本物の義人

現在、NHK大河ドラマでは真田丸が放映されています。私は10歳のころ、南総里見八犬を読んで真田十勇士に強く憧れ、それから図書館で真田幸村の伝記を貪るように読んだのを今でも鮮明に覚えています。

義に厚く、自らの信念を貫いて最期まで幸村らしく挑んだその人生の様子に子どもながらに格好よく感じ、感動して何日も眠れない夜を過ごしました。今思いかえせば、私はこの「義」という言葉にとても精神が刺激され、今でもこの「義」を追い求めて挑んでいく日々を過ごしているようにも思います。

真田幸村は、義に厚いというエピソードはあちこちに遺っています。例えば、関ヶ原の戦いの時には東西両軍からの誘いがあった時も「恩義を忘れ、私欲を貪り、人と呼べるか。」と撥ね退け、自分は恩義に報いるのみと本来の大義に生きることを述べました。

また大阪夏の陣では、徳川から10万石で寝返らないかと誘われたのを突っぱねて、その後、信濃の国50万石ではどうかと改めて寝返りの催促があったときも「十万石では不忠者にならぬが、一国では不忠者になるとお思いか。」といい、私は決して日本国半分をと言われても一切寝返るつもりはないと断じます。「いざとなれば損得を度外視できるその性根、世のなかに、それを持つ人間ほど怖い相手はない。」といいます。つまりは、損得を一切考えないその精神、そういう人間ほど怖いものはないぞと言います。義に厚いというのは、ここからも十分感じられます。

そしてこれは私が好きな高杉晋作もいいそうな言葉ですが「夢をつかんだ奴より、夢を追っている奴の方が、時に力を発揮する。」と幸村はいいます。つまり夢をつかんでいる人間よりも、いつまでも志を持って夢に挑む方が時に偉大な力を発揮するぞというのでしょう。

「人の死すべき時至らば、
潔く身を失いてこそ勇士の本意なるべし。」

これは意訳ですが「義人たるもの命を捨てても目的を達成しなければならないときがもしもやってきたのなら、潔く玉砕することがまことの勇士というものだ」と言います。

その言葉通り、最期は関東軍百万の軍勢に対して「今はこれで戦は終わり也。あとは快く戦うべし。狙うは徳川家康の首ただひとつのみ。」と潔く突撃しその義の生き方を世の中に燦然と照らしていのちを燃やし尽くします。

幸村の軍は、大軍の中を突き破り最期は徳川家康の本陣まで辿り着きその馬印までなぎ倒します。その真田軍の姿に徳川家康は人生で二度自害を覚悟するほどの、ギリギリの状態に追い込まれたといいます。そして日本全国の武将たちが、その真田幸村の勇士を称え「真田日本一の兵」と呼ぶようになりました。この戦は、関東軍は結果としては勝ちましたがこの幸村の「義」によって半分は負けたとも言えます。「義」とは美しさがあり、後世まで歴史に燦然とその生き方を遺します。本来の武士の本文とは何か、武将の本質とは何か、そういうものを時代に流されず最期まで貫いた幸村こそ理念や初心を守り切った本物の義人です。この本物の義人のこの生き様はその後の日本の勇士やサムライたちの心に日本人としての美しい生き方を遺すという大勝利を収めたのです。

こういう生き方を通じて世の中で示す存在というのは、永遠にその存在価値が物語として遺り子々孫々の心に道が示されていきます。これは真田という一族を遺した兄と、真田という生き方を遺した弟の物語。しかしこの真田家に私はとても多く生き方を学ぶものがあります。

時代が変わっても、私はいつまでもこの真田の義の生き方に憧れ続けています。引き続き、子どもたちのためにもこの義の心が私たちの中にあることを伝承し自分の生き方を通して伝道していきたいと思います。

信じる価値

価値というものがあります。この価値はそれぞれの価値観が決めるものですが、ある人は石ころだと思っているものが宝石であり、ある人がゴミだと思っているものが至宝だと思うこともあります。

これはそれぞれの人の持っている価値基準によって左右されていくものです。しかし価値にはそういう人の価値観で左右されないものがあるように思います。それは時間をかける価値です。

