人類の進化~赤ちゃん~

昨日、東京でGTサミットが開催されました。講師の先生から赤ちゃんの「見る」と「聴く」についての講演がありました。改めて赤ちゃんはどのように見えているのか、聴こえているのかを思うと、私たちが今の時代の社會に適応する前の原始の状態が観えてきます。動物たちと同じように産まれてすぐの存在が如何に全知全能でその後、次第に必要な能力だけを残して他を削っていくという最適化のシステムを持っているのには納得することばかりです。

本来、人間は周りの環境の中で自分自身をどのように役立てていこうか選択していきます。組織や所属、環境が変わればその人もその場所で変化していくものです。頑固に自分を変えない人もいますが、その場合はその頑固が辿りつく先に役に立ちたいものがあるのかもしれません。

しかし実際は、周りを見て環境に適応していくというのが生き物の姿です。動物たちや畑の植物たちも、周りの環境の中で適応していきます。その適応は例えば、長い時間をかけて鳥が飛ばなくなることもあり、地上の生き物が水中に入っていくものもあります。

これは決して数年から数十年で行われることではなく、数百年数千年をかけて行われていきます。これを私は「進化」と呼びます。進化というのは、環境に適応しつつ自分の方が環境にあわせて変化していくことです。

ヤゴがトンボになるように、地中の幼虫がカブトムシになるように進化の過程で生き物は変化していきます。現在の人間が機械を用いておこなっているのは進化ではありません。赤ちゃんをみているとその進化の原点が確認できます。

自分から進化をするというのは、古来からの生き方を伝承しつつ今に温故知新していくことです。進化をやめるのは、自分は変わらずに環境の方を変えていけばいいという人間の傲慢さのようにも思います。如何に便利な技術で、環境をコントロールした気になったとしても、本格的な自然災害に耐えうる持続可能なものは現段階では生まれていません。

人類は改めて、進化とは何か、赤ちゃんから学び直す必要性を感じています。子どもを人類のお手本にして原点回帰する時代も近づいてきているように思います。引き続き、子ども達のためにも環境について深めていきたいと思います。

旬の実践

自然には「旬」というものがあります。これは季節の廻りによってタイミングというものがあるということです。このタイミングを逃すと旬は離れていきます。今の時代はこの季節や旬を気にせずに好き勝手にやりますが実はこれはとても理に適っている古来からの大切な知恵なのです。

今回はこの「旬」というものを深めてみたいと思います。

この旬というのはよく食材で使われます。季節の中でもっとも美味しい時期を指し、この時期のものを食べれば身体にもいいし味も美味しいということです。つまり四季を通してもっとも最も生育条件が揃った環境で育てられ、最も成熟している時期であるのが旬であるということです。

この時の旬というのは「自然の恩恵」をもっとも受けている時期とも言えます。この自然の恩恵に感謝して、その感謝がカタチになったのが旬の定義でもあります。またこの旬には食材に限らないのも旬です。最後の宮大工と言われる西岡常一さんにこういう言葉が遺っています。

「仕事の割り振りでも、季節を考えなきゃなりませんな。働く人は農家の人が主です。だから仕事をするのでも農閑期に使えるように段取りしたものです。今はそれがありませんな。旬がなくなったんです。旬は食べものだけじゃないんでっせ。仕事を進めていく上でも自然の運行と深い関連がありますのや。」

仕事も同じく、環境が整い、環境に恵まれているときは何をやっても上手く事が流れていきます。反対にタイミングがズレてしまうと後の祭りになってしまうことが多々あります。なんでも直観的に行動する人は、このタイミングを逃すことがありません。タイミングを逃さずに行えば自然の流れに従って力をお借りすることができます。

例えば農家などは全部この自然の運行の力を使います。雨季の前に種を蒔けば、水を撒かなくても自然が水を与えてくれます。また雑草も待っていれば秋風が吹いて自然に枯らせてくれます。自分のチカラだけではなく、自然の他力を存分にお借りしてその仕事を成し遂げるのです。

今の時代は、自分の思い通りに動かすことが仕事だと勘違いする人たちが増えこの「自然の運行」や「季節の廻り」というものを無視して自分の都合だけでスケジュールを動かそうとさえします。

しかし何でも物事には「タイミング」があり「旬」がありますから、そのリズムを大切に守りながらそのリズムによって自分を運び動かしていかなければ仕事もまとまるものも全部流れていってしまいます。大事なのは自分の都合か相手の都合かではなく、「流れ」を読むことであり、全体でいま何が動き、何を行うことがもっとも全体の流れを邪魔しないのかと自分から進んでその流れに乗っていくことが必要です。

