志の道

人は志を持つことではじめて信念を持つことができます。信念というのは単なる想いや思い込みではなく、その人が一生涯かけて貫こうと決心した志のことです。

この志を勘違いする人も多いといいます。世間では一般的に志の定義は、人の為に何か高尚なことをしようすることを言います。しかしそれは単に世間でいう志の客観的な評価がそうなっているだけで本人の決心とは関係がありません。自分の心が決めたものでなければ志にはなりません。

もともと志とは、一生涯かけて死ぬまで已めないと決めている自分の人生の決心です。それは数週間や数か月や数年のことを言うのではなく、文字通り「一生」というものに照らして覚悟を決めるものです。ちょっとうまくいかないことがあれば辞めるや状況が少し変化したくらいで変更するようなものは信念でもなければ志でもありません。

自分がこの世において何を成し遂げるか、結果は度外視、生死は度外視してでも貫徹するぞと決めた心こそ志なのです。「志」という字を分解しても、「一生を一心に貫く」という字体になっているのが観てとれます。

高尚を目指していくことが志を持とうとすることではなく、志があるからブレなくなり信念があるからそれが他人から高尚に見られるだけです。何かこれを勘違いして知識をどこかから持ってくるようなやり方でいくら外側から志を纏おうとしてもそれは自分の志ではないのだからいつまでも持てるものではないと私は思います。

自分自身が何のためにこの世に生を受けたのか、そして自分の一生を条件に左右されずに何のために使うのか、それを使命とも言いますがその使命感があるからこそその人は自由自在に真心の人になることができるのです。

自分がないと悩む前に、志がどうなっているのかまずその心に確認することが何よりも先なのです。志を立てるには、一生涯という物差し、また生死を度外視してという物差し、また命を懸けるにふさわしい大義という物差しがあります。そののちに、百年から千年の物差し、子どもたちの行く末を祈る物差し、地球規模、宇宙観で考えていく物差しなどで精査していきます。そのうえでこの今のご縁を活かし、感謝のままにどのように日々の決心を実践するかが志の道になります。

自分の人生をどのように使うかは自分次第、惑うのは自分と向き合わないからです。迷いがあっても惑わない、それは志如何にあります。子どもたちが安心して志の道を継承していけるように数々の実践を容にしていきたいと思います。

 

こよみ(干支)

暦のことを深めていると現在、あまり馴染みがなくなった「干支」についても考え直す好い機会になりました。現在、この十干十二支は人々の生活との関わりが近世までと比べてずっと希薄になっているといいます。十二支が十干のように忘れ去られずにいるのは年賀状の図案にその年の十二支の動物が多く使われることや人々がその生まれ年の干支によって、「○○年(どし)の生まれ」のような言い方をする習慣が残っていることの二つの理由だともいわれます。

本来、明治に改暦されるまで使っていた暦はとても意味深く先祖たちの知恵が凝縮したものでした。中国から渡来したものを長い時間をかけて日本のものに順応させ日本独自の文化にまで昇華したものをあっという間に入れ替えてしまいましたがここにきて改めて暦の価値に気づいている人も増えてきているように思います。

そもそも地球や宇宙をはじめあらゆるものを円を描きます。それは球体であり〇であることを意味します。〇には偏るものがなく、常に円転循環していますから陰陽というものは放てば戻り、揺れれば止まるというように調和をしてそのサイクルは已むことはありません。

私たちが物事を見るときに、循環を感じにくくなるのは自分を中心に前後左右と見なしたり、平地のように平面で物事を見ることで円環を感じにくくなるのです。中国から来ている様々な暦も木星や太陽、月や地球の周期を観て編み出されているものです。根本の考え方に循環があった時代と、今のように一方方向だけをみる時代とで変化が起きているのを感じます。因果応報という言葉もありますが、やったことは必ず自分に戻ってくるという思想も生活の中から失われてきたのもこの暦(こよみ)が関係するように私は思います。