今の世の中はすぐに結果を求めてきます。もしくは結果が出ないものを無価値のように刷り込まれているところもあります。取り組んでいる時間こそが価値だとは思わずに、その結果が早くでることだけを焦って評価します。時間をかける価値がないとまではいきませんが、1か月で結果が出るものと1年で出るもの、10年で出るものと、30年で出るもの、そして100年懸って出るものと1000年後に出てくるのでは明らかに価値が異なるということがわからないのです。

実践というもの一つをとっても同じく、本物の価値というのは時間の経過と共に証明されていきます。その人生を何に懸けたか、そして何に捧げたかという価値は時間の経過と共に必ずにじみ出てくるからです。

つまり結果から評価するのが価値ではなく、結果以上の価値が観えるかというものが真価というものなのです。人生ではそれを生き様ともいい、古今の覚者はそれを大義とも呼びます。

歴史の中でその時代に如何に結果が出ずに無価値だと思われていたとしても時間の経過と共にその価値は燦然と輝いてくるものです。なぜなら時が魂を磨いていくからです。そしてその価値が結果としてはじめて人々に認識されるとき、その価値の意味を理解できるようになっていきます。

しかしその人物は結果を気にして取り組んだのかということになると、結果よりも大事なものを優先したということは自明の理です。その人物が結果がすぐに出ないことに嘆き焦るようでは、それだけの偉大な価値を創出することができなかったはずです。それは例えば空海然り、聖徳太子然り、松尾芭蕉然り、二宮尊徳然りです。

人は願いを持ちますし、祈りを持ちます。その願いや祈りは、時空を超えて今の私たちの心の中に永遠に一緒に生きていきます。それは結果ではなく、常に経過の中に息づいているものです。いわば、心の中に一本の御柱が貫かれるがごとく志として伝道され続けます。

改めて生きるということが何か、そして本物の価値とは何か、人間一度は人生一生の醍醐妙味の中でそれを掴まなくてはと感じます。なぜなら大義に生きてきた先人たちの御魂に触れることではじめて人は信じることの価値を学び直せるからです。

信じる世界には結果がありません。

ただ信じるだけです。

あなたたちにはこの信じるという価値が観えていますか?

これからも信じて信じ切っていく中で、自分のできることは少ないけれどできる限り子どもたちに時間をかける信じる価値を伝承していきたいと思います。

 

本物の美しさ ~燦然美~

先日、伝統のある京町家で本物の美しい和室を体験する機会がありました。お昼過ぎ、申の刻の陰翳礼讃を肌で感じ、凛としたその空間の厳しさと包み込むような和かな暗闇に心寛ぎました。雪見障子から眺める奥庭は、四季折々の色々に彩られ季節が室内へ透過され自然と一体になって静寂に入っていきました。

その和室のおもてなしをする主人の真心が感じられ、今までその家がどのような家だったか、どのような暮らしを営んできたのかがわかります。自分の内面の深いところを観てもらうようで、その主人の間にはその家代々の大切にしてきた生き方が刻々とその空間に深く沈んでいます。

一言でいえばその媚びていない空間は、あまりにも自然体でありあるがままの心を開いて受け入れてくれている美しさがありました。この美しさとは一体何か、自然とは何かということです。

媚びるというのは、どこかよく見せようとか、よく見られないとか誰かを気にしている状態です。その状態は自然ではなく、媚びているといってもいいと思います。媚びているものはどこか、凛としたものとはかけ離れ、心を閉ざしている雰囲気があります。

しかし媚びない姿はこの反対で、自分らしくいて自信にあふれ、自然体であり心は常に万物の世界に開かれていてどんなことも一円融合に受け容れる寛さがあります。一言でいえば媚びないというのは、生き方を貫いてきた姿ということです。

どんなに時代が変わっても、どんなに環境が変化しても、どのような生き方をするかは自分自身で決めることができます。流されて自分を持たず、大衆に迎合して自分を失ってしまうことは周りを見ていればすぐにわかります。しかしそんな中でも、最近世界遺産に指定された富岡製糸場のように「売らない、貸さない、壊さない」と信念を貫き媚びない姿を遺したことで今でもその価値は燦然と輝いています。

