英彦山守静坊の甦生 感謝祭

明日は、いよいよ英彦山の守静坊の甦生感謝祭を行います。振り返ってみたら、本当に多くの方々に見守られ無事に宿坊を甦生することができました。結に参加してくださった方々のことを一生忘れません。この場をお借りして、改めて深く感謝しています。

思い返してみたら、今回の宿坊の甦生は困難の連続でした。工事に取り組み始めてからも何十回、もしくは何百回も神様に真摯に拝み、尽力することはやりつくすのでどうかお力をおかしくださいと祈り続けました。少し進んだと思うと、大きく後退し、善いことが起きたと思ったら八方ふさがりのような状態に陥ったり、一喜一憂してばかりの日々を過ごしてきました。

そんな中でも、本当に有難かったのは身近でいつも支えてくれたスタッフや家族、どんな時でも丸ごと信じて応援してくれた叔父さん。そしていつも見守ってくれていた仲間たち、結に参加してくれて見返りを求めずに徳を一緒に積んでくださった同朋のみなさま。小さなお気遣いから、大きな思いやり、取り組みに深い関心を寄せてくださった方々に心を支えていただいていました。

今回の宿坊の甦生で、故長野先生はじめこの宿坊に関わったこられた歴史の先人の皆様。そして英彦山に少しでも御恩返しすることはできたでしょうか。喜んでくださっているでしょうか、もしもそうなら努力が報われた想いになります。

私たち徳積財団、及び結の仲間は宗教組織ではありません。むかしの先人たちが暮らしのなかで信仰していたように、お山を拝み、お水を拝み、いのちを大切にし、お祈りを実践し、生活を助け合うなかで心をむすぶために信じあう仲間たちの結(ゆい)です。この結というのは、つながりや結びつきの中で暮らしていくという古来からの日本人の知恵の一つで「和」ともいいます。

私は、和が永続することを「平和」だと思っています。そしてそれは徳を積むことで得られると信じています。この徳を積むというのは、自分の喜びがみんなの喜びになり、みんなの喜びが自分の喜びになるという意味です。自然をお手本にして、全体のいのちが充実していくように、暮らしを充実させていくことです。それが暮らしフルネスの実践であり、徳が循環していく安心の世の中にすることです。

今の私たちは歴史を生き続けている存在です。終わった歴史ではなく、これは今も私たちが結び続ける責任を生きています。今までの先人たちの徳の集積を、さらに磨いてこの先の子どもたちに繋いでいくのが今の世代を生きる私たちの本当の使命です。

最後に、感謝祭に来てくださってお祝いをしてくださる友人たちがむかしの家族的な雰囲気で舞や唄を披露してくれます。この宿坊の谷は、弁財天さまの谷で弁財天は芸能の神様でもあります。むかしのように囲炉裏を囲み、みんなで一緒に同じ釜の飯を食べ、笑い、踊り、唄を歌う。心地よい法螺貝の音色が宿坊全体に広がっていくように豊かで仕合せなひと時を皆様と一緒に過ごせたらこれ以上の喜びはありません。

これから親友で同志のエバレットブラウンさんが、宿坊に滞在し英彦山の徳を出版や湿版写真等で伝承してくれます。そして私は、一人ひとりの徳を尊重し合い磨き合う場として仙人倶楽部というものをこれから徳積堂にてはじめます。私が心から尊敬する師の一人、二宮尊徳はこれを万象具徳といい、それを顕現させるのが報徳ともいい、その思想を一円観といいました。私はこれを現代にも甦生させ、「平和が永続する知恵」を子どもたちに伝承していきたいと思っています。

本日がその一つの節目になります。このひと時を永遠の今にしていけるように皆様と祈りをカタチにし、懐かしい未来を味わいたいと思います。

ここまで本当にありがとうございました、そしてこれからもどうぞよろしくお願いします。

出会いの哲学

昨日、久しぶりに恩師の一人である吉川宗男先生が訪ねてきてくださいました。コロナもですが、色々なことがありなかなかお会いできなくて本当に久しぶりでした。思い返せば、まだ20代のときに同じような生き方を目指している先生に出会うことで私のインスピレーションも膨らみました。

