日本刀の精神

先日、日本刀用語の中の「付け焼刃」について書きました。他にも似た言葉で「にわか仕込み ・ 一夜漬け ・ 間に合わせ ・ その場しのぎ」があります。付け焼刃は剥がれやすいやメッキが剥がれるなどもそうですが、本当の実力を身に着けなければ乗り切れないということに使われます。

しかしではなぜ付け焼刃が横行するのか、それを深めてみると今の教育の在り方や、誤魔化して済むような世の中の風潮も観えてきます。結局は、生き方を決めず覚悟を持たないでも生きられるものが溢れる豊かな時代、精神を如何に厳しく磨き鍛えるかということが求められているということです。

例えば、一夜漬けという言葉で思い出すのは学校のテストです。テストさえ乗り切ればいいのだから、一日、二日覚えていればその場しのぎで乗り切れたものです。他にも、その場さえ乗り切ればというものは沢山溢れています。特に器用な人やテクニックが高い人は、能力でその場を乗り切ることが出来てしまいます。一度、そうやって楽を覚えてしまうと次からまた楽な方法で乗り切ろうとするものです。逆に不器用な人は、それができませんからいちいち時間をかけて丁寧に愚直に取り組んでいくものです。

そのうち社会に出てからも、調子よく世渡りをする人と不器用だけれども真摯に世の中に貢献する人に分かれます。このことを考えるとアリとキリギリスの寓話を思い出しますが、結局は「己に克ち日常を怠らないこと」に尽きるように思います。その場しのぎの逆は平素を正すことだからです。何かあった時だけ乗り切ろうとするのをやめるのは日頃をキチンと正しておけばその時がきてもいつも通りにやればいいからです。

付け焼刃というのは、日頃の鍛錬よりもその場さえ乗り切ればで研ぎや付け足し刃をつけます。しかしその刃はすぐにまた切れなくなり、ただのなまくら刀になります。この鈍刀というのは、だいたい大量生産で造られたものです。本当の日本刀は、折り返し鍛錬によってはじめて切れ味の光る唯一無二のものが仕上がっていきます。

教育がもしも大量生産をしてしまえば、人間もまた鈍刀のような付け焼刃のその場しのぎばかりが育ってしまいます。本来の人間に必要な素養は、刀を打つ鍛冶師のような心構えで取り組む必要があるように思うのです。

単に見た目が日本刀であればいいなんていう刀を、誇りを持つ鍛冶師は打つはずがありません。鍛冶師がブレれば研ぎ師がブレ、その他の鞘師、白銀師、塗師、柄巻師、装剣金工の関係者もみんなブレていきます。常にみんながブレずに日本刀を造るからこそ日本刀の精神が宿りそして伝承され後世に遺るのです。一本の日本刀が仕上がるまでにどれだけ本気で皆がそのものを造り上げるか、そこが何よりも大事なのです。

鈍刀に仕上がってしまった刀は、見た目は立派でも切れ味のない実戦現場では使えないものです。今の時代、それで苦しんでいる大人たちが本当に多い世の中になったような気がしています。こうなるのも周りの人たちがどれだけその人を信じて本気になって正直に育ててきたか、見守ってきたかではないかと私は思うのです。

言い訳をしない、正直に生きるということ一つも日本の心であり大切な徳目の一つです。そういうことを怠り日常の鍛錬を積もうともしないで、いきなり目の前の出来事を一時しのぎ、その場しのぎ、一夜漬けで乗り切ろうとするその生き方から修正しなければなりません。

日本刀の中に見える私たちの先祖が大切にしてきた生き方から本来の大和魂とは何か、日本人の在り方とはなにかを学び直していきたいと思います。

暮らしの道具

昔の生活道具を身近で使っていると、その当時の日本文化に触れることができます。頭で考えるのではなく、直接触れていくことでどんな暮らしをしていたのかが直観的に感じ取ることが出来ます。今の時代は何でもスイッチ一つですぐに簡単便利に何でもできた方が幸せという価値観ですが、昔は手間暇かけて面倒でも充実している方が仕合わせという価値観だったようにも感じます。

