ダイバーシティ

今回、韓国保育視察ではいろいろと学び直す好い機会になりました。改めて隣国、韓国でどのように質をとらえているか、何が優先されているかを観て日本の未来や行く末のことなども洞察することができました。

昨日は視察とは別に明洞や南大門など、お土産を買いに散策もしました。そこで鞄や洋服、時計などを販売している方がブランド品の「完璧な偽物がありますよ」と呼び込みをしていました。それを聴きながら完璧な偽物とは一体なんだろうと考えてみました。完璧こそ偽物であり、偽物は完璧を目指すことではないかと思うのです。

私はそれぞれにはそれぞれの天与の個性があり、あるがままであるときその持ち味は最大限発揮できると思っています。それを徳性と言います。この徳性が異なるからこそ、ダイバーシティが創造し、人類は発達と発展を永続していくことができるからです。

これは歴史が証明していて、人間においても多種多様な人たちや天才と呼ばれるような何かに特化した人物がその時代の歴史を塗り替えていきます。自然においても、秩序と混沌を繰り返し、変化に順応するために多様性を常に維持しながら原理原則に沿って営み循環を已むことがありません。

持ち味というものは均一なものや完璧を目指す中では出ては来ず、それはまるでロボットを目指そうとする生き方です。これからの時代はロボットが人間にとって代わるといわれています。人間にしかできないことが求められる中で、果たしてそのように人間の都合の良い人間だけをつくって豊かで仕合せな社會が築けるのでしょうか。

私たち人間は全体の中で循環する生き物ですから、如何に全体が好循環をするかを考える必要があります。そしてその循環は如何に自分の持ち味を活かし他を活かすかという共生と協働によって成立します。

ロボットになって技能や能力が高まっていくことはそれは文明の進歩かもしれません。しかしそれを優先し過ぎていたら本質的に時代が成長し変化できるかと言えば私はそうならないと思います。人間が進化するには、それぞれの持ち味を活かし一緒に成長していく渾然一体となった和合する力が求められます。世界は今、急速な勢いで距離が近まり多様な価値観が集合する時代になっています。これは人類の進化が求められている変化の時代になっているということです。

そんな時に、今のような子ども本来のあるがままの姿を保障しないような教育や保育が果たして時代に合うのかと疑問を感じます。子どもあるがままを理解するというのは、人間の本質を理解するということです。そのうえでどのようにしてその人間が愛を循環して未来を創りあげていくのか、それを信じて「見守る」ことが先を生きる私たちの本来の使命なのかもしれません。

その観点から改めて「見守る保育」の三省を振り返ってみると、

「子どもの存在を丸ごと信じただろうか」(子どもは自ら育とうとする力を持っています。その力を信じ、子どもといえども立派な人格をもった存在として受け入れることによって、見守ることができるのです。)

「子どもに真心をもって接しただろうか」(子どもと接するときは、保育者の人格が子どもたちに伝わっていきます。偽りのない心で、子どもを主体として接することが見守るということです。)

「子どもを見守ることができただろうか」(子どもを信じ、真心をもつことで、はじめて子どもを見守ることができるのです。)

子どもという存在をどれだけ深く理解しているか、それは自然をどれだけ深く理解しているかということです。人間の都合での解釈ではなく、謙虚に子どもや自然から学ぶ姿勢にこそ本来の人間を見守っていることになると私は思います。

また見守る保育の原則に5Mというものがあります。

①もったいない(MOTTAINAI)

②むすぶ(MUSUBU)

③もてなし(MOTENASHI)

④めりはり(MERIHARI)

⑤めぐる(MEGURU)

これらの一つ一つに照らし合わせながらそれぞれが内省し、自分の在り方から生き方を見つめ謙虚に学び続けて学び直すことが原理原則からブレナイということでしょう。そういう原理原則をマスターした人たちが常に改善を続けて理念を実践していく中ではじめてそれぞれの天与の個性、つまりは持ち味が発揮されていくように思います。

大前提がズレてしまった保育や教育には、本物を維持する力がありません。引き続き、何を優先して生きるのか、保育は生き方、つまり道ですから道の大原則に沿って改心をし続けていきたいと思います。

色々と韓国から学び直すことがありました。アジアをはじめ世界の子どもたちのためにも自分自身の改革を緩めずに努めていきたいと思います。ありがとうございました。

 

評価基準?

