実地実行を尊ぶ~中庸~

物事は文字では書けても実践実行することは簡単ではありません。どんなに文字を巧みに利用してさも真実を知っているように教えたとしても、それを活かせないのでは学んでいないのと同じだからです。

二宮尊徳は、文字を重んじず、実行を尊びました。それは実行しなければ何も変わらず、実践しなければ何も積み上がっていくことがないからです。

その二宮尊徳の夜話を弟子が書き取った話の中にこういう話が遺っています。

『ある儒学者が尊徳先生に言った。「孟子はやさしいが、中庸は難しい」と。尊徳先生はこうおっしゃった。「私は、文字の事はしらないが、これを実地正業に移して考える時は、孟子は難しく、中庸はやさしい。なぜかといえば、孟子の時代には、道は行われず、異端の説が盛んであった。だからその弁明をするため、道を開いたのだ。
したがって仁義を説いて、結局仁義そのものの実践からは遠ざかっている。君らが孟子をやさしいといって孟子を好むのは、自分の心に合うためである。君らが学問する心は、仁義を行おうために学んでいるのではない、道を実践するために修行しているのではない。ただ書物上の議論に勝ちさえすれば、それだけで学問の道は足りるとしている。議論が達者で、人を言いまかせさえすれば、それだけで儒者の勤めは果たしたと思っている。聖人の道というものが、どうしてそのようなものであろうか。聖人の道は仁を勤めることにある。五倫五常を行うにある。どうして弁舌をもって人に勝つことを道としようか。人を言いまかすことをもって勤めとしようか。孟子はすなわちこれである。このようなことを聖人の道とする時ははなはだ難道である。容易に実行しがたい。だから孟子は難しいというのだ。』

学問のための学問ではなく、実地実行の学問の方が易しいと言います。孟子は、言葉によって人の道を正した故に難しく、本来の聖人の道は解釈云々よりも難しい道なのだと言います。そして続けてこう話します。

『中庸は通常平易の道であって、 一歩より二歩、三歩と行くように、近きより遠きに及んで、低いとことから高いところに登り、小より大に至る道であって、誠に行いやすい。たとえば100石の収入の者が、勤倹を勤めて、50石で暮し、50石を譲って、国益を勤めることは、誠に行いやすい。愚夫愚婦にもできない事はない。この道を行えば、学ばないでも、仁であり、義である。忠であり、孝である。神の道、聖人の道が一挙に行われるであろう。いたって行いやすい道である。だから中庸というのだ。私が人に教えるに、私の道は分限を守るをもって本となし、分内を譲るをもって仁となすと教えている。なんと中庸であって行いやすい道ではないか。』

それに対して中庸は誰でも実地実行できる道を説いているといいます。自ら分度を定めて、分度内を守りそして分度外を譲ることが思いやりだと話せばいい。それを実行すれば学問のために学問をしなくても、そこに思いやりや真心、忠義や孝行がある。それが聖人たちが実践した道であり、誰にでもすぐに取り組むことが出来るものだから中庸は易しい道であると言います。

実地実行しないで深めていく学問と、実際に実地実行することで道になる学問。本来の学問は、道のために存在するものであり、学問のために存在するものではありません。二宮尊徳はこう喝破します。

「学者は書物を実にくわしく講義するが、活用することを知らないで、いたずらに仁はうんぬん、義はうんぬんといっている。だから世の中の役に立たない。ただの本読みで、こじき坊主が経を読むのと同じだ。」と。

巷ではリーダー論など、自分が実地実行しないのに研修会などでは学者や立場のある人たちが勉強不足だと非難したりします。しかし、自分が実地実行していないのでは道は善く拓けていくことはなく、結局はそのリーダー論も活かせないものをただ教えていることになっているかもしれません。

もちろんそれぞれに役割があり、現場で実行する人があってその教えを広める人があっていいと思いますが、その役割を全部学識だけでやろうとするのは本末転倒のように私は思います。もっと現場の実践者と協力をし、御互いが何を実地実行していくことが本来の道になるのかを協力していくことが本質的なリーダーを育成していくようにも思います。

世の中の役に立つ学問、そして道を弘めるために私も知識学識の慢心を戒め、実地実行を強めて一つ一つ丹精を籠めて精進していきたいと思います。

天の尊爵

昨日、コメントに「矢人豈函人より不仁ならんやと」ありました。これは孟子が矢を造ろうが鎧を造ろうがそれが実際の真心とは関係がないといい、その他、巫女と大工も同じであると言っている一文です。しかしこれを解釈する人は、ひょっとすると自分の仕事は選ばなければならないと思い違いをする人がいますが本来は真心はどんな仕事をしていても発揮されるものです。このたとえ話は、「道」の話をしているからです。