例えば、竈という昔の生活道具があります。私の自宅では古鉄の羽釜を用いて炭でご飯を炊いていますが、出来たご飯は本当に格別の味がします。今どき面倒ではないかと思われますが、炭を扱う技術さえ身に着けばかえってガスよりも分量に対する調整ができたり火加減も自由自在で美味しいご飯ができます。火吹き竹で微調整して炊くご飯は美味しいだけではなく楽しく、食べるころには心が充実しています。単に満足するだけのご飯ではなく、充実するためのご飯を食べられるのもまた昔の道具がそれを演出してくれているからです。

この竈は50年前くらいまではどの家庭でも使われていたもので、電気炊飯器が登場してあっという間に見なくなりました。簡単便利に電気でできるご飯は、急速に発展し消費する社会では邪魔者になったのかもしれません。もともとこの竈は、おくどさんとも呼ばれ、約1500年前頃に朝鮮半島から登り窯や置き竈とともに伝来したとも言われています。これにより須恵器の生産もはじまり、茶碗なども一緒につくられるようになりました。

置き竈ができ、後に火鉢が開発されてそれからずっと日本人の暮らしを下支えしたパートナーだとも言えます。炭は火鉢と一緒に発展繁栄してきましたから、我が家の炭を中心とした暮らしでは火鉢と囲炉裏が大活躍してくれています。

毎朝、薪を入れ炭を熾し、井戸水を汲んでご飯を炊き隣で味噌汁をつくりました。漬物をおかずに朝餉を食べて残ったご飯はおむすびにして味噌を添えて野良仕事に出ていきます。夜になればまた囲炉裏を囲み一日のことを振り返りながら月明りとともに休み眠ります。

このゆったりした一日の暮らしの中で、心身共に充実した日々を過ごしていたのが道具から伝わっています。生きているもの、いのちがあるものは、いのちの時間を持っています。それは今のスケジュールのような時間ではなく、悠久の時間です。循環にははじまりも終わりもありませんからその時間の中にいることはとても充実するように思います。心の充足もまたそこに在るように感じます。

一日のはじまりと一日の終わりに、循環を感じることは仕合せを味わうことです。引き続き子ども達に遺していきたい生き方としての昔の生活道具、暮らしの道具を深めていきたいと思います。

野生の味~いのちの仕合せ~

先日、自然農園の青梗菜を収穫してお客様に持参しましたがとても美味しいと喜んでいただきました。この青梗菜は形こそスーパーで売られているものよりも小ぶりですが、どの方が食べても美味しいと喜ばれます。

この美味しいとは本当はどういうことか、改めて深めてみます。

自然農園の野菜は、雑草と一緒に混植されているものです。種を蒔く時期と最初に育つ時期だけは丁寧に見守りますが、あとは自然に任せて育つのを待っています。育つ場合もあれば、大きくなれずにそのまま周りの雑草たちの方が強く抑え込まれて育たない場合もあります。しかし周りの雑草と一緒に育ち、混植されても育ってくれた野菜はまるで野草のような滋味があります。食べてすぐにわかるのは、自然の中で育ったと感じるあの野生の味です。

今の時代は、農薬や肥料、もしくは様々な農業技術をつかって甘くしたり辛くしたり調整して育てています。人間の都合にあわせてそのものを造っていますがそこには野生の味はありません。すべて加工されてるものです。お菓子もそうですし、料理もそう、素材の味ではなく料理の味です。

しかし自然の中にあるものはすべて野生の味があります。例えば、海で獲れた天然魚や、山で獲れた山菜などはすぐに食べれば美味しいと感じます。この美味しさは加工された美味しいではなく、野生のままだから美味しいという感覚なのです。