干支の話に戻りますが、干支の干は天干として天の気を顕し、支はそれを支える地支として地の気を顕します。これを組み合わせて六十干支といい、60歳で還暦と呼ぶのはこれが一巡するから暦が循環したのでそう呼びます。二十四節気などもそうですが、「気」というものが自然界には存在します。気候が変わるのは、その生き物のバイオリズムがあるからでその気の流れに沿って生きていくことで無理を生じにくくなり自然体に近づいてきます。自然体であることは気と一体になっていることであり、そこから外れてしまうことを病気と呼んだのかもしれません。

今は単なる数字としての時間だけになって季節も気候も無視した住宅や設備、仕事の仕方も朝昼晩関係なく働きますから「気」の流れを無視した生活をしているとも言えます。本来は、どの時刻にも「気」がありその「気」のチカラをお借りして働いていました。そういう気の御蔭というものを感じて天気地気空気の気質を味わいながら感謝で生きてきたのでしょう。干支十二支もそういう自然への畏敬や感謝が生活から離れてしまった理由かもしれません。

しかし自然から離れた暮らしをしながらも今でも午前、午後などと言葉としては使われ遺っていますし、子どものたちには絵本の昔話などでも十二支が動物の物語になり語り継がれてもいます。しかしそれを正しく伝承していくにも、今の私たちが昔の人たちがどのように生活の中に暦(こよみ)を取り入れていたかを学び直すことが子どもに智慧を継承してもらうことにもつながるように思います。

自然界の仕組みに精通した先祖たちが、如何に自然と共に暮らしてきたか。暦(こよみ)は歴史を語ります。

 

 

こよみ(暦)

現在、生きていくうえで人間は時間やスケジュールというものを中心に一年を過ごしています。特に日本では時間に正確に動くことは当然となり、電車であっても1分遅れでさえもクレームがでるほどになっています。日時というものに合わせて、曜日というものに合わせて計画を立てて生きていくのですがどこか時間的余裕が失われ季節感もなくなり日々の忙しさに追われているようにも思います。

私たちが生きていく基準にしているものの中に「暦」(こよみ)というものがあります。これを辞書で調べると「語源は日読み (かよみ) 。1日を単位として数えることにより,週,月,年と時間を分割した体系,また,この体系の基礎となる天体の知識,年間の予知すべき事項を記載したものをいう。分割の基礎になるものは,月の公転周期 (朔望月 29.531日) および地球の公転周期 (太陽年 365.242日) であり,前者を採用したものを太陰暦,後者を採用したものを太陽暦,両者を併用したものを太陰太陽暦という。 」(コトバンクより)とあります。

現代の私たちはかつての太陰太陽暦を捨てて明治以降から太陽暦(グレゴリオ暦)という西洋で作られた「西暦」というものを用いて生活しています。これは1582年にカトリックのグレゴリウス13世はユリウス暦を西暦が100で割り切れ、かつ400では割り切れない年(例:1700年、1800年、1900年)は閏年とはしないという新しいルールを加えたグレゴリオ暦を制定したところから来ています。

古代ローマで作られたのがはじまりですから、12月のカレンダーにあるJanuary、Marchなどの月の呼び名はすべてローマの神話に出てくる神様の名前です。それにsunday,mondayなどの曜日の呼び名は北欧の神様も入っています。おかしな話ですが、私たちは日本人の神話もあるのに暦は別の国の神話の神様のカレンダーを使っているとも言えます。私たちが誕生日にこだわるのも、キリスト教会がイエスの誕生祭にこだわるからでもあります。

日本でそれまで用いられてきた太陽太陰暦にあったような農業や年中行事の和暦を全く無視した西暦(グレゴリオ暦)に明治時代に強引に政府が入れ替えました。それまで農業では、季節の節目を洞察してつくられた二十四節気・七十二候が用いられ種まきや収穫の時機や季節による農作業の準備をきめ細かく行ってきました。そして正月や節句のような年中行事は月の満ち欠けの太陰暦の日付で行っていました。それだけ昔の人は、暮らしと暦が密接でありこの和暦があることで安心して自然と一体になって暮らせていたとも言えます。

