人類の叡智

昨日は、社内で今年初めの「磨き初め」を行いました。年始に今年自分が深めていくテーマを漢字一文字に託し、それを一枚の貝に刻み、紙やすりで磨き光らせるという実践です。今年は磨き合いといって、仲間と一緒に手を取り合って手のひらにのせて貝を磨き合うということも行いました。

相手の手をお借りして磨き合う、その後は相手の貝を自分が代わりに磨き合う、その一つ一つのプロセスはとても豊かで助け合い生きていく人間本来の姿を現しているようで仕合せな磨き初めができました。

私たち人間は本来、自然の中で生き残るためには協働しなければここまで生き残ることはできませんでした。弱肉強食というのは人間の刷り込みであり、本来、自然では生き残るものが強者であって力が強いものが強者ではありません。生き残るためには、お互いに助け合わなければ生きてはいけなかったのです。

今の時代は個人主義が蔓延し、税金を払えば国の社会制度によって守られるため協働しなくても個人で生きていけると勘違いしやすい世の中です。しかし人は決して一人では生きられず、誰かの助け、言い換えるのなら多くの人々の御蔭様によってはじめて生き残ることができます。

そして人間は我慾によって利己的になりますから、それぞれで己を磨き利他的になっていくことで生き残る力を守ってきたとも言えます。これは単に何かをやすりで磨けばいいということではありません。

仲間とつながり分かち合い助け合う能力を磨くということが、本来の「磨く」ということなのです。

あげるからもらうへ、もらうからあげるへ、御蔭様とお互い様に生きていく、、、これを二宮尊徳は推譲と分度という言い方をしました。本来の人間らしく生きていくためにも、お互いの絆を深めていくために思いやりの社會を実践していくこと、それは「つながる」チカラを守り続ける人類の叡智です。

そのつながり続けていくためにお互いが磨き合うのが叡智そのものなのです。だからこそ私たち人間は、仲間との絆を守って助け合って共存共栄する互恵恩徳社會であったことを忘れずにその叡智であった人類のことを信じ切っていることが何よりも肝心なのです。人類はそうやっていままで生き延びたのだからまたそうなるのは揺るがないというのは自明の理だからです。

引き続き、磨くことを通して「徳」を高めていけるようこの一年もまた精進していきたいと思います。

士魂商才~日本人の真心~

士魂商才という言葉があります。これは簡単に言えば武士の 精神と商人の才能を兼備することと言われます。かつて明治維新後、または戦後には侍のような商人がたくさん排出されました。いや商人に限らず、侍のような人物たちが各分野でそれぞれに志を立てて命がけで取り組んでくださったから今の日本はあるとも言えます。

私たちはその民族の血の中に、その士魂という誇りを持っています。日本的な精神とは、仁義礼智信を重んじ自反慎独していのちを懸けて理想のために生きる道です。つまりは生き方を大事にしていくというところに武士道があります。

今では生き方というよりも損得や利害ばかりを優先して、自分を守るばかりで自分以上に大切なもののために命を懸けるということもなくなってきているように思います。世界から尊敬される日本的な美しい生き方は、目に見えないすべてのいのちに対して感謝のままに恩返しをしていこうという真心の生きざまです。

士魂商才と言えば、出光興産の創業者出光佐三にこういう言葉が遺っています。

「生活を質素にしたり、われわれが経費を節約するというようなことは金を尊重することで、奴隷になることではない。それからまた、合理的に社会・国家のために事業を経営してそして、合理的に利益をあげる。これは金を尊重することだ。しかしながら、昔の商人のように人に迷惑かけようが、社会に迷惑かけようが、金を儲けりゃいい。これは金の奴隷である。それを私はとらなかった。
しかし、私は金を尊重する。昔の侍が金を尊重することを知っておったならば私の先生が私に書いてくださった額にあるように士魂商才 侍の魂を持って商売人の才を発揮せよ。この士魂商才が武士によって発揮されて日本の産業は、明治時代に外国のいいところを採り入れて、りっぱな事業家がたくさん出たと思うのです。 」

商人には利の道というものがあります。言い換えるのならどのように稼ぐのかに志が必要です。世の中が道徳的な経済が豊かになるようにその事業の在り方に徹底した哲学と理想の実践が求められます。それが相まってこそ侍の精神のままに生き方を貫いた日本人らしい生きざまが出てくるようにも思うのです。