これもまた旬であるということです。

この旬を逃すとどうなるかは食材でも同じく、熟しすぎて腐ってしまったり早すぎて食べれなかったりします。タイミングを見続けるには自分を優先しすぎてはならないように思います。そして自分を度外視して相手のために真心を盡したり、思いやりから苦労を厭わずに行動していかなければなりません。それが自然そのものに繋がっているからです。

タイミングを逃さないというのは、いつも御蔭様に感謝して御蔭様を見続けている実践、つまりはそこには自分以外の物事がいつも自分を陰ながら助けてくださっているという謙虚に信じ続けているからタイミングに恵まれるのです。

運が善い人というのは、自然の運行に沿っている人ということです。

引き続き、自分の直観を信じて謙虚に学び直していきたいと思います。

自然に直す

昨日は、高菜漬けの漬け直しの手入れを行いました。毎年、秋の出荷に合わせて漬け直しを行っていますが塩加減で発酵しているものですから自分の都合で勝手にスケジュールを変えることはできません。

自然というサイクルというものは、相手に合わせて自分の方の動きを変えていくしかありませんから自分都合でスケジュールを動かしていたら相手は枯れてしまったり腐敗してしまうものです。

常に相手に寄り添い、自然に沿った中で自分の方が見守り続けていくことこそが自然と一体に謙虚に生きていくことのように思います。またその見守りの中で、今、相手がどのような状態なのか、今、どのようになっているのかは気にし合って意識しあって、心を離さず信じ合っている中で距離感が掴めてきます。

毎年同じように作っていても、同じようにできることは一度もなく、少しでも油断すると全部だめにしてしまうこともあります。酒造りや漬物作りは、今では化学薬品や化学調味料で同じように工場で温度なども一定管理して必ずできるものだと思っている人もいますが、自然に作るものが如何に難しいかはやっている人しかわかりません。

そういう意味で、自然に沿ってものづくりをする人たちの生き方、謙虚さにはいつも尊敬の念がこみ上げてきます。

これは作物だけではなく、ものづくりだけではなく、人間関係でも同じことのように思います。自分の都合でスケジュール通りにいったからと、それで人間関係が深くなったのではありません。やはり相手に寄り添い、手入れをし見守り合っていく中で関係が磨かれ育まれていきます。

人は思い通りにしたいという願望から、思い通りではないことを悪とさえ思う人がいます。しかし実際は、不自然だから思った通りにならないだけでそもそも自然が何かと常に正対し内省して自分の方を自然を砥石にして切磋琢磨するのなら思い通りなどというものがないことに気づきます。

そして思った以上のことをいつもしてくださっているという御蔭様の感謝に気づけるのです。今回の漬物であっても、私が不在の間、発酵場の生き物たちや菌類たち、そしてそこの家としてある木樽、そして炭、また漬物石や周囲の木蔭や木々、土にいたるまですべて御互いに活かし合い助け合い補い合いながら共生していました。

そういう場の中で私が作ろうとする高菜も見守られ、安心して出来上がっていきます。この場というもののは、ちゃんとその場を形成する仲間たちの存在が欠かせません。

手間暇をかけて自然に近づいていくことは、自分自身の不自然を直し、生き方を治すことです。引き続き初心を忘れず、何のために実践するのかを大切に取り組んでいきたいと思います。

弱さの本質

人は他人に迷惑をかけてはならないと教育を受けて何でも自分で一人でできる人になるようにと教えられてきているものです。しかし実際に齢を経て実感するのは一人できるものなど存在しないと実感するものです。

今の自分が存在するというのは、ご先祖様のお蔭であり両親が産んでくれたからあります。そして自分一人が育つために膨大な数の方々の見守りが入っています。自分のことばかりを考えて人は生きていますが、その周囲の御蔭さまに目を向けてみると有り難い感謝の中にあって自分が育ってきたのが分かるのです。

「助けてもらわなければ生きていけない存在」、和たちたちは赤ちゃんの頃からそうやって周りに感謝し謙虚にお蔭様の存在と共に生きていくように遺伝子にインプットされてきました。しかしそれをその後の教育によって自分一人の力で生きていくようにと教え込めば、勘違いをしてお金があれば生きていけるや、能力が高ければ生きていける、体力さえあれば生きていけるなどということを思う人もいます。