よく職業によって、自分は良い人か悪い人かと思い込む人がいます。職業差別などもそうですが、どの仕事であってもその人の真心が自然で無我であり、天の命に従い純粋であるのならそれは尊いことです。こういう尊いものをいただけることを「天の尊爵」とも言います。

孟子に「夫れ仁は天の尊爵なり。人の安宅(あんたく)なり。之れを禦(とど)むることなくして不仁なるは、是れふち不智なり。(公孫丑上七章)」があります。

意訳ですが、(真心は天が与えた尊い位である。これは徳を実践する人に与えられる安らかな身の置き場である。そうならずに真心があちこちと落ち着かないのは徳を実践しないからでありそれでは智者とは言わないのである。)と言います。

この「天の尊爵」について吉田松陰が孟子の講釈、講孟箚記の中で講義をしています。

「何をか『尊爵』と云う。人、本心を存し、人道に於いて失う所無ければ、仮令一時に屈抑せらるるとも、万世に発揚すべし。俗輩に凌侮せらるるとも、道を知る者には尊崇せらるべし。道を知る者の尊崇は万世に発揚するに足る。固より俗輩の凌侮、一時の屈抑の比すべきならんや。」と言います。

意訳ですが(一体何を尊爵というのか、人は人としての本質を失わず人道に間違わなければたとえその志が何かによって抑えられることがあったとしてもそれは永遠に伝道されていくものです。もしも俗世の大衆に侮られ辱しめられても必ず道を実践する人物たちには尊敬されるはずである。道を実践する人物から尊敬されるのなら、永遠に伝道することには十分である。別に一時的に俗世の大衆に邪魔されても別に一時的なものにしかならならず、決して問題にもならないことなのである。)と言います。

本来、職業というものは伝道について付属するものであり、職業に入るから道に入るのではなく、道を実践するからこそ職業が尊くなるのです。自分が実践せずに、職業だけを転職すれば道の実践者になったのではありません。そんなものは職を失えばあっという間に志も失ってしまいます。本来、自ら道を実践することでそこで徳が自然に顕れ、その徳を高め、徳に報いることで真心は次第に引き立たされてその地位を得るということです。

そもそも「尊爵」は、「尊い位」の意味ですがこの「位」という字は「人が立てる」と書きます。徳が高く実践する人は、周りがその人を立てていきます。尊爵というのは、天の道理に従い、天命に応じて、無我無心、無想無念に一心不乱に真心を実践する中で得られるその人に天が与えた天命のことです。

それは矢を造ろうが、鎧を造ろうが、巫女であろうが、大工であろうが本来は関係がなく、道を実践するものであれば、自ら省みて仁を盡していくのでしょう。

だからこそ吉田松陰はこう言いました。

『自ら顧みてなおくんば、千万人ともいえども我行かん』と。

(自分で自分の言動を顧みて天に恥ずかしくないのなら、たとえその道を一千万人が塞ぐことがあろうとも、私は全うするのだ)と。

その大義を貫く真心こそが孟子が言う、「矢人豈函人より・・」の一文の本質であろうと私は思います。

そして孔子は「内に省みて疾しからざれば、其れ何を憂え何を懼れん。」と言いました。結局は、自分の身の置き場に安心するのではなく、自分の心に疚しい気持ちが一点の曇りもないくらい内省することによってはじめて心の安宅は得られるといっているように思います。何をもって安心するかは真心の実践によります。

自分が良い人か悪い人かを自ら裁く前に、自分の真心は本当に天意に従っているか、天命に沿っているかと深く自反慎独していたいと思います。今日の実践を、また真心を盡して執り行わせていただきたいと思います。

 

 

元気になること~有り難しの直受~

かつて岡山に黒住宗忠という人物がいました。この方は、1780年の冬至の日に生まれ、代々神職の家系で育った方です。小さな頃から大変な親孝行で信心深く、20歳の時には「心に悪いことと知りながら行うことがなければ神になる」と念じて、悪しきことを思う事も行わずということを誓ったそうです。

その後、父母が流行り病で7日間の間に次々と亡くなり親孝行だった宗忠は酷く落ち込み自らも肺結核の病を得て臥せってしまいました。いよいよ医師も見放したとき「自分は父母の死を悲しんで陰気になったために大病になった。だから心さえ陽気になれば病気は治るはずだ。せめて生きている間そのように心を養うのが親孝行だ」と気づきを得て奇跡的に回復していきました。そして1814年3月19日に入浴し体を清めてお日様を拝みたいといい入浴の後、縁側に這うように出てお日様を拝みそれをきっかけに年来の病気は全快したと言います。