季節感がなくなってしまったのは、この暦が季節とまったくかけ離れたものを用いだしたからともいえます。今では年中行事も土日の方が人が集まるや、それがやりやすいからと勝手に日時を人間都合のスケジュールで動かすようになってきました。本来の年中行事の意味や自然の季節のサイクルともズレた行事は本来の暦の本質からも離れていく一方です。

改めて明治時代の改暦から約140年経ち、社會の今の見つめれば何が歪んでいるかに気づきます。その歪に気づいたなら自分自身がまず本質に回帰した生活や暮らしを実践し温故知新して次世代に譲り渡していかなければなりません。

今では季節感もなくなり年中行事も意味が失われてきていますから、子どもたちのためにも自分たちが実践により今の時代に適応した仕組みを創ってみたいと思います。古民家再生の一つの主柱にこの「こよみ」(暦)というものを使います。

愛は人の為ならず

人間は情というものがあります。この情に感がつけば感情と書きます。つまりはどんな人にも感情があり、心が感応するとき同時に情も感応します。昨日、我のことを書きましたがこの情というのが我に密接していますからどう折り合いをつけていくかが大切になるように思います。

諺に「情けは人の為ならず」というものがあります。現在はこれの意味とは間違って理解しているものが多く、他人に情けをかけることはよくないように使われています。しかし実際の意味はそうではなく、他人にかけた情けは巡り巡って自分のところに戻ってくるご縁なのだからそれは他人のためにではなく自分のために行っているものだということです。

人間には自我が情がありますから、してあげたことややってあげたことを相手に見返りを認めたりするものです。本来は、真心からしようと思っていたことも我が強すぎたり自分の情ばかりを優先してしまうと相手に求めたり期待したりとその行為まで歪ませてしまいます。そのうちに、恩知らずとか恩を仇で返されたとか、恩を返せとか要求したりするものです。こうなってしまうと、最初から真心などなかったかのような出来事にすり替わってしまいかえってお互いの感情がぶつかり対立関係を深めてしまいます。

同じような諺に、「受けた恩は石に刻み、かけた情は水に流せ」というものもあります。これは先ほどの情けをかけて見返りを求めるなということと似ています。なぜではこうなってしまうのかということです。

人間は誰しも自分を満たしたいと思っています。生きていくうえで、人間は承認欲求というものがあります。認められたいという心や、自分の存在を認めてもらいたいという欲があるのです。これは決して悪いわけではなく、生きていくうえでそれが転じれば社会貢献をしたいという気持ちを育てる側面もあります。しかしこれが歪んだ自己愛になっていくとよくないプライドになったり、自己中心的な考え方になったりしていくものです。

この情というものも、相手を自分と分けてかけるのではなく相手は自分そのものと自他一体になっているのならそれは先ほどの情けが人の為ならずのように真心の愛を循環させていくことができるように思います。これを言い換えれば、「愛は人の為ならず」ということなのです。

本当の自分を愛することができる人は、同じように他人を愛することができるように思います。自分の中にあるものを一つ一つ受け容れて、みんな同じような苦しみを持っていると同時に生きていくのならそのうちに自他は一体になっていくものです。

これを邪魔するのが自他を分けるということであり、自分を愛しすぎたり、自分を粗末にし過ぎたりすることで歪んだ情愛が根付いてしまうように思います。

福沢諭吉に『世の中で一番尊いことは、人のために奉仕して恩に着せないことです』というものがあります。

感謝の心を育てていくのは、人事を盡していくこと、真摯に自分を活かしていくことをやりきっていく中で次第に醸成されていくようにも思います。見返りを求めないことが愛でもあり真心です。自分がそうしたかっただけという言葉の中には、相手がもしも自分だったらと他人事にせずに全身全霊を懸けて取り組む実践によって磨かれた生き方や生きざまがあります。