人としてどうあるべきかという問いは、古来より私たちが当たり前に持っていた自然的な思想です。その自然的思想は、呼吸をするように、ご飯を食べるように、寝ることのように当たり前に私たちはそれを日常の暮らしの中で大切にしてきた民族です。

真心という言葉は、頭で行うものではなく生き方で証明するものです。

子どもたちに遺して譲りたいものとして、この士魂商才は何が何でも死守したいと思います。引き続き、今年の方針を見つめながら理念の実践を厚くしていきたいと思います。

心の友

人間は理想を掲げ純粋な心を守ろうと生きていけば様々な苦労が訪れるものです。流されて生きていくことを選ばずに本質を守り続けて生きようとすれば心は疲れます。しかしそんな時、道の途中で同じ志の戦友に出会い語り合えることは仕合せなことです。

純粋な心を亡くさないようにと心を守る守り人は、必ず志と伴にあり時折その苦労を分かち合う人たちとの出会いで勇気をいただき元気になるものです。私はこういう人のことを心の友と呼びます。

心の友と言えば、五輪真弓さんという歌手の詩があります。

「あなたから苦しみを奪えたその時
私にも生きてゆく勇気が湧いてくる
あなたと出会うまでは孤独なさすらい人
その手のぬくもりを 感じさせて」

同じ苦しみや分かってもらえていない本当の心や本心をわかってもらえる存在に巡り合えるというのは勇気が出てきます。人はみんな自分の本心を自分で守り続けてきました。それを守り通せる人たちは少なく、傷つくことを恐れては周囲に迎合したり周りを卑下したり自分が割り切ったりして自分らしくいることを諦めてしまうものです。

しかし本当の心には嘘はつけませんから、それを信念をもって守る時、人は周囲の誤解を受けたりします。その周囲の誤解があってもこだわりが強いと嫌煙されてもそれでも自分の信念を守ろうとするとき、心の友が顕れるのです。同じように心を守り続ける仲間は、唯一無二の友だちです。一生一笑の友達ができるというのは、道を歩んでいるからこそ顕れます。私の場合、子ども心を守っている人たちはみんな大切な「心の友」です。そんな心の友たちの子守歌(ララバイ)の続きです。

「愛はいつもララバイ
旅に疲れた時
ただ心の友と
私を呼んで

信じあう心さえどこかに忘れて
人は何故 過ぎた日の幸せ追いかける
静かにまぶた閉じて心のドアを開き
私をつかんだら 涙ふいて

愛はいつもララバイ
あなたが弱い時
ただ心の友と
私を呼んで

愛はいつもララバイ
旅に疲れた時
ただ心の友と
私を呼んで 」

心の友との出会いが旅を美しく明るく幸福を豊かにします。出会いや御縁が人生そのものを彩りますから、心の友はその美しい風景の大切な時めきです。引き続き、信念を見守り育て自分のやるべきことを自分のあるべき場所で遣り切っていきたいと思います。

野聖の道

二宮尊徳の道を深めていると如何に天地の経文を読み解き、その自然から学びそれを人類の救済のために活かそうとしたかという姿に畏敬の念を感じます。人にして人にあらず、まさに自然と一体になって実地実行の真心を盡す姿勢には聖人の気配を感じます。

私が尊敬する生き方もまたこの野聖であり、天地自然そのものと対話し本来の道を求め極めていくことです。その足跡が遺っていることに、有り難さと誇りを感じます。二宮尊徳は至誠と実行ということを何よりも重んじました。

「人生れて学ばざれば生れざると同じ 学んで道を知らざれば学ばざると同じ 知って行うこと能はざれば知らざると同じ 故に人たるもの必ず学ばざるべからず 学をなすもの必ず道を知らざるべからず 道を知るもの必ず行はざるべからず」

人は生まれても深めようとしないのでは生まれていないのと同じであり、深めても実践しなければ深めていないのと同じ。わかったからといっても、それを活かそうとしないようでは分かった気になっているだけで何の役にも立たないから人は必ず深めたことを実行しなければならない。そうやって真心で実行するものは道がわからないはずはない、だからこそ道が分かる人は必ず実地実行を已まないのである。

深めて実行すること、それを活かすこと、常にそれが学問であり道であるというのはそれが天地自然の理だからです。間違った学問は知識だけを増やし認識だけができても現実が何も変わるわけではありません。自分が知って気づいたのならば、それをすぐに行動に移して世の中に一つでも貢献していくために実行するのが本物の学問なのです。