ここで天命直受され、「有り難し」という天照大御神の真言を得ます。この世のすべては、この「有り難し」を感得するかどうかによる。その真心を「限りなき天照神とわが心 へだてなければ生き通しなり」と詠みます。つまり自分の中の陽気が満ちないのは「有り難し」という一念が天と通じ合わないからであり、病が回復しないのは陰気によってその御心一体になっていないからであるとしました。

「いつも申し上げているとおり、道というものはまことに単純なもので、ただ私の智恵を離れて有難きのみに日を送られるならば、年もよらず、疲れもせず、うれしい面白いのみです。何事もうれしいうれしいと世を渡られれば、うれしいことばかり自然と来るものです」といいます。そしてこう詠みます。「有り難き また面白き 嬉しきと みきを供うぞ 誠成りけれ」と。

日々に如何に「嬉しい愉しい倖せ」と念じるかは、天照大御神の恩徳を感じて感謝の念を忘れていないことに由ります。太陽の真心に通じ合うことは、まるで歌をうたい踊りたくなるような心境であったと言います。純粋に御日様の光を浴びて「有り難い、有り難い」と自然に戯れて活き活きと遊ぶ自然界の生き物たちのようにその陽気を肌で感じ取った宗忠の様子がありありと浮かびます。

その後、宗忠は自分と同じように病で苦しんだ人たちのためにとそこから残りの人生は自分の体験を弘め教え、そして同様に病を得ている人たちのために尽力していきます。

その時のいくつかの逸話には病を恢復した人たちのことが沢山遺っています。

『岡山藩のさる高禄の世臣(せしん)がらい病(ハンセン氏病)にかかり、世間の噂に黒住先生のところでは難病・業病も立ちどころになおるときき、早速宗忠を訪ねて病状を述べ、どうしたら御蔭をこうむることができましょうか、とたずねた。宗忠から、『ただ一心に有り難いということを100遍くらいお唱えなされよ』との答を得たので、それに従って、1週間ほど、毎日自宅の神前で『有り難い有り難い』と唱えた。しかし、一向にしるしがない。また宗忠のもとに出向いてたずねると『一心不乱に1,000遍ずつ』との答。また1週間経ったがしるしがないので、また行くと、今度は「10,000遍ずつ唱えよ。」との答だった。その通り無念無想に1週間、1万遍ずつ毎日唱えていると、7日目に発熱し血を吐いて、疲労の果てに倒れ、そのまま熟睡してしまった。そして翌朝起きてみると、らい病の萌芽の見えていた皮膚は、すっかりなおってきれいになっていた』(「黒住宗忠」原敬吾より)

以前、私も自然治癒を深める中で「100万回の有り難う」を言うと病は治るとお聴きしたことがありました。これも同じく、黒住宗忠の言う「何事も有り難いにて世に住めば むかふものごと有り難いなり」、「有り難やかかるめでたき世に出でて 楽しみくらす身こそ安けれ」の境地を得て病転じて福になるということではないかとも思います。100万回本気で言う人がどれほどいるか、しかしそこに御日様の元気と通じる妙法があるように思います。またこういう話もあります。

『ある門人が「心の底から有り難いという心がどうも起こらないのですが・・・」と相談すると、宗忠は、こう教えた。「たとえまねでも口先でもいいから、まず朝、目がさめると第一に『有り難い』と言いなさい。それからお日様を拝んで『有り難い』と礼拝し、見るもの聞くもの何につけても『有り難い有り難い有り難い』と言っていると、自然とお心が『有難く』なります』

私も、ここ18日間の病を得て一体何の意味があってこうなるのかを向き合っていたところ自分の中に昨年沖縄で出会い、年始の伊勢神宮での御縁、「ツキ」についてのことが繋がっていることにハッと気づかされました。元気がなくなり病が出るのは「ツイテイル」と想えていないほど感謝の心が自分の中で貧しくなってくるからです。

物事は豊富になり願いが成就し、心が満たされ過ぎることで感謝は慢心によって喪失していきます。もしくは得難い感謝を「有り難し」と思わない日々を送るほど、元気はなくなっていきます。日々に自分都合ではなく、天恩の自然の徳恵にどれほどの有り難いを感じているかが「元気」を引き出していくのに深く関わっていることに気づきます。

