故郷の旧庄内町(飯塚市)に「塞翁が馬の会」というものを新たに立ち上げました。これは、「結」といった日本の伝統的な互助の知恵を現代に温故知新して甦生させるためにはじめたものです。
この「塞翁が馬」という言葉は中国の有名な故事の言葉で正確には「人間、万事塞翁が馬」といいます。この塞翁は、人の名前ではなく国境の塞(とりで)付近に住む老父という意味でその馬のことを指します。
この故事の内容を日本語に現代語訳すると、「辺境の砦の近くに、占いの術に長けた老父がいた。ある時その人の飼っていた馬が、どうしたことか北方の異民族の地へと逃げ出してしまった。人々が慰めると、その人は「これがどうして福とならないと言えようか」と言った。数ヶ月たった頃、その馬が異民族の地から駿馬を引き連れて帰って来た。人々がお祝いを言うと、その人は「これがどうして禍をもたらさないと言えようか」と言った。やがてその人の家には、良馬が増えた。その人の子どもが乗馬を好むようになったが、馬から落ちて大腿骨の骨を折ってしまった。人々がお見舞いを述べると、その人は言った。「これがどうして福をもたらさないと言えよう」一年が過ぎる頃、砦に異民族が攻め寄せて来た。成人している男子は弓を引いて戦い、砦のそばに住んでいた者は、十人のうち九人までが戦死してしまった。その人の息子は足が不自由だったために戦争に駆り出されずにすみ、父とともに生きながらえる事ができた。このように、福は禍となり、禍は福となるという変化は深淵で、見極める事はできないのである。」とあります。
まるで「禍福は糾える縄の如し」のように、縄をあざなえば上下が交代で発生するように禍福もそのようなものであるということです。この禍とは何か、それは福のことです。そして福とは何か、それは禍のことです。つまり禍福の本体とは一つであり、自分のものの見方と心の持ち方でどうにでも観えているだけということです。
自分を中心に物事を考えていけば、自分にとって禍だとするときそれは周りにとって福になることもあり、自分にとって福であるのは周りにとっては禍であることもあるのです。そしてそれは自分の人生においても同じく、禍福は常に入れ代わり立ち代わり交換しながら訪れてきた半生でした。
例えば、一人の人生においては苦難や失敗があったおかげで気づかなかったことに気づき、それを努力し乗り越えて転じるとき、善いことになるものです。または逆に、楽をして上手くいったからと福を満喫しているうちに見落としたことが増えて気が付くとそれで転落することになるものです。かつて二宮尊徳は、余話の中で「禍福二つあるにあらず、元来一つなり。」といいました。それをこういう話で例えます。
「包丁で野菜を切るときは福だが指をきれば禍になる。柄をもって切るか、指を切るかの違いだけだといい、次に水を使った田んぼの畦の例えから、畦があれば田んぼは肥え、畦がなければ田んぼは痩せる、その違いは水は同じでも畦があるかないかのみとしました。さらには富も、自分のために使えばそれは禍になり、他人のために使えば福になるとし、同じく財宝も貯めて使えば福になり、貯めて使わなければ禍になるのだ」と。
結局は、ここでも禍福とは同一のものでありそれはその人の転じ方次第であるといいます。つまり禍福が問題ではなく、如何に「活かすか」にかかっているということです。
私は「活かす」というのは「禍いを転じて福にする」ことだと定義しています。そして禍福を一円のように丸く融合させるとき真の平和が人々に訪れます。
「塞翁が馬の会」と名付けたのは、物事に対してそういう初心を忘れないで取り組んでいこうという気持ちからです。偶然に発足した会ではありますが、この会の生き方や心の持ち方が故郷の人々、そして風土、暮らしを甦生して日本、世界を平和に導いていけるように禍福を豊かに味わっていきたいと思います。