本来、人間は美味しいという感覚を持っています。

これは舌さき三寸で味わう味とは異なり、いのちそのままの味を味わう味を知っているということです。これは舌ではなくカラダ全体で感じる自然を味わう器官が備わっていることの証明であり、そこで感じる「美味しい」はあるがままであるいのちや個性を歓んでいるのです。

できる限り、野生の味を味わえるように昔の道具たちは造られたとも言えます。今、使っている日本刀包丁や、砂鉄の鍋、羽釜、陶器、炭などもそのものの素材のいのちを壊さないような道具たちです。その道具たちの持つ偉大さは、いのちを壊さないままに料理できることです。

ここから考えてみると、やはり本物の美味しさというのは「野生の味」であることに気づきます。そしてその野生の味は、そのままであることを邪魔しないことによります。私たちが社業にしている「子どもらしく子どもの発達を邪魔しない」というのは、この野生の味を育てていくということです。

自然農も同じく、美しい暮らしも、すべては子ども第一義の理念を実践していくのと何も変わりません。そのままであることの美しさ、あるままであることの深い味わい、こういうものを私は「美味しい」と定義するのです。人間の都合で教育され、人間の都合で加工され、あるがままであれないものが果たして「善いもの」なのかと思います。料理すればするほどにまずくなったでは本末転倒です。

もちろん加工がよくないといっているのではなく愛情や真心を籠めたかどうかもいのちは感じますからそれもまた滋味を味わう一つです。そしてこの愛情や真心こそが野生の見守り、自然と同じ心の姿です。

野生の感性は自然から遠ざかることで離れていきます。私たちは自然に磨かれていのちは高まっていきますから、自然の姿、あるがままでいるのは美しく味わいのある人生を送れるように思います。あるがままでいい、そのままでいいと丸ごと個性を認めるような環境はそのものを野生のままに育てていきます。野生の味の美味しさはいのちの仕合せなのです。

引き続き、子どもの発達を邪魔しないような道を伝え弘めていきたいと思います。

心の風通し

「風通し」という言葉があります。これは自然では風が通り抜けるという意味ですが、組織では意思疎通のとれている意味で使われます。昔からこの風通しというものは風水をはじめ、あらゆる環境や場創りに用いられてきました。風通しがよければカラッと乾いた状態を維持していくことができます。逆に風通しが悪いとカビが生えたり腐ったりと病気になったりと様々な問題を引き起こしていきます。風通しというものは、水通しでもあり、水は目詰まりを起こせば澱んでいくように風も通りが悪ければ同じように澱みます。水は澱むと腐敗しますから、如何に澱まないようにしていくかが自然の智慧、「風通し」ということです。

この風通しは人間関係においては何よりも重要な要素です。

たとえば、風通しが悪くなってくるというのは疑心暗鬼になって意思疎通が取れない状態です。それぞれが感情を押し殺して自分の思い込みで勝手に真実とは違うことが気になり不安で動けない状態になります。周りの目が気になり、コミュニケーションや対話が正常に行われず、言いたいこともいえず素直に自分をさらけ出すこともできません。こんな状態では風は通らず人間関係もまた澱んでしまいます。

そもそも風通しが悪いのは密閉されているからです。例えば家でいえばどちらかの窓が閉じていたら風は入ってくることはできません。風を通すには少なくても二つ以上の窓を開いていなければ風は抜けません。これを人間でいうのなら、自他との信頼の窓を開いているかどうかということでしょう。

人は自分の感情や心を安心して表現できる、何を言っても大丈夫と言う状態をつくれるかどうかが風通しの一つの基準になります。自分がここに居ていいんだという安心感、居心地の善さが風通しを善くしていきます。そのためには、自己観照や自己内省をし自分のことに気づける内省的風土と他人の思いやりに感謝できる理念的風土を醸成する必要がある様に私は思います。