しかし実際には自然の中にある空気をはじめ太陽や水、そして私たちの食べ物から衣服住まい、すべてのものは他の誰かの存在によって与えてもらい助けていただいているのです。だから迷惑をかけているのは御互い様なのです。そのことから御互いに感謝の心を籠めて「ありがとう」と言います。

世の中では何かをしてもらって「すみません」という言葉もありますが、それを迷惑ばかりかけてすみませんという意味ですがこれを謝罪で使う人もいます。しかし本来のすみませんは、「ここまでこんな私にしてくださって心がざわついて澄みません」という感謝の意味で使われるのです。

常に御互いに助け合い支え合い迷惑をかけあっているからこそその有難さを感じて人は「繋がる」ことができるように思います。一人で生きていく中で自ら繋がりを切っていく人と、皆で生きていくために繋がりを強くしていく人がいます。

先日からの弱さを絆にの「弱さ」の本質は、謙虚であること感謝していること、分を弁えていること、つまりは助けていただいていることを自ら認め周りに感謝していることでその絆を力にしていくのでしょう。

一人で無理をして頑張ってできるようになることが自立ではなく、御互いに支え合って助け合って共に貢献しあう仲間ができることが本当の自立です。歪んだ教育によって、人類の大切な教えを間違えてしまうようなことをしないようにいたいと思います。

助け合うことで強くなっていく絆を大切にし、見守り合う仲間を子ども達に譲っていけるように刷り込みを実践で乗り越えて善きものへと転じていきたいと思います。

 

小欲と大欲~理念の商売~

先日、べてるの家では自分たちの体験した病気がそのまま商売のカタチになっていました。同じように私の会社で行われている聴福という実践もまた自分の体験から産み出されたものです。

私は以前から思い込みが強く、理想の自分像というものに近づけるために他人の話をまったく聴かない人間でした。自分のこうありたいを頑固に他人に押し付けては、自分の理想を守るという勘違いをずっと行っていました。

今ではその理想を守ることが私利私欲で小欲そのものの自己満足であったことを自覚し、そのことから自分の他に理想を出す「理念」というものを持つ大切さを商売にしました。理念は大欲であり無欲ですから、小さな我慾を守るのではなく大きな理念を守ることで自分の思い込みを取り払い、周りへの思いやりや優しさを忘れないように自戒を籠めて理念を優先する実践を行ったのです。小さな欲は視野を狭くし大きな欲は理念に回帰しますから理念を常に優先することを大事にして視野を広くしたのです。

そして聴福というものも、自意識過剰で自分を気にするあまり心の余裕を失い他人の話をまったく受け容れなくなることで自分から仲間を断絶し周囲へ不信や疑念をまき散らし大切な人たちへの感謝を忘れてしまうため「聴く実践をする」ことを商売にしたのです。

他にも、自意識の感情に呑まれて何でも自分でできるようになることを優先し一人ぼっちになってしまい孤独が独善になってしまったことを悔い、コーポラティブアクティビティやその他の刷り込みを取り払う実践を商売にました。それに受信するばかりで発信を怠ることで一人で勝手に正解思考に陥らないように風通しをよくするために「ミッションページ」や「一円対話」などの周りと繋がり続けて自分勝手に自己満足に陥らないように商売にしているとも言えます。

自分の体験したことが誰かの役に立っている状態というのは、まさに自他一体であり、それは大欲であり無欲であり理念を実践していることと同じことです。自分が体験することがお役に立てる仕合せは、我慾を超越して理念を実践できる仕合せです。言い換えるのならもっとも理想の自分でいられているという証明なのです。

自分というもののこうありたいが単なる我慾であることに気づくのは、理念を理解するかどうかによります。理念が理解できないでいると全部のことを慾に換えてしまいます。人間が苦しむのも、自分自身との正直で素直な自分を取り戻せないからとも言えます。

弱さを受け容れることや弱さを発信することは、自分自身で歪んでしまっている自己認識を受け容れる行為のように思います。自分が間違っているかもしれないといつも周りに心を開き素直に聴くことは福に転じます。そしてきっと何か理由があるのかもしれないと相手に素直に意見を求め聴くこともまた福になります。

聴くことこそが福になった自分の人生の体験が、「聴福人」という現在です。素直に謙虚になれる人は感謝を忘れない人です。自戒としてまだまだ商売になっていない実践もありますが、それもまたいつかは乗り越えたとき商売になるかもしれません。