愛を循環させていく心の深淵には、人を深く愛しているという人道があります。人道支援というものは決して弱い人を助けることを言うのではなく、自他一体に「情けは人の為ならず」を日々に実践していくことです。

引き続き、人類を愛するからこそ日々の小さな真心の実践を積み重ねていきたいと思います。

 

本義本業

人は誰しも感情があります、その感情は我があるから感応します。また人には誰しも真心というものがあります、その真心があるから真我が感応します。ここの境目にははっきりと我と真我という分かれ目があるわけではなくそこは薄明りのように和合しています。

この我や真我というものは頭で理解することはできず、たとえば真心なども言葉や知識で理解できるものでもありません。心技体、真摯に苦労をおしまず自己すべてを使い切っているときに発動しているものです。すべての物事はこの真心に懸っているとも言えます。つまり良いか悪いかは頭ですること、心でするのは真心のみです。

聖徳太子がこういう言葉を17条の憲法の中で遺しています。

「真心は人の道の根本である。何事にも真心がなければいけない。物事の善し悪しや 成否は、すべて真心のあるなしにかかっている。真心があるならば、何事も達成できるだ ろう。群臣に真心がないなら、どんなこともみな失敗するだろう。」

これは第9条に書かれており、良いか悪いか、正しいか間違っているか、それはすべては真心のあるなしがすべてであるといいます。それを受けて第10条にはこう添えられます。

「十にいう。心の中の憤りをなくし、憤りを表情にださぬようにし、ほかの人が自分とことなったことをしても怒ってはならない。人それぞれに考えがあり、それぞれに自分がこれだと思うことがある。相手がこれこそといっても自分はよくないと思うし、自分がこれこそと思っても相手はよくないとする。自分はかならず聖人で、相手がかならず愚かだというわけではない。皆ともに凡人なのだ。そもそもこれがよいとかよくないとか、だれがさだめうるのだろう。お互いにだれも賢くもあり愚かでもある。それは耳輪には端がないようなものだ。こういうわけで、相手がいきどおっていたら、むしろ自分に間違いがあるのではないかとおそれなさい。自分ではこれだと思っても、みんなの意見にしたがって行動しなさい。」

謙虚に自分自身の至らなさを恥じて、自分自身の真心を確認して自分を正し続けるということです。そしてこれは私たちが目指す聴福人の姿です。まずは心のままに聴くのが先だということです。そのうえで誠実に実直に真心を盡していくことこそが、人の道の根本でありそれが生きるということにおいての本業です。そういう意味で仕事のコトとは何か、このコトには意味がありますからその事が為すということは真心を盡すということであり、その真心を盡すことこそが仕事の本義本業ということになります。

頭でっかちにわかった気になる理由は、真心を盡すという本来の本義から外れているからです。頭でできるような仕事は真心を使わない分、楽を選んでいきます。自分にとって都合が悪いもの、自分にとっては苦しいもの、自分にとっては大変なものであったとしても、「それでもやるか」と自省するとき、真心がどうなっているのか、自分の至誠は果たしてどうなっているのかは自分自身(我真我)が対話をするのです。

この対話を通して人は対立関係をやめて和合し一つになります。真心を盡していくことが和合そのものであり、その真心こそが何よりも尊いのです。和を持って尊しとするのは、何よりも真心こそが全ての根本なのです。

真心の仕事こそ、カグヤの本義本業です。

刷り込みが深いのもまたこの心の対話がまだまだ未熟な証拠ですから、常に真心からの行動や言葉、そして真心での働き方、かかわるすべての物事へ真心の生き方を通して磨きをかけて刷り込みを転じて丸ごと活かし子どもたちの役にたっていきたいと思います。

 

