現在、NHK大河ドラマでは真田丸が放映されています。私は10歳のころ、南総里見八犬を読んで真田十勇士に強く憧れ、それから図書館で真田幸村の伝記を貪るように読んだのを今でも鮮明に覚えています。
義に厚く、自らの信念を貫いて最期まで幸村らしく挑んだその人生の様子に子どもながらに格好よく感じ、感動して何日も眠れない夜を過ごしました。今思いかえせば、私はこの「義」という言葉にとても精神が刺激され、今でもこの「義」を追い求めて挑んでいく日々を過ごしているようにも思います。
真田幸村は、義に厚いというエピソードはあちこちに遺っています。例えば、関ヶ原の戦いの時には東西両軍からの誘いがあった時も「恩義を忘れ、私欲を貪り、人と呼べるか。」と撥ね退け、自分は恩義に報いるのみと本来の大義に生きることを述べました。
また大阪夏の陣では、徳川から10万石で寝返らないかと誘われたのを突っぱねて、その後、信濃の国50万石ではどうかと改めて寝返りの催促があったときも「十万石では不忠者にならぬが、一国では不忠者になるとお思いか。」といい、私は決して日本国半分をと言われても一切寝返るつもりはないと断じます。「いざとなれば損得を度外視できるその性根、世のなかに、それを持つ人間ほど怖い相手はない。」といいます。つまりは、損得を一切考えないその精神、そういう人間ほど怖いものはないぞと言います。義に厚いというのは、ここからも十分感じられます。
そしてこれは私が好きな高杉晋作もいいそうな言葉ですが「夢をつかんだ奴より、夢を追っている奴の方が、時に力を発揮する。」と幸村はいいます。つまり夢をつかんでいる人間よりも、いつまでも志を持って夢に挑む方が時に偉大な力を発揮するぞというのでしょう。
「人の死すべき時至らば、
潔く身を失いてこそ勇士の本意なるべし。」
これは意訳ですが「義人たるもの命を捨てても目的を達成しなければならないときがもしもやってきたのなら、潔く玉砕することがまことの勇士というものだ」と言います。
その言葉通り、最期は関東軍百万の軍勢に対して「今はこれで戦は終わり也。あとは快く戦うべし。狙うは徳川家康の首ただひとつのみ。」と潔く突撃しその義の生き方を世の中に燦然と照らしていのちを燃やし尽くします。
幸村の軍は、大軍の中を突き破り最期は徳川家康の本陣まで辿り着きその馬印までなぎ倒します。その真田軍の姿に徳川家康は人生で二度自害を覚悟するほどの、ギリギリの状態に追い込まれたといいます。そして日本全国の武将たちが、その真田幸村の勇士を称え「真田日本一の兵」と呼ぶようになりました。この戦は、関東軍は結果としては勝ちましたがこの幸村の「義」によって半分は負けたとも言えます。「義」とは美しさがあり、後世まで歴史に燦然とその生き方を遺します。本来の武士の本文とは何か、武将の本質とは何か、そういうものを時代に流されず最期まで貫いた幸村こそ理念や初心を守り切った本物の義人です。この本物の義人のこの生き様はその後の日本の勇士やサムライたちの心に日本人としての美しい生き方を遺すという大勝利を収めたのです。
こういう生き方を通じて世の中で示す存在というのは、永遠にその存在価値が物語として遺り子々孫々の心に道が示されていきます。これは真田という一族を遺した兄と、真田という生き方を遺した弟の物語。しかしこの真田家に私はとても多く生き方を学ぶものがあります。
時代が変わっても、私はいつまでもこの真田の義の生き方に憧れ続けています。引き続き、子どもたちのためにもこの義の心が私たちの中にあることを伝承し自分の生き方を通して伝道していきたいと思います。