革新の要

先日、5年目になる自然農の田んぼに無事に田植えをすることができました。東日本大震災からこの田んぼとの御縁ができ今では畑をはじめいよいよ人の手が入ってきた感じがでてきて味わい深い豊かな環境ができてきています。

この自然農の田んぼは機械を用いず、手作業で手間暇かけ手入れしてきました。そのためか畦も他の田んぼのように真っ直ぐではなく曲がりくねっていますし、形も真四角ではなく楕円形でカーブを描いています。

復古創新に取り組んでいますが、もともと私はこの復古創新をこの自然農の田んぼで行っていることに気づきます。現在、大規模農業で開いている田んぼは大きく大型の機械を使って耕していきます。昔では考えられない広さを一人と機械で耕していくのです。そして機械がつくりますから正確にキチンと仕上がります。

しかし昔の棚田のように大型機械が入ることが出来ない田んぼは人の手で丁寧に耕されていきます。人手が必要ですから家族総出、親戚や友人まで借り出してはみんなで一緒に田植えを行います。機械のようにはキチンと仕上がりませんが、独特の味わいを醸し出していきます。

この棚田を観るとき、私はこの棚田を単に古いものだとは感じません。むしろ人の手で丁寧に手入れされたこの棚田はとても美しく豊かに感じその姿容には新しさも覚えます。もちろん休耕田になって誰も手が入っていないものはただ古いだけです、しかしそこに手入れという人の手が入ることで新しい価値を今に創造するのです。

そして今、新たに古民家の手入れをはじめましたがこれも自然農と同じです。如何に初心を継続維持するか、実践し続けることが出来るか、そこに創造と革新があるように私は思います。

そもそも新しいとは何か、それは実践を続けることでいのちが吹きこまれ続けるということです。つまり新陳代謝のことです。呼吸のように、息ているものはいのちを躍動させていきます。いのちが活きているものは、常に活き活きと働き続けるのです。詩経にある「鳶飛魚躍」のように、持ち味を活かしそのものの性が自由に躍動し豊かさに満ちていくのです。

温故知新は如何に理念の実践を継続していくかが鍵です。そして実践を継続することができれば改善することも同時に進みますから継続こそが革新の要だということです。

理念を定めれば必ずその後に継続の実践道場は顕れます。人が志が試され練磨され、人格が陶冶され徳が高まっていきます。そして自然に道が拓かれていき、その道が子々孫々へと連綿と結ばれていくのです。引き続き、かんながらの道で出会う一つ一つの御縁を大切に実践により価値を再定義し直していきたいと思います。

左官との出会い

昨日、大分である有名な左官の親方とお会いする御縁をいただき土場工場を見学する機会がありました。そこには様々な土壁や漆喰の塗り見本のサンプル、また見たことのないような今の時代に合った商品が開発されていました。すでに40年近くこの道を進まれ、今では伝統や技術を継承するために様々な活動を行っておられました。

今はあまり土壁を塗るという機会が少なくなり、若い人たちに経験させてあげる機会が少ないと仰っていました。文化財の修復や個人の住宅のリフォームなどで土壁を塗る機会があるときは文化伝承のために学ぶ機会をつくっておられました。文化伝承は一度途切れると二度と取り返しがつきません。先人たちからの大切な技術や心を伝えるために、親方として色々と苦心なさっているのが印象的でした。

土については、かねてから御指導いただいている方もいて改めて土に興味を持つと不思議な魅力に満ちているのを発見します。こんな面白い世界があったのかと、炭も鐵も砂も土もどれも自然が産み出した至高の材料たちです。

この「左官」という名の由来には諸説あるそうですが、まず律令制度の時の官位として『官(大匠)を佐たすける』という意味があること。または砂を使うので「砂官」「沙翫」とし土を薄く塗って、向こうが透き通るような「紗(しゃ・うすぎぬ)」を作るから「紗官」の意味もあると言われています。どちらにしても、土や砂、水や鉱物、全ての素材の本質やその徳性を知り尽くしているだけではなく、様々な素材との調合によって様々な色合いや色彩、技法を盡した総合芸術でもあります。