今、場の道場を始めたきっかけも宗男先生とのご縁でした。その当時、先生からは、伝統的日本の文化である「場と間と和」の話を聞かせてもらい、ありとあらゆるものがメビウス上につながっているというメビウス理論を学び心が震えました。

先生の著書には5つの知の統合こそが人間力の知(HQ : Humanity Quotient)だといわれます。①知力、ヘッドナレッジ、IQ(Intelligence Quotient)頭で知る力。②感力、ハートナレッジ、EQ(Emotion Quotient)心で知る、観る、感じる力。心眼知。③行力、ボディナレッジ、BQ(Body or Behavior Quotient)身体の力。身についた技能。身体知。④活力、シナジーナレッジ、SQ(Synergy Quotient)そして上記の三力を源泉として生まれる生命力・活力・共生力。⑤場力、フィールドナレッジ、FQ(Field Quotient)場の暗黙知を感知し、場にライブ感を創り出す力。

このトータルな人間力の知は「全人格人間力の知」と定義しています。

昨日も、私が暮らしフルネスで創造した場の石風呂に入りながら色々とお話を伺いました。「味わう」ということの大切さ、そして出会いを哲学する人生をずっと歩んでこられたこの今の姿からも改めて生き方を学ばせてもらうことばかりでした。

人間は何歳になっても、出会いは無限です。

出会いに対して純粋な姿、ご縁を結びそのご縁を深く味わい余すところなくそれを好奇心で追い求めていく道を歩む姿勢。メビウス理論や場と間と和のどの話も、宗男先生と一緒に体験していく中で得られる知恵そものです。

説明ももちろんわかりやすく、非常に言葉も磨かれておられますがもっとも磨かれておられるのはその純粋なありのままの出会いの哲学です。

ちょうど色々と私も悩んでいた時期、遠方より師が来るで元氣をたくさんいただきました。大切なことを忘れずに、一期一会の人生を歩み切っていきたいと思います。

ありがとうございます。

甦生の道を精進していく

物事は小さくはじめて大きく育てていく方が自然に近いように思います。最初から大きくしようとすると、確かに注目されて目立ちはしますがじっくり味わい取り組んでいくことができません。

現代はすぐに結果重視で、なんでも派手に目新しいことを探します。そして一度、見てしまえばわかってしまったと安心して飽きてしまいます。わかることが目的になっているからです。しかしわかるというのは、そう簡単なことではありません。なぜなら知ったことと、真にわかることは別のことだからです。

わかるというのは、本当はとても奥深く時間が必要です。しかし今の時代は、時間をかけることを嫌がります。時間をかけずにすぐに結果が欲しいと思うのです。だから、わかりにくいものを毛嫌いします。わかりづらいと文句をいったりします。

しかし本当はそれは真にわかろうとしない人の意見であることがほとんどです。ちゃんと理解しようとする人たちは、何度も通い、体験をし、その深い意味や味わいを感じ取ります。一度ではわからないから何度も通うのです。

私も今までわからないことを真にわかろうとして、何度も通い続けているものがあります。ひょっとすると死ぬまで通いながら学ぶのではないかとさえ思います。他には、法螺貝などもそうですが練習してもしてもわかりません。わからないから、もっと練習しますがそれでもわかりません。先日、先輩たちの会合で練習風景を見学しましたが何十年とやっていてもまだわからないとみんな目をキラキラさせています。

人が何かをわかるというのは、道を究めるということです。

道を究める志があるからわからないのであり、それがわかるというのは道がわかるということです。知識ばかりが増えて、なんとなくわかったらそれでもう終わりというのは冷めた感情だなと思う時があります。ワクワクドキドキし、好奇心を発揮させ、面白い世界を学び、まだ見ぬ世界の広さや深さを学ぶことは人生を真に豊かにしていきます。

わかってもらおうと思う自分への焦りも捨てて、滋味にじっくりと地道に甦生の道を精進していきたいと思います。

徳治の世

自分らしさというものがあります。これは個性でもあり、その人にしかない天命というものもあります。誰かと比較してではなく、その人がその人にしか与えられていないいのちを最大限発揮していくということです。それが自由でもあり自立でもあります。そしてそれが社会の役に立つようになれば人類の仕合せもあります。