昨日は、韓国の企業や財団が運営する保育所を3施設ほど見学しました。施設はとても充実しており、保育環境は国家の評価基準によって均一的に準備されています。どこでも同じような施設、同じような保育、同じような環境があり多少の設備の差があってもほとんど同じサービスが提供されていました。

当然、日本の病院と同じく同じ病気で通院するのにあまりにも異なる治療をされたら患者さんは不安で病院にいけなくなりますから同じサービスをするというシステムが機能しています。それと同じで韓国の学校もその同じ質を求めて一定ラインの標準化がされているように感じました。

しかしあまりにもそこに「質」というものを求めすぎると似たような同じものが最高だと信じて本質から外れてしまうように私は思います。韓国では整形手術が流行っているといいます、みんな同じような顔になっているのは来てみるとすぐにわかります。

先日もニュースで、ミス韓国を選出する出場者リストの写真には同じ顔ばかりが並んでいました。これを見た人たちからはコメントで「同じ顔ばかり」「姉妹が出ているのか」「一人が何回も応募しているのか」というものであふれていたといいます。

これに対し韓国事情に詳しい文筆人の但馬オサム氏が「韓国人の〝美の基準〟というのは、ものすごく狭いのです。ひとつの美の型が決まると、皆それに合わせて作る(整形する)のが韓国の感覚です。私は〝韓国式たい焼き美人〟と呼んでいます。たい焼きのように同じ顔が量産されるということです。ミスコンで同じ顔ばかり、ということは、つまり、美の理想型に近い、全員美人ぞろい、ということで、むしろ〝褒め言葉〟になります」と指摘したといいます。

誰かの定めた評価基準に従っていれば理想という考え方は、果たして本当の質を高めるのかと私は思います。そういう意味で私はこの評価基準というものの用い方についてかねてから疑問を感じているのです。

韓国ではこの美醜が、その後の学校の成績や就職にまで関連してきます。誰もが同じ道を通り誰もが同じ理想を求めて競争して比較していたら劣等感ばかりが育っていきます。その劣等感を解消するために、美の理想の型に近づけるというのは本当に自分に自信を持つことができるのだろうかと思います。

「あるがままである権利」ということを昨日も書きましたが、ここにきてそのあるがままの権利の意味とその価値を再認識することができました。

一つの基準だけでなんでもやろうとするのは無理がありますし、その基準は時処位で変化しますからもはや理想は原理原則から離れています。理念を持ち実践し生き方で示す原理原則の体現者がそれぞれに必要であり、またその実践をする体現者が常に現れるように切磋琢磨しその物差しが歪にならないように常に注意していく必要を感じます。

私にとっての原理原則、その物差しは自然ですから、自然は人間の都合で変えられることはありません。常に自然に沿って自然体でいることこそがあるがままであるとし、今回の学びをまた子どもたちに還元していきたいと思います。

あるがままの権利

昨日は韓国区立の保育所と大学付属の保育所を視察する機会がありました。とても丁寧な保育を展開され、スペースも十分、教材も豊富で思っていた以上に設備が充実していて驚きました。ベースとなる評価基準や保育課程もしっかりしており、そのうえで施設長の判断で方針が展開されていました。表面上ではほとんど日本と変わらないその施設に改めて何が異なるのかという大局の観点を考え直す好い機会になりました。

そもそも保育は誰のためにあるのか、そう考えてみると親のため、国のため。子どものためなど色々とその主としているものが変わることで保育方法や概念も変わっていくものです。それは必ず保育現場に現れます。子どものためにといいながら実際には保護者のためにというところがほとんどで、理想と建前を使い分けている施設が多いのも事実です。しかもそれがもっともらしい理由がつくと、明らかに大人と子どもとが分けて語られるようにも思います。

本来、江戸時代に寺小屋という仕組みがあったころは学校は子どものためにありました。子どもが主体的に異年齢の中で一緒に学びあっていきました。師友の関係の中で、それぞれ道徳を学び、能力を高めそれぞれの持ち味を活かしながらどのように生きていくかを学びあったといいます。そこの教育現場を歴史を紐解いて深めていると、子ども主体の教育や保育が行われていたことがわかります。

