革新の心

昨年は伝統に触れる一年になりましたが、その中で伝統は革新を持って維持されていくことを実感しました。なぜ伝統が革新が必要なのか、それは単に真面目に受け継いでいても続くことがないからです。

この革新は遊び心から産まれます、それは好奇心で楽しんで面白がっていく中にこそ、その伝統を維持する本質があると私は思います。伝統とは本来楽しいものであり、その楽しいものを味わいながら常に新しくしていく中に本当の伝統は息づいているからです。

昨日も人類がこれまで生き延びたのは子育てが楽しかったからという話がメンターからありました。大変でも苦しくても楽しいというのは、その楽しさは単なる表面的なものではなく奥深く味わい深いものを感じているということです。

福岡県八女郡広川町地域に二百十年の伝統の歴史を持つ「久留米絣」というものがあります。この伝統は幼い少女の好奇心から生まれたといわれます。この久留米絣は1800年頃、井上伝という当時12歳だった少女が自分が着ていた藍色の着物に、色が抜けて白く斑点になっている部分を見つけて「これはどうなっているんだろう」と興味を抱くことにはじまったものです。

単に大人から見ればただの色あせた着物ですが、井上伝にはこの白い斑点が藍色一色で地味な着物を飾る楽しい模様に見えたといいます。そしてはた織が得意だった伝はそれを解いていく中でその糸と同じになるように何本もの白糸の束を他の糸で括って藍で染めてみました。この紺と白でまだらになった糸で織ってみたという逆転の発想が革新を産み、これが二百十年年続いた久留米絣誕生になりました。その井上伝の遊び心から生まれた藍地に白の模様が施された織物はその後は藩の財源になるほど普及していったといいます。

この井上伝の遊び心がなければ伝統は発生せず、その遊び心が伝統の本質を引き出していったと言えます。伝統は何を継承しているのか、そこにはその伝統を楽しむものたちによって受け継がれていくのです。

私は伝統から最も学んだことはこの遊び心です。その革新の心です。

今年はその学んだことを活かす一年ですから、より楽しく味わい伝統の醍醐味を味わい確かな日本の古来からの伝承を一つ一つ復古創新しつつ受け継いでいきたいと思います。

 

地縁血縁

昨日、親戚の集まりがあり父親の兄弟とその子どもたちや孫たちと一緒に会食を行いました。一時期は途絶えていましたが数年前より父親の声掛けで正月に集まって食事会をすることになりました。私の幼いころは、よく祖父の家で正月に集まり賑やかに朝から夜まで歌ったり飲んだりと大人たちが騒いでいたのを思い出します。

最近ではその親戚の集まりが嫌だからとその関係も変わってきています。確かに個々のプライベートが尊重され過ぎればわざわざなぜ集まるのかと疑問に思うのかもしれません。

私たちが言う親戚とは血縁関係ある人たちのことを言います。この血縁とは何か、念のためウィキペディア百科事典によれば「血縁(けつえん)とは、共通の祖先を有している関係、あるいは有しているものと信じられている関係を指す。」とあります。

そういう意味では先祖が同じである日本人同士もまた血縁だとも言います。さらにこう書かれています。「中世以前の社会や、開発途上国では、社会で重要な位置を占める。子供・老人・病人・障害者がいる場合にも、国家に福祉政策の観点がないからである。必要性から、このような社会では血縁を拡大解釈し、濃密な関係を維持しようとする(大家族主義)が、先進国(特に新中間層の核家族生活者)では必要性が少なく、プライバシーに干渉されることを嫌う傾向が強いため、縮小解釈して淡白な関係に留めようとする。」

今では変わってきたかもしれませんが20年前に中国で仕事をしていた時に中国人たちが血筋を辿って縁者と結び合うことを重んじていることを学んだことがあります。中国人にとっては血縁関係や地縁関係は伝統的な儒教文化の倫理基盤になっていて一番信頼できる人的なネットワークになっていました。言い換えれば逆に血のつながっていない他人はいつでも裏切られる位置に据える存在で、警戒すべき対象となっているとも言えます。