本来、この土を塗るという仕事は遡れば縄文時代の前から行われていたものです。竪穴式住居の壁も土を見分けて塗り固めていました。その後、土器や竃などもすべて土で行われます。どの土を調達するのか、その土をどのように調合するのか、あらゆる素材を知っているからこそその土を産み出すことができるとも言えます。日本の伝統的な和の住空間を考えるとき、そこには必ず左官がいます。今では左官職人が減ってきて伝統が途切れそうになってきているといいますが、和の住空間の需要がそれだけ失われてきているということでもあります。

昨日の御話でとても印象に遺ったのは、「土に近づく」ことの大切さです。現代は、すぐに壁をクロスを貼って部屋をつくりますが土だとすぐに何か物があたったりするとボロボロと壊れていきます。クロスはそれがないから安心といいますが、実際はガラスのように割れるものであり、土は壊れるものです。そこから大切に扱うことを学び、ものを大事に接する素養が自然に身に着きます。自然素材というものは脆いものですがその分、手入れを怠らず丁寧に修理していけば何十年何百年と維持できるものばかりです。

親方は土のワークショップと称し、子ども達が様々な土に触れる機会をつくっています。土に近づくような生き方をしようと、新たな作品を産み出し続けるだけではなくその生き方を通して日本人としての本質と文化、その価値を新たに刷新するために初心の伝承を行っておられました。

今回の聴福庵の復古創新ではじめに出会ったのがこの左官という志事です。どのように今の時代に合わせて伝統の革新をするか、私自身もこの場を見極め本質をさらに深め、よくよく自然から学び直しつつ、生き方と働き方の一致を実践していきたいと思います。

聴福庵の初心

私たち日本人は和風の空間の中に入ると心が和み落ち着くものです。これはもともと私たちが懐かしいと感じる心から来るものです。私たちが心で感じるものは、全てかつて体験したものです。心にそれがあるからこそ、その心が感応してそれが出てくるのです。

この和風の空間というのは、私たちの暮らしの空間のことです。心が落ち着くということは居心地がいいということです。そして居心地がいいというのは、一緒にいたい存在ということです。それだけ永く共に暮らしてきた家族家庭があることを人は「懐かしい」と思うからです。

例えば、和風の空間には様々な家具や道具たちがいます。外からは採光が差し込み現れる薄い陰、縁側から穏かに流れてくる涼しげな風の音、また水や木の薫り、炭の温もりや静かなけむり、それらはすべて懐かしいと感じるものです。

私たちが懐かしいと感じるものは、かつて永い間生活を共にして助け合い認め合い尊重し合った大切な仲間たちでした。自然界では、自分たちが生活を共にする仲間たちとともに文化を形成します。畑で作物一つ育ててみても分かりますが、何かを育てればそれに近しい親類たちが自然に集まってきます。虫なども同じで、自然に親戚が集まってくるのです。

家族というものの定義が何か、親戚たちが集まり仲よく暮らしていく中で自ずから仲間が共に暮らしはじめていく。ここに本来の家族の意味があるように私は思うのです。

今の時代、かつて悠久の歴史を共に生きてきた仲間を思いやらず人間のみ中心の世界を築くことで次第に仲間が減っていき孤立してきています。仲間に対する扱いもただの食べ物として扱い、ただの置き物として扱い、価値がないものとして粗末にしています。大量生産大量消費そのものが、いのちを単なる「物」としてのみ扱い、本来のもののあわれといった心がある存在として感じられなくなってきています。

昔の仲間たちが傍にいる安心感というのは、格別なものでそれによって心は深く和み癒されていきます。今は本来の社会が失われ孤立で苦しみ病み悲しんでいる人たちがたくさん増えてきました。その空間には果たして仲間たちが親しみ合い結び合う「もったいない」という御縁の繋がりといのちの鼓動がいつも聴こえてくる環境なのでしょうか。

私が今、実践し弘げようとしている聴福というのはそのいのちの声を聴くことです。それは仲間であることを思い出させることです。本来、人間も自然の一部、仲間そのものです。そこから離れすぎてしまえば我儘で傲慢さゆえに孤立が深まっていきます。確かに自分の思い通りの道具を仲間と呼ぶ人もいますが、本来の仲間とは自分が扱うように扱われるものです。尊重し認めていないものを果たして仲間と呼ぶのか、そして果たしてどのような親戚が集まってくるのかと私は疑問に思います。仲間と共に暮らす物語を一家として志すことが親祖から連綿と続いてきたいのちの文化を子孫へ譲り渡していくことです。