理念経営を行うということは、自我欲と理念の異なりを自覚しているかどうかは何よりも大切であろうと私は思います。

引き続き、自分の体験を全て丸ごと自然に誰かの役にたっているような万能薬になれるように自己と正対し理念に昇華する実践を積み重ねていきたいと思います。

人類の先生

先日、浦河ひがし町診療所で川村敏明院長の御話をお聴きする御縁がありました。ここは浦河町の中で「べてるの家」と連携して一心同体になって町全体を見守る仕組みを担っている病院です。世の中では対処療法で病気だけを見る人もいますがこの病院では常に根源治療の方を優先している気がして、先生も自ら「治さない医者」だとし、あくまでその人の人生そのもの全体をみんなで丸ごと見守るという姿勢にとても感動しました。古来からの御医者様の生き方を現代に見た気がして、胸に込みあげてくるものがありました。

先生の御話は、すべて今までの常識を覆し発想の転換で病院を経営しています。そもそも病気が悪いものではないという起点に立っていて、病気の御蔭で人生がよくなっていくという視点で患者さんの人生のチャレンジやその人の主体性を見守っていきます。

かつては川村先生も大病院勤務の頃はやっていたのは患者の為ではなく単に自分のためだったと仰り、今では「医者がすべてではない、私がなければだれがやるとなっていた。仲間の御蔭ですとか、周りの御蔭とかの方が良いとした。医者は限定的でいい。」と言い患者の主体性を大事にした治療に転換されています。

患者さんの浮袋になるのではなく、患者さん自らが泳げるようになるようにと患者さんを大切にするだけではなく患者さんが世間や社會に帰り安心して暮らせるようになる方を治そうとされています。

私達が子ども第一義で実践することもまったく同じことです。何をもって子どものためというのか、ここでは川村先生の仰る何をもって患者のためかということ同じです。

私達が子どものためにというのは、子どもが安心して暮らせる社會を治すことに他なりません。そのためには、一人ひとりの生き方を換えていくしかありません。一人ひとりが持っている持ち味やその人本来の魂を如何に見守るかは、自分の生き方や実践を通してしか弘めていくことができないからです。

私が今回、もっとも学んだことは「弱さ」の持つ「豊かさ」です。弱いということは如何に豊かなことか、これは自分の本心をさらけ出すことだったり、自分の駄目だと思うことを周りに伝えることで帰ってくる信頼、仲間に出会えることです。

一人で頑張っていてもこの豊かさはありません。手に入れた強さと共に失った弱さが貧しさになりその人の苦しみが悪いものになっていきます。だからこそ弱さを絆に換えていくために弱さをさらけ出すことが仲間を信じることであり、真の自立や共生に繋がるのではないかと私は感じます。

最後に、今回のご縁でまた二宮尊徳に纏わる逸話を思い出しました。

『医者には、大医、中医、小医がある。小医は病を癒し、中医は人を癒し、大医は国を癒す。また大医は、その人が生まれた時から死ぬまで、健やかに豊かにその人の生涯を安心立命に過ごしていくことができるように見守る医者のことを言うのだ。』

本物の医者は、本物の教育者でもあります。医者も教育者ももとは一つ、人類の先生であるということです。

今のような時代、心を病み魂を亡くして苦しみが増えているからこそ義憤と慈悲をもって人々に愛を伝道していきたいと思うのです。

日本の各地には同じような生き方を貫いている人たちがたくさんいることを知り、有り難い気持ちになりました。ご縁に深く感謝しています。

引き続き、子ども第一義の理念に沿って実践を高めていきたいと思います。

 

苦労の至宝

昨日は、北海道浦河町にある「べてるの家」と「浦河ひがし町診療所」を見学するご縁をいただきました。お昼のランチには、べてるのカフェ「ぶらぶら」にてランチを頂くこともできました。

この浦河町という町に、志を決めた方々が存在し、この小さな町から発信していくチカラ強さに驚くことばかりの一日を過ごしました。まずべてるの家の理念は、「・三度の飯よりミーティング・安心してサボれる職場づくり・自分でつけよう自分の病気・手を動かすより口を動かせ・偏見差別大歓迎・幻聴から幻聴さんへ・場の力を信じる・弱さを絆に・べてるに染まれば商売繁盛・弱さの情報公開・公私混同大歓迎・べてるに来れば病気が出る・利益のないところを大切に・勝手に治すな自分の病気・そのまんまがいいみたい・昇る人生から降りる人生へ・苦労を取り戻す・それで順調」というものがあります。