大事なものを守り続けるというのは、主人の信念が決めるものです。どんなに好条件でうまい話があったとしても、決して本質を見失うまいと覚悟を決めた姿にはその人物の美学があります。

この美学を貫くとき、媚びない姿が顕れ同時に本物の姿、自然体も顕れるのです。

自然が美しいのはなぜか、それはそのままあるがままであるからです。人間はもっと自然に習い、あるがままの美しさ、自然体の素晴らしさを学び直す必要を感じています。自分らしいことを諦め、ただ周りもそうだからと大衆に流されて大切なものをゴミくずのように捨ててしまっているうちになくしてしまうものは何よりも大切な自分自身の御魂かもしれません。

どんな時代であっても、大義を貫きその大義に生きようとする生き方には本物の美しさがあります。私が尊敬しているその家は、有り難いことにその凛とした佇まいのままに京都に遺っています。そんな家のご主人と時代を超えてお会いできる一期一会は、私の人生にとってはかけがえのない勿体ない邂逅です。

また引き続き、日本人としての生き方の御指南をいただくためにもその空間に今後ともご挨拶に伺いたいと思います。

ありがとうございました。

土をつくる

昨日、自然農の畑に春野菜の種を蒔きました。畑も人が手入れをすることで畑らしくなります。畑に人がいかなくなればあっという間に雑木林のように野生に帰ります。作物を作り続けることで、そこに畑ができるのはそこには「場」ができるからです。

実際に畑をつくるというのは、土をつくるということです。これは別に野菜をつくることが目的ではなく、私たちの方が土に親しみ関係を結んでいくということです。土がよくなってくればくるほどに、そこの居心地がよくなってきます。居心地がよくなるというのはよく目が行き届いているということであり、小まめに草を取り払い土の状態を見守っているということです。野菜を育てることばかりを考えては土を育てないでいては、収穫はするけれど一向に土を耕さないことと同じです。これは仕事も同じく、お客様の環境を耕したり草取りをしたりせずに数字や収穫だけをやっていたらダメになるのと同じです。環境の中に生き方は顕れてきますから、自分の働きは環境に浸透していくことで土は醸成されます。

農の諺にも「精農は土をつくる、駄農は野菜をつくる」というのがあります。野菜ばかりをつくっているうちに最後は草も生えなくなるぞという意味です。

如何に土づくりが大事かということを、かつての農家は教訓にしています。

他にも似たものに「作を肥やさず土を肥やせ」や「作人上田」というものもあります。この作人上田というのは、農民を上農・中農・下農を三つに分けた古い農書の中の言葉で下農は雑草を、中農はイネを、「上農は土をつくる」と書かれています。そして上農になるには、まず人間を創る必要を説きます。そして上農になるためにも、まずは土からはじめなければなりません。

土というのは直接収穫とは関係がないようにも思われますし、土を耕し手入れをすることは根気もエネルギーも多大に消費します。目先のことを考えずに長い目で土を育てていくということは、そのために日ごろから草を敷き、土を触り、土を寝かし、一年の巡りを見据えて土に寄り添い生きていきます。

どちらにしても先祖たちがいうように、目に見えるところにばかりを気にして土を疎かにするというのは農では本末転倒であるということです。

他にも諺で農の実践で優れた人物を比喩し、「精農は草を見ずして草を取り、中農は草を見てから草を取り、惰農は草を見て草を取らず。」とあります。これだけ土と一体になっていれば自ずから経営は成り立っていくということでしょう。

これは畑だけに限らず、会社でも事業でも組織でも同質のことです。

最後に農に携わる人間として訓戒というものがあるように思います。人間として何を守っていけばいいか、人間として何を大切にしていかなければならないか、古来より語り継がれた農家の心構え「三粒の大豆」を紹介します。

「一粒は空を飛ぶ鳥のために 一粒は地の虫の中のために 残りの一粒は人間のために」

これは大豆を畑に播くとき、一つの穴に同時に三粒の豆を入れなさい。一粒は空を飛ぶ鳥のために、一粒は地の中の虫のために。そして残りの一粒は人のために播きなさいということです。

土をつくることの本質が示されています。

私は子どもの仕事は土をつくることだと思っています。そういう意味では、自然農も古民家再生も見守る保育を弘めることも何も変わりません。引き続き、自分のやっていることが何か、人生を通して土に寄り添い土から学び直したいと思います。