現在、子どもの権利条約の関係でそれを批准する国々は子どもを尊重していく必要があります。しかし実際には、何をもって尊重しているのかということを勘違いしているところも多いように思います。ただ子どものいうことを聞けばいいではなく、子どもと一緒になって成長しあっていくような場を用意していくことだと私は思います。

子どもの権利条約のモデルになったヤヌシュ・コルチャックは、「あるがままの子どもである権利」を言います。そして「子どもを理解することは、大人自身が自分をいかに理解するかである。子どもを愛するとは、自分自身をいかに愛せるかということ。人は誰しも大きな子どもだから。」と言います。大人と子どもとは一切分けてはおらず、如何に自分を理解して子どもたちを同じように愛していくか、自分自身になっていくことを述べています。

現在、保育現場にみられる姿はそういうものとは異なり大人と子どもがはっきりと分かれています。「とはいえ」という理由をつけながら大人になっていき子どもと自分を分けていく姿の先にあるがままである権利は成り立たないと私は思います。

保育の方法を語り合う前に、このあるがままである権利を如何に考えて保育を創りこんでいるか。「見守る」という考え方、いや保育という生き方の中にはここが明確な主柱になっているからブレずに原理原則から離れず世界標準を展開できるように私は思います。

引き続き、本来の子ども主体について韓国の保育事情がどうなっているのか視察から洞察してみたいと思います。

相互発展

昨日から韓国のソウルに来ていますが、こちらは気温が零下にもなりかなり寒い状態です。先日のシンガポールは35度近くまであって真夏でしたが、今回は急に真冬です。少し離れただけでもこれだけの気温差ですから体調も崩れるのも仕方がないのかもしれません。徐々に変わっていく変化の方が負担がないことを観ると、自然はとても生き物たちに親切です。

今日から学校視察ですが、昨日は空港の中で韓国文化の展示などを拝見してまわりました。使っている道具や言葉など、日本と韓国は昔から隣国として交わっていたことがわかります。韓国にきてもあまり異国のように感じないのはそれくらい交わり一緒にかかわってきた期間が長いからのようにも感じます。

例えば、言葉なども日本語と同じ言葉がたくさんあります。それに食文化についても似たような食材がたくさん使われていますし、音楽や芸術なども似ているところが多いといいます。顔も似ていて服装も似ていますから、いっしょに訪韓している異国好きのクルーも全然韓国に来た気がしないと言っていたのが印象的でした。

それだけ似ている国だからこそ、共通の課題がありまたその中でもお互いに注意すべき点が出てきます。切磋琢磨の関係もそうですが、お互いに似たもの同士だからこそ何を気をつければいいか、批評をするばかりではなくお互いの改善点や美点を学びあうことで互いに発展が持続できるように思います。

いろいろと過去の歴史は続いていますが、未来の子どもたちのためにもお互いの美点を発見し、互いに磨き合い徳を高めあうような相互関係が築けるといいように思います。私の友人の韓国人も今は中国で働いていますが、離れていてもお互いのことをいつも心配しあっている親友です。学びあっている関係には相互発展が継続していきます。

国の違いを超えてお互いのいいところを今日も発見していきたいと思います。

進歩と進化

江戸時代から明治に変わり一番変化したものに学ぶ場所があります。それまでは寺小屋や手習指南と呼ばれた場所が、学校というものへと名前も変化しました。それは単に建物が変わっただけではなく、目的も変わっていきました。そして今に至るまで学校の在り方はあまり変わっていません。歴史を見つめ、もう一度何のために学ぶのか、私たちは見つめる必要があるように思います。

そもそも寺小屋の時の学問の目的は「立派な人になる」ことを優先して行われました。お互いを磨き、如何に人格を高めるか、論語をはじめ仁義礼智信など人ととしてどうあるべきかを互いに学びあいました。寺小屋では異年齢でお互いに教えあい、思いやりや相互扶助の精神を尊んでいたとも言います。その当時、人口三千万に対して約五万の数の寺小屋が全国にあったともいわれます。今では、一億三千万に約二万ですから今の倍以上あったことになります。