「有り難きことのみ思え
人はただ今日の尊き今の心の」

病極みにきて黒住宗忠との御縁があったのを、御日様の御心と感じてもう一度、原点回帰して精進していきたいと思いました。御蔭様の実践を、引き続き積み重ねていきたいと思います。

 

 

先祖の生き方~人道格具一体の境地~

先日から包丁研ぎを深めていますが、歴史を辿れば日本刀にそのルーツがあることに気づきます。世界でもっとも切れる日本刀が戦後に失われてから、だいぶ時が経ちました。

それまで当たり前であった研ぎの世界も失われ、そして鍛冶の世界も同時に失われていきました。西洋から、安価で丈夫な大量生産の刃物が輸入され日本の製鉄技術もかつての玉鋼のような材料も失われどうしても外国の刃物の方が丈夫で長持ち、そしてよく切れるというようになってしまったそうです。そしてそのうちお金儲けが第一になり、善いものを造ることの優先順位が下がりますますそれまでの日本の文化であった鍛冶や研ぎは失われていったと言います。

どの時代も買う人たちの心理がものづくりの人たちに影響を与え、ものづくりの人たちの心理が買う人たちの心理になっていくのは同じです。買う人たちが安価ですぐに買換えできるような便利なものを求めれば、ものづくりの人たちもその要請に応えてしまい安物で便利なものをつくります。またものづくりの人たちが金儲けに走れば、買う人たちもまたお金だけのモノサシでものを購入するようになります。世の中は、その時代の使い手、作り手の生き方が道具に顕れてくるのです。

以前、「刃物の見方」(岩崎航平著 慶友社)の中で、「日本刀は平安朝時代のものが最高で後の時代はそれに近づけようとしているだけである」という話を読んだことがあります。もしも昭和の名刀だと威張っても江戸時代だと三流くらいで平安朝時代なら十流か十一流位で刀鍛冶の数にも入らないといいます。そこにはこう書かれます。

「刀に関する科学だけは何も進歩していません。進歩しているのは電子計算機だの、ナイロンだの、ミサイルだの、原子爆弾であって、日本刀に関する科学は、進歩どころか時代が下がるに従って退歩して、今日が一番衰えているんです。だから今の人はもう少し頑張れば、もっと古いところまでは到達できるでしょう」

これは西岡常一さんの宮大工の世界でも同じ話を聴いたことがあります。法隆寺を建てた時代の大工は大変見事であったと、その上で使っている道具や釘もまた最高のものであったと、それに近づくために組み直して学び直していくのだと言います。

先人たちの智慧が如何に優れていたか、そして後人の私たちが進歩と勘違いしている現実をどう見るか。道具や智慧については先人に敵うものは何一つなく、技術が進んで少し似せることができてもそのものになることはありません。

日本刀においては、刀の原料の玉鋼の作り方が今と全く異なるといいます。平安朝時代の刀の原料の玉鋼がどうしても同じように作れないそうです。その時代、どこでその最高の砂鉄を採掘したのか、そしてどのように玉鋼を製造したかが全く分からないと言います。同じように最先端の科学をもって同じように復元しても決して同じにならない、ここに退歩があるということです。

私たちは知識をつけてはあらゆるものを見知ったかのように錯覚します。しかしその分、昔の人たちは非常に鋭敏な感覚と直感をもって物事の本質を観得ておりました。

そしてかつての時代は、売る人も買う人も、そこに深い洞察力や哲学があり、今の時代の価値観のように安価で便利なものを必要としませんでした。そこには崇高な精神や理念があったことは道具が語っています。

時代を超えて新たに暮らしの道具に触れる中で、古民具や骨董、その他の文化芸術の中に、私たちの先人たちみんなの生き方や理念が随所にちりばめられています。なぜ敵わないか、そこには生き方が敵わないのです。

私はその時代の人々の生き方が「かんながらの道」を歩み、その理念が自然への畏敬を忘れずその精神が心魂がブレずに盤石であったからこそ、それらの至高の道具を産み出し扱うことができたのではないかと思います。

人格を道具が超えることもなく、道具を人格が超えることもないのです。自他一体のように、人道格具は一体であるということです。

もう一度、先祖たちが遺してきた偉業を省みつつ、この時代をどのようにしていけばいいいのかを考え直したいと思います。後輩に後人に笑われないないような生き方を譲っていきたいと願います。

子ども達のためにも真摯に学び直していきたいと思います。

美味しい切れ味

もともと日本では包丁という言葉を料理とし、料理する人を包丁人と呼ばれてきた記述が鎌倉時代の記述に遺っているそうです。これらの料理の定義は「切る」という文化であり、この「切る」という技法が、日本料理の原点であり、生ものをはじめ、新鮮なものを新鮮なままに料理する感覚の世界を大切にしてきたとも言えます。

