徳の回帰

大分県中津市本耶馬渓に「青の洞門」というものがあります。これは江戸時代、荒瀬井堰が造られたことによって山国川の水がせき止められ、樋田・青地区では川の水位が上がりました。そのため通行人は高い岩壁に作られ鉄の鎖を命綱にした大変危険な道を通ることでしかそこを渡れなくなっていました。

諸国巡礼の旅の途中に耶馬渓に立ち寄った禅海和尚が、この危険な道で人馬が命を落とすのを見て心を痛め、享保20年(1735年)から自力で岩壁を掘り始めたのがはじまりです。

この禅海和尚は最初は、自分一人で3年間ノミとで穴を掘りぬき、その後も托鉢勧進によって雇った石工たちとともに30年余り経った明和元年(1764)、全長342m(うちトンネル部分は144m)の洞門を完成させたという話です。その後は「人は4文、牛馬は8文」の通行料を徴収して工事の費用をもらうことにし、これが日本初の有料道路とも言われています。

私はこの青の洞門に深く心が支えられていることがあります。周囲の誤解で事を邪魔されたり、すべてをひっくり返されるような出来事に出会う時、また一人でコツコツと地道に取り組んでいる最中など、ふとこの禅海和尚のことをいつも思い出し徳を偲ぶのです。

人は、あまりにも偉大なことを発想したり、あまりにも遠大なことに取り組もうとすると周囲から必ず誤解されたり疑われたり、変人や狂人扱いをされるものです。一生懸命それを何度も説明しても誰も本気にはせず、言い訳の一つやもしくは何か裏があるのだろうと思われたりもします。私の人生はいま振り返るとそんなことばかりの連続でした。不可能と思えることや、意味がないといわれることに取り組んでいくことは陰徳のようでそれを誰かに認められたいからなどの気持ちは入りません。でも人は人とあまりにも違う人をみると好奇な目もあり社会秩序などが気になってしまい黙ってはいられないのでしょう。

私の場合は、今まであまり目立たずにこっそりとひっそりとそっとしてもらいながら取り組んでいくように心がけていきました。時折、周囲が盛り上げて運動にしようとされますがそれがいつも返ってそれぞれの我欲望の養分になって大きな邪魔になってしまうことが多く、結局は静かに実践する人たちと穏やかに取り組んだ方が安心して結果が出るまでが早かったりするからです。

人は真の意味で人を信じることができるとき、本当の意味の支援や協力をしてくれるようになります。誤解されたり、いつまでも理解されないのは、まだ自分の真心が人々が信じるほどではないのだと諦めて真摯に取り組むしかありません。

この青の洞門は、そういう意味では私たちが真に徳を積むためのお手本であり模範です。この取り組みをベンチマークして学び、取り組むことで私たちはこの先人の智慧を活かしこの国も人々の心も甦生させていくことができると私は思うのです。

この禅海和尚は、初心を定めてから3年間はまずは一人で掘り続けました。すると3年目にしてはじめてお手伝いしてくれる人が現れ一緒に掘り始めます。その後は、一人二人と協力が現れみんなで掘り始める。今度は、石工たちに費用が払えるように托鉢が広がっていきます。最後は、有料道路にして通行料をとってそれを掘り修繕するための費用にします。この流れで、トンネルが掘られたのです。そしてこの景観と遺徳後世まで守るためにと、福沢諭吉が周囲の土地を買い取り守ります。その後は羅漢寺と共に、現代の資本主義の台風をいわばでしのぎながらも嫋やかにその陰徳を顕彰し続けるために維持します。そしていつまでも多くの人たちが訪れてその価値を学び続けます。それが私のように志を守る勇気をいただく原動力となって心にいつまでも徳が掘り続けられていくのです。

これは一つの真実であり、甦生やコンサルティングのもっとも王道のカタチです。

現在、英彦山の甦生に取り組んでいますが私がいつも心に抱いて見本にしているのはこの禅海和尚の志の貫徹する実践の姿です。信仰というものの本当のチカラは、人々の心に徳を回帰させていくことです。

徳が回帰すれば、人々はその偉大なことをいつまでも学びそれを世の中を導く原動力にしていきます。ひょっとしたら福沢諭吉にもこの禅海和尚は偉大な影響を与えたかもしれません。子どもたちは、このような遺徳が養分になり健康に成長していきます。

1000年後の未来のために、逆算して今、何をすべきかをこれからも真摯に取り組んでいきたいと思います。

 