社会で役に立つようにするには、みんなでお互いの自分らしさを尊重し合うような寛容な世の中である必要があります。それぞれがお互いに反省し合い、そして認め合う世の中にしていくことです。

誰かが正しい、誰かが間違っているとなっていがみ合えばいつまでも対立構造が変わらず争いが絶えません。しかしお互いに尊重し合うようになれば、自分も正しい、みんなも正しいという具合にそれぞれの違いを認め合えるようになります。

そのためにどうお互いに折り合いをつけるのかを対話するのが人類の叡智です。

人類は、太古のむかしから真の豊かさとは何か、そして真に平和な世界は何かということを何度も何度も反省しては築こうと努力してきました。そして徳による政治を行うことを孔子は説きました。つまり徳治の世にするということです。

自然界というものは、弱肉強食と教えられます。しかし果たしてそうでしょうか。サバンナやアマゾンをみていても、お互いに自制し合い、尊重し合いながら自然の摂理に従ってお互いのいのちを精いっぱい発揮しています。自然界はまさに自分らしくあります。弱肉強食は、何度も立場が入れ替わりますからお互い様ということです。

人間はその自然の尊重し合う仕組みを捨てて、一方的に権力や権威で集団をまとめようとしていきました。その方が、都合もよく実は時代が変わってもこの辺はあまり変化していません。しかし、この時代、情報化も進み、人類も世界と結ばれ、国境もなくなってきました。人類としてどう生きるのか、どう自分らしさによって真の豊かさに近づけていくのかをみんなで対話する時が近づいているように思うのです。

そのモデルをどの国の誰がやってみせるのか、そして深く静かに実践することで形どっていくのか。今、人類は試練の時です。だからこそ、子どもたちのために徳積財団を立ち上げ、徳治の世を実現しようと挑戦をはじめたともいえます。

いよいよ、宿坊の甦生もひと段落して本懐であった徳積堂の運営をはじめていきます。子どもたちに譲り遺していきたい懐かしい未来を今、この時代に甦生して実践していきたいと思います。

自然のリズム

先日、浮世絵師・廣重の東海道シリーズ「三嶋」の中の三嶋明神前でほら貝を吹く男の図というものを見ました。これは何の図だろうと深めていたら、むかしはお役人さんたちが宿場町で時を知らせるのに法螺貝を用いたとありました。山伏だけではなく、むかしは役場職員たちも法螺貝を吹いていたということになります。そういえば、先日、インドから来られた留学生もインドでは朝や夕方にみんな法螺貝で今でも時を知らせているといわれていました。それだけむかしは、法螺貝は暮らしの中で当たり前に存在した道具だったのでしょう。

話は変わりますが、もともと今のような24時間を分刻みで生きるようになっているのは現代の特徴で少し前までは不定時法といって自然のリズムに合わせた時間が用いられていました。

一日の長さを等分に分割する時刻制度を「定時法」で、これに対して一日を昼と夜に分けそれぞれを等分するやり方を「不定時法」といいます。江戸時代までは日本はこの不定時法が使われていました。つまり昼と夜をそれぞれ6等分し、一単位を「一刻」と呼びました。

これを使えば、一日のうちでも昼と夜の一刻は長さが違い、同時に昼夜の長さは季節によって変化しました。つまり時間が昼と夜と季節によって変わるということです。時間に合わせるのではなく、自然のリズムに合わせた時間を生きていたということです。

そしてその時の呼び方も数字ではなく真夜中の子の刻から始めて、昼夜12の刻に十二支を当てました。一方で子の刻と午の刻を九ツとして、一刻ごとに減算する呼び方も使いました。子の刻が九ツ、丑の刻が八ツで巳の刻の四ツまで行ってまた午の刻で九ツから数えます。これは数字だと、同じ数字が2回出てくるのでどちらの2つとか、どちらの3つとか聞き直すこともあったからでしょう。それで夜の九ツ、昼の九ツ、明け六ツ、暮れ六ツといった区別をつけたのです。泣く子も黙る丑三つ時というのもここから出てきます。