和風の空間の本質は、仲間と共に暮らす場ということです。

改めて聴福庵の初心との御縁がどのように変化成長していくのか、大義を忘れずに真心を盡していきたいと思います。

立志聴福

昨年、石見銀山の他郷阿部家に訪問するご縁をいただいてから復古創新という言葉に出会いました。論語の温故知新という言葉は知っていましたが、本来の日本の文化である「勿体ない」という考え方に繋がってはいませんでした。

しかしあれから1年近くが過ぎ、価値を新たにするということの深い意味とそれは今を生きるものたちの使命であることを実感しています。

私たちは「不易と流行」という変わるものと変わらないものの中にあってその時代時代を生きそして暮らしを継承していくものです。明治以降、江戸時代の鎖国の反動からか西洋の文化が流入し何でも新しいものに価値があるという価値観が広がり古いものには価値がないとさえされてきました。それからの日本は、本来の価値のある文化遺産をタダ同然に捨てていきました。現在は一部の人だけが骨董品や、嗜好品などといって収集していてそれを売り買いし、本来の伝統や伝承の意味が正しく継承されていないようにも思います。

他郷阿部家の松場さんご夫妻は、『「世の中が捨てたものを拾おう」という考え方を持ち「復古創新(ふっこそうしん)」つまり古いものに固執するのではなく、いにしえの良きものをよみがえらせ、そのうえに新しい時代の良きものを創っていくことを大切にしよう』と実践なさっています。そして最近の解釈では「革新の連続の結果が伝統であり、革新継続の心は伝統より重い」とブログにも紹介されていました。

ただ古いものを遺せばいいというものではなく、それをどのように革新していくか。つまりその時代時代を生きるものの使命として、かつての日本の心や精神を身に着け、さらにはそれを今の時代で反映しより善く発展できるように精進する。「不易と流行」の本質はこの復古創新にこそあるように私も思います。

そしてこれは「生き方」のことを教えてくれているものであり、この時代、どんな生き方をするのかと私たちは今、問われているのです。

世の中がどう変化して変わったとしても、生き方を変える必要はないはずです。生き方を変える必要がないのなら、変わるところはさらりと変わる。変化を愉しみ変化を味わうのは、変わる楽しさを知っているからです。そして変わる楽しさとは、自分が自然に照らして間違ったと気付いたらすぐにそれまでの人間中心の生き方から自然に寄り添い尊重する生き方に変わっていけばいいということです。

謙虚さというものは、自然を尊重し自分を変えていくことです。そして素直さというのは、日本古来の生き方を維持し大切な大和魂を守ることです。この変わるものと変わらないものとは、自然界と人間界の道理であるのです。自然に逆らわず自分たちの方を変えていくことが悠久の歴史において時代を循環し革新していくシンプルな法理なのでしょう。

ここにきて私にも地域への御恩返しができる「場」が与えていただけたこと、さらに一つの出会がから多くの出会う「間」、日本古来の大切な文化を守り生き方を変えて革新していこうとする仲間たちが集まってくる「和」に喜びを感じます。古来のかんながらの道、そして立志聴福、子ども達に安心して時代を譲り渡せるよう日々新たに温故知新していきたいと思います。

水の徳

自然界というものは、常に万物流転しているものです。ありとあらゆるものに容を易えながら消えては現れ、そして顕れては消えていきます。しかしその本体は普遍的なもので存在しています。それは種が育ち花を咲かせ実をつけそしてまた種になるのと同じです。

自然の中においては土があり、木があり、そして鉄があり、火や水があります。私たちは鐵を中心に周りを水で包まれた惑星に住んでいます。私たちがもっとも師とする生き方は水であり、水と一体になって存在するこの地球は水の生き方から離れることはできません。