日本料理で割烹とありますが、これは「割主烹従(かっしゅほうじゅう)」であり材料を切り割いてそのまま食べる生ものが主で、煮たり焼いたりするといった火を使う料理は従であるという考え方のことです。

それだけ「切る」という技法は、日本料理の代表的な文化です。そしてその「切る」ということを可能にしたのが日本刀であり、和包丁なのです。これは世界でみても、とても珍しい調理法で日本には新鮮な山の幸海の幸が豊富にあり、その「いのち」を傷つけないように壊さないようにとそのまま料理することに重きを置きました。

物のいのちを観るだけではなく、すべての生きとし生けるものたちのいのちを大切にしてきた日本人だからこそ、ただ食べるではなく、神事として食べるということを行うからこそいのちを尊んできたように思います。

今の時代は、腹を満たせればいい、慾で食べられればいいと、飽食の時代ですから食べ物も粗末にされ、あまりそれらの料理に「切る」ということの美味しさを実感する機会も少なくなってきましたが、昔の人たちは実家のよく研ぎ澄まされた和包丁を用いることで「美味しい切れ味」を知っていたように思います。

切れ味次第で、美味しくもなればまずくもなるという感覚世界を知っていたということでしょう。今は切れ味といっても、通じない世の中になりましたが本来の切れ味が分かるからこそ物の尊さ、味の美しさを知るのでしょう。

料理を今までもたくさんしてきましたが、この「切る」ということが料理であるという定義ははじめて知ることができました。日本人の料理に対するこだわりが、一体何と通じているのか。改めて、先祖たちの産み出した道具のすべては一つの理念から出来上がっていることに気づきました。

子どもに遺していきたい道具、子どもに譲っていきたい道具とは何か、これから道具を発明するときの大切な姿勢を学び直していきたいと思います。

感覚の世界~研ぎの志~

昨日、三重県松阪にある月山義高刃物店にて藤原将志三代目から研ぎについての講習を受ける御縁をいただきました。昨年から「磨く」ことをテーマに、深めていると鐵に出会い、鐵から砂鉄に出会い、砂鉄から砥石に出会い、そして研磨に辿りつきました。

研磨という世界は感覚の世界であり、この感覚の世界をどれだけ大切にするかに由ります。日頃から切れ味知り、観る目を凝らしてミクロの世界を感じることやマクロの世界を味わうことは、自分自身の感覚を研ぎ澄ませていくものです。

今回の体験でもかつて日本人たちが如何に鋭敏な感覚を日頃から持っていたかというのを実感しました。これらの日本の技術が廃れていくのは本当に辛い思いがしますが、次世代、もしくはさらに先の世代が必要としたときその技術がこの世になかったではあまりにも悲惨なことになります。

だからこそ今を生きる私たちは、ちゃんと子ども達や次世代のことを考えた志業を行う必要があるのです。今回の研ぎでもまた、その文化の一端に触れる機会になり、これら実践していく上で何よりも大切な志をいただいたような気がします。

物はモノではなく、志があります。誰がどんな思いをもってそれを造り、誰がどんな祈りをもってそれをつなぐか。つまり物はその誰がが語るから、物語なのです。たたら製鐵を遺し鍛冶をする刀匠、そしてミクロの世界を科学し研ぎの真髄を語り続け研鑽を続ける研ぎ師、そのお二人の姿から大切なことを学び直した気がします。

研ぎについては、「切れ味」という世界があることを知りました。

つまりは、物は切れ味次第で実際の素材の味も変わり、持ち時間も変わってくるということです。この切れ味が分かってくることが、何よりも最初の感覚の世界であり、これが観えるか観えないかが最初のコツのように思いました。

切れ味とは辞書に由れば、「刃物の切れ具合、才能・技能の鋭さ」とあります。他には「切れ味が良すぎる」や「切れ味が冴えた」という言葉もあります。そして私自身も切れ味については学んでいる途上で、如何に本質にシンプルに辿りつくかを思う時、そしてそれが最も正確無比で余計な言葉がそぎ落とされたとき、切れ味を思います。

切れ味については最後に印象深いことを仰っていました。

「善い研ぎ師であればあるほど、研ぎすぎることがない。」

だからこそ天然砥石を用いるそうです。これは自然の世界と同じであり、天然であればあるほど我が抜けているということです。天然の持つ砥石に磨かれるというのは、その調整力を身に着けるということではないかと直感しました。