季節をお手本にする生き方~歳時記~

かつての日本の暮らしには「歳時記」というものがありました。1872年に明治政府がそれまでの太陰暦を太陽暦に無理やり変更しました。欧米に追い付け追い越せと急いでいたため今までの日本の文化や習慣を強引に変更したことでそれまでのものが取り入れられず進化させることが間に合わなかったとも言えます。

そしてこの改暦の布告から施工までの期間はわずか23日間。従来の年中行事も慣習も全部無茶苦茶になり当時はかなり混乱したといわれています。当時の新聞には「世の中の絶無の例とされていた晦日に月が出るようになった」「十五日に仲秋の月もなく、三十日(みそか)に月の出る代と変わりけり」「三十日に月もいづれば玉子の四角もあるべし」などと書かれました。農家などは従来の慣習によらないと種まきから収穫までさっぱり見当がつかなくなったといいます。

そして季語を命とする詩歌俳諧の世界も混乱し「同じき年の冬(明治五年)十一月に布告ありて、来月三日は西洋の一月一日なれば吾邦も西洋の暦を用ふべしとて、十二月は僅か二日にして一月一日となりぬ、されば暮の餅つくこともあわただしく、あるは元旦の餅のみを餅屋にかひもとめて、ことをすますものあり(中略)、詩歌を作るにも初春といひ梅柳の景物もなく、春といふべからねば、桃李櫻花も皆夏咲くことになりて、趣向大ちがいとなれり」(浅野梅堂『随筆聽興』)とまったく季節と歴が分離されてしまいました。

旧暦を時代遅れと糾弾し、いきなり新暦に換えましたがそのことから長年日本人が季節と共に暮らし、自然と共生してきた智慧をも手放していきました。年中行事や慣習はそのころから失われ始め、今ではほとんどの家庭で年中行事が行われなくなり経済効果の高いイベントが新しい慣習として国民に根付いてきています。

歳時記というものはこの旧暦と共に存在していたものです。歳時記のはじまりは中国から渡来したものですが、それを日本の風土に照らしてはじめて著書として遺したのは貝原益軒です。書名は《重鐫(じゆうせん)日本歳時記》また《榑桑(ふそう)歳時記》ともいいます。

1688年(貞享5)3月京都日新堂刊され大本7巻7冊、半紙本4冊あり〈三百六旬の間の故実雑事を,唐土の文に出たるをば我国の文字にやはらげ,又我国の事をば見もし聞けるにしたがひて書つゞけ侍りぬ〉と述べて,民間を対象に歳時の事宜を叙述したとあります。四季12ヵ月に分かち,各月に公事,祭礼,農事,衣食等を年中行事風に配列し,異名,漢名,来由,故事を説き,図解や詩歌の作例をも掲げるなど啓蒙的な歳時記として今でも日本の伝統を確認できるものです。(世界大百科事典より)

二十四節気や七十二候など季節に密着して暮らしてきた日本人の姿が見えてきます。私たちは身の回りの自然と共に生きてきましたから、いつも周りの変化をみながら季節を常に観察していたとも言えます。

季節外れのというような感覚は、この歳時記に沿って生きてきたから察知できるものでありいつも歳時記に照らしながら変化に対して順応してきたから私たちは豊かに仕合せに生きてこられました。

今は歳時記が消え、人間都合の時間に追われ心の余裕やゆとりも失い、季節感もなくなりただ時間というスピードだけが加速度的に増してくる時代になっています。そのことから心を崩して疲れている人も増えてきています。

もう一度、日本人の生き方や暮らしを見直す時機が来ているように私は感じます、人間としての本来の幸福はこの暮らしの中に存在するからです。引き続き子どもたちのためにも歴史の問題点を見抜き、自分たちの時代で検証したものはすぐに改善していきたいと思います。