なぜなら自分か相手かという相対的観念や自己中心的な個人的観念が強いと自我を優先しますから己に負けていつまでも真心の窓を開くことが出来ないからです。いつも心を開いていることは自我慾を超えたオープンな姿勢、言い換えれば克己復礼、自他を信頼をしている姿でいることでありその姿が周囲をも安心させていきます。人は自分の我を押し通せば押し通すほどに風通しが悪くなります。そうならないように自我よりも真我といった、本来の自分の目指したい理想や理念、自己信頼を自らが裏切らないようにしてそれぞれが自分に打ち克つ実践を積み重ねて己の我に克ちつづける必要があります。

自他信頼ができる組織、皆のためにと自律できる人たちが集まれば自ずからその組織は風通しが善くなります。ただ対話をすればいいのではなく、自他との本心の対話と内省を通して風は通っていくように思います。

人間における風通しの風とは何か、その風は心の風です。

心が澱まないようにする創意工夫、その中にこそ人間の風通しがあります。私たちが実践する様々な取り組みはすべてその風通しの工夫から創出されたものです。

最後に二宮尊徳に、「我が道は,人々の心の荒蕪を開くを本意とす,心の荒蕪一人開くる時は,土地の荒蕪は何万町歩あるも憂ふるにたらざるが故なり」があります。あらゆるものの荒廃は心の中から発症しますから、その心田を開発すれば繁栄は尽きないということです。心に風を通す真心の循環の技法、まさにそれが私の目指す未来の子どもに伝承したいかんながらの道です。

引き続き風通しについて深め、心の荒蕪を耕す仕法を今に温故知新したいと思います。

グローバル人材~生物の本質~

昨今、グローバル人材という言葉が飛び交っています。文科省をはじめ、世界で通用する人物を育成するということでアクティブラーニングなどという言葉も流行っています。私は当たり前のことを何をいまさらと思っていますが、結局は多様性を受け容れる感性を持っているかどうかであると思っています。

そもそも生物多様性という言葉があるように、生物=多様なのです。それをわざわざ画一であると教え込んできたのは教育がそうしてきたとも言えます。「こういうものだ、こうあるべきだ」と刷り込んでは正解を与えて正解を探すことを繰り返しされてきた人は頭でっかちになって感性を磨きませんでした。感性を優先する人たちは当然答えはないことを知っていて質問をして訊くこと、つまりは無から創造することを優先して直感的に理解していきます。しかし知識や正解を優先する人たちは答え探しに終始費やし正解を求めては無理に正解に合わせて整合性をとっていきます。

本来この世の中は多様であるのは、自然界のように無限に組み合わせが存在するからです。その時々に応じて如何に持ち味を活かして組み合わせを存在させるか、言い換えれば人との出会い、つながりの多様さが新たな未来を産み出すように多様性があるからこの世の中は調和しさらに広がっていくのです。

多様性を失い画一化してしまうことの背景には、知識で分別し「こうでなければならない」という思い込みが強くその知識で分別した立場や役割通りで「なければならない」という先入観や刷り込みを取り払うことができないからです。枠内であることにこだわり枠内であるようにと枠を設けるのです。

例えば、上司はこうでなければならない、夫はこうでなければならない、先生はこうでなければならない、親子はこうでなければならない、男はこうでなければならない、会社はこうでなければならない、あらゆる「なければらない」に縛られます。実際は頭で考えた「なければならない」通りにいくように周りもその人も必死になります。これを自然にまで拡げて、犬でなければならない、魚でなければならない、花でなければならない、稲でなければならないと思い込み、こちらの思い込みで接しているから自由度がなくなく創造性も発揮されず画一化されていくのでしょう。一つの価値観に無理やり合わせて従わせていくというやり方は自然界の本来の姿からほど遠いのです。

自然を観察するのには知識で行うのではなく、感性で行います。なるほどこうなっているのかというのはほとんど直観を用いて全体を掴みます。生きていくと言うのは、自然界で生き残るための感性です。「生き残る感性」がある人はグローバル人材とも言えます。その生き残る力は自然によって磨かれ研ぎ澄まされていきます。学力というものの本質もまた人間が勝手に定義した学力ではなく、自然界の生き物たちが本来本能でもっている学力にすれば多様性のこともまた理解できると思います。

