ブランディングという言葉があります。全てのものにはブランドといものがあります。ブランドという言葉の語源は、他人の牛から自分の牛を区別するために牛のわき腹に焼き印を押すという意味の「burned」が語源であると言われています。そこから転じて他と区別するという使われ方になっています。このブランドの意味について深めてみようと思います。
英語ではBRANDにINGがついてブランディングということになります。これは名詞ではなく動詞です。私はこのブランドは無機質ではなく生命であると思っています。目的や意志を持ち、生きるものには生命が宿るからです。そして私はこのブランディングの定義を持ち味であるとしています。なぜならこの持ち味は、その社會全体の中で存在するもので単体では存在できないものだからです。
例えば、他人によってはブランドを差別化戦略などという言葉を用いる人もいますが本来、何を使命にしているか、自分たちが何のためにという目的を明確に打ち出して取り組むかでそれぞれの持ち味は変わってきます。その組織やその人が明確な理念があるのなら、次第にそれはブランド化していくということです。人は無理に周りと比べて違いを出すのではなく、理念を優先する中で無私になるとき己の持ち味が引き出されて全体に感化していくのです。まるで自然界がそれぞれの植物たちが多様に共生するようにそれぞれは自然の理に沿って真摯に生き切っているだけですがその中で全体にとって必要な役割と持ち味が発揮され全体が循環していくのと同じようにです。
そしてブランドがINGが入り動詞であるというのは、社會の中での意義や理念がそれぞれに生き続けて時代の変化の濁流の中でも杭がしっかりと立っていることを証明します。
アメリカの広告会社TWBACEOのジャン・マリー・ドル―氏が「アップルは反抗し、IBMは答えを出し、ナイキは熱く語り、ヴァージンは啓発し、ソニーは夢を見て、ベネトンは抵抗する。 つまり、ブランドとは名詞ではなく、動詞だ。」と言いました。
ブランドというものは、それぞれの使命が社會の中で生き続けていることでありその生き続けるものが実践され顕現するほどに可視化されたとき周囲にそのものの目的が伝わりはじめるのです。
そしてその目的がたくさんの人たちに共感されることで、そのものの価値や持ち味が認められるのです。そしてこれは決して単に見せかけで見た目だけを誤魔化してできるものではなく、創業者をはじめ一緒に取り組む仲間たちが強烈に一つの思いのためにいのちを懸けて真摯に実践を積み重ねたうえではじめて味が出てくるのです。自己をなくすほどに渾然一体となった祈りや願いや行動は自我の色を超えて透過した存在になっていくのです。まるで空気のようなもので、ないようにみえてここにはなくてはならないそのものの持ち味があります。
つまり持ち味とは、自分の根源的な性質が引き出されることを言います。つまりは比較や数値などでは測れず、点数もつけられず評価もできないものが出てくるということです。つまりは存在そのものの意味や、自分を超えた存在が滲み出てくるということです。それは産まれながらに持っているものであり、地球の味や月の味、宇宙の味が出てくるのに似ています。そのもののもっているあるがままの価値がブランドとして顕現するのです。
ブランディングというのは日々の小さな理念の実践、その思いの積み重ねによって実現するものです。
一日一日はそのブランドが練り上げられる修練の日々でもあります。これは稽古と同じで、怠ることはできません。持ち味の発揮は無私による真心の実践ですから引き続き理念を省み真摯に挑戦していきたいと思います。