天地の経文は嘘がなく、自然は素直そのものですから如何に謙虚にそこから学ぶかはその人の生き方に由るのです。

西郷隆盛は二宮尊徳を評して「尊徳に師なし。彼れは全てを活用して学んだのであって、故に彼の為したる事績は尽く活きたる学問である。いわゆる学問を活かして実際に応用したる人なり」といいました。

二宮尊徳にとっての師は、道そのものであり自然に発生するご縁から学びそれを活かしたということです。だからこそ二宮尊徳の遺したものはすべて活きた学問になっている。それを応用して人々を救済しているからこそ二宮尊徳は野聖なのです。

来たものを選ばずに活かそうとしても道はまだまだ遠大です。引き続き、日々の実地実行を怠らず精進していこうと思います。

革新の心

昨年は伝統に触れる一年になりましたが、その中で伝統は革新を持って維持されていくことを実感しました。なぜ伝統が革新が必要なのか、それは単に真面目に受け継いでいても続くことがないからです。

この革新は遊び心から産まれます、それは好奇心で楽しんで面白がっていく中にこそ、その伝統を維持する本質があると私は思います。伝統とは本来楽しいものであり、その楽しいものを味わいながら常に新しくしていく中に本当の伝統は息づいているからです。

昨日も人類がこれまで生き延びたのは子育てが楽しかったからという話がメンターからありました。大変でも苦しくても楽しいというのは、その楽しさは単なる表面的なものではなく奥深く味わい深いものを感じているということです。

福岡県八女郡広川町地域に二百十年の伝統の歴史を持つ「久留米絣」というものがあります。この伝統は幼い少女の好奇心から生まれたといわれます。この久留米絣は1800年頃、井上伝という当時12歳だった少女が自分が着ていた藍色の着物に、色が抜けて白く斑点になっている部分を見つけて「これはどうなっているんだろう」と興味を抱くことにはじまったものです。

単に大人から見ればただの色あせた着物ですが、井上伝にはこの白い斑点が藍色一色で地味な着物を飾る楽しい模様に見えたといいます。そしてはた織が得意だった伝はそれを解いていく中でその糸と同じになるように何本もの白糸の束を他の糸で括って藍で染めてみました。この紺と白でまだらになった糸で織ってみたという逆転の発想が革新を産み、これが二百十年年続いた久留米絣誕生になりました。その井上伝の遊び心から生まれた藍地に白の模様が施された織物はその後は藩の財源になるほど普及していったといいます。

この井上伝の遊び心がなければ伝統は発生せず、その遊び心が伝統の本質を引き出していったと言えます。伝統は何を継承しているのか、そこにはその伝統を楽しむものたちによって受け継がれていくのです。

私は伝統から最も学んだことはこの遊び心です。その革新の心です。

今年はその学んだことを活かす一年ですから、より楽しく味わい伝統の醍醐味を味わい確かな日本の古来からの伝承を一つ一つ復古創新しつつ受け継いでいきたいと思います。

 

地縁血縁

昨日、親戚の集まりがあり父親の兄弟とその子どもたちや孫たちと一緒に会食を行いました。一時期は途絶えていましたが数年前より父親の声掛けで正月に集まって食事会をすることになりました。私の幼いころは、よく祖父の家で正月に集まり賑やかに朝から夜まで歌ったり飲んだりと大人たちが騒いでいたのを思い出します。

最近ではその親戚の集まりが嫌だからとその関係も変わってきています。確かに個々のプライベートが尊重され過ぎればわざわざなぜ集まるのかと疑問に思うのかもしれません。

私たちが言う親戚とは血縁関係ある人たちのことを言います。この血縁とは何か、念のためウィキペディア百科事典によれば「血縁(けつえん)とは、共通の祖先を有している関係、あるいは有しているものと信じられている関係を指す。」とあります。

そういう意味では先祖が同じである日本人同士もまた血縁だとも言います。さらにこう書かれています。「中世以前の社会や、開発途上国では、社会で重要な位置を占める。子供・老人・病人・障害者がいる場合にも、国家に福祉政策の観点がないからである。必要性から、このような社会では血縁を拡大解釈し、濃密な関係を維持しようとする(大家族主義)が、先進国(特に新中間層の核家族生活者)では必要性が少なく、プライバシーに干渉されることを嫌う傾向が強いため、縮小解釈して淡白な関係に留めようとする。」