老子に「上善水如」があります。

「上善は水のごとし。水は善く万物を利して争わず、衆人の悪む所に処る。故に道に幾し、居るは善く地、心は善く淵、与うるは善く仁、言は善く信、正すは善く治、事は善く能、動くは善く時。それただ争わず、故に尤なし。」

意訳ですが、この世に在る至上の善を司るのは水である。水はこの世にある一切のものの役に立ちそして何ものとも争わず常に人々が嫌がるような低いところに存在している。その水の生き方はまるで道のように謙虚である。よく水が居るところは大地を潤し、その心淵は深く澄み渡っている、思いやりを与え続け、嘘もなくそこには信頼がある、私心なく治め、事は能力を活かし、動く時を知る。どんな時においても何ものとも争うことがない、そして決して誤る事がない。と。

水とはもっとも身近にあって空気のように気づかない存在ですがその持つ「徳」は、自然界では最も至大至高の存在なのです。先祖たちは常に水から学び直し、その謙虚で素直な姿に自らの心を祓い清めて真心を発揮していたように思います。

水の徳性として、「恩恵」「不争」「淡泊」「秘力」があるといいます。それは日頃から万物に利益を与え、常に謙虚でしかも柔軟であり、執着が無くさわやかに振舞い、時には大暴れの実力を秘めているということです。

さらに氷から水蒸気、霧や雨、空気にいたるまであらゆるものに寄り添って変化を已みません。万物流転し循環を促し見守る存在こそ水なのです。

この時期は田植えがはじまり今日も水に学ぶ一日になります。日々、学び直しを繰り返し傲慢になっている自分を省みて穢れを水に流し、新たな気持ちで再生していきたいと思います。

 

とも

今の時代は友達というものの言葉の意味が変わってきているように思います。自分を中心に人を分けては差別し分別し争いは尽きません。本来、人類をはじめすべての生き物たちはこの世の中で共に助け合い支え合った友人たちとも言えます。悠久の年月、自然災害や様々な困難、また平和で豊かなときも苦楽をずっと一緒に乗り越えてきた友達とも言えます。

友というのはプロセスを一緒にいきる、二つではなく一つの存在のことであり、分かれているものを自分勝手に分別したのを友とは呼ばないように思うのです。言い換えれば周囲にあるすべてのもの、地球に存在する生物非生物いたるまで、いのちはすべて友とも言えます。

アメリカインディアンたちは、自然と共に暮らしてきました。自然と共に生きる者たちはすべての声を聴き、すべてのものと「ともに」往きます。つまりこの「とも」の言葉の響きが「朋・伴・共・友」と同義でありすべてのいのちと歩むのです。彼らの言葉の中にそれが観得ます。

「地の果てまで行っても、海の向こうまで行っても、空の果てまで行っても、山の向こうまで行っても、友達でないひとに出逢ったことはない」

「植物は人の兄弟姉妹、耳を傾ければ語りかける声を聴くことができる」

「どんな動物もあなたよりずっと多くを知っている」

こちらが耳を傾けていけば、友はこの世に満ちています。しかし今は、自分の人生に縛られ時間に縛られ、大切なことを感じることができなくなっているように思います。星の王子様にこういう言葉があります。

「人間たちはもう時間がなくなりすぎて、ほんとうには、なにも知ることができないでいる。なにもかもできあがった品を、店で買う。でも友だちを売ってる店なんてないから、人間たちにはもう友だちがいない」

なんでも結果だけを重視し、評価ばかりを気にして生きていたら大切なものに気づけなくなります。この世でもっとも大切なものは一緒に寄り添い生きる友であり、その暮らしの中で助け合う仲間です。時間というものの概念が、様々なものを見えなくしていったように思います。悠久の自然の中にある自他の存在に気づくことが、友を見出す入口になるのかもしれません。

アメリカンインディアンたちは自然と「とも」に生きて私たちに伝えます。「日と夜、季節、星、月、太陽、その移ろいを見れば、人より偉大な何かの存在を思わずにはいられない」と。ともに生きる人たちには、そのともに生きる存在を感じ、友に常に心を開いていくことを大切にする生き方をしています。そこでは現代社會にあるような様々な孤立や偏見、差別は存在しません。それが自然界だからです。