終始のご縁

何がきっかけで物事がはじまったのかを振り返ってみると、そのはじまりのきっかけの中にそのご縁がどのようなご縁だったのかが観えてくるものです。今振り返ると不思議で、みんな誰もがはじめて出会ったときにはその後にどのようなことが発生するのかがわかりません。

わかるとしたら直観的に幸不幸の予感があるくらいですこのご縁には、ずっと一緒に長く旅を伴にする人もいればバトンを渡すときに一瞬だけのご縁の人。あとは、すれ違っていくようなご縁の人。人生を丸ごと変えてしまうようなご縁もあります。しかし、よくよく味わってみるとあの時のあの出会いとご縁は必然だったのだとも感じるのです。

それをどう大切にするかは、その人の感性に由ります。感性が優れている人は、ご縁の持つ偉大な存在に気づいています。一期一会に、ご縁を大切にしそこに宿しているメッセージを受け取りそのものとのご縁を集めていきます。

どのようにご縁を集めて一つの人生を完成させていくのか、それが人が生きていくことの証です。そう思うと今も私の人生はご縁を集めることだけです。

これまでもただ大切にずっと集めてきました、そしてこれからも遺りを集めていきます。よく集大成という言い方をしますが、人生はご縁が積み重なり結び合いできあがります。今、私たちの目の前にあるものすべて、それは石や木、そして生命体に至るまでそのすべては集大成の今のカタチなのです。

ご縁はまだまだ無限に続き、まだまだ集め続けます。しかし、人生は死を迎えるとそれが逆行していくように感じます。つまり集大成からまたはじまるのです。まるで終わりがはじまりのようにです。

はじまりのご縁を感じるときに何かが終わることを感じる。つまりはじまりと終わりのご縁は同時に行われているということです。その終始こそご縁の本体であり、終わるようではじまり、はじまってるようで終わっていく。まさにご縁というのは永遠の循環です。

だからこそ私たちはその一瞬のご縁を「大切にしたか」が問われるのです。

大切にするからこそご縁は活きるのであり、ご縁を活かす人は「大切にしていくことを忘れない」のです。時間は、その大切にする意味を思い出させるための産み出した人類の道具なのです。まだ言葉のない時代、何も知識がない時代に、私たち人類はそこに気づきこの世に時間を創造したのではないかと私は思います。

人生は一度きり、そして永遠なのです。

日々の社会通念や常識に流されてしまいますが、いのちの持つ意味を忘れずに子どもたちに先人からのいのりを伝道し生きるチカラを伝承していきたいと思います。

暮らしフルネスの本懐

万物にはそのものの徳というものが備わっています。それを磨き明らかにしていくことを、明徳という言い方をします。この明徳は、大和心そのものでもあり日本人に連綿と続いてきた大切な生き方です。私は、この大和心の甦生のことを「暮らしフルネス」と定義しています。もっとシンプルにいえば、この徳を明らかにし、徳を循環し徳によって治める世の中になっていくことが暮らしを実践する理由ということです。

私が本業として取り組んできた見守るという保育も、またむかしの田んぼや伝統固定種の高菜、そして古民家での智慧の甦生やあらゆる現在の取り組みに至るまですべてはこの大和心がそうさせているともいえます。

和というのは、徳が引き出されることでわかります。和食であれば、素材のもっているそのものの味や魅力が引き出されたことをいいます。私は料理人ではありませんが、井戸水や炭火をつかい素材そのままで味わうものを好んでつくります。余計な味付けなどしなくても、そのままの味が出た方がその徳が明らかになるから好むのでしょう。

このみんなが使っている「和」や「暮らし」は、本当の意味になっているのでしょうか。なんとなくわかりやすく使われていますが、日本人の和や日本人の暮らしではないものがほとんどになっているようにも感じます。

そもそもこの和や暮らしは、長い歴史の中で用いられた言葉です。歴史を学ばずして、先人の智慧の伝承なくして使うようなものではありません。現在は、何か新しい知識やそれを上手に分かりやすく便利なした言葉がすぐに独り歩きしていきます。しかし、本来は長い年月を経て醸成された発酵したような言葉であることが本質です。

だからこそ、知識ではわからないものが「言葉(言霊)」の中に存在しているともいえます。同じ、「暮らし」という言葉を使ってみたとしてもです。その暮らしという言葉は、使う人の持つ歴史や伝統によってまったく意味が異なっているということです。