今では変わってきたかもしれませんが20年前に中国で仕事をしていた時に中国人たちが血筋を辿って縁者と結び合うことを重んじていることを学んだことがあります。中国人にとっては血縁関係や地縁関係は伝統的な儒教文化の倫理基盤になっていて一番信頼できる人的なネットワークになっていました。言い換えれば逆に血のつながっていない他人はいつでも裏切られる位置に据える存在で、警戒すべき対象となっているとも言えます。

ここまでなくてもこの血縁というのは助け合いをしていくときの道徳的理由になっていたのでしょう。日本も中国とまではなくても親戚が集まる伝統がまだまだ残っている国です。ウィキペディアには地縁についてはこう説明書きがあります。

「日本においては、中世武家社会の成立とともに血縁よりも地縁を優先するような社会が形成された。氏族の名は、血縁関係を意味する「姓」ではなく、多くは地名に由来する「苗字」を通称するようになり、地縁の中心として村々には鎮守が設けられ、各地で祭典がおこなわれるようになっていった。「遠い親戚よりも近くの他人」の言葉もあり、日本は世界的にみれば地縁的要素の濃厚な社会といえる。」

鎮守とは、地域の氏神様、土地神様、その地域の神社のことを指します。つまりはこの地域のつながり、地域で助け合う人たちの集まりを神社を中心にして関係を結んだのです。

親戚の集まりと同じように、その土地で暮らす人たちの集まりを実施することでお互いの繋がりや関係性を確認したのが以前の私たちの伝統だったのでしょう。

福祉国家ができて、国家とのつながりが優先され国家と個という結びつきの中では親戚の集まりも地域での集まりもまた必要がなくなってきたということでしょう。かつてあったものが近代国家の形成と共になくなってきていますが、そのために血縁関係と地縁関係が薄れてしまい本当に個々がバラバラになってしまったようにも感じます。税金を支払っていれば自分が国家において保障されるというのはこの血縁と地縁を勘違いしてしまうのかもしれません。

本来は何のためにつながっていたか、それは日ごろの御恩に感謝しつつ助け合いお互い様お蔭様を確認したものもあったのでしょう。公民館も自治会も活動が途絶えて、より田舎にも都市化の波は押し寄せてきています。この時代、改めて関係を再構築し結び直す意味や方法を刷新していく必要を感じます。

今年は地縁血縁を見直し、かつての家という概念を復古創新してみたいと思います。

 

真の学者、真の学問

今年も無事に萩にある松陰神社に参拝することができました。毎年欠かさず24年間、一念発起してから初心を忘れずに今でも実践が続けられていることに改めて感謝します。

私は吉田松陰の生き方に触れ、魂が揺さぶられ如何に義に生き切るかということの大切さを学びました。その人の功績よりも、その人自ら背中で語る生き様に日本人の美しい精神、純粋な真心を学びました。

吉田松陰は思想の方ばかりを注目されますが、私はその真心の方に心を打たれました。真心の生き方を貫いた人物でこれほどの純粋無垢な人物が先祖にいたことに何よりも誇りに思います。

松下村塾には、竹に刻まれた「松下村塾聯」というものが掲げられています。これは吉田松陰が27歳の時に刻んだもので、塾生たちの最も目に入るところに掲げて戒めたものです「刻む」というのは忘れてはならないという意味です。

「万巻の書を読むに非ざるよりは、いずくんぞ千秋の人たるを得ん。一己の労を軽んずるに非ざるよりはいずくんぞ兆民の安きを致すを得ん」

一般的にはこれは「たくさんの本を読んで人間としての生き方を学ばない限り、後世に名を残せるような人になることはできない。自分がやるべきことに努力を惜しむようでは、世の中の役に立つ人になることはできない」と訳されています。

私の意訳は、「立派なご先祖様たちの生き方を文字や言葉を通して学ばない限り、同じようにご先祖様と同じような立派な存在になることはありません。そして自分自身の人生を自分のことだけに使い、世のため人のためにする苦労を自ら避けようとするようではとても社會を平和に変えていくことはできませんよ。」としています。

この書を読むことと苦労は一つであるとしているのです。

「日本の国柄を明らかにし、時代の趨勢を見極め、武士の精神を養い、人々の生活を安らかにした歴史上の秀れた君主や宰相の事蹟や世界の国々の治世のしくみを調べ、一万巻の本を読破すれば、つまらぬ学者や小役人にならなくてもすむ」といいます。