最後に谷川俊太郎の「ともだち」と題する言葉から抜粋します。

「にんげんじゃなくても ときには ともだち。

どうしたら このこの てだすけが できるだろう。

あったことが なくても このこは ともだち。

このこのために なにをしてあげたら いいだろう。

あったことが なくても このこは ともだち。

おかねもちのこ まずしいこ、
どうしたら ふたりは ともだちに なれるだろうか。

だれだって ひとりぼっちでは いきてはゆけない。

ともだちって すばらしい」

人間は立場を分けたことで、本当の人間関係が築けなくなっている人が沢山います。きっとみんなそれでとても苦しんでいますから、同じように苦しんでものをみてほっとけない、なんとか助けてあげたい、時には共に寄り添い見守りたい、そう思うのが人間本来の素直な心情ではないかと思います。真心はいつも自然に湧き出てくる自然体の中に在ります。自他に正直に生きていけるよう、子ども心を大切にともを守っていきたいと思います。

 

純粋とは何か

物事の実相が素直に観える人は、心が澄んでいます。心が澄んでいるというのは、あるがままを感じることができるということです。言い換えれば、純粋な心のままということを言います。しかしこれはどのようなものか、改めて純粋ということの意味を深めてみたいと思います。

まず純粋という字を辞書でひくとまじりけがなく、邪念私欲がなく、一途さやひたむき、打算や駆け引きがないことなどが書かれています。そしてこの字の生い立ちを見て見ると純はたばねた髪飾りをつけた幼児の象形でまじりけのない美しさの意味を表します。そして粋も完全に精米した米の意味から、まじりけがないの意味を表します。これらはまじりけがない存在のことを純粋としています。つまり全体から感じるイメージは「まじりけがない」ことが純粋さのことであろうと思います。

しかしまじりけがないとは何か、何がまじることなのかということです。まじるというのは不純物が入ることと思われます。しかしちゃんとまじるものこそが純粋とも言えます。それは混然一体のまじりけこそが純粋そのものなのです。つまり何でも素直に受け容れることができる、それが純粋でいうところのまじりけがないということだと私は思います。つまりまじりけがないということは、すべて丸ごと混じらせることが出来るという意味です。

だからこそ純粋な人とは、素直で寛容な心を持つ人だとも言えます。さらに心が開いているオープンな人でもあります。これは言い換えれば、子どもの純粋さと同じです。子どもに善悪はなく、こどもに正否はありません。心のままにあるがままにありとあらゆることをそのままに感じる素直なままの存在です。それが大人になると次第にその心が閉じていきます、閉じないためにはあるがままの全てをあるがままに受け容れて味わっていくことで子ども心は維持されていくのです。一円対話の妙味も其処に尽きるとも言えます。

詩人で書家である相田みつおさんにこういう詩があります。

「あなたの心がきれいだから なんでもきれいに見えるんだなぁ」

これはきれいをきれいと感じている人の純粋さを語っているようにも感じます。つまり心がきれいかどうかもありますが、そう味わっているんだと思えるということです。

他にも「雨の日には 雨の中を 風の日には 風の中を」があります。これも同じように自然のままに純粋に味わっている姿があります。「体験してはじめて身につくんだなあ」などもあります。同じく詩人坂村真民さんは「万巻の書を読んでもその姿勢が正しくなかったら何の価値もない 大切なのは人間を見る眼の人間に対する姿勢の 正しさにある 真実さにある 純粋さにある」と言います。このお二人のどの詩にも物事の実相のことが素直に語られています。

このありのままのことをあるがままに感じる感性、それを素直さとも言い換えてもいいと思いますがこれを磨いていく人こそが純粋性を保つ人のように思います。いちいち味わうことをしないために知識で塗り固めていたら、大切なものを感じる素直な心も次第に消失していくものです。どんなことも丸ごと受け容れる、どんなことも善いことだとして受け容れる、そういう味わい深い生き方の中にこそ純粋さはあるように私は思います。

子どもを守る仕事、子ども心を見守るのだから大人になっても老人になっても一生涯常に自らを素直に省みて万物渾然一体自然一円観に純粋な日々を歩んでいきたいと思います。

素から直す~陽明学~

日本に影響を与えた人物に中国の王陽明がいます。王陽明の生き方や思想、その生き様は日本では中江藤樹や吉田松陰をはじめ様々な人たちが影響を受けてその学問を深めていきます。