私はもともと「和風」という言葉が嫌いです。和風は和ではないから、言葉遊びのようになるのが苦手なので嫌いという具合です。本物の「和」は、和風のものとは一切異なります。ひょっとしたら、昔気質なのかもしれませんが日本人としての誇りがあるからどうしても和風が馴染まないのかもしれません。西洋の文化や他国の文化はいつも尊敬しています。だからこそ、この便利な和風はどこか失礼ではないかとも感じてしまうのでしょう。これは決して和風がわるいと言っているのではなく、少し苦手というニュアンスで書いています。

刷り込まれた知識や、社会通念があるということが前提ですが私たちは何が本来の和であるのか、何が本来の暮らしであるのかをみんなで実践を磨き合う中で学び直す必要性を感じています。

私がこの場の道場での取り組みは、それを子どもたちに伝承し未来を智慧で満たすためです。先人の深い愛や思いやり、そして暮らしを次の世代へ伝道していきたいと思います。

健康をととのえる

加齢とともに体の反応が鈍くなってくると思い込んでいましたが、色々と禊や精神を澄ませるような修行をしているとかえって体の反応が敏感になっていくのがわかります。

精神と体というのは一体であり、その両方がバランスよく整っていることで私たちは健康を維持することができます。昨年から、少しずつ漢方のことを学び始めていますが大変奥深く好奇心がわいていきます。自分の身体のことなので余計にその状態から学べるというのもまた、この漢方の面白さです。

最近、胃腸は食べ物から取り込んだものを「清」と「濁」に分ける役割があることを知りました。その「清」は、「気、血、水」となって生命活動のエネルギーとなります。そして「濁」は体に不要で排泄されます。これは静と動のように常に、バランスを保って状態を中庸にするという考え方と同じです。

そして漢方は、「清」は上半身へと昇りっていき、「濁」は下半身へと降りていくのといわれます。つまり、胃腸が悪い状態で清濁が出てくると血流がわるくなりますか上半身に症状が出てくるという具合です。

私は胃腸がよくないので、食べ物の浄化が正常に行われないとそれが頭痛になったり吐き気になったりしてきます。特に、雨の日や雪の日の寒い時はさらにそれが悪化します。これは雨や雪で気圧がさがり、水が溜まりやすくなりより排出が滞っていくからです。

血のめぐりが悪い時に、暴飲暴食するともうそれはひどいものです。そうなると身体の声をきいて、速やかに下痢がでて排出していきます。辛い時はその排出もうまくいきませんから、大根おろしや山芋、他にもこの時期の旬のもの、今では白菜やしょうがなど食べて体の排出を助けて浄化する料理をつくりそれを時間をかけてゆっくりと食べるようにしています。

もともと西洋医療は、症状が激しく出てからの診療で薬を投与します。しかし、東洋医療は、症状が少しでもでそうならそこから推察し予防するための生薬などを調合します。本来、医食同源といって食べ物は単に栄養をとり空腹を満たすものではなく食そのものが健康を保つための薬という考え方もあります。

現代は頭でっかちになりすぐに知識で健康を保とうとしてサプリなどをよく摂取したりしますが。本当は体の声を聴くことが健康になるということです。体がどうしてほしいといっているか、早めに素直に謙虚に聞いて改善していくことで健康は長く保たれ寿命ものびます。

借り物の身体をその日が来るまで大切に使えるように、健康をととのえていきたいと思います。

世界変革への門出

昨日は、聴福庵にてブロックチェーンエンジニアたちと一緒に鏡開きを行いました。お昼にはその鏡開きの御餅を使い、七つの穀物と七つの若草を使いお雑煮にしたり、かき餅にしてみんなで食べました。

鏡開きでは、まずみんなで鏡餅に感謝をして参拝して、その後は「おめでとうございます」と声掛けをしながら御餅を木槌で開いていきました。清々しい門出と福がみなさんにつながるようにと祈り行いました。

寒い日でしたが、炭をたくさん使った古民家はとてもぬくもり、またコロナでテレワークからなかなか会えない仲間たちと一緒に雑談をしたり学び合い、教え合う時間は、何よりも有意義でした。

畳になれていない人も多く、少し腰が痛いこともありましたが懐かしい未来の時間をみんなで過ごす豊かな時間です。

一昔前まで、日本人はどのような環境で仕事をしていたのでしょうか。そういうことを知っている人ももういませんし、たいした文献も残っていません。

しかしむかしから続いている場所で、むかしの真心をもって文化を継承している人がいるとそこには懐かしい未来の場が甦生するのです。私がそうであるように、私の暮らしフルネスの実践の中に人が入ればそこに何かを直感してくれます。