ここでのつまらぬというのは、「そもそも、空しい理屈をもてあそび、実践をいい加減にするのは、学者一般の欠点である」という意味と同じです。思想だけを弄び決して自分では実践しないでは世の中は何も変わらないから言ったのでしょう。

吉田松陰は真の学者、真の学問をするように学友や仲間たちに説きました。それは富岡鉄斎の座右「万巻の書を読み 千里の道を行く」に通じるところがあります。これは書を読むことと道を行くことが同じであることを意味します。つまりは「道を深めよ」という学問の本質が隠れていると思うのです。

吉田松陰はこういう言葉も遺します。

「井戸を掘るのは水を得るため、学問をするのは人の生きる道を知るためである。水を得ることができなければ、どんなに深く掘っても井戸とは言えないように、人の生きる正しい道を知ることがなければ、どんなに勉強に励んでも、学問をしたとは言えない」

人の生きる道を学ぶ道場、それが松下村塾であったと私は思います。志とは継続することで磨かれるもの、そして実践することを深めることで実現していくものだからです。常に学友と共に持ち味を活かして磨き合うところに、学問を活かす道があったように思います。

『学問とは何のためにあるのか。』

これをまずはじめに考えなさいと「聯」に刻まれているようで、松下村塾に行くとその初志を観て心が引き締まります。

時代を越えても時空を超えても志によって人々に勇気を与え道を示してくださる、まさに師と言います。私は生きている人をメンターと呼び、亡くなっている人を師と呼びます。

真の学者、真の学問を極めてご先祖様と同じように徳を磨き社會を豊かにしていけるように今年も精進していきたいと思います。

プロセスの価値

元旦から自然農の高菜の畑で草取りと一緒に移植作業を行いました。毎年ご縁あった方々やお世話にになっている御恩人の方々にお送りしていますがこの一年の巡りの一つ一つのプロセスを伝えられているだろうかと思いながら作業をしました。

実際に漬物にしてお渡しするまでには、この高菜との一年のめぐりが凝縮されています。自然農ですから無肥料無農薬で耕さず草も虫も敵にしない農法ですからかかる手間暇は一般の農業とやり方が完全に異なります。それに漬物も古来からの方法で天日干し、自然塩、野生うこんを使い吉野杉樽で寝かしていますが漬け換えなども苦労します。数多くの苦労の上に、はじめて高菜を私たちがたべることができています。

今の時代は、プロセスは見せずに完成品だけが売買されています。形さえ本物に似ていればそのプロセスは見せようとしません。だからプロセスをどのように便利に誤魔化しても結果さえ似ていれはそこは誰も見向きもしないのです。お金で買って渡すものはプロセスがあまり語られることがありません。

しかしこのプロセスこそが本来は本物かどうかを決めるのです。

見た目だけ取り繕ったとしても、プロセスが異常であるのなら本来のものとは異なります。本来のものや本物とはプロセスがもっとも理に適っているということです。それは誤魔化したりサボったり見せかけたりせずに丹精を籠めて心を用いて丁寧に真心を盡していくということです。

こういう一つ一つができてこそはじめて自然農になっているとも言えます。いくら無肥料無農薬だから自然農というのではなく、自然と共に謙虚に一緒に共生していくプロセスがあるからこそ自然農とも言えると私は思うのです。

これは生き方も同じく、どのようなプロセスを持った生き方をしているか。言い換えればどのような生き様をしてきた人か、人は同じくそれを観て本物か偽物かを見極められるのです。

このプロセスを観るということが、そのものの真価を確認することになります。そしてそれは言わないとわからないものですし、見せないものだからこそ心で感じる必要があるのです。心を伝えるというのは、このプロセスを伝えるということです。そしてそのプロセスは必ず伝わっていきます。心は通じ合い伝わり合う性質があるからです。

まだまだ草取りは数日かかりそうですが、今年はこれらの経過も記録し高菜をお渡しする皆様にプロセスの価値を伝えていきたいと思います。

2017のテーマ

昨年は伝統を通して、本来の姿を見つめた一年になりました。かつての先祖たちがどのように暮らしてきたかを知れば知るほどに自然と一体になり、自然に親しみ、自らを慎み、素直に謙虚に生きてきた様子に日本人本来の当たり前の姿を観た気がします。