王陽明の思想は、「心即理」であり私の解釈では心とは知良致であり、明徳であり、直毘霊であり、大和魂であり、現代の解釈では素直であるということです。王陽明は、「抜本塞源」という言葉があります。これは「根本から誤りを是正しなければ意味がない」ということです。「素直」という字も、「素から直す」と書きます。そもそもの中心になっているものを見直し、原点回帰しなければ直るものも直らないということです。そしてそれは素直になることであり、素直の能力を磨くことでしか本来の心は出てこないと言い切るのです。

そのために必要なのは、「事上練磨」という日々の実践をどう磨き己に克ち続けるかと言います。素直を磨くために境遇に一喜一憂せずに只管に真心を練磨していくための実践を行うことだと言います。学問のための学問ではなく、まさに自分の真心を盡すために生きることを言います。それを吉田松陰は「至誠」と解釈し、環境や状況に有無を言わずただ一心に真心を盡すのみと人生を生き切ります。この生き方こそが王陽明と同じであり、陽明学の真髄はこの至誠に尽きるようにも思います。

王陽明という人物は、文人としても武人としても立派な人であり荒廃した村に学校をつくり人々を導き徳のある村にしたり、戦では一滴の血を流さずに戦争を終結させたり、政治がとても乱れて賄賂も横行していた慾に乱れた世の中においても私財をなげうって貧しい人たちに寄り添い続け義を貫いた生き方を実践しました。

陽明を慕う人々は、何よりその純粋な生き方をみて感じ入るものがあり素直に生きること、心のままに行動し実践することの美しさを感じるように思います。今の時代、美しく生きるということが難しくなってきていますが本来の先祖たちが目指した生き方はこの「心即理」に適っていたように思います。

ではその心が理から離れるのはなぜか、それを王陽明は山中の賊になぞらえてこう例えます。

「山中の賊を破るは易く、心中の賊を破るは難し」

自他の中に賊あり、その賊が邪魔をして素直な心はかきけされていきます。たとえ山にいるような山賊を倒すのは容易でも、心の中にある賊を倒すのは難しいということです。実践を通じて自分がブレていることに気づきそのたびに根本に回帰し、素から直すことを繰り返しながら、本来の心のままでいるための克己の工夫をどう磨いていくか、日々は事上練磨ですから今日も真心を盡して素直のままの心を育てていきたいと思います。

 

素直の能力を使うとは何か

人は最も分かっていないのが自分のことだとも言います。他人から指摘されてはじめて人は自分のことが分かります。自分でいくら分かった気になっていても知らず知らずのうちに自分のことを思い込み勘違いするものです。そしてその自分の価値というものを歪ませていくものです。人間にはそれぞれに価値観というものがありますから、価値観を自覚していないまま自分を知ったと思っていてもその価値観自体を見つめることなしに自分を分かるということはないのです。

しかしこの価値観を見つめるには、価値観を超えたものの見方ができるようにならなければ価値観に縛られてしまいます。私が伝えている聴福人の実践、「人の話を素直に聴ける能力」も、そのために必要な自己修養の要なのです。この素直さというものは能力ですから、使う人と使わない人がいるだけです。このもって生まれた素直さという能力を活かす人はその素直の能力を使って話を聴くことができます。そこで自分の価値観を超えた見方を知るのです。素直の能力があるのに使わないというのはもったいないことですから常に自分を見つめるためにも素直の能力を使いその力を伸ばしていくといいと思います。

しかしその素直になれないのも自分の価値観に固執するからです。その固執した分、周りとの軋轢は発生します。自分の存在価値をどのように捉えているか、そこに価値観の固執から抜け出すヒントがあると私は思っています。アメリカの実業家で著述家にジェリー・ミンチントンがいます。その人の言葉の中に存在価値のことが分かりやすく解説しています。