それは私が先人の智慧を尊び、日本人であることの素晴らしさ、文化の偉大さを実感しているからにほかなりません。現在は、都市化され国家を優先して生活というものを激変させましたからむかしからある本来の豊かな暮らしを失っていきました。

生きているということは、決して生活のためだけではなく暮らしのためにあります。この暮らしは、現代の暮らしではなく、懐かしい暮らしのことを言うのです。暮らしの定義を換えない限り、本来の私たちの豊かさは原点回帰しないのではないかとも感じます。

コロナで私たちは大切な何かを思い出し、そしてコロナ後に世界は人類のしあわせとは何かということを考えようと話していました。しかし、現在の社会情勢をみていたら原点回帰は元の経済優先の仕事中心に戻ることのように報道されます。

残念なことです。

人は一人ひとりの中での意識の変革によってしか世界は変わっていきません。まずは自分自身が変わることで、つまり暮らしを換えることで世界は真に変革していくと私は思っているのです。

子どもたちの未来、子孫たちの平和のために、世界の変革をこの場所、私のいる足元から変えるために実践を積んでいきたいと思います。

鏡開きと感謝

昨年末に杵と臼でついた御餅を鏡餅にしてお祀りしていましたが、本日は鏡開きをします。この鏡開きは、室町時代ころからあるといわれている武家の風習だといわれます。

現在、日本では年中行事の一つになっていますが正月に神(年神)や仏に供えた鏡餅を下げ直会をし食べる。一年の神仏に感謝の気持ちを示し、無病息災などを祈ることです。一般的には汁粉・雑煮、かき餅(あられ)などにして食べるようにしています。

私も本格的に毎年、この鏡開きの年中行事を甦生して5年目になりますが最初は失敗の連続でした。あっという間にカビが生えてしまい、鏡開きまで持たないのです。他にも、固すぎて割れないとか、食べるまでもたないとか、いろいろとありました。

現在は、工夫をして焼酎で洗ったり、ワサビをおいたり、玄米で隙間を上手につくったり、温度管理がしやすい乾燥した部屋の状態を維持するようにしたり、時には人が集まるときだけ移動したりと鏡餅の方に寄り添ってずっとこの鏡開きの日までお守りしています。

気が付くと、単なる食べ物ではなくまるで生き物のように接して食べるのがもったいないと感じるほどです。みんなでついた御餅を、みんなで食べて無病息災を祈ることはとても豊かなことです。感謝の気持ちで取り組んだ行事だからこそ、感謝の気持ちで大切な節目を迎えることができます。来年は、江戸時代までは黒米を使っていた黒鏡餅だったというのを新たに知り、黒い鏡餅に挑戦してみようと楽しみにしています。

こうやって毎年続けていくたびに、その行事の本質を気づきなおし、また自分の暮らしの一部として文化を伝承していくことができます。子どもたちにもただの体験ではなく、伝承としての日本文化を伝道していきたいと思います。

存在

人はいつも同じ人とずっと一緒にいるわけではありません。特に若い時に知り合った友や、そしてご縁のあった方々とはまた離れて暮らしていくものです。しかし、これはいつの時代も同じですが離れていても心は傍にいるという感覚といものがあります。

これは同じ志を持っていたり、共感をしたり、もしくは、ご縁を信じていたりする感覚を持っているということです。そしてこれは、生きている存在だけではなくご先祖さまやもしくは故郷のように形のないものにもそれを感じるものです。

人との出会いというものは、誰かが引き合わせていきます。その誰かは、まるで先にそうなることを知っていたかのようにその人と人を見事に繋ぎ合わせていきます。ここには、まるで時間という概念がなく未来も過去も今もありません。言い換えるのなら、「そうなるご縁を知っている」かのようです。

つまり、未来を予測するのでもなく、過去からつなぐでもなく、今その瞬間に感じたわけでもなく、「そういうご縁である」と最初から確定して存在しているのです。これを天命とか運命とか宿命だという人もいます。しかし、よく考えてみるとこの世のすべての存在に想像を膨らますとき、複雑にみえて実はシンプルに「ただそこにあるもの」という事実に気づきます。

存在は、いのちのカタチであり、カタチとしての認識が存在となっているのです。そしてこの存在するということを人間の感覚でとらえるとき、そこには役割があるという認識を持ちます。

役割があり存在があるとするのなら、そこにはご縁があるということになります。そのご縁は、丸ごと一体でありそのすべてに役割がある。役割を誰かが無理に決めるのでもなく、存在そのものを役割にするという考え方です。