自然と一体~暮らしの本質~

聴福庵の奥庭には、キラキラと黄緑や緑に色づく苔と共に赤く染まった紅葉のヒラヒラと葉が舞う姿に季節の調和を感じます。まるで杜の中にいるような風景に心が穏やかになるのは、ここにも日本の原風景が息づいているからかもしれません。

今年は4月から、復古創新の実践を通して様々な日本文化と伝統に触れてきました。季節の巡りと共に、また月の満ち欠けと共に、あらゆる身近ないのちたちと共に生きていく暮らしは暮らしの本質を教えてくれます。自分だけで生きているような勘違いはすまいと、謙虚に御蔭様を感じながら生きていく姿から自然と一体になっている先祖たちの生きざまが観えてきます。

自然農も自然養鶏も、また発酵に関するすべても周囲の生き物と共生していくための心の在り方を修養し、その技術の用い方という姿勢を学びます。自然から学ぶというのは、私たちが傲慢にならないようにと戒めてきた人類の智慧かもしれません。

内外が自然と一体になって暮らす日本の伝統家屋は、確かに気密性が悪く隙間風が多く、冬は寒く、虫たちが自由に出入りしていますがそこには自然と共生していく中でしか感じない豊かさがあります。

私たちの思っている豊かさや贅沢さは、決して今の時代のようにお金を使い派手に真新しいものや自分を喜ばせるものばかりにあるのではなく、季節の変化を味わい、自分の人生の節目を自然に照らし、その存在の一部としての有難いご縁を味わうときに豊かさも贅沢も感じるのかもしれません。

朝に炭を鉄瓶で沸かす一杯のお茶が、心に沁み渡るのは心は常に自然と一体になっている証拠です。どんなに人工的に作り出した豊かさや贅沢が如何に豪勢であっても、自然が生み出した豊かさや贅沢には適いません。

自然の姿が美しく感じるように、季節の変化を美しく感じる自分の心と観応することこそが感性を磨き透過していくことかもしれません。自然と渾然一体になったときこそ、心身一如、あらゆるものが混ざり合い透明になります。透明になるとき、自然の偉大さに感動するのです。

引き続き、暮らしの再生を実践しつつ新たな境地を体得して子どもたちに温故知新した今を譲っていきたいと思います。

しっくり

古民家再生を行う中で、同じ年代の道具たちを集めていますがいろいろな不思議な体験をすることがあります。時代は遠くは縄文時代から、近くは明治、大正、昭和のころを集めていますが様々な道具はお互いに関わり合って新しい場を創造していきます。

例えば、和室にはやはり和のものがしっくりきます。そして同じ時代のものはやはり近くに置いてみるとしっくりきます。また素材として近いものもまたしっくりきます。性質が同じであるものもしっくりきますし、作り手が同じものもまたしっくりします。

この「しっくり」というのは、調和して落ち着き円満であることを意味しますがなぜそういうものがわかるのかということです。調和したのがわかるというのは、感覚で理解しています。それは置いてみればわかるように、つなげてみたり、近づけてみたり、離してみたりしながらわかってくる感覚です。

この調和や円満というものは、そこに「つながり」を感じます。

私たちが調和をみるとき、それがどのようにつながるのか、そして結ばれるのか、その結びの中心を直観するのではないかと私は感じるのです。

歴史的な事実と結びついたとき、造り手の願いが結びついたとき、使い手との想いが結びついたとき、すべては調和します。この調和というのは、ギリシア語ではハルモニア「harmonia」といいます。この語源は大工仕事で建材の各部をたがいに嚙み合わせて、ぴったり接合することを意味したといいます。

この接合したりつながったり結ばれたりするときに、万物は調和します。そしてこのしっくりくるは、その時の感覚を言います。これは人間関係でも同じことが言えます。お互いに結びつきつながり合うとき、円満に調和します。そしてそのためには、お互いの時代的背景を結ぶことや、思いや願い、祈りをつなぐことや、助け合い力を合わせて同体験より絆を持つなどでさらにしっくりきます。