その上で私が思う教育の在り方は、もっと自然に沿って自然から学び直す感性を磨くことです。知識ばかりを使って感性を使わない生き方をやめ、感性を使ってその上で智慧を知識で整理していけばその人物は多様性を受け容れることができるグローバル人材になっていくでしょう。

昨年の海外視察から観えてくるのは、感性を研ぎ澄ます大切さの再認識です。子ども達のためにも、自らが証明するためにあらゆる実験と実践を積み重ねていきたいと思います。

自分を磨く

人は自分の慾に打ち克つことで覚悟を磨いていくことが出来るように思います。最初から覚悟がある人がいるわけではなく、何度も何度も修練を積み重ね次第に自我欲を手放していく中で信念が醸成されていくように思います。

つまり何より大切なのは己に克つことで自らを「磨く」ということです。磨けば磨くほど光って観えるのは、真意や信念、心がはっきりと顕れるからかもしれません。覚悟のある人の話を聴けば、かつて過去にその人が大変な出来事を乗り越えて挑戦し大切な目的や理念を優先して自らに打ち克った歴史があります。其処に至るには何度も勇気を出して己に打ち克つ挑戦の磨き痕がその人に残っています。

人は嫌だな、辛いな、面倒だなと、すぐに向き合うことから避けようとし己に克つことから逃げようとします。その理由は、不安や煩い、憂いと向き合いたくないからです。その時、不安が嫌だからといつも逃げていたら覚悟はいつまでも磨かれることはありません。己が先に立ってしまい、砥石や鑢で磨くのがメンドクサイと遠ざけていたら磨きようもありません。

実際には、人間は生きていたら必ず出来事は起こります。もしも一念発起して目的をもってしまえば、それまでは避けて通れた問題も避けられなくなってしまいます。それが嫌だからと何でも適当に流していたらそのうち逃げ癖が沁みついてしまうものです。言い訳ばかりをしては、不安と向き合おうとしない、何でも嫌なことは先延ばしでは覚悟も何も磨く前の段階で終わってしまいます。

まず覚悟を決めるというのは、何を裏切れないか、何を大切にするか、何を最も人生の優先順位にするのかを自覚することです。自覚したらあとは自然発生してくる日々の選択を自らが苦しい方を選べるか、自らが大変な方に挑戦するか、不安と向き合ってでも勇気を出して実践できるか、そういう自然の砥石や鑢で自分磨きをしていくのです。

覚悟という字は、どちらも「さめる・気づく」という意味を表しています。つまり目が覚めるかということ、己という我を手放しその中の心に気づけるか、自分の信じる道に気が付くかということのように思います。

いつも自我慾に負けて、真我が出てこない日を送っていたら本当の人生の意味や自分の真実の価値に気づかないままこの世を去ってしまうかもしれません。自我を満たす日々ではなく、己に克って真我に生きるということが自分を磨くということの意味のように私は思います。

そして人は常に大切なものを守りたいと行動するとき強く優しくなっていくようにも思います。人が真我に目覚め、真我のままに真心を実践するのなら世の中は平和安泰の世界、福世かなものに変わっていきます。

自分が覚悟を決めて行動すれば、周りが仕合わせになっていく理由は真我で人に接し御互いに覚悟を磨き合うやしていくことができるからです。そしてその人によって勇気が沢山いただけて自分も挑戦する勇気に変わっていくからです。人生で本当の仲間に出会うのも自分自身の覚悟ですし、本当の人生に出会うのもまた自分の覚悟です。

まずは大切なものを裏切らないように自らを律して取り組んでいく日々を内省によって高めていくことのように思います。自分に都合の悪い方、自分が苦労する方、自分が労苦を感じる方を楽しんで選べるように克己の工夫を味わっていきたいと思います。