寺小屋の特徴は習熟度を重視し、今のように一斉に年齢別に教えることを行いませんでした。師弟や仲間と家族的な雰囲気の中で学習を通して人徳を磨き合っていたようです。

明治に入り学校ができてから能力主義が入ってきて、人格よりもまずは平等に教育の機会を国民に与えて国民の能力を上げることを目的にされました。頑張れば頑張るほど評価されるという教育システムは、「自分」というものが優先され寺小屋のような思いやりや相互扶助の精神が減退していったとも言えます。今では学校では道徳という授業があるだけで仕組みはその当時の学校のシステムがより一層、競争や比較、その評価が優先され能力ばかりを磨く場所になっています。

その当時の目的は急速な近代化を目指し、欧米の教育システムをモデルに文部省をつくり学校制度をつくり教育を普及しました。とにかく能力主義を優先し、早く欧米の能力を獲得することだけに特化したのです。文明開化といってそれまでの日本の文化を否定してまで文明を優先した時代だとも言えます。その国が何を目指しているのかをみるのは今のその国の教育や学校を洞察すれば観えてくるものがあります。

今日から韓国の教育視察にいきますが、自分の国にいては観えないものも隣国で起きている課題を洞察し自国に照らせばその課題の意味もまた確認できます。近代化して今の国があるのはいいのですが、もう文明開化の時代ではありません。今の時代は文化伝承の時代であると私は感じます。もう一度、日本とは何か、日本人とは何か、世界の中でどんな役割を果たしていくのかを見つめる必要があると思います。

そういう意味でもこの寺小屋から学校へ変遷した歴史、そして学校になってからどのように今があってこれからどうなっていくのかを見つめるのが社會を育てていく教育者の本当の責任だと感じます。もう世界は持続不可能であることはそれぞれで自覚をはじめています。こういう時代だからこそ、進歩ばかりを追い求めるのではなく人類としての進化の方へと舵をきりなおす必要性も感じています。

引き続き子どもたちのためにも、歴史を鑑みながらアジアをはじめ世界の課題と向き合っていきたいと思います。

畳~日本固有の文化~

昨日、聴福庵にて66年間畳業を営み今でも本物にこだわって作っている方とお会いするご縁がありました。畳も大切に使えば60年以上使えるものだそうですが、今までの痛みもありまた大切におもてなしする客間でもあることから畳を入れ替えることにしました。

お話をお聴きしていると畳の魅力や、畳がなぜこんなに日本的であるかを改めて再認識する機会になりました。

そもそも畳というものは、中国から渡来した文化が多い中で完全に日本で生まれ育ち延々と今でも大切に受け継がれている日本固有の文化の代表的なものです。つまり、日本人が生み出した発明品であり日本人の暮らしと共に一緒に今まで生活の中で息づいて共生してきた大切な道具であるともいえます。

この畳は、古事記にも記され莚(むしろ)・茣蓙(ござ)・菰(こも)などの薄い敷物の総称でした。そして現存する最古のものとして奈良時代のものがあります。今でも奈良東大寺の正倉院に保管されているそうです。その後は、平安時代には寝具や座布団の代わりとして用いられ鎌倉時代頃には部屋や床の全体に敷かれるようになります。武家が主だった畳も、安土桃山時代からは町人の間にも普及し、江戸時代頃には庶民の家にも普及します。

畳の名前の由来は使用しないときは「畳んで部屋の隅に置いた」ことから、動詞である「タタム」が名詞化して「タタミ」になったのが畳の語源とされています。

畳の効果は素晴らしく、イグサや藁が敷き詰められることで断熱性保湿性に優れ空気を浄化する作用もあります。つまりは夏は涼しく冬は暖かいということです。また音を吸収し遮音する効果があり足元から静寂を演出します。それに黄緑色の配力は心を癒すリラックス効果もあるといわれます。イグサ独特の香りも、私たちの心に懐かしく感じ和室の空間に流れる穏やかさをさらに引き立てるようにも思います。

また科学的にいうと人間の皮膚が呼吸をしていると同時に光も吸収しているといわれます。人間には自分の皮膚の色に近い反射率の色を感じると安心できるという本能があるとも言います。この畳の部屋の反射率が日本人の皮膚の反射率とほぼ同じということもあり畳の部屋は安らぎを覚える空間になっているそうです。

つまりは畳は土壁や木などと同じく「呼吸」をしているということです。私が感じる日本家屋の特徴は呼吸です。この呼吸は「息をする」ということ、つまりは「生きている」ということに尽きます。生きているからこそ、一つ一つの道具には「いのち」があります。そのいのちを大切に扱い、大切にいのちを伸ばしていこうとする作り手と使い手の「真心」があって「和」の空間は活かされていくのです。