ここまでなくてもこの血縁というのは助け合いをしていくときの道徳的理由になっていたのでしょう。日本も中国とまではなくても親戚が集まる伝統がまだまだ残っている国です。ウィキペディアには地縁についてはこう説明書きがあります。

「日本においては、中世武家社会の成立とともに血縁よりも地縁を優先するような社会が形成された。氏族の名は、血縁関係を意味する「姓」ではなく、多くは地名に由来する「苗字」を通称するようになり、地縁の中心として村々には鎮守が設けられ、各地で祭典がおこなわれるようになっていった。「遠い親戚よりも近くの他人」の言葉もあり、日本は世界的にみれば地縁的要素の濃厚な社会といえる。」

鎮守とは、地域の氏神様、土地神様、その地域の神社のことを指します。つまりはこの地域のつながり、地域で助け合う人たちの集まりを神社を中心にして関係を結んだのです。

親戚の集まりと同じように、その土地で暮らす人たちの集まりを実施することでお互いの繋がりや関係性を確認したのが以前の私たちの伝統だったのでしょう。

福祉国家ができて、国家とのつながりが優先され国家と個という結びつきの中では親戚の集まりも地域での集まりもまた必要がなくなってきたということでしょう。かつてあったものが近代国家の形成と共になくなってきていますが、そのために血縁関係と地縁関係が薄れてしまい本当に個々がバラバラになってしまったようにも感じます。税金を支払っていれば自分が国家において保障されるというのはこの血縁と地縁を勘違いしてしまうのかもしれません。

本来は何のためにつながっていたか、それは日ごろの御恩に感謝しつつ助け合いお互い様お蔭様を確認したものもあったのでしょう。公民館も自治会も活動が途絶えて、より田舎にも都市化の波は押し寄せてきています。この時代、改めて関係を再構築し結び直す意味や方法を刷新していく必要を感じます。

今年は地縁血縁を見直し、かつての家という概念を復古創新してみたいと思います。

 

真の学者、真の学問

今年も無事に萩にある松陰神社に参拝することができました。毎年欠かさず24年間、一念発起してから初心を忘れずに今でも実践が続けられていることに改めて感謝します。

私は吉田松陰の生き方に触れ、魂が揺さぶられ如何に義に生き切るかということの大切さを学びました。その人の功績よりも、その人自ら背中で語る生き様に日本人の美しい精神、純粋な真心を学びました。

吉田松陰は思想の方ばかりを注目されますが、私はその真心の方に心を打たれました。真心の生き方を貫いた人物でこれほどの純粋無垢な人物が先祖にいたことに何よりも誇りに思います。

松下村塾には、竹に刻まれた「松下村塾聯」というものが掲げられています。これは吉田松陰が27歳の時に刻んだもので、塾生たちの最も目に入るところに掲げて戒めたものです「刻む」というのは忘れてはならないという意味です。

「万巻の書を読むに非ざるよりは、いずくんぞ千秋の人たるを得ん。一己の労を軽んずるに非ざるよりはいずくんぞ兆民の安きを致すを得ん」

一般的にはこれは「たくさんの本を読んで人間としての生き方を学ばない限り、後世に名を残せるような人になることはできない。自分がやるべきことに努力を惜しむようでは、世の中の役に立つ人になることはできない」と訳されています。

私の意訳は、「立派なご先祖様たちの生き方を文字や言葉を通して学ばない限り、同じようにご先祖様と同じような立派な存在になることはありません。そして自分自身の人生を自分のことだけに使い、世のため人のためにする苦労を自ら避けようとするようではとても社會を平和に変えていくことはできませんよ。」としています。

この書を読むことと苦労は一つであるとしているのです。

「日本の国柄を明らかにし、時代の趨勢を見極め、武士の精神を養い、人々の生活を安らかにした歴史上の秀れた君主や宰相の事蹟や世界の国々の治世のしくみを調べ、一万巻の本を読破すれば、つまらぬ学者や小役人にならなくてもすむ」といいます。