私たちの心というのは、その存在をいつも身近に感じているものです。

懐かしいという感覚は、どこかその存在のことを示唆しているように私はいつも感じます。古いものに触れても、新しいものに触っても、懐かしいのです。形と無形は永遠に循環していきますが、そこに存在する真心はいつまでも不滅にあります。そういうものを身近に感じて暮らしていけることこそ、真の意味で豊かなことでありいのちが磨かれていることではないかとも感じます。

難しい書き方になりましたが、昨日、ちょうど哲学者の方と一緒だったのでその影響もあったかもしれません。子どもたちの未来のために一つ一つの存在に深く感謝して、今日も一日を過ごしていきたいと思います。

行事の本当の意味

私たちは様々な年中行事という文化を持っています。保育園や幼稚園をはじめ、老人ホームなど、生活の中で行事は当然のように実施されていきます。最近は、イベントのように行事は使われていますが本来は日本人の心を守るためのものだったのではないかと私は感じます。

その理由は、すべての行事が感謝に関係していることからです。私たちは、何のためにそれをやるのかという理由を持っています。そして行事であればその行事がはじまった理由があります。その理由は初心でもあり、その初心を甦生し繰り返していくなかで智慧や真心を伝承していくのです。

なんとなく忙しくなり、とにかくやるだけ続けていくなかで簡素化していくとその本質や意味が失われていくものです。だからといって、ガチガチに形を決めてそれをただやっていたら行事で疲れてしまいます。本来は、自然体で行事をし、そのまま感謝で実施されていくのが一番です。

しかし自然体であるためには、日々の暮らしの方をしっかりと維持していることが重要です。そもそも行事は、暮らしの中での行事であって決して暮らしから外れた単なるイベントではありません。これは暮らしの節目に感謝していくものでありその節目に心をなくさないように、先人への感謝を思い出すようにと豊かに取り組んでいくものだと私は思います。

豊かさというものは、心のゆとりでもあります。心のゆとりとは、感謝の心を持っていることであり、決して時間が暇になることではありません。ゆとりがあるというのは、心が感謝で満ち足りているということです。

世間ではゆとり教育とかいって、テクニックや方法論ばかりが議論されましたが本来は日本人がもっていた心のゆとりの回復であったのではないかと私は思います。そのためにまず必要なことが行事の改革であるというのは私の直観する本筋です。

時代が変わっていくなかでも大切なものはいつまでも失ってはいけません。

その大切なものを甦生させ続けていく、伊勢神宮が式年遷宮をするように、神道では常若という実践があるように、これは日本の先人たちがいつまでも子孫のためにと祈り続けてきた一つのカタチなのです。

行事の本当の意味を知ることは、私たちのルーツと未来をつなぎ永続させていくことです。子どもたちの未来のためにも、暮らしフルネスの大本命の一つ、行事の改革に今年から本格的に取り組んでいきたいと思います。

御粥の伝統と甦生

七草がゆの御粥のはじまりについて深めているといろいろなことが分かってきます。

この御粥という言葉は、延暦二三(八〇四)年に記された伊勢神宮の「皇太神宮儀式帳(こうたいじんぐうぎしきちょう)」の中に出てきます。この「粥」という字は「煮た米」を現します。字の意味は「固粥」で、現代のご飯とは蒸したお米ですから別のものです。

もともと日本では紀元前一世紀ごろには御粥は食べ始められていたといいます。世界では3000年前から食べられていたといいます。その時の御粥は、今でいうおこわのようなものだったといわれます。

縄文土器など見てもわかりますが、焼いた石の上で料理したり、煮込んだりしたものが主流でしたから穀物も同じように煮たてていたのがわかります。東南アジアの料理で、葉っぱにくるまったおこわを食べますが私にはあのイメージです。

稲作がしっかりと根付いた弥生時代にはうるち米を煮て食べていたともいわれます。それが奈良時代には、土鍋で煮た水分の少ない固めの粥が食べられていました。これが固めの粥「固粥」と呼ばれます。

ここでの土鍋は、「甑」(こしき)と呼ばれる土器が使われていたといいます。この『甑』は、底に湯気を通すための小さな穴がいくつも開いた深めの鉢のようなものです。そこにお米を入れて、湯の入った釜の上に置いて蒸していました。これが発展して木製のものになり、それが蒸籠になるのです。