子ども達が将来、自分らしく自分の天命に目覚め立命できるように、自他一体に人々の目覚めに寄り添い見守れるよう精進していきたいと思います。

 

 

 

灯りの余韻~炭の仕組み~

炭を使った暮らしをはじめてみると、如何に炭が温もりを与えているのかを実感するようになってきました。一日のはじまりと終わりに炭を熾しているだけで時から離れ自然に近づいていきます。

そして炭はコツを掴めば、火の調節もとてもしやすく便利な現代の道具よりも微調整がききます。それに一度火が入れば、小さな火が残りますからいつでもまた熾し直すことができ火を絶やさなければいつでもまた復活するということにも気づけます。灰も大切な役割をし、燃え尽きてなおその火を守っています。この炭で沸かす一杯の御茶は本当に格別で生きている仕合わせを感じるほどです。

この炭というものの温もりは、普通の薪やガス、石油で燃やす火にはないものです。それらの火は燃え盛る太陽だとしたら、炭の火はそれを受けて光る月のようです。月はその光の中に温もりを宿します。同じように炭にもその炭の中に温もりが宿るのです。

炭に火が入れば、炭のいのちが燃え始めます。その炭のいのちは透明な灯りを自らの呼吸で点灯させていきます。その点灯した灯りが周りを暖め、同時に私たちに温もりを感じさせます。この優しく包まれる灯りの中で、私たちは一日のはじまりの意味を知り、一日の終わりの意味を感じます。この炭が産み出す「灯りの余韻」は、心に深い味わいを与えてくれます。

人生は一瞬です、そしていのちは熱を帯びてはその熱が次第に冷めて消えるか最期には灰になっていきます。血液が赤く体温を維持するために呼吸するように炭もまた赤く温もりを維持するために呼吸をします。火吹竹で息を吹き込み元気になる炭のように、私たちもまた息をして元気になります。

火に空気の中の何かが反応することで、温もりというチカラが出て来ます。その自然が熔け合う瞬間に私たちは灯りの余韻を感じて心が癒されていきます。火は人の心を投影します。その人の心の安らぎは火の中にも顕れます。炭のない暮らしは人心の荒廃を進めているように私には思えます。これは昔からの稲作の仕組みがなくなって協力しなくなったように、炭もまたこの人の手で炭を扱う仕組みがなくなって温もりが失われてきたようにも思います。

灯りの余韻を大切に味わう心のゆとりを炭と一緒に育てていきたいと思います。

子ども達のためにも、自分が灯を消さないように実践を大切にして見守っていきたいと思います。

分を弁える~謙虚さの醸成~

人は自分自身のことを間違うのは我慾や私心に呑まれるからだとも言えます。昔から執着をはじめ、暴食、色欲、強欲、憂鬱、憤怒、怠惰、虚飾、傲慢などがあります。どれも自分自身の中にある己心と私心との間で発生してくる感情であり、その感情をどう転換し、どう執着を手放すかが人生の修行とも言えます。

実際に文章で書くのはいとも簡単ですが、実際に実践してそれを転じて善いものにしようとするのは大変なことです。実際には、どの執着が一番強いかは人それぞれに異なりますが、ある人は強欲でなくても傲慢であったり、ある人は暴食がなくても怠惰であったり、それぞれに強弱あるものです。

仏教では六波羅蜜と言いその執着を手放すための修行として、布施(ふせ)、持戒(じかい)、忍辱(にんにく)、精進(しょうじん)、禅定(ぜんじょう)、智慧(ちえ)があるそうです。私欲を手放すには、私欲を超える実践を行いいつも自分を律してより大きなものに自分を近づけていこうとすることで己の分を弁えようとするように思います。

人は自分の分を弁えることができてはじめて謙虚になったとも言えます。

実際の自分を本来の身の丈よりも大きいものだと思うところに人間、いや人類の失敗があり、実際は分を弁えないことをすればそこに破滅が待っています。これは歴史を観れば明白で、分を弁えればその文明は長く続き、分を弁えないことで文明は終焉します。