これはべてるの家が、日々の出来事の中から気づいた大切な初心を取り戻すための実践目録でもあり、この考え方や生き方を優先していけば病気は善いものに転じられると考えられているものではないかと私には感じました。文字だけを読めばなんのことかはわからないと思いますが、べてる用語といってその組織が育んだ文化は言葉に顕れているのが分かります。

私達の会社にもカグヤ用語として、分かった気にならないことや自分に矢印、聴福人など自分たちの気づくの中から大切な初心を忘れないための言葉たちがたくさん生まれています。言葉というものは、自分自身と向き合える大切な道具でもあり、また刷り込みを取り払い本来の姿を自覚するための大切な神器でもあります。

一緒にいきていく人たちが、何がもっとも大切なのかを御互いに認め合い自覚しあい助け合うためにも理念の共有合ってこそのこの仲間づくりであろうと私は思います。何のためにその経営をするのかという、根本意識はどんな経営をするのかという方法論よりも常に先んじていることが生き方を仕事にしている人には何よりも重要なのです。

私がべてるの家を観てもっとも同感したのは、人間関係の苦労を大切にしているところです。人間は「人の間」と書きます。人は人と関係を持ち、人間関係がもっとも人間を人間らしくし、人間が人格が磨かれ人間になるものです。その苦労を避けてしまうと人間はやはりどこか歪んでしまうように思います。人間関係に自立と共生は欠かせない学びの項目です。その人間としての苦労を避けるのではなく、敢えて御互いに苦労を味わいながら生きていく中にこそ最高の宝があると私は思います。人間としての歓びは仲間ができることです。その仲間がいて助けてくれるのなら、その人は仕合わせな人生を送れます。

先日のアイヌの活動家アシリ・レラさんの言葉にお父さんの教えとしてもっとも大切なのは「仕事ではない。食べることではない。お金を得ることではない。人間関係がいちばん大変なんだ。これができる子になったら、世の中は怖くない」とあったそうです。

苦労を悪いものにしていないべてるの家の実践は、多くの人たちに今の時代に必要な御互いを思いやる心を育てることや、自立と信頼を絆にする仲間づくりのための要諦が詰まっているように感じました。

その他にもべてるの家の生き方を拝見していると、私たちの会社に共通するところが非常に多く有り難い勇気をたくさんいただきました。子どもに譲れるものばかりに溢れていて今回のご縁に改めて深く感謝しております。

まだまだ書きたいことが本当に多くありますが長くなり過ぎるので明日のブログで、浦河ひがし町診療所の有り難いご縁と内省から学び直したことを書いてみたいと思います。

共生の先生

かねてより念願だった北海道旭川の斉藤牧場を見学するご縁をいただきました。台風の後の牧場は日差しが強く、牛たちが木蔭でゆったりと涼んでいる様子、またのびのびと草を食べる様子に懐かしさを感じ有り難い気持ちになりました。

ここ斉藤牧場は、世界でもまれな独特の飼育方法「蹄耕法」という牛が自ら牧草地を切り拓いていくという仕組みを実践されている牧場です。通常は重機を使い牧場をつくりますがここではほとんど牛に任せて場を見守り整えていきます。

山には牛だけではなく、様々な野生動物や虫たち、多様な植物たちが存在しながら牛もまたその中の循環の一つとして生活を一緒に営んでいます。牛舎の中で牛乳を搾取するためだけに用いられる牛ではなく、いっしょに生きる仲間として生活し牛乳を分けてもらうのではその根本の考え方が異なります。これは自然農や自然養鶏でも感じましたが、人間の都合で生き物を単なる使用品の一つにしてしまうではそのもののいのちは喜ぶことはありません。

なぜ使用品になるのかは、結果だけを求めてプロセスを蔑ろにし効率優先、合理化優先、手間暇を悪かのように排除してきているうちにこのような結果主義になっていくのでしょう。現在、私たちが飲む牛乳は水よりも安くスーパーなどに提供されていますがその陰には、大量の飼料や牛の改造、もっと牛乳を出させるためにとあらゆる方法で牛に負担をかけているのがわかります。

何をもって「おいしい」というのか、そこには意味があります。舌先三寸を誤魔化した味付けの美味しいは脳だけ喜べばいいのでしょうが自然の理に適っている「おいしい」は、手間暇や素材、そのプロセスそのものを五感で美味しいと感じるのです。

