昨日、東京でGTサミットが開催されました。講師の先生から赤ちゃんの「見る」と「聴く」についての講演がありました。改めて赤ちゃんはどのように見えているのか、聴こえているのかを思うと、私たちが今の時代の社會に適応する前の原始の状態が観えてきます。動物たちと同じように産まれてすぐの存在が如何に全知全能でその後、次第に必要な能力だけを残して他を削っていくという最適化のシステムを持っているのには納得することばかりです。
本来、人間は周りの環境の中で自分自身をどのように役立てていこうか選択していきます。組織や所属、環境が変わればその人もその場所で変化していくものです。頑固に自分を変えない人もいますが、その場合はその頑固が辿りつく先に役に立ちたいものがあるのかもしれません。
しかし実際は、周りを見て環境に適応していくというのが生き物の姿です。動物たちや畑の植物たちも、周りの環境の中で適応していきます。その適応は例えば、長い時間をかけて鳥が飛ばなくなることもあり、地上の生き物が水中に入っていくものもあります。
これは決して数年から数十年で行われることではなく、数百年数千年をかけて行われていきます。これを私は「進化」と呼びます。進化というのは、環境に適応しつつ自分の方が環境にあわせて変化していくことです。
ヤゴがトンボになるように、地中の幼虫がカブトムシになるように進化の過程で生き物は変化していきます。現在の人間が機械を用いておこなっているのは進化ではありません。赤ちゃんをみているとその進化の原点が確認できます。
自分から進化をするというのは、古来からの生き方を伝承しつつ今に温故知新していくことです。進化をやめるのは、自分は変わらずに環境の方を変えていけばいいという人間の傲慢さのようにも思います。如何に便利な技術で、環境をコントロールした気になったとしても、本格的な自然災害に耐えうる持続可能なものは現段階では生まれていません。
人類は改めて、進化とは何か、赤ちゃんから学び直す必要性を感じています。子どもを人類のお手本にして原点回帰する時代も近づいてきているように思います。引き続き、子ども達のためにも環境について深めていきたいと思います。