山を霊仙に改め、四方七里を寺の財産とし、比叡山に準じ3千の僧を置き、天台の教えを学ばしめ、70州を鎮めて海宇の豊かなることを祈れ」とお言葉をいただいてからです。そこから900年間、英彦山はますます荘厳になりその信仰圏は九州一円、40万戸にも及んだともいわれます。元禄9年(1696)、英彦山は幕府により別本山と定められます。そして霊仙寺は江戸中期には坊舎800、山伏ら僧衆3000を数えるほどだったともあります。

今ではその霊仙寺は名前を変えて法灯を継ぎ霊泉寺となり玉屋窟から銅の鳥居に場所を移動させこの先にまた興るであろう未来の時機をじっと待ち、この先の修験道や山伏たちの御縁を見守っています。私は、時空や時間を旅をするのが好きですから約1500年以上の月日をその場で味わい、その中でどのような方々がここで暮らし、そして生きたのかに想いを馳せては徳を感じ心を潤します。

現在でも「不滅の法灯」といって比叡山延暦寺で最澄が御本尊の前に灯して以来、1200年間一度も消えることなく灯され続けている明かりがあります。今でもその灯りを道を継いだ志のある方々が偉大であり、その光はいつまでも心を照らします。

この英彦山には、宝珠がありそして法灯があります。

甦生させていくというのは、言い換えるのならこの法灯を守り宝珠を使うことです。私がさせていただけるのはどこまでかはわかりませんが、心の声に従って使命を果たしていきたいと思います。

 

お手入れの循環

最近、捨てないということについての動きが活発になってきています。資源が枯渇してくればくるほど、資源のリサイクル化は進んでいきます。しかし実際には、膨大な量を生産していれば捨てなければこの世はまるでゴミ溜のようになっていきます。

現在は、資本主義経済を循環させることが大前提ですから両立するというのは如何に経済を回すかということですがそれでは本当の意味で解決することはありません。

私は捨てないということよりも、本物にするということだけで十分解決すると感じています。

例えば、日本には伝統職人さんたちがいます。彼らは、自然物を上手に活かし、里山循環の中にしっかりと溶け込み、自然の一部としての役割を見事に果たしています。藁ぶき職人であれば、その地域の藁やカヤ、葦などを用いて家の屋根を葺きます。また左官は田んぼの土などを活かして土壁を塗ります。また森林を手入れし炭焼きをし、大工さんらはその木を用いて家を建てます。竹の手入れによって数々の暮らしの道具を人々はつくります。かつて、私たちは「何が本物であるか」を知っていたのです。

その時、私たちは捨てるのでもなく作り続けるのでもなく「手入れする」ということだけに専念したのです。

私は今の時代、もしも世界が変わりこの人類の方向性を導けるとしたらこの「手入れ」をするということだと確信しているのです。そのことから、徳積財団を設立し、暮らしフルネスを起草し、「お手入れ」のための活動と実践をこの地から発信しています。

物を大事にすること、もったいなくいのちをいただき伸ばすこと、このすべては「お手入れ」する心から育つものです。自分の心をお手入れし、身体をお手入れし、そしてお導きやご縁にお手入れする。当たり前のことかもしれませんが、自然はみんなでお手入れをすることで循環を守り続けてきたのです。

現代はこのお手入れの反対のことをみんなでやってます。やりっぱなし、なげっぱなし、捨てっぱなしで作りっぱなし、これがゴミの正体であることに気づく必要があると私は思います。

日本にはそもそもゴミという概念がありませんでした。八百万の神々の一つであり、それが他の神様のお役に立つ大切な存在でした。だからこそ、ここ日本からこの思想や生き方を伝道していくのが今の世代の使命だと感じています。

子どもたちがこの先、100年後、1000年後、どれだけの自然に見守られているのか。自然の回復力と人間の魂の真の成長を信じて、子どもたちのために日々のお手入れ、修繕を伝承していきたいと思います。

私の目的

私はこの「場の道場(BA)」で、日本の伝統的な文化を継承して温故知新しながら最先端の取り組みと融合させています。なぜこのようなことをするのかといえば、目的は明確で子どものためにということです。

この子どものためといっても、単なる一般的な世の中で使う子どものためではありません。もっと広義で子孫のためといった方がいいのかもしれません。子孫たちが安心して世界の中で自分らしく自分を生きていけるように先祖の思いやりをつなごうとしているのです。

私の暮らすこの場には、古いものと新しいものが共存し共生しています。よく言われるのが、ハイブリット型や善いところ取りなどとも評されます。しかしそれは、ちゃんと日本人の精神や魂、生き方を大切にしながら時代の中で創造されてきたものとの調和した暮らしを実践しているだけのことです。

先祖は、私たち子孫のために色々と深く考えてくれて偉大な思いやりを遺してくれています。その先祖の生き様や人生を無駄にしないのが、私たち子孫たちの責務であり使命であるはずです。