「生まれつき価値のある存在なのだから自分の価値を他人に証明する必要はない。」

人はそもそも生まれつき存在価値があるものです。何かができるとかできないとか、成功とか失敗とかでその人の存在価値が変わるということはありません。いちいちそれで存在価値を変えていたら面倒なことになります。人の存在価値とは生まれつきのものです。しかし周りを見渡せば、存在価値ばかりを気にして自分ができなければ存在価値がないと思っている人も沢山います。自分が存在価値がないと思っている人は、同じような人のことも存在価値がないと見なすものです。これも一つの「価値」観念ですがそこに気づくことが最初の入口かもしれません。

他にもジェリー・ミンチントンは、自分の価値観を正しく知りその価値観を超えた見方をするための言葉を記しています。ここでは価値観のことを「思い込み」と認識するといいと思います。

「何かが真理であると思い込むと、それが実際に真理であるかどうかは関係ない。私たちはいったん思い込みにとらわれると、まるでそれが真理であるかのようにふるまうようになる。」

「私たちは知性、善悪の判断、倫理、道徳、正義、善良さ、礼儀作法などの面において、自分が他人よりも優れていると思い込んでいる。自分のやり方が正しく、他人のやり方は間違っているというわけである。もしそう思い込んでいないなら、自分が他人を評価できる立場にあるという無神経で独善的な思い込みはしないはずだ。」

思い込みというのは、自分を正当化していくものです。しかしもしも謙虚であれば、ひょっとしたら間違っているのは自分ではないかと素直の能力を活かして振り返れるものです。そしてその姿勢になってはじめて人の話が聴ける自分、価値観を超えたところで物事の実相に気づく境地に入るとも言えます。思い込みが外れないのは、価値観に固執し感情に呑まれるからです。その理由は自分の正当化に他なりません、自分を正当化するからこそ周りを変えようとするのです。

「私たちが他人に向かって、『あなたのせいですごく腹が立つ』と言うとき、実質的には『あなたのせいで私はすごく気分が悪いのだから、あなたは変わる必要がある』と言っているのだ。しかし、たとえ他人が私たちの感情的な問題の責任を受け入れてくれても、満足のいく解決策にはならない。症状を取り除いても原因がそのままである限り、同じような問題がまた発生するからだ。」

「自分の気分が悪いことを他人のせいにすることは便利だが、他人にそんなに大きな力を与えてしまうと、自分の立場が弱くなるだけである。そうなると、私たちは他人が親切にしてくれるを期待しながら、生きていかなければならなくなるが、そんなことは実際に期待できるはずがない。」

「注目すべきことは、私たちが他人を変えようとして、様々なテクニックを駆使することではなく他人の不快な行動を変えさせるために私たち自身がかなり不快な行動をとっているという事実である。」

そしてこうも言います。

「現実を直視しよう。変えることの出来ない現実は、受け入れる以外に方法はない。」と。

今、起きてることの現実を受け容れないところに問題があるのでありそもそも問題は自分の価値観から発生してくるものです。なぜならある人にとっては造作もないことでも、ある人にとってはトラウマと向き合うほどのこともあるからです。現実の直視もまた素直の能力が必要です。しかし問題は決して悪いことではなく、問題があるから物事の本質に気づき直すこともできます。結果ばかりを心配してプロセスを味あわなければ気づくことができません。

人は気づくことで初心を思い出しますし、気づくことで改めて自分の何を変化させていけばいいかを発見しますから価値を自分で勝手に決めてはならないのです。

そしてジェリー・ミンチントンはこう勇気づけます。

「かなりひどい過ちも含めて、過ちを犯すことはきわめて正常である。私が犯した過ちは、私の知性や人間としての価値とは関係ない。」

「私たちはどんなに愚かな過ちを犯しても、それをすすんで認めるべきである。私たちは死ぬまでつねに過ちを犯しつづける存在なのだ。過ちを犯しつづけるかぎり、自分がまだ生きて学んでいることの証である。」

失敗や成功がその人の値打ちを決めるものではありませんし、その人ができる人かできない人かがその人の存在価値を決めるものでもありません。その人の存在価値は、何もしなくても何もできなくてもそのものが価値なのです。それが存在するということであり、その存在そのものが価値であることに気づくことが本当に自分を知ることなのです。