人間がいくら凄いと思っても「いのち」一つ作れませんし、また地球規模の大天災には立ち向かう術もありません。例えば、火山の大噴火や熔岩を消火できるのか、竜巻や台風を消し飛ばすのか、大津波を鎮めるのか、巨大隕石を吹き飛ばすのか、そんなことできるはずもありません。宇宙や自然を敵にしても決して勝てるわけではなく、もしくは何かや誰かと比較競争して勝った気になってもそれは長い目で観て果たして本当に勝ったと言えるものかとも思えます。

自分の分を弁えている人は自然に沿っています。自然に沿っているから、自然を変えようとはせずに自分を変えようとします。世の中を変えようとはせず、自分を変えようとします。他人を変えようとはせずに、自分を変えようとするのです。これらは分を弁えているのです。自分を変化させる人はみんな、その道理を実践により体得しているのです。

如何に分を弁えるか分度を保つかは、日々の生き方、その謙虚さの醸成があるということです。一期一会の御縁といただいた大切なお守り刀を懐に抱き、初志を貫くためにも安文守己・知足安文の実践を意識していきたいと思います。

循環を優先

発酵を深めていく中で、沢山のことに気づきますがもっとも大切なポイントは「循環を優先」することのように思います。自然と共に歩んでいく生き方というのは、まったく一つの無駄がなく、「ゴミ」という観念がありません。この世にあるすべてのものは再利用でき、そのものが消失しても次の世代や次のいのちの糧になります。

このように一つの無駄もゴミも発生しないこと、そしてそれが永続的に繰り返され継続されていくことを循環と定義します。

例えば、木というものを理解するとそれが循環の柱になっていることに気づけます。木は種から根をはり芽が出て伸びて成長する中で森をつくり、多くの生き物たちを活かします。その後、朽ちたり、炭になり灰になりまた土にいる微生物たちを甦らせていきます。微生物は極小の生物ですが、私たちを常に活かします。木はその成長に一つの無駄もなく、常に様々な他を活かし続けて寿命を維持します。

木から学ぶことは本当に多く、自分の都合を一切排除したところに循環型社會が存在することを直感します。

一昨日の桶については、その木の特性を上手に活かし、微生物の仕組みを深く理解しているからこそ桶を使ってきたように思います。古来から私たちの先祖は、壺や甕を用いて水や酒を保存していました。これは遺跡を見学すれば縄文以前の時代からあったことは遺跡の出土で分かります。そして木の桶は弥生時代の遺跡からも発見されており、室町時代に中国からの影響もあり広がり江戸時代には各家庭に必ず存在したものとなりました。その後、昭和に入りホーロータンクやプラスチック製のものが広がり桶はほとんど見なくなりました。そこには人間の都合の良い便利さ安価さはあり経済という名のお金の拡大はありましたが同時に大量のゴミが発生し、大量の無駄が存在する非循環になったとも言えます。

かつて桶はどのように循環していたかを調べてみると、まず酒屋が森の中から選んだ木を用い新桶を作り、その後30年後に酒桶としての寿命が近づくと、今度は味噌屋・醤油屋それを譲られ、更にそこから長くて150年ほど使われます。その後は、職人たちが修理を繰り返し微生物たちの故郷として何百年もの間ずっと循環型社会の御役に立つのです。

世代を超えて利用されてきた桶はずっと人間と一緒に生きて暮らしてきました。桶を身近に生活していると、その桶が私たちと同じように「呼吸」をしていることに気づけます。漬物においては、自分たちの都合の悪い微生物を排除して簡単に管理できるプラスチックと違って木桶や木樽はこちら側が愛情をかけて塩加減、塩梅をみて見守らないと腐ってしまいます。しかし経年変化の味わいが出てくるのはそこは生き物として、いのちとして大切に扱っている真心が入るからです。