逆にしっくりこないというのは、自分自身が結ぼうとしない、また調和を避けていたり、お互いが折り合いをつけなかったり、一方的に頑固に我を張ろうとすると和合しなくなります。

和は他には、「やわらぐ」という言い方をします。我を張らず、お互いが認め合い近づけばとても美しい均衡を保った状態に落ち着くものです。引き続き、古民家から学んだことを様々なつながりや絆に活かしていきたいと思います。

柿渋の価値

先日、聴福庵の古材の床に柿渋を塗りました。これは近くで解体されていた古民家の松の天井板を譲っていただき、それを磨き直し床板にし廊下に敷きました。磨いた時点でも美しく見事な木目を感じましたが、柿渋を塗るとそれがより一層引き立ちうっとりするほとです。古民家再生の豊かさの本質を感じるようで、磨き手入れをすればするほどに古いものを大事にするということの価値の美しさを感じます。

この柿渋というものは、日本でも古来から大切に使ってきたものです。古墳には弥生時代から柿の種は出てきていますし、文献でも平安時代頃よりすでに干し柿や漢方薬としてなど様々な用途で親しまれてきたそうです。

松尾芭蕉に「里古りて柿の持たぬ家もなし」と読まれた俳句がありましたが今ではめっきり減りましたが、まだ田舎にいけばあちこちの家の庭に大きな柿の木を見かけます。葉っぱがなくなった柿の木に、濃い橙色の柿がいっぱいなっているものを見ると圧巻です。

柿の木から抽出できるこの柿渋塗料は渋柿の未熟果を擦り潰して搾汁して、発酵させ濾過したものです。柿渋液の中に含まれる柿タンニンには防水、防腐、防虫効果があり、塗布することで効果を発揮します。例えば、昔の山伏などの衣装には柿渋が塗られており山での移動に防水効果があった柿渋を沁みこませていました。防水では他には漁師が漁網に使ったりしました。他には、江戸時代頃には家屋の内外で防虫や防腐を兼ねて家具や建具、あらゆるところに用いられました。塗料としても、紙を染めたり装飾として美しい柿色の色合いが自然美を高めてくれます。お酒の清澄としても用いられ、漢方薬としても殺菌効果や消臭効果が高いといわれます。

この柿渋も戦後の石油製品、また工業化が進む中でほぼ絶滅したともいえます。各家庭で当たり前に用いられていたこれらの先人の智慧も今では伝承されていく機会もなくなりました。

この柿渋づくりの重要なところは発酵すること。この発酵の智慧はどれも時間と手間暇がかかります。そしてゆっくりとじっくりと自然に任せながら徐々に培われ醸成させます。

これらの醸成という智慧は、人間が大量生産大量消費の工業化の中では選択されることがありません。お酒造り一つとっても、本来は醸造するものが今ではアルコールを添加して古来からの醸造をやめ人間の加工のみで作りだすようになっています。

自然との時間軸を捨て、人間都合の時間軸で生きていけばかつての先人たちの智慧はほとんど失われます。その理由は、生き方そのものが変わってしまうからです。先人たちが大切に守ってきた生き方を換えてしまうというのは、それまでの歴史を捨てるということです。本来、捨ててはならないもの変えてはならないものを平気で忘れ去り、変えていいものや捨てていくものには執着しています。

改めて昔の伝統や伝承の智慧を学び直していくことで、古来から大切にされて守り継がれてきた生き方を再発掘していきたいと思います。

子どもたちにこれからの時代、どう生きるかを判断するときに先人や先祖たちが自分たちの人生で教えてくださったことを伝えていけるようにさらに実践を深めていきたいと思います。将来はこの柿渋づくりにも挑戦していこうと思います。

 

 

 

考えるとは何か

人間は当たり前すぎるものを考えなくなる性質を持っています。例えば生きていく上で大切な呼吸をはじめ、食事、睡眠などの意味を深めようとはせずに何か問題があるとすぐにほかの理由を探したりするものです。

しかし人間のカラダというものはとても正直で、頭で考えて理解するのとは程遠く実際の今の状況を語らずして伝えてくるものです。

例えば睡眠というものもそうですが、生きているものは睡眠を持ちます。一緒に暮らしている動植物から虫に至るまですべての生き物は睡眠をとります。これはなぜかということですが、単に疲れを回復するためとか、細胞を甦生するためとか、そういう目に見えるところだけの効果があるのではなく本当はまだまだ未知の領域がたくさんあります。