これはよく幽霊が出てくる時間帯といわれ怖がられました。これは中国の陰陽五行のもっとも陰の強い時間帯のことです。陰陽はたとえば「月は陰、太陽が陽」「裏は陰、表は陽」ともなります。そして「丑は陰」で「寅が陽」となり、その中間にある「丑寅(午前3時)」は「鬼門」です。つまり「鬼が出入りする」方角となるため、近い時刻の「丑三つ時」が「鬼門」と深い関係があると解釈されこの時に幽霊が出ると信じられたのでしょう。

むかしの人は昼と夜の時間を棲み分けしていたといいます。昼は人の時間で夜は神の時間だったのです。そうやって自然のリズムで自分たちの働き方を換えていきました。今では働き方改革には自然のリズムが無視されています。そのすべては人間中心です。

私たちの暮らしフルネスでは、自然のリズムを取り入れています。人間が本来持っている暮らしの時間は、今まで生きてきた時間軸を使うことで甦生していきます。子どもたちが真に豊かな時間を持てるように、この時代で逆行小舟と言われようとも子どもの憧れる生き方と働き方の実践を磨いていきたいと思います。

今度、法螺貝で時を知らせてみたいと思います。

伝統固定種の甦生

昨日は、自然農の畑で伝統固定種の堀池高菜の種どりをいつも親しくしている情報工学の学生さんや友人のご家族と一緒に行いました。新緑のいい風が吹いていて、今年は特に種をたくさん収穫することが目的でしたからしっかりと種どりを行いました。

もともと高菜というのは、漬物にすることで有名です。日本三大漬け菜として「高菜漬け」「野沢菜漬け」「広島菜付け」があります。そして九州を代表する漬物がこの高菜なのです。

高菜というのは、前にもブログで書きしましたが平安時代くらいに種が日本にも入ったといわれています。平安時代は8世紀末ですから1200年以上前からずっと日本で育ってきたということになります。日本の風土に根付いて、日本の味になり、さらに九州の風土の各地に根付き、それぞれの美味しさに進化してきました。

調べると西暦892年発刊の『新選字鏡』には高菜の事を「太加奈」と記載してあるといいます。明治時代には中国四川省から高菜の在来種というべき青菜が日本伝わり九州・東海地方に伝わったといいます。そこで九州では紫高菜、柳川高菜、相知高菜となり高菜漬に適した三池高菜になったそうです。もともと筑豊地域の高菜漬けはとても美味しかったと年配の方々からよくお聴きすることがあります。

炭鉱の時代、炭鉱夫はお腹を空かせてたくさんのお米を食べたことでしょう。その時、もっとも食卓でご飯の友として食べられたのがこの高菜だったことは簡単に想像できます。それが今では、飯塚のほとんどの農家さんが積極的に高菜を作っていません。

その理由は、やってみるとわかるのですが重労働にもかかわらず見合う収入が得られないということがほとんどです。高菜は安いわりに大変な労力がかかるのです。よくラーメン屋にいけば無料で高菜がついていたりします。他にもスーパーなどで販売していますが、どれも安いことが分かります。高菜イメージが安いというものでできていますから、それが高いと売れないという理由もあって農家さんの収入の役に立ちませんでした。

そういうことがあり農家さんの高菜離れが拍車がかかり今ではほとんど作らくなったということです。さらに福岡には三池高菜があり、その有名な高菜を種をもらい筑豊でも三池高菜の種を植えるようになりました。他にも大手種メーカーで自由に高菜の種を買えますからそれを植えています。そうするとそれまであった地元の伝統固定種と交雑しますし、さらには農薬や化学肥料をつかうことで本来の味わいも落ちていき形状も変わっていきました。

本来の伝統固定種というものが失われていくのは、こういった消費優先の経済活動によってそれまで醸成されてきた1200年の文化ともいえる進化が消失するのです。

よく考えてみたらわかりますが、今もむかしも重労働であったのは1200年間変わっていません。それでも人気だったのは、郷土の知恵料理であり、懐かしいふるさとの味を子どもたちにつないで残していこうとした先人の想いや願いもあったことがわかります。