ここでのつまらぬというのは、「そもそも、空しい理屈をもてあそび、実践をいい加減にするのは、学者一般の欠点である」という意味と同じです。思想だけを弄び決して自分では実践しないでは世の中は何も変わらないから言ったのでしょう。

吉田松陰は真の学者、真の学問をするように学友や仲間たちに説きました。それは富岡鉄斎の座右「万巻の書を読み 千里の道を行く」に通じるところがあります。これは書を読むことと道を行くことが同じであることを意味します。つまりは「道を深めよ」という学問の本質が隠れていると思うのです。

吉田松陰はこういう言葉も遺します。

「井戸を掘るのは水を得るため、学問をするのは人の生きる道を知るためである。水を得ることができなければ、どんなに深く掘っても井戸とは言えないように、人の生きる正しい道を知ることがなければ、どんなに勉強に励んでも、学問をしたとは言えない」

人の生きる道を学ぶ道場、それが松下村塾であったと私は思います。志とは継続することで磨かれるもの、そして実践することを深めることで実現していくものだからです。常に学友と共に持ち味を活かして磨き合うところに、学問を活かす道があったように思います。

『学問とは何のためにあるのか。』

これをまずはじめに考えなさいと「聯」に刻まれているようで、松下村塾に行くとその初志を観て心が引き締まります。

時代を越えても時空を超えても志によって人々に勇気を与え道を示してくださる、まさに師と言います。私は生きている人をメンターと呼び、亡くなっている人を師と呼びます。

真の学者、真の学問を極めてご先祖様と同じように徳を磨き社會を豊かにしていけるように今年も精進していきたいと思います。

プロセスの価値

元旦から自然農の高菜の畑で草取りと一緒に移植作業を行いました。毎年ご縁あった方々やお世話にになっている御恩人の方々にお送りしていますがこの一年の巡りの一つ一つのプロセスを伝えられているだろうかと思いながら作業をしました。

実際に漬物にしてお渡しするまでには、この高菜との一年のめぐりが凝縮されています。自然農ですから無肥料無農薬で耕さず草も虫も敵にしない農法ですからかかる手間暇は一般の農業とやり方が完全に異なります。それに漬物も古来からの方法で天日干し、自然塩、野生うこんを使い吉野杉樽で寝かしていますが漬け換えなども苦労します。数多くの苦労の上に、はじめて高菜を私たちがたべることができています。

今の時代は、プロセスは見せずに完成品だけが売買されています。形さえ本物に似ていればそのプロセスは見せようとしません。だからプロセスをどのように便利に誤魔化しても結果さえ似ていれはそこは誰も見向きもしないのです。お金で買って渡すものはプロセスがあまり語られることがありません。

しかしこのプロセスこそが本来は本物かどうかを決めるのです。

見た目だけ取り繕ったとしても、プロセスが異常であるのなら本来のものとは異なります。本来のものや本物とはプロセスがもっとも理に適っているということです。それは誤魔化したりサボったり見せかけたりせずに丹精を籠めて心を用いて丁寧に真心を盡していくということです。

こういう一つ一つができてこそはじめて自然農になっているとも言えます。いくら無肥料無農薬だから自然農というのではなく、自然と共に謙虚に一緒に共生していくプロセスがあるからこそ自然農とも言えると私は思うのです。

これは生き方も同じく、どのようなプロセスを持った生き方をしているか。言い換えればどのような生き様をしてきた人か、人は同じくそれを観て本物か偽物かを見極められるのです。

このプロセスを観るということが、そのものの真価を確認することになります。そしてそれは言わないとわからないものですし、見せないものだからこそ心で感じる必要があるのです。心を伝えるというのは、このプロセスを伝えるということです。そしてそのプロセスは必ず伝わっていきます。心は通じ合い伝わり合う性質があるからです。