斉藤牧場でいただいた搾りたての牛乳は、飲んでみるとすぐに見学した牧場の様子が感じられその美味しさに自然の恵みが入っていることを感じます。そう考えてみるとすべていただいている食べ物は、自然の中でいのちを輝かせ活き活きと伸び伸びと仕合わせであればあるほどにその生き物から発せられる生命力もまた同じようにいのちが育っています。

私達が本当に食べているものは単に胃袋を満たすためのものではなく、いのちそのものを分けてもらっているのかもしれません。だからこそわけてもらっている仲間やパートナーである生き物たちを大切に見守りフォローしていくことでそのいのちを分け合っていきていくのです。

かつての共生には常に分け合うという思いやりがありましたが、今は人間世、人間界のみのために地球が使われてきているように思います。「いのち」は決して人間のためだけにあるものではないのだからもっと経済効率だけに縛られないような生き方をみんなが決めてそういう生き方にお金を払うような時代にしていく必要があるように思います。

自然は共生の先生ですから自然に寄り添う仕組みを実践する先人たちから自分の生き方を見つめ見直し、未来の子ども達のためにも自然のいのちの本当の豊かさを遺し譲れるように自らも実践を積んでいきたいと思います。

神への祈り~カムイノミ~

昨日は、アイヌの祭りのカムイノミ(神への祈り)に参加してきました。あいにくの台風で拝見することができませんでしたが、その尊さと場の雰囲気を感じることができました。

この祭祀は、人々が暮らしていく上で大切なことを一週間をかけて準備して執り行われる儀礼でもあります。男性は家を守る神様としてのイナウという道具を木を削り準備していきます。女性は御酒造りをして捧げるものを用意していきます。今回は最終日のみの参加になりましたが、本来は一週間前から丁寧に真心を籠めて準備をすることが祭りそのものでもあり、御祭りとはこの神様や自然に対しての自分の心を澄ませていくための大切な期間であるのです。

アイヌではこの世にあるすべてのものは魂が宿っているとして「カムイ」(神様)であると定義しています。これは日本の神道にもある八百万の神々と同一のものです。いつも身近にはカムイが存在していて、そのカムイと相談しながら、信頼しながら、語り合い折り合いをつけながら生きてきたのです。

このカムイノミの儀式では、祭祀がまず「火のカムイ」に祈ります。アイヌにとっての火のカムイは、とても大切なカムイとされます。この火はぬくもりやあかりでいのちをあたためるだけでなく、日々の食事を手伝ってくれます。さらに人間の願い、訴えを聞いて、他のカムイへ伝えてくれると考えられているともいいます。人間の祈り言葉に足りないところがあればそれをうまく補ってくれるとも言われます。常日頃から火のカムイは私たち人間を支えてフォローしてくれている老父老母のような存在として崇め奉っているそうです。

私も囲炉裏や炭火を実践する中で、火の中の在る「ぬくもり」が心に伝承することを繋いでくれる役割を果たすような気がしていました。夜の暗闇の中に和蝋燭をつければ言葉が少なくても伝わることが感じられるのです。御互いの自然の感性に触れるためにも闇と明りをつなぐ「火のカムイ」の存在はとても大切なもののように思います。

今は電気ばかり電灯ばかりをつけていますが、いちどその電気電灯を消してみて時代を見直す必要を感じます。火の神様に見守られていることを忘れないことこそ自然と共に生きて来た先祖の真心を感じることではないかと私は思います。

最後にこのカムイノミでは祈り言葉として、人類の平和と自然への感謝、言い換えるのなら「地球にすまうあらゆるカムイ」に向けて祈りの「言葉=カムイ」が捧げられます。まるで八百万の神々に向けての自分も一体になったいのりのように私は感じます。

今回の祭りに参加してもっとも印象に遺ったのは、この祭りを主催しているアイヌの活動家、伝承者であるアシリ・レラさんの言葉です。

「アイヌは地球をカムイにしている。だから戦かう必要もなく争う必要もない。みんなそうやって仲良くしていけるといい」

何のために活動しているか、何のために伝承するのか、その真心を御縁をいただき深く感じました。

地球に生き残ってきた先住民の方々の思想は、時代の篩にかけられて永く生き遺った智慧の結晶です。この文明がたった数千年で終わったとしても、これらの先人たちが築き上げた文化は数億年の歴史をもっているかもしれません。私たちは今の文明が最先端だと視野を狭くしていますが今一度何がもっとも大切なことかを見直す必要がある様に思います。