それが今、安易に生活できないからという理由や便利さを優先し簡単に変化し守る努力を諦めてやめてしまえばそれまでの歴史も潰えてしまうのです。時代が変わっても流行で価値観が変わっても、変えてはいけないものがあると私は思います。それが未来への宝になり、子孫たちへの与贈になるのです。

必ず時が経てば、本当の価値や真実は時間と共に明るみになります。希少価値とはそういうものです。しかしその時にやろうとしても種が残っていなく栽培できる環境がなく、消えてしまってはあまりにも悔いが残ります。これを新しいテクノロジーを活用し温故知新して新たなものにし、新たな価値に乗せて守り育てていきたいと改めて感じる一日になりました。

手触りや手入れは、心とつながっていますから目的や初心を忘れることはありません。人間に寄り添うテクノロジーを私は突き詰めていきたいと思います。伝統と歴史、地域や風土、人、物、心の和合、堀池高菜からはじまる伝統固定種の甦生を楽しみにしています。

反省の大切さ

論語に「吾日三省吾身」というものがあります。これは「吾、日に三つのわが身を省みる。人の為に謀りて忠ならざるか。朋友と交わりて信ならざるか。伝えられて習わざるか」の孔子の高弟、曽子の言葉です。

反省というのは、自分自身の心に向かって内省していくものです。誰かの比較や評価ではなく、その日あったことを振り返り自分自身の心に訪ねて対話をしていくのです。本来の主体性というものは、一方的に外側から伝えられる情報では発生しません。外側で感じたことを内側でどのように感じたか、そして同時に人生の意味や目的や初心などを砥石にしてどのように磨いたかを確かめるのです。

人は失敗することで成長しますが、失敗は反省することで得られます。そして反省したら改善や修繕の創意工夫が産まれます。つまり反省をすることは、人生をよりよく生きる上で何物にもかえがたいものであるのは間違いありません。

松下幸之助さんはこういいます。

「誰でもそうやけど、反省する人は、きっと成功するな。本当に正しく反省する。そうすると次に何をすべきか、何をしたらいかんかということがきちんとわかるからな。それで成長していくわけや、人間として。」

そして稲盛和夫さんはこういいます。

「忙しい毎日を送っている私たちは、つい自分を見失いがちである。そうならないためにも、意識して反省をする習慣をつけなければならない。反省ある人生を送ることにより自分の欠点を直すことができ、人格を高めることができる。」

名経営者たちもまた、反省の大切さに気付き反省することで素直さや謙虚さ、主体性や純粋性などを磨かれ人間として成長を学び続けておられたように思います。

もともと反省は、自分自身との対話ですから一人でやっていくものです。しかしそれだけでは日本の伝統的精神の衆智を集めることはできません。だから私は一円対話という場を通して反省する仕組みを提案しています。

忙しくなるのは、振り返る「場」がないからです。

人は場があれば、その時間は丁寧にその場で自分自身と向き合うことができます。それをみんなで振り返ることができるのならみんなで自己内省したことを共有しあうことができます。

例えば、初心をみんなで振り返る場があればみんなが主体性を発揮して改善していく組織になります。誰かと比較や、思い込みやバラバラになるのではなくそこに確かな協力や共有が深まります。つまりバラバラでも内省によって繋がりあう関係が結ばれるのです。

これを自律分散型の組織という言い方もします。振り返りは、自律や協力をしていくための土台です。これはまず自分自身がそうなっているのかということを振り返ることが前提になっています。自分というものとの付き合い方がととのってないのに、周囲の人との関係をととのっていくことはできません。

自分自身をよく振り返る人は、自立していきます。子どもたちにもその時間や場を設けることの大切さを伝えていますが、そこに関わる方々の場もととのえていく必要があると感じています。

だからこそ論語にある「三省」が大切になるのです。徳もまた内省によって磨かれていくものです。引き続き、生き方を通して一人一人が自分らしく仕合せに生きられる社会のために自分自身と丁寧に一円対話していきたいと思います。