人間の知識では追いつかないほどの叡智は、頭で考えられないところで働き続けているのです。そう考えてみると、よく学校で「考えてやりなさい」というのは果たしてどれだけの意味があるのかと疑問に思います。

人は考えずにあらゆることを行動で行います。睡眠も呼吸も排泄もすべては考えていないところでやっています。それはまるで全自動で頭で考えれば不可能とさえ思えることも簡単にやってのけています。これは考えてやっているのではなく、「考えずにやっている」のです。

そもそも考えるというのは、単に知識で自分の頭で理解することを言うのではなく私に言わせれば深めるということです。この深めるというのは、叡智に近づくということです。自分の知らなかったことを深めるというのは、分かった気にならずに実践し続けて叡智と一体になるということです。そしてある「境地」を持てる人になるということです。それが考えずにできるようになること、会得や体得の境地です。これはすべてにおいて経験によって実現することです。

経験なしに考えなさいというのは、土台無理な話で人間は経験するからこそはじめて考えることができるのです。ここでいう考えるのは先ほどの深めるに置き換えれば、経験するから深めることができるということです。

つまりは深めるということは経験が伴わなければ深まらないということ。そして深めている最中だからこそはじめて人は考えることができるということ。考えて動きなさいではなく、動くから考えているということです。

シンプルな言い方だと、「なんでもやってみなければわからない」ということです。そして今度は、やってみたから何の発見があったのかを内省することでその事物そのものがその人の先生になって自分を導いていくのです。

自分はあまり考えないタイプですから、来たものを選ばずに何でも有難く受け止めてやってみることにしています。そしてやってみたことが一体何だったのか、その意味を紡ぐ間に点が線になり面になり立体になり空間になり全体になり無限になり転になり点になります。

人生は知識が先にあったのではなく、経験した人たちによって知識が発生してきたのですから過去の産物をいくら勉強してもそれは経験をなぞっただけであって自分自身の経験とは関係がないものです。自分の人生を味わうというのは、経験を味わい尽くすということです。

子どもたちの主体性を奪う前に、本来の経験をさせてあげたいという親祖の真心、そしてそれを見守る親心を大切にしてあげることが私は「育」ということの大前提に据えられるものだと自分の実体験から感じます。

それでもやりたいということがあるから、人間は面白いということ、人生は愉快痛快になるということ。引き続き、子どもたちが憧れるような生き方を目指して挑戦していきたいと思います。

愉快痛快

「苦労」という言葉があります。苦労というと今では忌み嫌うもの、避けて通りたいものという考え方が多いように思います。しかしこの苦労というのは昔から「若い時の苦労は買ってでもせよ」とあるように得難い価値があるものとして大切に扱われてきました。

苦労というものを避ける理由は何か、それは自分の生き方が定まらないからです。苦労か楽かという考え方で苦労をみると、できるだけ苦労はしないように知識を得るのも楽な方法を模索するからです。苦労か楽かに流されているうちは、本当の苦労の味も楽の味もわからないように思います。大切なのはこの今をどれだけ深く味わうかにかかっているかということでもあろうと私は思います。つまり「苦味」がわかる人になっているかということです。苦労人というのは昔から人生でいろいろな苦労や辛酸をなめて忍耐を持つ中で人の心や人情に精通している人のことを言います。

人生の体験を深く味わい、それと正対し受け止めて丸ごと活かし、そのことで社會の役に立ち同時にその人の人間性は磨かれて一人の人間としての人生を全うするのが人の一生です。

以前、ある戦前生まれの方とのお話の中で「自分が苦労したから孫たちにはその苦労を与えたくないとやってきた結果が今の社会になった」と仰っていたことがあります。もちろんそこから「逞しさ」を理念に保育を磨きなおしていましたが、この自分が体験した苦労を味合わせたくないという心理が働くのは苦労の苦しい面の側面ばかりをみてしまうからかもしれません。

