人間はみんな我があるものです。この我とは、一つは欲であり一つは情です。他にも細かく言えば我ばかりですがその我があるから真実や本質が見えにくくなっていきます。なぜこうなっているのかと、真摯に洗い清めて透明になるまで磨き上げていけば真実は見えやすくなりますがその間に様々な穢れがこびりついてきますからどうにも本当のことがわからなくなります。
そうなると、人は「素直」であることができません。素直というのは、単に従順になることではないことはすぐにわかります。他にも、ただ性格が良いことだけを言うのではないこともすぐにわかります。
素直さというのは、ある意味で無の境地であり、謙虚に我が省かれている状態であり、何か偉大な自然と直につながり直観が働いている心境であったりのことです。
つまり何物にも囚われない澄んだ心の姿勢の時こそ、人は素直になっていると言えます。人の話が素直に聴けるというのは、人の言うことを単に逆らわずに聞くことではなく心が澄んだ状態であるがままのことを聴けるということです。
よく他人に質問して何かを訊いているのに話をまったく素直に聞かない人がいます。それは自分の我があるからですが、素直ではない状態だから訊かないのはすぐにわかります。自分自身の心が澄まないので、澄ませていきたいと思って訊くのならその人は謙虚ですから素直に近づいていくこともできるかもしれません。
しかし最初から我が強く出て自分の思い通りにしたいと思っているのもがあるのなら、本当のことを素直に直観できる感覚はそこで働いていないと私は感じます。
素直さというものは、直観力であり、そして浄化力であり、研磨力でもあります。どれだけ研ぎ澄ましていくか、そして洗い流していくか、心を清らかにして真実を明らかにしていくかというものであろうと思うのです。
素直にいきましょうと声掛けするのは、お互いに心を澄ましていきましょうという掛け声をすることです。みんなが素直になるのなら、本当のことがわかり本質のままにお互いに協働して助け合い、清々しく明るく物事に取り組むことができます。
つまり素直にという意味は、「清々しく明るく」いましょうということだと私は思います。人間は、常に相手がどうかではなく自分が澄んでいることが重要です。そうでばければ、この世にいて本当に起きている事象や出来事、ご縁を理解していくことができなくなるからです。
日々の喧騒や荒波、濁流の中であっても深海のような静けさ、水面の鏡のような美しさを保ちたいと思います。子どもたちのためにも、むかしからある日本人の智慧を伝承していきたいと思います。