今の世の中には「できる・できない」の刷り込みがあります。幼少のころから比較競争し能力を評価されていく経済社会の中で育てられそれに合うようにと教育を施されれば人はできるかできないかを基準に考えてしまうものです。
しかし、できるかできないかといった能力を中心にする考え方では本当の意味で持ち味を活かすことができません。例えば、自分が何ができるかを考えていけば努力次第ではなんでもできるということになります。しかし自分にしかできないことを考えてみるとできないことが何かをちゃんと取捨選択できるようになります。
人は一人でもしも生きていくのなら何でもできるにこしたことはありません。しかし実際の社會でオールマイティというものはとても弱いもので、お互いにできないものがあるから人は一緒に助け合い働くのです。
そう考えてみると、その人ができないというある種の「弱さ」の御蔭で人は人とつながっていくということになります。しかしできるできないの刷り込みが深い人は、自分からできないということを周りに公開することがありません。他人からできないことを指摘されても、それを自分でさらけ出すことはなく必死で隠そうとしたり、もしくはできたように見せかけたり、もしくはできないといわれないようにと頑なになり孤立します。そしてできるできないの刷り込みは、周りの人へ対しても同じような目線で観るようになります。あの人はできる人、この人はできない人で、できる人同士で組めばいいということになるとそのうち個人の利益を中心につながろうとしだします。簡単に言えばただメリットがあればつながるのです。
確かに競争の経済社会でそのように組んでメリットがなくなればすぐに他の人という考え方は効率的かもしれませんが、実際には会社や社會、組織ではそんな簡単に切ったりはったりなどはできません。なぜなら人は人間ですからいっしょに生きていく仕合せや豊かさも味わいたいからです。むしろ、人間が働くのは有史以前から人類がそうやって地球で豊かに暮らしてきたからであり、それが人間の本質だからです。
本来、チームや家族のような関係はできないことを補い合います。つまりできないことを補い合う方が協力になるからです。できないからこそ、助けてもらう、できないからこそ支え合う、つまりそこに思いやりや絆が生まれるということです。そしてそこには個人主義ではなく、皆のために貢献していこうとするみんなの中の一人という責任のある自分になります。
今のように個人主義が優先されれば、誰に頼ったらいいのか、誰に頼んだらいいのか、誰に任せればいいのか、次第に分からなくなって孤立するのは自分からできないことを安心してさらけ出せる組織ではなくなります。だからこそ、もっと組織においてはできるできない刷り込みを捨て去って一人でできなくてもいいという文化を醸成する必要があると思います。
それは能力がないのに努力しなくてもいいというのではなく、何のために努力するのかをみんなが理解しあっているということです。そうやって一緒になっていけば、本来必要な努力が何をすることかが必ず自明します。
引き続き、世の中が弱い人たちを断罪しないように、強い人たちばかりが頑張らないように、みんなが助け合う社會、多様性が活かされ続ける人類の至高の強みの境地、それを実現していきたいと思います。