そこに循環があるというのは、それは私たちがいのちとして寄り添うから存在するのです。いのちがあるものは寿命があり、その寿命を延ばしてあげたい、一緒に暮らしていきたいといういのちを思いやる温もりがあります。

時代が変わっても、桶の持つ魅力は変わりません。

それは私たちの心の中に、この循環の思いやりや真心が消えないからです。手間暇かける贅沢さや、手作業の温もりは、いのちに触れる仕合せです。

身のまわりに循環の道具を置くことは、自分も循環の中に暮らすことです。いくら循環をしたいといっても、今の循環しないものに囲まれていたら気が付くと大量のゴミと大量のムダを発生してしまうもので、同時に人間の都合の良いことばかりを優先し循環できなくなっていきます。そうやって人間が自我欲に負け、己に克てず、我儘に傲慢になれば循環型社会は一瞬で崩壊していきます。

子ども達の未来はこれからまだまだ続きます、それをどう永続させていくために自分たちが一体何を実践して生きていくかはこの世代を任された私たちの使命のはずです。

常に自らを正しつつ、循環を優先しているかを観直していきたいと思います。

伝統の桶職人

昨日、八女市で90年以上続く九州で唯一の桶職人松延新治さんにお会いする機会がありました。この方は、川端誠さんの落語絵本「たがや」(クレヨンハウス)の主人公のモデルにもなった方だそうです。森の名手名人100人にも選ばれる伝統工芸職人でもあります。

工房の中を拝見させていただくと、全国各地から集まっているあらゆる木桶に囲まれていました。伝統の職人さんが居なくなっていく中で、かつてからの桶を大切にしたいと思っている人たちにとってはまるで救いの神です。

私も発酵をはじめ漬物樽や酒樽、味噌樽、その他、おひつや風呂桶をはじめ、様々なものを伴に暮らす道具として重宝してからはこれをどう手入れしながら大切にしていこうかと愛着をもって接してしました。すると古いものを譲っていただいたり、かつての古民具なども次第に集まってきます。その中には、どうしても修理しないといけないものもあり、その時に手入れ手直しをしていただけるというのは本当に学びも多く、日本古来の自然との共生の工夫を観直す機会になります。

今の時代は、桶ではなくプラスチックで大量生産されたものを使います。修理するよりは買い換えた方が安く、また今は修理不能のものばかりが売られています。そうなると、次第に修理が必要なもの、手入れを怠れない自然のものは大変で面倒だからと次第に遠ざけていくものです。

しかし長い目で観たら、自然物というのは大切に接して手入れをすればするほどに長持ちし、しかも修理ができて末永くずっと一緒に暮らしていくことができるのです。なんでも使い捨て、なんでも便利に買い換えていたらそういう有り難いつながりや、共に育ち助け合ってきたもったない御縁に気づく感性も鈍ってくるかもしれません。

今回は、今ではもう使われていないような歴史の古い木炭や薪で焚く鋳物つきの木の風呂桶の修理をお願いしましたが修理すればするほどにそのものをいとおしく感じもっと大切にしたいと思うように感じます。

職人さんが手作りで作ったものを、大切に手入れして大事に使っていくことは一緒にその道具と呼吸をして共生していくかのようです。工房の中は古き善きたくさんの修理待ち、修理済みの道具からまるで「これからもお願いします」というような声が聴こえてくるようで、新しい道具からは「温もりをいつまでも忘れないで」という声が聴こえてくるようでした。桶の歴史は平安時代より続き、生活の中でずっと私たち日本人と息づいてきました。嫁入り道具や御守道具、また祖父母の形見や思い出にもなってきたそれぞれの木桶の中に有る思い思いの人々、もったいないご先祖の真心を桶たちから感じたからかもしれません。

昔の発酵や、木の持つ素晴らしさを知ればしるほどに桶の魅力と自然と暮らした人々の感性に尊敬の念が湧いてきます。子どもたちのためにも、伝統を深め、その伝統が遺りその心を譲っていけるように自らが実践を積み重ねていきたいと思います。