早速実践をはじめ、境地を得てみたいと思います。

先祖の真心

日本には古来から山岳信仰というものがありました。山を畏敬し、山から学び、山と生き、山に棲むのです。今での古神道では、その太古からの信仰を伝承しているところが多いと言います。

私も物心ついた時から地元の霊山によく登山し、知らず知らずに沢山の恩恵を受けてきました。齢を経てからさらにいくつかの御縁の深い山との出会いがあり、あらゆる面で助けていただいているように思います。

この御山というものは、民俗学の伝承で柳田国男は農民の間に日本古来の信仰があったといいます。春になると「山の神」が里へ降りてきて、「田の神」となって稲の生育を守護し、稲の収穫が終わる秋になると再び山に帰って「山の神」となる、という信仰です。これは祖霊とか穀霊、水や木の精霊といったもので、古神道の原形でそこには身近な動物が、神になぞらえられたり、神のお使いとされました。「山の神」なら猿、狼、猪、大蛇、熊などがまた狐は冬から春にかけて山から降りてくるため稲荷神として信仰されています。

御山を信じ、その御山に棲むものを神様の依代であると崇拝し御山の持つ清々しさや畏敬、その他を感じ取っていたということかもしれません。そして山々にも個性があるように思います。私の人生でよく接している山々、富士山、高野山、三輪山、英彦山、鞍馬山、大山、どれも同じような山とは感じません。

不思議なことですが、私たちの先祖に山岳信仰が山の気というものがありその山々の持つ神聖なものを感じているように思います。そしてその御山を産土として祀り、奥の院は山頂、もしくはもっとも深い場所へ、麓には神社を設けました。その御山との御縁を結び、御山を中心に暮らしを行った形跡があるのは間違いありません。

毎年、御山に来ると荘厳な気持ちになり、様々なインスピレーションがあるのはその御山との御縁を感じるからかもしれません。御山に入り、御山の霊気に触れるということが元気を確認することになり、その元気によってまた山を下りて平野で活動していくのです。そう考えると御山と縁結び、山に棲み山から降りて山に帰ってくる。水の流れとともに沢になり川になり海になり雲になり雨になって戻って来る。水の流れと同じであることを感じます。そして水が最も澄んでいるのは山から湧き出してくる水です。この水のおいしさをいのちは知っています。

西行法師が伊勢神宮を参拝した際、「なにごとの おわしますかは 知らねども かたじけなさに なみだこぼるる」という詩を詠みました。

御山にはいつも助けられており、同じように有難い存在に「かたじけなく」感じるものです。今年の年頭祈祷でも御山に触れる機会を得て、御山の存在に学び直しができることを有難く感じています。

先祖の真心に触れ、先祖の真心に近づいていきたいと思います。

 

心身一如~心の観ている世界に近づく~

物事という出来事には光と影があるように、それぞれに別の側面を持っています。例えば、嬉しいことがあればその陰には悲しいことも同時に増えていくとも言われます。勝負の世界なども、勝ち負けがある以上、どちらかが笑いどちらかが泣くというように側面が発生します。

人生も同じようにこの側面はどんな出来事にとっても発生しているとも言えるのです。人生の意味を深めていると、この側面について考えることで人生の妙味を感じることができるようになります。

一見、それは禍に見えているようなものが実はそれが福になったり、一見、失敗に見えたその出来事がその後の人生の大成功につながったりと、目先の自分の小さな視野では理解できないこともその意味を深める力があれば別の側面から冷静に観察することができるようになるということです。

人間は自分の執着を持ち、その執着ゆえに一つの側面にしがみ付きたくなるのかもしれません。そんな時、どうその側面以外の側面を見出し、丸ごと受け止め受け容れて「見方を転じるか」、言い換えれば違う側面を見出すことができるかがその人の心の能力ではないかと思います。

以前、小林正観さんの著書で「見方道」についての内容を拝読したことがあります。小林正観さんは、自分を見方道の家元になりたいと修行を積まれたそうです。「見方を変えればすべては味方になる」というような具合です。具体的には、あらゆるものの見方を「うれしい・たのしい・しあわせ、感謝の心」で観直そうという技法です。

これは先ほどの側面をどう悲観を楽観にするか、それだけではなく全てを必然と転じるときの心の技法のひとつのようにも思います。人生は決して良いことだけではなく悪いこともある、しかしその見方を転じ切ることができるならそれは全て至善になることだということでしょうね。

これらの側面というのは、全体で循環しているものとも言えます。雨が降って嫌な思いをする生き物もいれば、それで救われる生き物もいる。自分にとって都合が悪くても、周りにとっては都合がいいこともある。全体にとっては善いことになっているという見方もあるように私は思うのです。