イグサを育てている人の生き方、そのイグサだからこそ大切に作りたいという作り手の生き方、そして私たちがそれを子どもに伝承しようとする生き方、それが三位一体に寄り添って今回の畳替えが行われます。

12月には畳を私たちも一緒につくるという体験も得られます。この貴重な体験から日本人とは何か、日本の原点とは何か、日本の心とは何かをもう一度深め直したいと思います。

日本固有の文化に誇りが持てるような機会を子どもたちに伝道していきたいと思います。

 

学問道楽

昨日、一年ぶりにドイツに一緒に保育視察研修にいった仲間たちと熊本で同窓会を行いました。もうドイツに一緒に行ってから6年が経ちましたがこうやって毎年、欠かさずに歳月を共に噛みしめ、お互いの成長やご縁、その人生の物語や苦労を分かち合えることに感謝を覚えます。

同じ師に学びその後のお互いのことを語り合う、この人生の妙味があってこそ学問道楽の幸福を知るように思います。

江戸時代に伊藤仁斎という人物がいました。京都で私塾「古義堂」を1666年に開き、その門下生は3000人を超えていたといいます。ここに学びに来る人たちは豪商から農民まで幅広く、その徳を慕って集まりました。この私塾は明治末期、1905年まで続きます。

この伊藤仁斎の学問は、人の道についてです。人としての生き方を問い、自ら実践の中で学び改善していくこの学びはたくさんの人たちに人道の在り方を伝道していたように思います。独自を掘り下げて愛が実徳であると真心の実践を説き、自ら人の道を示す生き方を貫いていた仁斎の教えは人々の心を深く導いたように思います。

私も師の御蔭様で学問道楽の妙味を知り、如何に真心を尽くしていくことが人の生きる道であるか、また如何に内省し実践を重ねて自らの徳性を磨いていくか、そういう学問の妙の中にこそ人の生き方があることを教えていただきました。

孔子や孟子はもうずっと以前に亡くなり、他国の人でしたがその道は連綿と受け継がれ歩む方々によって今に伝承されていきます。学問道楽は決して道楽息子などの悪い意味で使われることではなく、この時の道楽は道を歩む道楽のことです。学問は、自学自問でありどんな徳性を天が自分に与えてくださっているのか、そして自然と一体になったとき自分の中にある真心の姿と邂逅できる仕合せに愛を感じることのように思います。

活かされている実感があって共生の歓びもあります。恩師というものは導師であり、この学問道楽に導いてくださった方のことです。そして導師があってこそ同志もまた出会えます。君子の徳を身近に感じられることは、人生において何よりもかけがえのない有難いご縁とご恩をいただいたということかもしれません。

論語に『君子の徳は風である、小人の徳は草である、草は風にあたれば必ずなびく』とあります。こうやって徳になびいていく人たちを見守りながらその人たちの支えになれることにもまた仕合せを感じます。

最後に伊藤仁斎の言葉です。

「勇往向前、一日は一日より新たならんと欲す。」

また同窓会で元気と勇気をいただきました。引き続き、子どもたちの未来のために自分のできることを真心で尽力していきたいと思います。

 

一緒とバラバラ

先日から一緒とバラバラという言葉を深めています。一緒というのは家族的であり、その反対がバラバラですがそこには今までの教育や社会の環境の刷り込みがあるように感じます。今、人と一緒になろうとしてなれず孤独で苦しんでいる人たちが多いように思います。誰といても孤独を感じてしまう、もしくは何も感じない人になるのは本心のままであることを否定してきたことで発生しているのかもしれません。

そもそもその大前提として、もともと個人がバラバラだから一緒になろうとするのともともと一緒だから一緒なのだと信じているのでは意味が異なります。一緒になっているというのは、丸ごと信じているということです。そしてバラバラというのは言い換えれば部分しか信じていないということです。

例えば、親でもなんでも見守る存在のことを自分自身が丸ごと信じ切っていれば安心しているものです。この安心こそが一緒を理解している場所であり、繋がりや絆を感じて一緒になっているのです。しかし不安や疑心暗鬼、疑念をいだいているのならすでにそれはバラバラの状態であり無理に一緒にしようとしても心がついてきていないのだから一緒になっているわけではありません。