こうやって蒸して出来た粘り気もなくて固かったので「強飯」(こわいい)と呼ばれました。そしてここからいよいよ羽釜が登場してきます。竈で羽釜をつけてご飯を炊くのです。それまで鉄の釜は中国から伝わって来ましたが、その釜には羽の部分なかったといいます。すると竈にはめ込んだ時、持ち手である羽が無いので取り外すのが大変だったのでそこで取り外しが楽になり釜を洗う時にも便利なように羽を付けることを考えて発明されたのがこの羽釜です。先人たちの智慧の偉大さを感じます。そこから今の私達が食べているご飯の原型は変わっていません。

御粥の方はそこから分かれて、土鍋で煮た水分の多いものを御粥として発展します。汁粥ともいわれ水分が多く、汁が入ったご飯です。11世紀ころには文献にもおかゆとして書かれています。病人が食べるようなイメージになったのは、江戸時代だといいます。御粥は、水加減で呼び名も変わります。水加減一対五は「全粥」、一対七なら「七分粥」。一対一五なら「三分粥」。一対一〇で炊いて、汁だけこし取ったものは「重湯」といいます。そして全粥一に対して重湯九の割合で混ぜたものが「御交(おまじり)」というそうです。病人食や老人食や離乳食といった目的に応じて、作り方も呼び方も変わります。

江戸時代にはこのように御粥はいろいろな姿に形状を変えていきます。七草がゆが愛されるのも、この医療や治癒に御粥が重宝されてきたからかもしれません。

今日は七草がゆの日です。

本来の日本人がどのような祈りと意味と願いを込めて、このような伝統を伝承してきたのか。子どもたちの未来のために甦生していきたいと思います。

2022のテーマ

昨年は、今まで知りあうはずではない方々とのご縁が広がった一年になりました。また徳積堂、和楽と古いものを甦生し、新しい場へと生まれ変わらせる機会をいただきました。そして多くの御蔭様を経て、これから英彦山の甦生に取り組むことになります。

一年に一度、振り返る機会があるというのはとても豊かなことです。節目に私たちは、今まで何をしてきたか、そしてこれからどうして生きたいかということに向き合う時間を得られます。

自分の人生をどのように使ってきたか、それが一年の経過で観てとることができます。私は選ばないという生き方を実践していますが、振り返っていると選ばない中で選ばれているという感覚を実感します。私が選んでいなくても、選ばれているという事実。そして私が選んだと思っていたら、選ばれているという事実。つまり自他一体のように、ご縁の中心に事実はあり常に「選択されている」ということがわかるのです。

これは私の生き方ですが、この方法が甦生の極意にもなっています。

別の言い方では、天にお任せして生きていくという生き方です。天が何かをさせようと私を誕生させます。その天の命に従うように自由に生きていきます。その自由に生きる中で私たちは偉大な愛に気づいていきます。他にも、偉大な恩恵、偉大な感謝、ありとあらゆる自然の恩徳に巡り会って人生を深く味わっていくことができるのです。

昨年のテーマは「感謝を磨く」でした。どれだけ感謝が磨けたはわかりませんが、当たり前に気づき足るを知る機会は今までよりも多かったように思います。コロナのこともあり、今までの既存の資本主義や経済発展という物差しと向き合って新しい生き方、「暮らしフルネス」という自著を上梓することもできました。

そしてこれからのコロナ後に入るために私たち人類の意識は一つ変わっていかなければなりません。それは今までの物質的に偏る豊を手放す決断が必要になります。私たちの先祖たちは、子孫のために徳を積みました。これは単なる発展ではなく、地球の生命と共に暮らしを豊かにしていくという道を選んだのです。これは先ほどの選ばれたという言い方にすれば、人類は地球に選ばれているのです。もう少し謙虚になって、バランスを保つ工夫をしなければこの歪は大きな揺れ戻しになって人類に襲い掛かってくるようにも思います。

ここからの一年は、私たちはどのような選択をするかでこの先の1000年が決まります。ここに人間、一人ひとりの試練がはじまっています。私もその一人として天を信じて選ばれた側の心で謙虚に道を切り拓いていきたいと思います。

最後に今年のテーマは、「いのちを磨く」ということにしました。いのちは愛そのものであり、愛はいのちを慈しみ尊重するときに顕現します。愛は人類と地球を救うものであるという事実は普遍的です。それはかつての聖人たちがみんな後ろ姿で示したものです。

時代が変わっても、人は人を愛し、愛は地球そのものを丸ごと包みます。

この美しい時間をいつまでも子どもたちや、新しいいのちにつないでいけるようにこんな時代だからこそ勇猛果敢に徳を積んでいきたいと思います。

今年もよろしくお願いします。