もしも地球全体で他力が働いている時、善いことにしてくださるのなら諦めてみようと思うものです。もしくは、きっと地球や循環が元にしてくれるのだから安心して委ねてみようという心境のことです。

畢竟、人生は天命があり運命に従い天寿を全うするものです。どうなるか分からなくても、委ねていけばどうにかしてくださるものです。思い通りにいかなくても、その側面では思ってもいないような偉大なことを成し遂げていたり、思ってもいないような幸運や恩恵をいただいているものなのです。

そういう側面を見る力がついてはじめて心の技法を身に付けれているといってもいいのかもしれません。心神一如というか、絶対安心絶対積極の元気のチカラは無我の中にあるように思えてなりません。

日々は自分で見ていること以上のことが本当に沢山発生しています。

見方を大きくすることや、見方を沢山持つことや、見方を換えてみることはすべて心が観ている世界に近づくコツのように私は思います。生き方上手というのは、別に世渡りが上手いことをいうのではなくこの見方が上手な人を言うのでしょう。

子ども達のためにも、どんなことが起きてもそれを全て至善に転じて歩んでいけるような大人のモデルを目指していきたいと思います。

ありがとうございます。

 

 

身体の声

体調を崩して数日経ってみると色々と身体の声がはっきり聴こえはじめてきます。人間はつい当たり前に存在するものについてのことはまるで自分のものの一部にもなったかのように感謝を忘れて大切にしなくなりますが、何かあったり失ってみたりするとその有難さや大切さに気づくように思います。

聴くというのは、まず自分自身の身体の声を聴き、そののち心の声を聴けるようになることが肝要で最初から発する声に耳を傾けようとはしないその姿勢にこそ問題があるように思います。

養生法の一つに、石塚左玄の「食養」というものがあります。これは「食は本なり、体は末なり、心はまたその末なり」と、心身の病気の原因は食にあるとし人の心を清浄にするには血液を清浄に、そして血液を清浄にするには食物を清浄にすることであるとも言いました。

日頃どんな食生活をしているか、そのものが何よりも養生法において重要であるといいうことです。その日頃の食生活が乱れ、バランスを崩すような生活を続けていていざ体調を崩して民間療法をやったとしてもそれでは手遅れなことがほとんどです。

なぜなら民間療法はそもそも自然に沿った生き方をしている人たちが病気の時に取り組んだ治癒法であり、今の時代のように農薬や合成添加物、スピードや効率で栄養過多になって偏った食生活の人たちが今更やってもすぐに効果が出ることは考えにくいからです。

民間療法をやるのなら、そもそもの日頃の食生活や生き方そのものから改善しなければその民間療法も活きてこないということです。如何に今の時代の食が乱れているか、昨今の世の中を見渡せば観えてくるものです。

対処療法というものは、どうしようもなくなった問題を「これよりもマシ」という比較の中で行われていきます。本来の問題とは向き合わず受け止めず、そこを只管避けて通ろうとする、変わらないのは自分自身なのが対処療法です。しかし根源治癒の方は、これよりもマシという欲望を断ち切ったのち、日頃から丁寧に生き方の方から変えていくものです。自分が間違っていることに気づいたらすぐに変わる、それが根源治癒です。

治癒というのは、自然に直るということです。

自然に直るには、そもそも人間は何が自然だったかというものを深める必要がります。その時、石塚左玄はこういうことも言っています。「人類穀物動物論」「一物全体」「身土不二」「陰陽調和」など、本来人類がどういう食べ方をしてきたかをとことん突き詰めているのです。何をもって自然かといえば、そのはじまりを知ることです。

そしてこの石塚左玄には、「食養道歌」というものがあります。二宮尊徳にも道歌がありますが、その道を深めた人たちの言葉は心に沁みます。

「臼歯持つ人は粒食う動物よ。肉や野菜は心して食え」
「円心ある穀類多く食ひなば、智仁勇義の道に富むなり」
「動かずば動かぬものをおもに食い、動き動かば動くもの食え」
「海国の魚と塩とに富む土地は、山や畑に生ふるもの食え」
「大陸の麦と薯とに育つ人。勤めて食えよ肉や卵を」
「塩風の温味ありける火の本を、さます薬は野菜なりけり」
「遠海の北と雪との水国は寒さ凌ぎに肉を食うべし」
「潮風の吹き入る土地は身の為に食ふて欲しい豆と野菜を」
「山里は塩の漬物食うが好し、肉と魚との代用するなり」
「牛と魚鳥や玉子とかはれども海鹽と同じものとこそ知れ」
「魚や塩得るによしなき山里は、鳥獣の肉を食うべし」
「塩風に吹かるる土地の人々は、夏気となるや殊に菜食え」
「飯食うて、程よく肉を嗜まば、身も壮健で智も才もあり」
「肴屋はさかなのように動けども、八百屋の如く静かではなし」
「春苦味、夏は酢の物、秋辛味、冬は脂肪と合点して食え」
「献立は海の品なら山のもの。臭い物には野菜合わせよ」