今の時代は、かつての教育を刷り込まれその課題で苦しんでいる人たちがたくさんいます。しかしこれも気づくための善い最良の機会と捉え、一緒に歩んでくれる人たちや信頼する人たちともに新たな価値に気づき素直の能力を磨いていく砥石にしていけばいいと思います。

分からないことがあっていい、知らないこともあっていい、そしてできないことがあっていい、あってもなくても両方善いのが一円観です。引き続き、聴福人の実践を味わい盡していきたいと思います。

福の修行

昨日から新潟の春日山に来て、上杉謙信を深める機会がありました。春日山神社、毘沙門堂、その後、林泉寺に参拝しました。上杉謙信の生き方や思想は、この地に多く遺っています。上杉謙信の「謙信」は、法号であり戒名を不識院殿真光謙信と言います。そして林泉寺には「第一義」という謙信の座右が山門の入口に掲げられています。この法号のはじめにある「不識」というのは禅の達磨大師の言葉です。

「不識」には林泉寺HPにこう紹介されています。

『仏道修業に励んでいた謙信公は、林泉寺八代目の益翁宗謙大和尚「達磨大師の言った不識とはどういう意味か」と問いました。苦修練行数カ月の末、ついにその本旨に達しました。不識の中味に合致した生涯を見出した謙信公は、自ら「不識庵」という号を名乗りました。不識というものの意味は、梁(中国)の武帝と達磨大師の間で取り交わされた問答の中で達磨大師が答えれらた言葉です。不識は、「しらぬ」ということではなく、「ただ頭の中で考えたり、本で学んだ知識などでおしはかれるものではない。あらゆる偏った見方、考え方を捨てて、仏様に身も心も預けて、仏様とともにその教えに生きるとき、初めて真理と自分とがひとつになり、悟りがひらけて、自分も仏様になれるのだ」ということです。』

自ら毘沙門天を志し、戦国時代に生まれ義を貫くことを覚悟し生きた謙信にとってこの「不識」というのは人生の大きな課題だったように思います。何がもっとも善いことなのか、何を信じて生きるのか、その時、経典の中にあった良し悪しをも全て忘れ、無心に私我を手放し捨て去っていく中に「第一義」があったように思います。私も理念で「子ども第一義」としていますが、この第一義はそのまま、あるがままという意味があります。つまりは、子どものままを貫くともいい、子ども心のままともいい、常に子どもの側から物事を観続けるという意味でもあります。

また毘沙門天というのは、サンスクリット語(インドの古語)では「ビシュラバナ」と表記し、この音写が「ビシャモン」と言います。言葉としては「全て丸ごとを聴く」という意味を表しています。そして毘沙門天は七福神の一人に数えられています。私が実践を重んじる「聴福人」というのはこの毘沙門天の生き方、つまり如何に全てを聴いて信じて福に転じるかを徳目に実践するということです。

「義」というのは、古来から続く日本人の生き方を貫くときに顕現するものです。そのあるがまま、自然、かんながらの道の上には義は燦然と輝き子孫たちへの道しるべとして風土の彼方此方に文化として継承されていきます。

毘沙門堂で四方の自然を感じながら毘沙門天を念じ続け、神人合一しようとした謙信の祈りが聴こえてくるかのような感じがしました。人間の世界での筋道もありますが、人間よりも先に自然の筋道というものがこの世には存在します。その人間の小我を手放し、自然の大我を悟るというのは第一義の実践によって実現するように私は思います。

常に自然を優先しているという意味が、「謙」でありそれを「信」じるものとして自然あるがままであったその生き方に私は「義」の本質をいつも感じます。義と言えば、日本には義将と呼ばれる風土自然を顕現した武将たちの生き様や真心がいまでも語り継がれています。

古来から大切にしてきた忠義という言葉も、今の時代は色あせて別の意味で使われます。そのうち自分の価値観に囚われて思い込み、忙しさに流されて大義を忘れて自分をも亡くしてしまっている人も増えたように思います。

こういう時代だからこそ毘沙門天から福の徳目を学び直し、もう一度「第一義」を座右にしていくことが必要になってくると思います。引き続きカグヤは「子ども第一義」を掲げ、この時代に温故知新した福の修行を積み重ねていきたいと思います。