まだまだ草取りは数日かかりそうですが、今年はこれらの経過も記録し高菜をお渡しする皆様にプロセスの価値を伝えていきたいと思います。

2017のテーマ

昨年は伝統を通して、本来の姿を見つめた一年になりました。かつての先祖たちがどのように暮らしてきたかを知れば知るほどに自然と一体になり、自然に親しみ、自らを慎み、素直に謙虚に生きてきた様子に日本人本来の当たり前の姿を観た気がします。

昨年はもののはじまりを知るがテーマでしたが、すべての物事には起源がありその本質を見極めれば何が異常で何が正常であったかがわかります。今の世に照らして、正常が何であるかをつかむというのは本質的に生きていくことを大切にしていく上では何よりも重要な実践項目になります。

先日、熊本県八代市のい草農家の草野様が聴福庵に来庵した際に「こだわり」と「当たり前」についてのお話をしてくださいました。

草野様が見守り育てているい草は、品質、出来栄え共に「本物」で熊本でも有名で若い人たちの指導もなさっているそうです。そのい草を聴福庵に入れましたがその輝きや美しさ、また触り心地などすべてにおいて素晴らしく、い草本来の徳が引き出されているように感じます。

この草野様のい草づくりはとても手間暇と丹精を籠めてあり、通常ではここまでやるかというくらい徹底して丁寧に育てられているそうです。それを見た周りの人たちは「あそこまでこだわれない」とか「草野さんのこだわりはすごい」などと評するそうです。

しかし本人は「こだわり」だと言われるのは好まず、これは「当たり前」のことだといいます。このこだわりと当たり前の間には、異常と正常の違いがあるのです。

今では心を籠めないで頭でっかちに計算をして取り組むことの方を当たり前だとなってます。しかし古来のように丹精を籠めて丁寧に心を使い手間暇をかけることはこだわりだと言われます。私も様々なことを徹底して実践するタイプですから周囲からはこだわりが強い人だと言われます。しかし私自身は同じくこだわっているのではなく、真心を用いるのは当たり前のことなのです。

メンターと共有した今年のテーマは「常」です。つまりは「平常心で心を乱さない、心のままでいること」です。

常は平ともいい、その常とは平常心のことです。これは心のままでいる、本質が観えてきているから、表面的なものにあたふたしないで心のままであり続けます。心の世界で取り組むのならば常に本質を維持できますが、心から離れればすぐに本質がブレてしまいます。

本当のことや本物にこだわるのは、それがかつては当たり前であったからです。そしてそれが今、最も危うい状況になっているからです。作物を育てるのも人を育てるのも心を用います。心があるからこそ理に適います。つまり「心即理」なのです。

だからこそ今年はその当たり前をさらに深めて、こだわりとか当たり前とか区別されないくらいの自然な姿に私自身近づいていきたいと思います。子どもたちが何が当たり前であるかに気付けるように平常心を大切に取り組む一年にしていきます。

今年もよろしくお願いします。

修繕の心~いのちの記憶~

今年は様々な古い道具を修繕し甦らせ活かしていくご縁が多かったように思います。どれも年季が入ったもので、ほとんど壊れていたものをちょっとずつ直してもう一度大切に一緒に生きていく仲間にしていきます。

物には思い出が宿っています。私のところに来たときは、その思い出と一緒にやってきます。その思い出を拭き清め洗い清めてもう一度、一緒に再出発します。どこまで一緒に居れるかわかりませんが、新しい思い出を一緒に創り上げていくのです。

蔵や倉庫に眠っていたものは、再びご縁があったものと一緒に結ばれます。お互いに呼吸仕合、互いに活かしあって日々を積み重ねていきます。これが共に生きるということです。

物は壊れることもありますし、また壊されることもあります。今年は壊される現場も見ましたし、骨董で捨てられていく現場も見ました。物には心がないと思っている人もいますが、実際には物には心があります。それは古いものを修繕し活かしてみるとすぐにわかってくるものです。

もう一度、役に立てる仕合せ、そして活かされる喜びは心が通じ合ったときに響いてくるものです。だからこそ勿体ないという心が結ばれるのです。今、時代は大量生産大量消費の社会ですから直せる人や修繕ができる人が次第にいなくなってきています。