そして一緒になれない理由の一つには、心を閉じていることが問題なのです。この心閉じるというのは信じないという心の態度です。信じられるまで相手を疑い、いつまでも自分が傷つかないように自分を守っていたら信じる人は現れません。ここまでは信じる、ここまでは信じないと自分で評価していたら疑うばかりで信じることができないからです。

信じるというのは一種の覚悟で、信じれるまで裏切るのではなく裏切られるまで信じるというように自分が信じたことを自分で信じるという行為によって成立します。これは単に盲目に感情的に信じようとするのではなく、自分の本心、あるがままの自分でいようと決めそこで人と関係を築こうとする心の態度です。今の社会は、競争、比較、評価と常に自分の身が危険にさられている世の中です。自分の身を守ることばかりに終始し思いやることよりも自己保身に走れば本当の自分をさらけ出すことはありません。そうやって自分を必死に守ってきたことで常に先に自分ばかりを気にするようになりそのうち相手との関係が築けずバラバラになっていったのでしょう。

バラバラになったものを無理につなげようとするのではなく、本来は競争しなくても比較しなくても評価がなくても、自分という存在はあるがままに認められているということを自覚することが自分を知り相手を知るための大切な要素であると気づくことです。あるがままの自分を認めることは、あるがままの相手を認めることです。ここは認めているけれどここは認めないというような自分自身に対する評価は、必ず相手に向かって向ける眼差しになり無意識に周囲に攻撃します。こういう自分のことを理解し、こういう自分でも愛してくれている人たちがいることに感謝できてはじめて今の自分を丸ごと認めることができるのかもしれません。

最後に作者不詳ですが、「一緒」になるための要諦を記した素敵な文章があります。

『一週間一緒に居たいなら、相手の好きな自分を演じること。

一ヶ月一緒に居たいなら、相手に合わせた自分でいること。

一年一緒に居たいなら、自分の気持ちを全部伝えること。

ずっと一緒に居たいなら、ウソをつかないでいること。』

引き続き、一番身近にいる自分自身との付き合いを内省により見直していきたいと思います。そして未来の子どもたちの社會が繋がりと絆で満たせるようにその解決するための仕組みと仕法を見出していきたいと思います。

和の精神

日本人の食文化に「和食」というものがあります。この和を食べると書いて和食ですが、常に和合しあう精神に満ちた日本の食はユネスコ無形文化遺産に登録されています。「自然を尊ぶ」という日本人の気質に基づいた「食」に関する「習わし」を、「和食 日本人の伝統的な食文化」と題して認められたものです。

「和食」の4つの特徴として農林水産省HPにはこう書かれています。

(1)多様で新鮮な食材とその持ち味の尊重

日本の国土は南北に長く、海、山、里と表情豊かな自然が広がっているため、各地で地域に根差した多様な食材が用いられています。また、素材の味わいを活かす調理技術・調理道具が発達しています。

(2)健康的な食生活を支える栄養バランス

一汁三菜を基本とする日本の食事スタイルは理想的な栄養バランスと言われています。また、「うま味」を上手に使うことによって動物性油脂の少ない食生活を実現しており、日本人の長寿や肥満防止に役立っています。

(3)自然の美しさや季節の移ろいの表現

食事の場で、自然の美しさや四季の移ろいを表現することも特徴のひとつです。季節の花や葉などで料理を飾りつけたり、季節に合った調度品や器を利用したりして、季節感を楽しみます。

(4)正月などの年中行事との密接な関わり

日本の食文化は、年中行事と密接に関わって育まれてきました。自然の恵みである「食」を分け合い、食の時間を共にすることで、家族や地域の絆を深めてきました。

このように書かれます。

文化遺産に登録されるということは、その文化がもう消えかけてきたとも考えることもできます。消えかけてきたものを守るために活動しているわけですから、もともとあったその文化が失われているという現実と向き合う必要があります。

和食というものは、単に日本料理のことを言うのではなく私は「和」を尊ぶことを食でも実践したというように捉えています。私たちの先祖は、親祖の示した和の精神を大切に国家を形成してきました。それには家は和であるという考えに根差し、如何に一緒に暮らしていくかを様々な年中行事やあらゆる節目によって確認仕合い、その初心や理念を伝承し継承してきました。