実践の語り合い

昨日、長年お取引をしていただいている保育園の先生がお二人ほど会社見学に来ていただきました。とても熱心な先生で私たちの社内の環境を観てあらゆるところを写真を撮り、持ち帰って実践できるところなどを書き留めていらっしゃいました。帰り際にはとても感動され、充実した一日だったと喜んでお帰りになりました。

実践をしている先生がさらに新たな実践を求めてやってくる、そして実践を高めている先生がお互いの実践を聞いてさらにそれを発展させていく。ここに私は道の尊さを感じます。

伊藤仁斎という江戸時代の儒学者・思想家にこういう言葉が遺っています。

「一人之を知りて十人之を知る能はざる者は道に非ず。一人之を行ひて十人之を行ふ能はざる者は道に非ず。」

現代の言葉に意訳すると「自分がいくら分かっているつもりでも周囲の誰も分からないようなものはそれは道ではない。自分だけが実践できても他の者が実践できないようなものは道ではない。」という意味です。

つまりは実践とは、皆と一緒に実践できてこそはじめて道につながっているということです。この一緒に実践していくということは、共に道を歩んでいる仲間の存在があるということです。実践が弘がっていくという尊さは、同志たちによって伝道されていくということになります。

そのように自分たちの生き方、働き方が道になっていけばその道を求めて人が集まってきます。そして同じように道を歩もうとする同志たちがそれぞれ一緒に道を歩むことで磨き合い高め合い道は踏み固められていきます。

常に実践は自分だけでわかればいいのではなく、自分だけが実践できればいいのではない。何のために実践しているのかを顧みれば、実践する目的や理由に辿り着くと思います。同じ思いや同じ祈り、同じ願いを持つ人たちは「実践によって語り合います」。

実践によって語り合うからこそ、道の先覚者であることを知り、その思想が単なる幻想ではなく現実に即したものであることに気づけます。現場実践を行うということは、それぞれの場所で同じ理念を実現しようとする生き方の合わせ鏡です。人の道を高め合う中には深い愛があります。この愛を循環させていくことが実践を語り合うということになるのです。

最後にまた伊藤仁斎の言葉です。

「蓋し道は窮り無し。
故に学も亦た窮り無し。」

道には終わりというものがない、故に学ぶことも終わることがないのであると。

分かった気になっている暇もなく、刷り込みに流される暇もなく、道は無窮、万物流転を已まないのだから、常に学ぶ仲間たちと切磋琢磨しつつ道を楽しみながら感謝の一歩をまた日々に新たに歩んでいきたいと思います。その道が子どもたちに続いていくことを信じて実践で語り合っていきたいと思います。

欠点の美

先日からAI(人工知能)のことを書いていますが、理想の人間に近づくための完璧な能力を持つということは欠点がなくなっていくということでもあります。この欠点のないものを完璧と人は呼ぶのですが、欠点とは転じればそれは長所と呼ばれるものであり持ち味ともいうところです。

色々な生き物にはそれぞれに一長一短があります。ある場面ではそれは長所であっても、またある場面では短所になります。そうやってお互いに場所を棲み分け、また役割分担をし、共生し貢献しあうようにすることで一緒に必要としあって生きているのがいのちの仕組みです。

現在は、完璧主義の思想が蔓延することで自分を必死に直そうとして苦しんでいる人が増えてきているようにも思います。欠点がなくなるということは、言い換えれば全部ひとりでなんでもできるようになることなのでしょうがそのために孤立して仕合せから遠ざかったでは何のために完璧を目指したのかということが問われます。

本来、欠点というものは直すものではなくそれは活かすものです。上手く使えば長所になってみんなに貢献できるのだから、それをどのシーンで使えば上手くいくかを伸ばすことこそ欠点を活かせたとも言えます。

この何でも活かそうとする発想というのは、悪いところを裁こうという思想ではなくその悪いところも好循環できるように活かしていこうとする一緒に生き認め合う仲間の中で生きようとする発想です。