昨年はもののはじまりを知るがテーマでしたが、すべての物事には起源がありその本質を見極めれば何が異常で何が正常であったかがわかります。今の世に照らして、正常が何であるかをつかむというのは本質的に生きていくことを大切にしていく上では何よりも重要な実践項目になります。

先日、熊本県八代市のい草農家の草野様が聴福庵に来庵した際に「こだわり」と「当たり前」についてのお話をしてくださいました。

草野様が見守り育てているい草は、品質、出来栄え共に「本物」で熊本でも有名で若い人たちの指導もなさっているそうです。そのい草を聴福庵に入れましたがその輝きや美しさ、また触り心地などすべてにおいて素晴らしく、い草本来の徳が引き出されているように感じます。

この草野様のい草づくりはとても手間暇と丹精を籠めてあり、通常ではここまでやるかというくらい徹底して丁寧に育てられているそうです。それを見た周りの人たちは「あそこまでこだわれない」とか「草野さんのこだわりはすごい」などと評するそうです。

しかし本人は「こだわり」だと言われるのは好まず、これは「当たり前」のことだといいます。このこだわりと当たり前の間には、異常と正常の違いがあるのです。

今では心を籠めないで頭でっかちに計算をして取り組むことの方を当たり前だとなってます。しかし古来のように丹精を籠めて丁寧に心を使い手間暇をかけることはこだわりだと言われます。私も様々なことを徹底して実践するタイプですから周囲からはこだわりが強い人だと言われます。しかし私自身は同じくこだわっているのではなく、真心を用いるのは当たり前のことなのです。

メンターと共有した今年のテーマは「常」です。つまりは「平常心で心を乱さない、心のままでいること」です。

常は平ともいい、その常とは平常心のことです。これは心のままでいる、本質が観えてきているから、表面的なものにあたふたしないで心のままであり続けます。心の世界で取り組むのならば常に本質を維持できますが、心から離れればすぐに本質がブレてしまいます。

本当のことや本物にこだわるのは、それがかつては当たり前であったからです。そしてそれが今、最も危うい状況になっているからです。作物を育てるのも人を育てるのも心を用います。心があるからこそ理に適います。つまり「心即理」なのです。

だからこそ今年はその当たり前をさらに深めて、こだわりとか当たり前とか区別されないくらいの自然な姿に私自身近づいていきたいと思います。子どもたちが何が当たり前であるかに気付けるように平常心を大切に取り組む一年にしていきます。

今年もよろしくお願いします。

修繕の心~いのちの記憶~

今年は様々な古い道具を修繕し甦らせ活かしていくご縁が多かったように思います。どれも年季が入ったもので、ほとんど壊れていたものをちょっとずつ直してもう一度大切に一緒に生きていく仲間にしていきます。

物には思い出が宿っています。私のところに来たときは、その思い出と一緒にやってきます。その思い出を拭き清め洗い清めてもう一度、一緒に再出発します。どこまで一緒に居れるかわかりませんが、新しい思い出を一緒に創り上げていくのです。

蔵や倉庫に眠っていたものは、再びご縁があったものと一緒に結ばれます。お互いに呼吸仕合、互いに活かしあって日々を積み重ねていきます。これが共に生きるということです。

物は壊れることもありますし、また壊されることもあります。今年は壊される現場も見ましたし、骨董で捨てられていく現場も見ました。物には心がないと思っている人もいますが、実際には物には心があります。それは古いものを修繕し活かしてみるとすぐにわかってくるものです。

もう一度、役に立てる仕合せ、そして活かされる喜びは心が通じ合ったときに響いてくるものです。だからこそ勿体ないという心が結ばれるのです。今、時代は大量生産大量消費の社会ですから直せる人や修繕ができる人が次第にいなくなってきています。

まだまだ活かせるものを、寿命が来る前に廃棄してしまうというのはいのちの世界から観ればとても寂しくつらいことです。古いものに価値を見出し、その古いものを新しくするというのは修繕の心です。

思い出が宿っているものをどのように大切に扱っていくか、その思い出を美しいままにどのように包みこんでいくか、そしてその思い出が籠ったものをどのようにいつまでも大切にしていくか、その一つ一つの繋がり方には「いのちの記憶」が無限に結び合って広がっていくのを実感します。

まだまだ私の古民家甦活は始まったばかりですが、有り難いご縁で本当に大切なことを学び直しました。修繕の心を引き続き磨き、古からの伝統や伝承を身に着けて後世に生き方を伝道していきたいと思います。