千葉の神崎にある伝統的な酒蔵に寺田本家があります。この酒蔵の23代目当主、寺田啓佐さんが「発酵道」というものを著書で書き記しました。この発酵道には、ご自分の体験を通して腐敗と発酵が醸し出すその価値が語られています。
腐敗もまた発酵であるといい、発酵するためには腐敗も必要と説きます。よくなるためにわるくなる、それも発酵であるといいます。その腐敗と発酵を繰り返すことで何を学ぶか、「うれしき たのしき ありがたき」といってなんでも楽しいものにしていく姿の中に本当に美味しいお酒が醸造できたといいます。
いくつかその寺田啓佐さんの言葉を引用してご紹介します。
「大事なことは、腐敗から発酵の方へ変わっていくと言うことである。否、発酵するために腐敗現象が起こると言ってもいいかも知れない。つまり、良くなるために悪くなると言うことである。いろいろな問題、災い、トラブル、病気など、良くなるために起きるのかも知れない。」
人は色々なことが起きます、自分にとって病気や災難はつらいものですがそれはすべて発酵のための腐敗現象かもしれないといいます。良いか悪いかではなく、発酵がはじまっていると思い腐敗と如何に調和して発酵させる状態にするかがはじまったということです。
そして寺田さんは微生物も人と同じであるとし、微生物から生き方を学びます。
「人間は脳を使えば使うほど自分のエゴに走り欲望と感情に巻き込まれてしまう。その原因を追求していくと過去の記憶にあるようなのです。ところが微生物はまさにあるがまま、目の前の今をどう心地良く生きていくかなのです。だから人間も過去にとらわれず、常岡先生の言うように手放して頭を空っぽにし、中心を取っていけばいいのです。でもそれも怖くてなかなか手放せない。自分はたまたま飛び降りるしかないというところまで追い詰められて、そして飛び降りたら「な~んだ、こんな世界があったのか」と気づいたのです。」
脳で考えるときは過去の記憶に囚われてしまう。原因は過去の何かに囚われて感情に巻き込まれて迷い苦しみが発生するといいます。しかし微生物は如何に今をどう心地よくして生きていくか、自分らしく、あるがままを受け容れて無理をせずに心地よく生きていくというのです。思い切って手放して諦めて流されるままに流れてみたら新たな世界に出会うといいます。
私の解釈では、「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」ともがくのやめてみれば次第に浮き上がってくるというのと同じです。そうしていると腐敗が発酵に切り替わり、ブクブクシュワシュワと楽しそうに微生物は醸します。そこには腐敗も発酵もどの微生物もつながっていてすべては発達のために必要だったという出会いがあります。発達することが発酵することですから、みんなそうやっていのちは終わることなく繰り返され今に受け継がれているとも言えます。
「発酵してくると、魅力的になる。自分が大好きになる。まわりの人が、あなたにまた会いたくなる。」
そのままの自分、あるがままの自分を好きになることは発酵することです。腐敗を否定し排除するのではなく、腐敗している自分を認め、その腐敗を許し、腐敗も発酵になることを信じてゆっくりと醸成していけば自分のことが大好きになります。そうやって苦労を糧にして忍耐を学び、成熟していく人には周りがその人を必要としていくからです。
本当の自分を取り戻す方法が、この寺田さんの生き方、「発酵道」の中には詰まっています。
最後に、私も発酵を学ぶ人間としてとても共感する言葉がありその寺田さんお言葉で締めくくります。
「松下幸之助も「愉快に生きると幸せになる」と言っている。これから我われは、本物の時代、魂の時代、心を洗って、魂を磨いていく時代に入っていく。そして「みんなもともと一つだ」と言う、ワンネスへと向う時代である。そんな時代に上手く行くコツは、決して「清貧の思想」という、清くて貧しい生き方をすることではない。清くても豊かに生きるという「清富の思想」で生きることである。それが実は、自然に生きると言うことである。
自然の正体は親心である。まさに慈しみと愛である。親の心と一緒である。自然に沿ったらうまくいくのは、自然が愛と慈しみで出来ているからである。だから、自然に逆らって、上手く行ったためしがない。一時は上手く行っても、また腐ってきてしまう。
自然の慈しみと愛を受けて、発酵すれば、人生でも、商いでも、みんなうまくいってしまう。それがこれからの魂の時代の生き方である。」
魂の時代の生き方である・・・引き続き、自然から学び、微生物から学び、本来の自分、主人公としての自分を醸成したいと思います。