まだまだ活かせるものを、寿命が来る前に廃棄してしまうというのはいのちの世界から観ればとても寂しくつらいことです。古いものに価値を見出し、その古いものを新しくするというのは修繕の心です。

思い出が宿っているものをどのように大切に扱っていくか、その思い出を美しいままにどのように包みこんでいくか、そしてその思い出が籠ったものをどのようにいつまでも大切にしていくか、その一つ一つの繋がり方には「いのちの記憶」が無限に結び合って広がっていくのを実感します。

まだまだ私の古民家甦活は始まったばかりですが、有り難いご縁で本当に大切なことを学び直しました。修繕の心を引き続き磨き、古からの伝統や伝承を身に着けて後世に生き方を伝道していきたいと思います。

 

 

たった一つ

私の郷里、筑豊で育った人物に高倉健がいます。 高倉健のお父さんは炭鉱王・伊藤伝右衛門がつくった筑豊地場の炭鉱会社大正鉱業の労務課長でした。その当時の炭鉱の荒くれものたちとの調整役だったそうで、あの任侠の雰囲気はそのお父さん譲りだったのでしょう。

現在、古民家甦生でお世話になっている大工の棟梁も高倉健のことを大変尊敬しています。筑豊の川筋育ちの人たちは、その「筋を通す」生き方を貫く高倉健を風土の体現者として慕っている人が多いように思います。筋を通すとは、私の言葉では理念を優先するということです。その場その場の善し悪しを自分中心に仕分けるのではなく、理念や初心、志や生き方を優先して自分らしく自然体で居続けるということです。これは頑固ではできず、柔軟性が必要になります。私の尊敬するメンターもみんな同じように理念は守るけれどそれ以外のことはほとんど柔軟に対応する方々です。

これぞという大切なものを守るために全てを注力する、それだけは曲げないということが筋を通すということです。自分がどんなにみじめあろうが情けなくあろうが、大事な本質だけは譲らないという人間の美しさがあります。

高倉健がかっこいいのは、単に演技だけではなくその生き方から薫ってくるその生きざまかもしれません。高倉健から志を奪うことは誰にもできないという感じがします。この志を貫く生き方が美しいと感じるのは、維新の志士に限らず大義に生きた歴史上の人々はみんな同じです。

その高倉健の遺した言葉には、その筑豊の川筋気質の根幹があるように思います。

『何をやったかではなく、何のためにそれをやったかである。今それが大切に思えてきている。』

何をやったかではなく何のためにやっているか、それが大事である。まさに筋を通す本質が語られた言葉のように思います。その他にも、

「一番大事な自分より、大事に思える人がいる。不思議ですね、人間って。」

「人が心に想うことは、誰も止めることはできない」

「人間が人間のことを想う、これ以上に美しいものはない。」

人間の精神を観て生き方を見つめた方だったことも分かります。また自分に厳しく己に克つ実践もされていたことが言葉から伝わります。

「何色でもできますっていうカメレオンは、真の役者にはなれないんだよね。」

「僕の中に法律があるとしたらおふくろだよね。「恥ずかしいことしなさんなよ、あんた」って、いつもそればっかりですよね。」

「スタッフや共演の方たちが寒い思いをしているのに、自分だけ、のんびりと火にあたっているわけにはいかない。」

「人に裏切られたことなどない。自分が誤解していただけだ。」

自分は器用ではないという高倉健さんが、その不器用であるということの本質を語るのはそれだけ真摯に自分の信念や初心に生きようとしたからです。不器用さというのは、自分を持っているということであり、自分が何のために生きるのかということを最期まで遣り切ろうと覚悟があったからだと私は思います。

私は言葉はその人の生きざまと必ずセットではじめて輝くことを高倉健さんの後ろ姿から学びました。このブログの最後はこの言葉で締めくくりたいと思います。

『人生で大事なものはたったひとつ。心です。』

心を守る生き方を子どもたちに譲っていければとても仕合せなことだと思います。真の豊かさは心の中にこそあります。心を醸成していけるように日々に真摯に正対し理念を優先して生き切っていきたいと思います。