今では、個食が進みそれぞれがバラバラに自分の好き勝手な食を進めてきています。欧米から入ってきた食の取り方を真似ては個ばかりが尊重され本来の和が失われてきました。そして次第に原点としての和の食の実践もまた失われつつあるのです。

文化の本質は自分の個性です。だからこそ子どもたちは、自分たちは何者なのか、日本人とは何か、そういうものを幼いころからの暮らしの中で体験し体得していくことで文化は醸成され自分たちの本物のアイデンティティを獲得していったのです。しかし今のように子どもの周りの環境の中で日本の文化に触れる機会もなくなってくれば自分のことがわからず終始さ迷ってしまいます。

本来、それぞれの風土がどのようになっているか、自分が生まれ育ってきたところがどのようなものであったかを自覚することで、自分が出来上がってきたルーツを確認して自分の全体の中での役割を自明し、循環する世界において自分を尽くして仕合せに生きていくのが人生の妙味です。

個ばかりを優先させ、歪んだ個人主義を教え込まれ、和の心が失われていては自暴自棄になっても仕方がありません。震災や災害の時の日本人には、自然に和が取り戻されていきます。それは失われているようで失われていないのが文化の本質だからです。大事なのは、自覚することでありそのような環境をふたたび用意していけば自ずから先祖とつながり、絆を深め自分たちを取り戻すのです。

引き続き子どもたちのためにも、和を尊び、和の実践を深めていきたいと思います。

一家一和

昨日、ある保育園で理念研修を行いました。ここは家族的であることを大切にし、安心して笑い声が絶えないことを優先していこうという理念の保育園です。今の日本では家族的ということが次第に失われ、子どもたちをはじめ家庭もバラバラになってきています。私たち日本人は和を重んじて和を尊んできた民族です。その主柱には「家」という思想がありました。この家というものは、一家のことであり一家は一和のことです。

仲睦まじく一家の一員として大切に思いやりながら暮らしてきた民族だからこそ、みんなで一緒に生きていこうと仲間と仲良くしていくためにも私たちは家を形成して家族をつくってきたとも言えます。

私たちの会社でも一家ということを重んじ、バラバラになってしまわないように数々の工夫と実践をつくっています。その一つに「だんらんち」というものがあります。これは一家「団欒」と「ランチ」とを合わせたカグヤ用語の一つです。

食文化というものは、言い換えれば「食即文化」「食は文化なり」「食=文化」ということです。おいしいものとは何か、それは「家族が一緒に食べること」です。一緒にというのは、安心してたのしい、そこにはつながりや絆を感じながら心休まる幸せで豊かな時間です。

月に一度、私たちは一緒にみんなで集まってちゃぶ台を出しては電気を消して自然の光の中で同じ釜の飯を食べます。そして食べて落ち着いたらみんなで近況の報告をしあいます。これは仕事であつまり仕事でやっているのではなく、家族一緒の時間を味わっているのです。

古来より先祖たちは囲炉裏を囲み、家族が集まっているのはこの食事の時間でした。この時間の幸せのためにみんな一生懸命にそれぞれが働きました。この幸福な食卓の時間こそ家族を顕します。そして絆を確認します、それはどんなに離れていてもいつも心は一つ、一緒だよというつながりを結ぶのです。

家族的の反対は何か、それはバラバラになることです。歪んだ個人主義が蔓延している昨今では、個の自由とかいいながら好き勝手に我を通している人が増えていく中でより一層つながりが消え、絆が分断されバラバラになって家が失われています。

どんなに豊かに物が増えてみてもつながりや絆の豊かさには絶対にかなうことがないのです。それが人間の本性であり、それが自然の摂理です。つながっているからこそ私たちは安楽に穏やかな人生が送れます。

もう一度、バラバラになったものをつなぎなおす必要性を私たちは心の底で感じているはずです。そのためにも理念が必要であり、そして一緒に生きて実践する仲間がいるのです。

仲間と一緒に過ごす時間は、かけがえのないものです。家族が一緒に過ごす時間は、最幸の思い出です。

子どもたちがもっとも望んでいるもの、子どもたちが将来幸せな人生を歩めるようにまずは自分たちが一家一和を実現し「一緒」になることを実践していきたいと思います。