大切な一歩

日本には古来から今まで続く伝統の精神があります。これはずっと先祖代々、親祖から今まで大事にしてきた心であり私たちの基礎や土台になっている重要な文化の源泉でもあります。

つまり何を大切にするかということを、代々、伝承して磨いてきた私たちに備わっている精神文化です。これは空気のように当たり前になっていて気づきにくいものですが、それぞれの民族にはそれまで連綿と続いてきた伝統が必ずあります。伝統とは、伝承されてきた歴史のことです。

この歴史は、風土の影響を受け、或いは、ご縁の影響を受け、また或いは偉大な先人の確立した哲学や実践の影響を受けたものかもしれません。私たち日本人が、よく感じている空気感、場や間、和などもまた日本的精神文化であることは間違いないことです。

ここから何が分かるかと言えば、一つは八百万の神々という言い方があるように多くの神様の意見を集めること。八意思兼神を私も邸内社でお祀りしていますがこの神様は神々のファシリテーターのような役目で一円観を持つ偉大な先祖でした。

もう一つは、徳を重んじることです。自分の主体性を発揮し、自分らしくイキイキと楽しみ喜びながら周囲の喜びになっていくという姿。日本人の仕事観は、本来は「ハタラキ」といって自然のように自分自身を主体的に発揮してみんなのお役に立っているということです。つまり、みんなの働きにみんなで感謝しているという状態。いつも働いてくれてありがとうとすべての存在に感謝しているということです。

さらに一つは、繋がりの中に生きているということです。常に一緒に生きているという存在として思いやりを忘れていません。和の心とは、調和のことですべてのご縁を大切にして繋がっていることを忘れないという生き方です。このつながりに何か大切な意味があるとし、そのご縁の糸を丁寧に丹精を籠めてつなぎます。ご縁をみんなで尊重し合うのです。

日本人は、本来、そういう精神文化の土台の中であらゆる世界の文化を取り入れてj文たちの文化の上に重ねてきました。土台があるから、器があるからそこに盛ることができるのであってそれがなくなればただ散らかっている部屋のようになってしまいます。

今の世の中の問題を眺めてみたら散らかし放題で片付ける人もいなくなっているように感じるのは私だけでしょうか。子どもたちはその散らかった部屋で居場所がなく、あちこちとさ迷ってしまいます。

先人たちの今までの生き方を見つめるとみんな子どもたちにその伝統精神をどう譲っていくかを苦心して努力してきた存在であったことがわかります。

その証拠に、行事や御祭りをしたり伝統的な暮らしをととのえていく場をたくさん用意して反省を続けた形跡があります。

この時代は世界の文化が混じり合っている世紀ですがだからこそ自分たちの文化をちゃんと学び直す必要があると私は思うのです。私の暮らしフルネスは小さな一歩かもしれませんが、先人たちが紡いできた長い道のりの大切な一歩です。

真摯に子どもたちのために、自分の天命をやり切っていきたいと思います。ありがとうございます。

屋根を支えよ、いのり続け世

昨日は、日本茅葺き文化協会主催の茅葺フォーラムに参加してきました。全国各地から茅葺職人さんやその文化を守ろうとする方々が参加しておられました。私もはじめて参加しましたが、会場も熱気がありこの先の未来が楽しみになりました。

私は、有難いことにここ数年の数々の甦生を通して多くの伝統文化に携わる方々と交流を持たせていただきました。文化や歴史と共に歩んでいる方々はどの方も力強く、そして守り守られているような雰囲気があります。

代を重ねるというのは、それまでの代々の遺志を繋いでいるということでもあります。これは生き物たちが子孫を残して今につながっているように、脈々と受け継がれていく智慧があります。この智慧を一つ、自分が担っていると感じるだけで天命を味わえるものです。自分の中に何を残してくださっているのか、自分の中に何が受け継がれているのか、その一つ一つをひも解けば自分の使命を自明していくことも可能です。

個性や能力、そしてその人の宿命や運命は、自ら求めなくても自然に導かれていくものです。この道に入っているのも、また日々の出会いも、どれもこれもが文化の顕現したものです。