これれは、すべてほどほど、中庸であることが説かれているように思います。足るを知り、ほどほどの善さを自覚するものは健やかなりということでしょう。今の時代、誘惑ばかりがありますから己に打ち克つにはやはり自分自身との対話を静かに行っていくしかないのではないかと今回の病を得て実感しました。

「あらゆる静寂に耳を凝らし、深淵から届く声に耳を傾け、その澄んだ音を聴け」(藍杜静海)

今年も最初から転じる出来事ばかりが続いていますが、学び直しがはじまっていることに感謝し、体験させていただけることの御蔭様に恩返しをしていきたいと思います。

 

民間療法の本質

今回、民間療法を試していく中で一つの発見がありました。この民間療法は日頃取り組んでいる自然農と同じで、もともと備わっている自然治癒を援助し支えるやり方で行われていたということです。

現在の西洋の薬は確かに緊急時には必要ですが、病原体にだけに対してだけではなく同時に身体にも影響を加えてしまいます。副作用があるということは、病原体を攻撃するために多少の犠牲をはらっても手段を選ばずに薬で殲滅させようという考え方です。

それに対して古来から伝わる先祖たちが伝承してきた民間療法は、もともと身体には自然治癒が備わっているためそれをどう発揮できるように手伝うか、また援護するかという観点で薬を用いています。そのため副作用はありません。

例えば、喉の痛みについては「はちみつ大根飴」や「緑茶のうがい」、「生姜茶」の療法を用いましたがこれは扁桃腺で自助免疫が外部からのウイルスや細菌の侵入を防ごうと攻防を繰り広げています。その時、はちみつが抗酸化作用で殺菌を助け、緑茶のカテキンが同じように殺菌をし、大根が炎症や痛みを和らげ、生姜が体温を中から暖め免疫が活動しやすくなるようにと援護します。

つまり古来の薬はすべてにおいて自然治癒を「援護」するものであり、病原体を倒すためのものではないということです。これは人間にはそもそも自然治癒が備わっていると信じられており、その自然治癒が働きやすいようにと配慮しながら暮らしてきたのです。

これは自然農も同じで、作物その物のもつ育つチカラを邪魔しません。どうしても外敵に負けそうな時だけ、援護します。するともともと持っている元気が出てきて、逆境を撥ね退けて負けそうな時よりもずっと強く逞しく活き活きと育っていきます。その生きるチカラ、その元気溌溂さを見るとき、実は逆境は善いものだと信じさせるものです。

人間の身体も同じくもともと持っている元気がでなくなったのは自分の自然治癒力を信じず、西洋の薬に頼りますます元気がなくなってしまっているように思います。これは薬だけに限った話ではありません。何でも目に見えて効果がありそうなものに飛びつき、本来の自分自身の中にあるものを信じようとしなくなっているようにも思います。自分の免疫で治すことは確かに信じるチカラが必要であり、治るかどうかが分からない状態で苦しみが続くのですから調子が悪いとより不安になるのは仕方がないことなのかもしれません。

しかし見方を転じてみれば病気になってしまった原因を見つめるよい機会でもあり、苦しみを受け止めてそれを民間療法を用いて恢復ができるのなら自然に身体は以前よりも益して元気が漲ってくるように思います。

最後に整理すると、自然に沿って治そうとするものが民間療法であり人工的に意図的に治そうとするものが現代医療といっていいかもしれません。先祖たちの伝承された民間療法を試していたら、先祖たちが如何に自然に寄り添った暮らしを永い期間ずっと行ってきたか、そしてそれが如何に優れて素晴らしかったものなのかを身体で感じます。

自然を征服することができても果たしてそれが幸せなのかどうかは疑問です。自然物の一つとしての人間なのは自明の理なのですから、自然物のチカラが自分に具わっていることを自覚することの方が信じるチカラを得て自然一体に安心できるように思います。

子ども達のためにも、自然農と同じく民間療法としてのものもできる限り掘り起し探し出し少しでも多くのものを伝承していけるよう生き方を遺していきたいと思います。