なぜ人が認め合うことができなくなってきているのか、それは過度に能力主義に偏ってきたからかもしれません。本来、人はそれぞれがあるがままであっていい、その人らしいことが美しいというように存在そのものを認めその存在そのものが愛されていると感じることで幸福を感じます。

これをした場合のみ愛されるや、あるがままをやめた時だけ受け入れられるような社會の中では欠点はあってはならないものになるものです。みんなと一斉画一に金太郎あめのように同じになることを目指すのではなく、自分の持ち味が如何にみんなに活かされるかを目指すことで欠点は美点に変化します。

人間の持つ価値、人間らしさというものはこの持ち味によって磨かれ光り輝いていきます。引き続き、生き方を通してこれから先のこどもたちがあるがままに生きられるように自ら実践し見守っていきたいと思います。

特異点と徳以転

現在、AI(人工知能)が発展して技術の進歩がより著しくなっています。このAIの進歩は人類にどのような影響を与えるのか、今はまだその議論がまったく追いついてきていません。しかし、進歩を止めることはなく、次々に新しい技術は開発されていきます。

似たようなものの中に、遺伝子工学というものがあります。遺伝子を操作することで様々な生き物たちの姿かたちを自由に変えていく新しい技術です。最近では天才を作り出す遺伝子(賢い遺伝子)の研究も進められ、超秀才という理想の人間を作り出すことができるようになるといいます。AIも遺伝子もどれも理想の人間、いわば能力を最高まで発揮する天才を生み出すためにあらゆる技術開発を進めています。

これらの技術は、まだそれが成ったあとのことはほとんど考えることができていません。言い換えれば、人類はその技術の進歩を受け入れる準備がまだほとんどできていません。つまりは進歩に対しての人間の成長や進化がまだまったく追いついてきていないのです。

これらの技術は現代社会の人間が使うにはあまりにも危険であるという意見が様々な社会学者から世界に発信され続けています。すでに核の技術などもそうですが人間が未熟な上に人類を滅ぼす技術を人間が持ちえる場合、その高度な文明と技術によって人類が滅びるという考え方になるということです。

現時点であっても、世界は核実験を繰り返し世界中のあちこちに核が拡散されミサイルはお互いの敵国へ向けて発射できるように配備されています。約1万発以上の核ミサイルの半分はいつでも発射できる状態で待機しています。

これらの核技術についてもその進歩に対して、私たち人間の倫理はどれだけ進化したかといえばほとんど変わっていません。日本でも戦後70年を経た今、あの頃の記憶もまた風化して再び核拡散と核武装をするという話が出てきています。原発という技術の恐ろしさを東北の震災で直視したのにも関わらずです。10万年以上処理できない、人類では片づけられない技術を進歩という成功モデルにしがみついてはいつまでも同じことを繰り返しています。ここに倫理は果たして育っているのかと感じるのです。

人類は成功モデルや進歩することばかりを追い求めることに躍起ですが、同時に如何に幸福や進化を社會に創り上げていくかという人類の真の成長を求める必要があるように思います。それはかつて孔子をはじめ、様々な人類の先覚者が中庸といって徳を深めて徳を弘めるといった道徳によって築いてきた社會です。

これから時代は特異点(シンギュラーポイント)を迎えるといっています。しかし明治以降、私たち日本人が江戸時代まで大切に謙虚に生きて幸福な社會を築き上げてきた進化を西洋の進歩に入れ替えて能力主義のみを優先してきました。その結果として今がありますが、この進歩が果たして人類の幸福を生んだかということについては現在の社会問題を観ていれば答えが出ています。今は幸福よりも成功が幸福であり、不成功が不幸という歪な社会が存在します。テレビでは連日無縁、孤立、格差が深まり、進歩の陰で人間社會は貧しくなっている報道ばかりです。物が増えて技術が上がって成功しても、幸福度は貧しくなったでは本末転倒です。