歴史の面白さはその謎解きでもあり、解明でもあり、新たにそれを見守り育むことができる仕合せを感じられることでもあります。

以前、ブログにも書きましたが聖徳太子が「屋根を支えよ、いのり続けよ」という縁の下の舞のことを書きました。茅葺の屋根は、みんなで葺いた屋根でその一本一本を重ねて束ねたものです。それが自分の家を守っているということを教え、そしてそれをみんなで葺いたということを忘れるなとし、さらにはその重たい屋根をみんなが支えていくようにと初心を舞いで振り返るようにしました。そのうえで、いのり続けよとは、別の言い方では永続する平和の世がいつまでも続きますようにと願いなさいとしたのです。

まさに茅葺は永続の平和の象徴であり、この屋根が多くある日本こそが世界でもっとも自然と共生し永続し循環する仕組みを大切に守る国であるという理念が顕現した国だったのです。

今の時代、先祖たちはきっと心配しているでしょう。しかし、それでもこうやって屋根を守り、祈り続ける人々がいることで安心してくれているでしょう。今までの歴史を省みても、文化を守ったのは大勢いではありません。どのような困難な時も、繁栄のときも、文化を守ったのはごく一部の限られた人たちです。その人たちの純粋で真摯な生き方や生き様によって今の私たちも文化の恩徳・恩恵を享受されているのです。

文化は消えそうなとき、そして失われそうなとき、もっともそこに力が凝縮するものです。その一本の糸は、簡単には切れることはありません。まさにその瞬間も結び続けます。「結」とは、そういう縁「むすび」のことであり必ず守られるという意味でもあります。

日本の茅葺き屋根の文化がこれからこの世界を変えていく気がしています。子どもたちのためにも真摯にその意味を伝承していけるよう守静坊と共に歩んでいきたいと思います。

挑み甲斐

昨日は、英彦山の守静坊でこれまでの茅葺職人さんはじめ大工さんらをはじめお手伝いいただいた方々の労をねぎらい感謝と茅葺屋根完成のお福分けを行いました。お赤飯をみんなで食べ、御餅まきも行いました。

茅葺と大工の棟梁もどちらも今までで一番大変な現場であったことを話されました。そういう私も、凍てつく寒さと難工事で今までで一番大変だったかなと思い返していました。そう考えてみたら、何が大変だったのだろうかと振り返ります。

山奥の谷で車が入れずに荷物が運べないことだろうか。あまりの寒さで思考が止まるほどで作業もできず頭痛が酷かったことだろうか。休みがほとんどとれず、土日や一晩中、この甦生に取り組んだことだろうか。トイレも遠くまでいかないとなく、水も凍っていたことだろうか。史跡でほとんど変更できないなかで判断が難しかったことだろうか。いにしえの宿坊ということもあり、間取りも換えずに先人の遺したものをできるかぎり使ったことだろうか。資金がほとんどないなかで、金額を意識せずに本物の素材や仕事にこだわったことだろうか。祈りの場ということもあり、心を常につかっていたことだろうか。家からの往復約2時間を半年間通いつづけたことだろうか。重たい荷物を必死に運び続けたことだろうか。業者さんとの打ち合わせをなんどもなんどもやり直したことだろうか。

いろいろと思い返すと、そのどれもは確かに大変なことでした。しかし、大変だっただけで終わってしまえばそのどれもが命を懸けて取り組んできた自分の精いっぱいだったことであることがわかります。決して、それは嫌々であったことではなく誇りとして胸をはれます。

先ほどの棟梁たちも、大変だったが嫌ではないということは事実でしょう。それは私も同じく、大変な現場だったからこそやり遂げたときよくやり切ったという誇らしい気持ちになり充実した時間を過ごしたことへの感謝があります。

私たちは大変だからと避けるのではなく、大変なことだから挑み甲斐があると思うとそこに大事な時間が活かされるように思います。これからますます子どもたちに先人の智慧や日本の真心を伝承するために挑んでいきます。

これまで本当にありがとうございました。この御恩は一生忘れません。真摯に、徳を磨いていきたいと思います。