しかしその苦労の中では逆境という珠玉の宝もあります。逆境の中で人は鍛えられ、心が強くなり信念は育ちます。なんでもうまくいくことが良いことになってしまえば、逆境はありません。うまくいかないこと、自分にとっては都合がよくないことの中にこそ相応しい成長の糧があります。

理想を高くもち大きな夢を描けばそれに伴い現実とのギャップに苦しむものです。しかしそれでもその思い通りにならないことに対して、悔しさを噛みしめ、諦めず絶望と向き合い、一歩一歩、身体を動かして前に進む中で人ははじめて成長します。

成長するというのは、苦労することです。そして苦労することで得られるものに、仲間があり新しい自分との出会いがあります。そして苦労すればするほどに感謝が持てる人になり、謙虚に物事から学べる人になっていきます。

自分が感謝できるかどうか、謙虚かどうかを悩むよりも、苦労の真価を知って苦労に向かって飛び込んでいくことが人生の学び方、そして自分が決める生き方だと思います。

苦労がいいと思う生き方をしたい人はなかなかいないものです。だからこそ覚悟が決まりません。しかしそのように人生の妙味を感じて仕合せに生き方をしている人たちが学ぶ感謝や真心、謙虚さ、そして活かされている喜びを感じているようにそこに辿り着くには、自分からそれまでの自分の生き方と決別して、敢えて挑戦して同じように苦労してみないとわかりませんし、苦労だけを避けようと斜めに構えていてもその境地に近づくこともできません。逆境こそが境地の体得には必須徳目なのです。

有難いと念じ味わい尽くす中に苦労の至喜あり。

この生き方が善いと思ってくれるように、人生を味わい楽しんで笑いながら愉快痛快に歩んでいきたいと思います。

一円組織

組織というものはいろいろな形があります。以前はピラミッド型組織が流行し、官僚のように上下の階級がはっきりしたものを使われていました。そこからフラット型組織というものが流行し、トップ一人にあとは全部横並びというものに変わっていきました。その両方は、どちらにしても上か下かという概念に縛られます。

私は一円対話というものを実践しつつ、一円組織というものを考えています。これは新しい経営の在り方のモデルに挑戦することであり、持ち味を活かし全体が一つの生命体のように機能する組織のことです。

しかしそれを実現するには、今の社会の常識に縛られないこととそこで一緒に働く人たちが過去の刷り込みに負けない変化が必要になります。

一円組織というものは、上下がありません。そこにあるのは、それぞれの持ち味を活かしあい豊かに一緒に働く仲間があるということです。実際の組織では上下がありますから、指示命令の上下運動で物事は進みます。しかし一円組織においては上下がありませんから、いつもオープンに積極的で自発的なコミュニケーションを自ら取り合って「助け合う」必要があります。

かつて日本では、大事な決定を考えるのに火を囲み車座になって語り合いながら合議していました。そこでは階級などが存在せず、一座としてみんなで自分たちの今について心を開き語り合いました。それは囲炉裏の文化として引き継がれ、皆で丸くなって助け合い働くということでお互いの意思疎通だけではなく相互理解、また談笑のうちに本心をさらけ出し周囲との信頼関係を築いて物事に取り組みました。

そこには結果責任がどうだと、分担だどうなのではなく、豊かに一緒に働ける歓びや仕合せや感謝、もしくは愛を分かち合う場がありました。まるで家の中で一緒に手を取り合って生きていく温かい家族の絆が観えます。今では一部の人たちにだけに責任を負わしたり負わされたり、または誰かを責めたり貶めたり、背負ったり投げ出したりと、競争や比較、評価ばかりの中でみんなが一円になることがなくなってきています。

本来の人間はどういうときにもっとも力を発揮するか、そして社會はどういうときに思いやりの循環が生まれるか、それはお互いが尊重され一人ひとりが活かされるときです。そしてその一人ひとりが活かされるのは全員参画型の組織に変わる時です。その先に組織があり、その先に社会があり、その先に町があり、都市があり、国家があり人類の未来があるのです。

まだまだそこには私たちも辿り着けていませんが、このプロセス自体の中に実践からのヒントや、型を産み出していく中で世間の刷り込みを取り払うための方法などが発明できています。

引き続き、一人ひとりが全員主人公で豊かで仕合せな幸福型組織、一円組織を目指して挑戦し続けていきたいと思います。