そう考えてみると、これからもっとも大切なのは進歩に対して進化するために必要なものは人間の人間力ということになってきます。これはAIや遺伝子工学では生み出せません。なぜなら道具の使い手は人間であり、人間次第で道具はどのようにでも変化するからです。そして本物の人類のリーダーと呼ばれる徳を磨いていく社會の導師たちが如何にこの進歩のことをそれぞれの場所で受け入れ、それを温故知新して正しく活かせるように人類を伝道し教育していくか。つまりは徳が循環し高まっていかなければどんな進歩も活かせるかということになってきます。

私は人類がこの特異点の時代において、どちらに転ぶかはこの「徳」こそがキーワードになると思います。そして新しいこれからのリーダー像は、本来の人類としてのいのちの幸福を求めて自然の一部としての初心を忘れずに、今の技術的進歩を進化と両輪でバランスよく調和できる人類の人格を高めていく人物を醸成することです。言い換えれば自然の摂理と人間の道理に精通した人物を育てることです。

人間は本来、みんな馬鹿じゃありませんからいろいろなことをこれから体験していきますが最後は必ず人間らしい本来の姿に回帰していくと私は信じています。古代人が持った精神にもしも近代の技術があったなら、もっと世界や宇宙は平和に豊かに暮らしていけるように私は思います。

引き続き子どもたちのためにも、自分がその温故知新のモデルが示せるように精進していきたいと思います。

人工知能と原点回帰

ロボット工学が発展してくると、いよいよ人間の価値が何かということがはっきりしてきます。大量生産大量消費を通して、物の価値観が大きく変わってからそれが発展した先にこのロボットがあります。そして現在ではAI(人工知能)の開発技術の進歩が著しく、人間により一層近づいて人間の理想を凌駕するのではないかともいわれています。

先日、韓国から帰国する新聞に中国の龍泉寺でロボット僧というものが開発されそれがとても優れているという話題が紹介されていました。このロボット僧は、禅の高層の一問一答をすべて人工知能が吸収しそれを自分なりに咀嚼し、質問する人に対して答えるというものです。

その質問への答えは禅問答であり、その一つ一つには奥深い禅の哲理が入っているそうです。例えば、賢二に「渋滞に巻き込まれたんだけど、どうしたらいい?」と聞くと、「お経を唱えるのにちょうどいい」と答え、「お母さんがうるさいんだけど?」と聞くと、「年寄りなんだからほっとけば」と答えてくれる。そしてその答えを聞いた人は「心が癒される」「心が楽になった」「幸せを感じた」などという感想がたくさん出ているそうです。

これは単に正解を知っていて答えているロボットではありません、人工知能がディープレーニングを通してその智慧を答えていくのです。その際、では今の禅の僧侶たちはどうなっていくのか。今までと同じことをしていたら、それはロボットが代行するのだから自分たちの役割は何かということになってきます。

AIが発達すればするほどに仕事がなくなり、人間がいらなくなるというのはこの例からも推察できます。これからますますロボットが人間の理想に近づけば近づくほどに、私たち人間は本来の人間としての価値の原点回帰に迫られるように思います。

私は自然農や古民家再生、見守る保育の仕事をしながら決してAIが代行できないものを自覚しています。それは人工では決して近づけないものです。そういうことを磨く時代になっていたとしたら、これから先の未来はある意味では楽観的に考えられます。

結局は人間の理想というものは、対立した中では実現できません。如何に自然と一体になっているかと鑑みると私たちは逝きついた先に原点に回帰することになります。自然は常に往復しバランスを取りますから、今の時代は過渡期だということでしょう。

こういう時代にあって逆行している私のやっていることは、回帰するときには最先端になっているだろうと思います。それまでの間は、粛々と磨き上げいのちの再生を自然と一体になって風土を醸成し続けていきたいと思います。

どんなことも転じていきますから福にして、さらなる一歩、温故知新を迷わずに歩んでいきたいと思います。