今の時代は、そんなことを思わず刹那的に今の自分の人生や世代だけがよければいいという短絡的な生き方が増えています。どれもこれもすべてその原因は、忙しくなることで暮らしを手放したことに起因しています。

暮らしがなくなれば、先祖の思いやりも届かないところにいってしまいます。私たちの先祖は、決して単なる文字や記録で子孫が守れるとは思っていませんでした。なので色々と工夫して知恵を働かせたのです。

その一つが、日本の家屋であり日本の伝統行事であり、まさに衣食住を含むこれらの「暮らし」にその仕組みをを入れたのです。

そしてそれを甦生し続けて温故知新する人物を、道を通して育成してきたのです。私が場の道場を開いた理由、そしてなぜ今、ここに「場」を誕生させようとするのかはその手段の一つであり目的を実現するためです。

子どもの仕事をしてきたからこそ、何をすることがもっとも「子ども=子孫」のためになるのかと四六時中ずっと思い続けてきました。そうすることで先祖とつながり、子孫へ譲り遺していく初心伝承文化に気づいたのです。

これから目的に人を集めるための動画を撮影していきますが、目的を忘れずに丁寧に取り組んでいきたいと思います。

甦生業

藁ぶき古民家の甦生もまもなく最終段階に入ってきていて家の徳が引き出されてきています。ご近所の方や通りすがりの車が止まり声をかけてくださいます。その声は、一様に「だんだんと家が善くなってきていますね、楽しみです」というものです。

それは動画で配信しているサイトのコメントでもたくさんいただき、身内や仲間からも喜びの声をいただきます。その言葉に励まされ、信念を強くして真摯に家に向き合って修繕を続けています。

考えてみると、人はみんな何かが甦っていくことに希望を感じるように思います。

もう御終いだと思っていたものが復活して、それがさらに以前よりも元氣になって美しく生命を輝かせていく姿に偉大な何かの存在を感じるように思うのです。

それは病気からの恢復、あるいは壊れた機械の修理、よくお手入れされた道具、これらのものに触れると人は善かったねと喜んでくれるのです。徳を積むということは、この甦えらせていくことに似ているのです。

今まで荒れ地で捨て去っていたものを甦らせてそこで作物を育て農地を役立てること、経験豊富な高齢者や職人たちが後世の若い人に技術を伝承していくこと、他にも古井戸や古民家を甦生して新しい役目を与えて人々を潤してもらうこと、こういうこともまた徳になるのです。

徳は事業ではなく、お金儲けではありません。なので無理にお金のためにするものではなく、みんなが喜び、自分も喜ぶことを真摯に取り組んでいくことに似ています。自他一体に全体が幸福になるというのは、自然循環の摂理であり自然の徳の仕組みでもあります。

この徳循環を支えるもの、それが「甦生」なのです。

甦生業が私の取り組みですから、甦生したものが役に立てるように場を創造していくこともまた使命です。挑戦すれば喜びも多いですが苦しみもまた同時に発生します。それを味わいながら、今、できることに真摯に挑戦を本気のままに続けていきたいと思います。

 

運気を磨く

昨日、久しぶりに田坂広志先生の講演を拝聴する機会がありました。新著「運気を引き寄せりリーダーの7つの心得」のお話が中心でしたが共感するものが多く学ばせていただきました。

想えば20年以上前に東京で田坂塾でお会いしたのがはじめてでしたが、ほとんどお変わりなく一期一会に真摯に講義されるお姿に生き方を垣間見させていただき刺激もいただきました。

あの頃は、「メメント・モリ」という死を想うという生き様を実践する大切さを語られていました。今日が人生最期の日と定めて生きていくことの大切さ、当たり前ではない時間に気づいているかという問いを発して一期一会に生きることを伝えておられました。

そして今回は「運気」ということでしたが、運は決して宗教的技法の祈りではなく、科学的技法としての祈りであると定義しています。つまり単なる神秘的なものではなく、これは実証されているという事実であると。現代、量子論を含め科学がその神秘の世界を可視化してきています。その時、これは単なる偶然ではないということがわかってきているのです。

それをあらゆる角度から分析し、リーダーというものの真の役割について語れています。古今、リーダーはすべて「運がいい」ということが絶対条件だといいます。その理由は、リーダーを含めた組織全体を導いていく使命があるからです。運がよくないリーダーについていけばいくらその人が良い人でも組織は運を逃して悲惨なことになることもあります。

運のよさというのは、その人だけではなくその周囲も幸運に導いていきますのでリーダーはその運気というものへの心得を持つ必要があるということでしょう。

田坂先生のいう心得の詳細は、GROBISのサイトで拝見できます。

私もいつまでも実践と改善を積み重ねて、運気を高めて子どもたちを導いていけるよう徳を磨いていきたいと思います。