人間の脳というのは、色々な知識を学ぶとそれを知って自動化するものです。つまり、こういうものであると認識して知った気になるともいえます。真実や本質は知ってもすぐに状況や環境、時の流れで変化して止まりませんから気が付くと知っていたものが知った気になりわからなくなっていくものです。
知った気になったままでいるとそのうちその知識が邪魔をして本当ことがわからなくなっていきます。それを補正するために膨大な知識を増やしていく中で、本来の真実や真理がまた見えなくなっていくのです。
道に迷ったようにようやく知ったと思ったら、またすぐにわからなくなる。これが嫌になる人も多いように思います。せっかく努力して知っても、それが分からなくなっていく、それはこの知識があくまでその時々で認識する道具の一つであることを証明しているものだからです。
学校の受験などの知識は、誰かが決めた知識ですからよほどでない限りは変更もありませんからほとんどそのままです。しかし言葉も時代の流れでその定義が変わっていきますから、古文などもその当時と今では認識も次第に変わっていきますからこれも知った気になっているうちに真実が見えなくなっていくものの一つかもしれません。
この逆説になりますが、本来は知識がない方は知った気になることはありません。常に感じ続け、学び続けていると変化に適応してその本質や真実を見つめ続けることができるからです。動植物などは、この世の原理原則や自然界の仕組みに合わせていますからその中で知識よりも知恵を優先して生きています。しかしそれでも知識で学んでしまったものが邪魔をして、変化に対応することが難しくなっていく生き物もいます。それでもすぐに修正できるのは、感覚や知恵で生きることを優先しているからです。
私たちは知識を得ていますが、知識だけに頼ってしまうと大変なことになります。この世の中の大部分は、知識だけでは理解できないものばかりです。無理に知識だけで仮想空間をつくっても自然界や宇宙ではその知識が役に立ちません。
本来の私たちが生きている真の世界は、常にこの今、この瞬間、一期一会の中にのみ存在しているからです。そのために、かつての先人たちは日々を新たにして磨き続けて洗い流すように暮らしを営みました。
私が提唱している暮らしフルネスには、その日々に新たに生きるための知恵を学び直すことが中心になっています。常に真実に生き、本質であることは、自分を知り、自分を学び、自分の天命を全うするのにとても役に立ちます。
子どもたちが安心して、この世に生まれて道に入れるように場をととのえていきたいと思います。