人類が存続する鍵は、このようなもう数少ないが力強い生き方の中に遺っています。お祭りを深める最初の祭りがアイヌであったことに深く感謝しています。引き続き子ども達の未来のためにも祭りを通して大切なことを学び直し伝えていきたいと思います。

自然住

昨日はアイヌの古来からある住居「チセ」を見学する機会がありました。このチセは、北海道の厳しい冬を乗り越えるために編み出されたアイヌの伝統の智慧でもあります。かつての人間は自然の仕組みに精通していて、今のように全部人間のエネルギーだけで解決しようとは思っていませんでした。

現代は石油や電気などの燃料を消費して熱を出して暖めますが、かつては自然の仕組みを最大限活用して厳しい寒さを凌ぎ、高温多湿の夏を乗り切ったとも言えます。

この古民家の持つ不思議と魅力を少し整理してみます。

本来、私たちの住まいは生きていくための最低限を保障するものでした。それは言い換えるのなら、いのちのための最大限の環境を創るということです。

このチセは日本の古来の縄文時代の住居と同じように土間の上に木組みで組まれた建物にワラや笹を用いて断熱したシンプルなものです。その中心には囲炉裏があり、一年中火を熾し生活をしていました。

そこでの暮らしはとても合理的であり、囲炉裏の火を熾すことで夏は湿気を飛ばし室内を乾いた空間に換え、冬は床暖房のように蓄熱し室内を温かく維持する空間にします。

この仕組みの凄いのは、自然のサイクルに沿っていることです。夏は冬の寒さを土が貯めて半年間ほど土を冷やします。よく今の季節でも自宅の犬が土を掘って真夏の灼熱の暑さをしのいでいるのを見かけます。ためしにその掘った土に触れてみるとヒンヤリと冷たく天然の冷房が機能しているのが分かります。いくら表面が光で熱せられても土の方は逆転して冷たいのです。

そして今度は冬になると、地下深くは夏の間に蓄熱した熱がそのまま土に保持されています。クマや野生動物が土の奥深くで冬眠するのも、土の中の温度が暖かく過ごしやすいからです。いくら表面が凍って雪が降り積もろうが、地中深くは暖かいままの温度があります。

この自然の仕組みを先祖は家づくりに取り容れているとも言えます。そしてその調整役を担うのが「囲炉裏の火」の役目であったように思います。私たちは保存食をつくるにも燻製やカビを撃退するのも炭火や煙を用いて来ました。日々の食卓は、この囲炉裏の火で賄われてきました。年中この火を絶やすことがなかったからこそ、室内環境は快適に過ごせたとも言えます。

暮らしというものは、食べる寝る着るといった衣食住が中心に行われます。その中心には自然との共生があり、自然の仕組みを活かしたもので私たちは無駄なエネルギーや無理な活動をわざわざ使うことがありませんでした。

それが永い時間をかけて生き延びてきた智慧であり、自然と一体になって生きていけば安心して生きていけるという自然界の生き物たちの智慧を活かしているともいえます。

確かに今の時代は、裕福に物に溢れエネルギーも無尽蔵にあるようにみえます。しかしこれは一時的に燃料を掘り出したり、資源を食いつぶしているから豊かに見えるだけで資源がなくなればかつてなかったほどの悲惨な状態になっていきます。

以前、ある生き物で溢れた豊かな小さな島で、人間が木材は金になるからと競ってみんなが森の木を切って売り払ったらその島は生き物が絶滅し人間もまた最後に絶滅したという話を聴いたことがあります。

これと同じような未来を見据えているのか、かつての古来の先人たちは何を知っていて自然に寄り添ったか、その住まいや佇まいから私たちは大切なメッセージを受け取る必要があるように思います。

もしくは今の文明はたった数千年ですが、もっと以前、何億年も前には似たようなことが何回もあったのかもしれません。今の生き残りの先祖たちというのは、生き延びてきた先祖たちであることを改めて私たちは意識する必要があるように思います。

だからこそ畏敬の念をはらい、尊敬の念をもってその智慧を学び直す必要があるのです。子ども達のためにも、博物館化してしまう死んだ知識になるものではなく生々しく呼吸する智慧のままで歴史を伝承をしていきたいと思います。