 

安心する環境

先日、自然農の畑で高菜の移植作業を行いました。今年は種蒔きから虫の問題、猪の問題、天候の問題など色々と大変でした。無事に育ってくれるかどうかを悩みましたが今ではその大変な困難を乗り越えて生き残った高菜はとても力強く生命力に溢れているように感じました。

うまくいかないのではないか、失敗したのではないか、育たたないのではないかと思うと焦る気持ちが生まれ心配ばかりが増えてきては、あれもこれもといった無理にでも育てようとすることを考えるものです。結果ばかりを心配するのは焦りが出て待てなくなっているということです。待てるというのは結果を度外視して信じるということですから、現象に左右されずに丸ごと信じて真心でやりきっていくのが善悪成否を抜けていけるように思います。

例えば高菜でいえば、手作業で一つ一つの草を除きつつ声掛けをして畑で高菜が安心して育つように場を整えていきます。また高菜に心を寄せて定期的に畑を見にいき、高菜が今、どうしているかを確認して見守ります。

大事なのは、高菜が安心できる環境に醸成されているかといったところをよく見直していきます。

農産物をつくる農家や百姓は、作物が育つ環境になっているからこそ作物が育ちます。今では人間都合で肥料や農薬、遺伝子組み換など環境よりもそのものを変えようとしますが、ますます自然から遠ざかっていきます。

信じるというのは自然と一緒にあるからこそその御蔭様を感じる生き方をすることでもあります。人間都合であまり結果ばかりみて変えようとばかりに躍起になっていると、ますます自然から遠ざかる方ばかりを選択してしまいます。

長い目で観て、私たちは自然の恩恵に上に成り立っているものですがその恩恵を感じて感謝のままに素直に謙虚でいることが安心する環境を醸成するように思います。

失敗するとか結果がどうかもありますが、信じる気持ちのままに深めて学び直していくことで結果を超えた御蔭様の姿が感じられたりもします。そう考えてみると信じることこそが尊いのであって、良いか悪いかはあまり関係がないのが自然だということです。

引き続き子どもたちを信じる自分を磨くためにも自然農を通して、自然の持つ絶妙な見守りを学びたいと思います。

 

広げると広がる~継続は力なり~

何か物事をはじめて取り組むとき、それが人々に情報として広がっていくことがあります。今のような情報社会の中で、如何に情報を広げるかはそれぞれの企画の会社が取り組む課題でもあります。しかし情報には、広がるというのと広げるという考え方があります。広がるのは自然発生的に広がるのであって、広げるのは意図的に広げるということです。

この「広がる」と「広げる」というのは、情報リテラシーを学ぶ上でとても大切な認識となります。

私たちの商品の一つにミッションページというものがあります。これは理念実践の発信を行うことですが、何か広報で広げようとするのではなく自ずから広がるまでそれぞれ全員で日々に積み重ねた実践を発信していきます。

人は情報が多い中でも本質的に「何のためにやっているのか」を確認しているものです。情報過多になればなるほどに、本質や目的はわからないまま判断できなくなりますがもっとも親切なのはその本質のままに本物であるのなら情報は迷うことはありません。今は本質よりも大きく見せたり、本物のように誇張したりと、実際の現実とは異なったもので注意関心を引き付けようとするから広げることが増えています。TVCMや雑誌の広告などもそうですが、如何に広げるかに躍起になっています。

広がるというのは、自然発生的なものです。

これは植物を育てるのと育つこととの違いに似ています。育てるのは人為作為的であるのに対し、育つのは自然自発的です。同じく広げるのは人為作為的であり、広がるのは自然自発的です。

この広がるというのは、道が広がるということにも似ています。無理に広げても広がらないものもこの世にはあります。それが生き方や働き方などもそうです。しかし実践する人たちが豊かに仕合せに楽しく取り組んでいる姿があれば、自然に自分もそうありたいと同じ道に入ってくる人たちが増えてきます。

