人はどうありたいかを決めたら実践し近づいていくしかありません。自分の理想とする自分に近づくことは夢をカタチにしていくことでもあります。その時、もっとも大きな課題は自分に打ち克つことができるかということになってきます。
自分自身の心情のコントロールができるようになることが実践の意義のようにも思います。例えば、したくないなと思うことを敢えてやることや、先延ばしできることを今やること、また面倒だなと思うことを丁寧にやること、こういう一つ一つの実践の中に実践の醍醐味があるとも言えます。
先日、理念の話の中で忙しくなって余裕がなくなると理念から離れてしまうという相談を受ける機会がありました。その際、理念ができるかできないかよりも忙しいけれど忙しくしないことや余裕がないけれど余裕がないようにしないことが実践であることを話しました。
つまりは、「ふり」をすることも大切な実践であるということを言いました。この「ふり」というのは「振る舞い」のことです。これは先ほどでいえば忙しくないふりをすることや余裕があるふりをすること、他にも愉しそうなふりをしたり、笑顔を絶やさないふりをすること、この振る舞いは行動のことであり、実際の心情とは異なっていても行動の方を変えてみることです。
実際に自分の心情に嘘をつかないとそのままであればそれが自分の目指す姿から遠ざかったり周りに悪影響を与えることがあります。そんなときは振る舞いを直して自分自身、己との対話をして己に打ち克つしかありません。そうやって振る舞いという行動を変えていくことが実践であり、これらの実践を積むことで次第に日常の自分自身も次第にその振る舞いの心情になってきて平常心が醸成されていくように思います。
そして実践を続けてたら、自ずから自分自身の振る舞いのおかしさに気づき、「ふり」を正すことができます。それが続けば、「他人のふり見て我がふり直せ」という 工夫ができるようになります。人は結局は己自身との向き合いによって変化するものだから、みんな自分自身と正対していくしかなく、そこに実践することの必要性が出てくるのです。
また我がふり直す内省を通して己自身の中に感謝の心や御蔭様を忘れていたことを知り、反省して振る舞いを変えていきます。振る舞いが変われば心情も変わり、次第に謙虚で素直な自分に近づいていきます。
実践の大切さは、我がふり直す内省に気づけることです。
子ども達のためにも引き続き、内省の実践を積み重ねていきたいと思います。