そうやって同じ道を歩む人たちが増えてくれば、自ずから道は踏み固められその道を歩む人が増えれば道が広がってきます。今では道路工事などで無理に道路を広げていますが、かつては道は自ずから人が歩くことで広がっていったのです。

どうしても人は焦ると無理に広げようとしたり、広がらないことに悲嘆したりしますが、広がるのを待つ心があれば理念を実践を真摯に取り組んでいくことができるように思います。

イエローハットの創業者、鍵山秀三郎さんが一人から掃除をはじめて今では日本だけではなく世界にその掃除道が広がっています。これなどはまさに広げることとは異なり、広がるということの意味を証明しています。その鍵山さんの座右の銘に「十年偉大なり、二十年襲るべし、三十年歴史なる」があります。広がるのを信じるのなら、継続を怠るなということです。まさに諺「継続は力なり」の本質です。

継続を怠けようとする時こそ、無理に広げようとするのが人間です。そうではなく、自分の実践を継続することで広がるのを待つという心境を大切に焦りが出るときこそ真摯に心を込めた日々の実践に回帰することのように思います。

引き続き、初心を忘れずに広がるのを楽しんで待つ心境で日々に豊かに取り組んでいきたいと思います。

暮らしの体験

今週はずっと仲間と一緒に聴福庵で過ごしましたが、家も心も温まる素敵な暮らしをたくさん実践することができました。餅つきにはじまり、家の修繕、掃除、また明障子の張り替え、畳づくり、そのどれも貴重な暮らしの体験をすることができました。

実際に暮らしを体験していると、暮らしの合間に仕事をしている感覚がよくわかってきます。都会では暮らしそのものがなくなり仕事漬けになっていますが、本来は暮らしがあって仕事があるのです。それもまた今ではわからないくらい都会は便利で全てが揃っていてお金さえあればほとんどのことができるような環境になっています。

便利さというのは、かえって暮らしを遠ざけていきます。例えば、漆器や陶器など昔から大切にしてきたものを使えば食後すぐに洗って拭いて乾かすという行為がいります。しかし紙コップや使い捨てのものを使えばゴミにしてしまえばその労力は必要ありません。簡単便利の方を優先するのは楽ですが、その時大切な暮らしが失われていきます。

暮らしの中には、すべて感謝する機会があります。感謝する心や恩返ししたいという気持ち、御蔭様を感じる精神はこの日々の暮らしの実践の中に存在します。私たちは暮らしを通して感謝を学び、暮らしを通して生き方を直してきました。自分の我慾に打ち克ち、いつも平常心で本質からブレナイ生き方ができたのも暮らしがあったからです。

人間は人間の都合を優先すればするほどに暮らしと感謝する機会が失われます。そして同時に心の豊かさというものも消失していくのです。物が溢れ成功したけれど豊かさがなくなってきたという人は沢山増えてきた今の時代。なぜそうなったのかを突き詰めてみるとそこに「暮らし」が関係しているのは自明の理です。

私たちは物質的なものを有り余るほど増やしそれが自由に搾取できれば豊かさであると刷り込まれていますが、その豊かさは本来の豊かさの本質とは意味が異なっています。物が豊富にあれば豊かなのではなく、暮らしがあるから豊かなのです。暮らしが優先されていく中に、そこに暮らしを彩る道具も物も人もあればそれは感謝に包まれる幸福な日々が訪れる、その豊かさが本物の豊かさなのです。

国が富むというのは、自国を成功させようと必死になることも短期的には必要ですし確かに結果も大事です。しかし長期的に観れば同時に人間はただ生きながらえる生物ではなく、そのプロセスの思い出や体験こそが人生の生きがいと喜びになりますからそれを大事に積み重ねていくことで唯一無二の自分の人生を謳歌できますし国もまたその人材たちによって真に豊かに発展していきます。

私たちのやっている古民家甦生は暮らしの甦生です。

引き続き子どもたちのためにも、自分たちが実践して先祖の暮らしから気づいたことを伝承していきたいと思います。